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2007年2月25日 (日)

ポートレイト・イン・ジャズ

「東京大学のアルバート・アイラー」という数年前に話題になった本があって、これは高卒(前書より)の音楽家・菊地成孔(きくちなるよし)が同志・大谷能生(おおたによしお)と共に東大教養学部で行った講義を記録したもの。

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東京大学のアルバート・アイラー
東大ジャズ講義録
菊地成孔+大谷能生
メディア総合研究所
2005.05.21 初版

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東京大学で
数百人の学生とモグリを
熱狂させたジャズ史講義録!
ジャズ史の新たなスタンダード!!
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「なあ先生、ジャズに理論てのはあるのかね?(笑)」
「あるんですよ(笑)」

ジャズのエポックメイキングとなった楽曲を基に、その楽曲の分析、さらに時代背景からジャズの今日までの歴史を辿ろうというこの本は、数多あるジャズ解説書とはその学理的な面において一線を画す内容といえるでしょう。

しかし、私は「これほど難しく考えなくともジャズは楽しめる派」の人間。つまり、クルマのメカニックなど知らなくとも運転ができドライブを楽しむことができるし、HTMLの知識がなくともホームページを作り、その楽しさを語り合うことができると思っているのです。だから、こんな知識をプラスすることで、増す楽しみもあるだろうということは理解しつつ、とりあえずパスという感じ。

結局私は情緒を求めるタイプの人間だから難しい話は苦手なのです。

そんな私にピッタリのジャズ入門書をブックオフで発見。

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PORTRAIT in Jazz
ポートレイト・イン・ジャズ
和田誠 村上春樹
新潮社
1997.12.20 発行

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ジャズがほんとうに好きな2人がつくった
とっておきのジャズ・ブック
マイルズ、パーカー、エリントン・・・・・
和田誠が描く26人のミュージシャンの肖像に
村上春樹が愛情に満ちたエッセイを添える
ジャズへの熱い想いあふれる一冊。
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和田誠さんがミュージシャンのポートレイトを描き、村上春樹さんがその絵にインスパイアーされたレコードを選定し、曲やミュージシャンにまつわる思い入れを書いたこの本には、コードや楽理的な解説はないけれど、どのページをめくっても“聴き名人”2人のジャズへの愛が伝わってきてこころ豊になってくる、最良のジャズ入門書となっています。

例えばビリー・ホリディの章。

昔はビリー・ホリディが麻薬に蝕まれていた晩年の作品は、あまりにも痛々しくて聴かなかった村上さんは、自分が年を重ねるごとに聴くようになってきたのはなぜだろうかと考えます。

 ひょっとしてそれは「赦し」のようなものではあるまいか-------最近になってそう感じるようになった。ビリー・ホリディの晩年の歌を聴いていると、僕が生きることをとおして、あるいは書くことをとおして、これまでにおかしてきた数多くの過ちや、これまでに傷つけてきた数多くの人々の心を、彼女がそっくり静かに引き受けて、それをぜんぶひっくるめて赦してくれているような気が、僕にはするのだ。もういいから忘れなさいと。それは「癒し」ではない。僕は決して癒されたりはしない。なにものによっても、それは癒されるものではない。ただ赦されるだけだ。

村上春樹さんのおかした数多くの過ちがどれほどのものか想像もできないけれど、この言葉には共感できる。私にも、昔の過ちが海中から重しがはずれたように泡ブクたてながら浮かび上がって恥ずかしくなることがあるのだ。私の場合村上春樹さんのようにビリー・ホリディ晩年の歌に「赦し」を感じる感性がなく、ただ俯いてやりすごすことしかできなかっただけだ。

村上春樹さんはビリー・ホリディの章をこんな文章で結びます。

ビリー・ホリディの優れたレコードとして僕があげたいのは、やはりコロンビア盤だ。あえてその中の1曲といえば、迷わず「君微笑めば」を僕は選ぶ。あいだに入るレスター・ヤングのソロも聴きもので、息が詰まるくらい見事に天才的だ。彼女は歌う、
 「あなたが微笑めば、世界そのものが微笑む」
 When you are smiling, the whole world smiles with you.
そして世界は微笑む。信じてもらえないかもしれないけれど、ほんとうににっこりと微笑むのだ。

