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2007年9月30日 (日)

ゴーストと旅すれば/ジム・ダッジ

最近読み始めたのがこの本。

この本を知ったのは、竹中直人のトーク番組(TVの番組名も放送された時期も忘れた)にゲスト出演した山下洋輔さんの話からでした。

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ゴーストと旅すれば/NOT FADE AWAY
ジム・ダッジ/JIM DODGE
日暮雅通訳

福武書店
1991.05.26

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主人公のジョージ・ガスティンはレッカー車の運転手。
彼は保険金目当てのオーナーに頼まれて、
高級車を壊すことで謝礼を受け取るという風変わりなアルバイトをしていた。
だがある日、持ち込まれてきた59年型キャデラックの小物入れから
一通の手紙をみつけたことがきっかけで、
彼は不思議な冒険の旅に出ることになる。

番組では50歳を過ぎてから自動車運転免許をとった山下さんのことが話題になって「なぜその年齢になってから免許をとる気になったのか?」という竹中直人の問いに山下さんがこんなふうに答えていたのです。

それまで、車の免許をとる気なんてまったく無かった。その一番の理由は車を運転すると酒が飲めないこと。しかしある本を読んでから自分も運転したい欲求に駆られて年齢を顧みずに運転教習所に通った。そしていまでは酒を飲む楽しみよりも運転することの楽しみの方が大きい。

山下さんを自動車教習所へ通わせる気になった本がこの『ゴーストと旅すれば/ジム・ダッジ』だったというワケです。私は素早く書名をメモして調べてみたけれどどうやら絶版の模様。古書店のサイトで見つけて買い積んでおいたものをようやく読み始めたということになります。

車の自損事故遭い、無線でレッカー車を呼んだぼくの前に現れたのは巨大なボディに『ゴースト』と描かれたレッカー車。ドライバーが最初にぼくに放った言葉は

  「まあまあ、人生は長いんだぜ」

そこから、ぼくとレッカー車のドライバー、ジョージ・ガースティンとの奇妙なセッションが始まります。

初っぱなから巨大なレッカー車が轟音を轟かせて闇夜を突っ込んでくるシーンに、さすがアメリカ大陸と圧倒されているのです。ムカシあった映画『コンボイ』の景色のようでもあります。アメリカでは車の事故などで救援を依頼すると、無線などでそのを情報をキャッチしたレッカー車が早いもの勝ちで現場に急行して仕事にありつくというシステムらしい。いわばフリーランスで事故車を探すアウトローの存在がこの物語の根底にあります。

さて、

以前PHSの通信端末を使って出先でインターネット見たりサイトの更新などをしていたけれど、これがどうも不満だらけ。動画入りサイトをダウンロードしたり、こちらのサイトをアップロードしようとすると、すぐに切断してしまう症状に何度泣かされたか。苦労してまとめた原稿がオジャンになってしまうわけだ。

そこで、ビックカメラで見つけたEMOBILEの通信端末に換えたら、これがすこぶる調子良い。少々重いファイルでも難なくアップロードダウンロードできるという優れもの。YouTubeだってオチャノコサイサイ。

もっとも、このEMOBILEのサービスエリアは限られるようで、大都市でも対応できない地域があるから、これが普及の最大の難点になるのだろう。

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今日も会社近くのスタバでサイトの下書きをして、気分転換にYouTubeで『山下洋輔』をキーワードに検索していたら、オモシロイ動画を見つけてしまった。

この動画の元になったコンサートの情報は無いけれど、来日したタンザニアミュージシャンを相手に山下洋輔一派が大暴れしているという楽しい動画です。

前述の竹中直人番組で山下洋輔が語っていたのは、一応普通人としての社会規範を守った生活はしているけれど、いざ音楽をやる時には徹底して自分のエゴを貫かさせてもらう

まさにこの言葉通りに、相手が誰であろうとも容赦せず煽っている山下洋輔の姿に拍手です。朝っぱらから驚くほどパワーが注入された動画です。

YouTube

前章
アフリカサハラ砂漠の砂と日本の砂は
いつまでたっても融合できないままだけど
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こういう動画を見ると
アフリカであろうと日本であろうと
音楽という土壌の基では
融合できるんだなぁ

つくづく思うのです。

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2007年9月29日 (土)

サハラの砂

以前、新宿駅西口地下で2回連続でオマワリの職質喰らったことを「オマワリWセッション」という章にしてアップしたら、それが「裏新宿」というサイトの管理者の目に留まり、「職質対応例」というようなカテゴリーとして紹介されたことがありました。

その「裏新宿」というサイトは現代新宿の裏表硬軟にスポットを当てた人気サイトのようで、そこから、この泡沫サイトへとジャンプしてくる方も多いようです。それだけ、オマワリのいわれなき職質で不愉快な思いをした経験を持つ方も多いようで、カッターナイフやハサミを凶器とされて署に連行され取り調べを受けた例を知って「オマワリの横暴だ!」などと憤ったものです。

春先、ゾロゾロいた新宿西口のオマワリも、このところまったく目にしませんから、あんがい「新人警官の職務質問研修期間」だったのかも知れません。上司に報告書を出すために焦って私に連続職質してしまい、このブログのネタ作りに協力することになったりして。

いずれにしても、職質されたことがショックで、その後新宿西口地下広場は敬遠する時期もあったわけですから、私にとって不気味な経験だったことには間違いありません。

さて、

数週間前の夜10時ころ、外の空気が揺れる感じがして窓をあけてみると、5-6人のオマワリが一人の男を取り囲んでいます。様子からするとオマワリに職務質問された自転車に乗った男が逃走の果てにここで捕まったという感じ。

「わかったわかった抵抗しないから」

観念して大人しくなったこの自転車男はスキンヘッドにサングラス、見た目いかにもヤバ系の雰囲気を漂わせています。

オマワリはカバンをとりあげて「開けますよ」と男に了解を求めてから中味をチェック。それぞれ分担が決まっているように懐中電灯で照らす係もいて、オマワリの言葉は丁寧を装っているけれど有無を言わせぬ圧力があります。特にタバコには興味あるようで一本一本確認しています。この間にも無線で連絡取り合ったパトカーが次々と集結して物々しい雰囲気となっていきます。

なぜかこの男も「次は尿出すか?協力すっから」などとミョーに手慣れたもの。風体から判断するのも失礼だけれど、たぶん経験者なのでしょう。そんなヤリトリをしばらく見てから窓を閉めたので、その後あの自転車男がどうなったのかは知らない。

なるほど、こんな職務質問がきっかけで、ヤバイ物が発見されて御用というケースもあるだろうし、逃亡中の凶悪犯が捕まることも多いのでしょう。

何か事件があったり遺失物届けなどのために自分からオマワリに行くのはともかく、こちらの意思に関係なくオマワリから呼び止められたりするのはオモシロクネーゼッ!!!というのも、まぁ、勝手なものです。

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Sikiri
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モロッコに行ったときにメルズーカ砂漠の赤茶色い砂を採取してきて、小瓶に詰めたものを「サハラ砂漠の砂だぜ!」と何人かに土産代わりに押し付けて、残った砂を庭に捨てておいたら、、、、、。

捨ててから半年くらいは経過していて、その間に暴風雨があったりカンカン照りがあったのに、サハラの砂はいまだに赤茶けた色そのままに存在を主張しています。まさか、『サハラに返せ!!!』と言ってるんじゃないだろうな。

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やはり
アフリカと日本じゃ
融合することは難しいのかな、、、。
などとこじつけたい気分です。

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だから
どうした?!

