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2008年1月31日 (木)

プノンペンでこんなものを食っていた

カンボジアの通貨の単位は「リエル」だけど、カンボジア滞在中は一度も両替することなく終わってしまった。

一般にドルが流通して、レストランでも街角の果物屋でも、ドルを出せば釣り銭はドルやリエルで返ってくる。リエルは雑にカゴなんかに放り投げても、ドルはちゃんとフトコロに仕舞うところを見ると、どやらリエルよりはドルの方が信頼されてるみたい。1ドル=4000リエルという超デフレ的交換レートでは自国通貨が軽んじられるのも仕方がないか。

ホテル傍の飯屋に入り、先客が食べている美味しそうな麺を指差して「これをくれや」と日本語で言えば、こんな豪華な朝食にありつこことができる。

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ドンブリの中にモヤシを入れ、スダチを絞れば味がキリッと締まる。それにアツアツの肉まんと揚げパン。これで2ドルを渡したらリエルでお釣りが返ってきたから、1.5ドル程度のものです。

メコンの風にあたり、ちょっとオシャレなオープンカフェで人通りを眺めながらこんな昼飯を食べても、飲み物付きで3-4ドル。

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屋台の果物屋でパイナップルの切り身を買い、言葉が通じないのでリ財布を見せたら、おずおずと何枚かのリエル札を抜いたから、たぶん0.5ドル程度のものだったのではないかな。


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夜、何を食べようか?とプ〜ラプラ歩いていて見つけたのがこの日本食レストラン。

待てよ!!よく見ると、チョッと変だな?

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GINGA JAPANESE RESTAURANT

何か意図があるのか、それともその日たまたまネオンが切れていたのか知らないけれど、こんな店は焼き討ちして世界からデリートするべきだと悪態つきながら、さらに歩いていくと、、、小さな間口の中国レストランのウインドウに見える「餃子」の2文字。

ウインドウのメニューを眺めていると、店の奥から若い女性が出てきて「ギョーザ、水ギョーザもあります、どうぞ」と笑いかけます。プノンペンの餃子もオモシロそうだ、ハナシのタネになりそうだ、ヒヤカシで入ったらこれが大当たり。けっきょくプノンペン滞在中この店で3回も夕飯を食べてしまった。

焼き餃子+豆腐青菜スープ(2ドル)

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卵チャーハン+水餃子+豆腐青菜スープ(3ドル)

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鶏唐揚げニンニク煮込み+豆腐青菜スープ(4.5ドル)

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テーブル6席ほどの家族経営的な店で、メニューには日本語の説明もあるけれど、観光客相手というよりは在住中国人に人気があるようだ。全メニューを制覇したくなるようなお店で、こんな店が日本にあったら毎日でも行くだろうなぁ。

「明日ベトナムへ行くんだよ、いつか再びプノンペンに来たいね。そして、ここの餃子をまた食べたいね〜」とマダムに挨拶しておヤクソクの記念撮影。

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一目見ただけで理知的な女性だと分かる顔立ちでしょ。
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名刺ももらってきたからアップしましょう。
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あなたが
プノンペンに行くことがあったら
ぜひお立ち寄りください。

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けっきょく
こんなふうに
プノンペンをブラブラして
安い飯を食い
過ごしただけの
3泊4日でした。

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2008年1月30日 (水)

プノンペンのオーム

プノンペンの街を朝早く歩いていると僧侶が托鉢している姿をよく見かける。

お坊さんがス〜っと門前にたつと、しばらくして家人が現れて金銭や食べ物などを器に入れてやり、互いに合掌し終わるとス〜っと立ち去る。よく見てるとカラ振りのときもあるようで、留守なのか無視されたのか家の中から誰も来ずそのまま立ち去るときもあるようだ。

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こんなふうに、おばぁちゃんが孫を連れ一緒になって拝めば、坊さんに対する尊敬の念が自然に芽生えていくのでしょう。

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上の2枚の托鉢姿を見ると、坊さんのハダシは分かるけれど一般人も皆ハダシだということを今気がついた。自分たちの代わりになって修行に励む坊さんがハダシなのに、靴やサンダルを履いていたんでは失礼になるということなのかな。

これはプノンペンの国立博物館での写真だけど、観光客のざわめきが聞こえないかのように、書物を読んでいるお坊さんが、なかなか決まっています。

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この、国立博物館の向側、トンレサップ川沿いに小さなお寺があって、さっきから法要の準備中。お金持ちの行事らしくバンドが入ったり、かなり大掛かりなものです。

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参拝客お目当ての花屋やお乞食さんも準備に余念がありません。それら商人の集まる一角に大きな鳥かごを持ったグループがいて、日本では見られない行事を見ることができた。

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つまり、せめて囚われの雀を解き放つことで現世の罪滅ぼしをしようというもの。雀にも、放たれるもの、そのまま残されるものと、運不運があります。これも雀の前世の行いによるものなのか。雀の顔もよく見ると日本の雀とは顔立ちが違うみたい。

このように同じ仏教圏に住む者として、なじみある景色をみることができるけれど、中にはこんなことも・・・・・。

  オイオイ!コリャッ!!!

お寺の壁に立ちションベンじゃ、ポコチン曲がりまっせ!!!

こんなヤツもいます。

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Sikiri
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トンレサップ川に面した、シンワットキーはコロニアル調のオープンカフェや土産物屋の立ち並ぶ観光名所。CD屋などを冷やかしながら歩いていると、「日本語OK」というインターネットカフェがあって久しぶりにパソコンで遊ぶことがができた。

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メールボックスに入っていたメールをチェックしたり、このブログへのコメントを編集したり、たまに触るパソコンが嬉しい。2時間で1ドルだから安いものです。こんなふうにサハラ砂漠にいても、メコンデルタにいても通信できるのだから、まさに世界は小さい網の中に包まれているようなものです。

ネットカフェを出ると「私は乞食ではありません。仕事をしています」というボードを掲げた車イスの男がいたので、彼から絵はがきを買えば、ありがとうの一言もなかった。ホントにプライドばかり高いヤツだなぁ。

このシンワットキー通りは小さな旅行代理店も軒を連ねている地域で、ベトナム行きのバスの情報を求めて歩いていたときのことだ。

ギョッ!!!
オームと鉢合わせしてしまった。
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まさか
プノンペンの
こんなところにまで
オームを引き寄せるなどと
予想もしていなかったゼッ!!!
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(プノンペンにて)

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だけど
偶然というのは恐ろしいもの。
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オージーのオーム男と
ジャパンのオーム男が
メコンデルタの街角で
絶妙のタイミングで鉢合わせ
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互いに相手のオーム を指差して
オーム!オーム!オーム!
と大笑いするのですから。
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実は
ジャパンのオーム男である
私のディーバッグには
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が縫い付けてあったのよ!
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オームを
引き寄せたのか
オームに
引き寄せられたのか
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長生きしていると
こんなこともあるんだよッ!
 

