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2009年1月31日 (土)

アルゼンチン側のイグアスの滝

イグアスの滝はブラジルにとっての観光地であると同時に、アルゼンチンにとっても有力な観光地。

ブラジルから陸路国境を越えてアルゼンチン側に入国。アルゼンチンはビザ無しでOKだから入国審査は簡単。国立公園だか国定公園だったかの入り口ゲートで入園料を支払いトロッコ電車の駅へ。

アンデスの原生林の中をこんな電車に20分ほど揺られて、終着駅からはピクニックということになる。

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穏やかな水面から湖のように見えるけれど、

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これがアンデスの雪解け水の流れ込んでいる川。
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気がつかないほどのユックリとした流れが一挙に流れ落ちて滝になるという仕掛け。この遊歩道も大洪水に見舞われて流されたこともあるらしい。

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いちおう「アルゼンチンに来たどッ!」という証拠を示しておきましょう。


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ブラジル側から見上げた滝を、アルゼンチン側からは見下ろすことになります。向こうに見えるのがブラジル側の展望台。


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ブラジル側から見たイグアスの滝は全景を下から見上げる構図なのに対して、アルゼンチン側から見たイグアスの滝は、水が落ちて行くさまを足下に見られ、迫力からいうとやはりアルゼンチン側からの景観に軍配があがる。その象徴が通称『悪魔ののど笛』と呼ばれる大瀑布。

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前回書いたようにアルゼンチン側観光ボートは滝の真下まで侵攻し、乗客の歓声が聞こえてくるようです。

アルゼンチンのボート

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日本だったら管轄官庁から注意を受けるから自主規制するんだろうが、さすがラテンの国。このくらいの無茶をしないとオモシロクないんでしょう。

虹も眼下に見下ろします。

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日本だと「白糸の滝」などと称して1本筋のチョロチョロ滝でも意味を持たせてありがたがるけれど、イグアスの滝はそんな日本人の感性など嗤い飛ばす迫力!迫力!!ハッ・クッ・リョックッ!!!。およそ日本では想像もできない大景観を見せつけられたのでした。

どうしても日本のチマチマした自然と比較してしまうのが情けない。

日本からのブラジル・ツアーではイグアスの滝は外せないコースだけど、イグアスでは1泊程度のツアーが多いらしい。それだとブラジル側の滝巡りが精一杯。せめて2泊はとってアルゼンチン側にも渡ってほしいものです。

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さて、フォス・ド・イグアスはアルゼンチンに接していると共にパラグアイにも接している。ブラジル側からは川向こうのパラグアイの町並みも見えるほど近い。ブラジル/パラグアイ友好の象徴とされるのがイタイプー・ダム水力発電所。両国の共同開発事業で電力も両国が折半するそうで、中国の山峡ダムにトップの座を明け渡したといえ、世界最大級規模の水力発電所だ。

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このイタイプー・ダムの見学にはビジターセンターでブリーフィングを受けて、指定のバスで行くことになるが、本日のイタイプー・ビューティはこのお嬢さん。

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マスコット・キャラクターとして訪問者に愛嬌を振りまいているというワケです。

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2009年1月29日 (木)

イグアスの滝で水だらけ

18世紀中期、南米大陸でのキリスト教宣教師による布教活動を描いたロバート・デ・ニーロ主演の『ザ・ミッション/1986年/イギリス』という映画があります。

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冒頭、十字架に縛りつけられた男が川に流され、やがて谷底へと真っ逆さまに落下するというショッキングなシーンがありました。この男は宣教師で、布教に赴いたインディオの土地で処刑され川に流されたというのが映画の導入部。

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18世紀当時の南米でのスペイン・ポルトガルの陣取り合戦の犠牲になってい追い詰められるインディオと宣教師の姿を描いていて、ロバート・デ・ニーロは冷酷な奴隷商人としてインディオに恐れられながら、やがて“神の愛”に目覚め、インディオとともに侵略者と戦い殉死するという男。