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そう言われても困るけれど、、、。

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2007年9月28日 (金)

あぁ、、、ボケたか

深夜、ネットショップで買い物を申し込んでクレジットナンバーを打ち込もうと、カードの入っている財布を出そうとしたら、、、財布がない。バッグだとかズボンのポケットだとかイロイロ探したけれど見つけれません。

おかしいなぁ、、、、。

夕方、駅前のスーパーで買い物をして、、、それから家まで歩いてくる間に落としてしまったのだ。

銀行のキャッシュカード、クレジットカード、免許証、健康保険証、それに買ったばかりの6ヶ月の定期券。参ったなぁ・・・・・。もういちど部屋の中を探してもやはり見つからず、しかたなくクレジット会社に電話してカード失効の手続き。電話はそのままカード会社から銀行に転送されて、こんどはキャッシュカードの紛失届け。いちおうの防御策をとってから念のために駅前の交番で遺失物届けの提出。すべての手続きを済ませてから、もしかすると・・・と、駅→自宅の帰宅ルートを地面見ながら辿ってきたけどとうぜん見つかりません。

「でも、きっとどこかから出てくる」と不思議に確信。

心配してもしかたないから

まぁ、寝よう

布団を出すべく押し入れを開けたら、そこに財布がチョコンとあったワケです。

なんで、無くなったとはずの財布がこんなところから出てこなけりゃならんのじゃ!!!

帰宅してから押し入れなんぞ開けなかったと思っていたけれど、自分では意識しないうち押し入れを開けて財布を置くナガレがあったのでしょう。こういう動作を憶えていないということにも、ボケたなぁ!と感じてしまったのよ。

というワケで、、、。

本日は午前中半日休暇をとって、銀行に行きカード再発行の手続きをしたり、それ以外の若干の事務処理を済ませてから久しぶりに秋葉原のヨドバシカメラへ。以前1階にあったマックコーナーは2階に移転してスペースも広くなってパワーアップ。マックファンとしては嬉しいことです。特にいま買いたいものもないから店内を軽くすスルー。DVDレコーダーはもう1年もすると値下がりするだろうからそれまで待ちましょう。

昼飯は秋葉原昌平橋たもと総武線下のまぐろ亭。

本日食した
まぐろ亭の中トロ丼
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どんぶりからはみ出して存在感を主張する中トロをむさぼり喰って大満足。

ペテンは衰え自覚しても胃腸は益々頑丈。

お腹を満たしてから日銭稼ぎのために職場へ戻ったという初秋の一日でした

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2007年9月26日 (水)

サヨナラアベちゃん2

諸行無常の響きあり。

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もはや過去の人
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2007年9月24日 (月)

サヨナラアベちゃん

日本は一党独裁国家だったのか?と思えるほど、メディアはこぞって自民党の広報活動一辺倒。

というワケで、カラスカ〜と啼いて夜が明けた新聞はこんなもの。

2007.09.24(月) 毎日新聞より。

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こんな茶番劇の結果が載った新聞を持って、散歩がてらにモーニングコーヒーへとプラプ〜ラと出かければ、この辺りはまだまだ畑の多い場所だから農家の無人産地直売所。自分たちが育てた野菜を並べています。

「料金はお客さんの良心を信じます」という ことです。

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中には、僅か100円のお代を支払わない不心得者もいるのでしょう。

こんな自動販売機式の直売所も出現しました。

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ホントに秋らしい陽気になった休日の本日はどこにも出かけず、昨日買ってきたEMOBILEのチェックをしたり、iPodタッチに入れるためのお気に入り動画を加工したりしてのんびりと過ごす。

暑くもなく寒くもない午後、「ちょと昼寝」のつもりがホンキ寝になってしまって、目が覚めたのは4時過ぎ。お茶を飲んだりしているあいだにアベチャンの記者会見の時間。

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ノーネクタイ主義じゃなかったのか?
テレビ画面にツッコミ入れたりした休日でした。
これから
フェリー二の『甘い生活』のビデオを観ることにします。

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2007年9月23日 (日)

千駄ヶ谷のオーム

ようやく残暑も落ち着いたようで、きょうは暑くもなく寒くもなくで爽やかな一日でした。

いつも行っているスイミングプールが今日は貸し切りだったかでお休み。どうしても泳ぎたい気分で千駄ヶ谷の都立体育館へ出張。泳ぎとウォーキングで2時間筋肉を動かして、心地よい疲れに満足。

こうして元気に運動できることに感謝。

「今日はやってるんじゃないかな?」とアタリをつけて明治公園に行ってみれば、、、やっぱりやってましたね〜フリーマーケット。この明治公園は正にフリマのメッカといわれるほどのステータスを確立しています。きょうはヒヤカシだけで何も買う気なし。買っても結局押し入れに仕舞い込んだままということが多いのです。ただ、見て回ることは大好きなんですね。

そんな出店の中からオームマークを発見!!!

前面がメッシュでポケットが沢山ある上着で、その背中にちゃんとオームマークがプリントしてあるワケです。

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もっともオームマークといっても、これまで紹介したサンスクリット文字のオームではなくって、梵字のオームでしたけどね。

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マッ!これもオームということにしちゃいましょう。

それにしても、どういう人にニーズがあるのか?不思議なデザインの上着でした。

全部の店に目を通して、思いがけないオーム発見に半分満足。お腹が空いたところで例のホープ軒でラーメンを・・・とも思ったけれど今日はパス。ホープ軒は相変わらずの繁盛。他に食べるところがないもんだから、ここで食べるしかないんだなぁ。

千駄ヶ谷駅へと向っていると、体育館近くのアジアン家具を売っている店の前を通りかかると、オー!!!ここにもオーム!!!じゃありませんか。

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オームじゃないぞ!!!
鸚鵡(オウム)だぞッ!!!

そんなツッコミがあればウレシー!

店の前では鳥かごに入ったオウムが昼寝の真っ最中。

ネタとしてはちょっとキツかったけれど、これが千駄ヶ谷オーム2連発というワケです。

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国立競技場でこれから催し物があるらしく千駄ヶ谷駅前は大混雑。人の波かきわけて総武線に乗りこんで新宿へ行けば、新宿だって大混雑。小田急ハルク地下のスパゲティ屋スパッソで昼飯。

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きょう食したのは、、、、名前は忘れた。

いつも書いているけれどここのスパゲティはサイズLLでも料金変わらずという、大食いにはウレシーお店。新宿へお出かけの際は一度お試しのほどを。新宿駅西口小田急ハルク地下ですと頼まれたわけでもないのに宣伝をしてから、そのまま上階のビックカメラに直行。

このブログを自宅以外の出先から発信するためにウイルコムのPHSエアーエッジを利用していたけれど、これがどうも不満だらけ。まずサイト表示に時間がかかり過ぎて、1ページが表示されるまでの時間がストレスになっていたのだ。一番困るのは、ブログの文章をサーバーへ転送途中に切れてしまって、せっかく書いた文章がオジャンになることがしばしば起きるのだ。

何か良い方法はないかとビックカメラのマックコーナーで訊いてみたら、これがスピード早いですと教えてくれたのがEMOBILE/イー・モバイル社のデータカード。スタッフによればPHSの10倍程度のスピードで料金は同程度というハナシ。実際にデモンストレーション機で試してみても確かに早い。

ただし難点があって、それは、通信できるのは大都市圏のみで、PHSほどの全国ネットワークはまだ確立されていないこと。そして、大都市でもやはり地域や建物の条件によってスピードに差が出ることだといいます。