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2008年1月29日 (火)

プノンペンで雨を見たかい

カンボジアの12月-1月はちょうど乾期で観光には最も適したシーズンらしい。連日28℃くらいで、数日外を歩いただけで腕時計のあとがクッキリと白く残っている。それでいて夜はクーラーが必要なほど蒸し暑くもないのが嬉しい。

カンボジアの観光といえば、どうしてもアンコール遺跡群を擁する北部シェムリアップが中心になって、首都プノンペンはシェムリアップへの飛行機乗り継ぎていどの役目しかないようだ。だからプノンペンでは1人の日本人とも会わなかった。もっともカンボジア人には中国系韓国系日本系顔立ちの人も多いから、日本人だと気がつかなかっただけかも知れない。

プノンペン唯一の観光施設はやはりメコン川傍の王宮ということになるだろうか。

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特別な関心もないけれど、観光客の身としては一応覗いてみようか。

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観光客として遣うささやかなお金が国家再建のための資金になるのなら、高く設定された宮殿/国立博物館入場料も気持ちよくお支払いいたしましょう。

いかにも観光客ヅラして街中を歩いていれば、カモを求めるタクシードライバーが「1時間市内ツアー20ドルでどうだ?」だとか「マッサージ?ビューティフル・レディ?」と万国共通のお誘いを耳元で囁く。そんなヤツらを無視して歩いていると、ス〜ッと寄ってきたバイクタクシーの男が「キリング・フィールド」と声をかけてきた。

アッ!そうかキリング・フィールドを忘れていた。

バイクタクシーの男の言い値10ドルをもちろん半分に値切って後部席に跨がる。

ポル・ポト政権発生の70年代中頃、プノンペン市民は農村に強制移住、知識人はどこかに連行されたまま二度と戻ることはなかった。映画でも知られた大量虐殺キリング・フィールドの蛮行を今に伝える場所がプノンペンにあったのだ。

のどかな郊外の景色の中バイクで約30分走り、着いたのがこの建物。

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遠目にはありきたりの塔だけど、近くに寄ってみればこのような骸骨が2段3段と重なりあっている異様な建物。

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そして、建物の裏側にはこれらの亡骸を掘り起こした穴が当時のまま野天で放置してあります。

いったいどれほどの亡骸があるのだろう?もちろんここにある亡骸は実際に虐殺された人々の数割のはず。私はこれらの亡骸を弔うお経を知らないから、ただ手を合わせたまま「ナンマイダ・・・ナンマイダ・・・・」とブツブツ唱えながら周囲を歩き回るだけだ。

待っていたドライバーが土産物屋と茶屋に誘導したがったけれど、とてもこんなところでユックリお茶なんぞを飲んでる気分になれはしない。

「エッ?マッサージ?それも必要ないから、さぁ、街へ戻ろう!!!」

不満顔なダイバーをせきたて早めにホテルに戻る。プノンペンの熱風と骸骨の放つ波動にやられたらしい。

アタマを冷やすためにベッドで横になっていると、隣りのビルではカラオケ大会が始まったらしい。カンボジア人らしい男女数人がマイクを回して歌を競い合っている音が、換気扇を通してこのホテルの部屋にまで洩れてくる。このグループの中にプレスリーやらグレン・キャンベルやら6-70年代アメリカンポップス専門の男がいて、ネイティブ・イングリッシュの発音で完璧に歌いこなすヤツが入っている。私にとっても好きなジャンルだから、コイツがマイクを持つ順番になるとついつい耳を傾けてしまう。

そうこうしている間に思いついた。

「アッ!そうか!今日は紅白歌合戦の夜だぜ」。

カンボジアはまだ宵の口だけど日本とは2時間の時差があるからNHK紅白歌合戦が始まってるんだ!!!日本にいたら紅白歌合戦なんて見ることなどないけれど、ここは旅先のプノンペン。郷愁に駆られてテレビのチャンネルを回せば、小林幸子嬢の周りで光の輪も回っている。

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小林幸子嬢にはワルイけれど、これが面白いの?

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旅に出てまだ1週間しか経っていないのに、旅先で見る紅白歌合戦に何か特別な感動があるかと期待したら、ただ侘しいだけ。そんな想いでボーッと紅白を見ていると、隣りのビルのカラオケ大会は、例のアメリカンポップス専門男の順番。フォークロック調イントロを聞いたとたん、私はあわててテレビを消したのだ。

C.C.Rだぜッ!!!
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まさかプノンペンの安ホテルで
C.C.Rの『雨を見たかい』をカラオケで聞くとは
思いもしなかったよ!!!

それにしてもシャウトの部分まで完全にコピーして、見事な歌唱力です。

カラオケとはいえ良い歌を聞いたなぁ。

シェムリアップのアンコール遺跡群を回っていると、観光客が歩く道筋で4−5人の男たちが楽器を演奏しているのをよく見ます。初めて見かけた時、哀調を帯びたメロディーに魅かれて近づいてみたら、彼らは地雷被害者で不自由な身体で演奏しながら、CDを販売したり寄付を募ったりして地雷被害者援助しようという、いわば観光局公認の活動家たち。

崩れかけた遺跡の端で小さく丸まった姿で物乞いする女性も見られます。「彼女らは乞食をするために手足を落としたプロだよ!」などとは言いますまい。例えそうだったにしろ、見てしまった以上素通りすることは罪のような気がして、ささやかだけど、1ドル札をそっと彼女の前に置いて立ち去るのです。

あの豪華な宮殿の主はこれまで何をしてきたのだ。

フランスに庇護を求め、世界各国の援助国を風見鶏ヨロシク嗅ぎ分け媚を売り、都合悪くなると中国に高飛びしたノッペラ顔の、ただただ己の保身だけを求めた策略がどれほど国民を苦しめてきたのか外国人の私にだって想像がつくことだ。

長い間カンボジア国民を苦しめた地雷は世界から撤去されたのか?
そして
C.C.Rが『雨』に例えたナパーム弾は世界から消え去ったのか?
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そうではないようだ
今でも
地雷やナパーム弾は
罪のない沢山の人々が苦しめているのだ。
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いつまでたっても
学習効果の現れないのが
人間という生き物らしい。
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そんなことを思ったプノンペンでの大晦日でした。
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それでは本日のひとりYouTubeは
ホンモノのYouTubeから
CREEDENCE CLEARWATER REVIVAL
HAVE YOU EVER SEEN THE RAIN
を見てみましょう。

