旅する力 深夜特急ノート/沢木耕太郎
今回のインドのテロ被害にあったボンベイ(現ムンバイ)のタジマハール・ホテル一帯はとっても好きな場所でした。
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1975年、長い旅の終盤近く、ケニアのモンバサから船でたどり着き、日本で直面しなければならない現実に怯え、帰国する決断もつけられない日々。タジマハールホテル前のインド門傍から出るエレファンタ島行きボートの発着を眺めて、バジャンセッションの歌を聞き、海沿いの遊歩道を行ったり来たりする毎日にもはやバクシーシも声をかけてこない。何10パイサだったか?ピーナツ売りの少年も親父が目を離したスキにピーナッツの盛りを多くしてニコッと笑う。何のことはない、こっちがバクシーシに成り下がっていた。
あのころはとても泊まれるようなホテルではなかったタジマハール・ホテルも、今だったらなんとか気後れせずに泊まれる年齢になりました。だから、「そのうち泊まってやろうじゃないか!」と思っていた矢先の今回の事件。なにやらひとり娘が陵辱されたような気分です。
LDジャケットの平和なタジマハール・ホテル
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無思慮な行動の結果ならまだしも、ごくごく普通の旅行者や善意のボランティアが災害に巻き込まれても「自己責任」を持ち出されて糾弾されてしまうのが現代です。
これまでも何回か書いた通り、私たちが世界各国をホッツキ歩いた19T0年代初めというのは、バックパッカーにとっては良い時代でした。社会は、若い者が抱く好奇心を受け入れるだけの許容量がまだまだあった時代だったと思います。
そんな私たちの良き時代の旅行記『深夜特急/沢木耕太郎』は、30年以上前の旅行記なのに、旅のバイブルとして“人生の道しるべ”として現代でも支持されているらしく、今度はこんな本まで出ていましたね〜。

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旅する力
深夜特急ノート
沢木耕太郎
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新潮社
2008.11.30
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かつての旅人へ、旅の途上にある人へ、
これから旅立つすべての人へ。
深夜特急<最終便>遂に刊行!
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旅に教科書はない。
しかし、偉大な先達の残した
ノートを参考にすることはできる。
これは、60歳代になった沢木耕太郎が20歳代の『深夜特急』を振り返るという内容。
「旅に出よう!」
と決意する人がまたまた増えそうだけど
美文に惑わされるなヨッ!
と
ひとこと言っておこう。
さて、
「沢木耕太郎の『深夜特急』より半年前にオレは日本を出たんだぜ〜い!」と、自慢にもならぬことをココロに秘めながら、しがないチャンジーになってしまった私。本日も日銭稼ぎのための職場へと向っていると!!!!
コレは?
オームじゃないか?
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スキノ パヴァントゥ
オーム
シャンティ シャンティ シャンティヒー
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トラックのドアに向って
思わず手を合わせたワケですよ。
a
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コメント
あのー、、、
♪ サマスター、ローカ、スキノ、ヴァヴァントゥ
・・・に変わったというか、ババが変えられたというか。
センターではどう唱えているか知りません。
なんでもババの真意は、「ローカ、サマスター」だと、人間が優位に立ってしまうが、「サマスター、ローカ」だと、地球上の全ての生き物を尊重するというように意味が変わるのですって。
インドのサイトで知りました。
それはともかく、旅に出たいっす。
この間、中村屋のティーサロンで、隣席が中国人カップル。その早口のやりとりを目をつぶって聞いていると、どこかの空港にいるような・・それくらい旅に出たい。
でも、今は「ダ・メ!」と、ババがいうんだよね〜〜〜。
投稿: さとまき | 2008年11月29日 (土) 午後 08時52分