2010年3月 1日 (月)

A Day In The Life (Myanmer)

マバタキしているあいだに3月。

この数日目の廻りにカユミを感じた花粉症到来の季節でもありました。

ところで、

TOYOTAの社長がアメリカでつるし上げくっている映像を見ましたが、取り囲むメディアのカメラはほとんどジャパンブランドでしたね。ジャパンブランドのリコール問題を、ジャパンブランドのカメラが伝えるというオモシロイ光景でした。

というワケで、

わたしも、ジャパンブランドのカメラで撮影したミャンマーの人々の姿をスライドショーにしてYouTubeにアップしました。

どうぞご覧下さい。

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ひとりYouTube

A Day In The Life(ミャンマー編)

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音楽:すべての人の心に花を
歌手:ワイ・ワイン(ミャンマー)

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2010年2月22日 (月)

代々木公園フリマのガネーシャ

2010.02.21(日)

久しぶりに代々木公園のフリーマーケットに行ってきた。

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この代々木公園会場も都内では明治公園に匹敵するくらいの規模に成長している。

歩道橋の上から観察していると風に乗ってお香の匂いがしてくる。こういう匂いには大体オームが付きものだとアタリをつけると、、、。

アッ!アレだな。

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案の定インド人がインド布などを出している店があってガネーシャ模様もある。

ただし、オームマークは無いようだ。

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歩道橋の上にまで届いてたお香の匂いの元はコレ。屋台などで見られるサイババブランドお線香が強烈な匂いを周囲に放っていた。

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フリーマーケットを一応グルッと廻ったが、これからは荷物を増やさないようにという教えに基づいて「見るだけ見るだけ」とな〜んにも買わなかった。

オーム・シャンティだぜ。

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あっちこっちで他言語が飛び交っているフリー・マーケットを後にして、新宿ヨドバシカメラにレンズを見に行く。自分のウデの無さを顧みず、レンズを揃えれば傑作写真撮れるんでは?というシロートの浅はかさ。

こっちのレンズも「見るだけ見るだけ」と物欲押さえて昼飯を食べて帰ってきた。

もちろんヨドバシカメラで昼飯食べたワケではなく、ヨドバシカメラ近くに昨秋あたりできた讃岐うどんの『楽釜』という店だ。新宿に来るとだいたいここでうどんを食べることが多い。

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本日食したのは「おろし醤油うどん+ジャコ天+おにぎり」。

これで640円(だったかな)。

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最近はこういった讃岐うどんのお店が都内にずいぶん増えた。どの店も研究に研究を重ねているようで美味しくって麺喰いにとってはウレシイ限りです。ただし競合しちゃって共食いにならなければ良いが、、、、と“にっぽんめんくい党”党首としてはちょっと心配なところもあるのです。

にっぽんツルツルめんくい党だぜ。

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フリマでも中国語
ヨドバシカメラでも中国語
讃岐うどんでも中国語
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やけに中国語が気になった日曜日でした。

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2010年2月20日 (土)

表参道のオーム

  <to airegin>

エアジンさま
「空気~」でタイのドレッドヘヤー男見ました。
相変わらず引きが強いですね(笑

<from えあじん>

これはこれはどうもウエルカムです。偶然なのか?それとも偶然を装った必然なのか?ミャンマーやタイに行ってまでもオームがらみのネタが追いかけてきますね。マッ!おたがいにガンバリませう。

ヤンゴンのヒンズー寺院で遊んでいたウサギ

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『常在オーム』でアタマの中にはオームマーク貼り付いているから、街を歩いていても、お店の看板に「アレッ?オーム?」などと立ち止まってしまうのだ。

地下鉄表参道駅にて。
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さて、

今回の旅が無事終わったことのお礼に浅草待乳山聖天様に行ってきた。

インドのガネーシャが日本に渡来し「十一面観音」として祀られているのだ。旅の先々でガネーシャにイタヅラされたなどと作り話をしているから、やはりひとことご挨拶しておかなくっちゃというワケだ。

途中、言問橋から見るスカイツリーはこんなに高く育っていた。

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聖天さまに手を合わせ旅が無事終わったお礼をしてからいつものルートで浅草寺へ。

浅草寺境内を縄張りにしているお猿さんも、この寒さだから寄り添って暖をとっている。

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待乳山聖天の静けさにこらべて、ここ浅草寺はいつもながらタイヘンな賑わいだ。特に中国語が増えているようで、カミサマ業界とて中国をアテにしないとやっていけないという図式がここでの垣間みれる。

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『大吉』のおみくじを片手に嬉しそうに語り合うカップルがいる。

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手を合わせて祈る人々は全世界で何十億人いて
そのうちのどのくらいの人が
祈りが叶えられたと実感するのだろう。
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そんな祈る人々のあらゆる情念の固まりが
神社仏閣の上空遥かには
トグロをまいているらしい。
カミサマも大変だ。

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ところで
冒頭の表参道のOM写真だが
実際はこんなんでした。
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こんなふうにOMをネタに遊んでると
そのうちガネーシャが
イタズラしに来るような気がします。

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2010年2月18日 (木)

マンダレーの不思議体験

前回は宗教評論家ひろさちやさんの、生きる指針になるような新聞コラムを紹介したが、「ひろさちや」という名前で思い出すことがあります。何年前だろう?ひろさちやさんが空き巣被害で1億数千万円の被害に遭ったのは。あの事件は解決したのだろうか?

