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2011年1月31日 (月)

ウブドの夜は更けて

ウブドを覆うこのユッタリ感はどこからきているのだろうと思う。

メーン道路の狭い道路を人、バイク、車が途切れなく行き交っていて、さらに駐車中の車が渋滞を招いているが、一度として怒鳴りあう声を聞くことがことがなかった。お互いの譲り合いとも違うようだ。逆らわずに今の流れに流されて行こうという精神が身体に染み付いているような感じなのだ。

これも宗教のせいなのだろう。

とにかくウブドの村を歩いていると宗教儀式がいかに人々の生活と一体になっているのかがよくわかる。

夕暮れどき、モンキーフォレストの鬱蒼とした森の前を歩いているときのことだ。バリの民族衣装に身を包んだ青年男女がバイクで続々とやってきた。野次馬としては彼らの後を追いたくなったのだが入り口には「立ち入り禁止」の看板が立っている。それでも構わず中に入って行くと、、、お寺の境内が集合場所のようだ。青年に訊くとこのお寺でお祈りをするために集まっているのだという。

モンキーフォレスト隣りのお寺。

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そのうち長老らしき人も集まってきたので、いちおう「写真撮っていい?」とアイサツすると、「お好きなように」という感じで、異邦人の闖入者をとくに気に留める様子も無い。

長老の仕切りで始まった祈りの儀式。

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30分ほどで儀式が終わると「次のお寺に行くんだ」と青年たちはバイクに跨がって立ち去って行った。

なるほど、こんなふうに地域社会の宗教儀式を経験しながら少年は青年になり、そして周囲から一人前として認められていくんだな。かつての日本だって大人になるためのこんな通過儀礼はあったはずなんだが、今や「金儲け」目的の商売人主導のセレモニーだけが先走ってしまい、地域社会の一員になるための大人になる行事は薄れてしまったみたい。

モンキーフォレストの隣りのお寺でこんなことを思ったりしたのだ。

お供え物の花は土に還る。

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階段を花で飾り神様を迎える準備。

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日本だったら、柵で囲って「触らないで下さい」の立て札が立っていそうな苔むした仏像がごくフツーに生活の場にある。

入り口左側の仏像。

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日本だったらさしづめ狛犬というところか。

右側の仏像。

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神様の像を運んでいるところ。

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バリ島東部の町ゴア・ラワにオダラン(寺院祭礼)を経験してきた。

見学は自由だがバリ島の正装でなければならないというので、衣装は旅行社の手配で準備してもらう。

にわかバリ人誕生。

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ガムラン鳴り響く中の伝統的な儀式。

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訪れる人々ひきもきらないから交代制だ。

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最後には聖水を受けて散会。次のグループと交代という段取りだ。

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バリの伝統芸能といえばやはりケチャが代表的なもの。

寺の名前は忘れたが王宮通り近くのお寺でのケチャ。

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全員の調和には感動してしまう。

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ラーマーヤナの世界を再現。

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ケチャの最後は「火踏み男」が現れて、熾き火を踏んだり蹴飛ばしたりと活躍して観客の喝采を浴びるのだが、これはトランス状態に陥っているとの設定。だから最後には聖水を浴びることで、アッチの世界からコッチの世界へと戻ってきて正気になる演出だった。

昼の美術館巡りに加え、この様に夜ごとケチャやレゴンダンスや影絵などが村のアッチコッチで披露されているのも観光客には魅力なのだ。

「火踏み男」の蹴散らした火花の残像消えないままにモンキーフォレスト通りをブラブラしていると、道の縁石に腰掛けてタバコを喫っている若い男と目が合った。タクシードライバーかな?と思ったのだがそうではない雰囲気だ。彼の隣りに座ると、彼がタバコを出して勧めてくれ自然と話すことになったのだ。

彼はバンドのドラマーで今は休憩時間なのだという。デンパサールから来たバンドで新年の観光シーズンに何ヶ所かツアーしているらしい。「フェイバリット ドラマーは誰あるか?」などとお互い拙い英語で話しているうちに、演奏開始の時間になったらしく「聴いていくかい?」と言いながら彼は店の中に入って行った。

タバコ仲間の青年。

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これはこれは・・・・バリ人が演奏するモロにアメリカ南部のブルースだぜ。

途中にブルースハープの白人奏者が飛び入り出演したりのセッションにお客は大喜びだ。

そのうち、、、、、ナッ!ナンと!どこかから黒犬がフラフラッと現れたかと思うと首うなだれてブルースに聴き入ってるではないか。ウエイターもお客もそんな犬のことを気に留める気配もない。

こんなことってアリッ?

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この黒犬の前世は
アメリカ南部の黒人だなッ!

何の因果かここウブドに黒犬として転生し今生を生きているのだが、聴き覚えある旋律にたぐり寄せられて来てみたら、懐かしい故郷のブルースだ。今は黒犬のオレだが、かつてはミシシッピデルタでチョッとは知られたオトコだったぜ。

そんな、かつての人間時代の栄光がまざまざと蘇り、現在の不運を嘆いて首うなだれているのだ。

私のハードディスクは一瞬にしてこんなことを読み取ったゼッ!!!

黒犬さん!

来世は再び人間に転生するから

心配ないよ!

面白いなぁ、神の島バリ島のウブドはこんなふうに犬さえもココロ癒される場所なんだ。

もっと聴いていたいが、明日は4時起きしてデンパサールに行き、今回の旅の最後の土地ジョグジャカルタに飛ばなければならない。ドラマーに軽く手をあげて別れのアイサツをすると、彼は右手のスティックをクルッと回してバスタムをストーンとイッパツ決めやがった。

そんなふうにしてウブド最後の夜は過ぎていったのだ。

昨年秋、東京のガルーダでチケットを買ったときのこと。

受付嬢に「マイレージカードを作りましょうか?」と訊かれ、「またインドネシアに行くこともないだろう」といったんは断ったものの、「お客さんは、、、またバリに行くと思います」とニコヤカに言われ、「そうだな、別にお金がかかるワケでもないんだから、作るだけ作っておくか」とマイレージカードを作ったのだが、、、、、。

ガルーダの受付嬢から言われたように
どうやら
またバリに
ウブドに
戻ってきそうな気分になってきたぜ。

と、いうワケで、、、、。

本日のウブドビューティ。

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2011年1月30日 (日)

ウブドをジャランジャラン

『ジャラン』は通りの名前、『ジャランジャラン』と2つ並ぶことで「散歩」の意味になる。

ウブドにいる間は、モンキー・フォレスト通りの入り口にホテルをとり、毎日毎日モンキー・フォレスト通りとハヌマーン通りあたりをジャランジャランしていた。通りを歩いていると必ず男たちが「タクシー?」と声を掛けてくるから、「ジャランジャラン」と両足を指差せば、彼らはそれ以上食い下がらず、ニッコリ笑って引き下がる。そのアッサリしたところいが嬉しい。

ウブドのタクシーは村内を流しているワケでもなく、ホテル前だとかストリートに車を停めて通りかかる観光客に声を掛けている。それぞれが名刺を持っていてセールスをかけるのだが、その名刺をみると「○○ホテル前」とケータイ番号が書いてあるから、たぶん縄張りがカッチリと決まっているのだろう。

