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2011年8月31日 (水)

デンパサールのオーム

というワケで、、、

ケッコー真面目にアップしてきた『インドネシア・ジャランジャラン』も

とりあえず今回で終了です。

クタビーチのハードロック前のオームで始まったので

最後はデンパサールのグラライ国際空港

イミグレを通過して帰国便への搭乗を待っていたとき

目の前を通り過ぎていったバリ島最後のオームです。

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Hello!
Can I take your photograph?

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2011年8月30日 (火)

自由が丘マニマニについて

森川さんに初めて会ったのは北京オリンピックの年だから2008年のことになる。

『フリー・チベット』の叫びが全世界に沸騰した年だ。

私も長野での聖火リレーに対して『フリー・チベット』の意思表示をしたいと思い、雪山獅子旗を求めて都内のエスニックショップを探し歩いたのだがどうしても見つけられない。そこでダライ・ラマの団体に問い合わせると「あそこだったら在庫があるかも知れない」と紹介されたのが自由が丘のチベットショップ『マニマニ』で、その店で働いていたのが森川さんという女性だった。あの当時で30歳代後半だったろうか。ずいぶん穏やかな話し方をする女性で、言葉の端々にダライ・ラマへの敬慕とチベットに対しての想いが満ちていて、自分のミーハーさを恥じ入らなければならなかった。

70年代初めにはダライ・ラマに会いたいと思いダラムサラを訪れ、数年前にはチベットへも行ったことのある私としては、かつての旅行経験を語ったりしたワケだが、そんなジジーの自慢話めいたハナシにも、ときおり質問などをはさみ根気よくつきあってくれたのだった。

その後、長野で雪山獅子旗振って五星紅旗ともみ合ってきた報告などしたりするうち、メールをヤリトリするようになり、チベット関係のイベント情報が送られてきたり、その会場で出くわしたりしたこともあったのだ。彼女は熱狂的愛猫家ということなどもだんだん解ってきた。だからといって別に関係ないのだが、なるほど、それでハンドルネームが『プー猫』なんだなと納得したりもしたワケだ。

しばらくメールも途絶えた昨年(2010年)秋ころ、たまたま大井町線に乗っていて彼女のことを思い出し、自由が丘で途中下車して『マニマニ』に立ち寄ってみたら既に閉店したあとだった。

それほど繁盛している様子でもなかったから閉店も仕方ないかなと思い、それで『マニマニ』のことも彼女のことも忘れていたのだが・・・・。今日、ふと彼女のこと思い出し『マニマニ 自由が丘』で検索してみてビックリした。

『マニマニ』のオーナーは2010年11月に亡くなり、

スタッフだった森川さんがその後店を引き継ぎ、

ネットショップに移行して『マニマニ』の看板を守っていたのだが、

その森川さんも今年(2011年)6月に亡くなった。

というのだ。

オーナーについては印象にないが、森川さんはまだまだ若かったのに。同じお店のお二人が時を置かずお亡くなりになるとはなぁ。

ネットには『マニマニ』ファンと思われるひとによる森川さんを偲ぶ文章なども見られ、お店対お客の関係を超えて多くの人に慕われたひとだったんだなということがわかる。

私はTシャツ類を何枚か買ったことがある程度で、売り上げに貢献するようなこともなく、ときおり店に立ち寄ってチベットのことやバックパッカーの世間話して帰ってくるような、それだけの関係でしかなかったのだが、亡くなったということを知ると残念だなぁという思いが募ってくるのだ。

このブログで一度『マニマニ』のことを書いたことを思い出した。

それは、

『街のオーム』ネタで、『オーム』の看板や落書きが私に見つかってサイトにアップされると、そのオーム入り落書きや看板は建物ごと取り壊されて消えてしまう。

それは私に発見されたことでその役目を終わったということなのだろうか?

というような意味合いの文章であった。

もちろん、

私に都合よいまとめ方だったのだが、

いまこうして『マニマニ』お二人の悲報をきくと

奇妙な気分になってしまうのだ。

自由が丘消えたオーム

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カミサマはいるのかいないのか
いたとしたら
無情なことをするもんだぜ
カミサマは。
.
Tibet

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2011年8月29日 (月)

フローレスに行ってきた(その2)

インドネシアの地図を見ると東のスマトラ→カリマンタン→首都ジャカルタのあるジャワ島→バリ島→ロンボク島→ヌサ・トゥンガラ諸島・・・と、赤道に沿うように東へと延びている。最東部のティモール島のうち、東ティモールが2002年にインドネシアから分離独立したニュースはその独立に至る経過など耳に新しい。

そのティモールの西側に位置するのがフローレス島だ。

フローレスとは「花」という意味。16世紀にヨーロッパ人として初めてこの島に着いたポルトガル人が、母国語のフローラから付けた名前だ。彼らの影響で、今も人口の85%は熱心なカトリック信者であり、小さな村にまで設置された教会と学校のおかげで、教育水準も高い(『地球の歩き方』より)。

私の参加したプラマ社の4泊5日のコモドツアーは、じつは2コースに分割されるツアーだった。

ロンボクから3日目の夕方フローレスに到着すると、そこで船を下りて当夜はホテルに泊まり翌日飛行機でバリに戻ったり、さらにフローレスの奥地や別の島々に移動する人というの1コース。スケジュールに余裕がない人や、もっとディープなインドネシアを体験したいと思う人などが選ぶようだ。

もう1コースは、私が参加したのだが、フローレスで下船組の空いたスペースに新規乗船組を乗せ、そのまま同じ船でフローレスから折り返しロンボクまで帰着するコースだ。2泊3日が2コースで全4泊5日ということになる。フローレスで下船組もフローレス新規乗船組も、コモド島またはリンチャ島のいずれかで観光の目玉であるコモドドラゴンを見ることができるという上手くできたツアーだ。

4:30pmフローレス:ラブハンバジョー港に接岸。短いあいだだったが同じ釜のメシを食った下船組とハグして見送ったあと、そのまま継続航海組も6:30pmまでに帰船するようにの支持を受けてフローレス島上陸。

こんな写真や

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わかるヒトだけにわかるこんな写真を撮っているうち

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アッというまに帰船時間になってしまった。

ラブハンバジョー港の夕暮れ

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フローレス=花という名前から、島は花で溢れ人々は微笑みで満ちてと、“地上の楽園”的イメージを抱いて上陸したラブハンバジョーだったが、未整備の道路は砂ぼこり舞い、家々は砂色に沈殿していた。旅行者の勝手なイメージを裏切るような街並だったが、それでも人々の微笑みだけはイメージ通りだった。

新規乗船組へのオリエンテーションを終えロンボクへ向けて船中2泊の航海が始まった。

船中での生活ぶりはだいたいこんなものだ。

キャビンクラス(約4万円)、デッキクラス(約3万円)と料金の差はあるが、キャビンクラスといっても、工事現場の飯場クラスの2段ベットが置かれ簡単に仕切られているようなもの。風が入り込まないというだけだ。

デッキクラスは名前そのまんま、マットレスを敷いたデッキで雑魚寝ということになる。

私は安いデッキクラスで船首の一畳ほどのスペースを確保。夜の航海中は周囲がシートに覆われるから波風の心配はそれほどない。それでも深夜から明け方は冷えるからシーツを借りてくるまっていた。


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高いキャビンクラスも安いデッキクラスも、シャワーなどのサービスに差はなく食事も同じ。3食キッチンボーイの作る食事を摂り、飲み物類はリストに自己申告で記入し、下船時にまとめて清算することになる。


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昼のあいだはアイランドホッピングしながらアクティビティを楽しみ、夜間は眠っているあいだのナイトクルージングで次の目的地を目指す、無駄のないツアーだ。ちょうど乾期だから海が荒れることもない穏やかな航海だったが、機関室から立ちのぼってくるエンジン音とオイル臭には閉口。鼻穴耳穴にティッシュ丸めてしのいだりしたワケだ。

不思議なもので、そんな音も匂いも慣れてしまえば平気。私はトイレが近く深夜何度もトイレに起きるのだが、航海中は朝まで熟睡だった。環境に順応してしまうんだなぁ。

退屈な船内ではだいたいゴロ寝読書で時間を潰すことになるのだが、欧米人の愛読書は大体『ロンリープラネット/インドネシア編』で、ほとんどの欧米人バックパッカーはこの分厚いガイドブックをカバンに入れているのではないだろうか。『地球の歩き方/インドネシア編』の倍の厚さがある。このボリュームを見ただけでも、このガイドブックがガタイの大きい欧米人仕様だということがわかる。

オッ?このお方が読んでいるのはコレか〜。

Haruki

Murakami

Kafka

am Strand

Roman

フランス語?スペイン語?

