2008年5月10日 (土)

フリーチベットとソニー・ロリンズ

さて、主席閣下の“暖春之旅”もそろそろ終わり。

本日は奈良に行ってるはずで、その結果は?。プールから戻ってきた昼前にテレビのチャンネルカチャカチャ回せば、12チャンネル・・・モトイ!テレビ東京が閣下の来日特集。ときおりテレビで顔を見る評論家の田勢康弘がこんな解説をしている。

餃子問題だとかチベット問題では、なかなか進展が見られないようだ。しかし、「これまでの日本によるODAが中国の発展に寄与した」と、日本に対する感謝の言葉を率直に述べたとか、君が代を3番目まで中国国内で放送されたとか、“歴史認識”を外交カードに振りかざして日本に謝罪を求めた江沢民と比べて、胡主席の今回の訪日はかなり異なったものになっている。このことからも江沢民時代の10年の間に冷え込んだ日中関係が好転する兆しが見える。

日中友好がいわれて何十年もたつというのに、いまごろそんな当たり前のことを喜ばなければならないテイタラクか?

よくある、書斎を模したセットの中で進行する番組だけど、さっきからその壁が気になって仕方がない。なぜかソニー・ロリンズのレコードジャケットが数枚飾ってあって、床にはテナーサックスという仕掛け。いつものセットなのか?何か特別な意味があるのか?初めて見る番組だから分からない。

「さぁ、ソニー・ロリンズさんが登場します」の進行役女性の言葉に「エッ!?」ロリンズがテレビに出るの!!!私は慌ててビデオをセットしたワケです。

けっきょく、5月中旬の日本でのコンサートのためのプロモーションの一環なんだけれど、音楽に対する姿勢だとか、これまでもっとも影響を受けた音楽家など、ありきたりの質問を受けたあと、「さて、ニュースのあとはいよいよソニー・ロリンズさんがスタジオで生演奏をしてくれます」

奈良を訪れた閣下の様子と、やってくれたか!フリーチベットのアピールを展開する同志の姿が映し出されたあと、いよいよソニー・ロリンズの演奏。

たしか80歳になろうというのに、いまなお元気な姿と、ムカシと変わらぬ豪放磊落なロリンズ節は、「ソニー・ロリンズとプロレスラーの引退宣言ほどアテにならないものはない」などと書いた私のドタマを、おおらかに包んでくれます。

奈良でのフリーチベットとソニー・ロリンズの演奏する姿をみて、これでひとりYouTubeのネタは決定と思い、ビデオテープを再生しようとしたら、、、。

「アラッ!録画されてない!!!」。

トホホのホ・・・器械の操作を誤ったらしい。

ワシもボケたか。

というワケで、本日のひとりYouTubeの代わりに、ソニー・ロリンズがもっとも先鋭的だった1960年代のレコードジャケットをアップしましょう。

決定盤シリーズ 第14集
「これがソニー・ロリンズ」

SONNY ROLLINS GOLDEN DISK

というタイトルからも、時代を感じさせるレコードです。

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現代のソニー・ロリンズは
音楽界に影響を与えることがなくなって久しい存在だけど
長生きも芸のうちだぜッ!!!
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そんなことを思わせた土曜日の
雨模様の昼下がりでした。

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2008年5月 5日 (月)

フリー・チベット1996

2006年1月から書き始めたこのサイトもこれでちょうど500本目。

よく続いたものと我ながら感心する。

さて、日本人は忘れっぽいから、長野“聖火”の話題も一般的には遥かムカシの出来事となりつつあるような気配がします。ところがドッコイ!ネット上ではまだまだホットな話題で、大手メディアが報じなかった、報じられなかった、“聖火”リレーの真実が飛び交っています。

私の「5月2日号 呪われし聖火〜宋さんを探せ」で、私が@nifty動画サイトに公開した動画と並べて紹介した、投稿者lawさんなる方の動画が、YouTubeでは盛り上がっています。

lawさんの動画はYouTubeの動画をコピーして@nifty動画サイトに貼り付け、私の公開した動画と並んでしまったというのがコトの経過のようですが、この本家YouTubeの動画が意外な展開を見せているのです。

“聖火”リレーの前日、関越のサービスエリアに現れ「中国支持を訴える日本人もいる」というテレビ朝日のニュースの録画がYouTubeに公開されると、2チャンネルに「アレは日本人ではない!中国人だ!」との書き込みが殺到。「ニセ日本人ではないか?」と糾弾された当の本人がとうとう「私は正真正銘の日本人だ!」とYouTube上に素顔を晒して「北京オリンピック支持」の自説を述べ反論するというナガレになるワケです。

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「こうして名乗りで出るのも勇気がいるなぁ」と思ったのも束の間、今度は青年の動画が「日中友好は中国人の純粋な願いで、長野での中国人は被害者だった」と誘導する工作の匂いを感じ取った読者から

動画の青年の口と音声が合わない。
北京オリンピック擁護の論理があまりにも中国人側だ。
そのパスポート偽造だろ。

などと「この動画、、、ヤッパリ可笑しいヨ〜」とのツッコミが入り、顔出し青年擁護側とコメント欄での泥仕合という・・・いつものナガレ。

そういわれてみれば、たしかに口調が入念に推敲された文章を読むように滑らかなのも喋り言葉としては不自然だし、口元と音声が微妙にズレている。当の本人の腕が動いていないのに原稿をメクル音までもマイクは拾っているから、画面の青年はクチパクで、実際に原稿を読んでいるもう1人との共同作業のようにも想像されます。

この青年の声とサービスエリアでインタビューに応えた青年の声紋鑑定がされたりして、そのうちこの青年の身元がワレ、個人情報が暴かれることになるんだろうけれど、あんがい、私が@nifty動画に公開した動画に出てくる「神奈川から来た宋さん」周辺の人間ではないかな?と想像しているワケです。

この青年が「北京オリンピック成功と日中友好を切に希求する日本人」だとしても“非国民”として冷たい視線浴びることになるし、「日本人を騙って日本を貶めようとする中国人」だとしたら「コレが中国人のヤリクチだッ」と、嫌中派の高笑いをきくことになりそうです。

このように今やジェームス・ボンドのようなスーパーヒーローの出番はなく、そこいらの多数の無名氏のキーボードが諜報合戦繰り広げる時代で、ネット上では呪われし“聖火”の落とし物が燻っているのす。

Tibet
 

さて、このブログは2006年1月からだけど、それ以前に発信していたホームページがあって、その中でチベットに関する映像を紹介したページがあります。

airegin/エアジン 7Days in Tibet 8

今回はこれ以降に観たチベット関係の映像を2点紹介いたしましょう。

『ヒマラヤを越える子供たち』は、チベットにいては教育を受けられないと、6,000m級の山を徒歩で数週間かけて越え、インドのダラムサラにたどり着く子供たちの姿を追ったドキュメンタリー。危険なヒマラヤ越えで凍傷に罹る危険に怯えながらも、それでも山越えに挑む子供たちは自由をつかむことができるのだろうか?

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ヒマラヤを越える子供たち
Escape over the Himalayas
Maria Bluemencron監督

2000年 ドイツ
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標高6,000メートル。
子供たちは命がけでヒマラヤを越える。
この尾根の向こうに、
未来があると信じて。

この子供たちは、ダラムサラに着いても、再び祖国チベットの土地を踏み肉親と再会することはできないのでしょう。この映像はチベットの現状にロマンなど入り込む余地がないほど切迫していることを教えてくれます。

今回の世界各地で起きた“聖火”リレー騒動は、チベット問題を一気に知らしめたし、街を埋め尽くす五星紅旗に中国の危険さを人々の心に刻み込ませることになりました。

国威発揚どころか国威失墜になろうとは中国も予想しなかったこと。かといって、途中で止めることもできず、平然を装いゴリ押ししたことで中華帝国の威信をドブに落としたようなものです。中国首脳は後ろ手にされて木から吊るされる己の姿がチラチラして怯えただろうし、これからも眠りは浅いゼッ!

