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2007年12月25日 (火)

風に吹かれて/五木寛之

ムカシ熱中したことのある五木寛之さんもすっかり“精神世界”の人になってしまって、最近の「迷える衆生の足下を照らす」作品はもはや私の読書リストにも載らなくなりました。

7.11.23(金) 毎日新聞

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かつて、五木寛之さんの熱狂的信者だった私は、この時代の五木作品に癒され、こんな本を読んでは放浪への欲求が募り、その挙げ句実際に旅にも出たりもしたワケです。


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風に吹かれて/五木寛之
読売新聞社
昭和43年(1968年)7月1日 第1刷

きょうは、惚れに惚れぬいた若き日の五木さんの著書ではなく、こんな変わった作品を紹介いたしましょう。

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風に吹かれて/五木寛之
中央公論社
昭和48年(1973年)9月1日発行
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<わが漂流のうた>
五木寛之珠玉エッセイをよむ
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side A
われらの時代の歌
サーカスの歌悲し
side B
私たちの夜の大学
横田瑞穂先生のこと
奇妙な酒場の物語
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朗読 五木寛之
ギター ソンコ・マージュ

これは五木さんの初エッセイ集『風に吹かれて』から、自らが何章かを朗読しているレコードで、こんなレコードが発売されるというところからも、当時の五木さんの“売れっ子”具合が想像できようというものです。a

じつは久しぶりにこのレコードを見てギクッとしたことがあって、、、、。

それは見開きジャケットの中にあった五木さんのこの写真。


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'71夏 白夜の旅 バルト海の海岸にて

ロングTシャツに半袖サファリジャケットそれにジーパンというこのスタイル、実は私が1973年に旅に出たときと同じスタイルだったことを思い出したワケです。たぶんこのレコードを聴きながら、これから始まる旅のことを夢想していたんでしょうね。オマケに、この半袖サファリジャケットはカトマンズで現地の青年に何ルピーかで売ったことまで思い出しました。こんなふうにいま思い返すと、懐かしくもあり、ちょっと恥ずかしい履歴を持つレコードなのです。

 このレコード

 五木寛之さんの人気度からいっても高値がつくのじゃないか?

スケベゴコロを起こし、ヤフオクで調べてみたら1800円スタートで入札者ゼロのオークションナガレ。私の思い入れとは反対に、いまどき、五木寛之グッズではコレクターアイテムにはなり得ないのかなと、ちょっと寂しさを感じたワケです。

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それでは
この『風に吹かれて』のレコードから
五木さん自身の朗読になる「われらの時代の歌」を
ちょっと聴いてみましょうか。
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こんなパチパチというノイズのレコードを聴いていると
旅に憧れていたころにタイムスリップしてしまって
またリュックサック背負って出かけようかなどという思いが
アタマを持ち上げてきた晩秋の夜でした。
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2007年12月24日 (月)

自分の無上の歓び、至福を追求しなさい

クリスマスですから、
一応それなりの気分になって、
こんな動画を味わってみましょうか。
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私がこだわっている、
『神話の力〜ジョーゼフ・キャンベルとの対話』から
神話学者ジョーゼフ・キャンベルの言葉です。
 

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ひとりYouTube

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なるほど    私は自由に生きていいんだッ!!!

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2007年12月22日 (土)

『神話の力』より〜死と再生

朝起きるのがツライ季節になりました。

秋→冬→春→夏→秋→冬→春→夏→

死→生→死→生→死→生→

すべてはエンドレスで回転している。

神話学者ジョーゼフ・キャンベルの『神話の力』のDVDで、最近ちょっと嬉しいプレゼントが届いた。

NHKで放送された6回シリーズの内『Vol.4/死と再生』だけアタマの部分が欠けていて、そのことを長い間気にかけていたら、このサイトを見てくれた方から「Vol.4NHK版を録画してあるから提供しましょうか?」とのメール。10数年前に放送されたこのシリーズを、録画して現在でも保存しているのはオレくらいなもんだろうと思っていたら、イヤハヤ、やはりいたんだなぁ。

ということで、今回は『ひとりYouTube』として『神話の力Vol.4/死と再生』のイントロ部分完全版を見てもらいましょう。

ひとりYouTube

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これこそ
「声に出して読みたい日本語」
エコ運動のバイブルにもなりそうな
名文だと思います。

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2007年12月20日 (木)

神田小川町達磨のたいやき

ラミレスが巨人かい?

2007.12.19(水) 日刊スポーツ

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ハウエルもペタジーニもラミレスも、全くの無名選手を発掘してきて、ホームラン王にまで仕上げたのがヤクルト・スワローズ。それだけ人間の能力を見極める眼力と選手育成力があったことになります。それに引き換え、金の力を背景に他チームの有力選手をただ引っぱってくるしか能のないのが巨人。そして、せっかく大金ははたいて呼んできた選手でも、力を発揮できないまま寂しく選手生命を終わらせてしまうのも巨人です。

目先の勝利ばかり狙わずにジックリと選手を育てろよ。そうしないと、ジリ貧になるばかりでっせ!

プロ野球選手の移籍に選手個人の意向がどれほど反映されるのか知らないけれど、ラミレスも、ハウエルやペタジーニの末路を知らないワケでもないだろうに。ナニも巨人なんかに移らなくってもなぁ。

Sikiri

神田駿河台下三省堂本店の並び、すずらん通り入り口にあるのがパセラリゾーツというカラオケビル。そのビル地下にランチバイキングの店がオープンしました。どうやらダーツスペースが開くまでの昼の時間をバイキングにするという、つまり、スペースの有効活用ということらしい。物見高い私としては早速行ってみました。

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このように10数種類のメニューが食べ放題飲み放題。料理は和風・イタリアン・バリ・ベトナム等々と、要するに“無国籍料理”というわけ。これで980円なり。まぁ、味はともかく、お腹がイッパイになるということは間違いありません。

最近ではラーメン屋でもトッピングなどといってイロンなものを追加でとったりすると、軽く1000円を超えるほどですから、そういった点から見れば案外安いといえるのかな。

何度か紹介した池袋大勝軒の分家筋にあたるお茶の水大勝軒。その大勝軒と靖国通りを挟んだ向い側にオープンしたのがつけ麺さとうというラーメン屋。

野菜つけ麺¥750

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このつけ麺さとうも、最近の新規ラーメン屋に多く見られるどこか地方の繁盛店が勝負をかけての東京進出という流れにあるらしい。向かいのお茶の水大勝軒の客入りが気になるらしく「いらっしゃいませ〜」などと接客しながらも、チラチラと大勝軒に目をやるのを私は見逃さなかった。やっぱり意識しているんだなぁ。

靖国通りと本郷通りの交差する小川町交差点も角。携帯電話屋が店じまいして内装工事が始まったから、「どうせラーメン屋だろう」と見ていたら、開店したのがたいやきのお店。

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さっきマーボ豆腐定食食べたばかりなのに、表に洩れてくる香ばしい匂いに引き寄せられて試食。

薄皮にほど良い甘さのあんこ、サイズも小ぶりでちょうど良い。

神田達磨のたいやき¥140

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なるほど
たいやき屋というがあったか。
これだったらラーメン屋ほど体力もキツくなさそうだから
弟子入りして修行したいな。
でも
140円×10=1400円
140円×100=14000円
140円×1000=140000円
たいやき1日1000枚売るのはキツイかな〜。
こんなことを思った真冬の昼下がりでした。

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2007年12月18日 (火)

スティーブ・ジョブズ/林信行

米国の本社では彼と一緒のエレベーターに乗り合わせた社員が降りる前にクビを言い渡されたことが伝説となり、日の浅い社員はみんな階段を使ったというが、たぶん事実なのだろう。