なるほどなるほど、すべてに満足とはいかないワケだ。でも、私がブログ発信するのはたぶん東京都内だけだろうだから、、、ヨシ!と即決買いしてしまった。9880円也。

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ということで
買ったばかりの通信端末を我がマシーンにセットして試してみれば
YouTubeの動画も
私の発信していサイトの音声ファイルも
ス〜イスイのスイ

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わ〜
こんなに早くなるんだ
しばらくこれでいってみよう!!!
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ウイルコムのPHSは即アンインストールとなったワケです。
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オーム2連発は外したような気もするけれど
元気に運動できることに感謝し
新しい通信端末に満足した
日曜日の身辺雑記でした。

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2007年9月22日 (土)

チック・コリアを聴きに新百合ケ丘へ

まるで盛夏といってもよさそうな残暑の秋。暑苦しさのために寝不足だったり、明け方の冷え込みに風邪をひいたりと、周囲には体調を崩したひとがゴロゴロ。いまごろこんな暑さなんだからやはり地球環境はおかしくなったいるんだろうと思ってしまいます。

この夏、チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエヴァー』のカモメジャケットをあしらったTシャツを着た人を2回見かけた。

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素人ッぽい画像処理から最初に見たときはファンの制作になる一点ものだと思ったら、2回目に見たのももまったく同じ色あせたデザインだったから、一般に市販されているものなんでしょう。私たちの世代にとっては懐かしいレコードジャケットです。

この『リターン・トゥ・フォー・エヴァー/チック・コリア』というLPレコードは、1970年初めジャズ喫茶での人気No.1だった時期があります。リクエストされるのはいつも『♪SOMETIME AGO〜LA FIESTA 』が収録されたB面で、この演奏が終わると客がさ〜と帰ると言われたほどの超人気盤。

ジャズファンのみならずポップスファンまでもジャズ喫茶まで呼び寄せたのが、この『リターン・トゥ・フォー・エヴァー』B面現象で、あまりのリクエストの多さに、たまりかねた店側は2時間に1回だけリクエストに応じるというように制限を設けたなどと話題にもなりました。

ポピュラーな人気を集めた反面、日本のジャズファンからは「金儲け主義だ!!!」とソッポを向かれることにもなります。しかし、その後の音楽の流れを見ても、クロス・オーバーとかヒュージョンの決定版がこの『リターン・トゥ・フォー・エヴァー』で、このレコードによって、ジャンル分けにこだわらず音楽を楽しむようなファンが開拓されたことは間違いありません。

チック・コリアのエレキピアノはどこまでもポジティブで、ベースの概念を変えたスタン・クラークの驚異的なテクニックとアイアート・モレイラの繰り出すリズムはワクワクする躍動感を与えてくれます。それに安定感のあるジョー・ファレルの管と透明感あるフローラ・プリムのヴォーカルは一点の曇りない世界を見せてくれます。また、発足間もないレコード会社ECMの乾いたサウンド処理も含めてたしかに今聴いてもまったく古めかしさを感じない超一級品のアルバムです。

街で見かけたTシャツからそんなことを思ったのですが、そのチック・コリアがどういうイキサツからか一回限りのピアノ・ソロコンサートを行うといいます。しかも主催は昭和音楽大学というのですから、こりゃぁ見逃すテはありません。

 2007.09.21(金)

チック・コリア ピアノ・ソロコンサートを聴きに新百合ケ丘昭和音楽大学へ。


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teatro del Giglio SHOWA
Special Concert
Chick Corea
plays Solo

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チック・コリアが2007年秋お届けする
一度だけのソロ・コンサート。
ここでしか聴けない
プレミアムなひととき!!


この会場は初めてだけれど、多摩丘陵小田急線新百合ケ丘の昭和音楽大学併設のホールでキャパシティ1400というところか。会場内の公演ポスターを見るとほとんどクラシック系のプログラムで、ジャズ関係のコンサートは珍しそうで、ほぼ満席の会場は穏やかで落ち着いた雰囲気が漂いとてもよい感じ。このあたりチックの個性が引き寄せたものなんでしょうか。

そんな中、チック・コリアがズタ袋下げて全身から陽気さを発散させながら登場。ユル〜イトークで会場とのコミュニケーションをとったあとに始まったのは、特にテーマのないフリー・インプロビゼーション。その後クラシック曲や、楽譜を見ながら小品集を弾いたりしたあたり、もしかしたら音楽大学の主催ということで、学生席を占める聴衆の学生達を意識したプログラムだったのかな。

ビル・エヴァンスやバド・パウエルの曲も演奏したけれど、あまりジャズジャズしない、全体に自宅でピアノに向っているような気楽さが感じられます。このあたり紋付羽織姿のクラシック系ピアニストではこうはいきません。そして最後には当然観客の手拍子を誘導しての『♪SPAIN』でオヒラキということになります。

いつも世の中への不満をこれみよがしにブチマケルような荒々しい音楽ばっかり聴いているから、最初のうちは大人しすぎて刺激不足と思ったけれど、だんだん引き込まれていって、休憩なしの2時間がアッという間に終わってしまいました。

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チック・コリアというピアニストは純ジャズを目指していたかと思うと、フリーに走ったり、エレクトリック路線と平行してクラシックにも色目を使ったりと、そのテクニックとキャリアの割には評価が軽いピアニストのような気がします。“地下室”でストイックに“ジャズ道”を追求するミュージッシャンを支持したがる日本のファンの独特な気質からきているのかもしれませんが、こういうさりげなさ自由さがチック・コリアの魅力で「肩の力を抜いて音楽を楽しんでくれればウレシイな」と語りかけてくれてるようなホノボノとしたコンサートでした。

この章を作りながらBGMにしていた音楽。

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Chick Core
PIANO IMPROVISATIONS VOL.1

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Stan Getz
CAPTAIN MARVEL

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Chick Corea
Remembering Bud Powell

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Chick Corea
Trondheim Jazz Orchestra
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2007年9月21日 (金)

嫌韓流3/山野車輪

おかしいと思いながらもココロの片隅に抱いていた韓国朝鮮に対する贖罪意識を見事なまでに払拭させてくれた奇書が『マンガ・嫌韓流』でした。

その後『マンガ・嫌韓流2』『マンガ・嫌韓流公式ハンドブック』とウリの神経逆なでしてくれたかと思ったら、今度はまたもや『マンガ・嫌韓流3』という波状攻撃。これまでの朝鮮半島から日本国内に目を向けて「強制連行されてきた被害者」を強調する在日コリアンの存在を快刀乱麻。

一度読むべし。

一家に一冊嫌韓流。

嫌韓流3
山野車輪

晋遊舎
2007.10.01



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ウリだって黙ってません。

嫌日流
金城模(キムソンモ)

晋遊舎
2007.05.01


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『嫌韓流』という本は
日本が我々韓国を
嫌っている理由を
自分なりにだらだらと
述べているわけだが
私は到底
理解できない!
そして
それは当然だ
それは我々韓国の
日本を見る視点が
日本の視点と
まったく違うからである
韓国の視点は
冷静かつ論理的で
事実に根拠を
置いているのだ
(著者金城模さんのまえがきより)

韓国の視点は 冷静かつ論理的で 事実に根拠を 置いているのだ

だってサ・・・・・。

アッハッハッハハー、、、、、。

このように、まえがきからして(誤訳でないかぎり)けっこう笑えます。

ところで、

私は『嫌韓流シリーズ』も『嫌韓流』も、当然のことながら一般の書店で買ったワケですが、韓国では『嫌韓流シリーズ(ハングル翻訳版)』は一般流通されて、書店で購入できるのでしょうか?