今になって振り返れば、今回の騒動を予知するかのような出来事が「これじゃなかったのかな?」と思える動きがありました。

2008年3月11日 毎日新聞より

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そのビョークが出演して、チベットの人権問題を広く世界に知らしめたのコンサートを収録したのがこのDVD。

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FREE TIBET
TIBETAN FREEDOM CONCERT 1996

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史上空前の豪華アクト
第1回チベタン・フリーダム・コンサート
歴史的なライブ・パフォーマンスとメッセージが閃光を放つ!

1996年6月の開催というから12年前のことになりますから、ビョークはこの頃からチベット問題を心にとめていて、上海のステージで「チベット!チベット!」と叫ぶことになったのでしょう。

巨大雪山獅子旗をバックにビョークのパフォーマンス。

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サンフランシスコで約10万人集めたこのイベントはさしずめ「30年後に再現されたウッドストック」といっても良いかもしれません。ただし出演者も音楽傾 向もウッドストックの頃とは大幅に異なりヒップホップ系のミュージシャンが殆どだから、私の好みとは異なるものです。なぜかそんな中にジョン・リー・フッ カーと“ウッドストックの生き残り”リッチー・ヘイヴンスの顔が見られるのが懐かしい(ただしリッチーの歌ってる映像はナシ)。

映画はステージのパフォーマンスを中心に、チベットに侵攻し占領する中国軍の犯罪や拷問される僧侶の古い映像。そして現代でも行われている、絶望的拷問から逃れた僧侶たちへのインタビューで中国の蛮行を浮き上がらせています。

12年前の映画でこんな悲惨な状況が描かれて、それからもなおチベットに対する暴虐が改めれず続いていることは最近のニュースで知ってのとおりです。

この映画の中ではダライ・ラマ14世へのインタビューシーンも何編かあって、私が印象深かったのはこのシーン。「中国人を憎みますか?」の問いにダライ・ラマ14世はこう答えます。

いいえ憎んではいません
怒りに震えるときはありますが
憎しみの感情はまったくありません

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ひとりYouTube

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中国政府はダライ・ラマ14世との“対話”を再開したというけれど。
中国のそんな発表などオリンピックまでのただのポーズとわかっていても
それでもなお
僅かの期待を寄せなければならないアホらしさよ。

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2008年5月 3日 (土)

レーザーディスク愛

朝からの雨で、ゴールデンウィークに出かけようとしていた人にとっては出ばなをくじかれた感じだったでしょう。私は雨が降ろうがヤリが降ろうが、いつものようにプールでのスイミング。2時間タップリと、泳いだりウォーキングで身体を動かし、外に出てみればようやく雨も上がった模様。

さて、

このブログでLD・レーザーディスクのことを何回か書いたところ「LD盤が250枚ほどある。器械も壊れたままで今後も観ることもないだろうから、盤を引き取ってもらえないか?」との申し出が数日前にあった。

この申し出の方とはそれ以前に何回かメールのやりとりをしたこともあったので、音楽的嗜好も私と同方向と気づいていたから、コレクションの内容については信じたものの、250枚ということになると・・・。

じつは私も250枚ほどのLDを持っていて、さらに250枚ということは合計500枚!

どこに保管すればいいんだッ?それに老い先短い身としては、これらを生きてる間に観終えることができるか?

・・・それでも・・・欲しい!!!

けっきょく「250枚あるつもりが69枚だった」との連絡に、それだったらなんとかレコード棚に収まりそうだからと、格安値段で取引成立。

30キロの荷物になって即送られてきたけれど、開けてしまうとついつい夜更かしして観てしまうから、開梱は連休に入るまでジッとガマンの子。

たぶん、前所有者は愛娘を嫁にやるような心情だったのでなかったか?と思えるほど丁寧な梱包を開いて・・・。

ドキドキしながら内容をチェックすれば、私のニラんだとおり、70−80年代洋楽中心のコレクション。

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15枚ほどはすでに持っていたアルバムと重複したけれど、未DVD化作品、DVD化されても既に廃盤になっているのではないか?と思える貴重なコレクションの数々。

今ではワシントン条約で保護されそうな存在のLDだけど、ムカシはコレが欲しくってね〜。値段が高くって買えなかったという、かつてのウラミをいまになって晴らしてるようなものです。これって『未成就症候群』とかっていうんじゃなかったっけ?

LP→CD→インターネットの時代になってもSP盤のファンがいるように、DVDの時代になってもレーザーディスクに愛情注ぐファンがいてもいいんじゃないかい。

というワケで本日の
ひとりYouTubeは
ジミー・クリフ/ノー・ウーマン・ノー・クライ
を観ていただきましょうかネ〜。
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ひとりYouTube

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2008年4月23日 (水)

アマポーラ

このところ聖火リレー関係でテレビ番組を録画したり、インターネット用に加工作業したりと自宅残業でずいぶん頑張ったせいか疲れ気味。そのうえこの数日冷え込んだこともあって、チョッと風邪気味で足がダルイ。

というワケで、最近手に入れたこんな映像ソフトを気分転換に紹介しておきましょう。

アンジェラの灰

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神様仏様パーカー様の
アラン・パーカーのビデオが
TUTAYAのレンタル落ちで
100円也!

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ティンク・タンク

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お久しぶりのりんけんバンドのLD
渋谷レコファンで
200円也!

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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ

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オー!!!
ロバート・デ・ニーロ様のLDが
同じく渋谷レコファンで
100円也!

『ワンス・アポン・ア・・・』のLDなんか10000円の定価なのに今じゃ中古で100円だもんね。これぞ究極の映像ソフトと信じたレーザーディスクもDVDにとって替わられて今では過去の遺物扱い!!!こんな技術の進歩のナガレからみると、そのうちDVDの地位だって危うくなるんじゃないの。

早く帰って熱い風呂に入って布団にくるまり、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のレーザーディスク観ていたら、ちょっと観てすぐに寝るつもりが結局最後まで観てしまった。過去=現在=中過去と時代が目まぐるしく変わりアタマの切り替えが大変。

そこで本日のひとりYouTubeはこの映画の有名なシーンのお裾分け。

裏社会の顔役にのし上がったかつてのチンピラが、想いを寄せていた幼なじみのデボラをデートに誘います。休業中のホテルを二人のためにオープンさせたこのデートが、二人にとって陰惨な結末を招くということにも気づかず『♪アマポーラ』のメロディにのせて甘い時間を過ごす印象的なシーンです。

ひとりYouTube
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「このLDが欲しい!だけど高価で買えない!」
と諦めたことを何度も経験しているワタシとしては
過去の満たされなかった欲望を充足させるような気持ちで
ついつい買ってしまうのです。
あぁ
だから
また荷物が増えてしまった。

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2008年4月20日 (日)

異形の大国 中国/櫻井よしこ

2008年4月20日(日)フジテレビの朝の番組に出演した崔天凱駐日大使。

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番組を通して日本の皆様にお会いできたことを
たいへん嬉しく思っています。
(崔駐日大使のお言葉)

ワタクシも

番組を通して崔大使にお会いできたことを

たいへん嬉しく思っています。

だから、、、、。

あわてて駅前の本屋に走って

こんな本を買ってきました。

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異形の大国 中国
彼らに心を許してはならない
櫻井よしこ

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新潮社

2008年4月20日発行
¥1500

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詫びず、
認めず、
改めず。
狡猾な相手には
賢く勁くあれ!
毒入り冷凍餃子の原因にシラを切り通す中国政府、
胡錦濤の「微笑外交」の裏にある恐るべき真実、
気づかぬうちに世界第3位を誇る軍事予算---
中国の真の姿を知ることから、すべては始まる。

ジャーナリスト、櫻井よしこが放つ
中国論決定版!