「インディオの反乱」として歴史的事実を元にした映画だそうだけど、辺境への布教が純真な使命感だったにしても、ヨーロッパ人による植民地獲得の先兵になったのが宣教師だったということはまぎれもない事実ではあります。

マッ、そのことの詳細については他の専門家のサイトにお任せすることにして、このブログでは『ザ・ミッション』の舞台になったのが、南米大陸ブラジルとアル ゼンチンの国境にあるイグアスの滝だったことを話題にいたしましょう。

ブラジル有数の観光地イグアスの滝へはサンパウロから空路約2時間、フォス・ド・イグアスが玄関口になる。機内から見える目にも鮮やかな緑の絨毯は、あとで訊いたら大豆畑だったらしい。観光によって開発された比較的新しい町だけに整然と区画整理されている街並が美しい。

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何はともあれ空港からバスでイグアスの滝へ直行。徒歩でルートを回ることになるが、滝音がだんだん大きくなってきて一挙に滝の全景を見渡せるポイントにたどり着いたとき、そのスケールの大きさに見惚れてしまった。

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しばらくその圧倒的迫力をご覧あれ。

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お次はボートで滝の落下点近くまで行ってみようという趣向。雨合羽で身を包み救命具を装着、カメラはビニール袋に入れての完全装備。それでも滝の水しぶき容赦なく降り注ぎお客はヒーヒーいっての大喜び。船首からビデオカメラ向けて撮影している男がいて、彼はお客の喜ぶ姿ビデオに収めてのちほど販売しようという万国共通の商売人。

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イグアスの滝はブラジル・アルゼンチンの両国に跨がっていて、この川の真ん中が両国の国境ということになります。私はブラジル側のボートに乗ったわけだけれど、川向こうのアルゼンチン側からも遊覧ボートが出ています。

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よく観察するとブラジルのボートより、アルゼンチンのボートの方が滝の真下に近づき急旋回くり返したりの大サービス。このあたりにブラジルとアルゼンチンの国民性の違いを見た。まさにファドとフラメンコの違いそのものだゼッ!

雨合羽着ていても首筋あたりから水が漏れてきて全身びしょ濡れ。それでももともとTシャツに半ズボンだから特に困ることもない。ボートから上がり次のジャングル探検をしている間に乾いてしまった。

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というワケで、パソコンから水がしたたり落ちそうなところで、本日のイグアス・ビューティはこのお嬢さん方。

男の右腕タトゥーが『エスウ』なのに気がついて写真に撮ったら、「アタイたちも撮って!」と割り込んできたのがこのお嬢さん方なのです。

このラテンのノリ、、、好きです。

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Boa Sorte !
幸運を!

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2009年1月27日 (火)

サントスの従妹

港町サントスはサンパウロから快適な高速道路を車で約2時間。サンパウロに近づくにつれて山をドンドン下がって行き、サンパウロがいかに高台にあるかが理解できる。下町から海岸通りに抜ける街並は港町だけにサンパウロとは違ったおシャレな感じがする。

モンチ・セハーの丘から見下ろすゴンザガ・ビーチ

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かつての路面電車が今では観光客向けの電車として旧市街を走り雰囲気を盛り上げる。

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ブラジルといえばコーヒー。

サントスはコーヒーの一大積出港としても知られ、かつてのコーヒー取引所が現在では博物館として保存されていて内部の見学も可能になっている。

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もちろん博物館内には喫茶店もあって本場ブラジルコーヒーが飲める。そういえば旅行中はいわゆる紅茶を飲む機会はなかったなぁ。

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博物館2階では、おりからの日系移民100周年を記念した催し物が開催されていて、コーヒー農園で開拓に従事した日系人ゆかりの品物などが展示されている。

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慣れない環境の中での厳しい労働の合間には南米各地を巡回する映画や演芸団が訪れることもあったそうで、そんなときの街はお祭り騒ぎだったらしい。こういう画像を見ると芸能音楽がいかに人々を励ましてくれるかがよく理解できる。

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1908年、最初の日本人移民を乗せた笠戸丸が着いたのがこのサントスで、広く長い白砂のビーチ脇には、1998年に「ブラジル日系移民90周年」の記念の碑も建立されている。