カリスマ経営者の面と“暴君ネロ”の面が奇妙なバランスをもって存在する傑物を、エピソードと選りすぐりの写真で描き出したのがこの本。


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STEVE JOBS
The Greatest Creative Director
スティーブ・ジョブズ
偉大なるクリエイティブ・ディレクターの軌跡
林信行
アスキー
2008.01.02
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世界を変えた鮮烈なディレクション
iMac、iPod、iPhone。
魅力的なプロダクトを次々と生み出す
アップルのCEO、スティーブ・ジョブズ。
彼の言葉には、驚くべき強さと深遠な未来
が込められている。ジョブズの波瀾万丈な
半世紀を、数々のエピソードと当時の写真で
振り返るビジュアルブック。
「海軍に入るくらいなら、海賊になったほうがましだ」

ジーンズをはいたCEOとして知られるアップルのスティーブ・ジョブスは、小さなことにこだわらない豪放磊落、社員ともファーストネームで気軽に接している人物というイメージをもっていたけれど、、、じつは執念深く粘着質・・・どうやらハズレだったらしい。

こういう執着心があったからこそ成功を収めカリスマと呼ばれたのか、それとも、成功者ゆえにマイナスがすべてプラスとなりカリスマとしての伝説をつくったものなのか。

1974年から、ジョブズは電子ゲームをつくっていた新興企業、アタリで働くことになった。ヒッピー同然の生活を送っていた彼は身なりも体臭もひどかったため、ほかの社員への迷惑を考えて夜勤に回されたという。同年夏、ジョブズはインド出張に合わせて休暇をとり、精神世界の真理を探究すべく、1ヵ月間、親友とともにインドを訪問する。

あのジョブズが学生時代ハレクリシュナ寺院で食事の施しを受けたり、就職後も真理を求めてインドのグルを訪ねたりしていた過去があったとは。

あまりにも巨大すぎて、私ごときが参考にしたいようなエピソードはないけれど、1974年というと、私もその時期にインドをフラついていた身。どこかの安ホテルのドミトリーのベッドで隣り合って眠ってたかもしれないな〜と想像して・・・ニヤリとする私でした。

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2007年12月16日 (日)

すべては岡林信康からはじまった

岡林信康が、長い隠遁生活から復活している断片はテレビなどから知っていて、同時代に生きた者として一度は聴いておきたいと思っていたら、ちょうど良いタイミングでライブのニュースが入った。

2007.12.15(土)

岡林信康を聴きに「調布市文化会館たづくり くすのきホール」へ。

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岡林信康が当夜従えてきたのは、平野融(G.Perc.)、吉田豊(Perc.)、佐藤英史(笛・尺八)、高橋希脩(津軽三味線・お囃子)、美鵬成る駒(和太鼓・お囃子)の面々。

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ステージに吊るされた6本の幟は6人のメンバーを意味するのか?

旗印を読めば・・・

御歌囃子信康

なるほど、オカバヤシノブヤスだ。

日本人の原点である“音頭”への回帰が、かつて、“フォークの神様”と呼ばれた岡林信康が到達した境地らしい。

当夜の平均年齢50歳超の観客にとって、村の鎮守のお祭りを再現する岡林信康のステージには戸惑い気味で、アオリに乗ったフリして一応手拍子を打つけれど、それもどこか義務的に聞こえます。しかし、かつてのヒット曲『三谷ブルース』や『チューリップのアップリケ』はイントロが始まった途端に“ウォー〜!!!”とくる反応の良さ。

こんなことからも観客が岡林信康に求めているものが分かろうというものです。

『♪きょうの仕事は辛かった〜」という岡林信康のこの歌が日本の音楽を変えたといっても過言ではないでしょう。岡林信康の出現はそれまでの音楽ビジ ネスのみならず社会にまで影響を与えました。この曲を耳にしてギターのコード進行を学び、歌う喜びを知り、曲を作る真似事をした人がどんなに多くいたこと か。

そんな岡林信康の受難は“フォークの神様”に祀り上げられてしまったこと。本人の意図しないキャッチフレーズを背負わされ、その重さに耐えかねて何回かのステー ジ放棄を経た後、本格的隠遁生活に入り、世間との関係を絶つことになります。だから岡林信康の現役活動はそれほど長くなく、後を継いだ岡林チルドレンともいうべきフォー クシンガーが音楽界を牽引する事になります。しかしそれらのフォークシンガーも「冬の時代」を迎えて活動の場が狭まり、やがて忘れ去られた存在へとなっていくのです。

かつて、フォークソングを聴いた世代が、60歳というひとつの区切りを迎えるのに呼応するかのように、引退生活にあった元フォークシンガーの復活が数年前から多く 見られます。挫折を乗り越え更なるパワーを発散しての価値ある復活もあれば、ムカシも大したことなかったけれど今も大したことない商売っ気マル出しシンガーの無意味な復活もある流れの中で、最後の大物と言わ れたのが岡林信康になります。

ところで、上の写真をもう一度見てもらいましょう。

気づきましたか?お客さんの高等部後頭部。

皆さん薄くなっていますネ。このことからも観客の平均年齢の高さが想像できるというものです。普通コンサート会場の休憩時間は、女性トイレにズラ〜ッと並ぶ景色が見えるものですが、当夜は珍しく男性トイレにも順番待ちの列がロビーにまであふれる状態。

ヤハリ皆さん

オシッコのキレが、、、

悪くなったようです。

私も去年還暦を迎えまして、、マ〜、60歳ってことですね・・・。

最近になって、これまで私に重くのしかかっていたモノの、何もかもとは言いませんが・・・私にとってマイナスだ災いだと思っていた事が、、、マイナスじゃなくって、実は私にとってプラスなことだったかも知れないと思うようになりまして、オセロゲームの黒石がパカパカッとヒックリ返って白石になっていくような爽快感を味わって「来年につなげていこう」という心情です。

私は20歳になってすぐに“フォークの神様”にされてしまって・・・20歳でカミサマになるのはツライですよ〜、それ以上のモノはない訳ですから。

その後ハッピーエンドとロックをやっても「何で“フォークの神様”がロックなんだ!」と・・・。それまで年間300本あったコンサートが「ロックの岡林いらない!」と断られ。美空ひばりさんとのジョイントをやれば「なぜ“フォークの神様”が演歌なんだ!」と叩かれ。とにかく聴いてもらえれば分かってもらえる自信があったんだけど、ちゃんと聴いてもらえない。

 「ロックはダメだ!演歌はダメだ!」

“フォークの神様”というレッテルを貼られてしまった以上、私の歌手としての人生はオワリだ!そんな重苦しい気持ちで生きてきたんです。“フォークの神様”というレッテルを何とか乗り越えようとしたんだけれど、ところが“フォークの神様”というレッテルは重くって、そのハードルは高すぎたワケですよ。

それでも、何とか乗り越えるためには生半可なものを創ったってダメなワケですよ。だから私が今日まで創作意欲を失わずに前向きにやってこれたのはこの“フォークの神様”というレッテルを貼られたからではないのか、、、。

「アノことさえなかったら!」とか「コレがあったから!」私の人生はダメなんだと思いがちですが、よく考えてみれば、ソレがあったことが自分の原動力になったのではないか?。

だから、物事の受け止め方、気持ちの有り様にによって人生なんかどうにでもなるんだと、、、最近になって思えるようになりました。

こんな気持ちをブツブツ言いながら散歩してると、スレ違ったヒトが気味悪そうな顔して逃げて行ったり、「アイツは前からオカシーと思っていたけれど、とうとうきたか!」とご近所のウワサになったりと、こんな感じでやってます。