そのことが一番興味あるところです。

何故なら
対立する側の意見も自由に確認できることこそ
民主主義の醸成された過程と度合いを
見ることができる
と思うからです。


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2007年9月18日 (火)

おひとりさまの老後/上野千鶴子

「意識はハッキリしているけれど寝たきり」と「ボケているけど身体は元気」という老後はどっちが良いと思う。

「どっちもイヤだよ〜!昨日まで元気に働いていて、朝になったらポックリが理想でんがな!!!」。

ハナシはそれ以上続かずアベ後継から朝青龍問題へと移っていった、残暑の照り返しが厳しい9月の一日。

毎年「敬老の日」前後には“老後に不安”を感じたお年寄りが遺書を抱き自殺する事件が何件か起き、コメンティーターと称する芸人がもっともらしい意見を述べるシーンを見ていたけれど、ことしはまだそんな悲惨な事件は起きてないみたい。


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おひとりさまの老後
上野千鶴子

法研
¥1400
2007.07.12

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結婚していようがいまいが、
だれでも最後はひとり
「これで安心して死ねるかしら」

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主な内容
第1章 ようこそ、シングルライフへ
第2章 どこでどう暮らすか
第3章 だれとどうつきあうか
第4章 おカネはどうするか
第5章 どんな介護を受けるか
第6章 どんなふうに「終わる」か

誰もが等しく老いていき、誰もが等しく死んでいくことを変えることはできないけれど、どのように老いを過ごし、どのように死を迎えるかということについては、個々それぞれに選択する余地はありそうです。

家族や配偶者とともに明るい老後を過ごし、自分の役割を終えてポックリと逝くのが理想だけれどなかなかそううまくはいかない場合もあります。家族や配偶者に看取ってもらうことに期待しても、けっきょく裏切られたり、裏切られないまでも、相手の存在が双方にストレスになってしまうことが多いのが現代の老後なのです。

こんなことだったら独り身の方が後腐れなく気楽だったと思うことになるかもしれません。

『おひとりさまの老後』は正にタイトルどおり。自ら望んだにしろ望まなかったにしろ、ひとりで生活しているひとが抱える老後への不安について、その暮らし方から始まり、最後の迎え方までのヒントを与えてくれる本です。なにしろ著者自身がシングル生活を送りながら老境を迎えている方ですから具体例をあげながら解説をしてくれます。

読者それぞれの生活環境は異なるわけだから、この中から賛同できるものをつまみ食いして自分の老後に取り入れていけば良いわけです。

何が起ころうともありのままに受け入れること。

著者と同世代の私が心がけたいのはこの一言だけです。

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2007年9月17日 (月)

街のオームとTATOOあり

これまで何回か書いてきたけれど、博多ラーメンの東京進出が落ち着いたと思ったら、こんどは、「石を投げればインドカレー屋に当たる」と言われるほど、インドカレー屋の出店が続いています。インド・ネパール・パキスタン人、それぞれの地方色を強調したカレーはカレー好きの身にはこたえられません。

こんなカレー屋の中でも私のお気に入りは、神田小川町靖国通りスターバックス角を曲がったところにある『ガネーシャ ガル』というお店。たしか西荻窪が本店で、吉祥寺にも支店があるらしい。今では、ナンなど珍しくもないご時世だけどもここのナンはとびきり美味しい。焼きたてをフーフーいいながら、これだけでナン1枚は軽〜く食べられそう。

これがガネーシャ ガルある土曜日の日替わりランチ。ナスとチキンのカレー。土曜日はナンかライスお代わりOK、さらに食後のチャイもサービスという太っ腹。これで1000円なり。

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ナンも2枚食べて満足して外に出れば、店に来た時には何とも思わなかった、インドインドした看板をよ〜〜く見ると・・・・。

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オー!!!

インド最強現世利益の神様、象面ガネーシャの鼻筋にはオームマークがあるじゃあ〜りませんか。

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さて、神田小川町のオームから、こんどは小田急線成城学園でオームを探すと、、、。

ありましたね〜、こんなところにも。

これは成城の現在建築中の世田谷砧支所向いのK.Cというネパールレストランのマトンカレー。

経営者はネパール人だそうで、京王線千歳烏山に続いて2店目がこの成城店だとのこと。

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久しぶりにマトン独特のクサさを味わって、「オームマークはないかな?」と店内を見回しても、どうやらそれらしきものはありません。帰ろうと思いレジに向うと、、、、。

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オー!!!

レジ脇にチョコンと置かれたガネーシャの鼻筋にお目当てのオームマークがあるじゃあ〜りませんか。

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本屋でなにげなく手に取った本にはこんな大きなオームがいたりするのです。

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「おマエはそれのどこがオモシロイんだッ?」というツッコミが入りそうだけど、そいうことは無視して進めましょう。

2007年9月16日(日)夜。NHKBSの番組はタレントの菅野美穂がインドにヨガを求めるという旅番組。ヨガに興味をもち実際に勉強もしている彼女が、デリーからリシケシを経てガンジス川上流の聖地ガンガトリを目指すというもの。

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リシケシからガンガトリに向う道は折からの豪雨で土砂崩れのため交通閉鎖。聖地を訪れる当初の目的は断念しリシケシに引き返すと、スワミチダナンダとの面会が叶うという朗報。現在92歳の聖者は菅野美穂を自室に招き、ベットに横たわりながらもヨガの本質を解き明かすという感動の場面。

     「太陽を敬え!!!」。

高齢のため表に出てこないグルチダナンダの貴重な映像です。

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『受信料払え』がウルサイけれど、雑然とした聖者の居室に架かっていたオームの額がこれ。

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そして、トツゼン・・・ハナシはインドの聖地リシケシから魔窟新宿へと戻ります。

新宿のエスニック屋の店頭で珍しい小物の数々を見てると、隣りにいたのが全身をエスニック装束で包み、しかも腰まで伸びたドレッドヘア脱色つきの20代後半のお嬢さん。「これじゃ髪の毛が痛みそうだなぁ」と余計なお世話の心配していたら、ドレッドヘア嬢が向きを変えた。なんと右腕にはガネーシャの見事なTATOOあり。

「ねえねえ、、、そのタトゥー本物?」と私。

「ええ、そうですよ」とドレッド嬢。

「アレ?ここにオームまで描いてるんだねえ」と私。

「よく知ってますね」とドレッド嬢。

「写真撮らせてくれる?顔を写さないから」と私。

「いいわよ」とドレッド嬢。

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お嬢さんのみずみずしい肌の上には、妖しく光る目をした象面神ガネーシャ。そして、その右手に輝くオームは新宿を彷徨う衆生を癒している、、、、と思おう。

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私とドレッドヘア嬢のこんなヤリトリを隣りで聞いていた男が、ハナシに加わりました。年齢不詳、いかにもアソビ人という風体のこの男。最後にはその男が「オレのも見てくれる」と黒い帽子を脱ぐと、、、。

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OH!!!
TATOOあり!!!!!。

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私とドレッドヘア嬢は同時に拍手したわけです

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イヤハヤ
長生きしていると
イロンなことに出会えます。
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神は
意外な結末を準備してくれていたのです。

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2007年9月16日 (日)

ザヴィヌルさんさようなら

ケーワイって知ってるか?」
事務所で朝のお茶を飲んでると同僚が訊いてきます。

「?・・・ケーワイ? KYか?」

そいつのハナシによると“空気が読めないヤツ”ということをKYと言い、「アベさんてKYだから」というような使い方をするのだと小学生の娘が言ってたとのこと。まぁ、一国の首相が小学生にまでナメラれてしまってはオワリです。