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私の叔父の娘(つまり私には従妹にあたる)はこのサントスに住んでいる。彼女は1990年代、3年ほど日本への出稼ぎ経験があって、そのときの貯金を元手にビーチにほど近いアパートを購入して東欧系移民2世である夫と1男とともに暮らしている。

私がアパートを訪ねると一緒に出稼ぎ経験のある夫は机の引き出しからアルバムを取り出して、仕事の休みの日に遊びに行った土地のことや一緒に働き世話になった日本人の名前を挙げながら、日本ではいかに楽しかったかを話してくれる。

顔は日本人でありながら日本語を話せない従妹と、東欧系の夫との異国日本での出稼ぎはそんなに楽しいことばかりでもなく、むしろ辛く惨めなことが多かったであろうに、日本への感謝の言葉を聞かされると、ちょっとジーンとしてくるひと時でした。

「パチンコなんかしなかったの?」

私が冗談混じりに訊くと、ほとんど日本語を理解しない従妹が「パチンコ」という言葉をとらえ、「パチンコ?ダメダメ!パチンコダメ!絶対やらせなかった!」。誘惑の多かったであろう日本で夫の手綱を締めたり緩めたり、コントロールした従妹の姿が想像できる。

今回の旅行で世話になったサンパウロの旅行社のディレクターに挨拶に行ったとき、名前は日系ブラジル人名でもあまりにもネイティブな日本語に、「あなたは何世にあたるの?成人してからブラジルに働きに来たのか?」と質問すると、彼の答えはこんなものだった。

1980年代、自分が小学生のころ移民1世の父親が日本に出稼ぎに行き、その後家族も日本に呼び寄せられて、自分も静岡の小学校に入学した。

80年代当時の日本は好景気人手不足で日系ブラジル人の出稼ぎは優遇されて、1年働けばボーナスも貰えたし、家族全員のブラジルまでの往復チケットも貰えるという、現在の出稼ぎ事情と比べると夢のような生活でした。

その後父は出稼ぎを止めて家族はブラジルへ戻ってきたということは、自分たちはブラジル人で自分たちの生きる道はブラジルにあることに気づいたこととだったと思います。もちろん出稼ぎ生活の将来が先細りしていく予感と、それなりの蓄えもできてブラジルでの再出発のメドがついたということではなかったでしょうか。私たちは良い時期にブラジルへ戻ってきたと思います。

そうだよなぁ・・・。

そもそも日系ブラジル人の出稼ぎというのは、日本の人手不足解消を目的に日系人労働力を受け入れたもの。人手不足だからといって無制限に外国人労働者を受け入れることのできない政府が『日系』だから外国人ではないとして日系ブラジル人に目をつけ歓迎したのが始まりでした。

旅行中たまに日系人に会ったりすると日本の不景気が話題になり、中には「金が無くなったからといって強盗をやるなんて!日本人の誇りはどこへ行った!情けないヨッ!」と憤る移民一世の老人に出会ったこともありました。NHKBSの試聴ができるからニュースで祖国日本の経済状況とブラジル人出稼ぎ者の苦境も把握しているのです。

ちなみに、ブラジルでは「デカセギ」という言葉はポルトガル語として定着しているようで、日本での「出稼ぎ」につきまとう悲哀のニュアンスは薄い。もともとブラジルというのはアメリカへ労働力を提供してきた国のようだ。

世界的不況の中で日本での雇用状況も逼迫、その関連でブラジル人出稼ぎ者の苦闘も報道されています。旅行社のディレクターの父が出稼ぎに行った決断と切り上げた決断、それに、従妹夫婦が「お金を貯めてブラジルに戻る」と、出稼ぎに賭けた目的意識、これらのことがらが「デカセギ“勝ち組・負け組”」の運を分けたようにも思えます。なにごともそうだが話題になったときにはもうブームが下火になりつつあるということです。

従妹は妊娠を機に出稼ぎを終えてブラジルに帰国。その後夫婦でサントスに職を得て現在も共稼ぎしている。日本食が大好きだという東欧系の夫との間に生まれた男の子も、納豆たくあん何でもござれ、ご飯に刺身それにみそ汁という夕食を器用な箸使いで食べるのを感心しながら見たサントスの一夜でした。

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さて、

本日のサントス・ビューティは、サントスの「ブラジル日系移民90周年」の記念碑脇のベンチで休んでいた少女です。カメラを見せて「写真撮らせて」の気持ちを伝えると、すかさずポーズを作るあたりサスガです。

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チャオ!!!