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フジテレビさん
こうなったら次回は
崔駐日大使と櫻井よしこさんの
サシでの対話をセットしてくださいヨッ!!!
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そんな申し入れは中国さん
絶対お断りしませんから。
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アッハッハッハハー


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引き寄せの法則・・・かな?

“呪われし聖火”も、タイでは大きなトラブルもなくセレモニーはつつがなく終了したとのこと。

ところが、タイでは無事だったけれど、本国中国では大変なことが起きていたらしい。つまり、フランスでの聖火リレー事件に不満を抱く中国人が、仏系ショッピングセンターを狙い撃ちしたデモを行ったというもの。中国にとっては今回の欧米諸国での抗議活動が起きた原因が理解できず、たんなる“中国敵視”にしか見えないらしい。こんな騒動を見るにつけ、いつぞやの日中サッカー試合の様子を思い出します。いまからコレじゃぁ、本番のときはいったいどうなるんだ。

“呪われし聖火”が灯された北京オリンピックは、“呪われたオリンピック”として永遠に語られることになりそうな予感がします。

さて、

これまで何回かに分けてアップした『神話の力』シリーズ、の中に、チベット僧の唱えるオームのシーンがあります。

この『神話の力 Vol.6 永遠の仮面』こそ私の精神的支えになっている章でもあり、いまチベット問題が注目を集めている時期だからこそ、自分自身の再確認の意味もこめてアップしようと改めて加工し直しました。そして本日日曜日にアップすべくファイルを保存しておいたところ、こんなコメントが寄せられることになります。

名前:           有香
メールアドレス: frigid_heights@*********
URL:            http://serra.blog8.fc2.com/

内容:
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ニフティのビデオ共有ページから来ました。貴重な日本語の「神話の力」のビデオをご紹介くださり、どうもありがとうございました。私のブログで紹介させて頂きました。英語版のDVDを所有していますが、やはり日本人とシェアするには日本語が一番。NHKが保存していないというのはほんとうに残念でなりません。

この投稿者のサイトを見てみると、いわゆる「精神世界」に関心をお持ちの方のサイトのようで、なんと・・・私がかつてニフティ動画にアップした『神話の力 Vol.6永遠の仮面』が貼り付けてあります。

昨日再加工しておいたファイルを「早く公開しろ!」と催促されたような、偶然の一致にしてはオモシロイこともあるものです。

ということで、

有香さま、貴サイトでご紹介いただいた『神話の力』ファイルをアップいたします。これはチベット僧の唱えるオームが入っているロングバージョンですのでご覧下さい。

ひとりYouTube

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これも
やはり
引き寄せの法則
なのかな。

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2008年2月20日 (水)

ハロン湾クルージング

私が初めて会ったベトナム人は1974年のカサブランカだった。

そのベトナム人は、うす小汚いバックパッカーの私に声をかけ、ベトナム料理店で腹一杯メシを喰わせてくれたあと、ヤバそうな建物に案内してホットシャワーを浴びさせてくれたのだ。だいたい旅先で声をかけてくるヤツには要注意と相場は決まっているけれど、その時はホットシャワーの誘惑に負けて「ドロボーでもモーホでもスキにしろ!」と捨て鉢な気分。

彼は実際に要注意でもなんでもなく、スポーツジムでフランス人相手のマッサージ師として働いていて、街で見かけた同世代のアジア人に対しての親近感から私に親切にしてくれたのだった。その親切に甘えてカサブランカ滞在中はいつも彼のいるジムに顔を出してはご馳走になったりシャワーを浴びたりしていた。

旅をしていると過剰な防衛が身を護ることもあるし、また、他人の好意を裏切ることもある。 一瞬でも彼に対して疑いをもったことを恥じたのはず〜っとあとのことになる。

ベトナム人がどうして北アフリカのカサブランカくんだりにいるのか?最初は分からなかったけれど、ベトナムもモロッコも旧宗主国はフランスだったことで、フランス語圏での働き口あったのだろう。

30数年前にベトナム人から世話になったという体験で、その国にシンパシーを持ってしまうということもあるのです。

かってのイギリス植民地やフランス植民地のその後をみると、イギリスよりもフランスの方が統治が上手だったような気がする。イギリスは搾取するだけ搾取してズラカリあとは知らんぷり。フランスの場合は独立後も旧宗主国として影響力を保持できたということは、植民地経営ではフランスが長じてたようです。フランスは搾取するだけでなく、フランス文化というような精神的なものをうえつける術を心得ていたのかもしれません。
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Sikiri
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さて、

カンボジアのシェムリアップから始まったこの旅も、どうにかこうにかハノイにたどりついて、ゴールも間近です。。

ハノイまで来たからには、観光客らしくちょっと遠出してハロン湾も押さえてしまおうか。

ハロン湾のホテルに1泊してノンビリしたかったけれど、時間がないのでハノイからの日帰りツアーに参加(昼食付き29ドル)。朝8時ころにベンツのミニバンでハノイ出発。道路両脇は工業団地らしく整備されて、いつでも工場誘致ができる態勢が整っているようだ。

ハロン湾の船着き場に着いたのが11時ころ。船着き場は乗船を待つたくさんの欧米人観光客であふれている。

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湾内もまたボートで埋め尽くされて壮観。

そんな中、船員に抱きかかえられて意識不明状態で事務所に運ばれた白人のお婆さんがいたりして。慣れない環境で無理して日程を消化しているんだろうな。

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ハロン湾は浸食によってできた1000とも3000ともいわれる奇岩の屹立する「海の桂林」とも称される景勝の地(だそうだ)。そんな岩々の間をボートは進みます。

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これは私の愛用のクロッグス。

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湾内だからもちろん波はなく、こんな景色を両脇に見ながらの快適なクルージング。

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この日はちょっとモヤのかかっていたのが幻想的なムードを醸し出します。

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カヌーを楽しむ白人カップルもいる。この薄ら寒い中タンクトップでよ〜やるワ!。どんな環境でも自分たちの楽しみをどん欲に追求しようというこの姿勢には感心します。

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ボートは筏にもやうとそこが水上レストランになり、こんな生け簀の中の魚介類をお客の好みによって調理してくれる仕組み。ただしこのツアーのお客は締まり屋ばかりであまり商売にはならなかったようす。

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ボートには果物売りの手漕ぎ船も横付けして客を待つ。

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食事が済んだあとボートは次の島へ。ナントカ島には巨大な鍾乳洞があり、奇岩とともにこれも名所らしい。

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「海の桂林」といわれても、「桂林」そのものも知らなデ〜」というていどで流して、鍾乳洞で見かけた横山ノックさんのほうに興味をもつというのが私の癖なのです。

これでハロン湾の観光はオ・ワ・リ。

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ベトナム旅行から帰ってきて、後追いになるけれどこんなビデオを観た。

インドシナ

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フランス植民地だった時代のベトナムが舞台になっていて、その当時のベトナム支配者であるフランス人やベトナム人の関係が理解できる傑 作映画です。この映画の中で、軍組織に背き左遷された将校の赴任したのがハロン湾。再会した恋人と海面に突き出た岩々の間を漂流するシーンは印象的でした。

順風満帆に思えた植民地経営が、激しい抗仏戦争、そして独立を承認という経過がこの映画の背景にあって、アメリカさんが首を突っ込む以前から、ベトナム人はいわば“戦争慣れ”していたことがよ〜く分かります。

けっきょくハロン湾の二人は逃避行の末、男は殺害され女は抗仏運動に身を投じ、二人の間にできた男の子はカトリーヌ・ドヌーブに引き取られるという結末。実際のハロン湾を見たときよりも、映画の中のハロン湾に何倍も感動したワケです。