最新小学生流行語KYの意味が知らなかった私としては「KYって、ホラ、朝日新聞の珊瑚礁損傷捏造記事もKYだったね〜」と受けを狙って切り返したけれども、どうやらハズしたまんま仕事が始まったワケです。

アベちゃんも、いつの日か「首相経験者!!!」という存在感を示せるだけのスペースも残せず、“恥”の看板背負ったまま生きていかなきゃならないかと思うと哀れな気がします。それにしても、安倍後継選びに奔走するセンセイがたのお姿を拝見すると、ミナサマ脂ぎった顔で久しぶりの陣取り合戦が楽しくて楽しくって仕方ないという感じ。

 マッ!お好きなように。

アベ騒動が起こるなどと想像もできなかった9月12日(水)の朝刊に載っていたのはこんな死亡記事。

毎日新聞2007.09.12(水)

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ジョー・ザヴィヌルさん死んじゃったんですね。

まだ若い印象をもっていたけれど75歳だったんだ。

そういえば、以前「ザビヌルさんお久しぶり」という章を発信したことがあったっけ。ジョー・ザヴィヌルの写真が表紙に使われた新雑誌創刊の車内吊り広告をネタにした章でした。ザヴィヌルの表紙は創刊号だけの話題作りだと思っていたら、その後も隔月くらいの割合で何回かザヴィヌル広告を見たから、ザヴィヌル一本槍の方針なんだなと思っていました。

まだ、あの雑誌は続いているのかな?

気になって本屋に行ってみたら6号目の10月号が平積みになっていました。

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Z ジー
No.0006 october 2007
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龍宮社出版

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青二才禁止!生涯現役でしょ!!

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雑誌『Z』とは?
『Z』は粋な爺(じぃ)を目指すためのファッション雑誌です。
この雑誌では、ファッションもライフスタイルもカッコイイ
爺たちを尊敬の意を込めて『Z(ジー)』と呼び、『Z(ジー)』
になるための洗練されたファッション情報、知的なライフスタイル
を提案いたします。

(ジー)』という雑誌名の由来をZAWINULのZとかけたものと思っていたら、粋なという意味を含めたものらしい。

要するに時間と金に余裕がある団塊世代をターゲットに、「トシをとったら若いときとは違った楽しみ方があるんだゾッ!」ということを追求しようというのがコンセプト。そんな知識を得て雑誌に目を通してみると、なるほどなるほど、装飾品や旅行の値段設定なんぞは一桁違いの超豪華さ。どこにこんなジジイがいるんだ?年寄りがこんなに金をかけたらかえって気持ち悪いゼッ!と皮肉な目で見てしまいます。

(ジー)がターゲットとする世代に属する私だけど、掲載されているこれらの商品には生涯無縁の品々

ただし、この10月号の記事でジム・ホールとロン・カーターの対談が掲載されているのだけはウレシい。

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とにかく渋い。渋すぎて涙を禁じ得ない。
ふたりの名プレイヤーに登場していただいた。
ジャズの渋み、
ジャズの癒し、
ジャズの深みを堪能したければ、
このふたりの音に触れればいい。

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政治の世界は

50・60洟垂れ小僧

70・80働き盛り

90になって迎えにきたら

100まで待てと追い返す

とばかりに

ジジイ連中と

そんなジジイに媚びうるヤツラのウットーシさばかり目立つけれど、

ジャズの世界のこういう(ジー)の見事な年齢の重ね方には惚れ惚れします。

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2007年9月13日 (木)

ヤッパリアベちゃん

結局安倍さん辞めちゃうんですね。

仕事を終えて地下鉄に向っているときのキヨスクの新聞スタンド。

  安倍辞任

ンッ?・・・アベ辞任?・・・

夕刊紙だもの、、、

センセーショナルな見出しのあとに「」って小さく書いてんじゃね〜の?

と思ったけれどマークはありません。

どうやらマジらしい!!!

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誰しも思ったことだろうけど
何で今頃なんだよ!
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辞めるんだったら
サッサとあのときに
辞めとけばよかったのに。
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これじゃ
「潔い責任の取り方」という
日本人好みの“終わりの美学”に背いてしまって
もはや
再登板の道も拓けないんじゃないの!!!
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誰が首相になるのか知らんけれど
けっきょく
宮沢元首相の長女ラフルアール宮沢敬子さんが吐露したように

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安倍さんを拝見していてもそうなんですが
日本人て、
『なっちゃった人』を降ろすのが好きですよね
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ということになるんじゃないの?

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マッ

♪コレが~ニホンだ〜

♪ボクらの~クニ〜だ〜

歌いながらアキラメルのには慣れているけどね。

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2007年9月12日 (水)

白洲次郎と宮澤喜一

毎日新聞に毎週土曜日掲載の「近聞遠見」という名コラムがあります。

これは著名な政治評論家岩見隆夫が、永年の政治記者として築いた人脈と培われた眼力で政界人間模様を解説してくれる興味あるコラムです。失速した政治家に対しての苦言にも、根底には温かさが感じられ、毎週欠かさず読んでいるのですが、その9月1日号の切り抜きがあるので紹介しましょう。

2007.09.01(土)

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「総理に向いてなかった」というタイトルのこの号は、元首相宮沢喜一を偲ぶ<内閣・自民党合同葬儀>が行われた日本武道館の葬儀の様子から始まります。この合同葬儀は「参議院選挙が終わってから」ということで、延び延びになっていたセレモニーだったはず。

私は宮沢さんに特別な思い入れはないけれど、このコラムの中の宮沢さんの長女ラフルアー宮沢敬子(駐マレーシア米大使夫人)さんの語る言葉が印象深かったので切り抜いてとっておいたもの。

「ものを頭で解決するのが好きな人ですから、ハートで情で、となるととても嫌がります」と
父親としての宮沢喜一、政治家首相としての宮沢喜一への評価をざっくばらんに語ったあとこんな言葉をもらしているのです。

安倍さんを拝見していてもそうなんですが
日本人て、
『なっちゃった人』を降ろすのが好きですよね
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父親が首相の座から引きずり下ろされたことに無念さが感じられます。

確かにそうだよなぁ!

ここ数年の政界の動向を振り返っても、首相になったとたん“引きずり下ろし作戦”が働いてロクな仕事をしないまま中途半端に去ってしまったし、安倍さんだって同じようなもんでしょう。もっとも誰が首相を辞めても“辞めてホッとした!惜しくない!”と思わせるメンツばっかりだったけどね。

将来への明るい展望を見せてくれる強力なリーダーシップをもった政治家が現れることを待ち望んでいるんだけれど現状じゃムリでしょう。僅かな金の問題で右往左往するセコイ政治家しか選べない国民というのも寂しいもんです。

ところで、

白洲二郎は若き日の宮沢喜一の力量を高く評価していたとのこと(白洲夫人の正子は逆評価だったようですが)。それに応えて宮沢喜一も白洲次郎に心服していて、NHK・TV『そのとき歴史が動いた〜マッカーサーを叱った男』の中で白洲次郎の思い出を語っていました。

この番組が放送されたのは何年だったか忘れたけれど、宮沢喜一のお姿を拝見して「宮沢さんもヤツレたなぁ・・・」思った記憶があります。それから間もなくお亡くなりになったんじゃないでしょうか。