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2009年1月25日 (日)

サントスのペレは神様だった

とりあえず、YouTubeのこの動画を見てみましょうか。

YouTube

私は特にサッカーマニアではないけれど、サントスへ行ったからにはSFC(サントス・フットボール・クラブ)の本拠地を覗いてみましょうか。

私の叔父に言わせるとこのサッカー場は「ペレが一人で建てた」そうな。

観客席2万数千人というからサッカー場の規模としてはそれほで大きなものではなさそうです。

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中央の黄色い看板がある場所は
ペレ専用の席だといいます。

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博物館のテレビでは
神様ペレのゴールシーンが途切れなく流され
サントス・フットボール・クラブの栄光を物語る記念品がテンコ盛り。

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ここでもペレ。

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ペレのロッカーが今でも残っています。

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選手のメンテナンスのための浴場

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記者会見の会場。

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サッカーの女神が微笑むように
選手が試合前に祈りを捧げる祭壇。

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かつて
“神様”ペレが
“キング”三浦カズが
ゴールを祈ったこの祭壇で
恐れ多くも
東の果てからやってきた
物見高いチャンジーの私も
祈りを捧げたワケよ
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女神が微笑むように。

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その結果!
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サッカーの女神の微笑みならぬ
地元お嬢様がたの微笑みを
ゲット!

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OBRIGADO !

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2009年1月23日 (金)

サンパウロからの手紙

サンパウロの叔父のアパートのベランダにはこんなモノが吊るされていて、「コレは何なの?」と訊けば、ハチ鳥のための水やり器なのだといいます。

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私に訊かれて、器具に水が入っていないことに気がついた叔父が台所で砂糖水を作り補給すると、それを待ってたかのようにハチ鳥が現れ、人影に怯えることなく模造花びらにくちばしを突っ込んで水を飲んでいる。

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一日1本の砂糖水が飲まれるそうで、砂糖水が切れると窓際でチッチッチッチと催促されるらしい。

周囲を見回すと各戸のベランダにはそれぞれデザインの異なる器具がブラ下がっています。ブラジルといえば年がら年中花が咲き乱れていてハチ鳥が蜜に困ることなんかないだろうと思えるけれど、サンパウロの都市化はハチ鳥の生態にまで影響を与えたということかな。

観光客的身勝手な見方からすれば、サンパウロはいわゆる名所旧跡と呼ばれる見所は少ない。しかし、発展拡大して都市化して行くブラジルのパワーには接することができる。その最たる例はサンパウロ市内を縦横に走る地下鉄で、この地下鉄とバスを組み合わせれば市内どこにでも移動することができるのだ。ただし、一見の短期旅行者にとって地下鉄と路線バスの利用は慣れるまで時間がかかるかな。

幸い私は叔父の尻にくっ付いて車中での庶民の生態を観察することができたが、まぁ、白黒茶黄色の人種の融合さは見事なもの。叔父が席を譲られるシーンを数回見たから、マナーの面でも立派なものです。

満員の地下鉄でキスを、、、それもディープなヤツを繰り返すカップルと、それをごく当たり前の景色として受け入れられる国民性も、、、ラテンだなぁ。

ラテンといえば、地下鉄駅構内のこんな看板や

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東洋人街のこんな落書きも

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日伯文化協会向かい側のこの建物は、『喜怒哀楽』という看板掲げた日本レストランらしいけれど、完全にラテンしています。

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『木村理髪店』という床屋さんのたたずまい。

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「写真撮って良い?」とカメラを向ければ喜んでポーズをつくる、ラテンのこの明るさは好きだねぇ。