それにしても
フランス映画には
ハッピーエンド
というヤツがないなぁ。

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2008年2月 3日 (日)

花はどこへ行った

昨年12月NHKハイビジョンで興味ある再放送がありました。

かつて、NHKで放送された番組の中から、五木寛之さんにとって印象深い番組を五木さん自身の解説も含めて12時間に渡って再放送しようというもの。

その中の『花はどこに行った・祈りの反戦歌』は、NHKらしい丁寧な取材で、反戦歌として知られる『花はどこへ行った』の生い立ちを浮き上がらせていて、私にとっても「もう一度見たい番組」として放送日を待ちわびたわけです。

五木寛之と過ごす・ハイビジョンの一日
“旅と青春”への思いを存分に語る12時間
自ら選ぶ珠玉の番組でたどるその人生とは・・・・

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2007.12.16(日)

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『花はどこへ行った』が重要な意味を持たされるのは、ベトナム戦争さなかに若き米軍兵士が戦車に寄りかかり、この歌を歌う姿が放送されたことだったといわれます。それ以来『花はどこへ行った』は、作者のピート・シーガーの手を離れて、反戦歌として一人歩きすることになります。

つまり、自分たちに無関係な遥かアジアの片隅のイザコザだと思っていた戦争が、実は自分たちの戦争で、明日は自分も招集されることになると感じ取り、“厭戦・反戦”ムードが一挙に高まったからだといいます。

そして、『花はどこへ行った』はドイツに飛び火して意外な展開を見せます。

ドイツ出身の女優マレーネ・ディートリッヒは、反ナチの立場からドイツを捨てたことで、“祖国の裏切り者”としてのそしりを受けることになり、そんなディートリッヒが『花はどこへ行った』をドイツ語で歌ったことで、祖国に受け入れられることになります。


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さらに時は移り、1994年のリレハンメル冬期オリンピック。

引退した、かつての“銀盤の女王”東ドイツ出身のカタリーナ・ビットが統一ドイツの選手として復活。『花はどこへ行った』に乗せ戦争の悲惨さを訴えるメッセージは大観衆の心を打ちます。


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たかが歌だけど

もしかすると

その歌が

少しでも世界を動かすキッカケになるかも知れない。

60年代半ば、ピート・シーガーが、ロシアの作家ショーロフの『静かなるドン』の中の一遍の子守唄をヒントに作った『花はどこにいった』が、やがて、作者が想像もしなかった光を発し反戦歌として重要な存在になっていく過程を見て、こんなことを思ったのです。


ベトナムで、戦車によりかかって『花はどこへ行った』を歌う若い兵士の映像がアメリカ国民に衝撃を与えてから40年。

私の持っているアメリカンブランドの靴やバッグ・衣類のタグをひっくり返せば「MADE IN VIETNAM」の文字が簡単に探し出せるし、現在のベトナムでは一般にアメリカドルが流通し、かつてこの国とアメリカが戦争していたことを感じさせるものは少ない。

かろうじて、『クチトンネルツアー』という観光客向けツアーにベトナム戦争の面影が残っているくらいか。これはベトナム戦争当時ベトナム解放戦線が張り巡らした全長250kmの地下トンネルを見学しようというもので、これとて、もはやエンターテインメントとなっている。

ホーチミン市内に『戦争博物館』という施設があって、ベトナム戦争の歴史を戦争遺物や写真パネルで紹介しているもの。反南ベトナム政府の人間を拷問に科した器具とか、枯れ葉剤による奇形児のホルマリン漬けなども展示してあるが、ベトナム戦争の悲惨な実体を表現しているとも思えない。もしかすると、経済発展という“実利”をとるためにはアメリカを刺激したくないというベトナム政府の手加減なのかもしれません。

展示物の中にこんなコーナーがあります。

ベトナム戦争のさなか、日本からベトナム解放戦線支援に送られたビラとかポスターの展示物です。私は特にベトナム支援の活動をした者ではないけれど、懐かしい印刷物です。

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東京のどこかの街角で見たことのあるようなポスターだと丹念に見ていると、後ろからこんな声が聞こえます。

男「ねぇ、学校でベトナム戦争のこと習った?」

女「おぼえてな〜い?」

男「やっぱり?ボクもおぼえてないんだよね」

さりげなく後ろを振り返れば健康そうな若い日本人カップル。それ以上ハナシがつながることもなく、次の展示物へと移っていきました。学校で習わなくっても、こうして戦争博物館を見に来ただけでも上等上等。

私たちが彼らの世代のときも
ベトナム戦争について学校で学ぶことはなかったけれど
「アメリカはベトナムから手を引け」の立て看板だとか
反戦集会反戦フォークなどの言葉から
自然とこの戦争のうさん臭さを学習していました。
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「共産主義から自由主義を守るため」
こんな大義のもとにベトナムに侵略したアメリカは
ベトナムなんてすぐに潰せると思っていたのでしょう。
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しかし
侵略する側の大義はどうあれ
他国への侵略は侵略
侵略された側の大義までは読み切れなかったようです。
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そしていま
40年前の学習効果もなく
ただオイル利権を守りたいがための
一片の大義も見つけられない侵略から抜けられなくなっているんだなぁ。
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意に反して
イラクに駐留することになったアメリカ軍兵士たちは
『花はどこへ行った』を
見つけられるのだろうか?
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そんなことを思いながら
「戦争博物館」の外に出てみれば
展示物の悲惨さとウラハラに
ノンビリと壁塗り作業中の
ホーチミン市「戦争博物館」
2008年正月でした。
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2008年2月 2日 (土)

氷も溶かすロマンス

鼻がムズムズすると思ったら「アッ!そうか!スギ花粉の季節か!」と思いついた。

寒い寒いと言っているあいだにも季節はどんどん移っていきます。

「つなぎ法案がドッタラ!コッタラ!」「中国餃子がアーシタ!コーシタ!」と、相変わらず読みたくもない記事ばかりの新聞だけど、昨日のこんな記事にはホノボノとさせられました。

2008.02.01 毎日新聞 夕刊

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日本女子フィギュアスケートというと、マオ嬢とかミキティー嬢ばかりが大騒ぎされているけれど、こんな日本人選手もいたんですね。

YouTubeにこのプロポーズのシーンがアップされていたので貼り付けました。

どうぞご覧ください。

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YouTube

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意外な展開に
観客も解説者も大喜びです。
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毎日新聞のコラムによれば
井上選手のこれまでの人生は
平坦なものではなかったとのこと
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それだけに
井上怜奈さんの
末永い幸せを祈りたい気分です。
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近頃では出色の動画です。

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2007年12月15日 (土)

ミルス・ブラザースのバイ・バイ・ブラックバード

「消えた5000万件」に対する、

このところのオエライさんのハナシを聞いてると

わかった!即選挙やろうよ!!!

こんな事を言いたくなります。

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前回紹介したインド映画『ボビー』ラジャを演じたのがRISHI KAPOOLという役者さん。『偽』事件で世間に醜態さらしてしまった伊勢や船場の金持ちのボンボンというような、いかにもシマリのない顔をしています。

試しにこのRISHI KAPOOLで検索してみたらこんな画像を見ることができました。

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1973年のあの映画から30数年後、なかなかいい風貌になってるじゃありませんか?

