手ぶれ堂写真館(その6)
手ぶれ堂写真館(その6:アフガニスタン)
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アフガニスタン/バーミヤン遺跡。
「このときの写真を見たい」と頼まれて、ネガごと貸してやったら、そいつとはその後連絡がつかなくなってしまった。1974年当時の平和な時代のアフガニスタンの写真だったから、今から見れば歴史的に価値があっただろうと思うだけに残念だ。
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30年以上前のハナシだから
時効だな。
手ぶれ堂写真館(その6:アフガニスタン)
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「このときの写真を見たい」と頼まれて、ネガごと貸してやったら、そいつとはその後連絡がつかなくなってしまった。1974年当時の平和な時代のアフガニスタンの写真だったから、今から見れば歴史的に価値があっただろうと思うだけに残念だ。
手ぶれ堂写真館(その2:新宿)
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新宿駅東口のディスクユニオンJAZZ館からの帰りだった。
通りは“歩行者天国”になっていて屋台の飲み屋などが営業していて、人々が美味しそうにビールなんぞ飲んでいるのを眺めていた。ふと脇を見るとドレッドへアの女性が立っている。エスニックな上下をパーフェクトにキメた美女に見とれていたワケだ。
そして、
彼女の二の腕にガネーシャのタトゥーがあり、その掌にはオームのマーク。
心臓のバクバクを隠して声をかけ『街のオーム』として写真を撮らせてもらい、しばらく話していたのだが、私たちのハナシを聞いていたらしい、夏の季節にはそぐわない黒い帽子を被ったオヤジが近づいてきた。
「ボクのタトゥーも見てくれる?」
と、帽子を脱いで見せてくれたのが上の写真。
私と美女は同時にノケゾッたワケだ。
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東京電力の計画停電とやらで電車の運行もダイヤ通りにはいかないらしいが、こちとらは急ぐ身でもなし、動かないなら動かないでそれも良し。買いたい本があったので新宿紀伊国屋まで行くことにした。
新宿駅西口のリムジンバス乗り場周辺は大きなスーツケース引っぱる外国人旅行者で大混雑だ。たぶん今回の地震で旅程を変更した人たちが成田へと向うのだろう。
「面白かった!楽しかった!」ということよりも、突発的な事故に遭遇して慌てふためいたことの方が印象深いものだ。故国に帰ったら地震の恐怖を語ってくれ。
ヨドバシカメラに寄ったのだが、やはり店内にお客少なく店員も沈滞ムード。マッ!しかたないさ。ジッと耐えるしかありません。
2階のMac売り場で買ったのがこのムック本。

私は以前はWim'95を使っていたこともあったのだが、この10年くらい前からMac一辺倒。そんなMacユーザーの私がなんでOffice2011かというと、、、。最近ワード・エクセルを使う必要に迫られて、Office2011のMac版をインストールしたのだ。したがって改めてワード・エクセルを勉強するための教材として買ってきた。マッ!アタマをボケさせないために、こういうことも必要だとも思っているのだ。
ヨドバシカメラから紀伊国屋本店へ。
1階2階地階の3フロアーだけ、しかも時間限定の営業らしい。その紀伊国屋で買ったのがこの本。東京新聞書評欄(3月13日)で「一身にして二生」という福沢諭吉の言葉を引いて紹介されていた本だ。

「一身にして二生を経る」は江戸時代と明治時代という2つの時代を生きたという意味だと理解しているが、ここでの「一身にして二生」とは、あのグループサウンズの狂乱の渦を経て、勉学研究という静謐の場に身を置いた著者の、正に二つの人生の軌跡という意味でも言い得て妙な紹介だと思う。
そういえば、フォーク・クルセダーズの北山修さんもこの部類に入ることを思いついた。
紀伊国屋書店ではもう一冊。

名ピアニストでありながら名文筆家でもあるこの人の名前に接すると、ヒレ伏してしまう私なのだ。
5年くらい前の『セシル・ティラー/山下洋輔デュオ』を不覚にも聴き逃してしまった。それ以来このコンサートの音源が発売されるのを待っているのだが、いまだに見つけられないでいる。このときの音源はCDなりビデオなりで発売されたものなのか?それとも“諸般の事情”により未発売のままなのか?事情通のインフォメーションが欲しいところだ。
紀伊国屋書店のあとはディスクユニオンジャズ館へ。
故・いソノてルヲさんのメンバー紹介で始まる1964年の『マイルス・イン・トーキョー』は私の愛聴盤でした。