こうして毎日毎日「ジャランジャラン」と応えていたら、その内彼らの方から「ジャランジャランか?」と言ってくるようになったから、この日本人は金にならないとようやく解ったらしい。

ハヌマーン通りがテリトリーのドライバー。
良い男だった。

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モンキー・フォレストなどの主要な通りの両脇は観光客向けのホテル、レストラン、土産物屋が軒を連ねているが、ちょっと脇にそれるとこんな風景が広がっていて、観光客の騒ぎには無縁な人々のフツーの生活がある。。

他人様が、泥まみれになりながら農作業に精を出しているのをツマミにして、お茶を飲むというのも悪趣味に思えるのだが、旅情を誘う風景には違いありません。

Bodag Maliahからの風景。


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安いホテルを探してジャランジャランのカップル。

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王宮通りにはスターバックスもあるのだ。

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上流では沐浴や洗濯に励み
下流ではトイレ中。

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スバリ村の棚田。

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バリではお馴染みのアヒル。

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ニワトリだっています。

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棚田で農作業に精出す人。

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あぜ道の草を刈る人。

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これは神様を祀ってあるのだろうか。

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ウブドには不似合いなハーレー。
洗車中の青年に「これはキミのバイクか?」と訊いたら
「ボスのだ」という答えだった。

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トレッキングしていたらこんなカップルに遭遇。
「邪魔してゴメン!」

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ニワトリを抱く男。

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ウブドを歩いていると
ニワトリ、アヒル、犬、ネコ、村人、棚田
ときにはスコールさえも

「オマエら!役場観光課の回し者か?!」

と言いたくなるような
絶妙のタイミングで現れ
ジャランジャランの気分を盛り上げてくれる。

というワケで
本日のウブドビューティは
コレだ。


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モンキー・フォレストでのショット。

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2011年1月29日 (土)

ウブドのオーム

バイク横転事故には後日談がある。

額の擦り傷は毎日消毒していたのだが、首と両肩の痛みは少し残っている。たぶん軽いむち打ち症ではないかと思う。でも旅行に支障があるワケでもなく、ロンボク・クタでさらに数日遊び、州都マタラムの空港からバリ島のデンパサール行きのガルーダへ乗り込んだワケだ。

その機内で5人の日本人グループと隣り合わせになった。彼らは年末をグルプックでサーファー三昧で過ごし、マタラムからデンパサールで乗り換えて成田へ帰るのだという。

ハナシのキッカケは忘れたが、彼らがグルプックにいるあいだホテルに同宿の女性サーファーが他人のサーフボードで目尻をケガし、その女性をホテルの日本人オーナーがクタの診療所まで連れて行ったというハナシになった。そして、その診療所にバイク事故にあった日本人の男が担ぎ込まれてきたというハナシにつながっていったのだ。

「そのバイク事故の日本人というのはオレだよ!」

「エッ!?、、、ダ!大丈夫なんですか?」

どうやら私のバイク事故がかなりデカイハナシに膨らんで伝わっていたようだ。それほどクタからアルゴレンへの山越えは危険だということが知れ渡っていたことになる。

「オレは不死身のオトコだからドッチューことないさ!」

そんなことを言いながら事故の顛末で笑いをとったり、双方記念写真を撮っているあいだに、30分のフライトだからすぐにベルト着用になり、飛行機はデンパサールへ到着した。

彼らは国際線出発ロビーへ、

私はウブドの宿を探すべくホテル案内所へと別れたのだ。

やつら、iPhoneで撮ったオレの機内写真を見せながら「これがクタでバイク事故のオヤジだよ」などと面白がるんだろうな。まぁ、何とでも言ってくれ、笑ってくれ、オレはラッキーマンだ、ピンピンしているぜ。

デンパサール空港のホテル案内所へ。やはり年末だからウブドのホテルは混み合っているらしく、2軒目の案内所でホテルを予約。。空港からタクシーでデンパサールの町を抜けて1時間30分くらい、だんだん緑が濃くなるのを感じながらモンキーフォレスト通りの入り口にあるホテルに到着した。空港からのタクシーは目的地に応じたチケット制だからボラれることもなく、深夜でも安心して利用できるのが嬉しい。

ロンボク島はモスレムだから『街のオーム』はクタのホテルロビー脇で発見した日本人サーファーのステッカーだけだったが、ウブドに着いてみたらさすがバリ・ヒンズーだ。オームだガネーシャだクリシュナ・シバだと『オーム』ネタには困らないほどのテンコ盛りだった。

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本日はロンボク島からバリ島ウブド到着記念に何枚かのオーム写真を公開いたしましょう。

深夜のモンキー・フォレスト通りは人通りもない。

タクシーを下りた場所で、ふと脇の商店を見たらオームマーク入りのTシャツがぶら下がっていたりする。こういう土産物屋Tシャツオームもそれほど魅力を感じないから、チョッとストーリーをでっち上げられそうなオームを集めてみようか。

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通りを歩いていてこんな苔むしたガネーシャを見て
「お寺かな?」と中に入ってみるとだいたいゲストハウスだった。
日本だったら重要文化財指定になりそうな石像も
普通の生活の場所になっている。

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モンキー・フォレスト通り入り口のギャラリー。
左からガネーシャ、マハバーラタの有名なシーン。
そして右端が青頸にオームのシバ。

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ハヌマーン通りで見かけたオームTシャツ男。

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停車中の車のオーム。

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カジャン通り入り口。
雨上がりのオーム。

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ビシュマ通りのオーム。

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同じくビシュマ通りのオーム。

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ハヌマーン通りで見かけたコブシのオーム。

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モンキー・フォレスト通りのレストランで
外を眺めながら昼飯を食べていたとき
前を通り過ぎて行ったオーム。
マレーシアからの旅行者だという。

ウブドの表通りから奥地の田園地帯をジャラン・ジャラン(散歩)していたときのことだ。

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前方にミョーな建物が見える。

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外から覗いている私を青年が気がつき手招きしてくれたので中に入っていったのだが、柱から床まで全部が竹でできているレストランのようだ。

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「こういうの好きだよ!誰が作ったの?」

「ボクだよ」

「エッ?あなたが作ったの」

「そうだよ、設計も電気工事も全部ボクが作ったんだ」

「スゴイな〜!こういう太い竹はどこから?」

「全部バリにあるさ。上のフロアも見るかい。」

彼の後に尾いてやはり竹の階段を上ると、2階は田園地帯を見下ろせるテーブル席になっていて、さらに3階へ上がると、そこが彼の部屋だという。ベッドはもちろん竹製、ちゃんとバスルームまである。

3階の彼の部屋で記念撮影。
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    「この建物の費用はどのくらい?」

彼はミリオン単位のルピーの数字を言ったが、私にはピンとこない。ドルに直してもらい円に換算したら40万円ていどの数字になった。40万でこんな家ができるんだったら、私も作ってもらいたいものだ。

「ところで、、、さっきから鳴ってるのはヒンディー・バジャンだよね」

「そうだよ、ボクはインド人だよ」

だんだんアヤシー世界の匂いがしてきたぜ・・・・。

「サティア・サイババ・・・知ってる?オレはサイババの信者なんだ」

私はサイババの信者と言い切るにはおこがましい、ただのサイババファンなんだが、そのあたりのニュアンスを説明できるほどの語学力はないから「サイババ信者」で通しているのだ。