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不思議なことに『夜の営み写真集』などというキーワードでアクセスする不逞のヤカラが後をたちません。そういう皆さんには、「期待を裏切ってゴメンね!」とひとこと謝っておきましょう。

『ミルス・ブラザース』をキーワードにこのサイトを訪れる方もポツリポツリとあるようです。たしかにミルス・ブラザース関係の1章をアップしたことがあるけれど、私が知っているミルス・ブラザースのアルバムはこの一枚だけなのです。

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YouTubeで検索してみたらミルス・ブラザースの懐かしい動画も数件アップしてあって、古き良き時代のジャズに見とれてしまいました。

そこで、私もミルス・ブラザースのYouTubeにはない、短い動画を1本ひとりYouTubeとしてアップしますのでどうぞご覧下さい。

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オールドファッションだけど
こんな肩の力を抜いたジャズも
なかなかオツなものです。

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2007年12月14日 (金)

1973年のボビーとラジャ

ダライ・ラマさんも訪日の旅を終えて無事帰国されたようです。「一応、ひとこと言っておかなけりゃならんのよ」と中国さんもブツクサ言ってましたね。

ダライ・ラマさんはアメリカのセレブの間ではアイドル並みの人気者だそうで、パーティなどではお金持ち階級の連中がずいぶんと集まるんだとのこと。たしかに、あのポジティブな笑い顔は皆を幸せな気持ちにさせてくれます。

日本ではダライ・ラマの説法というか講演会のチケットぴあを介してさばかれる現状を見るにつけ、果たしてダライ・ラマはチベット人民を救えるのか?ダライ・ラマが救えるのは、巧く外国に逃げおせた上流階級のホンの一握りのチベッタンだけではないのか?という疑問を抱き続けているのです。

それでも言わなければなりません。

チベット問題がある限り
中国を信用するな!
チベットに自由を!

ダライ・ラマさんのアメリカにおけるスポークスマンの役割をしているのがリチャード・ギアというのは有名なハナシ。ダライ・ラマいるところにリチャード・ギアがいるというくらい緊密な関係だそうで、リチャード・ギアを通じてハリウッドスターのダライ・ラマ人気も高まっているんだとか。

そのリチャード・ギアに関するこんな新聞の切り抜きがあります。

デリーでのエイズ撲滅啓発イベントに出席したリチャード・ギアが、インドのシルバ・シュッティというトップ女優に何度もキスをして社会問題化しているというのがこの記事。

2007.05.02(水) 毎日新聞

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リチャード・ギアもホンのシャレのつもりだったんでしょうが、逮捕状が出たり自分の等身大人形が焼き討ちに遭うなど、とんだ騒ぎになってしまったようです。

騒動の原因は「大衆の面前で性的な行動や鼓舞する行為」を禁じた英国統治時代のわいせつ法の名残りとし、「インターネット上のわいせつ映像は野放しなのに」という大学生の言葉を引用して、IT先進国インドのちぐはぐさを解説しています。

このハナシがその後どのようになったのか?手打ちは済んだのか?コトの顛末についての後追い記事は見逃してしまった。マッ、どうでもいいけんどもねッ。

経済発展著しいといわれるインドでも、さすが“オームの国”だけに、人々の意識だけは今でも「マハバーラタ」の時代のままなのでしょう。

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インドは世界に冠たる映画制作大国だそうで、カルカッタを製作拠点とする“芸術派”はサタジット・レイという巨匠を生み、ボンベイを拠点とする“娯楽派”はマサラムービーと命名されたジャンルで人気を集め、世界に輸出されて外貨稼ぎに一役買ったとか。ひところ(2000年頃)日本でも『踊るマハラジャ』を皮切りにインド映画が話題を集めた時期があったけれど、韓国映画に押し出されるように最近全くウワサを聞きません。

ちなみに、2000年に「サイババ来日?」騒動があって、『踊るマハラジャ』のラジ二・カントがサイババの露払いで一緒に来日するというハナシなどもありました。結局、サイババ来日騒動自体が立ち消えになるとともに“腰振り大王”来日もウヤムヤになったワケです。

私がインド人と会ったとき「これを話題にすれば“ツカミ”はOK」という奥の手があって、それは『BOBBY』というインド映画のこと。インドで空前絶後の大ヒットした映画で、「ボクは1973年にこの映画をインドで観たよ!」と言えば、老若男女どんなインド人でも大喜びしてくれるネタなのです。

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この映画のストーリーは単純明快でヒンズー語の理解できない私でも理解できるという内容。

インド南部ゴアの大金持ちの息子ラジャと、漁師の娘ボビーの恋物語。身分が違う、宗教が違うという理由で反対される二人が、その恋を成就するまでを描いた、要するにインド版ロミオとジュリエット。緑ゆたかなゴアの浜辺からヒマラヤ山脈の麓カシミールまで、結ばれたかと思うと引き離されて落胆の歌をうたい、引き離されたかと思うと結ばれて歓喜の踊りを踊るという大逃避行はインド人のココロを完全に虜にしたのです。夢物語のような世界に入り込んで、一瞬でも厳しい現実のことは忘れたいということなのでしょう。

映画の上映よりも挿入歌が先に流行し、どんな田舎町に行っても朝から晩までラウドスピーカーでガ鳴りたてられ、「オレはこのあいだボンベイで観たよ」と言えば羨ましがられるほど人気を集めた映画でした。

このときBOBBYを演じたのがDIMPLE HAPADIAという女優で、ミニスカートに胸の膨らみも豊満なボディラインもバッチリという大胆さ。もちろんラブシーンだってあり、現代のリチャード・ギア騒動から見ても、70年代のあの時代によく問題にならなかったなぁと思えるほど革新的なものでした。

けっきょく、現代のリチャード・ギア・キス騒動もアメリカ男対インド娘という組み合わせが、印度極右勢力の反感を買ったということなのかもしれません。

1973年のボビー DIMPLE HAPADIA

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1973年のラジャ RISHI KAPOOR

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イヤハヤ、このニヤけ具合が、ナントモ・・・現代のヨンサマという感じですね。

この映画とテーマユージックはたぶんインド人の血と肉になっているのでは?と思えるくらいの浸透度なのです。だから、上映から30数年後の今になって、インド人にこの『BOBBY』のハナシをすれば、「オマエはなんでBOBBYなんか知ってるんだ?」とビックリされ、 「だってオレは1973年にダージリンから南の果てのカニヤクマーリまで旅行してたんだよッ」追い打ちかければ、さすがの“インド人もビックリ”という仕掛 けになるワケです。

それでは
年金問題でコケにされっ放し
カッカきているペテン冷やすためにも
気分転換に
この『BOBBY』のシーンをちょっと見てみましょうか。
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ワシも厳しい現実を忘れるためにも
インド人のように
この映画の世界に逃避したいよう〜

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2007年11月28日 (水)

ビッグ・ウェンズディ伝説の波〜

オーム世界に取り込まれてなかなか足抜け出来ない状態です。

『引き寄せの法則/Softbank Creative』を読んでいたけれど、3分の1ほど読んで止めてしまった。けっきょくこれまでに発刊された数多のチャネリング本と50歩100歩というところ。もしあなたがこの本から“生きる指針”を見つけたいと思ったとしても、わざわざ大金はたいて買う必要はありません。書店で<訳者あとがき>だけを立ち読みするだけで充分です。この<訳者あとがき>の中に必要なことはすべて書いてあります。

ただし『引き寄せの法則』というキーワードだけはココロのどこかにインプットしておいてください。それだけでOKです。

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前回に紹介したオームマーク入りCDを制作したDJ DREZだけど、このDJというのはディスクジョッキーのDJということらしい。

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と、ちょっと補足しておいて、、、、。

さて、スティーヴィー・ワンダーとハレクリシュナのつながりは確認できたと思うけど(別に確認できなくとも人生に影響はありません)、要は意外なところに意外な形でインド文化が入りこんでいたということを説明したかったワケです。

じつはこの映画にも、アメリカでのインド文化浸透度が理解できるシーンがありましたねぇ。


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名サーファーとしてビーチの人気者だったマットも、幼なじみと結婚、一女を得て安定した生活を営んでいます。かつてのサーフィン仲間はそれぞれの道を求めて各地に散らばり、今や会うこともありませんが、そんな彼に届いたのは親友だったワクサーのベトナムでの戦死の知らせ。

