長野に行ってきた2
イヤハヤ・・・長野を真っ赤に染めた紅衛兵諸君もウンカのごと飛び去りそれぞれの日常の生活に復帰。世界に不調和まき散らしたハタ迷惑“呪われし聖火”も日本を離れて、少しは静かになりましたね〜。
土曜日に大声張り上げていたのがストレス解消になったのか、日曜日は睡眠時間の短かったワリには目覚めスッキリ。ユックリと新聞を読んで前日の長野騒動記事を確認してからプールでのスイミング。体調気力ともに変化なく1000mヤッツケて、さらに「フリー・チベット!」念じながらの水中ウォーキング。心地良い疲労感を楽しむ。
そ後近くの川べりを散歩すれば、水が干上がった川で取り残された数匹の鯉がアップアップ。
この姿を現在の中国政府首脳の姿と結びつけてニ・ヤ・リ。
今回の“聖火”リレーはヤツらが目論んだこととは全く逆の結果を招いたのは確実。今回の一連の段取りしたヤツは一族郎党ともに即強制収容所行きの憂き目というワケよ。
アッハッハッハハー!
日曜日の朝のテレビはやはり前日の長野騒動がメーンで、どの番組も大きな扱い。ただし私が実際に長野で見た印象とはかなりの差がある。私がセッションに参加したのは10時40分ころからだから、これは第一次の高波がひいたあとで、夜行バスで動員された紅衛兵もさすがに疲れが出た時間帯だったんでしょう。これが私の印象とメディアの報じた騒動との差だったのかな。
しかし、よくもアレだけの紅衛兵を集めることができたものと感心します。
世界各地を真っ赤に染め、自分たちの価値観だけを押し付けるそのやり方の報いを味わうときが近いうちにやってきます。
マッ、せいぜいいまのうちに楽しみなされ。
何度でもいいます。世界中に恥をさらす結果になった今回の“聖火”リレーは大成功でした。
というワケで、長野で見た雪山獅子旗の勇士を何枚かご紹介いたしましょう。
コレは“聖火”リレーを待ってる間に通りかかったオートバイ。
とバイク青年
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気になるとどうしようもなく気になってしまう私は彼らに訊きましたヨ。
「あの〜・・この旗は何の旗ですか?」
「これはネ〜ベトナムの旗ですヨ。」
「エッ?ベトナムの旗?これが?」
「そう、今のじゃない。ムカシのベトナム。ボクたちもチベット支持です!!!」
「あ〜、旧南ベトナムの旗だったんですネ」
なるほど南ベトナム出身者だったら反中国も理解できる。
↓
歩いている途中左翼顔の中年男性と目が合って、彼が話しかけてきた。
「あなたはどこかの団体に所属しているのですか?」と訊いてきたから、こんなことを彼に話した。
ボクはどこの団体にも属してない、まったくの個人の意志で長野に来ています
ボクがチベットのことを初めて心にとどめたのは、1959年か1960年ころだと思います。茶の間で新聞を読んでいた母親が「この人がチベットの“生神様だって、可哀想に・・・」。そう呟きました。その新聞を覗き込むと若い日のダライ・ラマがラサを逃れてインドに向っているときの写真が載っていたワケです。
母親はダライ・ラマについての知識あったとは思えないし、子どものボクだってダライ・ラマがどういう存在なのか知るはずもありません。それでもボクは母親とのそんな会話を鮮明に憶えていてダライ・ラマの名前も刻印されました。
ボクがダライ・ラマを訪ねて亡命政府のあるインドのダラムサラを訪れたのは1974年4月のことです。だからチベットとの関わりは随分古いことになります。その時はダライ・ラマが外国へ行ってたかナニかでダラムサラには居なかったり、ボク自身が肝臓をやられてダラムサラを離れたためにダライ・ラマに会うことは叶いませんでした。
チベットのラサへ行ったのは2005年のことです。たった1週間ほどの旅行でしたが、ラサの街は中国人入植者に浸食されてチベット人たちは隅へ追いやられていることはすぐに理解でき、中国政府のヤリクチに憤りを憶えて帰ってきました。
それ以来ボクの信条は
チベット問題があるかぎり中国を信用するな!!!
というものです。
ボクは特定の宗教の信者だとかチベット仏教の信者でもなく、ダライ・ラマの著作に影響されその教えを実践してるということもありません。第一ダライ・ラマの本もまともに読んだこともないのです。ダライ・ラマという名前を知った、子どものときの母親との一夜がボクのチベットの原風景になり、ダライ・ラマ=母親の姿にイメージされるだけです。
そんな、ただのミーハーですが、中国がチベットにしたことと同じようなことはいずれ日本も起きると確信しています。武力で日本を制圧ということはないにしても、いずれ中国に隷属させられることは、これまでの日本政府の対中国の姿勢からみて明らかです。
だから、いまこの機会に中国に対する意思表示をしておかないと気が済まないということがあって、こうして長野に来ているワケです。
もちろんこんなに流暢ではなかったけれど、このような趣旨のことを歩きながら喋ったワケ。
その左翼顔がどういう意図で私に話しかけたのか知らないけれど、私のハナシを途中からメモをとりながら聞いていたから、何か特別な意図があったのかもしれません。もしかすると公安だったか?
左翼顔オトコと別れて“聖火”リレーのゴール地点の県民会館に近づき、雪山獅子旗の流れにしたがって歩いていくと、雪山獅子旗と五星紅旗がキレイに振り分けられていてのシュプレヒコール合戦。数は圧倒的に紅衛兵が多い。
2008年4月26日(土)午後、長野市若里公園雪山獅子旗のエリアで見かけたそれぞれの意思表示。
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“聖火”リレーが
日本人排除の会場で
中国人五星紅旗の拍手で閉幕ということは
「中国人のための日本人によるイベント」
だったことで間違いありません。
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それでも
このイベントが大成功だったと喜びましょう。
なぜなら
中国崩壊の序章を見ることができたのだから。
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コメント
始めまして。
二枚目の写真から見るに、東口ではかなりご近所だったようです。お疲れ様でした。
ところで、ぶしつけなお願いですが
三枚目の南ベトナム旗の写真を
お借りできないでしょうか。
自分のブログに掲載したいのです。
それがダメでしたら、
こちらにリンク貼らせていただいてもよろしいでしょうか?
以上、用件のみですがよろしくお願いします。
投稿: rosaline | 2008年4月30日 (水) 午後 03時28分
■中国ゼリー世代の台頭-中国国内外各地でデモをやっている連中は歴史上の泡沫に過ぎない。
こんにちは。私のブログでは、「中国分裂の筋書」を10回にわたり連載しました。最期の回では、新生民主中国の大繁栄の筋書きを書きました。ただし、この筋書を成就するためには、いわゆる中国のゼリー世代が台頭し、彼らが民主中国の指導層となる必要があります。また、その可能性が大きいと思います。私は、最近非常に目立つ、中国国内外でデモをしているような連中は、歴史上の泡沫に過ぎないと思っています。これからの、私のブログではこのゼリー世代に着目していきたいと思っています。私のブログでは、その第一回目として、中国アートを題材としてゼリー世代の概要を掲載しました。是非ご覧になってください。
投稿: yutakarlson | 2008年4月29日 (火) 午後 12時57分