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YouTube
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2008年1月27日 (日)

いざプノンペン

アンコール遺跡群の歴史的背景や価値などについての詳しいことは他のガイドブックに任せて、私はそそくさと荷物をまとめてシェムリアップを出る準備。外からクラクションがきこえてどうやらピックアップの車がきたようだ。

ホテルの清算は昨夜中に済ませてあったので大急ぎでスピードボートの発着場へと向うバンに乗り込む。シェムリアップから首都プノンペンまで、陸路をバスで行くのも当たり前過ぎるような気がして、トンレサップ湖を船で縦断し首都プノンペンへ入城しようというもの。海賊に襲われて外国人旅行者が身ぐるみ剥がされたこともあったらしいけれど?とチケット(25ドル)を手配してくれたホテルフロントに訊くと、「そんな事件はムカシのこと、現代のカンボジアはどこも問題ない」と彼は笑って応えた。

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シェムリアップ市内からバンで小1時間、漁の水揚げで忙しいこんな景色に到着。

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OH!!!いかにも、メコンデルタだぜッ!!!というフローティングビレッジ。

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待っていたボートに乗り込み、「バカとケムリは高い所をヨロコブ」のデンで屋根の上にバックパックを下ろして航海の居場所を確保する。

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朝飯を食べていなかったので、売り子から買ったのがパンにチーズにバナナ2本の朝食セット。これで1ドル也。

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トンレサップ湖は、湖というより海のような巨大なもので、屋根に陣取った多国籍軍の連中とささやかな朝飯を食べているあいだに、ボートは一挙に沖に出て360°水平線のド真ん中。水の色が茶色く波の少ないのが海とは違うな?と感じるようなもの。

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横になって、遮るもののない太陽の光と湖面からの照り返しを楽しみながらウトウトしていたら、いつのまにか船のエンジンが止まっているようだ。

レディス・アンド・ジェントルマン!船長のチンです。現在当船は予期せぬエンジントラブルに見舞われトンレサップ湖を漂流中です。クルー一同懸命に復旧作業中ですがメドがたっていません。地上事務所との連絡をしようにも無線機の故障でこちらも通信不能状態です。最後の手段としてさっきから通りかかる僚船を探して沖合をみつめているのですが未だに発見できません。最悪の場合このまま湖上で夜を明かす事態も考えられます。トンレサップ湖の夜は想像以上に冷え込みますので、皆様個々に防寒の準備をしてこの困難に立ち向かうようお願いいたします。

私はこんな妄想をしながらコトの成り行きを伺っていたら、エンジンに詳しいらしい白人旅行客が機関室と操舵室を何回か出入りしている間にエンジン始動。その白人は多国籍軍の連中に拍手を浴びてテレたりしていたワケですよ。

 (上の船長スピーチは私の作文ですから誤解なきように)

そしてもうひとつ私の妄想がコレ。

エンジントラブルを解決し、ようやく船が動き出したと思ったら、今度はスピードを落としてボロッチィ小舟へと寄っていきます。小舟の甲板では真っ黒な少年がペットボトルほどの容器を振っています。

船長!!!気をつけろ!!!甲板のそのガキはガス欠を装っているけれど、舟底には武装海賊団が潜んでいて、この船が近づいたときの飛び出すタイミングを狙っているんだぞッ!!!

ヒマに任せてストーリー組み立てたけれど、これもハズレ!

ガソリンをわけてもらったその小舟は海賊船でもなんでもないただの漁船。真っ黒いケムリを吐きながら、船体に似合わないほどの巨大なエンジン音響かせて去っていきやがった。

3時間ほど航海するとボートは湖を抜けて両岸の見える河らしい景色の中へと入っていきます。高床の並ぶ家は、このあたり乾季と雨季では水位が極端に違うからなのでしょう。

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岸辺で遊ぶ子どもたちが手を振るノンビリとしたメコンデルタの中、両岸に大きな建物が混じり始めて首都プノンペンが近づいてきてることがわかります。

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エンジントラブルで湖上夜明かしすることもなく、海賊の襲撃で身ぐるみ剥がされることもなく、ごくごく平穏に6時間の航海でプノンペン到着。船着き場にはどこでも同じ顔をしているタクシーマンやホテル客引きがカモを求めてフレンドリーさを装って手を振っています。

トンレサップ湖からトンレサップ川になって、メコン川と合流した場所に拓けたのがカンボジアの首都プノンペンのはず。ゆるやかなメコン川沿いにはかつての宗主国フランスコロニアル風ホテル、カフェ、土産物屋の街並み。

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バックパック背負いながら、メーンストリートの探索を終えて、小ジャレたオープンカフェで昼飯。

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もはや外人仕様になっている巨大なタマゴサンドを貪り食ってやっと気分が落ち着いた。

さて、私の昼飯の終わるのを外で辛抱強く待っていたタクシーマンがいて、「ホテルなんかどこでも良いや!」と、彼の案内するホテルへと向えば、これがじつに大アタリ!!!繁華街からちょっと離れた場所にある真新しいホテルで1泊10ドル。ホットシャワー浴びてベットに横になっているうちにウトウトしてしまった。

まだ旅に出て数日で
大して強行軍でもなかったのに
ヤッパリ・・・
トシだな!!!
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それでは
本日のひとりYouTubeは
トンレサップ湖出航の
短い動画を見てもらいましょう。

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ひとりYouTube

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@nifty動画共有サービスが2011年6月30日で終了します。
したがって、それ以降この動画は表示されません。
(2011年5月5日:えあじん)

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2008年1月26日 (土)

シェムリアップでこんなものを食っていた

シェムリアップのアンコール遺跡群に立ち入るためには、あらかじめツーリストオフィスのような場所で顔写真入りパスを購入しなければなりません。私の購入したのは40ドル/3日間有効パス。この40ドルというのもカンボジア一般国民の生活レベルとはかなりかけ離れた値段で、一般にシェムリアップの外国人観光客向け施設は高く設定してあるようです。

もっとも、バイクタクシーのワット君を2日間チャーターして20ドル弱だったはずですから「安いモノは安い」というところか。

このワット君、口数少なくたんたんとルートをこなし、マージン狙いで土産物屋へ誘導するということもありません。昼飯どき「ご馳走するから何か食べよう」と誘うと、「良いんですか?」とうれしそうな顔をしてついてくるこのあたり、観光客ズレしていない好青年のようでした。

