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2012年4月30日 (月)

ベナレス 108の顏Vol.3

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2012年4月29日 (日)

ベナレス 108の顏Vol.2

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2012年4月28日 (土)

ベナレス 108の顏 Vol.1

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2012年4月27日 (金)

甲州街道のハレクリシュナ

先日YouTubeからのメールがあった。

あなたの投稿した動画には

他者の著作権を侵害しているものがあるので、

アカウントは削除した。

という内容だ。

YouTubeでは3回のイエローカードで問答無用の退場、アカウントが削除される規約だと思ったが、私の対象となった動画というのは、故石原裕次郎さんがNHKのビックショーに出演したときの1時間番組を4本に分けてアップしたものでした。

もともと他者の著作権を侵害していることは承知の上で加工してアップしたものだが、該当する裕次郎さんの番組は70年代に放送されたもの。 NHKにテープが残っていて再放送の予定があるのかどうか知らないが、裕次郎ファンにとっては是非もう一度見たいと思っていた人も多かったようで反響メールもあったのだ。

NHKもこんな四角四面のことをするワリには、YouTubeの動画を番組に取り入れたりして、いったいどうなってんの?と言いたくもなります。

アカウントは削除されてもYouTubeの試聴は差し支えないから問題ないのだが、これまでにアップした約100本くらいの動画も同時に削除されたのは悔しい。というのも、私のアップしたモノの中にはその種のマニアにケッコー人気のあった動画もあったのだから。

マッ!オリジナルのファイルはちゃんとバックアップとってあるから、そのうちアカウント取り直して改めてアップしようかなどと思っているのだ。

追加でインド写真をプリントアウトする必要があったので西新宿ヨドバシカメラへ。これまではA4サイズだったが、今度は4つ切りサイズが必要になった。

2012.04.26(木)朝日新聞号外

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毎日毎日、「小沢」だの「元代表」だの「小沢氏に近い議員」だの「親オザワ」だのとウットーシーハナシばかり。こうなったら小沢さんに首相やらせりゃいいんだよ。そうすればホントの実力が白日のもとに晒されようというものだ。

でも、、、その場になったら小沢選手は敵全逃亡するだろうけどね。

用紙を買い新宿駅南口のタワーレコードへ向っていると、道端に座ってタイコを叩いているヤツがいやがる。

♪ハレクリシュナ ハレクリシュナ

♪クリシュナ クリシュナ

♪ハレ ハレ

ハレクリシュナ!

声をかけてやるとビックリしたような顏をしてタイコ打ちを止めた。

甲州街道のハレクリシュナ。

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訊くと、アメリカ人だそうだ。近々インドへ行く予定があって、その資金作りに歌をうたってカンパを募っているのだという。なるほどカゴの中には数枚のコイ ンと見せ金なのか1000円札も入っている。

私は最近まで南インドに行っていたというハナシをすると、ブリンダヴァンを知ってるか?とハナシをもってきやがった。

「モチロンさ!行ったことはないけれど、クリシュナの生まれた所だろ」

ハレクリシュナのアメリカ人大いに喜ぶ。

そして、私も彼のタイコに合わせてハレクリシュナをワンコーラスつきあい

数枚の小銭を入れてズラかってきた。

   ハレクリシュナ !

   ハレラーマ!

さて、

原田芳雄親分が亡くなって『新宿ブルースナイト』はどうなるかと思っていたのだが、私がインドへ行っているあいだに開催されたようだ。YouTubeをチェックしたら我らが中山ラビさんのパフォーマンスがラビファンによってアップされている。

いつもながらアデやかなお姿です。

『新宿ブルースナイト 2012』
裸の街〜あてのない一日
中山ラビ
高橋誠一(p) ドクトル梅津(as)



世の中のアラウンド還暦諸兄諸姉
ラビさまのこのお姿を見てナニも感じないかネ?
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私は
ラビさんのパワーを跳ね返すくらい再チャージしなけりゃならん
そんなことを思ったのだ。
クスブっているヒマなんかないぜッ。

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2012年4月26日 (木)

めんくい党の日々

インド旅行中に「そうだ、このことはブログに書かなくっちゃ!」と思いついたことがあったのだが、それがナンだったかチャパティだったか思い出せず落ち着かなかった。やっと思い出した。

自分からいうのもミョーだけど、、、相変わらず大したネタじゃないけどネ。

今回2色ボールペンを3本持って旅行に出かけたのだが、旅行の早い段階でそのボールペンが書けなくなってしまった。2色のうち1色のインクが芯の中で浮き上がるようになってしまう現象だ。たぶん飛行機の気圧の変化だとか、現地での気温の変化に対応できていないのだろう。旅行中はいつもこんなことがあるから今回は予備のボールペンを用意したのだが皆ダメ。それも100円ショップの3本105円とかじゃないよ!有名文具メーカーのちゃんとしたブランド品なのにコレだもの。

外国への渡航先でもフツーに使えるボールペン1本作れもしない国が原発の危険から国民の命を守ることができるのかね?

技術大国日本の名前があきれるぜッ!

まぁ、私がどんなに叫んでも屁の突っ張りにもならんだろうが、思い出せなかったことを思い出したら少しはス〜ッとした。

私は“にっぽんめんくい党”総裁という肩書きも持っているワケで、その総裁の立場としては、いつも通る道路端に最近オープンしたソバ屋が気になる。場所は世田谷通りから町田方面に向い成城学園に入るサミットストアの向かい側。以前は寿司屋のあったところだ。

そこでリサーチに行ってきましたよッ。

ろくとん軒成城店

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オープン間もない休日ということで物見高いお客が列を作っている。

その列に並んで数分店内に入ったのだが席数15席くらいか。どんな関係か知らないが下地勇名の開店祝いの花が飾ってある。

ろくとん軒(成城)のラーメン。

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どこかで経験した味だと思ったら熊本桂花ラーメンだった。

さて、

『麺を通じて世界の恒久平和を目指す』を党是とするにっぽんめんくい党の総裁としては、訪れる国々の麺文化体験も旅の大きな目的になります。

今回のインド旅行で一番感動したのがこの麺だ!

ベナレス
Meg Cafeの塩ラーメン。

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+日本茶で182ルピー。

ベナレスではやはり日本式麺は入手できず、特別に製造してもらってる麺だそうだがビーフンのような味だった。少ない食材を工夫して正当な和食を広めようと苦労しているメグさんに拍手を。

というワケで、ドサクサにまぎれてハナシはベナレスから帰国の途について、いつのまにかバンコックへと着いてしまった。

空港内レストランのビーフンスープ。

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正確な金額は忘れたが+フレンチフライで
日本円換算2000円くらいだと思った。
(記憶違いだったかな?と自信がなくなった)

ずいぶん高いソバを食べてしまったと後悔しながら飛行機に乗り日本帰国。

最近東京でも雪が降ったらしく日陰にはホコリで黒くなった雪がまだ残っている。

そして、まず最初に食べた麺がコレだ。

西新宿ヨドバシカメラ裏
楽釜の海苔うどん。

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昨日はインドの裏小路をホッツキ歩いていたと思ったら
きょう眼が覚めたら東京に着いていて
うどんをすすっていたというハナシだ。
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2012年4月25日 (水)

無題2

さて、本日もベナレスを彷徨っていると、、、。

ガンガの火葬場へと向う遺体。

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別の場所では車の屋根に乗せられた遺体だ。

同じくガンガへと向う。

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ヒンズー教徒にとって、遺体はガンジスの水で浄められ、遺灰はガンジスに流されることが最大の望みだといわれているから、この遺体は望みが叶うことになる。

ベナレス最大の火葬場のマニカルガートでは常時10数体の遺体から煙が上がっている。遺体は、最初薪の上の胴体の部分から焼け、薪からはみ出し焼け 残った頭と足からは脂肪が垂れている。それを番人が竹竿を使い慣れた手つきで火の中に折畳むと一瞬火の粉が舞い上がり遺体は炎の中に沈む。

男たちはチャイを飲みながら笑い合い、牛は残された花輪を噛む口を動かし、犬は上目づかいに周囲をうかがう。旅行者にとっては異様に見える風景でも、この場の人間にとってはごくごく当たり前の日常の景色だ。

こんな景色を写真に撮りたいのだが、この火葬場は見学は自由でも撮影は禁止と聞いている。あえて隠し撮りしようという気もないからその場を離れる。

マニカルガートからガンガを上流に歩くと、毎夜プージャが行われるダシャーシュワメードがあり、その近くにやはり毎夜プージャのアハリヤー・バー イ。ここを過ぎると人出は少なくなり、長澤まさみさんが果敢にもバタフライに飛びこんだガートとシルジとサティアの壁画のある場所。今では旅行者向けゲス トハウスに改装された旧城主の居宅はガンガに覆い被さるようだ。

そんな建物の壁に描かれたハングルの文字を背景に、ロンリープラネットを読む剃髪ラテン顏の女。オームハンターの私はその女の頭上のハングルのさらに上、、、

オームを見逃さなかった。

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「サンキュー!ハバグッデイ!」

坊主頭に写真の礼を言いさらに進めば、ガンガの流れに足を浸して遊んでいる、これもラテン顏の女。彼女の写真を撮ろうと水から上がるのを待っていた。

首のマフラーがオーム入り。

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スペイン人だったか。

そうとわかれば『サンキュー!グラシアス』だ。

南アフリカ、アイスランド、アイルランド、オーストリア、フィンランド、デンマーク、スエーデン、アルゼンチン、ポルトガル、ブラジル、ロシア、ウクライナ、アルジェリア、モロッコ、ギリシャ、、、ムカシは旅行者の国籍なんかは、今でいうところのG7あたりと決まっていたが、現代では国籍も多様になってきたと思いながら、さらに進めば、、、、。

ここにも火葬場があったのか。メーンのマニカルガートよりかなり規模は小さくまだ煙もたっていない。そんな火葬場の様子をベンチに座って見ていると、

担架に乗せられた遺体が運ばれてきた。

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火葬の準備をしている男たちをベンチに座って眺めていたら、たまたま隣に座っているのが遺体の兄だった。

29歳、ガンで死んだ。

子供はいない、結婚してなかった。

お互いカタコト英語でこんな話をしているうち準備も終わった薪に火がつき、煙が上がるのを一緒に見ていた。火勢が大きくなったころ兄貴が岸辺に下りようとするので、

「あなたの弟の最後を写真に撮っていいか?」

そう訊くと兄貴はアッサリと首を傾けた。

インド人の了解の合図だ。

カメラを構えながら兄貴の後を尾いて一緒に岸辺に下りて行くとやはり番人に制止された。すると兄貴は「オレのトモダチだから」という感じで番人にと りなしてくれたので、何回かシャッターを押す。さらに大胆になって煙を浴びながら「寄り」で撮っていると、だんだん番人の顏がキツくなっていくのがわかる。

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これ以上いるとトラブルになるかもしれない。
帽子を脱ぎ
炎に向って手を合わせたあと
兄貴に目でお礼を言い
素早くその場を離れたのだ。
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オーム・シャンティ
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2012年4月24日 (火)

無題

ここ数年UFO関係者の矢追純一さんのお姿を見かけないが、あのひとは現在もお元気でいらっしゃるんでしょうか。その矢追さんに『カラスの死体はなぜ見あたらないか』という著書がありました。「また、ナニかデッチあげてるな」という程度で、特に内容は読んでいないのだが、カラスの死骸を見つけましたよ。

ゴア/パナジの『カラスの死骸』

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こんな『カラスの死骸』も。

ゴア/カラングーテにて。

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さらに、ネズミの死骸を狙うカラスだ。

ムンバイにて。

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タコ糸に絡まって宙づりになってしまったカラス。

ベナレスのガンガにて。

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こんな死骸もありました。

コバラム・ビーチにて。

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猫がいれば犬の死骸だってある。

ゴア/バスコ・ダ・ガマのバス・ステーションにて。

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数日前に書いたベナレスのこんな死骸。

ハヌマーンの死骸を見つめる母子。

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インドでは街を歩いていても、寝てるのか?死んでるのか?”わからない人間の形をしたボロ布をよく見かけます。日本だったら救急車呼べの警察呼べのと大騒ぎになるのだが、インドでは特に珍しい景色でもないのだろう。誰もそんなボロ布になど関心もたず仲間うちで談笑しながら避けて通り過ぎるだけだ。