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私が読んでいたのはコレだ。


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自分が望んだワケでもないのに旗艦に祀り上げられ破滅へと向っていく西郷さんの物語を読んでいるあいだに、船はいよいよエンディングに近づいてきた。スンバワ島モヨに上陸し奥地の滝へと案内される。真水をふんだんに浸かって皆大歓声。勢いよく飛び込んだものの、ブラジャーが外れて胸押さえたまま上がるに上がれなくなったネーちゃんもいたりするワケだ。


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このように、お客を退屈させない計算され尽くしたプログラムも先が見えてきた。

船に戻ると最後の晩餐になるナシゴレンは夕日に白トビしている。


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副船長に舵を握らせてリラックスしている船長の白いTシャツも夕日に白トビしている。


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 思えば、フローレス島に向っていたときは夕日を背中に見、フローレス島からの帰りの航海は夕日を目指してきたことになる。 .

船がロンボク島ロビナの港に接岸したのが夜6時。
待っていたバスに乗り
ロンボク島を横切るようにしてスンギギに帰着したのは夜8時30分だった。
.
こうして4泊5日フローレス島往復の航海が終わり
スンギギのマスコットコテージに入ると
「ウエルカム!!ファイヤーマン!!!」と
ニコヤカな笑顔が迎えてくれた。

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2011年8月28日 (日)

フローレスに行ってきた

スンギギのホテルで丸焼けにもならず命拾いしたワケだが、私がなぜスンギギにいたかというと、スンギギ発インドネシア東部の島フローレス島へのツアーに参加しようとしていたのだ。

インドネシア全土をシャトルバスで繋いでいるプラマ社という旅行会社があって、この会社の主催するHUNTING KOMODO by CAMERAというツアーは、

ロンボク島スンギギ

     ↓

フローレス島ラブハンバジョー

     ↓

ロンボク島スンギギ

という、スンギギからフローレスに行き、折り返してスンギギに戻る4泊5日のコース。

4泊は全船中泊で途中コモドアイランドにも上陸し、あのコモドドラゴンにもご対面しようというユニークなツアーだ。こういったツアー情報は現地に行かないと入手できないものだ。

プラマ社スンギギ支店の陽気なスタッフ。

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総勢50人ほどの募集人員でフローレスを目指すのだが、直近明後日のコースはキャビンクラス(約4万円)は満席。デッキクラス(約3万円)だったら空席ありということで参加を即決したのだ。やはり乾期のハイシーズンということで参加者が多いようだ。


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そして当日、朝9時にロンボク島スンギギをバスで出発し、州都マタラム他の参加者と合流。マタラムモールでそれぞれ必要な物のショッピング。途中ローカルビレッジに立ち寄って伝統窯場の見学などしてから、ちょうどロンボク島を横断するルートで東端のロビナ港到着。茶菓の接待を受けたあと50人は2隻の船に分乗して出発だ。

船は小さな島々を縫っての航海だから波もなくいたって穏やかなもの。

午後3時ころだったかな、プラマリゾートという小さな島にボートで上陸して、夕刻までの一時をシュノーケリングで遊ぶ。


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この島はプラマ社の中継基地で島民は住んでいないようだ。抜群の透明度の海でシュノーケリングを楽しむうちに薄暗くなって、プラマ社のスタッフが作るビュッフェ形式の夕食を済ませる。その後はプラマ社のスタッフがそれぞれ自慢のノドを披露する歓迎パーティだ。


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出航初日はプラマリゾートでまったりと夜を迎え、その夜10時ころに船に戻りプラマリゾートを離れる。

このように、昼はアイランドホッピングしながら、シュノーケリング、ショートトレッキング、日光浴と、それぞれの島に適した遊びをして(アクティビティというらしい)、夜、お客が寝ている間にナイトクルージングして次の目的地を目指すのだ。


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スンギギを出て3日目の早朝コモド島沖到着。

小舟でコモド島上陸。

レンジャー基地まで数10m歩いていくと・・・・・

オー!!いるいる。


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レンジャー小屋の床下あたりに10数匹のヤモリの親分が昼寝している。

暑さで動く気力も失せて死んだフリしているのかと思うと、訪問客へのサービスか?ときどき動き始めるドラちゃんがいたりする。そんなヤツが観光客に近づかないようレンジャー隊員がY字型棒で追い払う、とくに逆らう気配もなく従順に方向転換しやがる。ノソノソ動きが鈍いからと油断すると時速20kくらいのスピードで走ることもあるから要注意だというのがレンジャー隊員の説明だ。動きの活発になる時間帯もあるのだという。


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この島には宿泊施設もあるそうだが、もし、深夜屋外のトイレに行こうとしてドラちゃんに気がつかず踏んづけたりしたらどうなるんだろう?と思うと、チョッと怖いな〜。

レンジャー小屋の床下に棲息するドラちゃんに挨拶したあとは、もっと野生のドラちゃんを見ようじゃないか。


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というワケで・・・・。

こんなガイドに両脇を守られてコモド島奥地へと侵攻する多国籍軍。


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ガイドが声を潜めて指差す方向を見れば、子供のドラちゃんを数匹、首を延ばして風上からの情報を採取している様子。それにドラちゃん野牛の糞、野生の鹿を数匹発見するが、この野生の鹿だとか野牛がドラちゃんのエサになるのだそうだ。

デカイ野生のドラちゃんがウジャウジャ棲息するところを見られるかと思ったのだが、それほど劇的なことも起こらず、特に観光客がドラちゃんに襲われることもなく全員無事にレンジャー基地へ帰着。コモドアイランドはちょっと期待はずれだった。

コモドアイランドを離れボートに戻り、レッド・アイランドという赤い砂が混じっているビーチでシュノーケリングを楽しんだりして、3日目の夕方にフローレスのラブハンバジョー到着。桟橋に接岸したボートで船中3泊目を過ごし4日目は早朝からリンチャ島へ向けて出航。

コモドドラゴンはコモド島だけに棲息しているのかと思ったら、じつはコモド島の隣りのリンチャ島にも棲息しているのだという。そして、リンチャ島の方が数が多いというから期待が高まるではないか。

リンチャ島に上陸すると、たしかに、レンジャー小屋の床下には30数匹のドラゴンが、起きてるのか寝てるのか長くなって伸びている。


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ヤル気があるのか?ないのか?と声をかけると、こんなふうに歩き始めるヤツもいるから油断ができない。


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恐竜の子孫とも称されるコモドオオトカゲは、オーストラリア、アフリカに生息するオオトカゲ群に属する。成 長したオスは体長3m、約100kgの巨体となり、世界に現存する約3400種のトカゲの中で最大。朝になると巣穴から出てきて、エサを探す。朝は最も食 欲があり、人間にとっても危険。日が昇ると暑いので、日陰でのんびりしている。夕方になると巣にもどる。こんなライフサイクルで生きている。(『地球の歩 き方』より)

コモド島が世界自然遺産に登録されたのは1991年だ。

この島にしか棲息しないコモドドラゴンはなんといっても観光の目玉だから、ムカシはツアーをより盛り上げるためにドラゴンの群れに生きた山羊を放り込んだりする、いわば“ドラゴン餌付けショー”の演出が人気を集めた時代もあったのだといいます。それが世界自然遺産に登録されたことで、自然のままの生態系を維持する理由から“餌付けショー”が禁止され、それ以来観光地としては寂れてしまったということを何かで読んだ記憶がある。

たしかに世界自然遺産というビッグネームの割には観光客は私たちプラマ社のボートしか見えない。乾期の旅行シーズンにしてこれだから、雨季などはもっと少なくなることは想像に難くない。もっとも入島人数や時間をコントロールしているのかどうかはわからない。

それと、どうも地の利が良くない。

私は団体ツアーの一員としての参加だから、寝ている間にドラちゃんのいる島に案内されたのだが、個人客の場合、デンパサールから飛行機(あるいはバリからフェリー)でフローレス島に到着。定期船があるワケでもないからラブハンジョーで観光船をチャーターしてコモド島なりリンチャ島に渡ることになる。そうなると経費その他のことを考えれば、余程のドラちゃんファンでもないと食指が動かない辺境の地ということになる。

門前市をなす世界自然遺産も嫌だが
観光地としてお客を呼ぶには
もっとアイデアがありそうな
コモド島上陸記だ。

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2011年8月27日 (土)