ワクサーの葬儀に参列したあと、サーフィン仲間と過ごした海沿いの店COSMIC CAFEに久しぶりに立ち寄ってみると、そこは代替わりして今ではヒッピーのたまり場となっています。

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壁に飾ってあるのはサイケデリックなジミヘンのポスターだし、テーブルではお香が炊かれ、BGMはシタール。お客はロングヘアーに虚ろな目をしたヒッピーたち。そして、薄汚い格好のウエイターはコーラもハンバーガーも身体にワルイからメニューに無いと言います。

まやかしのLOVE & PEACEの世界に、もはや自分たちの居場所はないことに気がつくマットです。

サーフィンシーンの見事さはもちろんのこと、こんな社会の移り変わりがさりげなく描写してあって、だからこそ私にとっては永遠の名作として大事にしたい映画なのです。

それでは、例によって、このシーンをちょっと見てみましょうか。

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時代設定は1968年ということになっていましたが
『アメリカン グラフィティ』の希望に満ちた社会も終わり
ベトナム戦争で疲弊していくアメリカ社会の隙間に
沁み込んだインド文化が
こんな形で描かれていたのです。
ここで
壁にオームマークがあったりすれば
ナガレとしてはパーフェクト。
しかし
いつもいつもそうウマクいかないのが
世の中というものです。
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2007年11月23日 (金)

愛と哀しみのボレロ

今朝の朝刊にのっていたこんな訃報。

2007.11.23(金) 毎日新聞より

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バレエ振付家モーリス・ベジャールというと、映画『愛と哀しみのボレロ(LES UNS ET LES AUTRES)/監督クロード・ルルーシュ/1981年フランス』での、ジョルジュ・ドンと組んだ『ボレロ』を真っ先に思い浮かべます。

映画はヨーロッパでの人種問題の絡んだ複雑な歴史を反映した難解なストーリーでしたが、エンディングのこの「ボレロ」には圧倒されました。チャリティでドンの踊るボレロを見る観客のそれぞれが背負った何代にもわたる歴史の重さが浮かび上がることで、それまでの難解に思われたストーリーがジグソーパズルの最後のピースがはめ込まれたように理解できる印象的なエンディングでした。

それでは勤労感謝の日、その『愛と哀しみのボレロ』のシーンを見てみましょうか。

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2007年10月30日 (火)

ヘアーのハレクリシュナ

『ヘアー/ミロス・フォアマン監督』は1967年のロック・ミュージカルの映画化で、1987年に公開されたことになっています。ベトナム戦争が終わっていない70年代初めの公開と思っていただけに、オフ・ブロードウェイから12年の歳月を経た上での映画化だったことにまずビックリ。

というのも、この映画は60年代のヒッピーの生態がじつにリアルに再現されていて、この時代が懐かしく思い出されるのです。

この映画の中にも、ハレクリシュナを歌うこんな青い目のヒッピーが登場しましたね〜。

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『ヘアー』はオクラホマの田舎からニューヨークにやってきた若者が、ヒッピーとつきあうことでカルチャーショックを味わいながら成長していく物語。タイトルのヘアーというのは、髪を伸ばすことで体制に組み込まれないという意思表示をしているワケです。

なにしろ60年代のヒッピーですから、セックスありドラッグありの酒池肉林というワケで、主人公の青年が角砂糖食べて幻覚を体験する素晴らしいシーンを見て下さい。

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チョッといい訳がましいけれど
私がハレクリシュナだとかグルだとかの動画を
アップしているからといって
信者だなどとカンチガイしないでよ。
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私はこんな烏賊がわしくってウサン臭いモノが
ダ〜イ好きなだけのハナシですう。

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2007年10月28日 (日)

スワミ・チダナンダのオーム

「やめられない止まらない」のカッパえびせん体質だから、“街のオーム”を特集していたら止められなくなってしまった。

そんな、こちらの事情を見透かしたかのように、26日(金)夜にはNHKで菅野美穂の「インドヨガ紀行」の番組が放送されるというタイミング。この番組は1ヶ月くらい前にNHKBSで放送された番組で、その模様をこのブログで紹介したけれど、そのときは画像がうまく取り込めなかった不満が残っていただけに、この絶妙なタイミングの再放送は「どこの神様のサジ加減か!」とビデオをセットして待機していたワケです。

ヨガに興味を持つ菅野美穂が、ヨガの原点を求めてインドを訪れるlこの紀行番組に、まず驚かされたのが「女優の余技ていどのものだろ」と思っていた菅野美穂のヨガがじつにしっかりした習熟度だったことです。よくぞこんな女優さんを見つけてきたものとNHKの人選に拍手です。

インド各地でヨガのポーズをキメながら、ガンジス河沿いのリシケシのヨガ施設で修行を体験して、さらにガンジス河上流の聖地ガンガトリ目指すも、折からの降雨で道路が遮断されるアクシデント。やむなくリシケシに戻り高僧チダナンダ宅を訪れると、アポなし(ということになっている)にも関わらず、グルは菅野美穂の来訪を受け入れて居室へと招きいれます。

伝説のグルに面会が叶うというチャンスに緊張する菅野美穂が部屋に入ったとき、
およそグルの部屋らしからぬ雑然とした部屋の右上の額がオームです。

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教えを乞う菅野美穂に
92歳のグルはヨガの本質を説き明かすという感動の場面。
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あなたたちが幸せの太陽に
照らされますように
なぜなら日本人は太陽を拝みますよね
太陽は最初に日本に昇り そのあとインドです

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ヨガの一連の練習に 健康になるための
10から12のポーズを組み合わせたものがあります
太陽の礼拝「スーリャ・ナマスカル」です
これをあなたにお勧めします

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ヨガはインドだけのものではありません
ただインドで生まれ受け継がれてきた財産なのです

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ヨガはインドの古代科学です
それはこの世界のすべての国の人たちを
助けるためにあるのです

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それでは本日の「ひとりYouTube」は
グル編としてこの珍しいシーンを見てみましょう。


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私は
「インド人もビックリ」のフレーズが沁み込んだだけの
野次馬インドファンでしかないけれど
数週間前に放送された
長澤まさみの『ガンジス河でバタフライ』や
この菅野美穂『インドヨガ聖地への旅』と
このところインド関係の力作が続いて
インドファンの私としては嬉しく思います。

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2007年10月 8日 (月)

街のオーム/ガンジス河でバタフライ

10月6日(土)の深夜に『ガンジス河のバタフライ』という番組が放送されましたね。

前章でカミングアウトしたように、「印度カブレ」で「ハレクリシュナファン」それに「街のオームハンティング」のワタクシですから、テレビの番組表でインド関係の放送案内をを見つけたりするとやはり気になってしまいます。「街のオームハンティング」としては、放送の内容よりもチラッと見かけるかもしれないオームマークが気になるという性癖を持っているワケです。

そうしたら、やはり出てきましたねぇ。

番組の最後の方で主演の女の子が生き方に迷ってベナレスのガートを彷徨っているとき、彼女の右肩にあるのがオームプラナヴァなのです。

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瞑想しているそれらしき風体のオジさんとの対話から「ワタシはワタシで良いんだ!!!」という悟りをひらき、何故かガンジス河に飛び込んでバタフライで泳ぎまくる感動的なシーンでした。ガンジス河をバタフライで泳ぐには、それなりの理由があったらしいけれど、それについてはワタクシは興味がなく、ただ、ドラマの中でお目当てのオームマークが発見できればそれで良いのです。