“宗教評論家”がこれほどの大金をタンス預金できるのだから、神サマ仏サマ業界も当たるとボロい商売です。評論家でコレだから、教祖サマはタコほどか???イヤイヤ、、、イカほどか。

執着を捨てなさい!
などと
崇高な教えを説きながらも
現実はじつに人間クサくって
好きだなぁ、、、
神サマ業界。
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さて、

ガネーシャやオームとのオモシロイ出会いをネタにした次いでに、ミャンマーで体験したことで忘れていたことがもうひとつあったことを思い出した。

古都マンダレーはミャンマーの中部にあるミャンマー第2の都市である。

郊外のマンダレーヒルと呼ばれる丘には、由緒ある「予言を与え給う仏陀」の像があることでも知られている。

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このマンダレーで『地球の歩き方』を見て宿泊したホテルの窓を開けたら、目の前にオームマーク入り建物があった、ということを紹介したとおり、この街には多くのインド系の人々が住んでいる気配がする。

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だから、神様カンケイの絵を売るこんなお店も珍しくないし、

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インド人街の一角にはこんなヒンズーテンプルもある。

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ひとことにヒンズーテンプルといっても祀る神様によってそれぞれの宗派があるようで、マンダレーのこのテンプルはカーリーがご本尊のようだ。

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正確な宗派は解らないが、アラティを受けたりして気分はヒンディー。

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街歩きの途中で偶然見かけて立ち寄った寺院だけど、中で働く人も参拝の人も、どこからか紛れ込んできた私のような異邦人をとくに気にする様子もなく、自分たちのペースを崩さないのが嬉しい。独特のお線香の匂いに包まれていると気分が落ち着くのだ。

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壁に寄りかかってサドゥーの仕事ぶりなどを観察していて、壁の時計を見て「アレッ?」と思った。自分の腕時計とかなり時間が違っているのだ。

「バブー、、、この時計は合ってるか?」

私の問いかけに修行僧は自分の腕時計をチラッと見て「合ってるよ」。ナニを変なことを訊くんだというような顔をする。他の参拝客に確認してもオマエの時計が狂ってると笑いやがる。

私がそのとき持っていた時計は、昨年ブラジルへ行くとき、強盗にやられても惜しくないヤツと思いディスカウントショップで買ったバッタ品。あれから1年も放っておいた時計だから故障してもおかしくないなと思い、テンプルの時計に時刻を合わせたワケだ。

その後ホテルに戻り旅行用目覚まし時計をセットしようとしたら、こっちの時計も時間が狂っている。

「可笑しいなぁ、2つの時計が同時に狂うなんて、、、変だなぁ」

と、、、、。

ここまではマンダレー1日目のハナシ。

そして、

からすカ〜と啼いて夜が開けて、マンダレー2日目も再びヒンズーテンプルへ遊びに行ったのだ。オマエはミャンマーくんだりまで行って、他に行くところがないのか?とツッコミ入りそうだが、ウラをかえしたおかげでサドゥーとはもうマブダチ扱いだ。寺院内の写真を撮るにも遠慮はいらないぜ。

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フト壁の時計を見て、、、

???、、、アレッ!また時間が狂ってる。

昨日ここでちゃんと合わせたのになぁ。

「フレンド、、、この時計は合ってるか?」

「ジャパニー、昨日も同じこと訊いたよな?合ってるぜ!」

そしてホテルに帰って目覚まし時計を見てみると、こっちもまた狂っていやがる。

こんなに時間が狂う時計なんて、「この時計も寿命だな、あまり信用できないなぁ、新しい時計を現地調達しなけりゃ」と、気にしながら旅を続けていたのだが、それ以後時計は問題なく動いてくれて飛行機に乗り遅れることもなかった。もっとも飛行機の時間なんてアバウトだから時間が少々違ってもどっちゅうことないけどね。

時計の狂いが旅行に差し障りになることはなかったが、

「2つの時計がなぜ2回も同時に狂ったんだろう」

「それに2回とも狂いに気がついたのはヒンズーテンプルだった」

「それ以降は何ともなかった」

そんな疑問を持ちながら移動していて、ある日「な〜んだ、そうだったのか」と笑ってしまった。

けっきょく時差修正をしなかったのが原因だと気がついたのだ。

日本とタイとの時差は2時間あるから、バンコック到着時に針を2時間戻したけれど、タイとミャンマーの間に時差はないとカンチガイしていたために、ヤンゴンに着いてからも時計の針はそのままにしていたのだ。だから、本当は30分戻さなければならなかったのに、タイ時間のままミャンマー国内を歩いていて、ヒンズーテンプルで初めて時間の狂いに気がついたことになる。。

そんな単純なことだったのか!

これにて一件落着!