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日伯文化協会と『喜怒哀楽』の間の上り坂をリベルタージ駅に歩いていると、「このあたりで日本の若い連中を見かけるんだよなぁ」と叔父が思い出したように言う。

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「あぁ、叔父さん。この“ペンションあらき”というのは『地球の歩きかた』というガイドブックで紹介されている安ホテルなんだよ」という説明に叔父も納得したらしい。

『地球の歩きかた ブラジル'08-'09版』によればドミトリー一晩R$30となっているから、一晩15US$というところか。私は今回叔父の家に居候しているけれど、ときと場合によってはこの“ペンションあらき”のドミトリーのベッドで寝起きしていたかもしれないのだ。

その街の人々の暮らしぶりを見るには市場に行くのが一番。

メルカドと呼ばれる巨大な市場には肉野菜魚乳製品が溢れていて、肉などは日本のようなチャチな切り身などでなくカタマリ単位でドッカーン!。カラフルな魚と果物はいかにも南国へ来たことを実感させブラジルの食生活の豊かさを表しています。

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食が満たされれば人間の表情だって豊かになるのは当たり前。メルカドの二階で食事を楽しむ親子のこの表情はどうだ?。

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幸せそうですね。

「写真に撮ってくれ!」って催促されてしまった。


  to えあじんさん、
こんにちは!

えあじんさんはブラジルの旅行が好き、うれしいです。
外国人の目で、ブラジルが危ない、あまり良くない国ですね。
悪いimageがあるかもしれない。
ブラジルに来た外国人は「ブラジルが楽しかった」って言って、
ブラジル人がうれしくなります。
またブラジルに来てください!

ところで、
東京で雪を見えますか?降りましたのかしら?
雪がきれいだと思います。見たことはないけど...
ブラジルの天気が、今、雨が降っても暑いです。
暑すぎる ・・・ 冬のほうが良いのでしょうか?

私は2005年から日本語を勉強しています。
今年、大学生になるので、日本語に行くと思っている。
VISAが怖い...出来ることが難しいそうです。

ご返事遅くなって、本当にごめんなさい。
日本語で書くことが難しし、よく書きたいので、遅くなってしまう。

ブラジル移民100周年。困難な状況下でも決して祖国の文化を忘れず、異国の原野を耕し続け根付いた移民の先達。彼らの子供や孫の世代はもはや日本人ではなくブラジル人に同化している。

そんな日系人の多く住むサンパウロで知り合った、日本語を勉強しているというブラジル人女子大生は、送ってあげた写真にこんな誠実なお礼の返信をくれ、いまどきの若者のケータイメールよりはよっぽど言葉が豊富ではないかと嬉しくなってきたのだ。

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2009年1月21日 (水)

ユナイテッド航空からの手紙

今朝のオバマ大統領パレードのニュースを見ながら、ちょうど1ヵ月前あの道を通ったゼ!ペンシルバニア通りというのか!と気がついた。

ワシントンDC・ダレス空港からサンパウロに向けて飛び立ったユナイテッド航空機が途中引き返したということを書いたら、ユナイテッド航空からお詫びの手紙とともに250ドルのバウチャーが届いた。もちろんブログに書いたからということではなく、乗客全員に事務的に送られたものでしょう。飛行機遅延で特別なダメージ受けたわけでもなく、突然のハプニングを楽しむ余裕もあった経験だったから、こうなると現金なものでこのバウチャーで次回もUA機を使って旅行しようかなどと思ってしまうのだ。

さて、

成田から40時間を経てやっとサンパウロに到着したのに、いきなり帰国したハナシでナンだけど。帰国してパソコンのメールボックス立ち上げたら見たことのないメールアドレス。宣伝メール→ゴミ箱行きにしようとして気がついた。

サンパウロのリベルダージでのこと、有名な鳥居をバックにブラジル女性をナンパして写真を撮ったら、彼女は日本語を勉強しているということで帰国後写真を送る約束をしていたのだ。その「写真を楽しみにしています」というメールが私の帰国以前に届いていたというワケ。