きょう会場に来ている方は殆ど同世代と見受けられますが、ネ〜皆さん!「何がリタイヤだ〜!何が余生だ〜!」。そんな事ヌカすヒマがあったらオレのCDの一枚でも買って聴いてみて、前向きな気分になれよ!。

そして、来年のデビュー40周年記念のコンサート味の素スタジアムでお会いしましょう。

いま、昔と変わらぬ風貌と体型でギターを弾きながら祭り囃子に身をくねらせ、かつてのヒット曲を楽しそうに歌う岡林信康が目の前にいる。御歌囃子は、私にとって岡林信康が嬉々として歌ってるほど魅力あるものには聞こえないけれど、あの岡林信康が生きていてこうして元気に歌ってるというそれだけで満ち足りた気分にさせてくれた夜でした。

マッ
カミサマというのは
どこのカミサマも
ヒトを惑わすのが仕事です
だから
カミサマの宣うことなぞ
額面通りに受け止めないのが
利口な生き方ですぞッ。

a

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2007年12月15日 (土)

ミルス・ブラザースのバイ・バイ・ブラックバード

「消えた5000万件」に対する、

このところのオエライさんのハナシを聞いてると

わかった!即選挙やろうよ!!!

こんな事を言いたくなります。

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前回紹介したインド映画『ボビー』ラジャを演じたのがRISHI KAPOOLという役者さん。『偽』事件で世間に醜態さらしてしまった伊勢や船場の金持ちのボンボンというような、いかにもシマリのない顔をしています。

試しにこのRISHI KAPOOLで検索してみたらこんな画像を見ることができました。

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1973年のあの映画から30数年後、なかなかいい風貌になってるじゃありませんか?

Sikiri

不思議なことに『夜の営み写真集』などというキーワードでアクセスする不逞のヤカラが後をたちません。そういう皆さんには、「期待を裏切ってゴメンね!」とひとこと謝っておきましょう。

『ミルス・ブラザース』をキーワードにこのサイトを訪れる方もポツリポツリとあるようです。たしかにミルス・ブラザース関係の1章をアップしたことがあるけれど、私が知っているミルス・ブラザースのアルバムはこの一枚だけなのです。

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YouTubeで検索してみたらミルス・ブラザースの懐かしい動画も数件アップしてあって、古き良き時代のジャズに見とれてしまいました。

そこで、私もミルス・ブラザースのYouTubeにはない、短い動画を1本ひとりYouTubeとしてアップしますのでどうぞご覧下さい。

ひとりYouTube

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オールドファッションだけど
こんな肩の力を抜いたジャズも
なかなかオツなものです。

a

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2007年12月14日 (金)

1973年のボビーとラジャ

ダライ・ラマさんも訪日の旅を終えて無事帰国されたようです。「一応、ひとこと言っておかなけりゃならんのよ」と中国さんもブツクサ言ってましたね。

ダライ・ラマさんはアメリカのセレブの間ではアイドル並みの人気者だそうで、パーティなどではお金持ち階級の連中がずいぶんと集まるんだとのこと。たしかに、あのポジティブな笑い顔は皆を幸せな気持ちにさせてくれます。

日本ではダライ・ラマの説法というか講演会のチケットぴあを介してさばかれる現状を見るにつけ、果たしてダライ・ラマはチベット人民を救えるのか?ダライ・ラマが救えるのは、巧く外国に逃げおせた上流階級のホンの一握りのチベッタンだけではないのか?という疑問を抱き続けているのです。

それでも言わなければなりません。

チベット問題がある限り
中国を信用するな!
チベットに自由を!

ダライ・ラマさんのアメリカにおけるスポークスマンの役割をしているのがリチャード・ギアというのは有名なハナシ。ダライ・ラマいるところにリチャード・ギアがいるというくらい緊密な関係だそうで、リチャード・ギアを通じてハリウッドスターのダライ・ラマ人気も高まっているんだとか。

そのリチャード・ギアに関するこんな新聞の切り抜きがあります。

デリーでのエイズ撲滅啓発イベントに出席したリチャード・ギアが、インドのシルバ・シュッティというトップ女優に何度もキスをして社会問題化しているというのがこの記事。

2007.05.02(水) 毎日新聞

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リチャード・ギアもホンのシャレのつもりだったんでしょうが、逮捕状が出たり自分の等身大人形が焼き討ちに遭うなど、とんだ騒ぎになってしまったようです。

騒動の原因は「大衆の面前で性的な行動や鼓舞する行為」を禁じた英国統治時代のわいせつ法の名残りとし、「インターネット上のわいせつ映像は野放しなのに」という大学生の言葉を引用して、IT先進国インドのちぐはぐさを解説しています。

このハナシがその後どのようになったのか?手打ちは済んだのか?コトの顛末についての後追い記事は見逃してしまった。マッ、どうでもいいけんどもねッ。

経済発展著しいといわれるインドでも、さすが“オームの国”だけに、人々の意識だけは今でも「マハバーラタ」の時代のままなのでしょう。

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インドは世界に冠たる映画制作大国だそうで、カルカッタを製作拠点とする“芸術派”はサタジット・レイという巨匠を生み、ボンベイを拠点とする“娯楽派”はマサラムービーと命名されたジャンルで人気を集め、世界に輸出されて外貨稼ぎに一役買ったとか。ひところ(2000年頃)日本でも『踊るマハラジャ』を皮切りにインド映画が話題を集めた時期があったけれど、韓国映画に押し出されるように最近全くウワサを聞きません。

ちなみに、2000年に「サイババ来日?」騒動があって、『踊るマハラジャ』のラジ二・カントがサイババの露払いで一緒に来日するというハナシなどもありました。結局、サイババ来日騒動自体が立ち消えになるとともに“腰振り大王”来日もウヤムヤになったワケです。

私がインド人と会ったとき「これを話題にすれば“ツカミ”はOK」という奥の手があって、それは『BOBBY』というインド映画のこと。インドで空前絶後の大ヒットした映画で、「ボクは1973年にこの映画をインドで観たよ!」と言えば、老若男女どんなインド人でも大喜びしてくれるネタなのです。

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この映画のストーリーは単純明快でヒンズー語の理解できない私でも理解できるという内容。

インド南部ゴアの大金持ちの息子ラジャと、漁師の娘ボビーの恋物語。身分が違う、宗教が違うという理由で反対される二人が、その恋を成就するまでを描いた、要するにインド版ロミオとジュリエット。緑ゆたかなゴアの浜辺からヒマラヤ山脈の麓カシミールまで、結ばれたかと思うと引き離されて落胆の歌をうたい、引き離されたかと思うと結ばれて歓喜の踊りを踊るという大逃避行はインド人のココロを完全に虜にしたのです。夢物語のような世界に入り込んで、一瞬でも厳しい現実のことは忘れたいということなのでしょう。

映画の上映よりも挿入歌が先に流行し、どんな田舎町に行っても朝から晩までラウドスピーカーでガ鳴りたてられ、「オレはこのあいだボンベイで観たよ」と言えば羨ましがられるほど人気を集めた映画でした。

このときBOBBYを演じたのがDIMPLE HAPADIAという女優で、ミニスカートに胸の膨らみも豊満なボディラインもバッチリという大胆さ。もちろんラブシーンだってあり、現代のリチャード・ギア騒動から見ても、70年代のあの時代によく問題にならなかったなぁと思えるほど革新的なものでした。