とコマーシャルに入ろうとしたが、そうカンタンでもなかった。

確かにヒンズーテンプルでの1日目は、タイとの時差による時間の狂いということで説明できる。しかし2日目の時計の狂いはどう説明するか?。だって、1日目にちゃんとミャンマー時間に合わせたのに2日目にまた時計が狂ったワケだ。それも腕時計と目覚まし時計の両方がだ。

私はインド好き嵩じてサイババファンでもあるから、いわゆる『奇跡現象』ということを信じている。サイババについて語られる、いわゆる『物質化』『転移』というヤツも、周囲のただの勘違いが伝説となってしまったガセネタが多い反面、真実も含まれるとみているのだ。サイババの力ではなくとも、宇宙の壮大な流れの中で、ナニモノかの仕業が『奇蹟現象』として現れるのではないかと、そう思っている。

だからといって、私のマンダレー時計事件ごときを、壮大な宇宙の流れで語ろうというのもおこがましいが、少なくとも意識する意識しないに関わらず、そう思わなければ説明つかないようなことがらが世の中には多いではないか。

そこで、

私のマンダレー時計事件を何と結論づけるかというと、、、。

ガネーシャのヤローが
またイタズラしてやがる

オモシロネタがもうひとつ増えたゼッ!!!

なるのです。
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現象を深刻に考えて意味を持たせようとするより
現象を現象としてそのまんまに受け止めて
流してしまう方がラクだから。
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本当に意味のある現象ならば
その答えは
いつか
必ず知ることがあるぜッ。

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2010年2月15日 (月)

テネシー・ワルツ〜神々の科学/青山圭秀

今年1月中頃のこと、新宿駅西口をヨドバシカメラに向っていると岡林信康さんを見かけた。右手にステッキ持って足を引きずるようにしている。たんなる捻挫なのか、それとも他の病的疾患のせいなのか気になっている。

我らが「フォークの神様」はステッキよりギターを持たなくっちゃ。

忌野清志郎さん、加藤和彦さん、そして浅川マキさんと、『我らの世代』の表現者の訃報が続いている。そうしたら今度は立松和平さんだ。同時代を生きてきた者にとっては、こんなふうに少しずつ世代交代していくんだろうな。

そんなブルーな気分が底にあって「オレも今のうちに身辺整理しなくっちゃ・・・」と荷物を片付けさせたのだろう。もっとも、処分したCDレコードの金額によってはパソコンを買い替えようという皮算用もしているのだ。

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吉祥寺井の頭公園では寒空の下、テンガロンハットにギターのダンナが♪テネシー・ワルツを熱唱している。歌で他人を癒そうとしているのか、自分が癒されたいのか、他人も自分も癒そうということなのか。それとも「ワシ、、、そんなことじぇんじぇん考えてないもんネ〜」ということなのか。いずれにしても幸せそうなダンナだった。

私はダンナの♪テネシー・ワルツを聴いて楽しかったぜ。

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思いついて、井の頭公園入り口のエル・ブレス(だったっけ?)というスポーツ用品屋に行き、駐車場前を通りかかり、アラッ?・・・と思った。

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じつはこの料金所には昨年の秋までこんなオームがあったのだ。

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2009年10月撮影

今回通りかかったら、料金精算機も背景のテントも取り替えられ、したがって、オームマークもキレイに消えている。

このサイトでは『街のオーム』として、街歩きで見かけたオームを紹介しているが、その中には建物などに描かれたオームマークも10数点はある。不思議なのはその画像をアップ後しばらくしてそのオームを見に行くと、壁が塗り替えられたり、あるいは建物自体が取り壊されたりしてオームマークは跡形もなく消え去っているのだ。

吉祥寺のこのオームも私に見られてから2ヵ月ちょっとのイノチだった。

意識する者にとって神聖なマークといえども、しょせん落書きは落書きだから塗り替えられるのは当然のハナシ・・・。

それでも

「オレに写真を撮られることで

あのオームは役割を終えて

天に還ったんだぜッ!」

と決めつけてオモシロがる余裕が、まだまだ私にはある。

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私が旅の先々で見かけたオームは、あくまでもブログネタのアイコンという範囲内で付き合っているが、この人の場合、マジで印度沼にハマってしまいノッピキならない状況に陥っているようだ。

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神々の科学
奇跡の瞬間
青山圭秀

三五館
2009.11.30初版発行
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あれは、私の
幻だったのか?
いいや、違う・・・・・
再訪の地インドでは、太古の聖賢たちの
残した「予言の葉」が待ち受けていた。
しかし実現性は疑わしい。なぜなら
神の領域に踏みこむのだから。

『アガスティアの葉』

から15年。青山圭秀、
長い沈黙を超え、
新たな事実を!

