新大久保のウイ・アー・ザ・ワールド
2007.12.08(土)
浅草待乳山聖天で歓喜天ことガネーシャにお参りしたあと、秋葉原ヨドバシカメラをヒヤカシてから新宿経由で新大久保へ。この日は沖縄出身のフォークシンガー佐渡山豊の誕生日で、『トラ・トラ・トラ』と命名されたイベントが行われるのだ。
佐渡山豊の寅年生まれと日本軍による真珠湾攻撃とかけたこのイベント、これまでの会場は沖縄市(旧コザ)だったり、初台のライブハウスだったりとゲリラ作戦を展開してきて、今年の会場は新大久保のR'sアートコートという小ホールでの奇襲攻撃。
佐渡山豊の出身地でもある沖縄市(旧コザ)会場のときは、三上寛、遠藤ミチロウ、頭脳警察、中山ラビなどの寅年生まれ(中山ラビは寅年生まれを否定)が集結しての阿鼻叫喚ライブが行われたこともあったのです。ちなみにこの1950年というのは後のフォークシンガーになる人材を多数輩出した年でもあり、彼らの活動がその後の日本ポップス界に大きな影響を与えたことになります。
彼らの<成功と挫折><引退と復活>はそのまま日本の経済発展の曲線になり、いわゆる“団塊世代”の人生の軌跡と重ねあわせることもできるのです。
コンサートは佐渡山豊(1950年生)、豊田勇造(1949年生)、和久井光司(1958年生)の3人のトークからスタート。
それぞれのルーツにはボブ・ディランがあることでハナシは盛り上がり、会場が和やかになったところでライブがスタート。
年齢順ということだそうで、1番手は和久井光司。

日本で唯一のディラン公認の日本語カヴァー集CDを発売した和久井光司の名前は知っていたけれど、実際に聴くのはが初めて。
ホーン3本を入れた豪華な編成の和久井バンドはオリジナル曲の他にディランナンバーも数曲演奏。佐渡山・豊田の両人がディラン初期の曲に影響を受けたのに対して、彼らより10歳ほど年下にあたる和久井は、80年代のディランが初体験だったらしいことがその選曲からも伺える。
2番手の佐渡山豊は玉城まさゆきバンドとの共演。
佐渡山豊が70年代のフォークブームが去ったあとの挫折から復活したのが96年。その後の活動ぶりは、空白の20年は決して無駄ではなかった、むしろ彼にとって必要な時間ではなかったかと思えるほどです。
当夜の共演玉城まさゆきバンドは佐渡山豊の後輩らしいけれど、短いリハーサル時間での見事なサポートぶりに沖縄ミュージシャンの層の厚さが感じられます。ディランがザ・バンドの面々を鍛え上げたように、佐渡山豊もこんなふうに若手にチャンスを与えて、自分もまた若手から刺激を受けているのでしょう。
数年前からの沖縄ブームで、ことさら琉球音階とウチナーグチを強調した沖縄ソングが人気を集めているのに対して、佐渡山豊は原点であるアメリカンフォークのコード進行にヤマトグチの歌詞をのせ、その時々の為政者の都合に翻弄される沖縄の悲哀を歌い続けます。

最後は佐渡山豊最大のヒット曲、おヤクソクの『♪ドゥイチュイムニ』で、毎度のことながら弦を切っての絶叫です。それにしても、復帰後の佐渡山豊は5回くらい聴いているが、ピンだったり、バイオリンとの共演だったり、ときにはロックバンド編成だったりとすべて組み合わせが違うけれど、どんな設定でも対応できる佐渡山豊の柔軟さは驚きです。
トリに登場したのが豊田勇造。
ただひたすら自己の内面の奥深く見つめ、いまだに昇華しきれない心の中のツブツブをすくいあげて私小説世界を展開する豊田勇造は、己の恥さえ告白しなければ気が済まないというストイックさ。そんな豊田勇造の言葉の一片に触れた私もまた、自分の欺瞞をさらけ出されたようでうつむく瞬間もあるのです。
それまでの和久井光司、佐渡山豊がロック編成だったのに対して豊田勇造はまったくのピン。音量で不利かと思ったけれど、これがどうしてどうして、「ギター は小さなオーケストラ」と言われる言葉そのもの。アンプのツマミなど無関係にこれほど重厚で力強いサウンドが出せるんだと思えるほど楽器の能力の極限 まで引き出して圧倒します。こうなるとフォークソングなどというヤワなものではなく一本勝負の厳しい世界です。
当日のメーンでもある佐渡山豊の誕生日を祝い『♪ハッピー・バースデイ・佐渡山豊』をサービスしたあと、パキスタンのペシャワールを旅行したときの心象風景を歌った歌が最後。
じつは私だってペシャワールを知っているのだ。
あのときの私は、ダライ・ラマの住むインド北部の高地ダラムサラで肝炎に罹り、決死の覚悟で印パ国境を越え、パキスタンのラホールの病院に1ヶ月入院。医師の帰国の勧めにも従わず、肝炎再発の恐れを抱きつつラホールから夜行列車でペシャワールに向っていたのだ。目的地はカイバル峠の難所を越えた先にあるアフガニスタンのカブール。1973年5月下旬のことです。
豊田勇造のギターは驀進する機関車の轟音のようでもあり、ハーモニカはまるで闇夜切り裂くペシャワールエキスプレスの警笛のように聞こえてきます。