「サイババだったら知ってるよ。ボクの母親もサイババ信者でプッタパルティへも行ったことがあるんだ。このテープはそのときのお土産だったと思うよ」

「へ〜、オレがサイババに会ったのは2000年のバンガロールで、サイババにちゃんとパダナマスカールもしたんだ」

緑の田園地帯を見ながら、彼のいれてくれたチャイを飲みながらこんなふうにハナシは発展していったのだ。シナモンの効いたチャイは、これまでに飲んだどこのチャイよりも美味しかった。

帰り際「ここにオームはないのか?オレはオームコレクターなんだ!」と訊くと、彼は机の引き出しの中からこんなオームを出してプレゼントしてくれたのだ。

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『引き寄せ』たのか
『引き寄せられた』のか
バリ島ウブドの村はずれで
サティア・サイババの名前まで出てきやがったぜ。
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こういうときは
意味を真面目に考えるなんてことは止めて
見た、感じた、そのまんまに面白がることが第一だ。

というワケで、、、、、、。

本日のウブド・ビューティは
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ハヌマーン通りでスレ違ったお嬢さん。

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2011年1月28日 (金)

ロンボク・クタ(その3)〜神の手か

ロンボク・クタはサーファーしか訪れない小さな村だから、メーン・ストリートといってもこんな細い道だ。この道路の左が海側で、小さな土産物屋とレストランのバラックが並び、右の山側にはバラックよりは少しマシなホテルが数軒建っている。この海沿いのメーンストリートからさらに奥に入った集落にも、外国人サーファー相手のホテルが広がリつつあるようだ。

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この小さな道を、サーファーはバイクの脇に取り付けられたスタンドにボードを乗せてセガールへグルプックへと走る。私も一丁前にバイクでアッチコッチと走ったワケだ。

そして、こんな絵になる親子を見てはカメラのシャッターを押し、

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こんなペアルックのカップルを見つけては「フォト!OK?」などと言いながらカメラを向けたりして遊んでいたのだ。

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こういうガキどもは、向こうの方から「撮ってくれ!」とお声がかかる。

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外の安い飯屋で夕飯を食べ、仕上げにホテルのレストランでロンボクコーヒーを飲んで部屋に戻ろうとしたときのことだ。

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アッ!オームだ!

こんなところでオームが出てきやがった。

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フロントのカウンター脇の壁に旅行者のステッカーが貼ってある。

よく見ると、、、、、。

Satya Surf Boards
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Chigasaki Shonan Japan

と読める。

やはり、回教の島だからオームは無いなぁと思っていたらこんなワンハンドレッド サウザンドのホテルに出てきやがったゼッ。

しかもSatya Surf Boardsとはどういうことだ?

サイラム
サイラムサイラム

夕方、薄暗くなりかけたクタの村を歩いていると、前方から白人がニコニコ笑いながら寄ってきた。「大丈夫か?」と訊いてるようだ。

こっちもニコニコしながらヤァヤァヤァと応じたのだが、アタマの中は「コイツは誰だったかなぁ???」とハードディスクをフル回転させている。そしてハッと思い出した。

アナタ!

助けた!

今朝!

モーターバイク!

あとは言葉が続かない。彼の手をとって両手でキツく握るだけだった。彼のその右手の感触を私はハッキリ覚えていた。その手こそ、暗闇の中から私を引き上げてくれた、、、正に神の手かと思った大きな手だったのだ。

「大丈夫だったか?」再び彼は言う。

大丈夫だ!病院行った!大丈夫だ!」私はそう言うと再び彼の手を固く握った。

セガール、グルプックとクタのサーフポイントを廻るうち、クタの西にもう1ヶ所アイルゴレンというポイントがあることを知った。知ってしまったからには物見高い私だから、「行ってみよう」と、その朝野次馬気分でバイクに乗り向っていた。このルートはハナシに聞いていたけれど、山越えのしかも悪路だ。陥没した舗装道路を、補修もしないから絵に描いたようなデコボコ道だ。そんな危険な道を私は得意になって走っていた。

そしてハンドルを取られて横転してしまったのだ。

まったくの自損事故だった。

バイクを抱えたように谷側に3メートルほど滑り落ち、側溝にバイクごとスポッとハマるような形で止まったのだ。自分がどんな形になっているのか解らないが、バイクを身体の上に乗せまま、とにかく真っ暗だった。その真っ暗な中で手足の指を動かして痛みの様子を探る余裕はあった。海外旅行保険に入っていることを思い出す冷静さもあったが、どうも骨折などの重篤な事故には至ってないようだ。

そうと解ったらあとは『ヘルプミー!』と叫ぶだけだった。

そのうちバイクが止まる音がして足音が近づき何か英語が聞こえるが意味は聞き取れない。さらにバイクが止まる音と何人かが走ってくる気配がする。そして、側溝からバイクが引き上げられ、続いて大きな手が私の右手を掴んで引き上げてくれたのだ。

これは神の手か?

神の手によって引き上げられた私は茫然と地べたにヘタリこんだのだ。

彼も骨折などの心配をしたようだが、私が立ち上がって手足を動かすのを見て大丈夫だと判断したのだろう。私も大丈夫だと思っていた。彼は連れの女性に声をかけてペットボトルの水をもってこさせて私の頭に慎重に水をかけている。

「アタマ・・・OKか?」と訊くと「血は出ていない」と言ってるようだ。私も痛みは感じない。バイクのバックミラーを見ると額には傷があるが、これだって擦り傷程度のものだろう。彼は引き上げられたバイクをチェックしてくれたのだが、バイクは大丈夫だと笑いかけてくれる。

「どうだ?バイクを運転して帰れるか?オレが運転するから、オマエは後ろに乗れ。オレのバイクは彼女が運転して行く」

「問題ない、大丈夫だ、運転できる」

「そうか、それじゃオレが後をついて行くからユックリ下りろ」

私はユックリユックリ道路の陥没部分を避けながら下った。下りながら後ろを振り返ると彼はニッコリ笑って「前を見ろ!」というような仕草をし、後部座席の彼女は彼の肩越しに両手Vサインだ。あぁ、助かった!私はバイクを運転しながら自然と笑いがこみ上げてきた。

やがて、山道を下り終え平らな道の分岐点にさしかかるとき、後ろから来たバイクからクラクションが聞こえ、バイクを止めると、「クタは右だ。オレ達は左に行く。気をつけてな!」

あなたは命の恩人だ!と言いたかったが英語が解らなかったから、

サンキュ-!サンキュー!