スンギギの夜は更けて

ロンボク島のスンギギには半年前にも来ていたのだが今回もまたこの地に滞在していた。

スンギギは近年リゾート地として瀟洒なホテルも建ち始めているが、まだまだ開発途上という感じだ。庶民の気軽な交通手段にチドモと呼ばれる馬車があって、旅行者としてはこんな乗り物を試してみるのもまた旅の想いでともなる。

私が滞在していたときにちょうどチドモフェスティバルというようなお祭りがあって、ロンボクのチドモがすべて集合したのではないかというほど、多数のチドモがスンギギのメインストリートをパレードしていた。

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このようなトラディショナルな鳴り物入りでただの馬車のパレードなのだが、これはこれで旅の想い出だ。

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スンギギではビーチに近いマスコットコテージというホテルに泊まっていたのだが、かなり広い敷地内にコテージが点在している値段の割りには環境抜群のホテルだった。

ホットシャワーを浴びて熟睡していたのだが、深夜2時頃、天井裏をネズミが走るような音で目が覚めた。

   「????」

天井裏の音はすぐに収まったのだが、何か胸騒ぎがする。

気になってベッドの上に起き上がってぼーっとしていたら、どうもテレビのあたりが変だ。スイッチ部分に明かりが灯っている。ロンボクのテレビなど見る気もないからスイッチを入れたことなどないのだが(だいいちテレビのある部屋には泊まったことがない)どうも妙だなと思いながらジーッとテレビを見つめていたら、スイッチ部分からトツゼン白いケムリが吹き出した。

  「アッ!ヤバイ!!!」

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あわててベッドから飛び出し、テレビのコードを引っこ抜いてから財布を手にもって外に飛び出した。

見回り中のガードマンを探し出し、

 「オイ!!大変だ!チョッと来い!急いで急いで!!!」

警棒握り直したガードマンと部屋に入った瞬間テレビが火を噴きやがった。

それを見てガードマンは『チッ!』と叫び、慌ててトイレに入っていった。

 オイオイなんでトイレなんかに行くんだよ!。

ガードマンは手桶(事後にお尻を洗うときに使う例のヤツ)に水を汲んできてテレビに数回かけ、それで火は消えたのだが部屋の中は煙で真っ白。その後まだ燻っているテレビを庭に放り投げたのだ。

庭のテレビを間にしばらくガードマンと顏を見あわせて呆然としていた。

ともかく今夜はここで休んでくれと別の空いている部屋に案内されて寝ることになったのだが、

イヤイヤイヤ・・・参ったなー!

平屋の部屋だからよかったものの、

高層ホテルだったりしたらパニックだったぜ。

そんなことを思ってニヤニヤしているあいだにいつしか眠ってしまい朝を迎えた。

フロントに行くと、「火吹きテレビ」のハナシは全員に広まっているようで、会うヤツ会うヤツが「タイヘンでしたね〜」と声をかけてきやがる。女性マネージャーに、消化のときに傷めたサルーン(腰巻き)を見せると、ちゃんと新品のサルーンを補償してくれた。

それ以来そのマスコットコテージでの私は『ファイヤーマン』と呼ばれるようになったのだ。

これもまた、旅の貴重な想い出の“スンギギの夜”だ。

というワケで、、、

ファイヤーマンだけでは寂しいので、本日は『旅の想い出』にスンギギビューティを紹介しましょう。スンギギのちょっとオシャレなレストランで昼飯を食べているときに、この女性がフラリと現れたのだ。

どういう女性なのか解らないが、ロンボク島スンギギには不似合いな感じで、「写真を撮って良いか?」と話しかけたら、キレイな英語を話す女性で、微笑みながらでさりげなくポーズをとりやがった。

そして、「写真を送ってくれる?」とE-メールアドレスを書き残してどこかに消えてしまった。

E-メールアドレスを書いたそのメモが見つからない。

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チドモのパレード
深夜の火吹きテレビとファイヤーマン
どこかから現れどこかに消えた美女
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これがロンボク島スンギギの想い出だ。

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2011年8月26日 (金)

ツリー・オブ・ライフを観てきた

バリで撮った写真から200枚くらい選んでA4サイズにプリントアウトした。

こうしてできあがった写真をみると、やはりパソコンに保存しておいただけではただの画像ファイルにすぎないが、現像してプリントアウトすることで初めて写真になるということがよくわかる。

この写真を何らかの形で公開できないものかと思案中である。


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本日は現像作業をちょっと休んで、渋谷道頓堀劇場へ。

といってもストリップを見にいったワケでもなく、劇場前の喜楽にラーメンを食べに行ったのだ。ふと喜楽のラーメンのことをを思い出したら、“にっぽんめんくい党”総裁としては無性にラーメンが食べたくなって辛抱たまらん。

道頓堀劇場のケバい看板横目にみて喜楽に行けば、お昼どきとあって10人ほどのお客が並んでいる。商売繁盛の様子を見るのは、自分が儲かるワケでもないのにウレシー。


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厨房では見慣れた顏のあのオッチャンが健在でがんばっているのもウレシー。

渋谷・喜楽の中華そば650円なり。

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香ばしい揚げタマネギとシャキシャキもやし、何十年と変わらない味だ。

オッチャンの顏も変わらない。

トンコツラーメンに押されて醤油ラーメンの影が薄くなってきているのは悔しいが、この中華の老舗『渋谷・喜楽』の健闘ぶりには拍手。

ラーメンに満足したら次はいよいよ道頓堀劇場とはいかず、渋谷東急劇場に『ツリー・オブライフ/テレンス・マリック監督』を観にいく。

テレンス・マリック監督というと何といっても『天国の日々』が好きだ。この『天国の日々』は全編“マジックアワー”と呼ばれる時間帯に撮影された映画。太陽が沈んで完全に暗くなるまでの20分ほどの時間が“マジックアワー”だが、この20分ほどは不思議な光に包まれた独特の映像が撮れるらしい。たしかに、あの映像美はデジタルでは表現できない独特な味わいがある。


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そして、そのテレンス・マリック監督の最新作『ツリー・オブ・ライフ』だが。

私の感性ではよく理解できなかったというのが正直な感想。

成功した現在の主人公と少年時代の彼とその家族のストーリーを追っていたら、そのうちこんがらがって迷路に陥ってしまった。だから、途中からストーリーを追うのはあきらめて映像の美しさだけに見とれていたワケだ。

あんがい
もう一回観たらピタッと納まるような気がする映画だった。

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2011年8月25日 (木)

ウブドの闘鶏

ウブドはレストランや土産物屋が軒を連ねるメイン通りを1本外れると、稲穂が風に揺らぐ豊かな田園地帯となる。

ウブドはどこを歩いても素晴らしいトレッキングコースだが、ジャラン・ラヤン・ウブドの西の端にあるウブド発祥の地といわれるグヌン・ルバ寺院脇からスバル村へ至るルートは特に素晴らしい。『W』の文字をイメージしてほしい。左右が深い谷になる真ん中の尾根を360度の眺望を楽しみながら進めば“田んぼの芸術”ライステラスが広がりやがてリスバリ村にあたる。

このスバリ村は昔ながらのバリの景色を残す素朴な村で、私はどうしても写真に撮りたかった場所があって再訪したもの。目的の写真を撮り終えていまきた道をウブドに戻りかけたとき、鳥かごを手に持った男たちが歩いているのを見かけた。

アレッ!闘鶏かな?そう思い男たちのあとを尾いていくと、、、、。案の定、村はずれの広場にはたくさんのバイクが停まり、小屋の前では屋台ができていたり、賭場までできあがって男たちの真剣な顔が見える。


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さらに奥に進むと簡易テントの下、やはり闘鶏だぜ。以前見たジャワ島ソロの闘鶏とは違いかなりの熱気を帯びているのが感じられる。ソロと違いバクチだなぁ。


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そして、これもソロの闘鶏と違うのは、揃いのユニフォームを着た明らかに「闘鶏屋」だとわかる男たちが会場を仕切り、その男たちによって出場する鶏の左脚に刃渡り5センチほどのナイフが括りつけられるのだ。


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闘鶏屋と見物人が賭けるのか、闘う鶏の所有者同士が賭けるのか、客と客が賭けるのか、それぞれが指差したり、掛け声をかけあったりと徐々に熱気は高まってくる。


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真ん中に引き出された二羽の鶏は即戦闘状態になって睨み合い、放たれると土俵のすべてを使って激しく組み合う。左脚のナイフが一瞬にして勝負をつけることもあれば、数分のもみ合いでも勝負がつかないこともある。