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それにしても不思議な縁だと思うのですが
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ムカシムカシ
白洲次郎が宮沢喜一を可愛がり
後年
宮沢喜一が首相になり
その後民主党によって引きずり下ろされる。
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首相になった細川護煕が
白洲次郎の孫の白洲信哉を
公設秘書として雇い入れる。
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オモシロイ巡り合わせです。
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それでは最後に
白洲次郎の名を広く知らしめたNHK・TV
『その時歴史が動いた
〜マッカーサーを叱った男〜
白洲次郎 戦後復興への挑戦

の一部を松平アナの名調子とともにご覧いただきましょうか。


「70910shirasu.mov」をダウンロード

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白洲次郎の青春/白洲信哉

白洲次郎がブームらしい。

そういえば白洲次郎関係の著書も書店に平積みになっています。政治も社会もますます無節操になっていく現代、白洲次郎の代名詞ともなった「プリンシプル(原則)」という言葉に惹かれる人が多くなったのでしょうか。

その白洲次郎の孫に当たる白洲信哉が、祖父次郎の青春時代を過ごした地を辿る本が出ました。

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白洲次郎の青春
白洲信哉

幻冬舎
2007.08.30
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9年間の英国留学中で少年はいかにして
人生のプリンシプルを身につけ“白洲次郎”となったのか。
白洲家に遺された1冊のアルバムを手がかりに、
孫の真哉が祖父の足跡を訪ね歩く。

著者の白洲信哉は1965年生まれ。細川護煕首相の公設秘書を経て執筆活動に入ったという変わった経歴をもつ作家。「白洲次郎、白洲正子の孫」としてのネームバリューが有効に機能しているようで、この夏の世田谷美術館『青山二郎の眼』のプロデューサーとしてその名前を見ました。

白洲家に残る「Winter Vacation 1925-1926」名付けられた1冊のアルバム。それは白洲次郎がイギリス留学中のいわば卒業旅行として、生涯の友ロビンと共にベントレーを駆ってヨーロッパ最南端ジブラルタルを目指したときの記録。このアルバムをもとに、孫の信哉が同じくベントレーを駆って同ルートを巡り、若き日の祖父次郎とロビンが見た景色を体験した旅行記が前半。そして祖父が愛しこだわったスーツ、ウイスキー、校舎をイギリスに訪ねるのが後半という構成。

この本の「まえがき、のようなもの」にこんなことが書いてあります。

その年の11月中頃、祖父は珍しく祖母と一緒に関西旅行に出た。一緒であったのも京都に立ち寄ったのもあとで知った。そして、帰ってきたと思ったら、愛用の三宅一生のコートと、ハンチング帽を被って、自ら歩いて入院し、その2日後、逝ってしまった。本当にあっという間の出来事だった。僕はあんなに元気だったのに人間っていうものは案外呆気なく逝くもんだなと、冷静に現実を眺めていた。

白洲次郎という人は最初っから最後までダンディだったんだなとつくずく思います。

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2007年9月10日 (月)

ミリキタニの猫2

リンダ・ハッテンド-フ監督の『ミリキタニの猫』のことを書いて「もしかすると?」とYouTubeで検索してみたら、予告編がちゃんと公開されていました。

こういう映像のほうが私の文章などよりず〜〜〜〜〜ッと説得力がありますから、貼り付けました。

どうぞご覧になってください。

そして、実際に映画館へ足を運んで本編も観てほしいと思います。

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2007年9月 9日 (日)

ミリキタニの猫/リンダ・ハッテンドーフ監督

コンビニにはオデンの鍋も並び始める時期ですが相変わらず真夏の暑さが続く毎日です。

2007.09.06(水)
毎日新聞より。

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「新iPod発売」の新聞記事にちょうどiPod買い替えるつもりでいたので、新製品を見るために銀座アップルストアーへ。

全機種モデルチェンジが話題を呼んだか店内は大入満員。顔なじみのスタッフがいたので声をかけると、私が買うつもりだったiPod touchだけは商品未着で9月末の入荷らしい。商品入荷と同時に受け取りたかったらネット上で予約をしてくださいとのこと。

お目当ての機種に実際に触ることができなかったけれど、各種情報によればこのiPod touchのニューモデルはタッチスクリーン方式といって、本体の画面に触れて操作でき、従来の音楽・ビデオ・写真の他にインターネットにも接続できるとのこと。つまりはアメリカで発売になったiPhoneから電話機能を外したものらしい。

それにしても、iPod classicという機種は容量160GBといいますから、手の平サイズでノートパソコン並みの驚異的容量をもつことになります。

いつか買うことになるけれど、今日のところは残念。

品物が入荷していないと言われればそれ以上仕方がないから銀座から地下鉄に乗り渋谷へ向う。

途中の地下鉄車内でのこと。

オバァさんがヨロヨロしながら電車に乗り込んできてやっとの思いで握り棒に掴まりました。動く電車にフラフラしているオバァさんの前には、小学高学年の娘さんとその隣りに50代の父親が座っています。オバァさんの状態を目の前で見てるワケですから、当然40代父親が席を立つなり娘を立たせるなりして席を譲るものだろうと見ていました。ところが、父娘ともまったく無表情のまま。

「オトーさん!席を譲るところをムスメさんに見せてやれよ」と思いながら観察していると、40代父親の真向かいに立って文庫本を読んでいた50代オトコもそう思ったのでしょう。文庫本から目を離し、40代父親の顔をジーッと見つめています。いわゆるガンを飛ばすというヤツ。

40代父親もそんな50代男の視線から「この向いのオトコはオレがババーに席を譲ることを催促している」と気がついたはずですが、相変わらず表情も変えず50代男の視線を受けています。「向いにはヨロヨロのババーがいるけれど、ここは年寄り優先席でも何でもないから、このババーに席を譲る義理はね〜ヨ!こうなったら意地でも立つもんか!」というのがこの40代父親のハラの内だったのでしょう。

50代男の視線対憮然とした顔の40代父親の無言のセッションが2駅ほど続いたとき、40代父親の右隣りに座っていた若い女性が、オバァさんに席を譲るために立ち上がり、50代男がオバァさんの身体を抱きかかえるようにして座らせ、オバァさんはやっと落ち着いたのです。

これで一件落着したけれど、50代男は更に40代父親の顔を見つめてから、皮肉のこもった目で数回うなずく素振りを見せて、それから再び文庫本に目をやったワケです。

その50代男の読んでた文庫本のタイトルが『ブラック・サンデー』だったことを私は見逃しませんでした。

それにしても、お年寄りが席を譲られるシーンを時々見かけるけれど、お年寄りはなぜ「ありがとう」の一言で素直に好意を受けないのでしょうか?この地下鉄銀座線で見かけたオバァさんも、握り棒に必死に掴まっている表情なのに、いざ、席を譲られると「???、いいですから、ホントにいいですから・・・」と遠慮する芝居をするんですよッ。

そんな地下鉄車内の人間模様を観察しているうちに渋谷到着。

渋谷ユーロスペースでこの映画を観ようというもの。

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ミリキタニの猫
リンダ・ハッテンドーフ監督

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2006年アメリカ
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カリフォルニア、シアトル、ヒロシマ、ニューヨーク
国境を越えて貫く不屈の精神は決して折れることはない!
2001年9月11日、世界貿易センターが瓦解する緊張状態のニューヨーク路上
騒然とした周囲をよそに、いつもと同じように平然と絵筆を動かしている男がいた
彼の名はジミー・ミリキタニ、80歳
カリフォルニアで生まれたが、第二次世界大戦中、日系人強制収容所に送られ
アメリカに抵抗して自ら市民権を捨てた
そのときから彼の反骨の人生が始まった

