テネシー・ワルツ〜神々の科学/青山圭秀
今年1月中頃のこと、新宿駅西口をヨドバシカメラに向っていると岡林信康さんを見かけた。右手にステッキ持って足を引きずるようにしている。たんなる捻挫なのか、それとも他の病的疾患のせいなのか気になっている。
我らが「フォークの神様」はステッキよりギターを持たなくっちゃ。
忌野清志郎さん、加藤和彦さん、そして浅川マキさんと、『我らの世代』の表現者の訃報が続いている。そうしたら今度は立松和平さんだ。同時代を生きてきた者にとっては、こんなふうに少しずつ世代交代していくんだろうな。
そんなブルーな気分が底にあって「オレも今のうちに身辺整理しなくっちゃ・・・」と荷物を片付けさせたのだろう。もっとも、処分したCDレコードの金額によってはパソコンを買い替えようという皮算用もしているのだ。
吉祥寺井の頭公園では寒空の下、テンガロンハットにギターのダンナが♪テネシー・ワルツを熱唱している。歌で他人を癒そうとしているのか、自分が癒されたいのか、他人も自分も癒そうということなのか。それとも「ワシ、、、そんなことじぇんじぇん考えてないもんネ〜」ということなのか。いずれにしても幸せそうなダンナだった。
私はダンナの♪テネシー・ワルツを聴いて楽しかったぜ。
思いついて、井の頭公園入り口のエル・ブレス(だったっけ?)というスポーツ用品屋に行き、駐車場前を通りかかり、アラッ?・・・と思った。
じつはこの料金所には昨年の秋までこんなオームがあったのだ。

↑
2009年10月撮影
今回通りかかったら、料金精算機も背景のテントも取り替えられ、したがって、オームマークもキレイに消えている。
このサイトでは『街のオーム』として、街歩きで見かけたオームを紹介しているが、その中には建物などに描かれたオームマークも10数点はある。不思議なのはその画像をアップ後しばらくしてそのオームを見に行くと、壁が塗り替えられたり、あるいは建物自体が取り壊されたりしてオームマークは跡形もなく消え去っているのだ。
吉祥寺のこのオームも私に見られてから2ヵ月ちょっとのイノチだった。
意識する者にとって神聖なマークといえども、しょせん落書きは落書きだから塗り替えられるのは当然のハナシ・・・。
それでも
「オレに写真を撮られることで
あのオームは役割を終えて
天に還ったんだぜッ!」
と決めつけてオモシロがる余裕が、まだまだ私にはある。
私が旅の先々で見かけたオームは、あくまでもブログネタのアイコンという範囲内で付き合っているが、この人の場合、マジで印度沼にハマってしまいノッピキならない状況に陥っているようだ。
.
神々の科学
奇跡の瞬間
青山圭秀
三五館
2009.11.30初版発行
.
あれは、私の
幻だったのか?
いいや、違う・・・・・
再訪の地インドでは、太古の聖賢たちの
残した「予言の葉」が待ち受けていた。
しかし実現性は疑わしい。なぜなら
神の領域に踏みこむのだから。
『アガスティアの葉』
から15年。青山圭秀、
長い沈黙を超え、
新たな事実を!
私は、「科学では証明されないことはヤマほどあるだろう」と思う者であり、「この著者は特別な使命を背負ってこの世に生を受けた」と常々思っている。だから、これまでの著書の内容も信ずるし、今回発刊されたこの本の内容も「著者の体験」として信じる。
あくまでも「著者の体験」というカッコ付きなのだが。
私がネタにしているガネーシャや、古代から伝わる神様聖者の名前を出して、どれほど壮大な宇宙の物語を表現したのかというと、言いにくいが、、、著者主宰の高額な瞑想教室あるいはセミナーの申し込みクリック数に貢献するという程度の、じつに卑小な現実世界にしか影響を及ばさないとみた。
マッ!もっともカミサマ/ ホトケサマ関係って皆そんなもんだろうけどネ。
著者の特異な体験を綴るこのテの本は「カミサマエンターテインメント」の一種としてオモシロがりながら読むのが正しいんじゃないかというのが私の読後感だ。
どんなに瞑想しても、どんなに聖地廻りをしても、どんなに多額な寄付をしても、下心をもった行為などで救われることはない。ごくごくフツーにメシ喰って、ソークして、欲望は欲望として抱え生きていけばそれでいいんじゃない?それ以上ナニを望む?というのが私の立ち位置なのだ。
そうしたら、最近、宗教評論家ひろさちやさんの面白いコラムを読んだ。
↓
『ひろさちやのほどほど人生論』は東京新聞に毎月1回掲載されるコラムだが、今月の『死の恐怖を克服する』にはニヤリとした。長くなるが面白かったので転載しよう。
山伏が一休禅師に験比べ(げんくらべ)を挑みました。験比べというのは、修験者が修験の程度を競うことです。
まず山伏は、きゃんきゃん吠えている犬を呪文でもって鳴きやめさせようとします。けれども、いくら呪文を唱えても、犬は鳴きやみません。次は一休禅師の出番です。彼は持っていたおにぎりを犬にやります。すると犬は、たちまちおとなしくなりました。
そこで山伏は、こんどは燃えている火を呪文で消すことにしました。でも、いくら呪文を唱えても、火は消えません。ところが一休禅師が、その火にじゃあと小便を引っかけました。もちろん、火はすぐに消えてしまいました。
また、こんな話もあります。
釈迦が旅の途中で、一人の苦行者に会いました。なんだか疲れきった様子です。釈迦は、「あなたは何年間、苦行をやっているのですか?」と尋ねました。「25年」と苦行者は答えます。次に釈迦は、「その結果、あなたは何を得られたのですか?」と尋ねました。
「水の上を歩いて川を渡れるようになりました」
と、苦行僧は得意げに言います。すると釈迦は「あなたは馬鹿ですね。なにも25年も修行をしないでも、船賃さえ払えば、船頭が向こう岸に渡してくれるでしょうに・・・」
と、あきれ顔で言いました。
そして、ひろさちやさんは「死の恐怖をなくすにはどんな修行を積めばいいのですか?」という質問に対して、いくら仏教を勉強しても死の恐怖はなくならない。誰でも死はこわいのだ。それなら死をこわがればいい。<ああ、こわい、こわい>と怯えていればいいのです。それが仏教の考え方だと思う。
と、コラムを締めています。
a
| 固定リンク

コメント
inaさま
コメント多謝。
私が岡林さんをお見かけしたのは1月中旬でした。ちょうど新宿駅西口地下階段を地上に上ってきたところでした。
2/7のライブでは何ともない様子だったとのことで私も安心しました。
「若くして“神様”になるのもキツイですよ」などと自虐トークやってましたか?
同世代なものですから心配していたのです。
ご連絡ありがとうございました。
えあじん
投稿: airegin | 2010年2月16日 (火) 午前 07時49分
2/7の特別ライブの時特に問題なかったように見えたが。>岡林さんの足
投稿: ina | 2010年2月16日 (火) 午前 02時23分