早速写真を縮小して送ってやったら、10分もしないうちに丁寧な日本語のお礼が返信されてきた。

ムカシだったら海外で写真を撮って「送ってやるから」とアナログの住所交換してもついつい面倒くさくなって約束破りをしたこともあるけれど、現代のデジタル時代ではこんなふうにメールで簡単に送れて、即お礼のメールが届いてしまうという、そんな時代になったんだなぁということを実感。

そういえば、航空券だってワザワザ旅行代理店まで行かなくても、ネットで申し込みネットでお金を振り込み、送られてきたE-チケットをプリントアウトしてそれで世界中どこでも問題なく旅程を消化できるという便利な時代になったのです。

でも、私のようなアナログ世代にとっては裏カーボンで綴じた数ページのブック型航空券をその都度一枚一枚剥がしていくほうが、いかにも「旅行をしている!」という感じで好きですねえ。

人口1500万人、ブラジルのみならず南米大陸最大の都市がサンパウロ。またサンパウロはブラジル在住日系人130万人の90%が住む街として知られています(『地球の歩き方』による)。そのサンパウロに日系人が拠点として築いた地区が地下鉄リベルダージ駅近くの“日本人街”でその象徴がこの鳥居ということになります。

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この“日本人街”周辺にはこんな建物があったり、

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路上ではこんな「南米神宮」のおみくじを売る神主さんがいたり。

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セブンイレブンやローソンこそないものの、味噌醤油納豆はもとよりあらゆる日本食品を揃えたスーパーマーケットがあって、どの店も繁盛の様子です。お客も東洋人顔にブラジル人顔と多種多彩。まさに“リトル・トーキョー”そのまま。

この栄える“日本人街”もいつごろからか“東洋人街”と呼ばれている。

当初の日本人コミュニティーに中国韓国系の商店が増えてきて、日本人のみならず広く東洋人が集う街ということで呼び名が変わっていったらしい。サンパウロ在住の叔父によれば、

「この辺りはムカシは墓場で何にもなかったんだ。そこを我々がコツコツとお金を貯めては買い増しして開拓していったんだ。ところがヤツらは本国から莫大な資金を持って乗り込んで買い占めていくんだから。我々は太刀打ちできないよ!」

この言葉には自分たちの街を乗っ取られた無念さのようなものを感じられます。

渡伯50数年、夢に描いた農場経営は叶わなかったけれど5人の子供は既に独立、プール、アスレチックジム、バーベキュースペース、24時間セキュリティつきのアパートでの悠々自適の引退生活。特に裕福ということでもなさそうで、これがブラジル中産階級の住居のようだ。このアパートから地下鉄とバスの無料パスを使ってほぼ毎日この“日本人街”へ通勤しているらしい。

アパートには息子だったり娘だったり、遠縁の姪だとか、説明されても理解できない関係の人間がひっきりなしに訪れ、夕飯を食い、そのまま泊まっていったりの千客万来。顔は日本人でも言葉の通じない従兄弟従姉妹やその友人達と飯を食うというのも初めての体験。

日本では今では死語になりつつある家長としてふるまい敬われる叔父の姿を見て、あぁ、この人にはブラジルの水が合っていたんだ。百姓の末っ子としてあのまま日本に留まっていたんでは現在のような充足感は味わえなかったと実感する。

私が小学生の頃バンザイ!バンザイ!の声に送られた叔父がブラジル目指し古里を旅立ったシーンを思い出す。私がこの年になってリュックサックかついで動き回っているのも、あの時の叔父の姿が原点になっているのだろう、とポルトガル語と日本語が微妙にブレンドされた言葉の中で気がついたワケです。

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2009年1月18日 (日)

すべては、、、ボン!だ 2

サンパウロ行きの乗り換え時間にホワイトハウス近辺を中心にワシントンDCを速攻で廻り再びダレス空港へ。クリスマス休暇を母国で過ごそうというブラジル人で満席のユナイテッド機は定刻にダレス空港を離陸。道路渋滞だとかセキュリティチェックに時間がかかって飛行機に乗り遅れたなんてことになったらどうしようと少しの不安もあっただけに上出来。

いい気分で寝ていたらミョーな気配を察したようで目が覚めた。時計を見ると離陸から2時間程度経過している。隣席のブラジル人に目で問いかけると、飛行機は機体不備でワシントンに引き返してるのだという。

オイオイオイ、、、マジかよ?