それでは、このシーンをひとりYOUTUBEとしてパクリましたのでご覧いただきましょうか。

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「ganga.mov」をダウンロード
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この放送に感化されて
「ワタシもガンジス河で泳ぐ!」
と決意した人が何人もいたかもしれませんが
止めといた方が良いですよ。
ガンジス河は見た目ほどユッタリした流れではありません。
急流といってもよいくらいです。
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そして
ガンジスの水質に対して
日本人はあまりにも免疫力がないことを
理解しておかなければなりません。
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こんなことを踏まえて
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それでも.
どうしてもガンジスの水に浸かりたいと思うならば
映画『深い河』の秋吉久美子のように
ガートの傍で沐浴する程度にして
沖には出ない方が懸命です。
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それでも結構ハナシのネタにはなるでしょう。

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それにしても
女優さんも大変です。
あんな大腸菌ウヨウヨのガンジス河で泳がなけりゃならないんですもの!
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この女優さんも
こういう経験をしておけば
舞台挨拶で司会者の問いかけに腕組みしたまま
不機嫌な顔で応対するなどということは
しないでしょうね。
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2007年10月 7日 (日)

新宿のハレクリシュナ/新宿マッド

やはり、『HONZI』をキーワードに訪れてくれる人が多くて、HONZIさんてこれほど関心の的だったのかと驚かされています。

私自身がHONZIさんの情報を求めてネットサーフィンしたように、多くのHONZIファンがHONZIさんを偲んでパソコンに向かい合ったかがよく分かります。HONZIさんのミュージシャン仲間のサイトから、HONZIさんの最後の様子が明らかになっているようです。私のサイトの中にHONZIファンが納得したことがあったのかどうかハッキリしないけれど、アップしたHONJIさんのステージの動画は珍しいものじゃないかと思います。

さて、これまで動画は<.mov>つまりクイックタイムの動画ファイルでアップしていたけれど、数人から「動画が再生されない」という問い合わせをいただいたこともあります。訊いてみるとすべてウインドウズユーザーのようで、「クイックタイムをダウンロードしてください。無料です!!!」という返答しましたが、中には「変なモノは入れたくない。怖い!」「ダウンロードのやり方が分からない」という人もいたようです。

そこで、今回のHONZIさん関係の反響の大きさに驚き、より多くの人にHONZIさんの仕事っぷりを見て欲しいと試みに動画ファイルを変えました。興味ある方は過去ログのチェックをどうぞ。

この方式だと「クイックタイムとやらをダウンロードしたくない」という人でも大丈夫じゃないかと思います。もっともパソコン環境によっては「取り込めない!」という不満を持つ人も出てくるかも知れませんが、そういう人にまで対処できるだけの技術を私は持ち合わせていないということでご容赦を。

ということでHONZIさん関係の動画を再加工したり、動作確認のためにインターネットカフェに行ったりして半日つぶした土曜日でした。

その作業の過程でファイルの中から面白い動画を発見。

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新宿マッド
若松孝二監督

1970年作品

これは“内ゲバ”で殺された息子の父親が真相を求めて新宿の街を彷徨うという物語で、現在の渋谷センター街とは別種の、60年代末の混沌とした新宿の街を透かして世相が読めるという異色の映画です。

この映画に公園でギターを弾きながら『♪ハレクリシュナ』を延々と歌うシーンがあって、「印度カブレ」で「ハレクリシュナファン」それに「街のオームハンティング」の私としては、「いつかHPで公開してやろう」とパソコンに取り込んでおいたもの。

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「shinjyuku_mad.mov」をダウンロード

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そういえばハレクリシュナはどこへいったのだろう。

ムカシから教団と名のつくものは眉にツバしてナナメから見るクセは染み付いているけれど、このハレクリシュナのメロディだけはココロ魅かれるものがありました。街で見かけた彼らに混じってハダシでタンバリン叩いていたらどんなにラクだろうと思ったこともあったのです。

この映画で
息子を捜す父親は私たちのオヤジの世代であり
公園で意味もなく過ごしているのが私たちの世代ということになります。
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それから30数年
あのとき公園で歌ってた若者は父親の世代になって
オヤジの目で子どもたちを見ていることになります。
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けっきょく
いつの時代になっても
親と子の世代のギャップを埋めることはできないんだなぁ。
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60年代から70年代の渋谷や新宿では
サフラン色の衣をまとった弁髪の彼らをよく見たものだけど
ヤツらはどこへ潜ったんだろうか?
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今からでも遅くないから
ハダシでタンバリン叩いちゃおうかな?
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頭頂部薄くなって弁髪はムリだけど。

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2007年9月10日 (月)

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リンダ・ハッテンド-フ監督の『ミリキタニの猫』のことを書いて「もしかすると?」とYouTubeで検索してみたら、予告編がちゃんと公開されていました。

こういう映像のほうが私の文章などよりず〜〜〜〜〜ッと説得力がありますから、貼り付けました。

どうぞご覧になってください。

そして、実際に映画館へ足を運んで本編も観てほしいと思います。

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2007年9月 9日 (日)

ミリキタニの猫/リンダ・ハッテンドーフ監督

コンビニにはオデンの鍋も並び始める時期ですが相変わらず真夏の暑さが続く毎日です。

2007.09.06(水)
毎日新聞より。

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「新iPod発売」の新聞記事にちょうどiPod買い替えるつもりでいたので、新製品を見るために銀座アップルストアーへ。

全機種モデルチェンジが話題を呼んだか店内は大入満員。顔なじみのスタッフがいたので声をかけると、私が買うつもりだったiPod touchだけは商品未着で9月末の入荷らしい。商品入荷と同時に受け取りたかったらネット上で予約をしてくださいとのこと。

お目当ての機種に実際に触ることができなかったけれど、各種情報によればこのiPod touchのニューモデルはタッチスクリーン方式といって、本体の画面に触れて操作でき、従来の音楽・ビデオ・写真の他にインターネットにも接続できるとのこと。つまりはアメリカで発売になったiPhoneから電話機能を外したものらしい。

それにしても、iPod classicという機種は容量160GBといいますから、手の平サイズでノートパソコン並みの驚異的容量をもつことになります。

いつか買うことになるけれど、今日のところは残念。

品物が入荷していないと言われればそれ以上仕方がないから銀座から地下鉄に乗り渋谷へ向う。

途中の地下鉄車内でのこと。

オバァさんがヨロヨロしながら電車に乗り込んできてやっとの思いで握り棒に掴まりました。動く電車にフラフラしているオバァさんの前には、小学高学年の娘さんとその隣りに50代の父親が座っています。オバァさんの状態を目の前で見てるワケですから、当然40代父親が席を立つなり娘を立たせるなりして席を譲るものだろうと見ていました。ところが、父娘ともまったく無表情のまま。

「オトーさん!席を譲るところをムスメさんに見せてやれよ」と思いながら観察していると、40代父親の真向かいに立って文庫本を読んでいた50代オトコもそう思ったのでしょう。文庫本から目を離し、40代父親の顔をジーッと見つめています。いわゆるガンを飛ばすというヤツ。

40代父親もそんな50代男の視線から「この向いのオトコはオレがババーに席を譲ることを催促している」と気がついたはずですが、相変わらず表情も変えず50代男の視線を受けています。「向いにはヨロヨロのババーがいるけれど、ここは年寄り優先席でも何でもないから、このババーに席を譲る義理はね〜ヨ!こうなったら意地でも立つもんか!」というのがこの40代父親のハラの内だったのでしょう。

50代男の視線対憮然とした顔の40代父親の無言のセッションが2駅ほど続いたとき、40代父親の右隣りに座っていた若い女性が、オバァさんに席を譲るために立ち上がり、50代男がオバァさんの身体を抱きかかえるようにして座らせ、オバァさんはやっと落ち着いたのです。

これで一件落着したけれど、50代男は更に40代父親の顔を見つめてから、皮肉のこもった目で数回うなずく素振りを見せて、それから再び文庫本に目をやったワケです。

その50代男の読んでた文庫本のタイトルが『ブラック・サンデー』だったことを私は見逃しませんでした。

それにしても、お年寄りが席を譲られるシーンを時々見かけるけれど、お年寄りはなぜ「ありがとう」の一言で素直に好意を受けないのでしょうか?この地下鉄銀座線で見かけたオバァさんも、握り棒に必死に掴まっている表情なのに、いざ、席を譲られると「???、いいですから、ホントにいいですから・・・」と遠慮する芝居をするんですよッ。