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こう着状態と見るや闘鶏屋が二羽の鶏を引き離し、それぞれの飼い主がアタマをなでたり肛門から息を吹き込んだりして気合いを入れる。その後二羽とも一緒に狭いカゴに入れられ煽られ、カゴの中でひとしきりもみ合った後、カゴは取り去られさらに土俵いっぱいを使った闘いが再開するのだ。

とにかく、どちらかが倒れるまで闘わせる。引き分けだとか判定勝ちなどない。生きるか死ぬかだから、見物人も飼い主も真剣だ。掛け声が一段と高くなる。


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たぶん勝った鶏も自分の左脚のナイフが相手のとどめを刺したなどとは気がつかないのだろうし、倒れた方も自分がどうして動けなくなったのか解らないだろう。相手が倒れたあとも容赦せずさらに攻撃を続けている。

歓びとため息が入り交じった声に包まれて決着がつき、しばらくのあいだ緊張がゆるみ次の取り組みの準備に移る。

生きているあいだは愛情を注ぎ大事に大事に育ててきたであろう飼い主も、死んでしまった鶏には目もくれずに去ってしまった。


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ただのムクロとなってしまった鶏は放置され
だれかが回収し
羽根をむしられ
熱湯でゆでられ
首をはねられ
ただの鶏肉になってしまった。
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ソロの闘鶏では
鶏と飼い主の交流にホノボノとしたものを感じたのだが
ウブドの田園地帯スバリ村で見た闘鶏は
そんなヤワな感情の入り込む余地なし
勝つか負けるか

食うか食われるか
損するか儲けるか
生きるか死ぬかの闘いだった。
.
.
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2011年8月24日 (水)

ソロの闘鶏

インドネシアのソロは人口150万人の大都会である。

ジャワ島の中央部に位置するソロ(現在の正式名称は「スカルタ」だが、今もソロの呼び名が一般的)は、ジャワ原人の化石、たゆたうようなメロディで歌われたブガワン・ソロ(ソロ川)、そして18世紀以降花開いたイスラム王国の宮廷文化の町としてしられている。(「地球の歩き方」より)

町の中心部を東西に走る鉄道線路と平行するようにJi.Slamet Riyadiというメインストリートが通っているから、ジャランジャランで迷子になっても、この通りを見つければ自分の位置を確認することができるから困ることはない。

いつものようにこのメインストリートをジャランジャランしていると「写真を撮れ」と踊り始めるオンナと出会ったり、


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芸術学校らしき建物の催し物に侵入したり、


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超超セレブの超超豪華結婚式で花嫁花婿に「コングラッチレーション!」などといったり、

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王宮でアンニュイなムード漂わせている美女に「あなたは王女様か?」と声をかけたり、

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炎天下の中部ジャワで、マッ、こんなふうにオモシロがっていたワケだ。

そうしたら、いつのまにか市場に紛れ込んでしまった。これが普通の市場ではなく動物市場らしい。猿やヘビ、鳥などの珍獣に虫類がズラ〜ッとならんでいる。鳥類が多いから鳥市場なのかもしれない。たしかにインドネシア人には鳥ファンが多いようだ。

異様な匂いのする中を奥に進むと「アレッ?目医者か」。

拡声器で解説加えながらお客の目を洗っているオトコがいる。消毒しているんだろうが、お客の目は真っ赤で、なんかかえって悪化しそうな風景だ。


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さらに奥に進むと市場の外れに人だかりができている。

鳥かご持った男たちが出入りしているところを見ると「闘鶏だな!」。


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人だかりをかき分けて前に進むと、

「この鶏たちはいったい、ナニが憎くって!」

と思えるくらい闘志満々に組んず解れつしている。


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鶏の闘志は素晴らしいのだが、何か物足りないな〜と思いながら見ていたのだが、その理由に気がついた。鶏の闘志の割りには周りを囲む男たちがミョーに冷めていて静かなのだ。

アッ!そうか!

カネがかかってないな〜、

これはバクチじゃないんだ!

勝負がついたのかどうか?頃合いを見計らって飼い主が2羽の鶏を離れさせて次と交代。そして、抱きかかえた鶏の羽根の手入れをする姿は優しく慈愛に満ちていたのだった。


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鶏は、さっきの闘志などどこにいったのかと思えるくらい静かになり、男たちのカゴに納まっている。

鶏は闘うことによって
ストレスの解消になるという
知恵だったんだな。

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闘鶏というと
娯楽の少ない土地で
なけなしのお金を握った男たちが目を血走らせてヤリあっている
という先入観が刷り込まれていたのだが
鶏と飼い主の心の交流があるようで
ホノボノとした気分になった
古都ソロの闘鶏だった。
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2011年8月23日 (火)

歩けば犬にもあたる

回教圏での犬は悪魔の使いとされて、不当な扱いを受けている犬をみると可哀想になる。

回教のロンボク島の犬は本当にみすぼらしくって、これだったら虐待されてもしかたないかと思えるほどヤツレている。ロンボクのビーチを夜歩いていると、自分の身体の分だけつくった窪みの中に身を横たえ、砂と同化して眠っている犬を見ると惨めなものだ。人間もそうだが、やはり、地位がその犬の威厳をつくるのかもしれない。

そのロンボクでも、ときどき毛並みよくちゃんと首輪をされて、ペットとして可愛がられていることが一目で分かる犬も見かけるが、それなんかは大体バ他所からの観光客だったりするのだ。

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ロンボク:スンギギビーチ

来世、犬に生まれ変わるのなら、ロンボクではなくバリに生まれたいものだ。少なくとも子供たちに石を投げられて追われることもない。


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床の冷えたタイルに腹這いになって涼をとっているバリの犬。
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ところが、上の犬のように大人しい小犬だったらいいのだが、ケッコー難しい犬も多くって、私のような旅行者が路地裏をジャランジャランしていると、自分のテリトリーに紛れ込んだ侵入者とみて吠えるのだ。


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一匹が警戒警報を発すると家々から路上に飛び出してきた犬がズラ〜ッと並び、そんな吠える犬どものあいだを通り抜けることになる。狂犬病なんてことになったらみっともないぜ。地元の人間には吠えず、地元の人間が「シーッ!!!」と追うと簡単に家の中に逃げ帰るから、どうやら地元の人間か外国人か解るらしい。

全身で怒りを表す犬

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犬どもを警戒してジャランジャランしているうちに、やがて、ヤツらにも現地人として認知されたようで吠えられることもなくなり、フォトハンティングの楽しみも増えてくる。

よく解らないのだが
「レディー・ガガよ!写真撮って!!!」とポーズを作った3人娘。
トツゼン言われて設定を間違ってしまった。


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日本では死語になったこのこの言葉。

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OH!
ボブ・ディラン!


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ンッ???

この暑さのなかでは不似合い、日本ならさしづめリクルートスーツ姿の女性が歩いてくる。

アー、、、エクスキューズ・ミー
あなたは・・・
日本生命ですか?
それとも
東京海上日動あんしん生命?


ワタクシはバンク・オブ・バリです。
それがナニか?


オー!ナットクしました。



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私は日本にいても
名所旧跡博物館美術館のたぐいには興味がないから
外国に来てもそのまんま
ひたすらジャランジャランの街歩き専門で
こんなバカなことをしてオモシロがっているのだ。

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2011年8月22日 (月)

IBU OKAのバビグリン

ここらでペースを変えるために、バリの食べ物のことを書きましょう。ウブドには豚の丸焼きで超有名なレストランがある。

テレビの紀行番組風に紹介すればこうなる。

ハイ!やってきました!バリは芸術の村として有名なウブドです。

朝からウブドの村をジャランジャランして王宮まで来ましたがお腹が空きました、そろそろ昼ご飯にしたいと思うのですが、どこがいいかなぁ〜、、、

アレッ?あの行列 は何でしょうか、看板にはIBU OKAと書いてありますね〜、IBU OKAという名前のお店なのですね、アッ!見てください、コレは豚の丸焼きですよ、ワ〜、美味しそう、この豚の丸焼きはバビグリンというのですか、ここで食べましょう、お店の中は100人ほどのお客さんで満員です、行列 に並びましょう、


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行列に並んだんですが、回転が早いから15分ほどで席につくことができました、名物のバビグリンスペシャルというのを注文したところです、キャー!アタシの英語が通じた、こちらの方はオーストラリアの家族ですって、こちら、バリの方、外国の観光客だけでなく地元の人にも人気なんですね、日本の方ですか?エッ?マレーシア? インターナショナルですね。


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ハイ!お料理が来ました、カゴの上に紙が敷いてあって、ナシの上にホグした豚肉にポテトかしら、腸詰めもあります、バリではご飯のことをナシというんですよ、

それでは食べてみましょうか・・・ンッ?・・・ちょっとアタシの視線、、、宙を泳いでません?・・・美味しいです・・・言葉がでません、このスパイスの効いたタレが絶妙です、コレは豚の皮ですね、この豚の皮が噛むごとにカリカリと頭蓋骨刺激し・・・絶妙のアクセントになっています、

ちょっと、あなたがご主人ですか?このタレがなんともいえませんね、エッ、創業以来鍋を替えずに継ぎ足し継ぎ足してきた秘伝のタレで、このタレを作るときは、、、暦にしたがって、沐浴して、神様に祈って、部屋に鍵をかけて、、、タレのつくりかたはダレにも見せないと・・・、タレとダレをシャレたのですが、解りましたかしら?、門外不出、ウワ〜こだわっていますね、「タレに歴史あり」ですね、

おしゃべりしながらぜ〜んぶ食べちゃった!