「ジミー!あなたはアメリカで生まれだったの???」

「そうだよ。1920年カリフォルニアで生まれ、3歳のときに母親の故郷広島に帰り、18歳まで広島で暮らし、それから絵の勉強をするために再びアメリカに来たのさ」

ニューヨークの日系人ホームレスのジミーミリキタニ。路上で絵を描き、地下鉄の排気口から吹き出す風に暖をとって眠ることがあっても、芸術家としての誇りは失わず、無用な施しを受けることはしません。そんなジミーの絵の代金を支払う代わりにカメラを回すことを要求されたことから付き合いが始まったこの映画の女流監督リンダ・ハッテンドーフ。

2001年9月11日以後も、騒然とするニューヨークの片隅で何事もないかのように平然と絵を描き陳列するジミー。ジミーには「アメリカはワシの美しかった故郷広島にもっと酷いことをした!それに比べればこの程度のこと・・・・」という思いがあります。崩壊した世界貿易センターから舞い上がった粉塵はニューヨークの街を覆い、路上生活者にとっての環境は劣悪になっていくばかりで、ジミーの咳き込みもひどくなっていくばかり。

そんなジミーを見かねたリンダは、渋るジミーを自分のアパートに招き、この、“アーティスト”を自称する偏屈な日系人と、拾ってきた猫との2人+1匹の奇妙な共同生活は、帰宅の遅くなったリンダに孫娘を案ずる祖父のように涙を浮かべるほどに.深まっていきます。

「アメリカ国籍を持っているなら社会保障を受ける権利がある」と説得するリンダと、頑に拒否するジミー。憎悪の対象でしかないアメリカ政府の援助を受けるよりは野垂れ死にで結構。

伸び放題だった髪の毛もこざっぱりと整えられ、精神の安寧を取り戻したかのようなジミー。アメリカへの憎悪の源泉は、第2次世界大戦中の日系人強制収容と故郷広島を壊滅させた原爆だったことが問わず語りの言葉から明らかになり、絵を描くことが強制収容所や広島で亡くなった同胞の鎮魂だったことに気がつきます。

やがて、リンダの尽力でジミーのIDが確認され社会保障の権利も復活。老人ホームに部屋も得て好きな絵に専念できる生活環境が整い、そのうえ実の姉が生存していることも判明。

忌まわしい思い出ばかりの強制収容所を60年ぶりに訪れたジミー。

もう怒ってはいない
通り過ぎるだけだ

最後のこの言葉がなかったら陰々滅々のまま終わってしまったけれど、この言葉で私も救われた。

映画を作るということを狙っての撮影だったにしろ、正体不明の小汚いジジーを見かねてアパートに住まわせる女性がいたり、たとえホームレスといえども人格を尊重して親身になって更生計画を練るソーシアルワーカーの姿。それに過去を検証し謝罪すべきは謝罪して保証しようとするアメリカの懐の深さを感じられる映画でもありました。

ジミー・ミリキタニ
1920年6月15日生
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ミリキタニは
三力谷
と書くとのこと。
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『ミリキタニの猫』
渋谷ユーロスペース

(電話03-3416-0211)
にて上映中

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Sikiri
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けっきょく
iPod touch

ネットショップで注文。
9月末には到着するらしい。

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2007年9月 8日 (土)

SAIBABAファンへの残暑見舞い

アクセス解析してみると、

キーワード『サイババ』でアクセスしてくる人もいるようで、

サイババにナニを求めているのか知らないけれど、

そういったサイババに関心をお持ちの方へのスペシャルサービスです。

他ではではジェッタイ見ることのできない、

背筋が寒くなるような動画ですよ。

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「1999_3baba.wmv」をダウンロード
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「70828baba.mov」をダウンロード

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サティア・サイババ
1999年3月撮影
於:インド/ホワイトフィールド

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2007年9月 7日 (金)

夏の終わりの旅ゴコロ

「ブラジル行くか?」

古里から届いたメロンのお礼に電話をすると、兄がこんなことを言いやがる。

私たちにはブラジル在住の叔父がいます。農業移民として苦労を重ねたものの、けっきょく最終的には都会に落ち着いて50年。「ブラジルで農園主になる!」という男のロマンは叶わなかったけれど家族には恵まれ、晩節はそれまでの労苦が報われたかのように子どもや孫に囲まれての悠々自適。今では数年おきに故郷日本へ里帰りできるという余裕の生活。

来年は在ブラジル県人会結成50周年記念だかの大会があり、日本からも県庁主催で訪問団を結成しようという計画に、親戚有志一同で「この際だからブラジルへ行こうじゃないか」と盛り上がっているのだと言います。

在ブラジル県人会の幹部をしているらしい叔父も「ブラジルに来たらオレが面倒見るから心配するな!」とばかりに乗り気で、この勢いでブラジルツアーが実現するんじゃないかというのが兄の見立て。それで、そのときはオマエも行くか?というのが今回の兄のハナシです。

ブラジルかぁ、、、、、。

リオ・デ・ジャネイロ、ブラジリア、サンパウロ、サントス、アマゾン、ピラニア、コーヒー園、黒いオルフェ、コルコヴァード、巨大キリスト像、ペレ、ジーコ、ロナウジーニョ、グレイシー、アントニオ猪木、渡辺貞夫、群馬県ブラジル村、サンバ、ボサノヴァ、イパネマの娘、、、、。

私の貧困な脳内グーグルでは、この程度のキーワードしかヒットしなかったけれど、「ブラジル・・・行きたいなぁ、、、、詳しいこと決まったら教えてよ」兄にはこんなふうに応えたのでした。

ポール・マッカートニーの『♪イエスタディ』とともに、世界中で最もカヴァーされた曲がアントニオ・カルロス・ジョビンの『♪イパネマの娘』だと言われています。

1950年代中期、それまでのブラジル音楽に飽き足らなかった若者達の間で、地元のサンバ、アメリカの西海岸ジャズ、クラシックなどを融合させた音楽が生まれ、それが「新しい傾向」=BOSSA NOVAと呼ばれ、やがて全世界で人気を得るようになるわけです。

そんなボサノバ・ムーブメントの出発点となって、“ボサノバ誕生”と位置づけられるコンサートが1957年にあったそうで、その歴史的コンサートから今年はちょうど50年になります。そんな節目にあたり、かつてボサノバ・ムーブメントに関わり合ったミュージシャンたちへのインタビューで構成されたドキュメンタリー映画「THIS IS BOSSANOVA」が公開されています。

THIS IS BOSSA NOVA
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いつも夏になると、「夏はボサノバに限るッ!!!」とばかりに、ボサノバのユル〜イサウンドを聴きながら、ナマケモノ状態で木にぶら下がってることも多いのに、私が実際に知ってるボサノバのミュージシャンというと、アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、アストラット・ジルベルト、バーデン・パウエル、ルイス・ボンファ、それにスタン・ゲッツ、チャーリー・バード、セルジオ・メンデスというような、いわゆるアメリカのレコード・レーべルで知ったミュージシャンくらいなもの。

私など聴いたこともなかったブラジルミュージシャンがボサノバ創世期について熱く語っていて、演奏も聴かせてくれます。ちょっとだけ進歩的だったリオの若者たちの音楽的試みが、時代の風をとらえて全世界に広がっていく過程がよく分かり、それから50年後のいま、格好よく上手に年をとった彼らの姿が羨ましく見えます。

ブラジルの貧しい若者たちの安アパートで、音が隣家に漏れないように囁くような声で歌われたというボサノバ。そういえば、ジョアン・ジルベルト家でレコーディングの打ち合わせをしていると、台所から聞こえたアストラット夫人の鼻唄に、プロデューサが「このヴォーカルでいこう!!!」とヒラメイタというストーリーがあったことを思い出しました。