私は、「科学では証明されないことはヤマほどあるだろう」と思う者であり、「この著者は特別な使命を背負ってこの世に生を受けた」と常々思っている。だから、これまでの著書の内容も信ずるし、今回発刊されたこの本の内容も「著者の体験」として信じる。

あくまでも「著者の体験」というカッコ付きなのだが。

私がネタにしているガネーシャや、古代から伝わる神様聖者の名前を出して、どれほど壮大な宇宙の物語を表現したのかというと、言いにくいが、、、著者主宰の高額な瞑想教室あるいはセミナーの申し込みクリック数に貢献するという程度の、じつに卑小な現実世界にしか影響を及ばさないとみた。

マッ!もっともカミサマ/ ホトケサマ関係って皆そんなもんだろうけどネ。

著者の特異な体験を綴るこのテの本は「カミサマエンターテインメント」の一種としてオモシロがりながら読むのが正しいんじゃないかというのが私の読後感だ。

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どんなに瞑想しても、どんなに聖地廻りをしても、どんなに多額な寄付をしても、下心をもった行為などで救われることはない。ごくごくフツーにメシ喰って、ソークして、欲望は欲望として抱え生きていけばそれでいいんじゃない?それ以上ナニを望む?というのが私の立ち位置なのだ。

そうしたら、最近、宗教評論家ひろさちやさんの面白いコラムを読んだ。

2010年2月13日(土)東京新聞
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『ひろさちやのほどほど人生論』は東京新聞に毎月1回掲載されるコラムだが、今月の『死の恐怖を克服する』にはニヤリとした。長くなるが面白かったので転載しよう。

山伏が一休禅師に験比べ(げんくらべ)を挑みました。験比べというのは、修験者が修験の程度を競うことです。

まず山伏は、きゃんきゃん吠えている犬を呪文でもって鳴きやめさせようとします。けれども、いくら呪文を唱えても、犬は鳴きやみません。次は一休禅師の出番です。彼は持っていたおにぎりを犬にやります。すると犬は、たちまちおとなしくなりました。

そこで山伏は、こんどは燃えている火を呪文で消すことにしました。でも、いくら呪文を唱えても、火は消えません。ところが一休禅師が、その火にじゃあと小便を引っかけました。もちろん、火はすぐに消えてしまいました。

また、こんな話もあります。

釈迦が旅の途中で、一人の苦行者に会いました。なんだか疲れきった様子です。釈迦は、「あなたは何年間、苦行をやっているのですか?」と尋ねました。「25年」と苦行者は答えます。次に釈迦は、「その結果、あなたは何を得られたのですか?」と尋ねました。

「水の上を歩いて川を渡れるようになりました」

と、苦行僧は得意げに言います。すると釈迦は「あなたは馬鹿ですね。なにも25年も修行をしないでも、船賃さえ払えば、船頭が向こう岸に渡してくれるでしょうに・・・」

と、あきれ顔で言いました。

そして、ひろさちやさんは「死の恐怖をなくすにはどんな修行を積めばいいのですか?」という質問に対して、いくら仏教を勉強しても死の恐怖はなくならない。誰でも死はこわいのだ。それなら死をこわがればいい。<ああ、こわい、こわい>と怯えていればいいのです。それが仏教の考え方だと思う。

と、コラムを締めています。

ホントに、、、、
救いというのは
こんなふうに単純なものかも知れないと改めて気づき・・・。
ディーパック氏にこのコラムを読ませてあげたいと・・・
そんなことを思ったのでした。
井の頭公園の
♪テネシーワルツのダンナを見習って
バカになるのが一番だぜ。

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2010年2月14日 (日)

シブイッ

この兄ちゃん

「仲間内ではウケたのにな〜」

と、自分のおかれている状況がいまだにつかめてないんでしょうネ。

2010年2月13日(土)東京新聞夕刊
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2010年2月14日(日)日本テレビ
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ハゲタカメディアの格好の餌食になって、

そのうちに

「オマエをオリンピックに出すのにいくらカネがかかってると思うんだ!」

「税金泥棒!カネ返せ!」

などとアッチコッチから石ツブテ浴びて

国母ならぬ国辱扱いされそうなアンバイです。

こうなったら
玉砕する気分で臨まないと
これからの人生
長〜くなりそうです。
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冬季オリンピック開催!
ガンバレ!
ニッポン!

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2010年2月13日 (土)

地下鉄のオーム〜グッドバイ/浅川マキ

旅の記録をアップアップしながらアップしているあいだに、「ユキオ×バラク」のファーストネーム信頼関係構築にヒビが入り、JALの翼折れ、朝青龍いつもながらの品格問われ、TOYOTAパンクし、小沢一郎冷や汗かき、検察とメディアの同衾あからさまになる。

この世は満ち欠け繰り返す

耳を澄ませば転がる石のごとくコケるJAPANの音が聞こえる。

こんな社会状況をハスに見ながら、『引き寄せの法則』なのか『引き寄せられの法則』なのか、アタマの中にはオームマークがカキのように貼り付いたまま2月半ばになってしまった。

地下鉄の通路でこんなポスターを見ても「アレッ?オームか?」などと立ち止まったりする、アブナい兆候だ。

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コレのどこがオームかというと、天地を逆にするとこんなふうになるワケよ!