けっきょく、現代のリチャード・ギア・キス騒動もアメリカ男対インド娘という組み合わせが、印度極右勢力の反感を買ったということなのかもしれません。

1973年のボビー DIMPLE HAPADIA

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1973年のラジャ RISHI KAPOOR

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イヤハヤ、このニヤけ具合が、ナントモ・・・現代のヨンサマという感じですね。

この映画とテーマユージックはたぶんインド人の血と肉になっているのでは?と思えるくらいの浸透度なのです。だから、上映から30数年後の今になって、インド人にこの『BOBBY』のハナシをすれば、「オマエはなんでBOBBYなんか知ってるんだ?」とビックリされ、 「だってオレは1973年にダージリンから南の果てのカニヤクマーリまで旅行してたんだよッ」追い打ちかければ、さすがの“インド人もビックリ”という仕掛 けになるワケです。

それでは
年金問題でコケにされっ放し
カッカきているペテン冷やすためにも
気分転換に
この『BOBBY』のシーンをちょっと見てみましょうか。
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ひとりYouTube
..
ワシも厳しい現実を忘れるためにも
インド人のように
この映画の世界に逃避したいよう〜

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2007年12月11日 (火)

新大久保のウイ・アー・ザ・ワールド

2007.12.08(土)

浅草待乳山聖天で歓喜天ことガネーシャにお参りしたあと、秋葉原ヨドバシカメラをヒヤカシてから新宿経由で新大久保へ。この日は沖縄出身のフォークシンガー佐渡山豊の誕生日で、『トラ・トラ・トラ』と命名されたイベントが行われるのだ。

佐渡山豊の寅年生まれと日本軍による真珠湾攻撃とかけたこのイベント、これまでの会場は沖縄市(旧コザ)だったり、初台のライブハウスだったりとゲリラ作戦を展開してきて、今年の会場は新大久保のR'sアートコートという小ホールでの奇襲攻撃。

佐渡山豊の出身地でもある沖縄市(旧コザ)会場のときは、三上寛、遠藤ミチロウ、頭脳警察、中山ラビなどの寅年生まれ(中山ラビは寅年生まれを否定)が集結しての阿鼻叫喚ライブが行われたこともあったのです。ちなみにこの1950年というのは後のフォークシンガーになる人材を多数輩出した年でもあり、彼らの活動がその後の日本ポップス界に大きな影響を与えたことになります。

彼らの<成功と挫折><引退と復活>はそのまま日本の経済発展の曲線になり、いわゆる“団塊世代”の人生の軌跡と重ねあわせることもできるのです。

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コンサートは佐渡山豊(1950年生)、豊田勇造(1949年生)、和久井光司(1958年生)の3人のトークからスタート。

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それぞれのルーツにはボブ・ディランがあることでハナシは盛り上がり、会場が和やかになったところでライブがスタート。

年齢順ということだそうで、1番手は和久井光司。

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日本で唯一のディラン公認の日本語カヴァー集CDを発売した和久井光司の名前は知っていたけれど、実際に聴くのはが初めて。

ホーン3本を入れた豪華な編成の和久井バンドはオリジナル曲の他にディランナンバーも数曲演奏。佐渡山・豊田の両人がディラン初期の曲に影響を受けたのに対して、彼らより10歳ほど年下にあたる和久井は、80年代のディランが初体験だったらしいことがその選曲からも伺える。

2番手の佐渡山豊は玉城まさゆきバンドとの共演。

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佐渡山豊が70年代のフォークブームが去ったあとの挫折から復活したのが96年。その後の活動ぶりは、空白の20年は決して無駄ではなかった、むしろ彼にとって必要な時間ではなかったかと思えるほどです。

当夜の共演玉城まさゆきバンドは佐渡山豊の後輩らしいけれど、短いリハーサル時間での見事なサポートぶりに沖縄ミュージシャンの層の厚さが感じられます。ディランがザ・バンドの面々を鍛え上げたように、佐渡山豊もこんなふうに若手にチャンスを与えて、自分もまた若手から刺激を受けているのでしょう。

数年前からの沖縄ブームで、ことさら琉球音階とウチナーグチを強調した沖縄ソングが人気を集めているのに対して、佐渡山豊は原点であるアメリカンフォークのコード進行にヤマトグチの歌詞をのせ、その時々の為政者の都合に翻弄される沖縄の悲哀を歌い続けます。

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唐の世からヤマトの世
ヤマトの世からアメリカ世
アメリカ世からまたヤマトの世

最後は佐渡山豊最大のヒット曲、おヤクソクの『♪ドゥイチュイムニ』で、毎度のことながら弦を切っての絶叫です。それにしても、復帰後の佐渡山豊は5回くらい聴いているが、ピンだったり、バイオリンとの共演だったり、ときにはロックバンド編成だったりとすべて組み合わせが違うけれど、どんな設定でも対応できる佐渡山豊の柔軟さは驚きです。

トリに登場したのが豊田勇造。

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ただひたすら自己の内面の奥深く見つめ、いまだに昇華しきれない心の中のツブツブをすくいあげて私小説世界を展開する豊田勇造は、己の恥さえ告白しなければ気が済まないというストイックさ。そんな豊田勇造の言葉の一片に触れた私もまた、自分の欺瞞をさらけ出されたようでうつむく瞬間もあるのです。

それまでの和久井光司、佐渡山豊がロック編成だったのに対して豊田勇造はまったくのピン。音量で不利かと思ったけれど、これがどうしてどうして、「ギター は小さなオーケストラ」と言われる言葉そのもの。アンプのツマミなど無関係にこれほど重厚で力強いサウンドが出せるんだと思えるほど楽器の能力の極限 まで引き出して圧倒します。こうなるとフォークソングなどというヤワなものではなく一本勝負の厳しい世界です。

当日のメーンでもある佐渡山豊の誕生日を祝い『♪ハッピー・バースデイ・佐渡山豊』をサービスしたあと、パキスタンのペシャワールを旅行したときの心象風景を歌った歌が最後。

じつは私だってペシャワールを知っているのだ。

あのときの私は、ダライ・ラマの住むインド北部の高地ダラムサラで肝炎に罹り、決死の覚悟で印パ国境を越え、パキスタンのラホールの病院に1ヶ月入院。医師の帰国の勧めにも従わず、肝炎再発の恐れを抱きつつラホールから夜行列車でペシャワールに向っていたのだ。目的地はカイバル峠の難所を越えた先にあるアフガニスタンのカブール。1973年5月下旬のことです。

豊田勇造のギターは驀進する機関車の轟音のようでもあり、ハーモニカはまるで闇夜切り裂くペシャワールエキスプレスの警笛のように聞こえてきます。

♪生き急ぐことはない

♪死に急ぐこともない

ギターのボディを打楽器のように叩いて出るリズムが徐々にユックリとなって列車は駅に到着。ペシャワールエキスプレスの、一息つくかのように吐き出されるスチーム音の残響を味わっているうち豊田勇造のパフォーマンスは終了。

「今日新幹線で京都から来たんやけど、新聞のどこにもジョンレノン暗殺、真珠湾攻撃の事が書いてあらへん。事件を風化させないためにも、書き続けるのがジャーナリズムの役目じゃないかと思うんやけど・・・」

社会派フォークシンガーらしいMCのあと、和久井光司をステージに呼び込んで『♪イマジン』のセッション。まぁ、急ごしらえのセッションだったからまとまりのないのはご愛嬌というアンコール。

フィナーレは出演者全員がステージに上がって、「こどもたちに黒い雨を降らせないで」という佐渡山豊の『♪ノー・モア・レイン』を、『ウイ・アー・ザ・ワールド』風にソロを受け渡しての大団円。