ブラインドを上げて機外を覗き込んでも翼が折れてるとか火を噴いているとかの気配もなく、ワシントンに引き返しているということはそれほど深刻な事態でもないだろう。ジタバタしても仕方ないから正に運を天に任せるという心境。

深夜のワシントン・ダレス空港に引き返したUA機はそのまま再離陸することなく、「サンパウロ行きは明日昼12時に出発するから明朝10時にC9カウンターでチェックインを」とホテル/タクシー/ミールのバウチャー渡されて放り出されてしまった。

それぞれ割り当てられたホテルにタクシーで向ったものの、それからがまたタイヘン。

ホテルに先着順にキーを渡されて事務的に部屋割りが進んでいたのに、私の番になって動かなくなった。暖房の切れたホテルの寒いロビーで散々待たされたあげく、部屋のクリーニングが終わらずスタッフも帰ってしまい、残りの皆さんには部屋を提供できないという説明に、部屋にアブれた連中(私も含めて)は怒り心頭!お客はブラジル人だから威勢がいい。

ロビー係の臨月の黒人女性がアッチコッチと電話交渉の様子で、「エマージェンシー」という声がときおり洩れてくる。さらに別のホテルへ転送ということになり、差し回しの冷え切ったリムジンバスに再び乗り込んだときにはあれほど威勢の良かったブラジル人連もアキラメてムッツリ顔。

けっきょくホテルの部屋に落ち着いたのはアメリカ時間の朝4時ころ。バスタブのない部屋でとにかく熱いシャワーを浴びて冷えた身体を温める。このまま毛布にくるまってしまったら寝過ごしそうな気がしてCNNスポーツニュースをつけっ放しにして起きていた。

そうこうしているうちに夜も明け、また熱いシャワーを浴び、人間の感情がまったくこもっていない機械的な朝飯を食い空港行きのリムジンが来るのを待つ。

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日付変更線を越えたりして時間の感覚が全くなくなってしまい、ほんとうは眠いはずなのに頭が冴え渡っている。アメリカの朝の冷たい空気がじつに気持ち良い。

昨夜出戻り機内で見覚えのあるお客を乗せたUA機は仕切り直しの再飛行。

 「昨日の飛行機とは別です」

などというアナウンスがちょっとは気休め。

サンパウロ朝10時着の予定が深夜12時近くになっていた。

サンパウロの深夜

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乗客みんな口には出さないまでも緊張していたんだろうな。ワシントン・ダレス空港発因縁のUA機がサンパウロ・グアルーリョス空港に到着したときには期せずして拍手が巻き起こったワケですヨ。

隣席のブラジル人も私に向って親指を突き立て、

ボン!
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喜びを一言で表現してしまったゼ〜。
喜びの感情をこれ以上簡潔に表現する言葉はないみたい。
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それいらい私も何かあれば
ボン!
ムイット 
ボン!


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というワケで
東京→サンパウロ
40時間もかかってしまった。
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2009年1月16日 (金)

すべては、、、ボン!だ

ブラジル行きの発端は、一昨年のお盆だったか正月だったかのこと。集まった親戚の間で「ブラジルの叔父の暮らしぶりを見に行こうではないか?」とのハナシが持ち上がり、その場のナガレでサンパウロの叔父に電話をすると「大歓迎だ!いつでも良いから皆で来い!」ということになって一挙に盛り上がったのだという。

「オレも行きたいから具体的なことが決まったら連絡を」と兄に頼んでおいたもののその後音沙汰無し。「ブラジルのハナシはどうなった?」と確認すると、「遠い」だとか「休みがとれない」だとか、けっきょく酒席の勢いで盛り上がったもののいつのまにかフェードアウトしてしまった気配。