と繰り返すだけだった。

私は彼と握手して神の手の感触を心に刻み別れたのだ。

後ろの彼女は左手は彼の腰に回し、右手をヒラヒラさせながら、、、バイバイの合図のつもりだな。そのとき初めて気がついたのだが彼のバイクにはサーフボードが乗せてあった。

彼らと別れたあと、もういちどバイクを止め腕を動かしたり屈伸したりしたのだが、どこも何ともないようだ。問題は額の擦り傷だ。大した傷ではないがバイ菌が入ったりしたら厄介なことになる。クタのどこかで病院の看板を見たような記憶がある。通りかかった人たちに「ホスピタル!ホスピタルはどこだ!」と訊きながらやっと病院を探し当てた。病院というより診療所の規模だね。

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「病人さんいらっしゃ〜い」という感じのヤケに明るい医者で、バリ人だという。そうと解ったら得意の「オーム・シャンティ」だ。シバだクリシュナだガネーシャだとまくしたて、あげくの果てに財布からサティア・サイババの写真を取り出して見せると、医者はサイババのことを知ってか知らずか大喜び。冷えたポカリスエットの栓を抜いたり、陽焼け止めの薬を取り出したりのサービスだ。奥さんもバリ人の医者でバリの大学を出ている。3人の子供も将来は医者にしたい。ベットに横になっている間に、そんなことをリサーチしてしまったのだ。

Satyaへたどり着くまで時間がかかったけれど、この流れは本当のハナシ。

結局治療というのは額の擦り傷の消毒だけで、消毒薬と痛み止め、傷には関係ないだろうと思う陽焼け止め2種にビタミン剤まで貰ってしまった。

そして、その診療所にいる間に何人かの日本人とも会ったのだ。

一人はグルプックでサーフィン中に他人のボードで唇を怪我した男性で、彼は数針縫うことになった。そしてもう一組は、前章に書いたグルプックでホテルを経営している日本人夫婦。グルプックの波に魅せられ、サーファーのためのホテルを開きたいという夢を実現させた夫婦のようだ。この夫婦はグルプックでやはりサーフィン中に他人のボードが左目尻にあたり怪我をした日本人女性客を連れてきたのだ。

バリ人の医者はこの女性の左目尻を縫うことを提案したのだが、女性が強硬に拒否。やはり、女性としては見知らぬ土地の医者に顏を針で縫われることに抵抗があったらしく応急処置で済ませたようだ。

ホテル経営者は、最近こんなふうに他人のボードで傷つく事故が増えていて、それもやはりサーファーのモラルの低下なのかと嘆いていた。誰のボードが当たって傷ついたのか解っていても、波の上のことだから「お互いサマ」というところがあるのかな。でも、唇を怪我した日本人男性も、左目尻を怪我した日本人女性も、もうちょっと当たりどころがズレていたら「お互いサマ」では済まない大事故になっていたはずだ。

そして、私だって、タンクトップに半ズボンにサンダルという軽装。その上ヘルメットも被っていなかったから、状況によっては旅を切り上げて担架や松葉杖で帰国ということだって充分に考えられた事故だったと思う。

今は首と肩口に軽い痛みを感じるだけだが、たぶん明日の朝はもっと痛みを感じるはずだ。ホテルに帰りマッサージを頼み「痛くても良いからキツくやってくれ」と入念にマッサージを受けてから横になって静養していた。そして、昨夜からの流れを反芻していたのだ。

このホテルは、たまたまシャトルバスで一緒だったロシア人(?)カップルが辞退したために、私が値切って宿泊したものだが、そのフロント脇にこんなステッカーが貼ってあったのを気づいたのは昨夜のことだった。

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そのステッカーに気がついたときはオモシロイ偶然があるものだ、これで『街のオーム/ ロンボク編』のネタができたとニヤニヤしていたのだが、その翌日、つまり今朝のバイク自損事故だ。

悪路にハンドルを取られてバランスを崩したときに、右手のアクセルを吹かしたようになり横転したんだな。そしてそのままバイクを抱えるようにズリ落ちて、側溝にハマッたワケだ。あのときは、テレビドラマなどで見かける、耳元でガラガラ鳴り天地が回転するシーンと同じだった。もしあの側溝が無かったらさらに大回転しながらバイクもろとも谷側のさらに深い所へ落ちていたことになる。

運がよかったなぁ、額に5センチ四方の擦り傷と首と肩の打ち身だけだもんなぁ。この擦り傷は1週間ていどで消えるだろうし、打ち身にしたってその内に治るだろう。バイクも問題なし、抱えていたバイクより高価な一眼レフも作動に影響はない。

フッフッフッフフ・・・・・。

昨夜からの一連の流れを思い出しながら、たぶん顏は笑っていたはずだ。そのまま寝込んでしまい、起きたときには薄暗い夕方になっていた。昼飯も食べていないことに気がつき、シャワーを浴びながらもういちど身体の屈伸運動をし、異常のないことを確認してから夕飯を食いに外へ出たのだ。

そして、

私を暗闇から引き上げてくれた“神の手”をもつ白人と鉢合わせし、ただサンキュ-!サンキュー!とお礼の気持ちを表すだけがせい一杯で別れたのだ。

この一連の流れとその結果は
大げさにいえば『奇跡』だなぁ。
『引き寄せの法則』の原理が働いたのだ。

信じる信じないはコッチに置いといて
そう思った方がハナシは面白いぜ!
.

というワケで、どうしてもオチをつけたいあまのじゃくな私だから。

本日のロンボク/クタ・ビューティーだ。
(セガールにて)
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2011年1月27日 (木)

ロンボク・クタ/グルプック編

インドネシアはちょうど雨季で、スコールとピー缶が交互にやってくる。それはロンボク・クタにいたときも同じだった。

ピー缶の晴れのときは、こんな木陰でも嬉しい。

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人間が木陰を好むなら山羊だって僅かな日陰を選んで横になる。

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そして、晴れたと思って油断するとすぐにスコールがやってくる。

そんな雨のときはホテルに積んであった、旅行者が置いていった本を読んだりして1日を過ごす。そんな時間の過ごし方もまた良いものだ。

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ある日、クタの外れにある『ノボテル・ロンボク』という高級ホテルにランチを食べに行った。いつもワケのわからんものばっかり食っているから「たまには贅沢しようか?」と思ったワケだ。

左手にプール、正面にビーチパラソルが見えるテーブルに席を占め、ビュッフェ式のランチを楽しんだのだが、そのときの代金が1500円!。朝飯つき1000円のホテルに泊まって1500円のランチという、若いときには絶対にしなかったこんな浪費をしたりもするのだ。

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1000円とか1500円とか書いているが、ここでインドネシアの両替事情を少し書いておこう。

下の写真は両替所の本日のレートなのだが、こんな電光掲示板で表示してあるところもあれば、黒板にチョークで書いただけの両替所もある。レートはその店によって若干の凸凹があるから、旅行者としては何軒か見て回り少しでも有利な条件で両替しようとするワケだ。

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この掲示板で見る本日の交換レートは、、、、、。

¥1.00=107.20ルピー、、、ということは

¥10,000=1,072,000ルピーになる。

つまり、1万円を両替すると107万2千ルピーというお金になってしまうのだ。

107万2千ルピー

を即座に

1 million 72 thousand ルピー

と言えたら、あなたの脳回路はビューティフルだ。

私なんぞは10 thousandと言われたら、アタマの中で「テンサウザンド、、、ということは」と復唱して、、、、1万だなッ!という答えを出す程度なのだ。

このように日頃馴染みのない単位の英語など覚えられないのだが、解りやすい換算法を教示してもらって、やっと落ち着いた。

その換算法というのがコレだッ!