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旅から戻って最初に荷物の処分をした。まず、私の唯一の財産であるCDレコードDVDを中古屋に送りつけた。壁を一面を塞ぐCDレコードを片付け、少しでも身軽になっておきたかったのだ。

大型のダンボールで19箱。あとで中古屋から電話があって、2000点弱あり査定中だからしばらく待って欲しいとのこと。ヤフオクで競り勝って高値で手に入れたヤツとか、コレクターアイティムがケッコーあったのだがどうせ二束三文だろう。それを承知の上で手放したのだ。

それと、書籍雑誌類はダンボールに詰めてベランダに積んである。全部で10箱あった。以前整理したものと全部で20箱くらいがブルーシートかけられて山積みだ。これらはそのうち春の連休中にでの再度チェックして古本屋に振り分ける予定でいる。

いまどきネットショップで大概のものは手に入るのだから、再び読みたい本や聴きたい音楽が出てきたら改めて買い直せば良いではないか!と即決即断。空いてしまったデカイCDラックと本棚はバラして区役所の粗大ゴミセンターへ直行。いったんリセットの気分なのだ。

処分に困ったのがレーザーディスクで600枚くらいあった。購入時の価格にすればかなりの金額になるのだが、もはや時代遅れの映像ソフトになってしまった。このレーザーディスクの引き取り先がない。引取り先が見つかったとしても1枚100円程度だろう。もしかすると送料の方が高くなるかもしれない。

CDよりもむしろ愛着が強いLDコレクションだけに、100円で処分するにはしのびなくって押し入れに仕舞い込んだ。また観ることもあるさ・・・と、自分を慰めて。

このLDを整理していて浅川マキさんの盤を見つけた。

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2年ほど前になるだろうか。このブログに時折アクセスしてくれる悠々さんとメールを何回かヤリトリしていて、その悠々さんの所有しているLD約60枚を引き取るハナシがまとまったことがあった。悠々さんは本職の傍ら心底惚れたミュージシャンのコンサートを主催している方で、双方の好む音楽の傾向が似通っていること、さらにLDファンということから、「LDプレイヤーが壊れたままだから、格安で譲りましょうか?」というような経過だったと思う。

悠々さんから送られてきた荷物の中に入っていたのがこの浅川マキさんのLDだ。

浅川マキさんが2010年1月17日に名古屋で亡くなったことを新聞記事で知った。

とっくに忘れていた名前を死亡記事で見て思い出したのだ。

私が浅川マキさんの名前を知ったのは若かりし日の五木寛之さんの文章だった。オールナイト・コンサートを池袋で聴いたこともあるが、私の興味の対象は共演の山下洋輔さんやジャズメンの方にあり、浅川マキさんへの関心は薄かった。極端に暗さを強調しているのが演出クサく思えて、“ちょっと遠慮したい”という感覚だったのだ。

私にLDを提供してくれた悠々さんのブログを読んでみると、浅川マキさんの妥協を許さない音楽作りの姿勢に強い共感と連帯を覚えていたようで、早過ぎる死を悼む文章を、浅川マキさんの『グッドバイ』が“好きだ映像を再び観たい”と締めてある。

『グッドバイ』というのはジャズピアニストの板橋文夫さんの作曲で、哀調を帯びたこの曲はマル・ウォルドロンがビリー・ホリディに捧げた『レフト・アローン』を彷彿とさせ、彼のライブでは最後に必ず演奏される代表曲だ。

新聞配達青年の屈折した心情を描いた映画『19歳の地図/柳町光男監督/1979年』のテーマ曲に使われたこともある。

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その『グッドバイ』に浅川マキさんが短い詩をつけて歌った映像を収録した『幻の男たち/LIVE 1984/浅川マキ』のLDが、かつての所有者悠々さんから回り回って私の押し入れの中にあるというワケだ。

『グッドバイ/浅川マキ』をYouTubeでチェックすると、音声はあるけれど映像としてはアップされていないようだ。そこで、荷物を整理する手を休めてLD盤からパクって加工したのがこの映像だ。

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ひとりYouTube

浅川マキ/グッドバイ〜夕凪のとき

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1984年の映像だけど
たぶん
亡くなった今年2010年のライブステージと
ほとんど変わらなかったはずだ。

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闇を駆けるさすらい人
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マスに背を向けたまんま
見事な一生を貫いた人だったんだな。

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楽旅の空で亡くなるなんて
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ジャズ者(モン)のお手本みたいな
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幕の下ろしかただぜ。

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2010年2月11日 (木)

シーク青年〜さらばバンコック

『引き寄せの法則』なのか『引き寄せられの法則』なのか、それともただの偶然なのか解らないが、ともかく不思議なオームとの出会いがあったバンコックでした。

ここで、ハナシをもう一度バンコックのクイーンズ・ガーデン・リゾートホテルに戻しましょう。

前回でも書いたとおり、このホテルは空港に近いという立地で、車で15分ほどだから深夜あるいは早朝便のお客の利用が多い。

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ホテル前で空を見上げていると頭上を飛行機がこんなふうにひっきりなしに行き来しているから騒音が多いのが難だ。

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早朝のホテル前の運河は流れ着いた川藻に覆われ、それを除去するためのボートが毎日出動する。

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川藻除去の作業が終わるころ、運河に架かる橋の上は仕事にでかける人たちがこんなふうにバイクタクシーで通りかかり、