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当夜のお客の構成はザッと見回したところ『団塊の世代』と呼ばれる年齢層が7割方。また70年代女流フォーク・シンガーのお姿もチラホラ。若いときも美人だったけれど、今でも妖艶なお姿をこうして見かけるのは嬉しいものです。

佐渡山豊・豊田勇造のパワフルな歌を聴きながら、『団塊の世代』などと“一丁上がり”的な扱いをして甘く見てると、とんでもないしっぺ返しを喰うぞ。なかなかシブトクて一筋縄ではいかないのがオレ達なんだから、とココロの中のナイフを秘かに研ぐ、私もまた『団塊の世代』なのです。

 「生き急ぐことはない、死に急ぐこともない」

豊田勇造のフレーズ繰り返しながら新大久保の街に出れば、飛び交うインターナショナル言語。奇妙な香辛料の匂いに覆われた無国籍地帯の雑踏の中、「・・・アレはオームじゃないか?」と立ち止まって目をこらせば、なんちゅうことはない、壊れかかった看板のハングル文字だった。


いけねぇいけねぇ

ついにオームにアタマをやられてしまったか。

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2007年12月 9日 (日)

浅草のオーム

マックの売れ行きが好調らしい。

iPod効果がマック本体の売り上げを伸ばして、デスクトップ型パソコンに限れば、国内シェアが、富士通、NEC、ソニーの国内メーカー上位3社の一角に食い込む勢いだと伝えるのが今朝の毎日新聞の記事。

2007.12.08(土)毎日新聞

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たしかに、銀座・渋谷のアップルストア店内はお客が増えているし、ヨドバシカメラやビックカメラなどのマック売り場は、今年初めあたりから売り場を拡張し始めていたのを見ていたから、この記事には納得できる。私はマック歴2年ほどでしかないけれど、いわゆる量販店のパソコン売り場はあくまでも普通の“電器店”で、マックコーナーは同じ店内といっても少数派による一種独特のコミュニティが形成されているようで、そんな雰囲気に魅かれて買う物がなくても覗いてみたくなるのです。

だから、好きなマックの好調を喜ぶ反面、マックがこのままシェアを伸ばして電気店並みのレベルになってしまったら、ちょっとサビシーな〜という気もします。

最近読んでいるのがこの本。


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夢をかなえるゾウ
水野啓也

飛鳥新社

2007.08.29
お前なぁ、このままやと
2000%成功でけへんで。
夢をなくしたサラリーマン、関西弁のゾウと出会う。
ベストセラー『ウケる技術』大ヒットDVD『温厚な上司の怒らせ方』を
手がけた水野啓也が送る、愛と笑いのファンタジー小説。

クスブリサラリーマンの僕の部屋に突然現れた象面のガネーシャが関西弁で説く成功の秘訣とは、「毎日靴を磨け」「僅かでも良いから寄付をしろ」とか「腹八分目にしろ」というような、生活に密着した教え。ホントに、こんな細かなことを実践することで成功を掴めるの?とオモシロ半分にこのハナシに乗ってみたサラーリーマンの物語。

ようするに、この本は古今東西の英雄偉人の伝記から引っぱり出したエピソードを散りばめ、物語り仕立てに構成したもので、作者は中谷彰広の開発した路線を踏襲したものと見た。

ガネーシャの教えを守ったサラリーマンの結末はどうなるのか?私には最後まで読み続けて見届けるだけの自信がない。

ところで、このガネーシャだけど、インドでは“富と繁栄の神”“知恵と学問の神”“障害を除去し成功をもたらす神”として広く親しまれている神様 (『インド神話入門/長谷川明/新潮社』による)。象面にメタボリック腹のこんなオッチャンが人気を得ている原因は『マハバーラタ』を口述筆記したという 神話にあるとのこと。

シヴァとパールバティの長男という位置づけのガネーシャは密教とともに日本にも渡来し、聖天(しょうでん)あるいは歓喜天となります。その聖天を祀った最大の寺は奈良の生駒山宝山寺ですから、「夢をなくしたサラリーマン」の部屋に現れたガネーシャが関西弁を話したとしても不思議はありません。そして東京では浅草の待乳山聖天(まつちやましょうでん)に祀られていることも知られているところです。

2007.12,08(土)浅草待乳山聖天へ。

その前に、やはり浅草といえば浅草寺。顔を出しておかないとどんなタタリがあるかわかりません。インターナショナルな言語飛び交う参道をかき分けかき分け、やっとの思いで本殿に辿り着き、お賽銭はずみお参りしたあと、フト空を見上げれば♪誰が歌うのか子守唄〜ワタシの城下町〜・・・太陽のかかった五重塔がシルエットになり浮き上がってみえます。

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逆光のせいでイイ感じの写真が撮れたと満足して境内に下りれば、いつもの場所でいつもの猿回し芸。

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自力で竹馬を立てて上っていくのですから大したものです。

さて、

目指す待乳山聖天はこの浅草寺から墨田川に向って10分ほど歩いたところにあり、ムカシムカシ、平地の浅草に“一夜にして出来上がった”といわれ、こんもりとした山は密教の神様を祀るに相応しい伝説です。

このあたり明治の文人墨客に愛された土地だそうで、その代表格が池波正太郎だと案内図には書いてあります。

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浅草寺の賑わいとは反対にヒッソリとした境内にはただ枯れ葉の舞うサラサラという音がするだけ。

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待乳山聖天にはこれまで何回も来ているけれど、この12月8日は特別な行事がある日になります。

日本の聖天崇拝の特色は、きわめて秘教的な色彩が強いことと、象頭の男女神が抱き合った姿の独特の双身像を礼拝することです。ほとんどの寺では、その神像を秘仏として行者以外の人間の眼にふれないようにしています。(『インド神話入門/長谷川明/新潮社』より)

このように普段は目にすることができない待乳山ご本尊を見ることのできる“ご開扉”の日が12月8日なのです。ご本尊見たからといってどうなるのか?という思いはするけれど、その“ご開扉”の日を選んで参拝したワケです。

扉は開かれているけれど奥の院は薄暗く肉眼でハッキリ確認できないから、あぁ、こんなご本尊様があの場所にあるんだなと想像力を働かせるだけ。

『インド神話入門/長谷川明/新潮社』より)

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ご開扉という特別な行事のある日でも、見かけた参拝客は10人程度といつものように静かなもの、そういった人間の少なさが待乳山聖天に魅かれる理由でもあるのです。

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我が家にも(我が家ったってそうタイソウなモンじゃないけれど)不思議な縁でムコ入りしてきたガネーシャが、このように20年愛用しているヤマハスピーカーとパソコンの間に鎮座ましましております。

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オームのナガレでこんなことばかり書いていると宗教グルイのサイトと思われそうですが、私自身はえあじん教の教祖兼信者という立場で深いモノはありません。ミーハーの立場でイロンなことに首突っ込んでオモシロがっていという、たたのヤジオ。

だから、このガネーシャが『夢をかなえるゾウ』のように関西弁でも東北弁でもよいから喋り出して、私に成功へのアドバイス与えてくれないかと願っているのですが、本のようにそうウマクはいきません。

インドのカミサマを茶化したりネタにしている不信心さが原因か?と

浅草寺の猿のように首うなだれて

反省!!!