チェンナイ/エグモア駅前にて

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泥水に突っ伏して倒れている男のことなど誰も気にもとめない。

身元不明の行き倒れとして処分される遺体は多数あるんだろうと想像するが、ときにはこんな手厚く見送られる遺体に遭遇することもある。

楽隊の先導で賑やかに練り歩く葬列だ。

ポンディチェリーにて。

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ハンピにて

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ムカシは
霊柩車とすれちがったら親指を隠せ
などと言われたけれど、
いまの日本の日常では
霊柩車も見かけることもないなぁ。
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2012年4月23日 (月)

ベナレス動物図鑑

毎日毎日歩き回って写真撮っていたらメモリカードが不足になりそうだ。特にRAWで撮ってるから減りが早いのだ。旅行日程はもう数日あるのにカメラのメモリが無くなったから撮影終わりということでは、あとで悔いがのこるだろう。ゴードゥリヤー交差点の近くでカメラ屋の看板を見かけた記憶があるから行ってみた。社長がいうには店頭在庫は置いてないが他の問屋から入荷できるから2時間くらい待ってくれというハナシだ。フラッシュメモリなんてベナレスでは需要がないのかもしれない。そんなワケでメモリの到着までブ〜ラブラと近くを探検していたワケだ。

白馬だけの馬小屋。

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日本だったらさしずめ二重橋関係のお方が騎乗なされるのだと思うのだが、ベナレスではフツーの兄ちゃんが乗りこなしている。

たぶん祭礼のとき専用だと思う。

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なにやら食料を漁るヤギ。

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お馴染みの犬だ。

犬というヤツは眠くなるとどこでも眠る。

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これもよく見かける風景だ。

子犬にお乳をあげる母親。

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母犬の幸せそうな表情ではありませんか。ときどきまったく関係ない子犬がオッパイにむしゃぶりついているのを見かけるが、母親は我が子もヨソの子も分け隔てありません。

こんなヤツもいたりする。

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インドの犬は人間の仲間として扱われ誰も石を投げたりしてイジメませんから、回教圏の犬に比べて幸せです。

もちろん犬がいれば猫もいる。

猫も人間の仲間だ。

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犬はひとにつき、猫は家につく。

犬も猫も人間の手助けにはなりませんが、ロバさんはホントに役立ちます。かつてはマラソンで優勝して感動させたこともあったのだ。

働きもののロバさん。

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不平不満の一言もいわずに、ただ黙々と働くロバさんが好きです。

インドといえばやはり牛だ。

団体で街を流す牛。

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ヨダレたらしながら、ただ街を流すだけの牛もいれば、

人間の役に立っている牛もいる。

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牛はこんなふうにお乳も出すし、糞は乾燥させて燃料になるし、マッコト人間の役にたちます。

乳だけでなく、ときにはオシッコも出す。

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私が牛のいる風景でもっとも驚いたのがコレだ!

画像をクリック。

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こういう場面に出くわすと
インドではホントに牛は神様なんだなぁと実感するのだ。
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けっきょく
カメラのメモリは16GBを購入し
心おきなく撮影できたというワケだ。
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2012年4月22日 (日)

聖なるガンガ

インドにいたときは朝から晩までホントによく歩いたと思う。それも重いカメラをブラ下げてだ。それでも疲れは感じなかった。ところが日本に帰ってきたら近場をチョッと歩いただけで足の疲れを感ずる。これは一体何故なんだろう。

旅行中の読み物として何冊か持って出たのだが、全部読みつくしてしまった。読んだ本はそのままホテルの本棚に置いてきたから、いまごろ誰か趣味に合う人が読んでいるかも知れない。当座の読み物がないから仕方なくカメラの取扱説明書などを読んでいた。

そうしたら、ホテルの棚にこんな本を発見。

総会屋錦城/城山三郎

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これでとうぶんは時間つぶしができる。

さて、本日もベナレスの裏小路を探検していたら立派な本屋があった。

オー!
スティーブ・ジョブズだ。

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何か私にも読めるような本があるかな?と思い、中に入ったのだが、せいぜいインドの地図だけだった。写真集を買おうかな?とも思ったのだが、高価なことと荷物がかさ張るので止〜めた。

ベナレスの写真というとすでに撮り尽くされていて、私なんぞの入り込む余地などないのだが、重いカメラも持ってきたのでいちおう私なりのベナレスを撮っているのだ。

ビクターの犬。

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この氷のカタマリがなぜここにあるのかわからない。

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ガンガの定番写真、沐浴の図だ。

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“ガンジス河で平泳ぎ”の猛者連もいる。

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ここで思い出すのだが、日本で数年働いたインド人が母国に帰国した途端にお腹を壊すそうだ。つまり、日本の消毒された水を飲み続けるうちに、インド仕様のお腹が日本仕様になってしまい、免疫性がなくなる→下痢というワケだ。

だから、ハナシのネタのつもりでガンガで泳いだりすると、ケッコー厄介なことになりそうな気がする。ムカシのハナシだが、あの長澤まさみさんなんかは『ガンジス河でバタフライ』をやらかして大丈夫だったんだろうか?と気になったのだ。

沐浴ついでにシャワーも済ませようと石けんを泡立てているオヤジがいる。そこへ上流からナニかが流れ着いたのだ。

羊の死骸じゃないかな。

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オヤジは別にオドロキもせず手で波を作りその死骸を下流へと押しやった。

このようにガンガは何千年ものあいだ人間の死骸や糞尿も含めてあらゆるモノを呑み込み存在している。そんな場所で沐浴と称して身体を洗い、口をすすぎ、祈りを捧げるワケだ。想像するだけでゾッとするではないか。

どうだ!ガンガ産のこの魚の色艶の良いこと。

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聖なるガンガの底に生息し、

養分をタップリ吸い大きくなったこの魚なんかは美味そだうな。

日本のように
大腸菌がどうだ
セシウムがどうした
などと神経質なことは言わない。
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インド人にとっては
聖なることと穢いことは
ベツモノなのだ。
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2012年4月21日 (土)

ベナレスのハヌマーン

ガンガの岸辺に建つバックパッカー向けのホテルにバックパックを置いたワケだが、昔のお金持ちのお城をホテルに改造したようなものだからエレベーターもない。狭くて急な階段を上り下りするのだが、これがケッコーな重労働だ。そして、なにしろ旧市街の迷路の一角にあるから簡単にはたどり着くことはできない。迷わずに行けるまでにだいぶ時間がかかってしまった。

1000ルピーのホテルの部屋。

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窓は鉄柵と金網でガードされているがこれは泥棒対策。泥棒といっても人間の泥ちゃんではなく猿の泥棒対策なのだ。なにしろインドの猿は神の使いハヌマーンとして大切にされているから増殖するばかり。増長したエテ公が食料狙って部屋に侵入してくるのを防いでいるのだ。聞いたハナシでは部屋から貴重品を盗み出すように教育されたエテ公もいるらしい。インドだから何でもアリだ。

盗んだチャパティを食べるエテ公

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ホテル屋上からの景色はこうなる。

左側がガンジス河下流。

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煙が上がっているのがメーンの火葬場。

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右側がガンジス河上流。

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不浄とされる向こう岸にはなにもない。

このガンジス河を上流に辿っていくとシバ神の髪の毛に触れることができるワケだ。

朝、ガンガへ下りてみるとすでに遊覧船が多数出ている。

ガンガの夜明け。

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サドゥーのヴェーダ朗誦に耳を傾けるポチ。

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ひとり、アラティを執りおこなう青年。

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既に一日が始まっているガンガのボートの客引き除けながら街に紛れこんでいくと、向こうにナニか?黒いカタマリ。

近づいて見ると、、、、。ハヌマーンではないか。

感電死したようだ。

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近くの屋根からは10数匹の仲間が心配そうに見下ろしている。

昼ころ通りかかったときには、ハヌマーンは身体をきれいに洗われてオームマーク入りの布の上に寝かされていた。

少年が線香を上げている。

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さらに、夕方に通りかかったときには場所を移動して、こんどは赤い布まで被されていたのだ。

通行人が手を合わせ小銭を投げていく。

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翌朝、あのハヌマーンはどうなっただろうと気になって同じ場所に行ってみると、ハヌマーンが消えている。

「ハヌマーンはどうした?」

近くの商店のオヤジに訊くとガンガに流したという。

なるほどなるほど
ハヌマーンにとってはこれ以上の
弔いのされかたはないなぁ、、、と
納得したワケだ。
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2012年4月20日 (金)

ベナレスのサイババ

これまでバナーラスと表記していたが、バナーラスではどうも座りが悪い。だからこれからは私の身体に沁み込んでいるベナレスでいくことにする。

ベナレスの日本レストランで和食の味を甦らせてしまい、もはや味噌醤油モードになってしまった私が好きだったレストランをもう一軒紹介しましょう。杉本さんのイーバレストランの近くにあるBREAD OF LIFEという店だ。アメリカ人オーナーにネパール人コックだときいた。焼きたてのパンを食べさせてくれる。

BREAD OF LIFE

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たしか朝7時ころから開店していると思った。いつも朝飯を食べに行ってた。

BREAD OF LIFEのブレックファースト。

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かつてのバックパッカーの時代には日本レストランなんてなかったし、あったとしても倹約倹約で利用することもなかっただろうが、今では、どうせ食べるなら美味しいものを食べたいなぁ、、、などと軟弱になってしまったのだ。

さて、

ベナレスで何気なく入った旅行者向けレストランだが、席につき店内を見回すと、、、

「オー!サイババだ」

奥の方にサイババの写真が飾ってあったりするのだ。

プルワリ・レストランのサイババ。

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南インドを歩いていたころはサティア・サイババの写真をたまに見かけたのだが、やはり主流はシルジ・サイババ。そんなことからサティア・サイババはプッタパルティだけの地方区グル、シルジ・サイババは全国区だと思っていた。事実、インドではサイババといえばシルジ・サイババというのが定説(懐かしいお言葉)のようだ。私は地方区だろうが全国区だろうが、サティア・サイババファンであることに変わりはないのだ。

ベナレスのガンガを歩いていたときのことだ。あの長澤まさみさんがガンガに飛び込んだ場所あたりの壁にこんな絵が描いてある。

「オー、サイババだ!」

この壁画の下ではいつも数人のサドゥーがガンジャを回している場所だ。試しに彼らに訊いてみると、右がファースト・サイババで左がセカンド・サイババの答えだ。

「ジャパーン!一緒にやるかい?」

「・・・・ムニャムニャ」

ガンガにて。

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こんなサイババの壁画に遭遇するとサイババファンとしては嬉しくなる。

このガートでは毎夜1時間のプージャが行われている。聖なるガンガの流れに祈りを捧げるというワケで、一般にも解放されている儀式だ。このエキゾチックさは観光客にも大人気。開始時間近くになるとローカル観光客や白人観光客がどこかから湧きだして席を占める。また、ガンガ側から見ようという観光客を乗せたボートもガンガを埋め尽くす。

ダシャーシュワメード・ガート。

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ダシャーシュワメード・ガートでプージャの準備を眺めていると、、、。

「オー、サイババだ!」

センターのステージにサティア・サイババの写真が飾ってあるではないか。前述のように私はサティア・サイババはローカルのグルだと思っているから、リーダーらしき青年に訊いてみた。

「サティア・サイババが何故ここにいるんだ?」

「サティア・サイババは神だから」

青年は躊躇なく答えたのだ。

ダシャーシュワメード・ガート

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ちなみにインド通の友人によれば、このプージャの儀式を執り行なうのはベナレス・ヒンズー大学の学生たちで、全員がバラモン階級の家系だそうだ。なるほど、そういわれてみると、彼らは全員、肌は黒からず白からず、背は高からず低からず、なかなかの美男子揃いだったように思う。

そして、

見上げる夕焼けの空に

 誰が歌うのかバジャンの音

 ワタシのガンジス河

素直に好きだともいえず、

ガンガのホトリを彷徨うジジーの濁った目に映るのは、、、。

Love All
Serve All
Help Ever
Hurt Never

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売店には何故かサイババの著書まで置いてある。

ダシャーシュワメード・ガート

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やはりサイババは地方区などでなく全国区だったのか?