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母子も散歩に顔を見せ、

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女学生はピースサインで愛嬌をふりまく。

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こんなクイーンズ・ガーデン・リゾートホテルでちょっとミョーなことがあったので、そのことを書いておきたい。

ホテルにチェックインをしたあと、一息いれて街に行くつもりでホテルを出た瞬間にシークと鉢合わせしてしまった。

「オイオイオイ・・・・現れたぜッ・・・シークが」

何とも絶妙のタイミングでシークとの遭遇だ。

例によって、グル・ナーナクだのアムリッツアだのゴールデンテンプルだのと並べてコミュニケーションを計る。“我がグル”の名前や故郷パンジャブなどが日本人の口からいきなり出れば、いかなるシークだって嬉しくないはずはありません。その上、この日本人「オレはサティア・サイババの信者だ。サイババ知ってるだろッ?」と言う始末。

「もちろんサイババは知ってる。ボクはラクシュミの信者だ」などと言うと、財布からラクシュミの絵を持ち出しやがった。

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「ところで、オマエはこんな所で何をしているアルか?シークのお寺この近くアルか?」

私の問いにシークはイロイロ説明してくれるのだが、私の英語力では言ってる意味がどうも理解できない。ただ、占いをやっているらしいことだけは解った。そこで、カラカイ半分に「オレを占ってくれよ」というと、彼は私の顔をジーッと見つめ、

「オマエの前世は人間で・・・来世も人間に生まれる」

などと抜かしやがる。

シークとラクシュミの組み合わせもうさん臭いと思ったが、「前世だの来世だのを持ち出す占い師もアブナいアブナい」とハラの中で嗤っていたワケよ。

そうしたら、

「オマエのラッキーナンバーは何だ?」

と訊くから、

「セブンだなぁ、ラッキー・セブン!と言うだろ」

アタマの中にイメージした数字をテキトーに答えると、シークはしばらく目を瞑ったあとポケットから手帳を取り出して何やら書いている。

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そして、シークは手帳のページを破り折り畳んで私の右手に掴ませてくれたワケだ。

私はその紙を右手に握ったまま若かりし日にダージリンからカニヤクマーリまで旅したことなどを話して日印友好に寄与すると、シークは「オマエの年齢は何歳だ?」と質問してきた。

正直に満年齢を答えると「さっきの紙を見ろ」と言われ、右手の紙切れを開くと、ソッ!その紙には、さっき私がラッキーナンバーとして答えた『7』と私の年齢が書かれていたのだ。

『7』については私が実際に口に出して答えた数字だから、その紙に書かれているのは不思議ではない、しかし、年齢については私が答えたときにその紙はすでに私の右手の中にあったワケだ。

「なぜッ?!」

私は外国に行って年齢を訊かれれば、ずいぶんサバを読んで「40歳!」と答えても誰からも不思議に思われない。たぶん大方の外人にとって日本人の年齢など判断できないはずだ。ましてやシークの青年が日本人の私を外観から実年齢をピタリと言い当てられるとは思えないのだ。

「なぜッ?!なぜオレの年齢が解った?!」

運河に架かる橋の上でそんなハナシをしていると、ホテルの従業員が二人現れてシークを罵った上に追い払ってしまった。どうやら橋の上での私とシークのヤリトリをホテル側から遠目に見ていて、お客である私が何か面倒なことに巻き込まれていると思ったらしい。

シークは寂しそうな笑顔を浮かべながら消えてしまった。シークとてタイでは外人だから騒ぎを起こしたくなかったのだろう。

「シークの青年に悪いことをしたなぁ、、、

ノー・プロブレムだからとホテルのヤツらに言えば良かった」

もっとハナシをしたいと思い彼を捜したがどこかに消えてしまった。橋の上からどっち方面に消えたのかもまったく憶えていないのだ。

「なぜオレの年齢が解ったのかなぁ、

たんなる出まかせが当たっただけだったのかなぁ」

それにしても、

「なぜ?

ラクシュミの絵を持ったシークが、

観光エリアでもないあんな場所にいたんだろうか?」

「意味があるような、意味がないような」そんな釈然としない思いを抱きながら、旅は一挙にエンディングに近づいて、早朝5時発の空港行きシャトルバスでクイーンズ・ガーデン・リゾートホテルを離れることになる。

バンコック発成田行きUA機は満席。このUA機は昨年ブラジルへ行ったときの飛行機遅延に対してのお詫びバウチャーを利用したものだ。昨年夏くらいには「今年はバンコックへ行こう!」と早めに予約したもので、こんなに満席になるんだから早めに押さえておいて良かった。

東京は寒いからと冬支度で飛行機に乗り込めば、隣席の白人青年は半ズボンにタンクットップ。パタヤビーチからそのまま駆けつけたような格好だ。

「東京は雪が降ってるかもしれないよ」

そう言うと、彼は「平気だよ、ロスアンジェルスに行くんだから」と表情も変えずに答え、即機内の薄い毛布にくるまって寝こみ、成田に着陸直前までコトリとも動かなかった。成田に到着すると半ズボンタンクトップのそのまんまに紙袋ぶら下げ、ビーチサンダルをパタパタいわせてトランジットゲートへと向っていきやがった。

私は用心して厚手のコートのフードを被り直し南国から北国モードへと変換したのだが、やっぱりああいう白人連中と日本人では身体の仕組みが違うのだろう。

そして、

あっけなく旅は終わり、

またいつもの日常に戻るべく

ブーメランのようにささやかな巣へたどりついたワケだ。

郵便ポストの中の宣伝チラシやら年賀状類を仕分けしながら部屋のドアを開けてギョッとした。

何ジャッ?
コリャッ!