こんな文章を読んでしまうと、猛烈にジャズを、ビリー・ホリディを聴きたくなるのです。

「東京大学のアルバート・アイラー」の解説を読んでもレコードなりCDを買いに行くことはなかったけれど、「ポートレイト・イン・ジャズ」を読んだ私はビリー・ホリディのレコードを探しに中古屋へでかけ、40年前に発売された3枚組レコードセットを見つけてきたのです。

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THE ESSENTIAL BILLIE HOLIDAY -Ⅱ-
Billie Holiday The Golden Years
CBS COLUMBIA

PMS-93〜95-C
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今日の日記は
ほぼ村上春樹さんの転載になってしまったから、
こうなったらパクリついでに
When you're smiling
(1938年1月録音)
の音源もパクってしまいましょう。
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「あなたが微笑めば、世界そのものが微笑む」
 When you are smiling, the whole world smiles with you.
そして世界は微笑む。
信じてもらえないかもしれないけれど、
ほんとうににっこりと微笑むのだ。

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2007年2月24日 (土)

東京マラソン3

さて、東京マラソンも無事終わって賛否両論いろいろあるようですが、私なんぞは肯定派。ああいう“お祭り”騒ぎがあってもいいじゃないかといういつもながらのミーハーなのです。

テレビはフジテレビが独占中継だったけれど、このスタジオのゲストの前にあるのはスポンサーの発売するスポーツドリンクなんでしょうネ。ラベルが同じ方向を向いてますもの。こういうときに「ワタシはポカリスエットを飲みながらでないとハナシができない!ポカリを用意して!」などとダダをこねる人がいたりするとオモシロかったんですが。

2007.02.18 フジテレビより

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これはこれはお懐かしい!

増田明美さんに瀬古利彦さん。


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私は増田明美さんのファンなんです。この人の話を聞いていると、言葉がキレイで、たぶん良いところの家庭で、厳しく育てられた人なんじゃないかと想像するのです。そして、なによりも選手に対する愛に満ちた解説激励が感じられるのが好きなんですね〜。

現役時の記録は怪我が多くてそれほどでもなかったように記憶しているけれど、人間としては素晴らしいセンスを持った人だと応援しているのです。

片や瀬古利彦さん!

この方の現役時代はそれはそれは素晴らしい活躍をされた方ですよね〜。木場の材木問屋のお嬢さんにヒッカケラレて結婚し、息子さんはたしか昴くんといったはず。ちなみに同時代のオリンピック選手柔道の山下さんは銀座和光のデパガにヒッカケラレたクチ・・・と、まぁ、こんな週刊誌ネタを憶えているワタシもミクロな人間です。

と、引っ張ってきて、、、、、、。

これは千駄ヶ谷にあるホープ軒というこのブログにも数回登場した有名なラーメン屋。

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ムカシ、この店がまだ屋台の面影残していた時代から知ってて、今でも千駄ヶ谷プールで泳いだ後ときどき食べるけれど、「前からこんなにマズかったかなぁ」。

そんなマズイ店でもお客さん引きも切らずで、特に向かいの明治公園でフリマやってたり、国立競技場でイベントやってるときの混雑ぶりは腹立たしいくらいです。こんなマズイ店がなんで繁盛するんだ。“にっぽんめんくい党”としてはブラックリストに載せることを検討しなければならないと思いながらラーメン喰ってるのです。

ところで、

このホープ軒には、瀬古利彦さんの色紙が麗々しく飾ってあるんですね〜。

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瀬古さんは現役時代この神宮外苑あたりを練習場所にしていたんですね。ヱスビー食品陸上部の監督がたしかこのあたりに住んでたというご縁の地だったはずです。期待された割には不本意な成績で、名前をもじって「セコイ!」と叩かれたり、練習中にファンに襲われたというのもこの近辺でした。

それにしても、

情熱
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ですよ。
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30数年前(たぶん)の自分の色紙がこんなふうに残ってることに瀬古さんは知ってるんでしょうかね。今どき瀬古利彦さんを知ってる世代も少なくなったからどっちゅうことないか?