そんなこと・・・どうでもいいか?

アレコレを思いながらホテルへ帰ろうとすると・・・。

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ガンガの流れで沐浴を済ませ
プージャのアラティに身を浄め
この世に思い残すことは何も無し
衆生を乗せたあの船はどこへ行く
黄泉の国への旅だちか。
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あぁ、ガンジスの夜はふける。
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2012年4月19日 (木)

ガンガの“幸せビーム”

ヒンズー教徒にとっての聖地といわれる場所は何ヶ所か回ったけれど、やはりガンガ(ガンジス河)は特別な雰囲気が漂っているように思う。それは妖気といっていいかもしれない。

ガンガ上流からの眺め。

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ガートに座って通りかかる人々を眺めていると飽きることはない。

隣には制服制帽のまま、ガンジャを手の平の中でコネているオマワリが座っていたりして、ここは人間動物園だ。

肥えた黒犬を連れて散歩するひと。

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こどもにタコあげ指導するサドゥー。

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『街のオーム』コレクターとしては
こんな壁画を見つけて嬉しくなるのだが・・・。

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この場所に記憶がある。
私が前世において犬だったころ
ここでよくオシッコ、、、、。

イヤイヤ、、、、。そうじゃなくって。

5年くらい前にテレビで長澤まさみさん主演『ガンジス河でバタフライ(原作:たかのてるこ)』というドラマが放送されたことを覚えているでしょうか?

そのドラマの1シーン。生きることの意味を求めてインドに行ったまさみ嬢、ガンガの岸辺をウツムキ加減に歩くシーンで壁に描かれたオームが出てくるのだが、あの場所がここですね。

『ガンジス河でバタフライ』より。

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この後、まさみ嬢はサドゥーとのセッションを経て、「ワタシはワタシで良いんだッ!」と、やにわにガンジス河に飛び込んでバタフライをカマすという感動的展開になるのです。

なぜ私が5年前のこのドラマのことを覚えているかというと、以前このブログのネタにしたことがあったのです。

それでは、読者サービスですから、このときにアップした動画も再アップいたしましょう。

『ガンジス河でバタフライ』より

「ganga.mov」をダウンロード

この放送以来、やたらとガンジス河で泳ぐヤカラが出没して、『ガンジス河で平泳ぎ』だとか『ガンジス河で犬かき』だとか、何匹目かのドジョー狙いの本が出たそうだ。泳がないまでも沐浴に挑戦するひとも多くなったといわれます。

マッ!平泳ぎだろうが犬かきだろうが、ウイスキーの水割りを楽しもうが、もちろん沐浴だろうが自己責任でどうぞ!私は自分の身体を使って人体実験する度胸がないからガンガの流れにチョロッと足を浸しただけだ。

向こうで、楽しそうに記念写真を撮り合っている母子がいる。

インディラ・ガンジー似のお母さん。

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「ナマステ!楽しそうだネ。どこから来たの?

  あなたのお母さんの笑顔が好きだ。

  写真撮っていいかい?」

「マザーではありません、ワイフです」

「エッ?ワイフ?、、、。ということは、、、ハネムーン?」

「そうだカルカッタからハネムーンに来た」

イヤハヤ、、、オレは、 

ナニをゆう!ダルビッシュゆう!か。

ワイフをマザーと間違えるとは、オレとしたことが、とんだ失態。

「コングラッチレーション!記念に写真を撮らせてくれるか?」

カルカッタからの新婚さんいらっしゃい。

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私とハズバンドのこんなヤリトリを傍で聞いていた
インディラ・ガンジー似のお母さんヨメはん
終始ニコニコ顔。
ご両人ともこれ以上の幸せはないという表情だ。
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ガンガの妖気も二人には通じない。
“幸せビーム”
とはこういうことを言うんだなッ。
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改めて
コングラッチレーション!!!
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2012年4月18日 (水)

乳母車に思う

あれだけ人々の目を楽しませてくれた桜も、散ってしまうとただのゴミになってしまって掃除をするひとはタイヘンです。

桜の花びらのシーツ。

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やっと写真の整理が終わった。

初めは数十枚をプリントしようと思ったのだがやり始めたらアレもコレも・・・と、やめられない、とめられない、のカッパエビセン体質。結局数百枚をプリントアウトするハメになってしまった。用紙やらインクやら思わぬ物入りになってしまった。

アマゾンに注文していたインクが間に合わず西新宿ヨドバシカメラへ。清算のレジに並んでいると、さっきまでお客にヘイコラも み手していた店員が出入り業者に横柄な口をきいているのを見てしまい鼻白む思いがする。店員のそんな態度を観察しているお客もいることを知 らなければなりません。

ヨドバシカメラでの買い物を済ませて新宿駅南口に来ると、、、。

「アッ!オームだ」

甲州街道沿いのオーム。

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数日前に紹介した安田生命ビル角のオームと同じ書体。

電車に乗っていると途中駅から若いママが5人乗り込んできた。たぶん区役所とか保健所でセミナーなんかがあったのだろう。それぞれに乳母車を押している。そんなママたちの姿を見て、ジジーとしては思うのだが、最近は赤ちゃんを背負ったりだっこしている母親を見かけないなぁ。これって、母親の身体に負担がかかるということなのだろうか。

そしてインドのことを振り返ると、インドでは乳母車なんて見かけなかったように思う。長距離バスに乗るのでも、父親なり母親なりは大荷物を持ちながらもこどもはちゃんと抱きかかえているのが普通だった。それで赤ん坊はムズがりもしないで静かにしていたのだ。

ハンピにて。

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ダマンにて。

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ディウにて。

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バナーラスにて。

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乳母車のパイプの中で育った子供と
両親の身体の温もりの中で育った子供では
長じた後の
親子関係に濃淡が出てきそうだな。
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余計なお世話かもしれないけれど
ジジーとしては
こんなことも思ったりするワケよ。
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2012年4月17日 (火)

ベナレスかバナーラシか

インドの地図はVaranasiになっているし『地球の歩き方』を見てもバナーラス(ヴァーラナスィー)になっているのだが、私にはベナレスという地名が沁み込んでいる。だからバナーラスと言われても、どこか知らない場所にしか思えないのだ。

そのバナーラスに来た。

ディウDiuから飛行機で一時間、今回のインド旅行の出発点ムンバイ(ボンベイ)に戻ってきた。特に緻密なスケジュールを組んで旅行していたワケでもなく、その場その場の行き当りばったりで動いていたら1週間ほど空きができてしまった。帰国のフライトまでムンバイで1週間もブラブラしているのも芸がないし、早めに切り上げて日本に帰ろうと思ったのだ。私の帰国便はムンバイ→バンコック→羽田のジェット・エアウェイズだが、ムンバイ空港のオフィスで調べてもらったら乗り換え便が満席で席がとれない。エグゼグティブクラスだったらとれるという。まさか自称バックパッカーがエグゼグティブクラスで帰国というワケにもいかんぜ。

「それじゃぁ、本日のベナ、、、バナーラス行きの便はあるか?」

「明日だったらOK」

そんなヤリトリを経て当日は空港近くのホテルに泊まり、翌日のバナーラス行きの便の客となったワケだ。

ムンバイから2時間のフライトでバナーラス到着。ずいぶん近代的な空港へと生まれ変わっている。ガンガ近くまで行こうとプリペイドタクシーの事務所に行くとインド人女性が待ち構えていた。街の中心までタクシーをシェアしないか?というワケだ。タクシー代が安くなるなら私に異存はない。

彼女はデリーからの旅行者で、デリーではコンピュー・タテクノロジーを教えているのだそうだ。タクシーの中でバジャンを一発カマしてやると、「なんでそんな歌を知っているのか?」と大いに尊敬されたワケだ。サイババ時代の経験がこんなところで役にたつとは思わなかったゼッ。

Suranjanalさん。

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「これ、ユニクロよ。シンガポールにいる娘のお土産なの」

と、セーターを脱ぎながらスランジャナル先生。

寒いデリーから、何年ぶりの暑さだというバナーラシだ。

片言英語でそんなハナシをして日印友好に励んだのだ。

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それにしても、40年前と同じ足踏み力車がいまだ現役のこんな景色を見ていると、

IT大国インドといわれても信用できません。

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ゴードゥリヤ交差点でタクシーを降り、スランジャナル先生がホテルの客引きと交渉してくれて、私は『地球の歩き方』にも載っているというのが売りのホテルへ、先生は親戚の家へと別れたわけだ。

客引きの後を尾いて迷路状の旧市街をホテルへと向ったのだが、その途中日本食レストランの看板を発見。

MEG CAFE。

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ホテルはガンガの近くにあってムカシのお金持ちのお城をバックパッカー向けに改装したようなもの。ガンガ沿いのホテルは皆こんなモノらしい。部屋代はガンガビュー、シャワー共同、屋上、廊下と幾段階にも分かれている。ムカシだったら一番安い場所に寝袋敷いて泊まったんだろうが、この年になるとそこまではやらない。ホットシャワーつきの普通の部屋を言い値1200ルピーを1000ルピーに値切って確保。

屋上に上がってみると、眼下にユッタリとガンガの流れ。左側にマニカルニカ・ガートの白い煙立ち上り、右側にはメーン・ガート、40年前と同じ景色が見える。

街の探検は腹ごしらえをしてからと、記憶をたどりながらさっきの日本食レストランを目指したのだが、なにしろこの迷路だ、すぐに迷子になってしまった。壁に張り付いているような間口の商店で訊いても皆違う道順を言いやがる。けっきょく親切な青年に連れていってもらう。あとで考えてみると、皆教えるフリしながらテキトーにウソの道順を言ってることでもなく、細い迷路の中、幾通りもの道順があるということだった。

MEGU CAFEは15席ほどの小さな日本食レストラン。キッチンは日本人のメグさん、ホールはインド人のダンナさんという役割のようだ。

親子丼+みそ汁

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やはりネパール人コックの作る和食とは大違いで、これがホントの和食。久しぶりに味噌醤油の味を堪能。そして、ここでもコリアンパワー。「OKONOMIYAKI」だとか「OYAKODON」の声が聞こえる。

ジャパンだろうがコリアンだろうが商売繁盛大いに結構!以前は夜もやっていたが、今はランチタイムだけだそうだ。たしかに忙しいからメグさんの負担が大きいのだろう。

メグさん夫婦。

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こんなふうに、異国の地で奮闘している“なでしこジャパン”の姿を見ると大いにプッシュプッシュしたくなるから、バナーラスにいる間は毎日昼ご飯を食べにいってたのだ。

バナーラスは“なでしこジャパン”だけではありません。“サムライジャパン”も奮闘しています。もう一軒の日本食レストランも紹介しましょう。

イーバ・カフェ

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この店のオーナーである杉本昭男さんはバナーラス・ヒンズー大学の卒業だそうだ。

料理ができるまでの間、店内に置いてあった杉本さんの著書 を読んで気がついたのだが、かつてNHKで放送された『インドの衝撃』シリーズの現地コーディネーターを務めた方だったのだ。あの番組は40年前に旅したインドの景色のまま時間が止まっている私にとって、現代の“沸騰する印度”を見せつけられた衝撃的な番組でした。

その杉本さんが現地女性と結婚して開いたのがこのイーバ・カフェになる。客席数は50席くらいかな?規模はかなり大きい。キッチンは現地人スタッフに任せているようだ。

店内に販売中の古本。

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窓際の席は床にソファー式でユッタリとくつろげる。

イーバ・カフェの和定食。

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食材の仕入れもままならない所で工夫しています。

何回か通っているうちに杉本さんご当人に出会って記念撮影。

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日本の経済界はインド印度と大騒ぎしている中、ヒンズー語堪能で現地情勢に詳しい杉本さんの活躍場所はレストラン経営からさらに広がっていくことが予想されます。

毎日毎日インドカレーばかり食べていたときには「コレしかないんだから仕方ない」と現地のメシを食べていたのだが、いったん味噌醤油の味を甦らせてしまったらもうダメ。身体は和食モードになってしまって、インドメシは食べられなくなってしまった。