Sikiri
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この夏に観た映画をもう1本。

マックスはロンドンのやりて証券マン。飛ぶ鳥も向こうから勝手に落ちてくるという、連戦連勝破竹の勢いとはこういうことか。世界はボクを中心に回っている!。

そんなマックスのもとに届いたのは、フランス・プロヴァンスに住む叔父が亡くなり、その遺産を相続することになった。ついては、諸手続きのため可及的速やかに当地へお出でいただきたいという公証人(?)からの手紙。

最近は、お金儲けが忙しくって、叔父のこともプロヴァンスのこともスッカリ忘れていたけれど、子どものころは叔父のところで楽しい休暇を過ごしたこともあったっけ、、、、。

でもなぁ、、、、

あんなド田舎のブドウ園を相続したってなぁ、、、、

まぁ、すぐ売ってお金に換えちゃえばよいか、、、

てなもんです。


プロヴァンスの贈り物

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どうにかこうにかスケジュールをヤリクリしてプロヴァンスを訪れたマックスの前に現れたのは叔父のパートナーとしてブドウ園を守ってきた男。ワイン作りに情熱を賭けた叔父さんの遺志を継いで、このままブドウ園を手放さないで欲しいと頼むけれど、当のマックスにはそんなロマンのひとかけらもありません。

もはや、「お金こそ全て」と人格が変わっていたマックスだったけれど、相続手続きの為に数日滞在している間に、ここプロヴァンスで叔父と過ごした数々の思い出が甦ってきます。「そういえば、生きる上での大切なことは、全てこのプロヴァンスのブドウ園で叔父から教わったんではないだろうか。あのころのオレはいったいどこへ置き忘れてきたのか?」

そんな心境の変化を見せ始めたマックスの前に現れたのが、、、、、

そう、、、、

街でレストランを経営する美しい女性、、、、

というワケです。

分かっているけど、、、分かっているけど、ついつい引き込まれていく映画です。

この種の映画が他にもあったなぁ。


トスカーナの休日

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マックスがイギリスのやり手ビジネスマンで南欧で自分を取り戻したのなら、こちらは夫からの突然の離婚宣告でショックを受けたアメリカの女流作家が、イタリア・トスカーナで癒されるというおハナシ。

トスカーナツァー途中、バスの中で見かけた「売り家あり」の看板に朽ちかけた廃屋を衝動買い。内装工事に悪戦苦闘しながら、「誠実そうなこの不動産屋と結ばれるのかな?」と思わせたり、「やっぱり、プレイボーイのイタリア青年につかまってしまうのか?」とガッカリさせたり、最後にはウマク落ち着くところに落ち着かせてのハッピーエンド。

『プロヴァンスの贈り物』にしても『トスカーナの休日』にしても、舞台はフランスとイタリアと異なっても、生き馬の目を抜く大都会から田舎の生活を通じて本来の自分を取り戻すという永遠普遍のテーマ。絵はがきのような美しい景色と見事なストーリー展開は、理屈なしに楽しませてくれる映画です。

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Sikiri
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記録的猛暑に見舞われた今年の夏は
南欧舞台のおとぎ話のような映画を観ては
プロヴァンスへ行きたい!
もちろんトスカーナでもOK!
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壁に貼ったTHIS IS BOSSANOVAの
大きなポスターに
イパネマの海岸を散歩する自分の姿重ね合わせては
ブラジル行きたい!!!
などと
旅ゴコロが駆り立てられたのでした。

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2007年9月 2日 (日)

30年の積もり積もって

先日郵便局に行ってみると、郵便の係と貯金の係がパーティーションで仕切られている。訊くと、新会社になることで担当業務がハッキリと区別されることになることへの対応だといいます。そういえば、山村のお婆ちゃんが郵便配達人に貯金の引き下ろしを依頼すると「これから私たちは現金は扱えないんですよ」と説明していたテレビ番組があったことを思い出した。

「郵政民営化」が社会のすべての問題解決もキッカケになりそうな期待を抱いた時期もあったけれど、けっきょく、上っ面のどうでもよいことが変わったフリするだけで、社会システムそのものの本質は何も変わることないのが日本なんでしょう。

と、いうワケで、郵便局へ行った用事というのはチョッと貯金をしようと思ったワケですヨ。

小銭入れに残った1円玉と5円玉をビンに貯め続けること30年。

けっこうな量になったので今のうちに両替しておこうというもの。郵便局ではこれほど大量のコインだと、両替だけではイイ顔しないけれど、貯金だったら引き受けるというハナシを聞いていたワケですよ。


重さ28Kgの
持つのも一苦労の財産。


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1円玉の重量が1gだそうだから、
5円玉も入っていることだし
全部で3万円くらいにはなるかな?
.
そんな胸算用しながら
ビンからから吐き出したお金を小袋に入れ直して
郵便局窓口に持ち込み。
待つこと30分ほど。
.
その結果は!!!
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一緒に入っていたという
外国のコイン20数枚は返却され
日本国通過はハウマッチ?!
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500円→1枚
100円→17枚
50円→12枚
5円→3,522枚
1円→1,5435枚
合計35,865  円也
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30年の積もり積もってが
コレだもの!
.
.そして
空になったビンは
新たに貯金されるのを待っているワケですよ。

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さて
次の30年後には
いくら貯まってるでしょうか?
30年の
もう30年も生きるつもりかッ?
.
テガッ!!!

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2007年9月 1日 (土)

ガイキチの妻

工事中だった東宝スタジオ(世田谷・成城)も完成。メーンゲートでは『七人の侍』とゴジラのブロンズ像が周囲にニラミをきかせています。

いつもこの前を通りかかると足を止めて見とれてしまうほどの偉容。

壁画に近づいてみると、、、、。

ンッ?

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壁画制作者の署名を発見。

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映画会社なんだから、自社の看板だとか書き割りのスタッフが描いたんだろうと思っていたら、塙雅夫という壁画制作者の第一人者による作品とのこと。そんなことが分かってしまうと、なるほど、、、、街で見かける映画看板とはひと味もふた味も違う香気を放ってるように思えます。

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作家の中島らもさんが亡くなったのは2004年7月26日。

泥酔して飲み屋の階段から転落、病院のベッドで10日間ほど昏睡状態のまま一度も意識は戻らなかったといいます。死因は脳挫傷による外傷性脳内血腫。つまり頭部を強打したのが原因でわずか52年の命を終えたことになります。

その、らも夫人の中島美代子さんが書いた「中島らもとの35年間」を綴ったのがこの本。

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らも
中島らもとの35年
中島美代子
集英社
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波瀾万丈は
私たちの
運命なのか

アル中、
咳止めシロップ、
鬱病・・・・・・
初めて明かされる
真実の「中島らも」
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階段転落の日、らもさんは神戸で行われた三上寛のライブにギターをもって出かけたといいますから、ライブの打ち上げでの事故だったのでしょうか。らもさん の泥酔はいつものことだったそうだから、破滅型ロッカーの最後のように、らもさんにとってはこれ以上の死に様はないというくらいの見事なエンディング だったように思えます。

二人は10代後半に知り合い、灘高生だった中島裕之が中島らもになり、天から授かった才能を一滴も残すことなくバーストしていくサマを間近でみていた奥さんの赤裸々な告白を読むと、中島らもはホンモノのガイキチだったけれど、そのガイキチの妻がさらにその上をいくガイキチで、夫婦でヤジロベーの右と左で揺れ合っていたことがわかります。

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