そんな地下鉄車内の人間模様を観察しているうちに渋谷到着。

渋谷ユーロスペースでこの映画を観ようというもの。

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ミリキタニの猫
リンダ・ハッテンドーフ監督

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2006年アメリカ
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カリフォルニア、シアトル、ヒロシマ、ニューヨーク
国境を越えて貫く不屈の精神は決して折れることはない!
2001年9月11日、世界貿易センターが瓦解する緊張状態のニューヨーク路上
騒然とした周囲をよそに、いつもと同じように平然と絵筆を動かしている男がいた
彼の名はジミー・ミリキタニ、80歳
カリフォルニアで生まれたが、第二次世界大戦中、日系人強制収容所に送られ
アメリカに抵抗して自ら市民権を捨てた
そのときから彼の反骨の人生が始まった

「ジミー!あなたはアメリカで生まれだったの???」

「そうだよ。1920年カリフォルニアで生まれ、3歳のときに母親の故郷広島に帰り、18歳まで広島で暮らし、それから絵の勉強をするために再びアメリカに来たのさ」

ニューヨークの日系人ホームレスのジミーミリキタニ。路上で絵を描き、地下鉄の排気口から吹き出す風に暖をとって眠ることがあっても、芸術家としての誇りは失わず、無用な施しを受けることはしません。そんなジミーの絵の代金を支払う代わりにカメラを回すことを要求されたことから付き合いが始まったこの映画の女流監督リンダ・ハッテンドーフ。

2001年9月11日以後も、騒然とするニューヨークの片隅で何事もないかのように平然と絵を描き陳列するジミー。ジミーには「アメリカはワシの美しかった故郷広島にもっと酷いことをした!それに比べればこの程度のこと・・・・」という思いがあります。崩壊した世界貿易センターから舞い上がった粉塵はニューヨークの街を覆い、路上生活者にとっての環境は劣悪になっていくばかりで、ジミーの咳き込みもひどくなっていくばかり。

そんなジミーを見かねたリンダは、渋るジミーを自分のアパートに招き、この、“アーティスト”を自称する偏屈な日系人と、拾ってきた猫との2人+1匹の奇妙な共同生活は、帰宅の遅くなったリンダに孫娘を案ずる祖父のように涙を浮かべるほどに.深まっていきます。

「アメリカ国籍を持っているなら社会保障を受ける権利がある」と説得するリンダと、頑に拒否するジミー。憎悪の対象でしかないアメリカ政府の援助を受けるよりは野垂れ死にで結構。

伸び放題だった髪の毛もこざっぱりと整えられ、精神の安寧を取り戻したかのようなジミー。アメリカへの憎悪の源泉は、第2次世界大戦中の日系人強制収容と故郷広島を壊滅させた原爆だったことが問わず語りの言葉から明らかになり、絵を描くことが強制収容所や広島で亡くなった同胞の鎮魂だったことに気がつきます。

やがて、リンダの尽力でジミーのIDが確認され社会保障の権利も復活。老人ホームに部屋も得て好きな絵に専念できる生活環境が整い、そのうえ実の姉が生存していることも判明。

忌まわしい思い出ばかりの強制収容所を60年ぶりに訪れたジミー。

もう怒ってはいない
通り過ぎるだけだ

最後のこの言葉がなかったら陰々滅々のまま終わってしまったけれど、この言葉で私も救われた。

映画を作るということを狙っての撮影だったにしろ、正体不明の小汚いジジーを見かねてアパートに住まわせる女性がいたり、たとえホームレスといえども人格を尊重して親身になって更生計画を練るソーシアルワーカーの姿。それに過去を検証し謝罪すべきは謝罪して保証しようとするアメリカの懐の深さを感じられる映画でもありました。

ジミー・ミリキタニ
1920年6月15日生
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ミリキタニは
三力谷
と書くとのこと。
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『ミリキタニの猫』
渋谷ユーロスペース

(電話03-3416-0211)
にて上映中

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けっきょく
iPod touch

ネットショップで注文。
9月末には到着するらしい。

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2007年9月 7日 (金)

夏の終わりの旅ゴコロ

「ブラジル行くか?」

古里から届いたメロンのお礼に電話をすると、兄がこんなことを言いやがる。

私たちにはブラジル在住の叔父がいます。農業移民として苦労を重ねたものの、けっきょく最終的には都会に落ち着いて50年。「ブラジルで農園主になる!」という男のロマンは叶わなかったけれど家族には恵まれ、晩節はそれまでの労苦が報われたかのように子どもや孫に囲まれての悠々自適。今では数年おきに故郷日本へ里帰りできるという余裕の生活。

来年は在ブラジル県人会結成50周年記念だかの大会があり、日本からも県庁主催で訪問団を結成しようという計画に、親戚有志一同で「この際だからブラジルへ行こうじゃないか」と盛り上がっているのだと言います。

在ブラジル県人会の幹部をしているらしい叔父も「ブラジルに来たらオレが面倒見るから心配するな!」とばかりに乗り気で、この勢いでブラジルツアーが実現するんじゃないかというのが兄の見立て。それで、そのときはオマエも行くか?というのが今回の兄のハナシです。

ブラジルかぁ、、、、、。

リオ・デ・ジャネイロ、ブラジリア、サンパウロ、サントス、アマゾン、ピラニア、コーヒー園、黒いオルフェ、コルコヴァード、巨大キリスト像、ペレ、ジーコ、ロナウジーニョ、グレイシー、アントニオ猪木、渡辺貞夫、群馬県ブラジル村、サンバ、ボサノヴァ、イパネマの娘、、、、。

私の貧困な脳内グーグルでは、この程度のキーワードしかヒットしなかったけれど、「ブラジル・・・行きたいなぁ、、、、詳しいこと決まったら教えてよ」兄にはこんなふうに応えたのでした。

ポール・マッカートニーの『♪イエスタディ』とともに、世界中で最もカヴァーされた曲がアントニオ・カルロス・ジョビンの『♪イパネマの娘』だと言われています。

1950年代中期、それまでのブラジル音楽に飽き足らなかった若者達の間で、地元のサンバ、アメリカの西海岸ジャズ、クラシックなどを融合させた音楽が生まれ、それが「新しい傾向」=BOSSA NOVAと呼ばれ、やがて全世界で人気を得るようになるわけです。

そんなボサノバ・ムーブメントの出発点となって、“ボサノバ誕生”と位置づけられるコンサートが1957年にあったそうで、その歴史的コンサートから今年はちょうど50年になります。そんな節目にあたり、かつてボサノバ・ムーブメントに関わり合ったミュージシャンたちへのインタビューで構成されたドキュメンタリー映画「THIS IS BOSSANOVA」が公開されています。

THIS IS BOSSA NOVA
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いつも夏になると、「夏はボサノバに限るッ!!!」とばかりに、ボサノバのユル〜イサウンドを聴きながら、ナマケモノ状態で木にぶら下がってることも多いのに、私が実際に知ってるボサノバのミュージシャンというと、アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、アストラット・ジルベルト、バーデン・パウエル、ルイス・ボンファ、それにスタン・ゲッツ、チャーリー・バード、セルジオ・メンデスというような、いわゆるアメリカのレコード・レーべルで知ったミュージシャンくらいなもの。

私など聴いたこともなかったブラジルミュージシャンがボサノバ創世期について熱く語っていて、演奏も聴かせてくれます。ちょっとだけ進歩的だったリオの若者たちの音楽的試みが、時代の風をとらえて全世界に広がっ