もうバックパッカーとは言えないかも知れない。

メグさん、杉本さん、バナーラスで奮闘する“なでしこジャパン”“サムライジャパン”のご両人に拍手。

バナーラスにお出かけの際はぜひご利用ください。詳しい住所は『地球の歩き方'11〜'12版』に載っています。

バナーラスの街角でこんな看板を見つけた。

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私の英語のようなメチャクチャな
こんな文字を翻訳するとこうなる。

両替
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電車の切符
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飛行機の切符
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ネパールへのバスの切符
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再確認
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こんな旅行代理店に切符の手配を頼むのは不安になってきます。
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さて、
バナーラシはヒンズー教徒にとっての聖地であるが
仏教徒にとっての聖地でもあります。
ブダガヤで悟りをひらいたお釈迦さまが
初めて説教をしたサルナートは
このバナーラシの郊外にあるのです。

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咲き誇る草花にココロ和む。

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異国の地バナーラスで奮闘する
メグさん
杉本さん
ご両人に拍手。
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Sikiri2hana
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2012年4月16日 (月)

Diuのオーム

ディウ←→ムンバイ(ボンベイ)間は週6往復ジェット・エアウエイズが飛んでいる。バスだと24時間かかるそうだが、この飛行機だと1時間だ。韓国女性のあとをついてバスで行こうかとも思ったが、24時間のバスというのはいくら寝台バスといっても老骨に響く。調子を取り戻すためには数日必要になってくるので飛行機を選んだ。

週6往復とはいえ一応飛行場だから搭乗に際しては5回の荷物チェックやらボディチェックを受けてようやく乗り込むことになる。飛行機は片側2列の70人乗りほどの小さなものだった。わずか1時間のフライトだから機内サービスは小さな水ボトルだけ。ヒマだから乗客の観察をしていたのだが、左前にいる70歳代インド人夫婦の動きを見ていてビックリした。

婆さんがバッグから取り出したポテトチップの袋を破ろうとしたのが袋が破れない。そこで婆さんは爺さんに袋を開けてくれと頼んだようだ。袋を受け取った爺さんは口にくわえて歯で噛み切ろうとしたのだが、それでも袋は破れない。

すると爺さんは!!!

ジャケットからナイフを取り出したのだ。

 「エッ!?・・・マジかよ!?」

爺さんはポテトチップスの袋にナイフの刃をたてて開け婆さんに渡しやがったぜ。

搭乗時にあれほど厳重なチェックを受けたのだから、こんな刃物を持ち込める余地などなかったはずなのに、刃渡り10センチほどの立派なナイフだ。

いかにもインドらしいこのルーズさが好きだなぁ。

そのナイフをハイジャックに使うこともなく1時間のフライトで無事ムンバイへと着陸したのだ。

さて、本日はディウでは街歩きより下痢で休んでいる日のほうが多かったのだが、そのちょっとの街歩きで採取したオームを紹介いたしましょう。

最初の登場は、

ムンバイ行き航空券を買った代理店のオヤジのオームだ。

バイクのキーフォルダーがオームになっている。

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バーの入り口にいた青年のネックレス。

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フォート(砦)入り口茶屋のオヤジ右手のオーム。

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その茶屋オヤジの息子のオーム。

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船着き場で見つけたオッチャン。

ワレと遊べや親のない黒犬。

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近寄ってみると、、、、。

レゲーのオッチャン右手のオーム。

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というワケで
「常在オーム」
下痢に悩みながらも
オーム採取は忘れなかったということを
言いたかったのだ。
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私のインド旅行もそろそろ終わりに近づいてきた。
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Sikiri2hana
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2012年4月15日 (日)

フォートの新婚さんいらっしゃ〜い

ディーウのホテルで数日ダウンしていたのだが、毎朝モスクから流れてくるコーランに起こされる。体調が普通のときにはその音も異国情緒を感じさせて心地よいのだが、なにしろコチラは下痢腹。鬱陶しいなぁと思うこともあるワケだ。

ディウのあるグジャラート州は西が回教国パキスタンだから、地理的にも回教徒の割合が多いのだろう。立派なモスクがホテルの前にあったのだ。

モスクと牛。

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インド古来のヒンズー教と回教、それにポルトガルの残したキリスト教と、3宗教がうまく共存している地域と見た。

ポルトガル統治時代からの教会。

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この建物は病院となっている。

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下痢が回復してから街の探検に出かけたのだが、街自体はポルトガル時代のフォート(砦)以外はそれほど見所があるワケでもない。ただし、このフォートを見るだけでもディウに行く価値はあるだろう。

島全体が巨大なフォートになっていてとにかくデカイのだ。

フォートの入り口あたり。

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アラビア海の風が心地よい。

波が静かだったアラビア海。

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このフォートはディウ最大の観光地で新婚旅行のメッカでもあるらしい。テッペンの灯台には写真屋も待機している。

新婚さんいらっしゃ〜い。

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写真はその場でプリントアウトしてくれる。
メーカーはエプソンだった。

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2Lサイズで30ルピーと言ってた。

この日は、記念写真を終えた2組の新婚さんをつかまえてポーズをとらせる、ヘンな日本人も出没していた。

2組ともグジャラート州在住だという。

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ゴア(GOA)
ダマン(DAMAN)
ディウ(DIU)
この飛び地3ヶ所でアラビア海の制海権を確立して
ポルトガルの栄光を支えていたのだ。
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これだけの要塞を作れたのだから
かつてのポルトガルの繁栄のほどが理解できるというものだ。
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しかし
図体こそデカかったが
倒れるときは特別な反撃もせず
簡単にポロッといっちゃったそうだ。
それが時代の流れだったのだろう。
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.しゅt

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2012年4月14日 (土)

ディーウのコリアンパワー

ディーウに行ってきた。

ディーウDiu

カーディアワール半島の先に浮かぶ小さな島。500年もの間ポルトガルの支配下にあった。見所はFortやディーウ博物館Diu Museumなど。

アクセス:ムンバイからジェットエアウエイズが週6便フライトしている。バスは各方面から多数あり、パリタナから約5時間、寿なーガルから約6時間。

 (『地球の歩き方』より)

ダマン(Daman)とかディーウ(Diu)といってもよほどのインド通でも知らない地名ではないかと思う。インドの旧ポルトガル領といえば ゴアが超有名だがこの両地もまた旧ポルトガル領で、独立したのは1960年代始めになる。両地ともポルトガルから独立したあとはグジャラート州の直轄地域になっている。じつは私もこの両地についてはまったく知識がなっかたのだが、たまたま『地球の歩き方』を読んでいて知ったもの。『歩き方』でもコラム欄で軽く触れられているていどで、どうもワザワザ取材には赴いていないようなニオイがする。それほど日本人観光客には一般的でない土地なのだろう。

ダマンで居心地よいホテルに慣れてしまったが「次にどこへ行こう」となったとき、ゴア→ダマン→ディウと“旧ポルトガル領三都巡り”もオモシロイんではないか?とヒラメイたワケだ。やはり旧ポルトガルのコロニー風町並みには旅情を駆り立てるものがあるのだ。ダマンでディウ情報を確認するとダマン19時発→ディウ翌日12時着の直通バスがあるという。インド西海岸のダマンからカンバト湾沿いに北上しさらに湾岸を南下するというルートだ。

ハナシを聞いたときは「時間的にはラクなルートだな」と思ったのだが、じつはコレは私の大いなる早トチリ。「翌日12時着」というのは午前0時着のことではなく「昼の12時着」のことだったのだ。けっきょく5時間の移動もつもりが18時間もバスに揺られるハメになってしまった。昼はあんなに暑かったのに、さすがにバスの中での夜明かしはコタエまっせ。何があるのか解りもしないディウくんだりまで行こうとしている酔狂を後悔したのだが、いまさら途中下車というワケにもいかず、バックパックから上着類を引っぱり出して寒さしのぎ。途中立ち寄るバス停にあるメシ屋を覗いても食欲をそそる食いものもなく、ただチャイの温かさだけが有難い。

12時着の予定が13時にディウ着。最初っから18時間の移動ということを承知していたのならそれほどでもないのだろうが、自分の勘違いで時間を間違ったとなると疲れも倍加する。やはりジジーにオールナイトはキツい。ボーッとしたままとりあえずコーラを1本飲み、近寄ってきたリキシャにホテルへ案内させたワケだ。

ポルトガル領だった名残りの町並みを眺める余裕もなく、とにかくリキシャの案内するホテルへたどり着いたのだが、私はどんな状況にあってもオームを忘れず。

フロント青年の手の甲にオームがあるのを確認。

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さらに、、、、、。

ルームボーイ青年のオームネックレスも確認。

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とにかく部屋に入りバックパックを解いたのだが、やがて強烈な便意を感じたワケだ。

私はこれまでイロンな所を回りワケの解らないモノを飲み食いしてきたのだが、下痢をしたことがないというのが自慢。しかし、今回だけは30分おきにトイレに駆け込むハメになってしまった。飯は食えないからこんなモノを食って急場をしのいでいた。

事前にバス停の市場で買っておいた果物。

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ただ救いなのは、腹痛はなく下痢だけ。だから、細菌性の下痢ではなく、たぶんバス停で一気飲みした冷えたコーラが原因だろうと思えること。自分の体内にこれほどの水分があったのか?と思えるほど出るわ出るわ。こういうときには安静にしているしか方法はない。テレビで欧州サッカーやルールも知らないクリケットのゲームを観たり、レストランの本棚にただ1冊あった日本語の本を読んだりして休養していたワケだ。

晩年/太宰治

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一応正露丸を飲んでみたのだが効く気配も感じられない。そして、「インドの病気にはインドのクスリ」が良いかもと、薬局で買ってきたクスリを飲んだのだがこれが大正解。翌朝には回復の気配を感じたのだ。

4日間ほど下痢で伏せていたことになるのだが、このとき私は65歳の誕生日を迎えることになる。遥か異国の地で下痢を抑えつつ、『晩年/太宰治』などという本を読みながら65歳の誕生日を過ごすというのもオモシロイ符合ではないか?

そこで、私はこじつけるのだが、これまで体内に沈殿していたものはこの下痢ですべて排泄浄化され、65歳になって新たなエネルギーが注入されつつあるのだ。『晩年』などという後ろ向きでなく、さらに前を向くべく『再生』したのだ。

だから私の人生は、

ディウ(Diu)前

ディウ(Diu)後

と、二つに分かれることをアラビア海に向って宣言したのだ。

マッ、

アホなこと言いながらも、とにかく体調は平常に戻りつつある。

屋上のレストランに行ってみると数人の東洋人顏。「ンッ?ジャパン?」と思ったらコリアンだった。どうもこのホテルは“韓国人宿”として知られているらしい。

その韓国グループ、どこで探してきたのか?大鍋でキムチ鍋を作っていやがる。

ニンニクの皮むき作業中。

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ようヤルわッ!

コリアン・デレゲーション!

キムチ鍋作り真っ最中のお仲間を、壁に寄りかかってニコニコ眺めている年長の青年がいて・・・そこで!オーム・ハンターの私は気がつくのだが、彼の左腕にオームだ!

韓国青年のオーム(ヘナ)。

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ナルホドなるほど!