いずれにしても

インドでは天下無敵の神様として敬われているのが

このガネーシャということになります。

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2007年12月 8日 (土)

渋谷センター街のオーム

このごろはクレジット会社と提携したポイントカードを発行しているお店が増えて、レタス1個週刊誌1冊の買い物だけでも、レジで「当店のカードはお持ちです か?」と催促される。これが案外煩わしい。「それってさぁ、客に必ず訊くように会社から言われてんの?サービスを受けたいと思うヒトが提示すればいいんじゃない の?」と、小言好兵衛なみにひとこと言ったりする。

こんなところにもトシを感じる晩秋のたそがれです。

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兄夫婦が上京するというので渋谷で待ち合わせて話を聞いた。帰省したのが姪ッ子の結婚式のときだから5年ぶりに会うことになる。「異土の乞食になるとても 帰るところにあるまじや」の心持ちで、実家のことには何も構わずこれまできたけれど、母親が住んでいる。。

ときおり電話で話すだけの88歳になる母は声もしっかりしたもので、たぶん100歳以上は大丈夫だろうというのが私の予想。そんな“たらちねの母”へのプレゼントとして、派手目のセーターを選び大げさなリボンをつけたものを兄に託す。

兄夫婦の上京の目的は、東京見物もかねて、東京に住む息子に見合い写真を持ってきてのだという。これまでにも、親類縁者から持ち込まれた見合い写真を何回か郵送したことがあったらしいけれどラチがあかず、今回は親が直接手渡してハナシをしようという算段。何とか呼び戻して後を継がせて孫も抱きたいというのが親としてのノゾミ。

「付き合っているヒトがいるから」と見合い話に関心示さない息子に、「それならそのヒトを連れて戻ってこい」という親のハナシにも気乗り薄だったらしい。息子のことは心配してもどうしようもないな〜と、もはやアキラメ顔。

メシを食べようということになって、連れていったのがセンター街のインドレストラン。普段は安めのカレー屋ばっかりだけど今回はちょっと奮発。兄夫婦は田舎にいては味わえない本場のインドカレーを珍しがって喜んでくれた様子。

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食事のあとノートパソコンを開いてチベットの写真を見せながらダライ・ラマの話などをしていると、インド人マネージャー氏が興味津々の様子で話に加わってきた。私がインド好き(?)だと気がついたマネージャー氏は「マトゥラへ行ったことがあるか?」と訊いてくる。

「マトゥラ?それはクリシュナの生まれた・・・ブリンダヴァン?」と訊き返せば、「ブリンダヴァンまで知っているのか!、マトゥラには素晴らしいお寺がある、行ったことがないのなら今度インドへ行った時には絶対に行くべきだ!」と強力にプッシュしてくる。そこでマネージャー氏にキーボード打たせてアクセスしたのがマトゥラ関係のこのサイト。

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このマネージャー氏、変な日本人に出会ったと大喜びで、「ラッシー飲むか?チャイはどうだ?ワインもあるぞ」。そして、レジ下の机の中から1枚の写真を持ってきて「この人を知ってるか?」と訊いてきやがる。

始まったぞ、始まったぞ、『引き寄せの法則』が。

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「もちろん知ってるさ
“シルジのサイババ”だろッ!
だって
ボクはサティア・サイババの
ディボーティだよ!!!」

サティア・サイババのファンを広言してオモシロがっているだけで、決してディボーティ(信者)だとは思っていない私だけど、ここはディボーティのフリをしてハナシを盛り上げよう。

ところで、、、、。

私はカバンから1枚の写真を取り出してマネージャー氏に見せた。

「このオームマークの周りのヒンディー語はどういう意味なのか教えて、、、」

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「これはヒンディー語ではありません
サンスクリット語で
読み方はこうです・・・」
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居住まい正したマネージャーは読み上げやがった。
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OM BHOOR BHUVASSUVAH
TAT SAVITURVARENYAM
BHARGO DEVASYA DHEEMAHI
DHIYO YO NAH PRACHODAYAAT

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マイッタな〜。
渋谷センター街で
ガヤトリマントラ
聞かされようとは思わなかったゼッ!!!

他に客がいないことをいいことに盛り上がるインド人マネージャー氏と私とのセッションの内容は、門外漢の兄夫婦にもおおよそ想像がついた様子。

20数年前夜逃げするように消えた弟が、どんな暮らしをしてきたのか全く知らないけれど、その弟の関心事の一端に初めて気づいたはずです。

渋谷センター街の人間動物園並珍種の雑踏に揉まれながら、息子のことを思った兄の漏らした言葉。

こういった生活に慣れてしまえば

田舎の生活に戻れと言ってもいまさら無理だろうな〜

兄にとっては、昨夜お見合い話のために会った息子のことといい、ワケのわからないカミサマ話を喜んでいる目の前の弟といい、充分に刺激的な東京滞在であったことは確かです。

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「シルジ・サイババ」についても、「ガヤトリマントラ」についてもあえて説明しないから、「関心あるヒトは自分で調べて」と、放っておいて、一応ガヤトリマントラの響きだけは感じてもらいましょうか。

音源は(プロデュース)ジョージ・ハリスン、(監修)ラビ・シャンカールになる『CHANTS OF INDIA』というCDからのパクリです。

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アニキよー
心配ないって!
人間てえのは
最後は
収まるところに収まるようにできているんだから。

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2007年12月 7日 (金)

HMVのオーム

いまどきサイババネタでは“賞味期限切れ素材”を使ったカドで告発されそうな気もするけれど、こちとら「やめられない止められない」のカッパエビセン体質でしかも粘着系。オームの呪いかけられたようにアブナ系サイトへと突き進んでいて、まだまだ止む気配がありません。

というワケで、、、、。

「山下洋輔とセシル・ティラー共演DVDは出たのかな?」。渋谷に出たついでにHMVのジャズフロアーDVDコーナー行ってみると飛び込んできたのがこのDVD。

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MAHAVISHNU ORCHESTRA
LIVE AT MONTREUX

1984
1974

また出てきやがったゼッ!オームアイコンが!!!

私が来るのを待ち構えていたかのように、オームマークが見えるように陳列してあります。

MAHAVISHNU ORCHESTRAとはジョン・マクラフリンが1970年代初めに結成した強力ユニット。

  MAHA:偉大な VISHNU=ビシュヌ神

インドグルのスリ・チンモイに帰依したギタリストのジョン・マクラフリンらしい命名のユニットで、プレイヤー個々のテクニックひけらかすよりは、グループとしてのトータルサウンドを追求するというコンセプトでした。

スリ・チンモイの思想に感化されたか、宇宙規模での「愛と平和」のメッセージがこめられた斬新なサウンドは、ジャズファンだけに止まらずで広く音楽ファンの支持を得たユニットでした。しかし、メンバーそれぞれその個性の強さゆえか、あるいはリーダーとの宗教上の確執ゆえか、バンドは短命に終わることになります。

今回DVDとして発掘された映像は、衝撃的デビューを果たした1次メンバーが空中分解したあとの、2次メンバーによる1974年、それから10年後の1984年の再々結成メンバーによるモントルー・ジャズ・フェスティバル出演時の貴重なライブ映像DVD2枚組セット。

時系列的に1974年の盤から観てみると、やはりレコードで聴いた1次メンバーのサウンドが強力に印象づけられているから、音の垂れ流しのような感は否めません。それでも、ジョン・マクラフリンがトレードマークともいえるダブルネックを弾く姿を見られるだけでもファンとしては嬉しいのです。

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ザ・ビートルスとマハリシ・マヘーシ・ヨギ。
ジョージ・ハリスンとラビ・シャンカール。
ジョン・マクラフリン/カルロス・サンタナとスリ・チンモイ。

インドグルとミュージシャンとの関係は色々取りざたされたけれど、師弟の契り終世切れなかったのはジョージ・ハリスンとラビ・シャンカール組くらいなもの。これほど深い絆で結ばれていたと思われたジョン・マクラフリンとスリ・チンモイの師弟関係も短命に終わったはずです。宗教の世界グルの世界も、中に入ってみればそうキレイゴトばかりじゃありません。