もし、ワンハンドレッド サウザンド・ルピーと言われたら

100000ルピー0を2つとって100000と換算すると、高いか安いか判断し易いというワケだ。

「朝飯つき1000円」のホテルと書いたのは、ホテルの客引きが「センエン」と言ってるワケではなく、「朝飯つき ワンハンドレッド サウザンド・ルピー」と言うのをわかり易く「1000円」と書いているだけのハナシ。

だから、クタで「1000円のホテルに泊まって1500円のランチを食べた」と書いたのは、「100000ルピー(ワンハンドレッド サウザンド・ルピー)のホテルに泊まって、150000ルピー(ワンハンドレッドフィフティ サウザンド・ルピー)のランチを食べた」ということなのよ。

このウエイターの給料はいくらだろう?などと思いながら『ノボテル・ロンボク』のワンハンドレッドフィフティ サウザンド・ルピーのランチを食べたら、ちょっと気が引けたが、久しぶりの豪華なランチは美味しかった。やはり、出したお金に比例するサービスを受けたというワケだ。

ちょっと言い訳がましいことで脇道にそれてしまったから

ロンボク・クタのサーフィンにハナシをもどしましょう。

前回は高台から眺められるセガールのポイントを紹介したから、もう1ヶ所紹介いたしましょう。

クタの村からバイクで東に40分にグルプックという村がある。

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ここもサーファーには知られたポイントで、日本人経営のホテルもあるそうだ。私はこのときはこのホテルには訪問していないのだが、数日後このホテルの日本人経営者夫婦と意外な場所で会うことになる(そのハナシは後日)。

このポイントへは、村でボートをチャーターして沖合のポイントまで行くことになる。

ボートに乗り約30分ほどでポイントへ着くのだが、前章のセガールの高台からの眺めに対して、ここグルプックはボートの上から、、、つまり、サーファーと同じ目線でサーフィン気分を味わうことができるのだ。

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サーファーを乗せてきた船頭も一緒にサーフィンを楽しんでいる。
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日本人選手

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日本人選手×船頭

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日本人選手×日本人選手
誰かが真ん中で沈没している。

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大和撫子も負けてない
果敢に攻めている

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多国籍軍

私を乗せてきたボートの若い船頭はサーフィン仲間のところへ行ってしまい、ひとり残されたジジーはユラユラと揺れながら、若い人たちの楽しむサマを見ていた。それでも充分に楽しかったグルンプックの沖合だ。

本日の
ロンボク/グルプック・ビューティ
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こんな沖合に絶好のポイントがあることを発見したのは誰だろう。
良質の波を求めて世界中の海辺を彷徨った彼らこそ
元祖バックパッカーなのかも知れない。
.
オ〜イ!!
兄ちゃん!!!
雨が降りそうだから
ソロソロ村へ帰ろうぜッ!!!
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船頭に向って手を振り呼びかけたのだが
サーフィンに夢中の彼は気づきやしない。

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2011年1月26日 (水)

YOYOCHU/監督:石岡正人

『AV界の黒澤明』と称される、代々木忠監督の壮絶な生きざまを追いかけたドキュメンタリー映画『YOYOCHU/監督:石岡正人』を観てきた。

YOYOCHU/監督:石岡正人
Sexと代々木忠の世界


110128_1 .
心まで裸になれ!
愛を問い続ける、魂のカメラ。
唯一無二の映像作家“ヨヨチュウ”こと代々木忠、
知られざる波乱の人生

.
◎販売本数累計700万本、監督作品数536本!
              
※現在も更新中
◎AV界の巨匠・代々木忠が送った激動の人生とは?
◎最初で最後のドキュメンタリー映画、誕生!

吐き出されては一瞬で消えていく、星の数ほどあるアダルトビデオだが、それらのビデオとは一線を画し、燦然と光を放つのが代々木忠監督作品だ。

代々木監督作品を観ていて感じたのは、女優にしろ男優にしろ、カメラの向こうの出演者へ向ける深い眼差しだった。そんな愛情を感じた出演者が、自らが張り巡らしてバリアを自らで壊して跳び超えていく様にはいつも感動を覚えるのだ。

その代々木監督が、極道の世界に入った少年期から、映像の世界に足を踏み入れた青年期、ピンク映画と呼ばれた中年期、さらにレンタルビデオ最前線を突っ走り、カリスマの境地へ到達した現在の老年期へと、当の代々木監督初め、監督と関わりのあった人々へのインタビューで構成されているのがこの映画だ。まるで日本のAV史の授業のようだった。

代々木監督は人間が『素』になり自分を解放することがことがいかに大事かを説いている。そこにはAV監督という日陰の存在というよりは、ストイックな導師の姿が重なってくる。

   ちょっと入りにくいなぁ、、、、。

そう思うのもフツーの感情だと思うが、窮屈な日常を変えるつもりで映画館のドアを開けてみたらどうだろうか。

最後にお懐かしい村西とおる監督のお言葉。

黒澤明の代わりはいても、

代々木忠の代わりはあり得ない。

人類の宝です!

ナイスですね〜。

銀座シネパトス
渋谷アップリンクX

にて上映中。

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2011年1月25日 (火)

ロンボク・クタへ

ギリ3島で遊んだあと再びロンボク本島へと戻ることにしよう。

ギリ・アイルで泊まった『ホテル・マタハリ』は船着き場からだいぶ離れていたために、朝、荷物を持って船着き場へ歩いて行くのが億劫だったので、前夜見かけた馬車に迎えにくるようにハナシをつけておいた。

馬車がくるまでに、前方にギリ・メノの島影を見ながら朝食を食べていると、

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昨夜の馬車青年が約束通りにシャンシャン鈴を鳴らしながら迎えにきた。

Mr.DOLLARというのもなかなか縁起がいいではないか?

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10分ほどで船着き場に着き、ローカルピープルと一緒にこんなボートに詰め込まれて、

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20分ほどの航海でロンボク本島のバンサル港到着。さらに待ち構えていたシャトルバスに乗り込んで、お馴染みマクドナルドやケンタッキーの看板もある州都マタラム市内を通過。

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もうすぐ開港の新ロンボク空港を左に見て、一挙にロンボク・クタにご挨拶だ。バンサル港を出てから2時間チョッとだったと思う。

シャトルバスで一緒だったカップル(たぶんロシア人だと思う)が部屋を見にいったあと、渋い顏をして戻ってきた。「幾らだった?」と彼らに訊くと1200円だという。彼らにはどうも予算オーバーだったようだ。

1200円?、、、1200円だったら悪くはないじゃないか?。

どんな部屋なんだ?

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部屋を確認したあと、「1200円なんだって?1000円にしてくれたら、オレは4泊する」と試しにいうと、ボーイはどこかに電話したあとアッサリ了解して値切り成功!「モチロン朝飯つきだろ!」とサッサとバスから荷物を降ろして部屋に入ってしまった。

ロシア人(?)カップルは同じバスでどこかへ行ってしまったみたい。

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バリ島にも、ときどき爆発騒ぎが起きるクタという有名なリゾート地があるけれど、ここロンボクのクタは、海沿いの一本道の両側に土産物屋と安ホテルの並ぶ小さな村だ。

「地球の歩き方」に『のどかなビーチをもつ海岸沿いの素朴な村』と、わずか2ページの紹介があるだけだが、なぜか気になってモノ好きにも来てしまった。

ほんと、素朴の2乗くらいに素朴な村だ。

海岸は元気の良い子供の物売りとローカルの観光客がホンの少し。

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土産物屋の店先では青少年たちがヤルこともなく、カモになる旅行者を待ちながらグダグダしゃべって一日を過ごしている。

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一般的には知名度の低いロンボク・クタだが、サーファーにとっては有名な場所だというのは現地に来て初めて知った。ここに来る外国人旅行者の殆どはサーフィン目的で、彼らはレンタルしたバイクにボードを乗せ村はずれのポイントまで行きサーフィンを楽しむのだ。

