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2008年1月16日 (水)

to Airegin 『神話の力』について 1

   by :doubledot 2007.12.30 

『神話の力』は比較神話学者ジョーゼフ・キャンベルとジャーナリスト、ビル・モイヤーズの対談である。

最初の質問は「なぜ神話か?」だった。
いまどき、なぜ神話の事を考える必要があるのか?

それに対するキャンベルの答えは、「必要ありません。あなたはあなたの人生を生きなさい」
だが、こう続けた。「でも、その問題があなたをとらえて放さない時は、しっかりと受け止めるべきでしょう」と。

放送を見て10年、私は今も『神話の力』に魅了され続けている。

神話の魅力とはまず、物語としての面白さだ。
英雄の冒険譚、神々の壮大な争いなど心躍る物語もあれば、含蓄豊かな哲学もある。
処女懐胎、死からの復活、洪水と再生、作物の起源など地理的に遠く離れた土地で類似の話が語られていることも興味深い。

違い、多様性もまた面白い。島国の神話、大陸の神話、砂漠の神話、密林の神話はそれぞれに天地創造の過程が異なり、それぞれの世界観を反映している。

だが、それだけではない。
神話の最大の魅力は、現実に有用ということだ。

悩まずにいられる日は少ない。
なぜ生まれたのか、なぜ生きるのか、なぜ食べるのか、なぜ大人になるのか、なぜ恋をするのか、なぜ子供を生むのか、なぜ金が必要なのか、なぜ時間が足りないのか、豊かさとは何か、今していることを続けるべきか、辞めるべきか、変化をもたらすべきか、どのように変えるべきか、自分は何者なのか、どう生きるべきなのか、なぜ老いるのか、なぜ争うのか、なぜ殺すのか、

そしてなによりも、なぜ死ぬのか

大きな悩み、個人的な悩みなど質や種類はいろいろだが、一時的に先送りしたり、答えを出すことから逃げることができたとしても、いつか必ず、向き直って答えを出さなければならない。

神話は悩みに答えてはくれないが、考える道しるべとなる。

本来神話とは楽しみのためだけに語られたものではなく、人生の転機を迎えた時に社会の中でいかに生きるべきかを英雄の故事という隠喩として語られたものだからだろう。神話とは宗教、哲学、心理学、社会学、歴史などが分化する以前のすべてを内包した民族の精髄であり、神話を知ることは文化を知ること、人間を知ることなのだ。

生きる時代、社会が違えども教えられることは多い。

そしてキャンベル氏は繰り返し言う。

人生とは生きている喜び、自らの至福を追及するためにある。それこそが本当に生きている経験である、と。

楽しんで仕事をしている人は、苦労を苦労と感じないものだ。
徹夜や困難、想定外のトラブルさえも挑戦でしかなく、楽しんで打ち込むことが乗り越える力となる。

愛もまた然り。
トリスタンは自らが仕える王の婚約者イゾルデと恋に落ちた。
臣下として許されることではなく、宗教的にも死に値する罪だが、トリスタンは言った。

「この愛の苦悩を僕の死と呼ぶかもしれないが、それこそ僕の生命だ。
地獄の炎で永劫に焼かれる罰を僕の死というのなら、
それも喜んで受けよう」

無上の喜びに従って生きることは簡単ではなく、苦痛と困難を伴う。
だが、喜びや生きる実感は他の方法で得ることは出来ない。
無上の喜びに生きること、その瞬間を永遠とすることが、真の幸福であり、現世にあって天国に生きることなのだ。

以来、私の判断基準は変わった。
右か左かを選ぶとき、するべきかせざるべきかを考えるとき、どちらがより私の喜びに近いかを基準とするようになった。その意味で『神話の力』は私の人生を変えたと言っても過言ではない。

チーフ・シアトルの言葉も『神話の力』で初めて知った。
地球温暖化、環境破壊が進む現代、我々の日常的な行為が北極のシロクマを迫害し、珊瑚礁を破壊し、渡り鳥を苦しめている。
「エコ」「地球に優しく」などとお手軽な言葉で目を反らす前に、彼の言葉に耳を傾けて欲しい。この言葉を知るためだけでも、『神話の力』に触れる価値はあると思う。

キャンベル氏の没後20年が経つが、『神話の力』は色あせることなく、今も鋭く問いかけ、心に切り込んでくる。

我々はもはや洞窟に住むことは出来ず、鎖国することも出来ない。
これからの時代を真に豊かに生きるにはどうすればいいか、そのヒントが『神話の力』にあるように思う。

そして、21世紀の地球規模の神話を作り出すことが、キャンベル氏から我々に託された宿題のように思えてならない。

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