このDVD映像の1974年当時ジョン・マクラフリンはスリ・チンモイに対する帰依心があったらしく、オームコレクターの私にこんなネタを提供してくれています。


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ネッ?
このように
CD屋に行けば
オームマークのDVDジャケットが
私の目につくように飾ってあるし
そのDVD買って観てみれば
MAHAVISHNU ORCHESTRAで
カウベル叩いているメンバーの胸には
オームマークが燦然と輝いているワケですよ。
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私はグルでも詐話師でもないから
こんなことで教えを垂れようという気はサラサラなく
誰の筋書きか筋書きでないか
オモシロイことが続くもんだと
ニヤニヤしているワケです。

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2007年12月 5日 (水)

眉毛を描かれた犬

中島らもさんが歌う『♪いいんだぜ〜 いいんだぜ〜』というフレーズがアタマにこびりついて離れない。『♪いいんだぜ〜 いいんだぜ〜』と、身に起こるありのままを受け入れることでどれほど気持ちがラクになることか。

前回ひとりYouTubeとしてアップしたパクリ動画の撮影日は2003年10月8日となっていますから、らもさんが大麻取締法違反で逮捕された8ヶ月後、亡くなる7ヶ月前ということになります。『♪いいんだぜ〜 いいんだぜ〜』と歌う姿に、もはや最期の近いことを悟ったらもさんの姿を見る思いがします。

『水に似た感情/集英社文庫』の元となったバリ島旅行で、モンクの対談相手として登場したソト杉岡とはチチ松村のこと。チチ松村が馴染み薄かったら、ギターデュオで知られるゴンチチのチチといった方が分かりやすいか。

らもさんが「アルファ波の出るギター」と評した、そのチチ松村の最新アルバムがコレ。


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半音生活
チチ松村

ゴンザレス三上とのゴンチチとしては数多くの作品を出しているチチ松村の、個人名義としては珍しい作品です。チチの芸風としては“平成の浜口庫之介」というところか。心象風景を奇を衒うことなく自然体で歌っています。アルバムタイトルの『半音生活』は、一般社会の流れになかなか順応できない自分を“半音”になぞらえたのか。

このアルバムの4曲目、『♪眉毛を描かれた犬』というタイトルを見て私はニヤリとしました。もしかすると、チチ松村はバリ島で藤原新也と同じ犬を見たのかな?それとも藤原新也の写真集を見たダレかのイタズラで眉毛を描かれた犬を見てしまったのかな。


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藤原悪魔
藤原新也

文藝春秋
1998.10

改めて『藤原悪魔/文藝春秋』の眉毛犬を見ながら、「♪眉毛を描かれた惨めな犬のよう・・・」と歌うチチの滑稽さが伝わってきます。

藤原新也の眉毛犬の写真は自著の他に意外なところでも使われたことを思い出した。

これは元『JAPAN』というバンドのリーダー格だったデビッド・シルビアンの2枚組アルバム。


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EVERYTHING AND NOTHING
DAVID SYLVIAN


藤原新也に「デビッド・シルビアンからバリ島の写真をアルバムジャケットに使いたいという依頼があった」とのエッセーがあるけれど、それがこのバリ島で撮影した眉毛犬の写真でした。眉毛を描かれてなんとも情けなさそうな犬の顔を2枚こうして見比べてみると、同じ犬だけど構図がちょっと違うことに気がついた。

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2000年から『サイババ・ブックリスト』というサイトを発信していたことがありました。

これは“サイババ”という名前が日本ではどのようにして知られていったのだろう?という興味から、“サイババ”の4文字が書かれた本や雑誌を拾い出していくという試みでした。とにかく1ヶ所でも“サイババ”の4文字があれば何でもかんでも表紙を写真に撮り、その書誌の値段と重量を累積していくというゲームでした。

この2000年という年は、サイバババブルともいってもよいくらい膨らみ過ぎたサイババブームが一瞬で萎んだ年で、それまで「ババさま・サイババさま」とサイババ礼賛の限りを尽くしたヒトが、急に口をつぐんだ年でした。私としては、サイババから離れていくことを非難しようという気は全くなく、サイババ履歴に頬かむりしたまま平然と次のカミサマの提灯持ちに走ったヤツら(出版社やテレビ局も含む)の無節操さを記録する意図がありました。

このブックリストには真摯にサイババについて考えた人、揶揄した人、金儲けに利用しょうとした人、ただの社会ネタとして取り上げたメディアなど、ありとあらゆるサイババ4文字を集めたサイトでしたから、誰がどのようにサイババを伝えたのかが分かる仕掛けになっていたワケです。もっとも「だからどうしたの?」と言われたらアタマを掻くしかないけれど。

カミサマ遍歴を恥とも思わず、もっともらしい講釈垂れるヤカラの本に、「本当の教えはこんな本の中にではなく、日々の生活の中にこそあるとは思うんです」という皮肉をこめたつもりだったけれど、中にはその皮肉を読み取れず精神世界関係読書案内サイトとして見た人もいたようで、何回か感謝のメールを貰ったこともありました。

そんな読者からの情報で知ったのが『藤原悪魔/藤原新也』に書かれたサイババの4文字でした。

「サイババが掌から灰を出したり、指輪を出すことに一体何の意味があるのか?」という、藤原新也らしい視点からサイババブームを批判しながらも、サイババに導かれたかのように父母の墓と対面する奇妙な体験を、『サイババの足』と著した文章がこの『藤原悪魔』に収められていて、したがって『サイババブックリスト』にも記録されることになったワケです。

それから、らもさんのこの本。


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バンド・オブ・ザ・ナイト
中島らも

講談社
2000.05

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この本は中島らも家を舞台に繰り広げられるラリラリセッションを著した衝撃の本で、こんな本にもサイババの4文字を見て読んでいた私もビックリ。

もっともこれはらもさんがサイババについて言及しているということではなく、ドラッグまみれの頭の中を一瞬間だけ通り過ぎた言葉を連続して羅列することで、不思議なリズムを醸し出す場面にサイババの4文字があっただけ。後にも先にも一回だけの4文字でしたが、何気なく読んでいた本の中で突然出くわして、当然この本も『サイババ ブックリスト』に記録されたワケです。

私にとって最初のサイトになるこの『サイババ ブックリスト』は、数多いサイババ関連サイトの中でも最もユニークな視点を持っていたと自画自賛していますが、その割にはアクセス数1日 10程度だったのには笑ってしまいます。そのサイトも2年くらい続けてから削除してしまい ました。したがって、サイババ4文字のある『藤原悪魔/藤原新也』と『バンド・オブ・ザ・ナイト/中島らも』は『サイババ ブックリスト』削除と共に宙へ消えてしまいます。

そのときに削除されたファイルは以下のようになります。

   書籍雑誌総数  682冊

   重量     221.551グラム

   金額     964,012円

この数字を見てわかるように、実に膨大な書誌の中にサイババの4文字があったことになります(もし続けていたら1000点は集まったのではないかな)。

ゲームのつもりだった『サイババ・ブックハンティング』が、例えば本屋でたまたま本をめくったら『サイババ』の4文字を一発で引き当てたり、まったくジャ ンル違いの本から強烈なお香の匂いを感じて手に取ったらそこに4文字をみつけたりというような連続に、今でいうところの『引き寄せの法則』を感じて、ゲームを超えた 感覚を味わったことも再三再四ありました。