ヒュンダイやサムスンのセールスマンはこんなふうにキムチ鍋作りながら僻地を回って市場拡大に励んでいたんだろうなぁ。お茶漬けのイルボン・セールスマンでは太刀打ちできないぜッ。

コリアンに圧倒されてばかりもいられないから、とにかく体力を回復させなければならない。キムチパワーに負けてはいられないと、とりあえずイタリアン・パワーを注入。

ピザとラッシー。

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体力が弱ると気力も萎えるから、フレンチ・パワーも注入。

ここではフィンガーチップスという。

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久しぶりにお腹もいっぱいになって次は散髪だ。

ディウのおシャレな床屋。

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内から外からパワーアップしてホテルへ歩いていると、、、、、。

「ハーイ!コニチワー!ハウ・ドゥ・ユー・フィール?」

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同じホテルに泊まっていた韓国女性だ。

彼女たちとは、廊下で出会うたびにお互い片言英語でハナシをしていて仲良くなったのだ。

「オー!ベター・ザン・イエスタデイ!サンキュー!カムサハムニダ」

彼女たちはムンバイ(ボンベイ)へ行く寝台バスの予約をしに行くのだという。24時間かかるそうだ。年がいもなく彼女たちの後をついて行きたくなったが、24時間もバスに乗るとなると、チョッとキツそうだな。

「ハブ・ア・ナイス・トリップ」
「サンキュー!ユー・トゥ」
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かつて世界中に出没していた日本人青年たちは
いま、どこに引きこもってるんだろうか?
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日本人のいなくなった隙間は
完全に韓国人旅行者が埋めているようだ。
旅行者ばかりではない
MAID IN JAPANの製品もだ。
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2012年4月13日 (金)

ティフィン・デ・ココのカレーは美味かった

桜の花もエンディングに近づいてきました。

ゴジラの肩にも桜の花びらが。

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世田谷通りから東宝撮影所を経由して仙川沿いに小田急・祖師ケ谷大蔵駅まで散歩。

祖師ケ谷大蔵は以前は円谷プロもあってウルトラマン発祥の地。だから商店街はウルトラマン商店街になって、駅前にはウルトラマンの像もある。

祖師谷駅前駅

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駅前でインドカレー屋のチラシ配りをしている。

カレー屋コルカタの青年。

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じつは、以前この駅前ビルの2階にはオームマークの看板掲げたカレー屋があったのだが・・・・。

ムカシあったインドカレー屋。

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いまでは代替わりしてこんなカレー屋になっていた。

ティフィン・デ・ココ

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ブログネタと思いカレーを食べに入ったら、ちゃんとインド人コックが働いているのだがオームらしきモノはない。

ティフィン・デ・ココのキーマカレー。

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ランチタイム1050円というのは高い!
商売敵のコルカタなどは750円程度で
ナン・ライス食べ放題とサービスしているのだから。
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それに2階というハンディキャップを背負っているのだから
もっと安くしないとお客はきません。
前の店のテツを踏みます。
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カレーが美味しいだけに残念な店だった。
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Sikiri2hana
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2012年4月12日 (木)

ダマンの時計屋夫婦

「オマエはネパリーだな?」

私はどこに行っても何故かネパール人になってしまって、訂正するのも面倒くさいから「そうだ」と応じると、インド人は納得したような顏をする。じっさい建築現場の下働きやレストランのコックはだいたいネパール人だ。やはりインドとネパールでは経済格差があるからインドに出稼ぎに来て家族に仕送りしてネパール人が多いのだろう。

ダマン(DAMAN)でスレ違ったネパール人。

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というワケで、毎日毎日カメラをぶら下げてダマンの街をウロチョロしていたワケだ。

浜辺の廃船。

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クリシュナ少年。

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やはり元ポルトガル領同士、コネクションがあるようだ。

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ここにも犬が多い。

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フォート内の小学校。

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さて、

一昔前、日本を代表する工業製品といえば時計だったと思う。だから腕時計がSEIKOブランドだったりするとインド人には羨ましがられたものだ。ところが、今では時計なんぞ見向きもされない。確かにわざわざ高額なSEIKOブランドを買わなくともなくともMAID in INDIAで充分。

時計はこんなふうに露天でも売られている。

時計屋の夫婦。

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防水をアピールするために水を張った器に入れてある。

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水を張った器の中を見ると、シバやクリシュナなど神様関係の絵柄も見える。

冷やかしに、爺さんに値段を訊いたら30ルピーだという。

「時計1個50円もしないんだなぁ」とその場を離れたのだが、「日本へのお土産にしたらウケるかもしれない」と思いつき引き返したワケだ。そうしたら爺さんは消えていて店番は婆さんに交代していた。

器の中に手を突っ込み神様関係のブツを拾い上げたら・・・

出るわ出るわ、全部で12個も出てきた。

婆さんに値段を確認すると40ルピーと言いやがる。

「ナニッ!40だって?

アンマ!さっき爺さんは30だと言ってたぜ!」

婆さん、「仕方ないなぁ・・・」と舌打ちして30ルピーと言い直し、私が水の中から拾い上げたブツをタオルで拭いてくれたのだ。

かくして、ダマンの神様時計は私のものに。

この安ッポさが嬉しい。

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オーム時計は私の腕に。

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ダマンの、あの時計屋夫婦
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婆=「30ルピーなんて言いやがるから儲けそこなったじゃないか!
最初は50ルピーと言って、
次に40ルピーまで下げるんだよッ!
ホントにお前さんは商売が下手なんだから!」
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爺=「ウルセーッ!」
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夫婦喧嘩したんではないかとニヤニヤしているのだ。
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Sikiri2hana
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2012年4月11日 (水)

ホテル・マリーナの至福(ダマン)

ムンバイのタージマハル・ホテルはタタ財閥が経営するホテルである。

タタ財閥の総帥が友人と欧米系のホテルに入ろうとすると“インド人”を理由に断られたのだそうだ。それなら自分でホテルを建ててしまおうと建てちゃったのがこのタージ・マハルホテル。そんな民族系の由緒あるホテルも2008年のムンバイテロのターゲットになって宿泊客多数が死亡することになる。

タージ・マハル・ホテル(ムンバイ)

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そのタタ財閥はゾロアスター教の信者としても知られている。ゾロアスター教は拝火教とも呼ばれ、ルーツはイランにありインド国内では少数派ながら経済力と団結力で政財界には多大な影響力を持っているのだそうだ。

ムンバイ同時テロはムンバイのランドマークであるタージ・マハル・ホテルだけに止まらず、欧米人旅行者に人気のレオポルド・カフェまで、西洋の悪しき風潮に染まったとしてターゲットになってしまった。

現在のレオポルド・カフェはそんな被害も“忘却の彼方”。弾痕も生々しく残る店内はレオポルド・カフェの悲劇を知ってか知らずか旅行者で盛業中だ。

電話中のレオポルド・カフェのオーナー。

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壁にはゾロアスター教の始祖のポートレートだ。

ムンバイではもう一軒。

レオポルド・カフェの近く、カフェ・モンデガーも旅行者で連日盛業中だ。こちらはテロの巻き添えはくわなかったようだ。

レジに座るカフェ・モンデガーのオーナー。

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壁にはゾロアスター教の始祖のポートレートだ。

カフェ・モンデガーで食事をしているときにレオポルド・カフェのオーナーが現れ、両オーナーが親しそうに話しているのを見たから、同業の商売敵というより宗教を同じくする者同士の連帯感があるんだろうな・・・と感じたりしたワケだ。

ゾロアスター教徒の多くはインド西部のグジャラート州とムンバイを中心に住んでいるらしいが、ゾロアスターの信者がイランから流入した民族ということを知ると、グジャラート州の西がパキスタンで、パキスタンの西がイランだから、地理的にもナルホドと納得できる。

さて、、、、。

ダマンには深夜に着いて、その夜はリキシャのオヤジに案内させたテキトーなホテルに泊まったワケだ。そして翌朝、街の様子を探ろうとブラブラ歩いていると、歴史を感じさせるお洒落な建物を見つけた。一瞬、博物館かな?と思ったのだが『HOTEL MARINA』のプレートがある。

ずいぶんと高級そうな外観で私のようなバックパッカー向きではないだろうと通り過ぎたのだが、気になったので引き返し、中に入ってみた。一歩足を踏み入れただけで即由緒あるホテルだということが解った。それまでに泊まったどのホテルとも違う落ち着きを感じられたのだ。

笑顔で迎えてくれた青年に「部屋はあるか?」と訊くと大丈夫だという。

「部屋代は?」

ナッ!ナンと855ルピーの返事。

昨夜とりあえず泊まったホテルが1200ルピーだったからこれは素晴らしい。

ホテル・マリーナ(ダマン)

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向いの警察署屋上からの画像。

部屋をチェックしホットシャワーも出ることを確認。

嬉しそうな表情はオクビにも出さず、「ところで、ディスカウントはできるか?」といつものクセ。青年は申し訳なさそうな顏をして値下げはできないという。

 「OK!OK!荷物をまとめてすぐに移ってくるから」

急いで昨夜のホテルに戻りバックパックをまとめてホテル・マリーナの住人になったワケだ。

855ルピーの部屋。

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築150年だという。

観光客目当てのにわか仕立てのホテルとは大違い、家具調度類に150年の歴史を感ずる。もちろん電気配線水回りなどはその都度改良を加えているし、部屋数8室ながら宿泊客もコンピュータで管理する現代式。

ホテル・マリーナのダイニング。

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板張りの床のコツコツという音が心地よい。

ホテル・マリーナの2F共有部分。


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部屋代の安さと居心地の良さに7泊もしてしまった。

このホテルに7泊もして、ナニをしてたかというと

何もしない。

毎日毎日カメラをぶら下げて、ポルトガル領だった時代の面影を残す旧市街をブ〜ラブラしているだけの至福のときだった。

というワケで、

ここで再びゾロアスター様にお出まし願うのだが、インドではゾロアスターというより『パールシー』と言った方が通りが良いようだ。じつは、このホテル・マリーナのオーナーがパールシー教徒だったのだ。ときどきフロント脇の椅子に穏やかな顏をして座っているオジさんを見かけて、ポルトガル人の末裔かと思っていたのだがアーリア系の顏だった。

そして、ホテル入り口横の祭壇には、シルジのサイババをメーンにゾロアスターのポートレイトも飾ってある。隣の敷地で開業している床屋のオヤジが毎朝シルジのサイババにお参りしてから商売を始めるのだった。

ホテル・マリーナの祭壇。

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以前、ソロアスター教徒だという女性のインタビュー映像を見たことがある。

「私たちって、ワシントン条約で保護されそうな民族なのよ」

つまり、ゾロアスター教徒は年々少なくなっていくばかり。そういう現状を希少動物保護のワシントン条約に例えて半ば冗談、半ば自嘲気味に語っていたのだ。それだけにゾロアスター教徒の結束は固いのかも知れない。

タージマハル・ホテル(ムンバイ)→パールシー。

レオポルド・カフェ(ムンバイ)→パールシー。

カフェ・モンデガー(ムンバイ)→パールシー。

ホテル・マリーナ(ダマン)→パールシー。

ゾロアスター教徒のネットワークを見たような気がする。

ダマンはムンバイからバスで3時間ほどで行ける。
チャンスがあったらまたダマンに行って
あのホテル・マリーナに泊まりたいなぁ、、、。
そんなことを思っている。
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Sikiri2hana
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2012年4月10日 (火)

ダマンに行ってきた

ダマンに行ってきた。

ダマンDaman

グジャラート州南端にある連邦直轄地。1961年に独立するまで、長い間ポルトガルの植民地だったため、インドらしくない雰囲気が漂う。川を挟んでふたつのエリアに分かれる。アラビア海の風に吹かれてのんびりしたい町だ。

アクセス:ムンバイから海岸沿いを北へ約165km。最寄り駅は東12kmの所にあるVapi。ここまでムンバイから約3時間。

(『地球の歩き方』より)

ゴアと同じくここダマンもまた旧ポルトガル領で、インドにあってインドにない一種独特の雰囲気をもっている。こんな所に利用価値があったんだろうかと思えるほど小さな町。観光的にもそれほど魅力があるとは思えず、『歩き方』もコラム扱い。たぶん実際の取材には来ていないんではないかな。

そんなダマンに好奇心の強い私は行ってきましたよ。

ロケーションとしてはムンバイから入るのが一般的だが、私はシルジ・サイババにご挨拶してからバスを何回か乗り換えして入ったためにずいぶん時間がかかってしまった。

バス停近くのメーンストリート。

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ポルトガルの面影が残っている。

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こんな古い建物もバーとして使われている。

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こんな色使いも珍しい。

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ここでも牛は大きな顏をしている。

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馬も闊歩している。

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こんな教会なら
もしかすると
神様も降りられるかもしれない。

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このお母さんの胸元に注意。

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羽生南小学校6年1組
高橋××

旧ポルトガル領に共通しているのはクリスチャンが多いのと、アルコールに寛容なこと。ここダマンでは酒屋も多くバーが昼間っから営業している。アルコールを目当てのインド人観光客も多いようだ。