何と・・・・台所に鍋釜食器類が散乱しているではないか!!!

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何ジャッ?
コリャッ!

冷静になって状況を見回すと、どうやら吊り戸棚が落ちたためだということが解った。しかし、男の手でガチガチに留めて何年も問題なかった戸棚が、何で私の留守中に崩れ落ちなけりゃならんのじゃ?。

ガネーシャの小僧が・・・
イタズラしに来やがったナッ!

.

.
アッチコッチで遭遇したオームやガネーシャを
事実は事実として捉えるだけで
それ以上
ことさらに特別な意味を持たせるのは
危険だと
理解しているが



ナニモノかが信号を送ってきてる。



そう思ったほうが
ハナシはオモシロそうだゼッ。
.
バックパックを解くのもそこそこに
散らばった食器類を片付けながらそんなことを思った。

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2010年2月 9日 (火)

バンコック伊勢丹のオーム

さて、

バンコックにもヒンズーテンプルがあるから、

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周囲の土産物屋には、こんなオームや、

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こんなオームがあったとしても不思議ではない。

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しかし、このヒンズーテンプル以外に、今回バンコックでは、「こんなことがあるんだろうか?」と思えるオームとの遭遇があったので書いておきたい。

まず、このオームを見ていただきたいのだが。


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これは2008年9月28日の代々木公園「ナマステインディア」で撮った写真だ。オームマーク入りバッグを肩にして、ドレッドヘアーを見事にキメた青年がステージの催し物を見ているシーンです。「ナマステインディア」だからオームマークは特に珍しいものでもなかったが、独特な風貌といいバックといい印象の濃い1枚です。

この青年とバンコック滞在中に遭遇してしまったというのが今回のハナシです。

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バンコックでは『クイーンズ・ガーデン・リゾート』というホテルに泊まっていた。まぁ、名前は豪華だけどランクとしてはビジネスホテルに毛が生えたようなもの。東京への帰路便が早朝だったため、インフォメーションで「空港へ近くて安いホテルを」とリクエストして紹介してもらったホテルだ。

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「空港に近い」というのが売りらしく、深夜便で到着したお客や早朝便に搭乗するお客でそれなりに需要はあるようだ。

空港に近いということはバンコックの郊外になるから、ホテル近辺に観光客向けの施設などは見当たらず完全に地元の人だけのエリアだ。

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観光客の施設がないということは派手なネオンやぽん引きの出現もなく、大通りから小路を入ったホテル前には、こんなふうに川藻が流れ込むメコンの支流があって、これはこれで旅情を満たすものがある。

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バンコック郊外だから中心の繁華街へ行こうとなるとケッコー不便だ。タクシーを使うのもシャクだから、ホテルのフロントでバスのルートナンバーと乗りかえ地点をタイ語で書いてもらい、車掌にそのメモを見せてルンピニ公園を目指した。

これもバックパッカーらしくっていいな!

そんなことを思いながらバスの固い椅子に座って車窓を流れる景色を見ていると・・・。

ガッ!ガネーシャがいやがった!

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なんでッ?

なんでこんな所にガネーシャがいるんだ?

そう思いながら左側を通り過ぎたガネーシャ像を振り返ると!!!!

100207_5.
オイオイオイ
オームだぜ!!!

「ストップ!ストップ!オレここで降りるから!」

「オマエが乗り換えるのはもっと先だッ」と怪訝顔の車掌を尻目にあわててバスを降りてゲットしたのが上の写真。

このあたりは日本で見られる工業団地の一角で、整地された敷地に2階建てくらいの建物が何棟も建っている。この土地の所有者が事業の隆盛を願って因縁もののガネーシャを祀ったと想像する。タイ語を始めとして、日本語韓国語中国語アラビア語などの文字を使い健康食品の効能書いた看板が見えるけれど、人間の働いている気配がないところを見るとガネーシャのご利益はまだ及んでないようだ。

不思議だよなぁ。

たまたま、空港のインフォメーションで紹介された郊外のホテルに泊まり、ホテルから街に出ようとバスに乗っていて見つけたガネーシャで、あのホテルに泊まってなかったら絶対に知ることがなかったオームだ。

偶然だと思いつつも、「ナニモノかがイタズラしている!」そんなふうに思いたくなるオームコレクションがまたひとつ増えてしまった。

そして、もうひとつオームとの不思議な再会があったのだ。

伊勢丹バンコック店は、お客さんの顔色が日本とちょっと違う程度で日本の伊勢丹と同じ雰囲気だ。こうしてエスカレーターに乗っている気分は新宿伊勢丹のようなもの。そのエスカレーターで上階へ向かっていると、階段を上ってくる足音が近づいてきて、私を追い抜きたい気配がする。

こうして、エスカレーターの動いている階段を急ぎ足で上っていくのも日本式だなぁ・・・そう思いなが、私は自然に右側へ寄って、追い抜こうとする黒い影に通路を空けて何気なく脇を見ると、、、。

アッ!!!