私はサンドイッチをワット君は地元の“ブッカケ飯”を頼むと、ワット君はバイク座席下から日本語テキストを持ち出してきて「日本語を教えてくれ」とのハナシ。訊けば、一時期日本語学校に通って、ひらがなは大体読み書きできるようになったけれど漢字の読み書きができないのだと言います。そこで、日常会話の漢字部分を読んでやるとひらがなでルビをふる作業を始めます。

お金が続かなくなり日本語学校もやめてしまったけれど、こんなふうに日本人観光客とNHKBSなどで日本語を勉強して、将来は日本語ガイドの資格をとりたいと夢を語るのでした。こんなふうに向学心あふれる若者が教育を受けられる環境さえ充実していればこの国ももっと発展していくのに。

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そうこうしているうちにサンドイッチの出来上がり。

フライドポテトの厚さからみても、とても大雑把なサンドイッチでありました。カンボジアはフランス植民地だったこともありパンはとても美味しい。

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これは、別の日の昼食でオムレツつきチャーハン。

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こんな昼飯を食べてワット君の分を払っても8ドル程度で済みます。

ここまで書いて、「アレ?夕飯はどんなの食ってたっけ?」と気になり写真を見てたら思い出した。シェムリアップで泊まったホテル(ゲストハウス)は1泊朝食つき12ドルだと思っていたら、1泊2食付き12ドルだった!!!。

そこである日の夕食がコレ。カリフラワーと豚肉炒め、スープ付き。

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これはカンボジア風チャーハン。

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これでも、いちおう外国人観光客施設での食事で割高になっているけれど、滞在費を安く上げようとすればいくらでも安くできるというのが、東南アジアがバックパッカーのメッカとなった理由でしょう。

表からはわからないが、一応観光客を連れてきたということで、店から僅かながらのバックがワット君に入るだろうことは想像できるけれど、そのことには目をつむって、ジュースを飲んでいると、隣りのテーブルで薄皮センベイをポリポリと美味しそうな音をたてて食べているヤツがいます。

モノ欲しそうにして見ている私に気づいたその男は「食べるか?」と何枚か恵んでくれたけれど、歯触りはいいけれどチョッと甘過ぎなセンベイというところか。

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タクシーの運転手をしているこの男、お客が遺跡見学から戻ってくるのを待っているのだといいます。名前はナンタラカンタラなどと当たり障りないハナシをしていて、彼の異様な指先に気がついた。


チョッとチョッと・・・兄ちゃん!!!

そんな指じゃ運転しづらいんじゃないの?

(まことちゃんポーズをとるタクシードライバー)

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私は
どんな立派な遺跡よりも
こんなふうに街でスレ違っただけのミョーな男を
いつまでも憶えていて
ニヤニヤしているのです。

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というワケで
久しぶりのひとりYouTube
バイヨンの四面仏の遺跡を
ワット君のバイクで1周したときの動画です。

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ひとりYouTube

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バイヨンの遺跡
カンボジア・シェムリアップ


@nifty動画共有サービスが2011年6月30日で終了します。
したがって、それ以降この動画は表示されません。
(2011年5月5日:えあじん)

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2008年1月24日 (木)

BODDHISATTVA 1959

今回のアンコール遺跡めぐりの旅はちょっとした勘違いがキッカケだった。

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これはタイ・アユタヤ遺跡の「ワット・プラ・マハタート」のもので、ガジュマルの根っこに“首4の字固め”かけられた仏様の頭。

ガジュマルは、自分の生命を維持するためにただ根っこを張り巡らそうというだけのことで、特に仏様の頭を飲み込んで、後世へのメッセージ残そうなどという意図はなかったはず。しかし、私にはガジュマルの根っこに包まれたこの仏様の顔が何ともいえない恍惚の表情を浮かべているように思えたのです。

この場所では「仏様より頭を高くしてはならない」という決まりがあって、参拝客は皆イザリ寄るような格好でこの仏様を拝むのだといいます。

数百年前の人が将来の構図を読みガジュマルの根っこの中に仏様の頭を差し込んだものなのか?それとも天におわす大いなる存在が後世の人々への気づきを与えんとした戯れなのか?それともまったく偶然のなせるワザなのか。

この仏様とガジュマルのセッションが始まってから数百年(あるいは1000年以上)経過しているし、このセッションは現在でも続いているわけです。現在でも成長し続けているガジュマルの根っこは仏様の頭を圧迫して、これから数百年後には仏様の顔が粉々になって地に還ることも考えられます。

週刊誌のグラビアかなにかでこの仏様の写真を見た私は「いつかこの実物を見たい」とズ〜ッと思い続けていたのです。

じつは私はこの遺跡を何の根拠もなくカンボジアのアンコール遺跡群の中にあるものだとばかり思いこんでいたのです。

  「この仏様の顔を見にカンボジアに行こう」

カンボジアのどこにあるのだろう?この仏様の所在地を求めてガイドブックをめくってみたけれど探し出せず、結局インターネットのなんでも質問箱への投稿で、これはカンボジアでなくタイのアユタヤ遺跡の中にあるものだということを知ることになるのです。

探し物はカンボジアにないことは分かったけれど、カンボジアにあるとばかり思いこんでいた私は、すでに航空券も予約済みで気分はアンコール。

「この際カンボジアでもいいや!」というのが、今回の旅のキッカケになるのです。

アユタヤの「ワット・プラ・マハタート」は、ガジュマルと人間の造形物とのレアケースかと思ったら、今回アンコールの遺跡巡りをしていて、「ワット・プラ・マハタート」ほど印象的ではないにしても、ガジュマルの樹が、己の生命を維持しようと根っこを張り巡らして建物をも飲み込んでいく絵柄がずいぶんあることを発見したのです。

印象深い画像を何点かご覧にいれましょう(いずれもアンコール遺跡群のもの)。

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数百年にも及ぶガジュマルの執念が感じられ、そのガジュマルの企みが完成するためには人間の考えなど及ばない壮大な時間が必要となります。その流れに比べたら、私たちの人生なんて正にマバタキするほどのホンの一瞬のものだということを思い知らされる画像です。

シェムリアップ市内にアンコール・ナショナル・ミュージアムというカンボジア国家の威信をかけた真新しい建物があります。8ドルという入館料は他の物価からみて格段に高いと思われるけれどその展示物の豪華さには感銘を受けます。まず5分間ほどのブリーフィング受けて最初に足を入れるのは「1000Buddha Images」というコーナー。

シェムリアップ各地で発掘された仏陀像1000体に姿勢を正し、その厳かな輝きに思わず合掌する展示物ばかりでした。それにしても、かつて、これほど豊かな仏教文化が花開いた国の末裔が、同じ民族に対してあれほどの殺戮の限りを尽くしたことを思うと、暗澹たる気分にもさせるのです。

クメール・ルージュも、さすがに仏陀像にまでテをかけることは躊躇したらしい。

喫茶コーナーで一休みしたあと、ミュージアムショップに足を踏み入れたとき、真っ先に目についたのがアユタヤの「ワット・プラ・マハタート」と同種の、ガジュマルが仏様の頭を飲み込んでいる白黒写真。係員に訊けばこの写真の仏像は1959年に取り壊されてしまい現在では見ることができないのだといいます。

勘違いから始まった今回の旅で、こんな写真を見るのも何かの引き寄せかと思い、いつも旅先で土産物など買わない私だけど即決購入!!!

