サントスの従妹
港町サントスはサンパウロから快適な高速道路を車で約2時間。サンパウロに近づくにつれて山をドンドン下がって行き、サンパウロがいかに高台にあるかが理解できる。下町から海岸通りに抜ける街並は港町だけにサンパウロとは違ったおシャレな感じがする。
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かつての路面電車が今では観光客向けの電車として旧市街を走り雰囲気を盛り上げる。
ブラジルといえばコーヒー。
サントスはコーヒーの一大積出港としても知られ、かつてのコーヒー取引所が現在では博物館として保存されていて内部の見学も可能になっている。
もちろん博物館内には喫茶店もあって本場ブラジルコーヒーが飲める。そういえば旅行中はいわゆる紅茶を飲む機会はなかったなぁ。
博物館2階では、おりからの日系移民100周年を記念した催し物が開催されていて、コーヒー農園で開拓に従事した日系人ゆかりの品物などが展示されている。

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慣れない環境の中での厳しい労働の合間には南米各地を巡回する映画や演芸団が訪れることもあったそうで、そんなときの街はお祭り騒ぎだったらしい。こういう画像を見ると芸能音楽がいかに人々を励ましてくれるかがよく理解できる。
1908年、最初の日本人移民を乗せた笠戸丸が着いたのがこのサントスで、広く長い白砂のビーチ脇には、1998年に「ブラジル日系移民90周年」の記念の碑も建立されている。
私の叔父の娘(つまり私には従妹にあたる)はこのサントスに住んでいる。彼女は1990年代、3年ほど日本への出稼ぎ経験があって、そのときの貯金を元手にビーチにほど近いアパートを購入して東欧系移民2世である夫と1男とともに暮らしている。
私がアパートを訪ねると一緒に出稼ぎ経験のある夫は机の引き出しからアルバムを取り出して、仕事の休みの日に遊びに行った土地のことや一緒に働き世話になった日本人の名前を挙げながら、日本ではいかに楽しかったかを話してくれる。
顔は日本人でありながら日本語を話せない従妹と、東欧系の夫との異国日本での出稼ぎはそんなに楽しいことばかりでもなく、むしろ辛く惨めなことが多かったであろうに、日本への感謝の言葉を聞かされると、ちょっとジーンとしてくるひと時でした。
「パチンコなんかしなかったの?」
私が冗談混じりに訊くと、ほとんど日本語を理解しない従妹が「パチンコ」という言葉をとらえ、「パチンコ?ダメダメ!パチンコダメ!絶対やらせなかった!」。誘惑の多かったであろう日本で夫の手綱を締めたり緩めたり、コントロールした従妹の姿が想像できる。
今回の旅行で世話になったサンパウロの旅行社のディレクターに挨拶に行ったとき、名前は日系ブラジル人名でもあまりにもネイティブな日本語に、「あなたは何世にあたるの?成人してからブラジルに働きに来たのか?」と質問すると、彼の答えはこんなものだった。
1980年代、自分が小学生のころ移民1世の父親が日本に出稼ぎに行き、その後家族も日本に呼び寄せられて、自分も静岡の小学校に入学した。
80年代当時の日本は好景気人手不足で日系ブラジル人の出稼ぎは優遇されて、1年働けばボーナスも貰えたし、家族全員のブラジルまでの往復チケットも貰えるという、現在の出稼ぎ事情と比べると夢のような生活でした。
その後父は出稼ぎを止めて家族はブラジルへ戻ってきたということは、自分たちはブラジル人で自分たちの生きる道はブラジルにあることに気づいたこととだったと思います。もちろん出稼ぎ生活の将来が先細りしていく予感と、それなりの蓄えもできてブラジルでの再出発のメドがついたということではなかったでしょうか。私たちは良い時期にブラジルへ戻ってきたと思います。
そうだよなぁ・・・。
そもそも日系ブラジル人の出稼ぎというのは、日本の人手不足解消を目的に日系人労働力を受け入れたもの。人手不足だからといって無制限に外国人労働者を受け入れることのできない政府が『日系』だから外国人ではないとして日系ブラジル人に目をつけ歓迎したのが始まりでした。
旅行中たまに日系人に会ったりすると日本の不景気が話題になり、中には「金が無くなったからといって強盗をやるなんて!日本人の誇りはどこへ行った!情けないヨッ!」と憤る移民一世の老人に出会ったこともありました。NHKBSの試聴ができるからニュースで祖国日本の経済状況とブラジル人出稼ぎ者の苦境も把握しているのです。
ちなみに、ブラジルでは「デカセギ」という言葉はポルトガル語として定着しているようで、日本での「出稼ぎ」につきまとう悲哀のニュアンスは薄い。もともとブラジルというのはアメリカへ労働力を提供してきた国のようだ。
世界的不況の中で日本での雇用状況も逼迫、その関連でブラジル人出稼ぎ者の苦闘も報道されています。旅行社のディレクターの父が出稼ぎに行った決断と切り上げた決断、それに、従妹夫婦が「お金を貯めてブラジルに戻る」と、出稼ぎに賭けた目的意識、これらのことがらが「デカセギ“勝ち組・負け組”」の運を分けたようにも思えます。なにごともそうだが話題になったときにはもうブームが下火になりつつあるということです。
従妹は妊娠を機に出稼ぎを終えてブラジルに帰国。その後夫婦でサントスに職を得て現在も共稼ぎしている。日本食が大好きだという東欧系の夫との間に生まれた男の子も、納豆たくあん何でもござれ、ご飯に刺身それにみそ汁という夕食を器用な箸使いで食べるのを感心しながら見たサントスの一夜でした。
さて、
本日のサントス・ビューティは、サントスの「ブラジル日系移民90周年」の記念碑脇のベンチで休んでいた少女です。カメラを見せて「写真撮らせて」の気持ちを伝えると、すかさずポーズを作るあたりサスガです。
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チャオ!!!
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