私も1日500円でレンタルしたバイクを駆り『ビッグ・ウエンズディ』を求めてサーフポイントを廻ってみた。もちろんサーフィンやるワケではなく、ただ見るだけ。

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クタの村からバイクで20分ほどのところにあるのがセガールというポイント。

ビーチの傍にちょうど小高い丘があって、見学者にとってはとても都合の良いポイントだった。

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ボードを積んだバイクが少しずつ集まってきて、

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思い思いに海へと入って行く。

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こんな構図をとれるのも丘の上にいるからこそ。

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丘の上から足下のこんな景色を眺めていたワケだ。

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ギリ3島と同じ
ここロンボク・クタでも
何もないことの幸せを味わうことができるのだ。

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2011年1月23日 (日)

何もない幸せ〜ギリ3島

『ギリ』とは現地の言葉で「小島」のことを言う。

ロンボク島の北西にギリ3島と呼ばれる小さな島があって、下の写真の、左からトラワンガン、メノ、アイルと順番に小さくなっていく。

スンギギの高台から見たギリ3島
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このギリが最近リゾートとして注目を集めているというのだ。

この3島のうち一番大きな島がギリ・トラワンガンで、リゾート地として最初に開発発展している。このトラワンガンの船着き場沿いのレストラン街では毎晩遅くまで、バリのクタ・ビーチをコピーしたようなドンチャン騒ぎが繰り広げられている。そんなウワサを聞いたからには、物見高い私としては覗いてみたい気持ちになったのだ。

ロンボクからトラワンガンへはボートで約1時間。雨季とはいえ、クリスマス・年末年始の旅行シーズンだからホテルが見つかるかな?という懸念もあったのだが、「どうにかなるだろう」と渡ったら、、、どうにかなった。船着き場に網を張っていた客引きの後を尾いて何軒か物色したら、どこも空き部屋があったから、ケッコー供給過剰のようだった。

賑やかな船着き場周辺から少し奥に入ったホテルの静かな部屋を確保。朝飯つきで2500円くらいだったと思う。やはりエアコンつきだと3000円くらいになる。

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荷物を置くのもソコソコに島内探検に出かけたのだが、スンギギとは違ってのどかなものだ。

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船着き場前の一本道を挟んだ両脇には、旅行者相手の土産物屋や小ジャレたレストランが軒を連ねていて、このあたり一帯が不夜城となって賑わうらしい。高級ホテル前のこんな電灯も旅情を誘うではないか。

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その砂浜で、鎖に繋がれた猿が白人観光客の腕のカサブタを喜んで食べている不思議な絵柄。

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レストランのお嬢さんが可愛がっていたネコ。いま気がついたのだがこのネコとお嬢さんお顏はソックリだ。

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ギリ3島で一番大きなトラワンガンといっても歩いて2時間もあれば一周できる。

夕日ポイントにあった素敵なバーは『MAULIN BAR SUNSET』と読める。やわらかな風を感じながら味わうビンタンビールはまた格別だろう。でも、晴れてるときは問題ないけれどスコールのときなどは隠れ場所がないみたい。

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夜になり、今までどこにいたんだ?と思えるくらいの数の旅行者が湧いてきて、メーンストリートは混雑し始めた。バンドが入っている店があったり、DJの作るスクラッチノイズに身体を揺らせたり、、、これが『パーティー』というものなのか。300mくらいのメーンストリートは盆と正月に忘年会に新年会を煮込んだような騒動だ。そんな通りからちょっと奥に入れば表の騒動のカケラもない静かな村だ。そこには観光客には無関係な地元島民のフツーの生活があった。

トラワンガンから隣りのギリ・メノへはボートで30分くらいだった。

やはり、船着き場周辺でゴロゴロしていた地元の青年に案内させて見つけたホテルがこれ。1000円を800円に値切った、ホテルというより高床式の小屋だ。

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ギリ・メノはトラワンガンよりさらに小さな島で約1時間で島内一周できる。観光客も少ないからこんな砂浜を独り占めだ。

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トラワンガンとは僅かしか離れていないのに、さらにのどかなものだ。

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向こうに見える緑の島がギリ・アイルで、その向こうがロンボク本島になる。

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ギリ・メノで1泊したあとさらに西の小さなギリ・アイルに渡る。ギリ・メノ→ギリ・アイルは約30分ほどだ。やはり船着き場の青年に案内させて馬車で島内を廻り、ホテル探しをした結果、フロント青年の使ってたiMacが気に入って決めたのが『ホテル・マタハリ』。

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こんな部屋で朝飯つき1000円だったと思う。

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このギリ・アイルにしても1周1時間コースという小さな島で、ギリ3島の中でも一番純朴さが残っている感じだ。島のアチコチで、旅行者というよりはコテージを借りて何ヵ月という単位で滞在しているオモムキの白人を見かける。

後で知ったのだが、スピードボートを使えばバリから1時間30分でギリまで到着できるそうだ。だから騒がしいバリを敬遠して、このギリ3島を目指す旅行者も増えてきているのだろう。確かに、何もないのも観光資源の一つなのかも知れない。

今週のギリ・ビューティ
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こんなにキレイで静かな海を毎日見ていたら
脳みそがウニになって
かえってボケが進行するんではないか?
そんな余計な心配をしてしまうほど
素敵なギリ3島だった。

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2011年1月21日 (金)

スンギギのビッグ・ウェンズディ

ロンボク島へ行ってきた。

ロンボク島のことを初めて知ったのは20年くらい前になる。俗化されてしまったバリから、隣りの島のロンボクが注目を集めているというような記事だった。「自然は豊かで、人々は純朴だ」という、要はバリの初期の風情が残っている島というワケだ。その記事を見て以来いつかは行かなけりゃとココロに秘めていたのがロンボク島だ。

20年前のバリというと、「椰子の木より高い建物は建てられない」という暗黙の決まり事が破られ、高層ホテルが建つということで論争になった時期だったと思う。その20年前で俗化されたというのだから、現在のバリがどんな状況になっているのかは大体想像がつくだろう。でも現在のバリへの非難のもとを作ったのは、けっきょく西側先進国の旅行者なんだよね。

成田→デンパサールのフライトは遅れることもなく時間通りにデンパサールに着き、国際線から国内線出発と移動して問題なく乗り換えられた。デンパサール空港からロンボク島の州都マタラムへは約30分のフライトだから、スチュワーデスがアメを配ったと思ったらまもなく降下を始めるという近さだ。それにしても成田出発時は冬支度だったからデンパサールの空港を移動している間に汗まみれだぜ。

ロンボク島の宿泊は、到着した夜中にホテル探しでウロチョロしたくないからリゾート地のスンギギビーチに予約してあったのだ。私にしては比較的高めの料金だったが広大な敷地の中のコテージには満足。「支払ったお金に比例するサービスを受けられる」というのが定説(懐かしの高橋某を思い出す)だ。

旅に出ると早起きになるから、まだ薄暗いうちからゴソゴソ動き出せば、夜明け前のスコールで草花の緑はさらに艶を増したようだ。

インドネシアは10月〜4月がちょうど雨季にあたるから、さっきまではあんなに晴れていたのに、急なスコール浴びて慌てることもある。でも、雨がこれほど心地よく感じられるのはなぜだろう。

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ビーチ沿いの東屋でスコールをやりすごすのも悪くない気分だ。

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スコールが止むと、プールにも人が出てきて、

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どこかに隠れていた人たちもビーチに戻ってきた。

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さっきの雨はどこに行ったんだ?