ちなみに、瀬古さんの左側「夢に向かって前進」は、“マラソン”と書いてないと「?・・・ダレッ?」だけれど、女子マラソンの草分け的存在の佐々木七恵さんの色紙。この方は瀬古さんと同じエスビー食品に所属していて、増田明美さんとはライバル関係にあったはずです。

ついでに右側の「勝負」は将棋棋士の田中寅彦さん。この近くに将棋会館があるからたまに立ち寄ることもあるのでしょう。この人、バブル期は将棋指しながら不動産売買に手を染めて、週刊誌に金儲け自慢の連載持ったりして浮かれた時代もあったけれど、勝ち逃げしたんでしょうかね〜。それとも「雪隠詰め」にあったんでしょうか。


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ホープ軒のマズイラーメン喰いながら
色紙を眺め
田中九段の出題になる詰め将棋に挑戦するのも
思い出の食事になるかもしれません。
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ということで、
本日は春一番吹き荒れて
目の周り痛カユク鼻水ズルズルの土曜日は
オ・ワ・リ

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2007年2月23日 (金)

ティナリウェンは三上寛だった

モロッコを旅行して以来、新聞や雑誌のモロッコとかサハラという文字にはすぐに反応するようになりました。

2007.02.23(金)毎日新聞より

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この記事は台湾人・米国人・カナダ人のチームが、セネガルのダカールからエジプトの紅海までを、徒歩による横断に成功したと伝えています。砂漠というのはいつの時代も男たちの夢と冒険心をかきたてるものらしい。

そんなサハラ砂漠の南限マリ共和国出身の「ティナリウェン」というグループがあります。このグループはサハラ砂漠の遊牧民トゥアレグ人からなるバンドで彼らの音楽は『砂漠のブルース』という素敵な呼び方もされているのです。

トゥアレグ人というのは古来よりサハラ砂漠を自分の庭のように行き来して、北アフリカと中央アフリカ間の通商に携わっていた民族。したがって、権力者による支配束縛を嫌い、植民地時代は宗主国フランスに抵抗し、独立後は時の政府にしばしば反乱を起こし、その結果迫害され民族離散を余儀なくされたまさに流浪の民だったといわれます。

バンドリーダーのイブラハムは3歳のときからアルジェリアで難民生活を送り、80年代にカダフィ大佐の招きで訪れたリビアの難民キャンプで接した欧米の音楽に感化されうたうようになったといいます。今でこそパワーに衰えを見せるカダフィ大佐だけど、「サハラ共和国」というサハラ砂漠を囲むアラブ圏各国の団結を旗印に、最も反米的だったカダフィ大佐の 時代のことです。そんな時代のリビア難民キャンプで音楽に目覚めたという、背景が尋常ではないこのグループに興味がわこうというものです。

もちろん、一般的には何ら関心を呼ぶこともないだろうマリ共和国が、かつて自分が行ったことのある国だったということもあります。

1974年にセネガルのダカールから夜行列車に乗ってマリの首都バマコを目指していたことがあるのです。灯りもない真っ暗な車中で、荷台からときどき顔や首 筋に落ちてくる冷たいモノを指で押しつぶしていた時、それが生乾きの魚カゴから落ちてくるウジ虫だったことが分かったときの絶望感。車中で知り合ったアメリカから来たROOTSを探し求める旅の黒人青年の名前 がエマニエルで、日本人の私はパスポートチェックがあったけれど彼はフリーパスだったっという程度の薄い記憶しかないけれど、マリと首都バマコの名前 は私のアタマに完全に刷り込まれていたのです。

そのバマコに拠点を置く、ティナリウェンのことを教えてくれたのもこんな新聞記事からで、ここでも私のアンテナはサハラという文字に反応したことになります。

(毎日新聞より)

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そこで、ティナリウェンの最新作だというCDを買ってきました。

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ティナリウェン
アマン・イマン〜水こそ命
RICE IDR-5050
サハラ砂漠から世界へ。
「砂漠のブルース」の代名詞ティナリウェンが
最高傑作を引っさげて戻ってきた!