400×600のかなり大型のこの白黒写真を筒に入れて道中持ち歩くハメになったワケです。

これがホントの同行二人だゼッ。

それでは、この写真も見てもらいましょうか。


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手製のチャーリー・ミンガス人形と
ガジュマルに絡めとられた仏像とが
なかなかいいアジ出しています。

私は特別な宗教団体に属している者でもなく、特に宗教を研究したという者でもありません。実家に帰れば曹洞宗の墓にお参りするけれど、仏教徒というよりも、どちらかといえばニューエイジ・精神世界と言われるジャンル興味をもつただのミーハーです・・・・。

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予防線張りながらも
根が仏教徒ですから
国立博物館に陳列された由緒ある仏様とともに
旅先で見かけたこんな素朴な仏様にも
ついつい手を合わせたくなるのです。
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シェムリアップのどこかの遺跡で見た仏様。

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2008年1月22日 (火)

アンコールの朝もコケコッコーで始まる

成田発14:00の大韓航空機はソウルで乗り換え、さらにシェムリアップを目指す。アジア大陸上空あたりに入ったと思われる時間帯、さっきから機外を見下ろしているのに明かりのひとつも見えない。こんなところに人間が住んでいるのか?という真っ黒な景色を眺めているうちに、一瞬にしてシェムリアップ空港に着いてしまった。時計の針は23:20(現地時間21:20)だから、成田を出てから約9時間ということになる。

それにしても、、、、と思う。

日本はカンボジアにとって最大の援助国であり、カンボジア存亡を賭けた政治決着に対しては少なからず影響力を及ぼし、双方の政府要人もたびたび交流して強力なパイプがあるはずなのに、直行便すら開設できないでいるわけだ。これって、あんがい航空利権をめぐる手打ちが済んでないということなのかな。

インターナショナル空港とは名ばかりの小さな空港で、イミグレ税関もあっけなく通過。あらかじめホテルへ予約メールを打っておいたら「部屋は確保しました。当夜は空港までバイクタクシーが迎えに行きます。ドライバーはあなたの名前を書いたカードを持っていますからどうぞ安心しておいでください」の丁重な返信メール。

たまたまネットで見つけた日本人経営の安ホテル。なにしろここはすべてにアバウトな南の国カンボジア。予定どおり迎えに来てるかな?「忘れてた!」ということはないかなと少し心配もしたけれど「出迎え人溜まり場」のタクシードライバー、ホテル客引きの万国共通風貌20人ほどの中に、オー!私の名前を書いたボードを掲げてニコヤカに笑ってる青年と目が合った。

ホテルで間違いなく手配してくれていたんだなぁ。少しでも疑ったことソーリー。

ワット君(自己紹介したときにそう聞こえたけれどもしかすると違っているかな)はバイクと運転席の凹みの中に、私の10キロのバックパックを納めて両足で押さえるようにして「さぁ、ホテルへ行きましょう」。現地時間夜10時頃、ウスラ寂しい裸電球灯る空港ハイウエイを熱帯特有のナマ温かい風かき分けて市街地へ。街に近づくごとに道路両脇に豪華ホテルや建築中ホテルが目立ち、アンコール遺跡群観光拠点のシェムリアップは観光ブームらしいことを実感。

この道路が国道6号線で、豪華ホテル敷地の緑鮮やかな庭園群と整備されずにデコボコだらけの国道とのアンバランスがさすが東アジア!。全体的インフラの整備まではなかなか手が届かない。

一直線に伸びる国道6号線を下り左側にマーケットを見て、これでシェムリアップの大体の位置関係が分かったと思ったら、バイクは右折して舗装もされていない小路へ入り、あぁ、これが予約していたホテル、、、というよりもゲストハウス。

夜中の到着でフロントも閉まっていて宿泊客の姿も見えない。ワットくんは勝って知ったる他人の家。バックパックを担いで予約の部屋に案内し、NHKBSも入ることを誇らしげに示し、チップを欲しいそぶりも見せずそのまんま帰っていきやがった。

ちなみにカンボジアのタクシー事情は、1人だと50CCバイクの後部座席に跨がってのバイクタクシー、2−3人だとバイクの前面にリキシャ風ワゴンをつけたトゥクトゥク、それ以上の人数だと4輪乗用車やマイクロバスということになります。もちろん己が2脚走行というテもワルくありません。

1泊12ドルホットシャワー朝食付きのこのゲストハウス、バックパッカーにとっては贅沢すぎるくらいの設備。荷物を解くのもソコソコにシャワーをふんだんに浴びたあと、ベットに横になりながら壁を這う2匹のヤモリの動きを目で追っているうちにいつしか眠ってしまった。

近くでメンドリ万国共通♪コケコッコーと啼いて万国共通の朝。

旅に出るといつにも増して早く起きてしまう貧乏性。朝4時には目がさめてしまい、時間を持て余して暗いうちから近くの散歩。国道6号線に出ても街はまだ動き出していない。

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マーケットの青年たちもいま起きたばかり。

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工事現場で寝起きしている父娘もようやく朝餉の準備。

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大型ホテルの前を通りかかれば、昨夜クラブからピックアップされたまんまのラメ入りドレスで、亭主運転と思しきバイクの後部に横座りレディがオツトメ5963の帰宅モード。

シェムリアップの街はようやく動き出したようだ。

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ころあいを見計らいホテルに戻り朝食を頼めば、本日のメニューはパンにオムレツ、リプトンティー。