♪生き急ぐことはない
♪死に急ぐこともない
ギターのボディを打楽器のように叩いて出るリズムが徐々にユックリとなって列車は駅に到着。ペシャワールエキスプレスの、一息つくかのように吐き出されるスチーム音の残響を味わっているうち豊田勇造のパフォーマンスは終了。
「今日新幹線で京都から来たんやけど、新聞のどこにもジョンレノン暗殺、真珠湾攻撃の事が書いてあらへん。事件を風化させないためにも、書き続けるのがジャーナリズムの役目じゃないかと思うんやけど・・・」
社会派フォークシンガーらしいMCのあと、和久井光司をステージに呼び込んで『♪イマジン』のセッション。まぁ、急ごしらえのセッションだったからまとまりのないのはご愛嬌というアンコール。
フィナーレは出演者全員がステージに上がって、「こどもたちに黒い雨を降らせないで」という佐渡山豊の『♪ノー・モア・レイン』を、『ウイ・アー・ザ・ワールド』風にソロを受け渡しての大団円。
当夜のお客の構成はザッと見回したところ『団塊の世代』と呼ばれる年齢層が7割方。また70年代女流フォーク・シンガーのお姿もチラホラ。若いときも美人だったけれど、今でも妖艶なお姿をこうして見かけるのは嬉しいものです。
佐渡山豊・豊田勇造のパワフルな歌を聴きながら、『団塊の世代』などと“一丁上がり”的な扱いをして甘く見てると、とんでもないしっぺ返しを喰うぞ。なかなかシブトクて一筋縄ではいかないのがオレ達なんだから、とココロの中のナイフを秘かに研ぐ、私もまた『団塊の世代』なのです。
「生き急ぐことはない、死に急ぐこともない」
豊田勇造のフレーズ繰り返しながら新大久保の街に出れば、飛び交うインターナショナル言語。奇妙な香辛料の匂いに覆われた無国籍地帯の雑踏の中、「・・・アレはオームじゃないか?」と立ち止まって目をこらせば、なんちゅうことはない、壊れかかった看板のハングル文字だった。
いけねぇいけねぇ
ついにオームにアタマをやられてしまったか。
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コメント
にわとりさま
まジるゥさま
えあじんです。コメントありがとうございました。年末から旅行中だったので返信遅れましたことをお詫びいたします。
まジるゥさま、
佐渡山豊さんの動画はお好きなようにお使いください。
とりあえず、コメントへのお礼とご連絡まで。
投稿: えあじん | 2008年1月 7日 (月) 午後 09時59分
初めまして。
今このページを見てびっくり!一番下の写真の左側のお客はなんと私めであります。九州は別府からの参加。とってもすばらしいライブでした。
投稿: にわとり | 2007年12月28日 (金) 午後 11時35分
えあじんさん、こんにちわ。佐渡山豊の動画をネットでさがしてたら、ここにたどり着きました。
メールを送る手段がわからなく、コメント欄をつかわせていただきます。
早速ですが、お願いがありまして……
私はmixiにて佐渡山コミュニティに参加してるんですが、えあじんさんの、六本木スィートベイジルの動画を紹介してもいいでしょうか?
私もこの日は会場にいたんですよ。
HONZIさんもいてとても長編のどぅちゅいむにぃは
燃えますよね。アノ歌は長ければ長いほどいいと思いませんか?
金髪はちょっと変ですが……
長くなりましたが、お返事待ってます。
もしmixiにもいらっしゃるのでしたら、mixi内でのメールでも、お返事まってます。
では、失礼します。。ゆり
投稿: まジるぅ | 2007年12月27日 (木) 午前 09時33分
悠々さま
コメントありがとうございました。
「トラ・トラ・トラ新大久保」は良心的な企画でしたが、入場者50人程度というのは、主催者に気の毒でしたね。
いずれにしても、彼ら70年代フォークシンガーの活躍ぶりに「人生はこれからだぜッ!!!」と気合い入れ直したヤジオの一夜でした。
投稿: えあじん | 2007年12月13日 (木) 午前 08時24分
ああ、勇造さんのライブ見たかったです。毎年自分のところでライブをやるので、その分別のステージを見る機会が減ってるんですよね。僕が言いたくて上手く言えない勇造さんのすばらしさを的確に言葉にしていただいて、ファンの一人として嬉しく思います。フォークシンガーが不遇をかこっていた80年代も、勇造さんはジャマイカへ行ったり、ニューヨークで歌ったりしながら日本のツアーもずっと続けてきたので、そういう強さを持っているのだと思います。
佐渡山さんも名前は以前から知っていましたが、「サヨナラオキナワ」と言うアルバムではじめて音を聞きました。勇造さんに似た作り物ではない生き方から出た歌と言う感じがします。風貌は橋本シャーンに似てるし(笑)。
しかし・・コメント書いた後のあのスパム防止の奴は面倒ですね〜。
投稿: 悠々 | 2007年12月12日 (水) 午後 06時30分