おネーさんおネーさんお勘定お願いします。

エッ?このジュースも入れてジェンブで、、

エッ!日本円にして350円ですよ〜、キャ〜安い!

ところで、気になってるんですが、
あのワンちゃん
さっきからあの位置で
ズ〜ッと見てるんですよね〜。


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ゴメンね
ジェ〜ンブ食べちゃった。
そんなにウラメシそうな顏しないで。
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というワケで
次回はバリの犬のおハナシです。
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2011年8月21日 (日)

ウブドの占い体験

やさしい夫を持ち、作家としての仕事に恵まれ、世間一般から見ればなに不自由なく満たされた生活を送っていると思われるリズ。しかし、リズの心を覆う虚しさにはだれも気がつかない。この原因はなんだろうか。そんなリズはかつて取材で知り合ったバリの薬療師の言葉を思い出す。

リズ・・・あなたはこれまでに築いたすべてを失うことになる。そしてこのバリに戻ってきて私の仕事を手伝うことになるのだ。

離婚をし、若い俳優との恋も清算し、イタリア〜インド〜バリへと、いわば自分探しの旅に出て、ついにバリ島ウブドで新しい恋も生まれ再生するリズ。

これは原作も映画も世界中で大ヒットした『食べて 祈って 恋をして/エリザベス・ギルバート』の流れだ。

映画では主人公リズに大きな影響を与えるという設定のウブドの薬療師の家を訪ねてみた。


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彼の家はウブドの中心から歩いて30分ほど。私が訪れたのは10時くらいだったが、映画のヒット以来訪れる外国人観光客が引きも切らないそうで、すでに10数人がそれぞれ思い思いの姿勢で占いの順番を待っていた。電話などでの事前予約はできず、その場に待機して順番待ちするのがルールだと聞いていた。


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奥の縁側では、、、オー!あのひとか。


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もちろん映画に出ていたひととは違うが、いかにも旅行者の期待を裏切らないスタイルで白人女性相手に仕事中の男性がいる。どうやら手相占いのようだ。

私はこのひとの占いを受ける気はなかったが、世界中でヒットした映画のモデルが近場に実在すると聞いたからには人相見をしないワケにはいきません。

じつは、ウブドで仲良くなったタクシードラーバーに「ホラ、、、あの映画の、、、『食べて祈って・・・』の占い師って会えるの?」と訊くと、彼は一瞬の間をおいて「会えるよ、彼の家に案内しようか?」の返事。

彼は画家だよ。彼に会うのは簡単だけど、地元の人間は彼が占い師だなんてダレも思ってないよ。ボクはこれまで2人の日本人女性を案内して通訳したけれど、「アナタは美しい」とか「素晴らしい恋をする」とか、、、まったく同じものだった。だから彼のことは信用していないんだ。

そして、次の言葉だ。

もし、アナタがバリの占いを体験したいのなら本当の占い師のところへ案内しようか。そこはお寺で占い師はオンナのお坊さんだ。

よし、解った。納得した。それでも、まず最初にハナシのタネに映画に出てくる占い師のところへ行って実際の様子を見る。そして、次にオマエの勧めるオンナのお坊さんのところへ行こう。

タクシードライバーとのこんなヤリトリののち、最初に映画のモデルになった“占い師”の家に行ったワケだ。

この“占い師”の鑑定が真実なのか詐話なのか私には解らない。しかし、その“占い”で旅行者がキモチ良くなり、些少の金銭で、かがり火に浮かんだバロンダンスとともに旅先の思い出作りができるなら、例え詐話師でも良いじゃないか!ツアーの中のひとつのプログラムだと思えば安いもんだ。

だって、「ワタシ、、、あの『食べて祈って』の占い師に見てもらったのヨ。そうしたらワタシの人生ってバラ色なんだって。ラッキー!」なんていうのは他愛ない演出じゃないか。どうせ深刻なハナシに立ち入らずに「お父さんお母さんを大切に、暴飲暴食をしないこと、何事にも愛を忘れるな、そうすればアナタの人生は拓ける」などと想像がつくではないか。何十万もボッタくる占いからみれば可愛いもんだ。

真贋は解らないが、占いエンターテインメントとして認めようというのが私の結論だ

そして、次にタクシードラーバー推薦の女のお坊さんのところへ向ったワケだ。手相占いなのか星占いなのか、それとも別の方法なのか、詳しい情報は得ていなかったが、こちらの方は最初から鑑定を受けるつもりで行った。

ウブドの村から、青い空、鮮やかな緑を味わいながら1時間ほどタクシーが走ったところにそのお寺はあった。公共のお寺というよりは、塀に囲まれた敷地内にある個人のお寺という趣き。すでに先客10数人がいたがすべて地元住人のようで外国人の姿はない。ドライバーの話では、占い鑑定というよりは薬剤の調合をお願いしているらしい。


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やがて色艶の良い婆さんが現れて、これがタクシードライバーのいう女のお坊さん。日本式にいえば尼さんということになるが剃髪してはいない。


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「外国の人だから、先に済ませるからネ」というようなことを先客の村人に話すと、まず線香をたて、品定めでもするかのように目を細めて私を見つめ、おもむろにタバコに火をつけやがった。

美味しそうにタバコを吸いながら彼女の占いが始まった。


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女のお坊さんという予備知識だけで臨んだのだが、彼女の占い方法が変わっていた。

間違わないように記録しろということらしい、通訳を兼ねるタクシードライバーにペンとメモ帳を渡し、「もう少しこっちに来い」というように私を呼び寄せ、自分の左手の平を私の額につけて瞑目したのだ。

そして、私の額に当てていた左手の平を見ながら語り始めた。右手にはタバコだ。タクシードライバーがメモし日本語に通訳してくれる。

オマエにはナラスワティがついている。

ナラスワティとドゥルガを拝みなさい。

ブサキに行ったか?ブサキにお参りしなさい。

オマエは彼女はできるけれど結婚はできない。

オマエがこれからやろうとすることは心配ない。

これらを左手の平を見ながら語るのだが、私の額に当てた左手の平で私の情報をスキャンし、その情報が彼女の左手の平を電光掲示板のように流れていくといったら理解が早いだろう。こんな占いは初めて聞いた。

占いの結果については、これまでのどの占い師からも言われたことなので「マァ、こんなモノだろうと」ビックリもしなかったがひとつ気になることがある。

ところで、ラスワティと言ってたがラスワティのことだな?