今回ゲットしたこの2枚組CDは、そのときの日本公演の日比谷野外音楽堂、京都円山音楽堂の2公演を収録したもの。公式盤の方は新宿厚生年金会館での録音だったはずだから、この野外公演の方は録音状態が悪くオクラ入りになっていたものだろう。それが、どういう経過なのか海賊盤として世に出てしまった。
ジャズメンが最高に格好良く、その熱気で私の血をたぎらせてくれた時代のこういう海賊盤なら少々音が悪かろうが大歓迎だ。
そういうワケで、、、、、。
こんな戦利品を担いで電車で帰路についたのだが、計画停電で電車は途中止まり。それも想定内だから、ウォーキング気分で数駅分を歩いて帰ってきた。
電車の運行ダイヤもアテにできず
ガソリンスタンドは長蛇の列車
コンビニエンスストアはこれまでの7割程度の明るさで棚はガラ空き
スーパーでは開店を待つ人たちが店をグルリと囲む。
そういえば、ヨドバシカメラのパソコンのスイッチも入っていなかった。
2011年3月11日(月) 東北・関東大地震の日。
その日私は浜松町竹芝桟橋のビル14階にいた。
14時45分ころだったか、大きな揺れを感じてテーブルに手をついた。
最初の揺れより、2回目3回目の揺れのほうがより一層恐怖心が増すことに気がついた。外を見ると、お台場フジテレビの向こう側から黒煙が立ち上っているのが見える。
「全員ビルから退去!中央公園集合!」の館内放送があり、荷物をまとめすぐに帰宅できる態勢にして階段を使って外に出る。階段を下りながらもときどき軽い余震を感じる。
全員の安全確認ののち、きょうは仕事にならないということになってそのまま解散。交通機関はすべて不通の情報に、電車が動くまでとりあえず、、、、と仲間内で寿司屋に上がり込んでの飲み会。家族と連絡が取れない人もいるから、はじめのうちは恐る恐るの飲み会だったのだが、そのうちケータイやメールがつながると安心したかホンキになって飲み始めた。
そのときは全員が地震被害の規模を把握していなかったから、大胆になって、けっきょく18時まで寿司屋にいて、電車が動くまでもう一軒寄って行こうとなったのだが、私は帰ることを選ぶ。
とりあえず渋谷まで歩こう!その間に交通機関も復旧するだろうとの期待を抱いて。
浜松町駅周辺の飲み屋は、帰ることを諦めたサラリーマン連で大いに賑わっている。

芝大門から麻布十番を通過。左にテレビ朝日、六本木ヒルズの瀟洒なビルを見て六本木通りへ。歩道上下線とも歩行者のラッシュ、もちろん車道だって車が数珠つなぎだ。
六本木通りをあるいていると、、、、、。
「アッ!オームだ」
道路脇ではインド系の顔立ちの数人がズン胴に作った豚汁を通行人にサービス。
「まだ中で作っていますから、食べて行って下さい」
インド人と豚汁というのもミョーな組み合わせだと思い確認すると、「インド人ではありません、スリランカです」の答え。
商店の前であめ玉を入れたかごをさしだして通行人に勧める女性もいて、こういった無私のセバが心に沁みる。
青山学院裏の青山トンネルをくぐり抜ければ。
旧東邦生命ビルから渋谷駅方面を眺めれば、駅前の歩道橋は鈴なりの人々だ。こういう状況の中で発生する歩道橋倒壊事故が怖くなる。
渋谷駅周辺はとにかくひとヒト人。東急東横デパートの通路両脇にはズラ〜ッと座り込んでいる人々がいるが、どうやら、帰るに帰れず途方に暮れてヘタリこんでるようだ。
渋谷駅ハチ公前に到着したのが20時10分だから、浜松町から渋谷まで1時間40分歩いたことになる。
地震騒動とはかけ離れてノドカな雰囲気が漂っている。これもハチ公前という磁場がなせるワザか。
ハチ公前からバスターミナルに廻ってみれば、バスを待つ人々で埋め尽くされている。私もバスで帰ろうかと列の最後部を探したのだが、これだけの人数では乗り込むまでに何時間かかるか予想できない。それだったら、さらに自宅まで歩こうと靴のヒモを締め直して道玄坂を歩き始める。道の両側のラーメン屋などの店はどこも満員だし、コンビニの棚も空きスペースの多いのがわかる。
靴の安売り店では、歩き易いスニーカーに履き替える人で賑わっているし、自転車屋では自転車を買う人も見かけた。明らかに身体の不自由な人が憮然とした顏で人混みに揉まれているのも見たが、みんな、自分の身を守るだけで精一杯、せめて身体が接触しないように追い抜いていくことしかできない。
私は自分の周辺のことにしか目が向けれないから、都会の人間にとっては、こういう経験もたまにはアリかなッと、余裕を持っていたのだが、途中、商店のウインドウ越しに見たテレビ画面で、「この日本のどこかでとんでもない災害が発生している」ということに初めて気がついた。
帰宅者の休息施設を案内する幟を持った人も見かけたから、行政も動き始めたようだ。
バスに乗れたとしても、道路は車両で溢れ身動きできないほどの大渋滞だから、バスを待たずに歩いたのが正解だったようだ。お客をギューギュー詰めたまま立ち往生しているバスを何台も追い抜きながら歩き続け、自宅に到着したのは20時30分だった。
新宿から有楽町方面に向って山手線に乗っていたときのことだ。
ボーッと外を眺めていて、渋谷駅を過ぎたときに
「アレ?ガネーシャだった?」
何かガネーシャの文字を一瞬見かけたような気がした。
気になったので恵比寿で途中下車して渋谷に戻り、
山手線沿いに歩いて行くと「オー!やはりガネーシャだったか」