まずジャケットのただ者ではない顔を見ただけで、このグループの曲者さ加減がわかります。

スイッチを入れると流れてくるのは河内音頭で、ギターのソロになると突如三上寛が出てきて暴れだすという感じで、「これがオレの音だ!文句あるか?!」という、これまた三上寛的主張の前ではただただひれ伏すしかありません。

ワールドミュージックといえども
欧米の音楽ビジネスに取り込まれて
去勢されてしまったような音楽全盛の中で
ティナリウェンは
彼らが育った環境の厳しさそのままの荒々しさで迫ってきます。
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それにしても、こういう音楽を聴くと
サハラ砂漠の音楽もミシシッピのブルースも日本の民謡も
喜怒哀楽を表現する歌の
深い深〜い根っこの部分では
み〜んなつながっているんじゃないかと思ってしまうのです。
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2007年2月21日 (水)

孫は優しい子

2月とは思えない暖かな朝。目のカユミが気になる。

花粉症なんて他人事だと思っていたのに、3年くらい前から突如花粉症になってしまった。それまでは何ともなかったから、目のカユミも「疲れ目」だと思って目薬をさして済ませていたら、そのうち鼻水が出てクシャミがとまらない。そこで、あぁ、これが花粉症というヤツかと気がついたワケ。

今朝も鼻をグズグズいわせながら駅に向かったけれど、今朝は、花粉症以外に憂鬱なことをひとつ抱えていた。昨年の健康診断で血糖値が高めという結果が出て、半年間の“要観察”を経て、今日は再検査の呼び出しを受けていた日。したがってお茶も飲まず、出勤のために駅に向かっていたのだ。

ウォークマンにセットしていたのはこんなCD。

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AFTERMATH
the rolling stones

ウォークマンのスイッチオンにしたとたん選曲を間違ったことに気がついた。いつもなら『黒く塗れ!』のインド旋律パクったイントロに聞き惚れるのに、検査を前にした今朝は気力が萎えてるからミック・ジャガーに押しつぶされてしまった。

健保組合の診療所で採尿・採決・眼底検査などをしてる合間に、どこかから現れた栄養士に個室に拉致され、毎日どんなモノを喰ってる?ナニッ?脂っこいモノが好き?間食多い?食べ過ぎ?それじゃアカンアカン!などと責められ、

『孫は優しい子』知ってっか?

 (エッ!?孫ですか?孫はいませんが、、、、、)

何言ってんの!

ま→豆製品

ご→胡麻(種実)

は→わかめ(海藻)

や→野菜

さ→さかな

し→しいたけ(キノコ)

い→芋類

こ→酵素(発酵食品)

だっぺ!

こういうものをバランスよく食べるってことよ!

栄養士から解放されると「えあじんさんえあじんさん、5番の部屋へお入りください」のアナウンス。恐る恐るドアをノックすると検査結果を見ていた医者が神妙な顔して「ここに座りなさい」。結構難しい言葉でイロイロ説明を受け、結局「今回は特に心配することはなさそうですね」の御託儀。

  そんなことだろうと思ってたよ。

まぁ、腹八分目、適当な運動、規則正しい生活、こんなことに気をつけることで生活習慣病はかなりの部分予防できます。体が動く限りは仕事を続けて頑張って!などと励まされ診療所から帰ってきたワケよ。

現金なもので、それほど深刻になるほどの症状ではないという検査結果に元気を取り戻し、再びローリング・ストーンズにスイッチ入れたら、今度は『黒く塗れ!!!」のアジテーションもキッチリと受け止め、もう押しつぶされることもありません。

ミック・ジャガーでも

肉ジャガでも

束になってかかってきやがれ!