 「それならオレが代表で行ってくるから餞別頼む!」

“クチの重さと腰の軽さ”が信条のチャンジー・バックパッカーを自称する私が、年末年始の挙行に焦点を合わせてネットで格安航空券を探し始めたのが8月初旬のこと。ところが、簡単に見つかるだろうと思った航空券がなかなか見つからない。あとで知ったことだか航空会社は夏期以降年末年始の航空運賃は9月初旬に決定して発表するものらしい。

それでも出発帰国日を微調整しながら、ワシントンDC経由サンパウロ行きを押さえて8月中旬には準備完了。おりから「ブラジル移民100周年」の節目を記念する日伯官民挙げてのイベントとリンクしてイヤがオウでも気分が盛り上がりアタマの中はカーニバル!

まだまだ先のことだと思っていた出発もいつのまにかすぐソコまで近づき、古里の親戚一同からはお土産に持って行けと煎餅の箱が届き、かさばってしまった荷物にこれまでの旅行では持ったこともないスーツケースを買い増しするありさま。バックパッカーとしては失格だなと苦笑い。

そして、母から届いたのは異国で50数余年暮らす末弟に宛てたカタカナひらがな混じりの涙腺ゆるむ手紙と私への餞別。いまどき海外旅行に餞別というのも大時代かもしれないけれど「センベイよりはセンベツ!」ありがたく頂戴する。

社内で回覧される忘年会新年会の案内の欠席欄にチェック入れているうち、有給休暇全消費を目指すチャンジー・バックパッカーを乗せたユナイテッド航空は一瞬にしてワシントンDCダレス空港へ到着ということになります。

ダレス空港でサンパウロ行きの乗り換えに約6時間の空白ができ、さて、このままジッと待合室で時間を潰したものか?それともワシントンの街まで行ったものか?と思案していると、おりからお客を運んできて帰りかけたタクシーの運転手と目が合った。

「オレ10時のサンパウロ行きに乗るアル。
空港からワシントンセントラル観光。
再び空港戻るハ夜7時。
いくらするアルか?」

こんなやりとりの結果150ドルで妥結。スチュワーデスからは空港→ワシントンは片道で50−60ドルと聞いていたから、まぁ、こんなモノだろう。

タクシードライバーが雲助に変身されても困るから、イラクでのブッシュ靴投げ事件などを話題に盛り上げ、友好関係形成につとめ出身地を訊けばギニアだと言いやがる。「オレは40年前セネガルのダカールからバマコを経由してナイロビまで横断したことがあるゼ!オマエはまだ生まれていないだろ!」

これでツカミはOK!ギニアから来て8年だというタクシードラバーのヒトミにジャパニーズに対する尊敬が芽生えたように見えたのは気のせいかも知れないが、雲助に豹変することもないだろう。

そんなこんなのセッションを楽しみながら、片側5車線だかの快適な道路を小一時間ほど飛ばせばタクシーはもはやワシントン市中の気配。ちなみにダレス空港はワシントンDCではなくミズーリ州にある。

映画などで見たことのあるこんな建物や
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こんな建物

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こんな建物を見学したり

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ブッシュ宅を眺めたり

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さらに、これがポトマック、あれがペンタゴンなどと市中巡りののち空港へと戻り、ギニア出身運転手に旅の安全を祈られたりしてサンパウロ行きにチェックイン。

クリスマス休暇を母国で楽しもうというブラジル人で満席のUA機は定刻にダレス空港を飛び立った。

時間的に無理かな?と思っていたワシントン市内の観光も一応できて、まぁ良かった。あとはサンパウロに着くだけと、聞こえるポルトガル語の響きをBGMに寝酒代わりのビールを飲んで目を瞑れば、いつのまにかストーンと寝入ってしまった。

これまでは良かったのよ!
旅の出足としてはパーフェクトだったのよ!
ところが
これからがケッコー大変なことになったのよ!

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2009年1月14日 (水)

ブラジルへ行ってきた

ブラジルへ行ってきた。
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ブラジルといえば
これにつきるでしょう。
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リオ・デ・ジャネイロ
コルコバードの丘にそびえ立つ
キリスト像をご覧ください。

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