オームハンターとしては、このネパールレストラン『ガネーシャ』はそのうちチェックに訪れなきゃならんだろう。
渋谷から恵比寿に山手線で向っていたときのことだ。
ホンの一瞬オームを見たような気がした。
気になり始めるとどうしても確認しないと気が済まないという性格なもんで、恵比寿駅で下りて線路際を渋谷方面にもどると・・・・。
な〜んだ、、、、コレだったのか。
ビルとビルの僅かなすき間からこのマークを見てしまったのだ。

2011年3月8日(火)恵比寿の東京都写真美術館へ。
開館以来入場者が500万人を達成したということで、その記念として本日は無料開放の日だ。日本に写真機が伝来した明治初期の写真が珍しい。この当時の日本人の顏、風俗はまるでチベット人だった。
写真美術館を出て、恵比寿の街をブラブラ歩いていると、、、、。
「アッ!ガネーシャだ!」
バリのアッチコッチで見かけたガネーシャの石像が鎮座ましましている。
どうやら「バリ式エステティック・サロン」というようなお店の飾りらしい。
渋谷のネパールレストラン『ガネーシャ』にはそのうち行くことになるだろうが、ガネーシャの石像を飾りに使っているエステテック・サロンには、、、、入ることはないだろうな。
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スポーツの世界では
世界標準選手が育ちつつあるのに・・・・。
政治の世界では・・・・。
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昨年の春ころ、プロレスラー川田利明がオープンさせた世田谷通りのラーメン屋のことを書いたのだが、プロレスファン、ラーメンファンにはケッコー話題になった開店らしく、このブログにも『川田利明』とか『麺ジャラスK』をキーワードにしてのアクセスが一時期増えたことがありました。
その『麺ジャラスK』が現在閉店の模様だ。
2回ラーメンを食べに行っただけだが、芸能人スポーツの名前を冠した店にありがちなたんなる名義貸しと違って、川田利明さんが一人厨房で調理に励んでいるところを見て好感を持っていたのだ。
最初に『麺ジャラスK』に行ったとき、「川田さんはプロレスを引退したのか?」とレジ係の女性に訊いたら「引退してませんよ」とのハナシだったから、プロレスとラーメン屋の掛け持ちということだと理解していた。
プロレスもラーメン屋も、どちらも二足のワラジが通用する世界だとは思えなかったのだが、閉店だとしたら残念だ。「ラーメン屋はいちどやってみたかった仕事」という程度の開店閉店だったとしたら、マッ!それもイッカ!
看板と駐車場の案内はそのままだから、もしかすると一時閉店で“再開店の予定あり”ということなのかどうかはわからないが、このブログを見て「川田利明の『『麺ジャラスK』に行ってみたい」と思うひとがいるかもしれないから、『麺ジャラスK』の現状を一応フォローしておこう。
無人の『麺ジャラスK』店内を覗き見てから近くの野川沿いを散歩すれば、早咲きの河津桜が満開中。
自動シャッターにして記念写真に納まる幸せ家族だ。
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朝夕はまだまだ寒さを感じて厚手のコートが手放せないが、昼間はポカポカで、春はすぐそこだなぁと感じる季節だ。
そんなポカポカ陽気に誘われて代々木公園のフリーマーケットを覗いてみた。
『街のオームハンター』としてはどうしてもオームマークを探してしまうのだが、そんな私の要望に応えるかのように、、、、。

フリマの中で人目を引いたのがこの巨大なワン公。
立ち上がると大人の背丈以上になり、その上顏はゴツイから、みんな遠巻きにビックリ顏で見ていたけれど、穏やかな性格の犬だと解ると、アタマをなでたり首に抱きついて記念写真を撮ったりの可愛がりよう。人間どものそんなふるまいにも泰然自若の大物ぶりだ。
私「やはり、お部屋の中で飼ってらっしゃるんですか?」
パパ「そうですね」
私「ということは、かなり大きなオウチなんでしょうね」
パパ「え〜・・・それなりに・・・」
私「やはりね〜。オレのところなんか、
こんな大きなワンちゃん入れたら尻尾が部屋から出ちゃいますよ」
パパ「・・・・・・・・・」
思いがけないところで、浮遊層オヤジの暮らしぶりバラしてしまった。
青空が広がっているけれど、ちょっと肌寒さを感じるから出店数もそれほど多くない、代々木公園フリマを後にして渋谷駅に戻ってくると・・・・・。
246側の渋谷駅公衆便所前にセッテングしていたバンドに撤去命令を出す2人のオマワリ。
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