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絵に描いたような幸せ家族は弁当を広げ、

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ギター小僧は陰気な歌を歌い始めて「これも青春だ!」

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ナメコ売りの青年もどこかから湧いてきやがった。

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インドネシア人は本当に旅行の好きな民族だと思う。スンギギの狭い道路は大型観光バスとモーターバイクで埋め尽くされている。押し寄せた人々が砂浜に広げたゴザの上でオイルサーディーン状態でくつろいでいる。

地元の人間よりは外国からの観光客が金になるから、砂浜で寝そべっていれば土産物売りやマッサージも寄ってくるには寄ってくるが、一言断ればそれ以上攻めてはこないあたりが「バリ島の初期の風情」というところかも知れない。

混雑するビーチから岬の突端へと進めば、そこはサーフィンのポイントになっていて、地元の青年たちの明るい声が響き渡る。

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ちょうど3人が海に入ろうとしていたので呼び止め、我が想い出の映画『ビッグ・ウェンズディ』風ポーズをとってもらい記念撮影。

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モチロン、彼らは『ビッグ・ウエンズディ』なんていう映画のことなど知るよしもないだろうから、映画の1シーンを紹介してしおこう。木曜日にくるという“伝説の波”に挑むクライマックスシーンだ。

BIG WEDNESDAY
1978年製作
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今日は水曜日じゃないから、スンギギの波も穏やかだけど、
少しは『ビッグ・ウエンズディ』の雰囲気を味わってみようか。
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バリ島の最高峰“神の山”アグン山の姿も見える。

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バリでは海には悪魔が住み、山には神が住むのだという、そんなことが信じられそうな美しい姿ではないか。

そして、スンギギビーチの夕暮れ。

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夕日の前ではみんな無口になり
モノ売りも商いを忘れ天秤棒を休めてたたずむのだった。
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2010年12月19日
平和なロンボク島スンギギビーチの景色だ。

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2011年1月19日 (水)

ジョグジャカルタにて

2008年のアンコールワット(カンボジア)と2010年のバガン(ミャンマー)に続いて、インドネシアのボロブドールという仏教遺跡大三元を完成させたあと、プランバナンに立ち寄り有名なヒンズー寺院にもアイサツ。

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仏教になったりヒンズー教になったり、回教になったりと、その時代の支配者の信仰によって寺院も変わってきたということがよく解る。

ボロブドール遺跡観光の基地になるのが古都ジョグジャカルタだ。普通はジョグジャカルタのホテルを朝早く出発してボロブドールを見学し、そしてジョグジャカルタに戻ってきてから次の目的地、例えばジャカルタとかデンパサールに飛ぶというのが一般的のようだ。

これだとちょっと慌ただしいかな?というのが私の感想だ。私はボロブドール遺跡内のホテルに2泊したから、誰もいない真っ暗な石の城塞で夜明けを迎える経験をしたし、東の空に幻想的に浮かび上がるムラピ山も拝めた。

そして、古都ジョグジャカルタにたどり着いたワケだが、この街を人々はジョグジャと親しみをこめて呼ぶようだ。

そのジョグジャの第一印象は馬糞の匂いとTシャツの街だった。

なぜ馬糞の匂いかというと、街の中を走る馬車の落とし物はそのままフクロ状のモノに溜められ馬車と一緒に走るから、その匂いはバイクの排気ガスと混じりあって街を覆うことになる。そして、なぜTシャツかというと、ボロブドール目指してインドネシア各地から訪れる観光客の、手っ取り早いお土産のTシャツの屋台が歩道を埋めているのだ。

とりあえず、ガルーダオフィスでジョグジャ→デンパサール→成田のフライトのリコンファームと、2日分の両替を済ませて今夜のホテル探し。ガルーダ系の豪華ホテルで今回の旅を終えようかとも思ったが、いちおうバックパッカーらしく安宿街へと足を運ぶ。

ジャラン・マリオボロ通りからこのサークルKを曲がったところがソスロウィジャン通りだ。

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このソスロウィジャン通りにはバックパッカー向けのホテルや旅行代理店がならび、さらに枝分かれした細い道の両側にも安ホテルが密集している。

雨の中こんな白人旅行者カップルがホテル探しをしている。彼らの徹底して安い部屋を探すというその根性には敵わない。

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私は『地球の歩き方』に書いてあったグロリア・アマンダ・ホテルへ。

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スタンダードクラスの部屋を確保。

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インドネシアのホテルはだいたい<朝食付き>で、<扇風機><エアコン><ホットシャワー><バスタブ>と、部屋の設備によって日本円で500円くらいづつアップするシステムのようだ。私の選んだ部屋はもちろん<扇風機>に<シャワー>という最低グレードだ。値段は忘れたがバックパッカーお似合いの部屋だったと思う。(ちなみに今回の旅ではエアコンは必要なく扇風機で充分。その扇風機さえ必要ないくらいだった)

そして<朝食付き>の朝食は翌朝こんなセットが部屋の外に置いてあった。

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昨日までのボロブドールのマノーハラ・ホテルのビュッフェ式朝食とは月とスッポン。それでも、バターとチョコレートをまぶしたパンと冷えたお茶で朝飯をとるところが、いまだバックパッカー根性を失っていない。

支払ったお金に比例したサービスを受けられるというのが世の中の常識だ。

ちょっと寂しい朝食だったのでビック・マックで2回目の朝食。キュートな女子店員の世界共通マニュアル接客態度が嬉しい。

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歩いているとベチャの運転手からお誘いの声がかかるが、「ジャラン・ジャラン(散歩)!」と言って自分の両足を指差せば皆ニッコリ笑って引き下がる。

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ジャラン・マリオボロ通りの途中、落ち着いた建物だと眺めていると、通りかかった自称“ガイドではない”という男がニコヤカにスリ寄ってきて、「ここはデビ夫人が住んでたところだ」と日本語で教えてくれたが、真偽のほどはわからない。(『地球の歩き方』ではこの建物は迎賓館と紹介されている)

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ところで、インドネシアには中国語の看板が無いというハナシを知っているだろうか?

普通、東南アジア各地の都市では経済を押さえている華僑の看板が街を覆ているのだが、私が今回の旅行で見かけた中国語の看板はジョグジャのこの1枚だけ。チャイニーズ・フードと銘打っているがコックはインドネシア人のジーさんだった。

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なぜインドネシアには中国語の看板がないのか?

