そうだ鶴見に行こう!
宮古民謡の第一人者国吉源次さんの鶴見にまつわるハナシを書いていたら、急に鶴見に行って沖縄そばをい食べたくなってしまった。
JR鶴見駅といえばまず第一にあげなければならないのは鶴見総持寺本山。正確には曹洞宗大本山鶴見総持寺というらしい。我が家も曹洞宗だからまんざら縁のないお寺でもなく、仏ゴコロを出してまずは参拝しようと、巨大な敷地を本殿へと向かっていると可愛いネコのお出迎え。人間に物怖じしないところをみると飼い猫なのでしょう。
本殿へ坂道の途中若いインド人カップルにカメラのシャッター押してくれと頼まれたので、「チーズ!」の代わりに「アープ カーキャ ナーム ヘー?」と声をかけたら「あなたはヒンディー語を話すのか?」と2人はビックリ顔。
時期外れなのか本堂内に参拝客はなく床掃除を勤める若い坊さんのシュッシュッという足音だけが本堂に響いています。お賽銭をはずみ“世界人類平和であります〜ローカ サマスタ スキノ パバントゥ”とお祈りしてから鶴見駅に向かいJR鶴見線弁天橋駅へと向かう。
さて、
なぜ沖縄そばーーーーー→鶴見とつながるのかということを説明いたしましょう。
昭和の高度成長時代に日本経済を牽引したのが京浜工業地帯で、仕事を求めて沖縄県からも多数の労働者がこの地に移住してきました。その彼らが工場群のド真中JR鶴見線弁天橋駅周辺にコミュニティを作り、それがいわば沖縄街として発展し、現在でも仲通り商店街に沖縄食堂や沖縄物産店としてその名残りをとどめているのです。かつて、国吉源次さん屈辱のライブを行った「鶴見沖縄県人会会館」がこの地に存在しているのもそんな延長線上にあるワケです。
前の章で書いたように、国吉源次さんのライブで初めてこの街を訪れたときに食べた沖縄そばがずいぶん美味しかったことを思い出して、再び探検にきたもの。このように私はコマカなことに反応して執着してしまうのです。どんなときにあっても「にっぽんめんくい党」の仕事は忘れません。
記憶を頼りに仲通り商店街からちょっと奥に入ると、強力なダシの匂いが外まで洩れてきて目指す『うちな〜すば や〜じ小』食堂が近づいてきたことを気づかせます。このように何の変哲も無い外観の沖縄食堂だけど、関東の沖縄ファンには超有名な食堂で、休日には行列ができるほどの賑わいをみせるらしい。
代わり映えしない外観と同じでどこにでもある内装の店内で、ひときわ目を引くのが壁に貼られたお品書き。沖縄料理の数々がウチナーファンの目を楽しませてくれ、旅ゴコロを駆り立てるのです。
ソーキそば 700円也
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ちょっとモソモソ感のある沖縄そば独特の舌触りにスープは濃くもなく薄くもなく、トロトロになるまで煮込んだ骨付きアバラ肉は箸で簡単にほぐれ、チョコンと乗っかった紅ショウガが絶妙の陰影をつけてくれるのです。食べ終わった後、相席になった青年の食べているゴーヤチャンプルー定食も食べたくなった食い意地の張ったワタクシでした。
わざわざこの沖縄そばを食べるためだけに鶴見に来るという酔狂を満たして商店街を散策。神社があったので、ここでも賽銭をはずみ“世界人類平和でありますように〜ローカ サマスタ スキノ パバントゥ”とお参り。
ラテン系の顔をした子供が、ひなたぼっこを楽しむクロネコヤマトにちょっかいを出しています。
かつて沖縄出身者が多く住んだこの街も、いまでは南米からの労働者が移り住むようになっています。スレ違った2人連れの話す言葉が異国の言葉だったことも珍しくなく、食堂の看板も「沖縄料理・ブラジル料理」の文字が見えるようになっています。
親会社が子会社を喰い
子会社は孫会社を喰い
孫会社は下請け会社を喰い
下請け会社は弱い立場の労働者が支える構図は
ムカシから変わらず存在しているのです。
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ウチナーそばを食べるショートトリップから
ガラにもなくこんなことを思いながら
鶴見駅へと戻ってきたのでした。
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