などと定番のオヤジギャグをカマシながら帰ってきたワケよ。

マッ、
アントニオ・猪木さんじゃないけれど
『元気があればなんでもできる』
ということですヨ!
ご同輩
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2007年2月18日 (日)

雨天決行東京マラソン2

雨のせいでプールも人出が少なく快適なスイミング。

帰宅して時間的にはそろそろゴールだろうと思いテレビをつけると、優勝らしい黒人選手のインタビューが始まるところ。

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最近の女子アナは帰国子女が多いらしいから、この女子アナが通訳もかねるんだろうと見ていたら、ナッ!なんとこの黒人選手は日本語ペラペラには大笑いしたのよ。ケニヤ出身のヤクルトでマラソン修行してる選手だとのこと。

こうなったら、この選手を帰化させてオリンピック選手にしたらどうかな。ジェンガという名前だそうだから「地円貨」という日本名はどうかな?とニヤニヤ。

ところで、下の画像 

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私には河野洋平が石原都知事とマラソン優勝者を挟んでニコヤカに笑っているのが不思議でしょうがない。

かつて石原さんはあなたのことをこんなふうに言ってましたよ。

乗ってた飛行機が故障で台北に緊急着陸したとき

他の乗客は皆飛行機から降りて空港待合室に入ったのに

彼だけは飛行機の中から一歩も出なかったんだから

そこまでして中国に遠慮しなけりゃならんのかね〜

ククククク・・・・・・(例の含み笑い)

どんな手打ちがあって

どんな思惑があるのか

知らないけれど、

こんなこと言われて揶揄された相手と

同席することはないだろガ〜。

エッ!ヨーヘイさん。

かつては

あなたに期待し

あなたの行動を支持してたこともある私としては

寂しいよ〜。

あなたが息子を政治家にしたあたりから失望しっ放しだよ〜。

最初っから政治家の世襲があなたの望みだったとしたら

あなたへ期待した私がバカだったよ〜。

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昨日買ってきたパソコンのチェックもかねて1日2回の投稿をやってしまった。
「VISTAを買うつもりでとっといたお金で買うんだからベンキョウしてヤッ!」
こんなこと言って買ったiMacは調子良いよ〜
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さて、
今朝の雨はウソのように晴れ上がって
午後からは絶好のマラソン日和。
こうなると、
ビリになって目立とうと計算するヤツもいるんだろうな。
こんな日曜日でした。
チャンチャン!
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雨天決行東京マラソン

折角の東京マラソンも、生憎の雨で走る方も見る方もタイヘンなレースになりそうです。週刊誌ネタによればこのマラソンはオリンピックに立候補するにあたり、大イベントを成功させて「東京都はこれまでスポーツ大会を開催したことがない」という批判をかわそうという「実績作り」の意図が含まれているらしい。なるほどナルホド。

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今年初めのモロッコ旅行でスッカリモロッコファンになってきて、
雑誌の記事などに「モロッコ」の文字を見たりすると
ついつい読んでしまいます。

2009.02.17(土)
毎日新聞より

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西川恵のグローバル・アイ
国王は日本食に恋した
モロッコ王室に専属シェフ

なるほどなるほど、一昨年国賓として来日したモロッコのモハメド6世が、王室に日本人シェフを招くほどの日本食ファンになってしまった。宮廷だけでなく、地方視察にも同行させて日本料理を作らせるほどの入れ込み様だと伝えています。もともと我々日本人が食べている魚は西アフリカ沖で獲れるものも多いほどだから食材の調達はそれほど難しいものではないらしい。

このモハメド6世の画像がこれ。

モロッコの砂漠ツアーで泊まったホテルで出会った、スエーデンからの映画撮影隊のスタッフが使うマックのパソコンが珍しくて写真を撮ったとき、そのバックに国王の巨大パネルがあったのです。

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モロッコ・エルフード/SARAM HOTEL
2007.01.07

砂漠の国モロッコの国王が刺身や寿司、てんぷらのファンだというのも嬉しいことではありませんか。

昨夜、NHKBSのグループサウンズ特集をつけっ放ししながら新しく買ったパソコンの設定やっていると、どこかで聞いたことのある声。テレビに目を移すとウッドベース弾く男が歌っていて、、、、な〜んだ、このあいだ原宿クロコダイルでラビさんとジョイントやってた『猫』のベースじゃないか。さらによく見るとギターにも『猫』のメンバーが1人います。どうやら早大フォーク研の「ザ・リガニーズ」という、ムカシのちょっとしたヒット曲をもつグループが『猫』に発展したものらしい。