1960年代中期、デビ夫人のダンナさんのスカルノ政権末期のことだ。

軍部左派によるクーデターが勃発。このクーデターは政府軍によって制圧されたものの、クーデターの裏に中国共産党の支援があったとの風評で中国人排斥運動が勃発。殺戮の嵐にやむなく華僑は他の国に逃れることになる。その後インドネシアの復興には華僑の経済力が必要だと呼び戻されることになるのだが、苦い経験を味わった華僑は中国語の看板を前面に出すことなく黒子に徹するようになった。中国語の文字はないけれど華僑が経済を牛耳っている事実に変わりはない。

こんなことを以前本で読んだことがある。

クーデターに中国共産党関与説には異論もあるようだし、クーデターを制圧したスハルト(のちの大統領)の動きにも疑問符がつくといわれるが、このクーデターを境にスカルノ大統領の権勢が急激に衰えたのは事実のようである。

もし、このクーデター未遂事件がなかったら、デビ夫人の人生はどうなったんだろう。今ほどその厚化粧を日本のテレビにさらすこともなかったのかも知れないなぁ、、、、

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古都ジョグジャの街で見かけた
“デビ夫人が住んでいた建物”と
“心園”という中国語の看板で
こんなことを思ったりしたのだ。

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2011年1月17日 (月)

スベテハツナガッテイル

朝5時前から真っ暗なボロブドール遺跡の中で日の出を待っていた。

懐中電灯を照らしながら案内してくれたホテルのガイドは「ここが一番良い場所だ」と言うと、そのまま無表情で帰ってしまった。たぶん「こんな朝早くに起こしやがって、、、ナニが面白いんだ、、、」という気分なのだろう。

遺跡は朝7時に一般開門されるのだが、遺跡敷地内のマノーハラホテル宿泊客はオプションで“ライジングサン・ツアー”に参加すると、一般開放前に入場してご来光を拝めるという仕組みなのだ。そのツアーの当日参加者は私だけだったから、7−8世紀に作られたという壮大な石の固まりの中にいるのは私一人だけ。

日の出まではまだ時間があるが寒さは気にならない。無人の回廊をユックリゆっくりと歩めば、お釈迦さまの世界が懐中電灯の灯りの大きさの中に出現しては暗闇の中に消えて行く。独り占めというのはこういうことをいうのだろう。

5時30分ころになってようやく空が明るくなり始めた。

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何か聞こえるのを期待して、靴を脱ぎ足を組み目を瞑ってみたが私のクサレ耳は何も捉えることができず諦めた。たぶん聞こえるべき人には、お釈迦様の声も、天女の奏でる音楽も、紀元前500年前の人々のざわめきも聞こえるのかもしれない。

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大噴火を起こしたムラピ山がシルエットになって浮かんできた。

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暗闇の中に隠れていた小さな石仏も明るくなるにつれて表情を現し、そして足下からは観光客も少しづつ登ってくるのが見える。

2010年12月中旬から2011年1月上旬にかけて、インドネシアのロンボク島、バリ島、ジャワ島と3週間旅をしてきた。

私は旅に出ても遺跡とか博物館美術館などにはそれほどの興味はもたない。異国の街でその街の匂いを嗅ぎながら、その街の人々がどんな顏をして、どんなモノを食っているのかをただボ〜ッと眺めているだけで充分だという類いの人種なのだ。

当初の計画でロンボクとバリに行くことにしたときも、ボロブドール遺跡のことは考えていなかったのだが、ふと、ボロブドールに行けばバガン(ミャンマー)、アンコールワット(カンボジア)、ボロブドールと仏教遺跡大三元が成立することに気づいた。

それならこの際行ってみようかという、じつにテキトーな動機でのボロブドール行きだった。

ムラピ山噴火の影響でボロブドール遺跡への立ち入りが禁止になっているとのニュースも知っていたから、東京のガルーダに問い合わせると、立ち入り禁止は解除されたが、なにしろ自然のことだから不確定要素もあることを知っておいて欲しいの返事。つまり、再噴火によって飛行中止や遺跡閉鎖ということもあるということだ。

マッ、その時はその時、それもまた旅のハプニングとして受け止めようと、チケットを買ったのだが、現地に着いてみれば、一時閉鎖されていた遺跡も数週間前に解放されて平常に戻り「ノー・プロブレム」とのこと。「そんなのな〜んも問題ないもんネ」と、やはり東京の情報と現地の実体ではかなりの差があったようだ。

ただし、、、、、。

下の画像を見て欲しい。これはボロブドール観光の基地となるジョグジャカルタからボロブドールへと向う車の中から撮った写真なのだが、人間の背丈を超えるこんな巨大な岩が何個も何個も道路端に寄せてあって、これらは皆ムラピ山の噴火で飛んできたものだという。岩の直撃を受けた家は押しつぶされてかなりの死者も出ることになる。

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こんな岩が空から飛んで来る絵柄を想像するとゾッとするではないか。まるでSF映画の世界が再現されたことになる。それに、厄介なのは灰だ。道路の両脇には片付けられないまま放置された灰がセメント色して盛り上がっている。

とうぜん噴煙になり飛んだ灰は世界文化遺産のボロブドールを覆うことになって、いまだにその灰の撤去作業は行われていた。

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一部では噴射ノズルで水洗い、そして一部では金ブラシを使ってレリーフのヒダヒダを清める手作業が人海戦術で行われていた。

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「いつまでやるの?」

作業員に訊くと「1ヵ月じゃないの」という人もいれば「さあね〜」という人もいて、彼らにも解っていないようだ。

回廊最上階のストゥーパの部分は立ち入り禁止のロープが張られてあったから、もしかすると、年末年始の観光シーズンに合わせて見切り発車的に解放したものかも知れない。

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この仏教遺跡は回教国インドネシア人にとっても最大の観光地で、日本風にいえばいわゆる門前町には土産物屋がスキ間無く並び、駐車場は大型観光バスが埋め尽くしていた。

「遺跡なんて時の権力者の収奪の結果にすぎないゼッ!」

そんなふうに物事をナナメに見るクセから抜けられない私だが、7−8世紀に作られた真っ暗闇の巨大遺跡に包まれポツンと座って日の出を待っているあいだ、たぶん自分の存在なんて砂粒ほどの価値しかないのかも知れないな〜という想いに駆られ、その砂粒の行く末に目を向けたりしたワケよ。

そして、
その時に浮かんだ
「スベテハツナガッテイル」
というイメージがペテンに貼り付いたまま消え去らないのだ。
.
Sikiri

と、、、、、。

これから、今回の旅について順不同で気が向くままに書くつもりだが、予告編的にYouTubeにアップした、

11015aishiteru
11016kokorono tomo

の2本の動画について説明しておきましょう。

今回旅しているとアッチコッチで日本の歌だと言って『♪ア〜イシテル〜』だの『♪ココロノトモー』などと、ワンフレーズくらい聞かされて気になったもの。そこでロンボクとウブドのCD屋で盤を探したけれど見つけれず、ジョグジャの屋外CD屋で山盛りになっているCDの中から執念で見つけだしたCD(もちろん海賊盤)からこの2曲の出処を確認したもの。1枚100円くらいだったと思う。

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aishiteruはインドネシアのZIVILIAという歌手の歌で、もちろん『愛してる』

kokorono tomoは五輪真弓さんが歌う『心の友』

だった。

ちなみに、

『愛してる』の画像はウブドとジョグジャ、

『心の友』はロンボクの画像を使っています。

この2本の動画から
私の今回の旅の雰囲気を感じとってくれたら幸いだ。

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2011年1月16日 (日)

kokorono tomo

心の友!

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ひとりYouTubu

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心の友/五輪真弓

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2011年1月15日 (土)

aishiteru

愛してる!

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ひとりYouTube

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aishiteru/ZIVILIA

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2011年1月 1日 (土)

これでいいのだ

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新年おめでとうございます。

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パパはどこかの旅の空の下なのだ。
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2011年 元旦

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