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バックパッカーにとっては豪華過ぎる朝食を食べているあいだに、他の宿泊客も2人1人と朝飯に下りてきて、これ皆日本人。それぞれ年末年始の休暇を利用して数日間アンコール遺跡を見学しにきた若い人たち。全員がインターネットでこのホテルの存在を知ってメールで予約したもの。一般的な仕事納めにはまだ数日あって空きがあるけれど年末年始は予約で満室らしい。つまりこのホテルそのものが日本人御用達ということになります。

シェムリアップの小さなゲストハウスの存在を日本で知って、メールで予約し、プリントアウトされた予約確認書握って訪れるのがごくごく普通のこととなっているのです。航空券だってかつては裏カーボンのついた航空券を後生大事に持ち歩いたものだけど、今ではパソコンでプリントアウトしたEチケットという紙だけでOK。このようにいまやネットで世界中に繋がれている時代なのです。

若い人たちとそれぞれの旅行の話などをしてノンビリしていると、昨夜のワット君登場。結局、シェムリアップ3泊4日のうち、2日間を彼のバイクでアンコール遺跡のアッチコッチを回ることになります。


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2008年1月20日 (日)

シェムリアップは命がけ

カンボジア北部シェムリアップの遺跡群を訪れると、最初に目につくのがこの立て看板。つまり「イヌ入ルベカラズ」と「自己責任デ登ルベシ」。かつては「地雷注意!」の文字もあったんだろうけれど、現代のカンボジアで観光客が足を踏み入れる場所からの地雷は撤去されたはずです。

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パックツアーのルートから離れて、近郊の遺跡を回ろうとするときに必ず目にするのが、この「自己責任デ登ルベシ」の看板。カンボジアの遺跡は全て天にも届かんばかりに積み上げた石でできていて、それは正に時の王様が、愚かにも下々のヤカラを排除して「天におわす神」を独り占めしたい意図を表したようにも見えるのです。

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シェムリアップ郊外にプノン・バケンという丘があって、ここは360°パノラマでシェムリアップを望める夕日観賞の地としても有名な場所。ご来光を仰ごうという観光客が毎夜訪れて年がら年中「初日の出セッション」が繰り広げられることになります。

まだ明るいうちから、テッペンに場所を確保しようという観光客が狭い場所にひしめきあって太陽の落ちるのを待ちます。

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夕日に変わりはなさそうだけれど、アンコール・ワットという特別な場所で見る夕日だと思うと美しさも倍加された気分(飛び立つ飛行機と夕日が噛み合なかったのが残念)。

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恐怖はこれから訪れます。

まだ真っ暗闇にならないうちにと、慌ただしくプノンバケンの丘を下ろうとすれば、急な階段に観光客が押し寄せ、皆命がけの脱出行。

何しろ、手すりなんぞありませんから、足下をシッカリと固め、ある人はソロリソロリと壁伝いに、ある人は逆向きに、階段に手をつきながら尻を先にしての恋人には見せられない姿。一歩踏み間違えると人間のアタマが固いか、石が固いかのセカイになってしまうのは皆分かっているから、格好なんぞ気にしていられません。

間違っても上から人が降ってこないことを願うだけです。

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イヤハヤ、やっとこさ下り切ったと安堵し振り返れば、必死の形相の人々が滑稽で笑えます。さっきまで自分もあんな顔をしていたんだなぁ。

そんなこんなしている間に太陽は一挙に沈み切ってしまっての真っ暗闇。街灯もない坂道を人の流れにのって麓まで辿り着き、バイクタクシーのワット君の出迎える顔を見たときはホッとしてしまい、思わず抱きしめたくなったぜプノン・バケン。

日本だったら直接登坂なぞあまりにも危険すぎて許可されないような設定の遺跡群も、ここカンボジアではまったくフリー。私たち日本人がどれほど過保護に育てられているのかがよ〜くわかる光景でした。

あなたが
登りたかったらどうぞ
ただし
自己責任ヨッ!!!
もしあなたに
どんなことが起きようとも
管理人は一切の責任を負いません。
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こんな一枚の看板のもと、老若男女命がけで遺跡巡りを楽しんでいます。


行くのも
引き返すのも
ワタシの自由。
そんなこと承知の上で遊んでいるんだから
オカミが余計なお世話をスルナッ!
というところか。

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バイクタクシーのワットくん。
(シェムリアップにて)

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2008年1月19日 (土)

外こもりってホントなの

昨年秋にイラン旅行中の横浜国大生が拘束された事件がありました。事件発生当時は「青年の元気なことと拘束地域は確認できている」というようなニュースが新聞に載っていけれど、その後時間の経過とともに忘れ去られたように新聞記事にもなっていません。

日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行

させ、かつ同人に必要な保護扶助を与えられるよう、

関係の諸官に要請する。

という日本国外務大臣発行の旅券を所持して旅行中の邦人が、不当な拘束を受けているというのに、オカミにはその邦人を救出するだけの手だてもないということなのか。それとも「“自己責任”の原則による結果なのだから“自己解決”しろ」ということなのか。

自国民の生命財産を守ってくれると思っていたオカミのこのテイタラクを見て、「♪これがニホンだ〜ボクらのクニ〜だ〜」と力なく歌うしかありません。

 

Sikiri

喫茶店でヒマつぶしに「オトコを刺激する情報マガジンR25= 0円」を呼んでいたら面白い記事が飛び込んできた。

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最近増えているらしいです・・・
「外こもり」って一体何だ?

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「短期バイトなどで稼いだお金を元手に、1年の大半を物価の安い外国で暮らす人々」という定義の「外こもり」という人々が増えてきており、その「外こもり」の多い都市が、バンコック、プノンペン、ビエンチャン、イスタンブール、カイロだとこの記事は伝えます。

日本社会で暮らすことに息詰まりを感じた人々が、これらの都市の“ユルさ”にハマって再訪最々訪を繰り返すうち「外こもり」になってしまい、バンコックでは(数が把握しづらいのですが・・・)日本人だけで1万人はいると見られるのだそうです。

そして、バイトの仕事がいくらでもある若いときはそれでも良いけれど、年齢を重ねるうちにバイト先も減ってきて厳しい現実に直面するのではないか?と、生産することなく消費するだけのこれら「外こもり」の人々の将来を案じる様子を見せて結んでいます。

この記事全体が『日本を降りる若者たち/下川裕治/講談社現代新書』を元ネタに書かれているが、いうなれば著者の下川裕治さん自体が「元祖・外こもり」のような人で、「外こもり」の日々から何冊もの著書をモノするようになったと私は見ています。

「外こもり」大いにケッコー。

「外こもり」だろうが「引きこもり」だろうがダメなヤツは最初っからダメで、再生していく能力のあるヤツは、もがきながらあえぎながら自分の人生を掴んでいくのではないでしょうか。