慣れない酒に飲まれてしまって酔いつぶれたお父さん。

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観光記念に撮った写真が散らばり
ナニが起こっているのか理解できない娘さんが哀れだ。

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元気な子供たち。

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アラビア海に沈む太陽。

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海があって酒がふんだんに飲めれば
ゴアのように観光地として栄えても良さそうに思うのだが
酒はよいけれど肝心の海がまったくダメ。
海辺は砂というより土だから
海水浴とかサーフィンにはまったく向かないのだ。
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この地を訪れる外国人観光客は物好きな私くらいなものだ。
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2012年4月 9日 (月)

ゴア・アンジュナビーチのトップレス

このところインドで撮った写真を整理しているのだが、オームの写真を見つけては、その写真を撮った前後の状況をハッキリと思い出す。

このブログは特に時系列に記事を書いているワケでもなく、その時その時の思いつきで書きなぐっているもの。今回は再び『わが青春のゴア』画像だ。

カラングート・ビーチから隣のアンジュナ・ビーチへ移動中にこんなオームに出会った。

象のオームだ。

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アンジュナ・ビーチで見かけたイタリア娘。
オームペンダントが目に入った。

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カラングート・ビーチとアンジュナ・ビーチはつながっていて、長い海岸線は散歩するにも最適だ。私の知っているゴアはヒッピーだけだったのだが、今ではインド全国から観光客が押し寄せるようになっていた。

それらの観光客を目当てに大道芸人たちも集まってくる。

綱渡りの親子。

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こんな芸人も・・・。芸人というより芸牛だ。

この牛は笛の音に合わせて“足踏み芸”を見せてくれる。

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かつてはヌーディストの村と知られたゴアだが、今ではヌード禁止だ。

ただし
トップレスはチラホラ見ることができる。

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牛とトップレスというのも奇妙な絵柄ではあ〜りませんか。
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これが最近のゴアです。

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Sikiri2hana
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2012年4月 8日 (日)

マイソールの夕焼け

今の時代、旅行者はiPadとかスマートフォンなどを持ち歩き、留守宅と連絡取り合ったり、現地の情報を仕入れながら旅を続けるのは普通になってきた。私なんぞは荷物のかさ張るのもイヤだが、操作を覚えるのがタイヘンだから、そういった器械は持ち歩かないようにしているのだ。

それでもMacファンとしては、旅先でMacコンピュータを使っているひとを見ると、なぜか連帯意識が沸き上がり声をかけたりすることもある。

ハンピにて。
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ホテルやレストランなどは『無料Wi-Fi』を客寄せに使っているところも多く、デカン高原古都のマイソールで泊まったホテルは1泊1000ルピーとエコノミーだったが、チェックイン時「部屋でWi-Fi使えます」とちゃんとパスワードを書いたメモまで渡してくれたのだ。

マイソールのホテル。

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そのマイソール、見所といえばマハラジャの宮殿ぐらい。

市内からバスで3時間くらいのところにチベッタン居留区があるというので行ってきた。

マイソール郊外
チベッタン居留区のお寺。

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この場所はデカン高原の高地にあって、気温も比較的低くチベット人にとっては住みやすいところなのでしょう。ただし、一般のチベット人より僧侶の方が多いみたいだった。

チベッタンヌードルとモモの昼食。

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ホテルに戻り街の夕焼けを見ようと屋上に出てみると、、、。

「オー!Macだ!!!」

例によって「オレもMacファンだぜ〜!」などと声をかけたのだが、この青年、コンピュータに向って何やらブツブツと喋っている。

オーストラリア青年。

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訊くと、友人と喋っているのだという。

相手はロンドンの友人だそうだ。

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「今、ヘンな日本人が飛び込んできたゼッ」などと喋ったようで、オマエも何か話せ!という。しかたないからメチャクチャ英語で自己紹介したのだが、ウケたのかウケなかったのか解らないが笑い声が聞こえる。

マイソールで豪英テレビ電話に特別出演する。

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カメラを持った日本人。

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今はこんなふうに、インド南部のホテル屋上にいて、イギリスとテレビ電話ができる時代になったんだなぁ。それも特別な技術者でも何でもない、フツーの人がだヨ。

デカン高原マイソールの夕日。

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高原だけあって
日中はあんなに暑かったのに
日が沈むとケッコー冷えを感じる。
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Sikiri2hana
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2012年4月 7日 (土)

ラメシュワラムにて

昨日の記事に関連した、こんな事件がパキスタンで起きているようだ。

2012.04.07(土) NHKTV

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さて、先日こんな看板を見つけた。

二子玉川にて。

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どれほど腹立たしいことがあったのか知らないが
ここまで書くという精神構造も
ちょっと
その〜、、、、。

このところ、先日のインド旅行の写真をチェックしてプリントアウトしている。

カメラをパソコンに取り込んで眺めているだけは画像ファイルに過ぎない。やはり紙にプリントアウトすることで初めて写真になるのだと思う。

これがなかなかタイヘンな作業で、プリンターのインキや用紙など、ケッコーなモノ入りだ。

私のプリンターは、なにしろカートリッジが10本も必要なのだ。

使用済みインキカートリッジ。

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ヨドバシカメラあたりの回収ボックスへ投げ込んでくる予定。

まぁ、これも先行投資だと思って頑張らなくっちゃ!

そのインドの写真を整理してニヤッと笑った1枚があった。

ラメシュワラムにて。

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ラメシュワラムはインド東海岸チェンナイの南に盲腸のように突き出ている村だ。ちょうどアメリカ大陸のフロリダ半島のようなもの。ムカシはここからフェリーが出ていて、これがスリランカに行く最安ルートでした。しかし、その後スリランカにおけるタミル人(ヒンズー教徒)迫害問題に端を発した民族戦争のあおりでこのフェリーも運航中止になっている。たまに、再開のニュースを聞くこともあったが、いまだ問題は解決していない。

このラメシュワラムもインド人にとっては聖地で、巡礼の人々がひきもきらない。

この写真はたぶん巡礼者が投げるお賽銭を探しているのだと思う。

私は常々こんなバカバカしい写真を撮りたいと思っているのだが、なかなかそういうチャンスはない。

この写真を見て
「バカだな〜・・・」と思ったアナタは私のオトモダチだ、文通しましょう。
そうでないひとはサヨナラサヨナラサヨナラ。
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2012年4月 6日 (金)

ハンピは岩だらけ

ムカシはどこを旅行していても若い日本人バックパッカーに出会ったものだ。

たとえば、エチオピアからナイロビに向っているバスに乗り込んだら、最後列に日本人がいて「ヤァヤァ、、、」などということもあったワケだ。アフリカでそれだから、インドだともっと日本人に出会う確率は多かった。『地球の歩き方』も無い時代にみんなどこで情報を仕入れたものだろうと不思議に思うのだ。

あの頃のバックパッカーには「ナニかあっても日本大使館は我々のような者の助けにはならない。死んで初めて大使館が動き出す」というような戒めがあったように思う。すべて自己責任とハラを決めていたのだ。大使館といえば、デリーの大使館に相談に行った日本人旅行者。大使館員の応対に侮蔑を感じ、やにわにシャツをめくり上げ、ポケットから取り出した切り出しナイフを腹にあてて「謝らなければここで腹を切る!」と迫り、大使館員を土下座させたのだという。

ウソかホントか知らないが、安宿のドミトリーでこんな武勇伝に盛り上がったこともあったっけ。あれから40年、今回南インドを旅していても日本人に出会うことはホントに少なくなってしまった。

日本人顔だと思って声をかけたら中国人だった。ひとくちに中国人といっても香港系だったりマレーシア系だったりする。東洋人顔で一番多いのが韓国系。彼らの浸透度は目を見張るものがあって、ヴァラナシ(ベナレス)の裏小路を歩いていても看板やレストランのメニューがハングルだったりするのも珍しくない。

HUNDAIやSAMSUNGを初めとして、とにかくアッチコッチでコリアンパワーに遭遇する時代になってしまった。

インド南部カルナータカ州
ハンピのゲストハウス看板。

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ハンピに行ってきた。

ハンピとはナニかというと、、、、、。

ハンピ(ヴィジャヤナガル)

ホスペットからバスで約30分。サトウキビ畑やバナナ園を抜けると、奇怪な巨石群が目に飛び込んでくる。ヒンドゥー王朝として南インド全域にわたって繁栄を極めた、ヴィジャヤナガル王国の14世紀から16世紀にかけての都ハンピだ。もともとトゥンガバドラー川南岸に位置する岩だらけの荒野に人為的に造られた都市だったが、イスラーム勢力の破壊により今では廃墟と化し、静かな村となっている。
    (『地球の歩き方』より)

『歩き方』を読まなかったら気づかずに通り過ぎていただろう。それくらい日本人にはあまりなじみのない場所だと思う。村全体が巨岩奇岩の上にできているということに興味をもったワケだ。参考までに私のとったルートを書いておくと、マイソール(MYSORE)→ホスペット(HOSPET)→ハンピ(HAMPI)のルートで所要時間約12時間くらいだったと思う。

壮大な城壁の残骸がある小さな村だ。

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こんな巨岩の産出地でもあったのだ。

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メーンストリート。

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プリンスレストラン。
またもや
イワノフやナターシャさん。

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プリンスレストランの朝食。
毎日こんな朝飯を食べていたら間違いなくメタボ腹だ。

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大道芸の象さん。

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芸もせず、ただウロウロするだけの牛さん。

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観光客に愛嬌ふりまく牛さん。

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芸もせず、愛嬌も振りまかず
ただ眠るだけの犬さん。

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ホントに犬というヤツは
眠くなるとどこでも眠りやがる。

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映画『タイタニック』のテーマを聞かせる笛吹き男。

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会議中のお猿さん。

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ホスペットからのバス停があるこちら側がメーンの村になるのだが、川向こうの村も整備されつつあって、バックパッカー相手のゲストハウスやレストランも建っている。

観光地といっても、ロケーションの悪さから全般に観光客は少ない分、住民もスレてなくノンビリできる場所だ。

初期のカトマンズ、ポカラのニオイが残っている
ハンピの村だった。
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Sikiri2hana
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2012年4月 5日 (木)

OSHO体験〜Yes OSHO(その2)

OSHOのアシュラムがあるプネー(プーナ)だが。

ムンバイから南東へ約200kmの所にある文教都市プネーは、
約345万人の人口を擁するインドで8番目の大都市だ。
   (地球の歩き方より)

文教都市と書いてあるように観光名所的な場所もない。『地球の歩き方』のホテル紹介にはゲストハウスのことも触れてあるが、内容を読むと、たぶん直接取材まではしていない印象だ。それほど一般観光客には縁が無さそうな街なのだ。

『歩き方』に書いてある、プネーの町の守護神ガネーシャを祀ってあるというカスバ・ガナパティ寺院に行ったのだが、ここのガネーシャは変わっていましたネ〜。一般的にガネーシャは象面で鼻が曲がっているのだが、ここプネーのガネーシャはコレ。

カスバ・ガナパティ寺院のガネーシャ

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南部の土着の神様と北部から伝わった神様とを合体させて新たな神様を作り信仰したり、象面のガネーシャも黄色いポケモンのようなこのガネーシャも、同じ神様として敬うインド人の感覚はオモシロイものがあります。

インドのグルというのは大体がバガバッドギータやマハバーラタの古典、古来から伝承されてきたヒンズーの神様を元ネタにして教えを展開していくワケだが、和尚の場合はこれらがまったく出てきませんね。ガネーシャも出てきません。現代人を縛っているものからの解放をセックスとかドラッグに求めた訳で、そういった意味では“創始者”といってもよいでしょう。

だからOSHOアシュラム内には他のグルのアシュラムで見られるような、シバやクリシュナの絵もないし、アラティなどのヒンズー伝統の儀式もありません。仏陀の石像を数体見かけたが、これとてただの庭の飾りでお地蔵さんのようなものです。そして、OSHOの魅力的なポートレートも、売店にある本やDVDのカバーだけ。グルのポートレートを神格化して祭壇に飾り拝ませることもないしバジャンもありません。