「偶然なんだろうけれど、、、偶然にしてはウマすぎるハナシだ」という思いが、これほどブックハンティングに執着した理由で、削除した理由は「バカらしくなった」ということと、エッセー主体のサイトに転換するためにサーバー容量を空ける必要に迫られたということになります

まぁ、実に偏執狂的サイトではありました。

思いがけずも(そうでもないか?)過去の悪行をカミングアウトしてしまいました。

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さて、

チチ松村/半音生活からスタートして、藤原新也/藤原悪魔デビッド・シルビアン/EVERYTHING  AND NOTHING中島らも/バンド・オブ・ザ・ナイトの流れでサイババの4文字を追いかけてきたけれど、これまでの3点はムカシのハナシ。

このところのオームマークに絡めとられ「引き寄せの法則」を意識して4989している最中、こんなサイババ4文字に出会ってしまった。もし『サイババ ブックリスト』が存命だったら大喜びで重量を量り画像をアップしたであろう本です。


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ポケットが一杯だった頃
中島らも

白夜書房
2007.08.08

この本はらもさん没後に単行本未収録分をかき集めたよくありがちな企画で、らもさんと藤原新也ご両人の、バリ島神秘体験をネタにした対談の中にサイババ4文字が出てくるシカケ。ウルサ型のご両人のセッションは、バリ島を含めたアジアの自然風土が自分たちの前世の記憶を呼び覚ますようだと結んでいます。

かつては
サイババ4文字に引き寄せられ
いまは
オーム3文字に引き寄せられている
という
まぁ、
ナンともチャパティとも・・・
このように、、、
ダレのさじ加減なのか、
ネタを提供してくれるもんです。
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けっきょく
情報はそれを必要としている者に自然と集まってくる
ということの証明のような気がします。
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どこまで行き着くのか
このまましばらく流れにまかせて
漂っていくことにしましょう。
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2007年12月 2日 (日)

らもさんのオーム

さらに続くオーム攻勢!!! 今度は故・中島らもさんだ。

モンクは作家でありミュージシャンでありディスクジョッキーもこなすという、いわばお声をかけていただければ何でもこなすという躁鬱病の才人。

そんなモンクに今回持ち込まれたのは、バリ島でギタリストのソトと対談するテレビの企画。抗鬱剤に深酒に、それに加えて徹夜で追い込み仕事を片付け這いつくばって機上のヒトとなる。

空あくまでも青く、花あくまでも赤い、ここは地上の楽園バリの島なれどモンクの躁鬱病収まる気配なし。どうにかこうにかナガレに乗って撮影こなし、ベサキ山の高僧テジャ師とのセッションにおもむくモンク。僧でもあり占い師でもあるテジャ師はモンクの秘め事ことごとく言い当て、「この人こそマコトの占い師!」と確信したモンクは「再びバリを訪れ教えを請いたい」と念ず。

モンクとは中島らもさんで、らもさんがバリ島で体験した超常現象体験を元に書いたのがこの作品。


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水に似た感情
中島らも

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集英社文庫

テレビ番組の企画で訪れた前回のバリから数ヶ月後、今度はプライベートでの訪問。再会したテジャ師の見せるアポーツ(物品引き寄せ)に現代科学では解明できない世界を確信するらもさん、ヤキが回ったあげくの幻覚か幻聴かそれとも真理をつかんだか?オームをこんなふうに表現しています。

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“汚ないはきれい
きれいは汚ない。
要するに世界はそうやって二重三重、アナログなのだ。
世界は理解するものではない。受け入れるのだ”

お----む
OOOOM
とモンクは怒鳴った。
ベランダ沿いのガラスがびりびり震えた。
モンクは胸と手を開いてブラインド越しの陽光を受け入れようとした。
身体中が縞模様になった。
OOOOM
OOOOM

とまたモンクが吠えた。
自分でもこの状態が“半狂乱”なのか“至高体験”なのか判断がつきかねた。
あるいは両方なのかもしれない。
そんなことはどうでもよいような気がした。


私は、物質化あるいは物品引き寄せという現象は絶対にあると信ずる者です。

例えば、何も無い空間に物質が形を作って与えられる場合もあるし、他人を介して自分の念じたモノがもたらされる場合もあるし、時には自分の欲したモノよりも自分にとってもっとも相応しいモノとなって現れるのも広い意味での<物質化>の範疇に入れたいと思います。

しかし、これだけは言っておきます。

もしあなたがそれら<物質化>現象を目の当たりにして、これは絶対にトリックではないと確信したとしても、「やっぱり、こういうことはあるんだなぁ」と面白がる程度にとどめておくことが賢明です。あなたにその現象を見せてくれたそのヒトを、「神様」だとか「霊性が高い」などとゆめゆめ思うことなかれ。なぜなら、そのヒトは「ナニモノ」かから与えられた役割で、ただ踊りを見せてくれてるだけなのですから。

私たちの人生、、、その踊りを見て、この世界のすべてを包む「ナニモノ」かの存在を意識し、畏怖する感覚さえ持てたなら、もうそれだけで充分のような気がするのです。

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ひとりYouTube

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テジャ師にお守りの石を物質化してもらったり
超常現象見せつけられたらもさんは
改めてテジャ師に質問します。
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らも「人間というのは全体 何なのですか」
テジャ「人間というのは島だ」
らも「島?どういうことですか?
テジャ「自分で考えろ」
らも「わかりました。考えます」

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らもさんの考え出した『人間=島』の答えは、、、、。
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中島らもさん
(1952ー2004)
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ナニモノかから与えられた才能の1滴も残すことなく使い切って
あの世へ行ってしまったような気がします。
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2007年12月 1日 (土)

ここにもオームあり

ダウンジャケットにマフラー姿でもおかしくない季節になって、こうしてキーボード打っている喫茶店のBGMはさっきからクリスマス音楽がエンドレスです。

今朝、まだ開店前のゴルフ用品のお店を通りかかったとき小さな貼り紙に目がいった。

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なるほど、この寒い季節になると店頭で寒さをしのぎながら夜を明かす人も出てくるのだろう。

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丁寧な文言が寒さをかえって倍加させるような貼り紙でした。

こういう寒い日の昼飯は何か身体の暖まるものをと思い、神田小川町靖国通りスタバ脇を入った「asiえん」というお店。店名はたぶん「ASIAN」と「味縁」とをかけたものか?要するに韓国居酒屋のランチタイムサービス。

食したのは韓国風チゲ豆腐。

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石鍋でグツグツ煮立っている真っ赤なチゲをフーフーいいながら貪り喰えば気分はテーハミング!!!

食べ終わり店を出てハッと気がついた。

アッ!!!オームだ!!!

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こんなところにまでオームが出てきやがった。

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エスニック風ノレンのオームマークですから、グレードとすれば『梅』クラスです。つまり、仲屋むげん堂などのエスニックショップで見かけるオームと同じで、出会いに至るドラマの点で若干弱いという意味。しかしこんな韓国居酒屋でまでオームに出くわすとは意表を突かれたゼッ!!!

チゲ豆腐の唐辛子が回ってきたか
身体の奥底からフツフツ泡立ってくるパワーを感じながら
腹ごなしにそのまま三省堂本店に流れて新刊チェックすれば
『引き寄せの法則』関係書籍が一般書と同等の平積みあつかい。
こういったチャネリングの書籍が
一部の“精神世界”愛好者にとどまらず
広くフツーの読者にも興味を持たれていることのアカシか。
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たしかに
私でさえも
『引き寄せの法則』を意識し初めたら
アッチコッチからオームを引き寄せてしまった。
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こんなことを思っているうち昼休みも終わりに近づいて
午後からの仕事にムチ入れませう。
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オーム シャンティ
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Sikiri4_aum

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