たまたまカンボジア/ベトナムの旅から戻ってきて数日になる老バックパッカーだけど、この旅行中に現地の安ホテルや飯屋で出会った彼らは、少なくとも「外こもり」というような現実逃避の“饐えた匂い”を醸し出すような若者ではなく、皆礼儀正しく健康的で魅力的、大いにバックパックの旅を楽しんでいる若者たちに思えたのです。

だからR25のこの「外こもり」記事はちょっと眉にツバして読んだワケです。

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フエ/ベトナムの仲間由紀恵さん。
本日も健気に土産物屋で線香を売っています。

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2008年1月18日 (金)

今年の初買い物

ベトナムの熱波とホコリにノドとハナをやられてセキが止まらない。だからといって仕事を休んだんではカマドのフタが開かずオマンマの食い上げになるから、老骨に気合い入れながら日銭稼ぎに汗を流すチャンジーです。

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成田空港からのリムジンバスが新宿西口に着くとその足でヨドバシカメラに向かい、今年最初の買い物。昨年末、Emobileの通信端末の新機種が発売されたとき「待ってました!」とばかりに買おうとしたら、旧機種との契約途中での解約になり違約金が請求されるから、1月1日以降に乗り換えれば違約金がかからないとアドバイスされていたもの。

ベトナム帰りで、イカにもバックパッカーという出で立ちの異様な姿でヨドバシカメラ店内ウロついて新機種の買い物。

購入後急いで帰宅して、旅の荷物を解かぬままパソコンに設置して試してみれば、スピードが3.6→7.2と旧機種の倍になったという宣伝文句に違わぬスグレもの。

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このブログは出先から更新することが多く、通信端末のスピードは重大な問題なのです。あとはノートパソコン本体を如何に軽くするか?だな、と思っていたらこんな新聞記事で出やがった。

ジョブズCEOのこの満面の笑顔を見よ!!!

2007.01.16(水) 毎日新聞 夕刊

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世界最薄ときたもんだ。

どうも、いま使っているマックブックの半分程度の薄さと重量になるらしい。早速仕事帰りに銀座のアップルショプに寄ってみると、まだデモ機も展示されてない状態。現在予約受付中で、予約者への納期は2月アタマころということらしい。

あ〜良かった!!!!

なまじ現物見たりしたら、ついフラフラっとクレジットカードを出したりするところでした。

いずれ買うことにはなるんだろうけれど、今日のところはお金を使わずに済んだ。

Sikiri
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というワケで本日の旅の写真はこれ。

『ベトナムのノックさん』
ノックさんこんなところで
「今週のハイライト!!!」
パンパカパ〜ンしています。
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ベトナム ハロン湾 ティエン・クン島鍾乳洞にて

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ハナヅマリで苦しみながらも
今度はどこへ行こうかな〜
などと
胸算用しているところです。
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2008年1月17日 (木)

to Airegin 『神話の力』について 2

       by:Kobayashi 2008.01.05

年末年始の休みの間に、エアジン様から送って戴いた『神話の力』を6回シリーズで通して見させて戴きました。

キャンベルが伝えたいことをしっかり理解する為には、私自身が数多くの神話と接し、それを深く味あわないといけないことが良く分かったのですが、しかし、神話が「永遠という宇宙最高の原理」から生まれており、従って人間はどの民族も共通に神を求めるものであるし、どの神話にも処女降誕、世界の創造、禁断の木の実、ヘビなどの物語が出て来るのだということが良く分かりました。

そして、私が一番感動したのがやはり第6巻の「永遠の仮面」です。
 

その中で特に「生命そのものには目的はない (中略)、重要なのは人生という旅そのものであり、目的地ではない」と言っている部分は私には大きな救いとなった言葉でした。

私は会計士という仕事柄、「経営」というものに接することが日常的なのですが、「経営」の場面では「経営計画」というものを立てるのが常識であって、誰も何の疑問もさしはさみません。しかし、私にはどうしても「経営計画」というものがしっくり来ないのです。

そもそも人生において「計画」とは何であろうか?…と思ってしまうのです。

「計画」は当然達成すべき「目的」に向っての「計画」なのですが、私にはどうしても人生における「計画」だとか「目的」というのがしっくり来ないのです。

目の前に現われて来るやらなければいけないことに懸命に取り組んで行くことだけのような気がしますし、私はそのパターンで全力が出るのです。ですから「経営」の場面でもそもそも「計画」とは何だろうか…と考えてしまうのです。

そしてそれが現在の経営の中の常識になっていて誰も疑問を持たないことが解せないのです。
そんな私ですので、このキャンベルの「生命そのものには目的はない」という言葉は大きな救いでした。毎日の人生の中で、毎日の経営の中で「真の喜びの追求」だけをして行けば良いのだと大いに勇気づけられました。

エアジン様には貴重なDVDを快くお分け戴きまして本当にありがとうございました。
これからも私の宝とさせて戴きます。

  追伸
私は般若心経の前後の部にある「呪」というものは、「くりかえしの言葉、くりかえしの行為」ではないかと思っています。「くりかえし」によって人間は般若の智恵を持てることができるという意味であろうと思います。

 

故知般若波羅密多
是大神呪 
是大明呪 
是無上呪 
是無等々呪 
能除一切苦 
真実不虚… 

とありますので、そういうことだろうと思っているのですが、この「呪」つまり、「くりかえし」によって般若の智恵に至るというすばらしい例示となる映像を画面の中で沢山発見することができました。

イスラエルでラビの方々が体を前後に揺らしながら祈っている場面とか、チベットの僧がオームと唱えながら手でいつまでも同じ動きをくりかえしているとか、ネイティブアメリカンやアフリカの踊りとか…全て「呪」の宝庫でした。

 ありがとうございました。 
 

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2008年1月16日 (水)

to Airegin 『神話の力』について 1

   by :doubledot 2007.12.30 

『神話の力』は比較神話学者ジョーゼフ・キャンベルとジャーナリスト、ビル・モイヤーズの対談である。

最初の質問は「なぜ神話か?」だった。
いまどき、なぜ神話の事を考える必要があるのか?