ラジニーシを名乗っていた初期からそうだったのかは解らないが、このように現在のOSHOアシュラムからはヒンズーイズムは完璧に排斥されている印象。もし僅かでもインドらしいヒンズーイズムが残っているとすればサンニャーシの名前だけかも知れない。このサンニャーシの名前はグル亡き後は誰が授けているのだろうか。ところで、かつて“マハー・マーヤ”とか“アーチャリー”などというホーリーネームを持ったあの家族はいまいずこ。

いつも書いていることなのだが、私はグル関係の本をまともに読んだこともないから、グルの教えなるものもほとんど知らないし、興味もありません。強いていえばみな同じようなものと思っているのです。私の基準は「オモシロそうかオモシロそうでないか」それに尽きるのです。そのデンからいえば、サティア・サイババはオモシロイし、OSHOもオモシロイのだ。特にOSHOの『セックスグル』などというトレードマークはサイコーにオモシロい部類に入る。『愛と奉仕』などとは誰でも簡単に言えるけれど『セックスこそ解脱に至る道』などとはちょっとやそっとで言えるもんではありません。

滞在者のほとんどは欧米人でインド系はホントに少ない。数年前リチャード・ギアがボンベイで戯れに女優にキスを迫っただけで大騒ぎになるお国柄だ、ヒンズーイズムを冒涜する教えを説き欧米人の支持を得たグルがインド社会に受けいられるワケもありません。だからOSHOのアシュラムは“プネー租界”。インド人にはまったく関係ない、治外法権的扱いだ。

昨日の日記にも書いたのだが、OSHO亡きあと、団体の存続を計りたいOSHO側と、広大な敷地を活用してリゾート開発を望む企業の思惑が一致しての展開なのだろう。だから、『セックスグル』などという看板はとっくに「明るく楽しい瞑想」へと塗り替えられたものと思う。

なにしろ勇名を馳せたグルだけにそのイメージが今だに払拭できないひともいるだろうが、現在のOSHOアシュラムは淫風漂っていることもなく極めて健全だと見た。またカルト的にひとの心を操ろうという意図も感じられなかった。

何事でもそうだが、精神的に不安定なとき、すがったワラに絡めとられそのままあり地獄に陥って抜け出せないひともいれば、自分の経験を糧にして次のステップに踏み出せるひともいるのです。

私は冷やかしで立ち寄ったOSHOアシュラムだが、朝から夜まで瞑想三昧。薄目開けては他を観察するほうが多かったのだが、OSHO体験を充分エンジョイしたし、来て良かったなぁという思いがしたのです。

そして、こんなフレーズまで思いついてしまったのだ。

ねたみ(妬み)
そねみ(嫉み)
ひがみ(僻み)




みんなOSHOのもとに置いてきた。


帰国後何人かには「OSHOアシュラムをインド旅行に組み入れたらオモシロイよ」と勧めたし、私の勧めにしたがってOSHOアシュラムに行く気になったひとがいたとしたら、彼らが戸惑わないように、アシュラム内の様子を書き残したワケだ。

それでは、

最後にOSHOには関係ないプネー市民に登場していただきましょう。

プネー市内。

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鉄工所の事務所。

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その鉄工所で働く男。

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父と子。

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果物屋のお母さん。

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バス会社のマネージャー。

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笑顔がアヤシー青年。

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2012年4月 4日 (水)

OSHO体験〜Yes OSHO

プネーの(ラジニーシ)OSHOアシュラムへ行ってきた。

ラジニーシ(1931−1990)については毀誉褒貶イロイロ言われてきたが、その最も有名なのが『セックス・グル』ということ。「フリーセックスこそ悟りを得るための最短」と公言してはばからなかったのだから、『セックス・グル』と呼ばれるのもむべなるかな。

このあたりのことは、かつて側近として仕えたヒュー・ミルンなるイギリス人の告発本に詳しい。

私はインド・グル関係の本はほとんど読まないのだが、この本は夢中になって読んだ記憶がある。

ラジニーシ・堕ちた神(グル)
多国籍新宗教のバビロン
ヒュー・ミルン著

第三諸館
(1991年12月1日初版)


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この告発本を読んだ上で、それでも私はラジニーシが好きでした。

本を読む気もなかったからラジニーシの教えがどんなものなのかも知らず、私はただ書店に並んでいる分厚い本のカバー写真を見てビジュアル的に興味をもっていたのだ。いかにも「インド・グル」らしいなぁ、、、とインチキ臭い顏を見てはニヤニヤしていたし、数々のスキャンダルもまた「人間らしくってオモシロいじゃないか」というラジニーシ・ファンなのです。

サイババに対してもそうだが、聖人賢者と呼ばれるグルの言葉は、「ときには信じ、ときには無視」しながら、さらに聖地巡りはする、要は屈折したカミサマファンなのです。

ただ、グルのスキャンダルを聞くたびに思うのは、ローカルだったグルが、何かの拍子でインターナショナルになるとき、グルといえども制御できないエネルギーに弄ばれることになるだろうということだ。

というワケで、

今回は、バグワン・ラジニーシがOSHO(和尚)として生を終えたグルのネタです。

OSHOのアシュラムはムンバイから南東へ約200キロ、プネー(プーナ)という地にある。私のプネー訪問は最初から計画していたことでもなく、ゴアで遊んでいたとき、パナジ(ゴア)→プネーの直通バスがあることを知り「それならムンバイに行く前に立ち寄ってみようか」と、例によって行き当たりバッタリの風まかせ。

パナジ(ゴア)を朝10時に出て、プネー着は夜10時くらいだったと思う。その夜はバス停近くのホテルに泊まり翌日アシュラムに下見に行ったワケだ。アシュラムはプネーという町にあるということしか知らず、どんな所なのかの予備知識もなかったのだ。

翌朝アシュラムに向ったのだが、プネーの中心からリキシャで20分くらいだったかな。インドの見慣れた喧噪を離れた、観光客にも一般のインド人にも縁のない閑静な一角にOSHOのアシュラムがあることにまずビックリ。というのも、聖地とかアシュラムは何ヶ所か知っていたから「OSHOのアシュラムもあんなもんだろう」つまり、土産物屋が軒を連ね、ホテルの客引きやリキシャマンが手ぐすねひいていて、ときには声を潜めて誘うバイニンも、、、。勝手にそんなイメージを抱いていたのだが、これらはすべてハズレだったのだ。

アシュラムの近くの安ホテルに宿をとって、、、などと計算していたのだが、アシュラム周辺に観光客相手の施設はナニもないし、したがって客引きもいない。このあたりにもOSHOの特殊な立ち位置が理解できる。


広大な敷地をもつアシュラム・メーンゲート

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初っぱなから肩すかしを喰らわされたわけだが、まずはレジストレーションオフィスに出頭しスタッフにシステムの概要を確認。パスポートチェックや写真撮影などの登録手続き。写真はパスに貼ることになる。

特筆すべきは登録に際してはエイズ検査が義務づけられているのだ。アシュラム内の感染症蔓延には特に敏感になっているようで、集団瞑想中に咳やクシャミが出そうになったら直ちに退室し、収まっても瞑想ルームに戻らないでくださいと注意されるほど。したがってエイズなら尚更注意だ。エイズ検査は指先に針を刺して採血する方法で、検査結果は20分ほどで判明、陰性であればパスが発行される。

もちろん私は陰性だったから、翌日から併設するゲストハウス宿泊の予約を済ませてその日は再び市中のホテルへと戻る。

翌朝バックパックを背負い事務所に出頭して、その日が滞在初日のビジター20人ほどでオリエンテーションを受けるのだが、これらはすべて英語。私にはほとんど理解不能だから、日本人サンニャーシ に通訳をお願いしてどうにかこうにか納得。なんと!ここにもロシア人多しだ。

オリエンテーションのあとはパスを受け取りアシュラム生活が始まるのだが、さすが、ゲストハウスは部屋代が高い分設備は万全。

OSHO GUESTHOUSE

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それまでに利用したホテルはだいたい1000円程度をメドにしていたのだが、このゲストハウスは6000円(食事別)程度だから、バックパッカーを名乗るにはちょっと恥ずかしい。それでも、たまには快適な環境の元で過ごすのも悪くないとナットクさせたワケだ。

あとで知ったのだが、セミナー参加目的などの長期滞在者は経費節約のため、このゲストハウスでなくアシュラム近辺の民宿などと週単位月単位で契約しているそうだ。

宿泊費には含まれない食事のことを書いておくと、アシュラム内にはメーンのキャンティーンの他にコーヒーハウスが2ヶ所あって、おおかたの滞在者はそこで食事を摂ることになる。現金のヤリトリは無く、あらかじめオフィスでバウチャーを購入しておき、入場料やレストランの支払い、売店での買い物などアシュラム内はすべてこのバウチャーで済ませる。

これは500ルピーのバウチャー2枚。

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利用した金額相当分をペンで消すアナログ方式だ。

食事は完全菜食のビュッフェ形式で何種類も並んでいる料理から食べる分をとり、最後にバウチャーで清算する。それぞれの料理に値段も表示してあるから自分の予算に応じて皿に盛ればよい。ただし、皿への盛りつけにはルールがあって極端な大盛りはやめてくださいということのようだ。この料理がじつに美味しく、そして菜食だから便通もすこぶる良好。

キッチンはガラス張りのオープンなっていて衛生管理面でも信頼して大丈夫。それまでインド各地で見てきた使用済みコップをバケツに汲みおいた水でチョチョッとゆすいで次のお客につかうなどということはない。こういうキッチンで作られた食事を瞑想の合間に摂るワケだから、身もココロも清浄になっていきそうだ。

そして瞑想プログラムだが、朝の瞑想はピラミッド型の屋根をもつOSHO Auditoriumというメーンのホールで6時から始まる。

瞑想はこの朝の瞑想から夜6時40分スタートのEVENING MEETINGまで1時間ほどのサイクルで行われ、もちろん参加不参加は各自の自由。部屋で休養しても良いし、プールで泳いだりテニスに興ずるのも瞑想の一種だ。そうそう忘れていた。アシュラム内では男女とも赤紫色のローブ、また夜のEVENING MEETINGは白色のローブ着用が義務づけられているので、この2色のローブを事前に売店で買っておく必要がある。水着も赤紫色と決められている。

白いローブ着用のこのEVENING MEETINGはユニークで、ステージには生バンドが入り、バンドの奏でる音に身体を委ねているうち自然に動きは大きくなっていく。グループ あるいはペアになって決められた共通のステップを踏むということでもなく、あくまでも個人単位だ。

このEVENING MEETINGをOSHOは最重要と位置づけていたそうで、時間も2時間くらい要したと思う。リズムに合わせて身体を動かすのも瞑想。ノドが張り裂けんばかりに絶叫するのも瞑想。大木が朽ちるように身体を床に投げ出すのも瞑想。もちろん大地に抱かれるように横たわるのも瞑想。参加者は自分のやり方で己の内面に没入していくのだ。

最後は生前のOSHOの講話ビデオが流されるのだがすべて英語だから細かい内容まで私には理解できない。だからOSHOの顏を見ているだけ。OSHOの眼は独特の光を放っていてマバタキもしない。大きく見開いた黒目勝ちの眼をじーッと見つめていると吸い寄せられていく感覚に陥る。プロジェクターでこれだから、もし生身のOSHOと対面していたら「このグルのためなら俗世間のすべてを投げ出して、、、」ということになっても不思議でない。

信者を急激に増やしていったカリスマ性というのはこの眼だなッと読んだ。

ここでオリエンテーションでのことを思い出した。生前のOSHOはジョークが好きだったという。このEVENING MEETINGで放映されるビデオの中でもそのジョークシーンが出てくるから、面白かったら笑いましょう。意味が理解できなくても構わないから笑いましょうという説明があったのだ。例え演技であっても大きな声を出し身体をよじらせて笑うのも瞑想というワケだ。

各瞑想にはリーダー役が黒いローブを着て立ち会うのだが、特に瞑想指導するふうでもなく、彼らから何かを強制されることもない。それぞれのスタイルで瞑想を楽しめば良いのだ。ただし、明らかに批判的態度を崩さない参加者にはやんわりと退室を促しているようだ。

このような瞑想プログラムと平行するように、セラピスト養成のセミナーも開催されていて、世界各国からプロを目指す人々が参加している。一定期間のセミ ナーを受け修了するとOSHO団体認定のセラピストを名乗ることができるのだろう。とうぜん、職業としてのセラピストを目指すことより、セミナーで学んだ結果を自己分析に役立てようという参加者もいるようだ。

OSHOの講話ビデオは「Yes OSHO」という女性の声で終わりEVENING MEETINGも終わるのだが、もしかすると、英語の講話のあとの「Yes OSHO」には、日本語しか解らない私に想像もつかない何らかの仕掛けがあるのかな?