違う!ラスワティだ。ラスワティではない。

通訳を介して3回確認したが、ラスワティを主張する。名前を聞いたことのないヒンズーの神様が出てきた。後日ウブド在住インド人にラスワティという神様知ってる?」と訊いたら、彼でさえ「ラスワティなんて聞いたことないな〜。ラスワティだよ」との答え。このの違いがどうも気にかかる。通訳のメモもNARASWATHIになっている。

この占いはダレでもできるものではない。特別な能力をもって生まれ、厳しい修行ののちにできるのだ。オマエは持病の薬を調合してくれというが、バリの薬はすべて誕生日にもとづいて調合するのだ。西暦ではない、バリ歴だ。オマエのバリ歴の誕生日がわからないと調合できない。

タクシードライバーの通訳を介してこんな占いエンターテインメントのセッションを楽しんだのだが、お布施を渡してウブドに帰ろうと寺の門を出たところでタクシードライバーのケータイが鳴った。通話の終わったタクシードライバーが言うには、日本人男性がこれからブサキに行きたいと言っている。あなたも行かないか?タクシー代はシェアすればいいではないか。

ブサキ寺院は、アグン山中腹、標高およそ900mの所に建立されている。大小30あまりの寺院によって構成される複合寺院で、バリの人々からは「母なる寺院」やバリ・ヒンドゥーの総本山としてあがめられる。ヒンドゥー3大神シヴァ、ブラフマ、ヴィシュヌを祀る3寺院を中心に、各州の寺院などを包括するようになった(『地球のあるきかた』より)

ついさっき、「ブサキにお参りしなさい」と言われたばかりだ。急いでウブドに戻り、電話をくれた日本人青年をモンキーフォレスト通りでピックアップ。ブサキ寺院へと向ったことはいうまでもない。


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占い師からブサキ寺院にお参りしなさいと言われたその直後
ブサキ寺院に行きたいという日本人青年の電話があり
そのタクシーに同乗して一緒にブサキ寺院に参拝した。
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この絶妙のタイミングは
占いエンターテインメントと簡単に言い切れない
正に
ナニモノかのさじ加減があったような気がしているのだ。
そして
ラスワティ
の謎はいまだに解けない。

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2011年8月20日 (土)

ウブドの再会

バロンインドネシアはイスラム教徒が全人口の90%を占める世界最大のイスラム国家である。しかし、バリ島に限っていえばその90%がヒンドゥー教徒という特異な比率になる。宗教が民族紛争の最大の原因になる昨今、これでよくモスレム対ヒンドゥーの争いが起きないものだと不思議に思えるのだ。

ヒンドゥー教の系列とされる仏教徒の私にとって、バリは親しみを覚える島で、そのバリの中でも特に中部ウブドの村には古里のような愛着をもっている。これはたんにウブドが旅行者にとっての環境が整っているということだけでなく、やはり底流ではつながっているせいなのかと思えるのだ。


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さっきまで、観光客相手に値段を吹っかけモミ手し、おもねりの作り笑いを浮かべていた土産物屋の兄ちゃんが、バリの正装に着替えて祭礼用のお盆を左手に持って歩く姿などはまるで別人のような凛々しさを感ずる。


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観光の名の下に押さえ込まれてはいるが、これだけは絶対に譲ることができない民族の誇りを見せつけられているようで感動する。こんなふうに、偏在する神に祈りを捧げる姿などは、いまでは失われつつある古里の祖母や母の姿だった。

ウブド滞在中にちょうどガルガンというお祭りを体験することができた。

ガルガンとは善ダルマが悪アドハルマに勝利したことを象徴する日で、日本のお盆のように祖先の霊がこの世に戻ってくる日とされている。この日は高い竹の棒にヤシの葉や花などで飾り付けをしたペンジョールを、家の門の右側に上げて目立たせる。日本の七夕に似た光景だ(『地球の歩き方/バリ島編』)

たぶんバリの人々にとって、こういう宗教儀式への参加はすべてのことに優先しなければならないことなのだろう。ガルガンの数日前から家々の軒下では仕事そっちのけで太い竹に飾り付けが始まっていた。いつもだと下卑た冗談ばかりのタクシードライバーでも、その真剣な姿を見れば声もかけづらい。

そして7月6日ガルガン当日の朝。

ジャランジャランに出てみれば、各人の傑作ペンジョールが真っ青な空に映える。それは、まるで帰ってくる祖先の霊が迷わないようにという目印のようだ。そしてバリの民族衣装に身を包みお寺へと急ぐモーターバイクの人々が絶えない。


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この日、大人は仕事を休みお寺参りに励み、子供たちはバロンと呼ばれる、日本の獅子舞のように家々を門付けして廻るのだ。


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旅行者向けのレストランやお店の前で鉦や太鼓に合わせて舞えば、お店の人間も心得たもの。頃合いを見計らって寄付箱にお金を差し込み、食事中の外人客も幸せな笑顔で記念写真に納まる。


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これらのバロンはコミュニティ単位で編成されるようで、数日前から辻々では年長者が年少者にお囃子の指導をする姿が見られたから、なるほど、こんな風に伝統が受け継がれていくんだと納得。もはや日本では見られなくなった風景だ。

同じバリヒンドゥーでもウブドでは私たち旅行者も含めて、何か特別な空気に包まれているような気配を感じてしまう。

ウブドではファミリーが経営するゲストハウスに泊まっていた。塀に囲まれた敷地内にはお寺もあり、旅行者向けの6部屋以外には一族の何人かが住む部屋もあったから、裕福な一族になるのだろう。

毎朝老婆が部屋部を廻ってお清めしたり、親戚縁者が訪ねてきたりして、バリの普通の人々の生活を垣間見られるのは嬉しかったが、ただ、朝2時ころからコケコッコーをやられるのには閉口した。朝飯ホットシャワーつきで1500円で、もっと安い部屋を見つけて移るつもりだったのだが、いったん荷物を解いたら面倒くさくなり、けっきょく10日間このゲストハウスに滞在することになった。

この一族の長男はじつにきれいな英語を話し、その上に日本語の日常会話にも困らない。掃除をしたり、ときどき母親の作った朝食を部屋に運んだり、宿泊客との渉外を受け持っていた。もともと6部屋しかないからそれほど忙しいわけでもなく、宿泊客とのおしゃべりの時間もたっぷりある。

2011年6月26日撮影

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宿泊5日目くらいして、その彼が不思議そうな表情を浮かべながら話しかけてきた。

「あなたはバリは何回目ですか?」

「3回目だね。最初は20年前だった」

「2回目はいつ?」

「去年の12月から今年の1月。ロンボクとかバリだよ」

「12月31日はどこにいたの」

「12月30日にロンボクからバリに来て・・31日はウブドにいたよ」

「やっぱり!ボク31日にあなたと会ったよ!あなたと話したよ」

彼の言うのはこうだ。

去年の12月31日の夕方、モンキーフォレストのお寺に集合したとき(大晦日の行事だったらしい)、バリ人以外立ち入り禁止のお寺に私が入ってきて、自分の写真を撮っていった。

このホテルで初めて会ったとき、「この日本人とはどこかで会ったことがある」と思ったが、どこで会ったのか思い出せず、ず〜っと考えていた。

確かに!去年の大晦日、あのお寺で!数百人の男女の中、ホテルで仕事をしているという涼やかな口調の青年と話して、その青年の写真を撮ったのは覚えている!でもあれはキミだったかな〜・・・・わからないなぁ。

「わからないと思うよ。ボク・・・顏が変わったから」

「エッ!顔が変わったってどういうこと」

去年の大晦日、モンキーフォレスト脇のお寺で私と別れて次のお寺に向うとき、バイク事故にあい、左目の視力を失い、鼻も潰れてしまったのだという。5日間の入院で退院し、その後は数ヶ月自宅から通院し回復したらしい。

それほどの大事故で5日間の入院というのは短いんじゃないの?とビックリしたら「バリでは フツーだよ」というのが彼の言い方だった。

今回フロントで宿帳を書くために会ったとき、私の方では「コイツ、ヘンな顏をしている」と思い、彼は彼で「この日本人とはどこかで会ったことがある」と思っていたことになる。

その“ヘンな顏”になるために私も関係していたのか。

このホテルへはプラマ社のシャトルバスでウブドに着いたとき、バス停で待ち伏せていた客引き(青年の父親だった)に連れてこられたもの。そして案内されたホテルにいたのが、前年の大晦日にお寺で言葉を交わし写真を撮った青年だったことになる。

2010年12月31日撮影


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前回のバリ旅行の写真を整理していたときから気がついていたのだが、

これは左腕が消えている写真だ。

青年の表情は素晴らしいのだが、このブレは私の撮影技術の未熟さを証明するようで、ブログには採用せずボツにしてあった写真だ。この撮影後彼は左顔面損傷のオートバイ事故を起こしたとすれば、左腕が消えているこの写真はその後の事故の予兆だったのか、それとも単純に私の撮影技術の未熟さからなのか。

このときの青年のホテルに今回偶然泊まることになるとは、不思議なこともあるものだ。

私は、

「私たちの身に起きることは、

すべてナニモノかの描いた図面のとおり」

 

という考え方を信じたい者である。

だとすれば
今回のバリ再訪も
ナニモノかの描いた図面のとおりなのだろうか。
場所がウブドだけに
宇宙の仕組みの不思議さを
より強く意識することになった。
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わからないわからない。
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2011年8月19日 (金)