オームだ!!!。

エスカレーター上の私を追い抜いた男性がオームマーク入りのバックを肩にかけていたのだ。それも私に目につくように右肩にかけている。あわててその男性を追いかけ、エスカレーターを下りたところで声をかけた。

「失礼ですが、私は世界のオームマークを写真に撮っている者です。あなたのオームを撮らせてもらえませんか?」

「・・・・・・あ〜、、良いですよ」

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2010年1月8日
伊勢丹デパート・バンコック店にて。

私は、伏し目がちにオームマーク入りバックを掲げるその男性が、かつて『ナマステインディア2008』で写真に撮った男性だということがすぐに解り、そのことを話をしたいと思った。しかし、彼の方からは他人とのコミュニケーションを望まない表情が見えたので、とくに話を進展させることもなくフェードアウトしてしまった。

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2008年9月28日
代々木公園『ナマステインディア』にて。

たぶん、このオームバックは常に彼とともに旅を続けてきたのでしょう、バッグの汚れ具合が1年数ヶ月の時間の経過と、彼の抱える「旅の重さ」を物語っているようです。

不思議だよなぁ・・・・・。

2008年9月に代々木公園で見たオームを

2010年1月にバンコックで見るなんて。

.
オームとの意外な再会に
「偶然だよ」と思う反面
『精神世界』の大原則である
「引き寄せの法則」
あるいは
「引き寄せられの法則」
という
“宇宙のメカニズム”
のようなものも感じてしまう
「バンコック工業団地」
「バンコック伊勢丹」
オーム2題でした。

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2010年2月 7日 (日)

バンコックのカツカレー

日本でいえば、さしずめ東京の銀座通りといえるバンコックのラチャダムリロード。伊勢丹を筆頭に高級ブティックの入居するファッションビルが立ち並ぶ。そのラチャダムリロードに面したペニンシュラホテルの一角にこんな仏像が飾ってあって、これが人気の仏像らしくお参りする人と線香の匂いが絶えない。

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このタトゥーありの兄さんもさっきから真剣な顔してお参りしている。

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およそペニンシュラホテルのシックな高級イメージとはそぐわないギンギラギン仏像だが、東南アジアの人々にとっては“ヒカリモノ”でないとご利益が薄れるのかも知れない。

伊勢丹デパートの入り口にもギンギラの仏像が鎮座マシマシテ、こちらは私の愛する象面神ガネーシャだ。

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このガネーシャも人気者らしく線香の匂いが絶えない。

ガネーシャといえばインドだろ?!と難しいことは言わない。商売の神様としてご利益授けられるものだったら、インドだろうが日本だろうがどこの神様でも構わないのだ。

さて、伊勢丹デパートの中には紀伊国屋書店もあって、店舗の約半分は日本の書籍、残りの半分はタイ語と英語の書籍類という構成。日本語のコーナーにはもちろん『1Q84』も揃っていて、日本の中型本屋と比べても見劣りしない規模と品揃えだ。

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旅行ガイドブックコーナーでは日本人のカップルが『地球の歩き方〜タイ編』を見ながらメモをとっている。「オイオイオイ!本をバンコックまで運ぶのにはカネがかかってるんだから、買ってくれよッ』

その紀伊国屋書店のフロアには、ラーメン屋そば屋お好み焼き屋など日本食レストランも勢揃い。

『大戸屋』まで出店しているし、、、、。

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それに、

『新宿・さぼてん』があるのにもビックリだ。

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『大戸屋バンコック店』の“サバ塩定食”にも興味あったが、私が食したのは『新宿・さぼてんバンコック店』のカツカレーだ。日本のお店と同じく「キャベツ食べ放題」。

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カレーの味は日本のカレーチェーンの味だ。数日後には日本へ帰るというのに、ウサギのようにタイのキャベツをムサボリ喰った。

日本人関係者が相手かと思ったら、むしろ現地のお客のほうが多そうで、日本の食文化もタイで完全に受け入れられているようだ。「反日!嫌日!」の歓迎受けるよりは、現地の若者が日本のコミック雑誌立ち読みし、日本食を食べている姿を見るほうが嬉しいぜッ。

というワケで、本日のオマケ写真がコレ。

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この人、じつは伊勢丹前にタムロしていたバイクタクシーの運転手。

顏の表情が解らないから最初不気味だったが、スコールになるとお客が雨に濡れない様に高速道路の下を走ったりして、気の良いヤツだった。

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別れ際
「チョッと顏を見せてくれよ!」
とリクエストしたら
覆面をとって素顔を見せてくれた。
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なかなかイイ顏しているじゃないか
働くオトコの顏だゼッ!
.
気分よくチップをはずんだ
バンコックの夜だった。

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