冷静な観察者の立場に徹していた私はフト思ったりするワケだ。

夜9時、ピラミッド型のOSHO Auditoriumは月明かりの中に浮かび上がり、瞑想を終えた白いローブの男女が掘り割りの水面に映える図というのは、この絵柄だけを切り取れば充分にカルト集団そのものだぜ。

いわば公的ともいえる瞑想プログラムが終了したあとは、広場にバンドが入り、お酒も飲めてのリラックスタイム。夜のリゾート地そのものの雰囲気になってしまうのだ。

3泊4日のわずかな体験での判断になるのだが、瞑想プログラムはOSHO側、宿泊食事管理はリゾート地開発会社という、2つの団体のノウハウを合体させビジネス化したのがこのOSHO INTERNATIONAL MEDITATION RESORTではないだろうか。

「瞑想を学びたいと思って来ました」

登録時、アシュラム訪問の理由づけを一応こんなふうに話したら、

「ここは学ぶ場所ではありません。体験する場所です」

ニコヤカな笑顔でこういう答えが返ってきた。

確かに!

たまにはこういう体験をする時間を持つことは必要ではないだろうか。

イロンなリゾート地で遊んだから、

次の休暇は瞑想なんかで過ごすのもイイかも、、、。

こんな動機で訪れるのもオモシロイかもしれません。

ただし子供のための設備はな〜んにもありません。

あくまでもガキ抜き、大人だけのリゾート地だということをお忘れなく。

    (つづく)

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2012年4月 3日 (火)

ユズリナンダからの手紙

そのシリバラジの存在を教えてくれた、私が敬愛してやまないユズリナンダからコメントがあったので紹介いたしましょう。

私のシリバラジ訪問記を読んでくれたのだ。

    to えあじん

Edu Kondalavada Venkataramana Govinda Goovinda
エドゥ コンダラウ゛ァダ ウ゛ェンカタラマナ ゴウ゛ィンダ ゴーウ゛ィンダ!

ブログ興味深く拝見しました。ディーパック・ツアーズでは万全の態勢でバラジ神のダルシャンに授かったようです(つまりあまり並ぶことなく)。

バラジとサイババとのご縁はとても深いようで、聞きかじりの話ですが、ティルパティの僧侶がバラジ神にパダナナマスカールをしたところ、生身の足だったことにびっくりして顔をみるとバラジ神がなんとサイババの御姿になっていたそうです。

僧侶がこぞってプッタパルティに行くと、案の定インタビューに呼ばれ「私にかけている飾り物は重すぎる」というコメントがあったとのことです。

あまり大したオチではないですが、

サイババとパダナナマスカールといえば・・・・

そういえば、

「プッタパルティ最後の朝食」でもバラジ神がしっかりサイババと並んで写ってますね!さすがです。

バラジに関する記事はほんとに少ないですね^^


http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/8264/T1.html


Youtubeには1950年のアビシェーカム(勧請式)の動画が残っています。
http://www.youtube.com/watch?v=77hdQABiOGo&feature=related

Srinivasa Govinda Sri Ventatesa Govinda!

  サイラム

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『シリバラジ』で検索してもカレー屋のシリバラジだけ。神様のシリバラジに関する記事はヒットしないから、日本人であの場所へ行った人は少ないんだろうと思っていたのだが、日本人の訪問記はちゃんと残っていました。このブログ氏はチェンナイから旅行会社のツアーで行ったようだ。

シリバラジ参拝はそれが一番だろう。

それに、YouTubeには貴重な動画もあって、ユズリナンダには改めて感謝感謝感謝です。

この際だから私もシリバラジ関係の画像を何枚か追加アップいたしましょう。

サイババのアシュラムがあるプッタパルティから
シリバラジの門前町ティルパティへはこんなバスで行く。

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ティルパティの飯屋で。

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もうハラいっぱいだというのにこのオンナは

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「もっと喰えもっと喰え」だもの。

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惚れられてしまったゼ!

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ティルパティの町から山頂のお寺まではこんなバスで行く。

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よくこんなバスであんな急な坂を登れるもんだと感心する。

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山頂の土産物屋街。

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時間がたつごとに人口密度が濃くなる。

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山頂のHOTEL。
小学校の体育館のような広さのHOTEL(レストラン)が何軒もある。

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全店とも完全菜食だ。

ユズリナンダのメールでは、サイババとシリバラジは関係が深いと書いてあったので、本日最後の1枚はこれ。

プッタパルティにて。

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聾唖の母親とその幼い娘。
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♪プッタパルティの神様
私は来ました
桜咲く国から・・・
サイラム唱えて
御姿浮かべて
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Sikiri2hana
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2012年4月 2日 (月)

南インドの聖地巡り

『身捨つるほどの祖国はありや』

と思えるほど、政治のこのテイタラクだ。

だから、こういう番組を見てエヘラエヘラ笑ってるのがいちばんだ。

新婚さんいらっしゃ〜い

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長渕剛マニアのダンナさんと奥さん。
25歳差だそうだ。

というコトで、、、、。

南インドを歩いているとこういう人たちによく出会う。

マドゥライにて。

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こういう男たちが三菱パジェロのような車に旗をたてて聖地巡りをしているのだ。

男だけではない。

女たちも負けてはいません。

こちらはバスを仕立てての聖地巡りだ。

ラメシュワラムにて。

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たぶんどこかの地域とか宗派の一派なのだろうが、どういう組織に帰属しているのかはまだ解らない。男は黒服、女は赤服の団体が南の聖地ではよく見かける。とにかく目立ち、彼らのそのパワーには圧倒されてしまう。

インドの経済発展によって一般の人も観光に出歩けるようになった証拠だ。この人たち個人の消費するお金は大したことないにしても、これだけの団体が毎日移動していればその経済効果もバカにはならないだろう。

今回は南インドのお寺関係の画像特集だ(『地球の歩き方』参考)。

サン・トメ聖堂(チェンナイ=マドラス)

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何十キロも続くマリーナ・ビーチにある教会。
このカトリック教会は、
キリストの12使徒のひとりだった
聖トーマスが布教に訪れ
この場所で死んだといわれている。
青い空に映える白いカテドラルが美しい。

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神智協会=Theosophical Society=(チェンナイ)

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1875年にニューヨークで生まれた宗教改革運動の団体の本部。
宗教、性、宗教差別(カースト)などのない社会を目指している。

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カーバーレーシュワラ寺院(チェンナイ)

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寺の名前は忘れた(カンチープラム)

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寺の名前は忘れた(カンチープラム)

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海岸寺院(マハバリプラム)

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ロック・フォート(ティルチラパリ)

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岩山の上にお寺がある。

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ランガナータ寺院(ティリチラパリ)

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ミーナークシー寺院(マドゥライ)

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沐浴する人たち(ラメシュワラム)

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ムカシはここからセイロン(スリランカ)までフェリーが出ていた。

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チベッタンテンプル

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マイソール近郊にはチベット人居留区がある。
インド政府に遠慮してか?
FREE TIBETの旗はなかった。
だから私が
ひとりフリーチベット!だ。
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Tibet

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インド最南端のオーム(カニヤクマーリ)

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ベンガル湾、アラビア海、インド洋の水がひとつに交わる、インド最南端・カニヤクマーリの地はホテル、レストラン、土産物屋でビッシリと埋め尽くされている。そして、人、ひと、ヒトの波だ。私は40年前ここで遊んでいたことがあるのだが、その当時はバス停から波打ち際までな〜んにもない空き地だったんだよ。その空き地に不要品を並べて今でいうところのフリーマーケットをやってぜ〜んぶ売り切ったことがある。もっとも当時のインド人の購買能力だから僅かなお金にしかならなかったけれども。

これらの聖地観光地を訪れる
黒服男、赤服女の団体の行動を見ると
一般庶民でもこうして遊べることになったんだと
つくづく感じるのだ。
もっともこの黒服男、赤服女の団体は
南部タミールナ-ドゥ州を離れると
極端に少なくなるのだ。
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Sikiri2hana
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2012年4月 1日 (日)

桜の季節のコラボ本だ

たぶん10年以上ムカシになるだろう。内藤国雄九段(八段だったか?)が、テレビのバラエティー番組でお笑いタレントから「コンピュータとやったら勝てますか?」と訊かれ、「あんなゲームを作っているのは三段か四段の連中ですよ。そんなモンに負けるワケないじゃないですか」とムッとしたような顏をして答えていたのを思い出す。内藤国雄さんは将棋を指すかたわら『♪おゆき』というヒット曲で歌番組にも露出していた時代があったのだ。

何百手も先を読むというプロ棋士の脳力にコンピュータではとても太刀打ちできないだろうと言われていて、内藤さんにも「そんな器械ごときに、、、」という自負があったのだろう。

しかし、内藤さんの時代から幾星霜、コンピュータの研究開発は急激に進み、それに伴いプロ棋士を脅かすほどの力をつけたコンピュータ将棋まで出現するに至り、無視できなくなった将棋連盟はプロ棋士に対して「コンピュータとは公式の場で指してはならない」という通達を出すワケだ。

  プロ棋士とコンピュータではどちらが強いのか?

これは将棋ファンのみならず一般的にも興味のわくテーマだ。

女流棋士、プロ棋士それぞれの第一人者が対戦して1勝1敗。そしてついに現役を引退したとはいえ、棋界最高の人気者で永世棋聖にして日本将棋連盟会長の米長邦雄が登場しコンピュータ将棋No.1のボンクラーズと対戦するという運びになるワケだ。

この本は、

『勝ってあたりまえ、負ければ石つぶて』

という損な役割を敢えて引き受けた米長邦雄のドキュメンタリーだ。

われ敗れたり
コンピュータ棋戦のすべてを語る
永世棋聖米長邦雄日本将棋連盟会長
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中央公論新社

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ニコニコ生放送で
100万人が見守った
第1回将棋電王戦
「米長永世棋聖vs.ボンクラーズ」。
その激闘の裏側には何があったのか。

結局、人間がコンピュータに敗れるという結果になるのだが、敗者米長邦雄が、対コンピュータ戦にどのようにして望んだか、プロ棋士対コンピュータとの将来などを率直に語っていて興味が尽きない。とくに対戦相手のコンピュータに対して戦友のような眼差し情を向ける米長さんの姿勢に惚れてしまう。

勝負に賭ける男たちの姿には将棋の知識がなくとも感動を覚えるだろう。

米長Vsコンピュータ将棋開催のことはずいぶん話題になったから知っていたが、対戦のときはインドにいたために、結果については本屋でこの本を手に取って初めて知ったことになる。

一芸に秀でた人の姿は本当に美しいものだとつくづく思う。

そのインドで撮った写真を整理し始めている。

プリントアウトしてブックを作ろうというワケだ。

ただいま乾燥中。

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用紙だとかインクだとか消耗品の減りも激しく、なにか不足なモノが出るたびに西新宿へ走ることになる。出費もバカにならない。

西新宿に出て、ニコン、アサヒペンタックス、エプソンなどの写真ギャラリーをのぞいたり、オームの落書きを発見したり、アフガニスタン青年と出会ったりするワケだ。そしてついでにブBook1st.に立ち寄っては米長邦雄さんの本を買ったりしたのだが、本日はこんな本を買ってきた。


枡野浩一 短歌
杉田協士 写真

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雷鳥社

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さよならをあなたの声で聞きたくて
          あなたと出会う必要がある

ロングロングショートソングロング

出版不況と呼ばれるなか、シリアスな写真集の出版は少なくなって、こんなふうに、コラボレーションというのか異ジャンルの表現者の共同作業が多くなっている。

この本は枡野浩一(歌人=短歌)と杉田協士(映画監督=写真)のセッションだ。

京王プラザホテル前のドドールで
コーヒー飲みながら一挙に読み切ってしまった。
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