サンパウロに帰ってきた
けっきょくサルバドールには7日間滞在していた。
一日イタパリカ島クルージングに出かけた以外はとくに何をすることもなく、ホテルのあるバーハ海岸とセントロをブーラブラしていただけ。それでも、またブラジルへ来るときにはサルバドールへ1ヵ月くらい滞在しようか、などと思いながらサンパウロ行きの飛行機に乗り込む。
ブラジルの数カ所を回り、こうして再びサンパウロの街に立ってみると、サンパウロが他の街に際立って大都会であることを実感する。叔父のアパートでは「日本食が懐かしくなっただろう?」とソーメンを用意してくれていて貪り喰う。

サンパウロの総人口1500万人でそのうち日系人は130万人といわれている。だから日本の食材はほとんど入手可能でもちろんソーメンだって大丈夫。
豆腐だってTOFUだしもやしだってMOYASHIだ。
わかめも緑茶も世界ブランドのAJINOMOTOはもちろんだ。
醤油、ワサビ、カレー、天ぷら粉、しいたけ、割り箸、おしゃもじだって。
お稲荷さんも大福餅もチクワだって何でもござれ。
この米はチリかペルーだったかの輸入品らしい。
また、日本から持ち込んだ野菜の種子の品種改良を重ね南米の大地に適応させ、ブラジル農業の発展に尽くした日系人の功績は広く知られている。
だからサンパウロの市場を歩いていると、日系二世あるいは三世と思しき働いている人たちの顔も多く見られる。

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このようにサンパウロに住む限りにおいては日本食に困ることはない、そしてこれらの日本食はたんに日系人向けに限らずブラジル人にも浸透しているようだ。
連日街をほっつき歩いていたから、私の肌は真っ黒に陽焼けして街を歩く日系人と比べても、よりブラジル人らしい迫力になってきて、3週間の旅行ももうすぐエピローグ。
日本へ帰る前日に従弟の嫁ハン(イタリア系)の弟の結婚式に招待された。最初からわかっていたらそれなりの服装を準備してきたのに・・・と躊躇はしたけれど、ソコはソレ、生来の好奇心からペラペラのシャツにワークパンツにスニーカー履いて出かけてきましたヨッ。

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さらに、気さくな新郎新婦に引き回されて在ジャポネ代表として披露宴にまで出席。
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思いがけずも招待されたラテンのテンション高い結婚式の宴で、この人もこの人も親戚になるんだなぁと心地よいときを過ごしたひとときだった。
そして一夜明け帰国当日、今度はお別れバーベキューパーティが催され、ここにも日系人がいればラテン系もいるし、ヨーロッパ系もいて、この人たちも皆親戚親戚親戚。
今回のブラジル旅行は、在伯50数年になる弟の生活ぶりを確認して来いという私の母の意向もあってのもの。このところ数年ごとに帰省できるほどに生活も安定したようだけど、実際の暮らしぶりはどうなんだろう?「ブラジルよりも日本で死にたい」という希望を持っているんじゃないだろうか?姉としてそんな思いもあったようだ。
肉の焼き方を指図したり飲み物を用意させたりする叔父の姿から、ファミリーの家長として充分に敬われ、良い晩年を過ごしていることが見て取れ、叔父がブラジルに来たことは最良の選択だったことを実感する。
我が母には最高の土産話ができた。
帰国して撮った写真をアルバムに整理して母に送ったら毎日見ているらしい。
弟の50数年前の渡伯当時、日本も貧しく自分たちの生活が精一杯で充分な援助ができなかったことを、長姉として長いあいだ気にかけていたようだ。私も旅行中は充分に楽しんだし、90才になる母親にも少しは親孝行できたかな。
多くの国を旅してきたけれど、今回は叔父の住んでいるというだけで、これまでのトランジットだけの旅から、その国に少しは入り込んだ旅になったような気がする。
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