白洲次郎の青春/白洲信哉
白洲次郎がブームらしい。
そういえば白洲次郎関係の著書も書店に平積みになっています。政治も社会もますます無節操になっていく現代、白洲次郎の代名詞ともなった「プリンシプル(原則)」という言葉に惹かれる人が多くなったのでしょうか。
その白洲次郎の孫に当たる白洲信哉が、祖父次郎の青春時代を過ごした地を辿る本が出ました。

.
白洲次郎の青春
白洲信哉
幻冬舎
2007.08.30
.
9年間の英国留学中で少年はいかにして
人生のプリンシプルを身につけ“白洲次郎”となったのか。
白洲家に遺された1冊のアルバムを手がかりに、
孫の真哉が祖父の足跡を訪ね歩く。
著者の白洲信哉は1965年生まれ。細川護煕首相の公設秘書を経て執筆活動に入ったという変わった経歴をもつ作家。「白洲次郎、白洲正子の孫」としてのネームバリューが有効に機能しているようで、この夏の世田谷美術館『青山二郎の眼』のプロデューサーとしてその名前を見ました。
白洲家に残る「Winter Vacation 1925-1926」名付けられた1冊のアルバム。それは白洲次郎がイギリス留学中のいわば卒業旅行として、生涯の友ロビンと共にベントレーを駆ってヨーロッパ最南端ジブラルタルを目指したときの記録。このアルバムをもとに、孫の信哉が同じくベントレーを駆って同ルートを巡り、若き日の祖父次郎とロビンが見た景色を体験した旅行記が前半。そして祖父が愛しこだわったスーツ、ウイスキー、校舎をイギリスに訪ねるのが後半という構成。
この本の「まえがき、のようなもの」にこんなことが書いてあります。
その年の11月中頃、祖父は珍しく祖母と一緒に関西旅行に出た。一緒であったのも京都に立ち寄ったのもあとで知った。そして、帰ってきたと思ったら、愛用の三宅一生のコートと、ハンチング帽を被って、自ら歩いて入院し、その2日後、逝ってしまった。本当にあっという間の出来事だった。僕はあんなに元気だったのに人間っていうものは案外呆気なく逝くもんだなと、冷静に現実を眺めていた。
白洲次郎という人は最初っから最後までダンディだったんだなとつくずく思います。
a
| 固定リンク

コメント