クタ・バリのイニシエーション

バリでは、

山には神様が住み、海には悪魔が住むといわれている。

悪魔が住むという海辺をこんなサーファー眺めたりしながらジャランジャランしていると、


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こんな本を読んでいる男がいたりするのだ。

バカンス中のオーストラリア青年

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さらにジャランジャランすると、ちょうどクタとスミニャックの境目あたり。


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バリの伝統白装束に身を固めた男女1000人ほどだろうか、一段高くなっているヤグラの上の僧侶の唱えるお経に合わせ、海に向って祈りを捧げている。


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進むにつれて列のアチコチから盆踊り風に手を振りながら前に出てきて列を崩す男女が現れてくる。中には奇声を発しながら走り回る男もいる。それらを見ても誰も驚かず、トランス状態に陥った男女を抱きかかえながら休憩所へ誘導する係員もいて、手慣れたものだ。


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どういう儀式なのか解らないが、儀式が佳境に入ったと思われるころ、黒い山羊が引き出されてきた。


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波打ち際には3隻のボート待機していて中には黒いアヒルもつながれている。


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そこにさっきの黒山羊も連れ込まれ、そして脚には穴あき古銭の束が括りつけられたのだ。黒山羊もここにいたって自分の置かれた立場に気がついたようで泣き叫び暴れるのだが両手両脚の古銭の重さで身動きができない。


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沖合いには1隻のボートが停泊していて、なるほど、、、、あのボートの上で黒山羊と黒アヒルを生け贄にした儀式が執り行なわれるのだな、ということは想像できる。


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救命胴衣をつけた数人の僧侶は、ライフガードの先導で3隻のボートに分乗し沖合いのボートへ向おうとするのだが、、、、。

さっきまで静かだった海が急に荒れてきた。


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それは、、、
まるで、、、
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人間どもが立ち入るのを拒んでいるようでもあり
人間どもが携えている生け贄を喜んでいるようでもあった。
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波の壁のため沖に出られないボートだったが
一瞬の壁の切れ目をみつけて波頭越え成功。
沖合いに停泊中のボートと合流。
乗り移った僧侶によって
儀式が執り行なわれたようだ。
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それにつれて
それまで荒れていた波が徐々に
鎮かに
治まっていった。
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クタ・バリ:白昼の女スナイパー(その2)

to airegin

ブログ拝読・拝見!

最初のうちは、このお姉ちゃん、CHARAをおっかなくしたような、いい面構えだなあと思っていたら・・・
こ、これ、マジっすか?!?

す、すごい体験しちゃいましたね・・・
「ジャパニーズ、何カ見タカ?」「何モ見ナイ」など、カタカナの会話は創作ですか?

もう一つ、聞きたいことは、「ハレルヤ~、ハレルヤ~」のシンプルな曲というのは、「ハレラーマ~」の、アレでしょうか?

スナイパーというか、ヒットウーマンというか。
バリ帰りに、おちゃめなサングラスかけて現れたアナタが、ビーチでこんな体験してたなんて!

呆然としている、さとまきです。

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>「ハレルヤ~、ハレルヤ~」のシンプルな曲というのは、

>「ハレラーマ~」の、アレでしょうか?

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 from airegin

さとまきさまコメント多謝!

友よ、答えはYouTubeの中にある。


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オットットット・・・・手元がクルイました。

ちなみに、この画像で「初めてのキャバレーで虚勢を張るイナカのオヤジ」風にタバコを吹かしている男たちはスリー・ファンキーズですね。

あなたの年代ではご存知ないかもしれませんが。



あなたが疑問のハレルヤ〜はこちらのほうです。

クタビーチのハレルヤ

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チャンチャン

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2011年8月17日 (水)

クタ・バリ:白昼の女スナイパー

この暑さの中エアコンもない狭い部屋で写真の現像をしたりブログの更新作業。パソコンを長時間酷使していて、気がついたときはパソコンが異様な熱を帯びていた。これはヤバイと思いUSBタイプの小型扇風機を買ってきてパソコン本体に風を送っているのだがあまり効果も感じられない。

さて、

世界有数のリゾート地に成長したバリ島だが、ここに至るまでには悲惨な歴史もあって、2005年200余名が亡くなったクタビーチでのディスコ爆発事件だ。リゾート地でバカンスを楽しんでいてもテロに巻き込まれる時代になったニュースは世界中を震撼させた。

その事件の犠牲者の慰霊塔がクタのレギャンストリートに建っている。

この慰霊塔の左側、青いフェンスに囲まれているのが事件のあったディスコの跡地で現在は駐車場になっている。


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爆破事件以降高級リゾートホテルでは車の入場時には底部をミラーで写し出したり、トランクを開けさせたりとセキュリティもかなり厳しくなってる様子だった。ハードロックカフェ・ホテルなどではお客の手荷物も開けさせるほどナーバスになっている。


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原理主義者から見れば、西側諸国の退廃がクタにあるということなのだろうか。

難しいことは考えないニッポンの浮遊層の私。朝方のスコールがまだ乾ききらない安宿街を歩けば、朝早くからマッサージ勧誘の女性たちの呼び声がウルサイ。もっとも私のようなジャランジャランだけでお金を使わない旅行者のことはとっくに見抜いていて、声をかけることもない。

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その女を初めてみかけたのはビーチをジャランジャランしていたときのことだ。

ウットリとした表情で歌に没入しているのが遠目にもわかった。

あの女何を歌ってるのか?

近づいて耳を澄ませば、どうも「♪ハレルヤ〜ハレルヤ〜、、、」のシンプルなメロディの繰り返しで没我状態の雰囲気。


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2度目に彼女を見かけたのは安宿街をジャランジャランしていたときのことだ。片手にギター、片手では白人少年の手を握っていた。

「ヤ〜、このあいだ、ビーチであなたが歌っているところを写真に撮ったよ」

「そうだったね、きょうはベビーシッターなのよ、ハハハハハ〜。あとでビーチにくるかい」


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そしてモンダイは

3度目にビーチの彼女を見かけたときのことだ。

近づいていって声をかけようとしたその瞬間・・・・。


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彼女はギターを脇に置くとギターケースの中から何かを取り出した。

銃だぜ!!!!

オイオイ・・・マジかよ、、、

そう思う間もなく慣れた手つきで弾をこめたではないか。


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そして、立ち上がり、何かに狙いを定めると、

      プシュ!!!!

一瞬白いケムリが上がったのが見えた。

銃声がしなかったところをみると消音装置がしてあったのだろう。

近くにいた誰も彼女が銃を撃ったことには気がついていない。

一部始終を見ていたのは私だけのようだ。

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彼女の視線の先をたどると、真っ赤なビーチパラソルの下、この炎天下、ダークスーツに身を包んだ明らかにボディーガードスタイルの男たち4・5人に囲まれた、水着姿の白人男性の両腕がミョーな形で空をつかんでいる。

ホントに撃ったの?

ホントに当たっちゃったの?

彼女がギターケースに銃を収めようとしたとき、私と目が合ってしまった。

ジャパニーズ、、、何か見たか?

あきらかにギターを弾いていたときの声とは違う、ドスの効いた声だ。

呆然として立ち尽くす私。

イエ、、、、オレ、ナニモ見ナイ。
アナタガ銃撃ッタ、オレ、見ナカッタ。
モシカスルト真夏ノ蜃気楼ヲ見タカモシレナイ。

膝がガクガクしている。

そうだ、ジャパニーズ
それで良イ
オマエはトモダチだ
オマエは何も見なかった
もし見たとしてもそれは真夏の蜃気楼だ
解ったな!
それではすぐにここから立ち去れ。
バックパックをまとめてクタから出るのだ。

秋になれば蜃気楼を見ることもないさ。

いつの間にか彼女の姿は消え、さっきの赤いパラソルの周りには人垣ができて、大きな騒ぎになっているのがわかる。

救急車だろうかパトカーだろうか、サイレンの音が徐々に近づいてくるのを感じる。

見てしまったぜ〜。ヤバイな〜。

うしろを振り返らず、急いでホテルに戻りそのままベットにもぐり、ガタガタ震えながらまんじりともしないで朝を迎えた。

英字新聞を隅から隅までチェックしたが
クタビーチ狙撃事件の記事を探し出すことができなかったから
昨日のアレは
ホントに真夏の蜃気楼だったかもしれない。

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2011年8月15日 (月)

クタ・バリの『乾杯』

バリの6・7月はちょうど乾期にあたり雨も少ないから旅行者にとっては嬉しい季節だ。浜辺に寝っ転がってサーファーを眺めているだけで2時間3時間はかんたんに過ぎ去っていく。クタからデンパサールのグラライ空港はすぐ近くだから、10分おきくらいに飛行機が着陸するのがわかる。