それに対するキャンベルの答えは、「必要ありません。あなたはあなたの人生を生きなさい」
だが、こう続けた。「でも、その問題があなたをとらえて放さない時は、しっかりと受け止めるべきでしょう」と。

放送を見て10年、私は今も『神話の力』に魅了され続けている。

神話の魅力とはまず、物語としての面白さだ。
英雄の冒険譚、神々の壮大な争いなど心躍る物語もあれば、含蓄豊かな哲学もある。
処女懐胎、死からの復活、洪水と再生、作物の起源など地理的に遠く離れた土地で類似の話が語られていることも興味深い。

違い、多様性もまた面白い。島国の神話、大陸の神話、砂漠の神話、密林の神話はそれぞれに天地創造の過程が異なり、それぞれの世界観を反映している。

だが、それだけではない。
神話の最大の魅力は、現実に有用ということだ。

悩まずにいられる日は少ない。
なぜ生まれたのか、なぜ生きるのか、なぜ食べるのか、なぜ大人になるのか、なぜ恋をするのか、なぜ子供を生むのか、なぜ金が必要なのか、なぜ時間が足りないのか、豊かさとは何か、今していることを続けるべきか、辞めるべきか、変化をもたらすべきか、どのように変えるべきか、自分は何者なのか、どう生きるべきなのか、なぜ老いるのか、なぜ争うのか、なぜ殺すのか、

そしてなによりも、なぜ死ぬのか

大きな悩み、個人的な悩みなど質や種類はいろいろだが、一時的に先送りしたり、答えを出すことから逃げることができたとしても、いつか必ず、向き直って答えを出さなければならない。

神話は悩みに答えてはくれないが、考える道しるべとなる。

本来神話とは楽しみのためだけに語られたものではなく、人生の転機を迎えた時に社会の中でいかに生きるべきかを英雄の故事という隠喩として語られたものだからだろう。神話とは宗教、哲学、心理学、社会学、歴史などが分化する以前のすべてを内包した民族の精髄であり、神話を知ることは文化を知ること、人間を知ることなのだ。

生きる時代、社会が違えども教えられることは多い。

そしてキャンベル氏は繰り返し言う。

人生とは生きている喜び、自らの至福を追及するためにある。それこそが本当に生きている経験である、と。

楽しんで仕事をしている人は、苦労を苦労と感じないものだ。
徹夜や困難、想定外のトラブルさえも挑戦でしかなく、楽しんで打ち込むことが乗り越える力となる。

愛もまた然り。
トリスタンは自らが仕える王の婚約者イゾルデと恋に落ちた。
臣下として許されることではなく、宗教的にも死に値する罪だが、トリスタンは言った。

「この愛の苦悩を僕の死と呼ぶかもしれないが、それこそ僕の生命だ。
地獄の炎で永劫に焼かれる罰を僕の死というのなら、
それも喜んで受けよう」

無上の喜びに従って生きることは簡単ではなく、苦痛と困難を伴う。
だが、喜びや生きる実感は他の方法で得ることは出来ない。
無上の喜びに生きること、その瞬間を永遠とすることが、真の幸福であり、現世にあって天国に生きることなのだ。

以来、私の判断基準は変わった。
右か左かを選ぶとき、するべきかせざるべきかを考えるとき、どちらがより私の喜びに近いかを基準とするようになった。その意味で『神話の力』は私の人生を変えたと言っても過言ではない。

チーフ・シアトルの言葉も『神話の力』で初めて知った。
地球温暖化、環境破壊が進む現代、我々の日常的な行為が北極のシロクマを迫害し、珊瑚礁を破壊し、渡り鳥を苦しめている。
「エコ」「地球に優しく」などとお手軽な言葉で目を反らす前に、彼の言葉に耳を傾けて欲しい。この言葉を知るためだけでも、『神話の力』に触れる価値はあると思う。

キャンベル氏の没後20年が経つが、『神話の力』は色あせることなく、今も鋭く問いかけ、心に切り込んでくる。

我々はもはや洞窟に住むことは出来ず、鎖国することも出来ない。
これからの時代を真に豊かに生きるにはどうすればいいか、そのヒントが『神話の力』にあるように思う。

そして、21世紀の地球規模の神話を作り出すことが、キャンベル氏から我々に託された宿題のように思えてならない。

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2008年1月15日 (火)

しごとはじめ

私にとっては本日が仕事始めということになります。

いつものようにiPodをシャッフルすれば、初っ端に出てきたのがニール・ヤングの『♪見張り塔からずっと』。新年早々縁起の良い出だしです。

いつものように会社近くの喫茶店に入れば、いつものカップルがいつもの席でいつものようにヒソヒソ話。いつものあの男は椅子からズリ落ちそうになりながらも奇妙にバランス保ちながら出勤前の居眠りを楽しんでいます。夜勤明けのタクシードライバーグループはいつものメンバーでビールジョッキ片手に社内異動のうわさ話。

そして私もいつもの席でお茶なんぞを飲みながらキーボード打っているワケです。

カンボジア/ベトナム17日間の旅の終盤戦、乾燥とホコリでノドとハナをやられてしまってボロボロです。気持ちは若いつもりでいたけれど、体力の回復力の衰えをみると、ヤハリ・・・トシですね。

今回の旅行については追々アップしていきますので、関心ある方は時々チェックしてみてください。

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(ハノイ/ベトナムにて)

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さて
急いでアップしたあとは出勤します。
もしかすると
机が
“窓際”から“窓外”に移動してたりして。
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2008年1月 7日 (月)

フエ/ベトナムより

えあじんです。

本日ベトナム中部のフエという古都です。

昨年末に日本を出てソウル経由でカンボジアのシェムリアップ到着。アンコールワットにアイサツした後、メコンデルタの水源ともいえる巨大なトンレサップ湖をボートでカンボジアの首都プノンペン。さらにバスで国境を越えベトナムのホーチミン(旧サイゴン)へ。現在ホーチミンから陸路ハノイを目指している途中です。南シナ海に沿うように細長いベトナムを南のサイゴンから北のハノイまではケッコー距離があります。

連日28-30℃ですからだいぶ疲れました。

このフエという町は、ムカシの南ベトナムになるそうで、もう少し北に行くと旧北ベトナムとの国境線37度線らしいです。もちろん現在のベトナムでベトナム戦争を思い出させるものは戦争博物館くらいで、一般的にアメリカドルが通用しています。

フエのバス停で待ち構えていたホテルの客引きに案内させて1泊25ドル(朝食つき)を20ドル(朝食つき)に値切った部屋はNHKBS、日本語対応インターネット常設という表彰状モノの部屋です。その部屋で久しぶりにインターネットを楽しみブログの更新をしているワケです。

留守中にメールをくれた方へは帰国後に改めてご連絡いたします。

とりあえずの近況報告でした。

    えあじん

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2008年1月 1日 (火)

不在通知

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現在旅行中です。
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えあじん
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