プノンペンで雨を見たかい
カンボジアの12月-1月はちょうど乾期で観光には最も適したシーズンらしい。連日28℃くらいで、数日外を歩いただけで腕時計のあとがクッキリと白く残っている。それでいて夜はクーラーが必要なほど蒸し暑くもないのが嬉しい。
カンボジアの観光といえば、どうしてもアンコール遺跡群を擁する北部シェムリアップが中心になって、首都プノンペンはシェムリアップへの飛行機乗り継ぎていどの役目しかないようだ。だからプノンペンでは1人の日本人とも会わなかった。もっともカンボジア人には中国系韓国系日本系顔立ちの人も多いから、日本人だと気がつかなかっただけかも知れない。
プノンペン唯一の観光施設はやはりメコン川傍の王宮ということになるだろうか。
特別な関心もないけれど、観光客の身としては一応覗いてみようか。
観光客として遣うささやかなお金が国家再建のための資金になるのなら、高く設定された宮殿/国立博物館入場料も気持ちよくお支払いいたしましょう。
いかにも観光客ヅラして街中を歩いていれば、カモを求めるタクシードライバーが「1時間市内ツアー20ドルでどうだ?」だとか「マッサージ?ビューティフル・レディ?」と万国共通のお誘いを耳元で囁く。そんなヤツらを無視して歩いていると、ス〜ッと寄ってきたバイクタクシーの男が「キリング・フィールド」と声をかけてきた。
アッ!そうかキリング・フィールドを忘れていた。
バイクタクシーの男の言い値10ドルをもちろん半分に値切って後部席に跨がる。
ポル・ポト政権発生の70年代中頃、プノンペン市民は農村に強制移住、知識人はどこかに連行されたまま二度と戻ることはなかった。映画でも知られた大量虐殺キリング・フィールドの蛮行を今に伝える場所がプノンペンにあったのだ。
のどかな郊外の景色の中バイクで約30分走り、着いたのがこの建物。
遠目にはありきたりの塔だけど、近くに寄ってみればこのような骸骨が2段3段と重なりあっている異様な建物。
そして、建物の裏側にはこれらの亡骸を掘り起こした穴が当時のまま野天で放置してあります。
いったいどれほどの亡骸があるのだろう?もちろんここにある亡骸は実際に虐殺された人々の数割のはず。私はこれらの亡骸を弔うお経を知らないから、ただ手を合わせたまま「ナンマイダ・・・ナンマイダ・・・・」とブツブツ唱えながら周囲を歩き回るだけだ。
待っていたドライバーが土産物屋と茶屋に誘導したがったけれど、とてもこんなところでユックリお茶なんぞを飲んでる気分になれはしない。
「エッ?マッサージ?それも必要ないから、さぁ、街へ戻ろう!!!」
不満顔なダイバーをせきたて早めにホテルに戻る。プノンペンの熱風と骸骨の放つ波動にやられたらしい。
アタマを冷やすためにベッドで横になっていると、隣りのビルではカラオケ大会が始まったらしい。カンボジア人らしい男女数人がマイクを回して歌を競い合っている音が、換気扇を通してこのホテルの部屋にまで洩れてくる。このグループの中にプレスリーやらグレン・キャンベルやら6-70年代アメリカンポップス専門の男がいて、ネイティブ・イングリッシュの発音で完璧に歌いこなすヤツが入っている。私にとっても好きなジャンルだから、コイツがマイクを持つ順番になるとついつい耳を傾けてしまう。
そうこうしている間に思いついた。
「アッ!そうか!今日は紅白歌合戦の夜だぜ」。
カンボジアはまだ宵の口だけど日本とは2時間の時差があるからNHK紅白歌合戦が始まってるんだ!!!日本にいたら紅白歌合戦なんて見ることなどないけれど、ここは旅先のプノンペン。郷愁に駆られてテレビのチャンネルを回せば、小林幸子嬢の周りで光の輪も回っている。
小林幸子嬢にはワルイけれど、これが面白いの?

旅に出てまだ1週間しか経っていないのに、旅先で見る紅白歌合戦に何か特別な感動があるかと期待したら、ただ侘しいだけ。そんな想いでボーッと紅白を見ていると、隣りのビルのカラオケ大会は、例のアメリカンポップス専門男の順番。フォークロック調イントロを聞いたとたん、私はあわててテレビを消したのだ。
まさかプノンペンの安ホテルで
C.C.Rの『雨を見たかい』をカラオケで聞くとは
思いもしなかったよ!!!
それにしてもシャウトの部分まで完全にコピーして、見事な歌唱力です。
カラオケとはいえ良い歌を聞いたなぁ。
シェムリアップのアンコール遺跡群を回っていると、観光客が歩く道筋で4−5人の男たちが楽器を演奏しているのをよく見ます。初めて見かけた時、哀調を帯びたメロディーに魅かれて近づいてみたら、彼らは地雷被害者で不自由な身体で演奏しながら、CDを販売したり寄付を募ったりして地雷被害者援助しようという、いわば観光局公認の活動家たち。
崩れかけた遺跡の端で小さく丸まった姿で物乞いする女性も見られます。「彼女らは乞食をするために手足を落としたプロだよ!」などとは言いますまい。例えそうだったにしろ、見てしまった以上素通りすることは罪のような気がして、ささやかだけど、1ドル札をそっと彼女の前に置いて立ち去るのです。
あの豪華な宮殿の主はこれまで何をしてきたのだ。
フランスに庇護を求め、世界各国の援助国を風見鶏ヨロシク嗅ぎ分け媚を売り、都合悪くなると中国に高飛びしたノッペラ顔の、ただただ己の保身だけを求めた策略がどれほど国民を苦しめてきたのか外国人の私にだって想像がつくことだ。
C.C.Rが『雨』に例えたナパーム弾は世界から消え去ったのか?
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いつまでたっても
学習効果の現れないのが
人間という生き物らしい。
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そんなことを思ったプノンペンでの大晦日でした。
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