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海上に何か白いものが光ったと思ったら徐々に飛行機の形になりグングンと高度が下がっていく。着陸地の1点までまったくブレもせず一直線に向っていくその姿が、当たり前のことなんだが美しく思える。

こんな小さな島に毎日毎日これほどの観光客が運ばれるんだから、バリ島というのは正に観光というイカダの上に乗っているようなものだ。観光産業に頼らなければ生活が成り立たない人々の生活も、なんだか侘しいな〜などと思ったりする。自分が強い¥をフトコロに入れた観光客でありながら・・・だ。

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海沿いのメーンストリートにはリゾートホテルや土産物店レストランなど、地元の人間がお客として利用することなど生涯ないだろうと思えるような施設がひしめきあっている。

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この巨大なショッピングモールには日本ではすでに忘れ去られたはずのこんなマークも生きている。欧米の高級ブランド品がショーウインドウで輝き「カネを使え!カネを使え!どこの国のおカネでもOK!」と手招きするのだ。

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ウインドウショッピングを楽しんでいるうち、おカネのあるひとにもないひとにも等しく夜が訪れる。沈む夕日と向かい合って、しばらく感傷的気分を楽しんだりなどしよう。

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音楽が欲しくなったら表通りをジャランジャランすればよい。レゲェ、ジャズ、ラテン、ポップス、トラディショナル、、、、各レストラン専属のバンドが心地よい音で慰めてくれる。すべてオープンだから店先のハシゴをすればフリーでワールドミュージックを楽しむことができるのだ。

ディスカバリー・ショッピングモールの2階、海側に面したレストラン前を通りかかると、サイモンとガーファンクルの『♪ボクサー』が聞こえる。ツインだなッ?その見事なコピーぶりに聞き惚れていたら、、、、。

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「ニッポンジンですか?ツギはイッショに歌いましょう」と呼びかけた。

もちろん、私は日本人だが、店の外のただ見のカネにならない旅行者だから、私に呼びかけたのではない。どうやら客席のあの日本人カップルに呼びかけたようだ。

たぶん『♪さくらさくら』だな?

それとも『♪すべての人の心に花を』か?

アタリをつけてカメラをムービーモードにセットしたら、、、、、、。


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ながぶちさ〜ん!
クタ・バリにあなたの曲をレパートリーにしている
ツインのバンドがいますよ。

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『なごり雪』
『小さな日記』
『乾杯』
 旅先で思いがけず出会った日本の曲。
.
ジャズだロックだラテンだと
したり顏しても
ニッポンジンを強烈に意識するのは
やはりこういう歌なんだろうな〜。

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2011年8月14日 (日)

クタ・バリの『小さな日記』

「いまごろ何でバリなの?」

「これって年末年始のバリ旅行のハナシなの?」

そんなことを思われたひともいるかと思いますので説明しておきましょう。

昨年の年末年始にインドネシアを旅行したあと、6月7月再訪してきたのです。

じつは、前回の3週間の旅行ではどうも燃焼しきれなかったカタマリが胸の奥底に沈んでいて、これを昇華させるためには「もう1回行くしかない!」との強迫観念にさらされ、前回とほぼ同じルートを再訪したというのが今回の旅行のワケだ。

そして、その結果、胸の中のカタマリもスッカリ飛散してしまった。思い残すことはない。

マッ!そのあたりのことは追々書くことになるだろうから、バリ島クタビーチの画像をご覧くだされ。

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70年代ヒッピーの聖地クタは、隣り村だったレギャン、スミニャックを完璧に呑み込んで、瀟洒なリゾートホテルが乱立。しかも、かつての漁村の面影を残したままの安ホテルや安レストランも共存しているから、正にセレブからバックパッカーまでどんなクラスでも受け入れ可能という包容力だ。


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そして、バリ島全体がまだまだ着地点の予想できない開発途上にある。


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クタのビーチで半ケツ半チチサーファーを眺めて目の保養をしてから、昼飯を食おうと安宿街ジャランジャランしていると、、、

オッ!バイクグッズの店の前でひとの良さそうな顏の青年がギターを弾いているではないか。私にとっては願ってもない場面だ。


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「ハロー!フォト! フォトOK?」

「モチロンだ、日本人か?」

いつものようにこんなヤリトリののち、チャーリーと名乗った彼は「オレは1曲だけ日本の歌を知っている」といいながら、歌集をめくり始めやがった。

「ちょっと待って、カメラをムービーにセットするから。」

というワケで撮影に成功したのがこの曲だ。

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イヤー・・・・
ジョグジャの『なごり雪』にホロッ!ときて
クタ・バリの『小さな日記』にはホロッ!ホロッ!ときたゼッ。
まさか
まさか
まさか
70年代ヒッピー生き残りを自負する私が
70年代和製フォークのヒット曲を
かつてのヒッピーの聖地
クタ・バリで聞くとは思わなかったゼッ!
.
もう過去には戻れないけれど
70年代にクタに来たかったなぁ。
.
チャーリーさんありがとう!!!

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2011年8月12日 (金)

ジョグジャのなごり雪

電信柱が高いのも

郵便ポストが赤いのも

連日連夜のムシ風呂も

みんな

みんな

みんな

カンさんワルいのよ!!!

毎年のことなんだろうが、もう少しこの暑さはどうにかならないものかとカンさんに八つ当たりしている。

この間まで遊んでいた南の島のことなど書き始めていたら、久しぶりの更新作業にウッカリしたか、この暑さでアタマがパーになったか、原稿を削除してしまった。すっかり、ヤルキを失い放置していたのだが、こんな弱小泡沫ブログでも、もしかすると更新されるのを心待ちしているモノズキが何人かはいるかと思い直して、汗だくになりながらキーボードを打ち始めた。

なにもオカミの節電キャンペーンに協力しようなどという殊勝な心持ちでもなく、ムカシっからエアコンの設備がなかっただけのハナシ。

というワケで、

少しでも涼しくなりそうなネタを、、、、と、復帰第一作はこんなのをデッチあげましょう。

インドネシア・ジョグジャカルタのマリオボロストリートのハナシだ。

インドネシア人はこんなにも音楽好きなのかと思えるほど、通りのアッチコッチにギター小僧がウロウロしているのがマリオボロストリートなのだ。

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インドネシア版ビリーバンバン

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70年代フォークの生き残りのようなおネーサン。

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このおネーサンのギター、チューニングがメチャクチャ。

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やはり70年代フォークのイメージ。
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じつはこれらのギター青年は日本でいうところの“流し”の歌手なのです。

マリオボロストリートの端から端へと流しながら、コレはと思う商店の前で歌い始めると、店の奥からナニガシかのお金をつかんだ主人が現れて、お小遣いをくれるという仕組み。店側も通行人も別に嫌がる顏も見せずに応対しているところをみると、ジョグジャでは若者たちへの応援というようなことで認知されているシステムなのかもしれない。

彼らは夜になると路上の屋台街に出現して観光客の思い出作りに協力してくれるワケだ。

焼き飯チキン乗せコカコーラ付き250円。

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排気ガスと焼き鳥それに炒め物アブラの匂いが入り交じった道路端で、私がこんな夕飯を食べていたときのことだ。上の黄色Tシャツ青年が現れて耳元で歌ってくれた歌が素晴らしかった。感動してしまい、ついつい大枚100円ほどをチップにあげてしまった。

次の日の晩。

別の屋台で夕飯を食っていると、昨夜の黄色Tシャツ感動ミュージシャンがまた現れやがったぜ。こんどはバイオリンとベースを連れてのご登場。

そして、

  「日本のジジーにはこの歌が効く」

とばかりに昨夜と同じ歌を歌い始めた。

さだまさし風バイオリンの間奏にホロッときて、日本を出てからまだ10日ほどしかたっていないのに里心が起きてしまった。

ジョグジャ・マリオボロストリートの『なごり雪』


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まさか
ジョグジャの道ばたで
二晩続けてこの歌を聞くとは思わなかったゼッ!
.
もちろんチップははずんできた。

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2011年8月 1日 (月)

帰ってまいりました

遊び廻った挙げ句無事に帰ってまいりました。

「アイツはもう帰って来ないんじゃないか?」

そんなことを思っている人もいるんじゃないかと思い、

帰朝報告!も兼ねて久しぶりの更新です。

やはり、

旅先で出会った『街のオーム』から始めましょう。

猿連れのオーム。

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クタ・バリ
ハードロック・カフェ前のオームです。

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笑った者の勝ちです。

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