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(ザ・リガニーズ:ベースと右端のギターが先日の『猫』メンバー)

ブルーコメッツ、カップス、ワイルドワンズ、オックスなど、かつての栄光から、バンジージャンプと絶叫マシーンの連続人生で醗酵したスエた匂い発する面々の中で、このザ・リガニーズはそのグループ名と同じで、ふだん保険の代理店やっていて、お声がかかるとギター抱えてやってくる歌好き父さんという感じで影が薄かった存在でしたね。

中山ラビクロコダイル編でも書いたように腹の括り方がアマイのです。なまじアタマが良いもんだからバカになりきれなくって、その分説得力が薄いのです。

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天気が良かったら盛り上がった東京マラソンも雨で水を差された感じで、まるで石原さんの未来を予言するようなイベントになりそうです。ところで下のこの絵だかなんだかは関空の出国ロビーにあったもの。

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なにげなく作者名を読むと、これが「余人をもって代え難い」と我が息子を評価した(後日修正)東京都知事のセガレ。これから飛行機に乗ろうとしてる搭乗客が不安になるじゃね〜か。

もう一発。

2007.02.18(日)
毎日新聞より
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東京マラソンはフジテレビの独占中継なのかな。解説だかゲストにやはり都知事の息子の名前。

関空の建物の社長はどうせ運輸省の天下り先だろうし、東京マラソンは運輸大臣経験者の都知事肝いりのイベント。都知事が関空施設にセガレの絵だかなんだかを飾るように申し入れたとか、フジテレビにセガレを出演させろと圧力かけたワケでもないだろうけれど、権力者は自分の影響力を恐れて、全てのことに対して(身内にも)もっと謙虚になって、自分の身を律することが要求されると思うのです。

昔からエチゴヤの差し出す菓子折りの底には黄金の小判が敷いてあることは当たり前のハナシです。

他人に対しての評価はますます辛辣になっていくのに反して、自分のことになると目が見えなくなるような権力者にも困るものです。

それと
もっとも言いたいのは
権力者の身内を出演させるメディアのやり口は
まるで
権力者にオモネってるようでっせ!!!
この息子とマラソンがどう関連するのか理解ができない。
お天気情報でもやろうってのか?
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さて、
3万人 
雨の中のスタート見届けたので
ワシはこれからプールに行って泳いできましょう。
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2007年2月17日 (土)

ユー・ガット・メール(YOU'VE GOT MAIL)

先日、『それでもボクはやってない/周防正行監督作品』という話題の映画のことを書きました。この映画では容疑者宅の家宅捜査をやるシーンがあり、痴漢でもここまでやるんだとビックリしました。さらに容疑者宅から押収された「痴漢モノ」DVDが、公判では「被告はこのような(痴漢)性癖を持っている」と提示されることで、被告人は不利な状況に追い込まれることを知って、メッタヤタラなものを身近に置いてはイカンと教訓にしたワケです。

その家宅捜査された青年の部屋のシーン、たぶん映画スタッフの誰かのアパートを容疑者宅に見立てて撮影したものでしょうが、その部屋にあったのがマッキントッシュのiMac旧モデルでした。当時にすれば斬新、今からすれば奇を衒ったようなデザインのiMacに、あぁ、そういえばマックにはこのモデルがあったよな〜と映画ストーリーには関係ないけど興味深く見たのです。

「ウィンドウズはビジネス向け、マックは出版やデザイナー向け」というようなことを聞いた記憶があります。確かにパソコンショップのウインドウズ機種売り場とマック売り場とでは、客の雰囲気があきらかに異なります。店員もまたその接客態度には差があり、ウインドウズ側には売り上げ第一、マック側の方には客とのフレンドリーさの演出があるように思えます。最近マックユーザーに宗旨替えした私の贔屓目があるのかな。

さて、そのウインドウズ、マック各々の商品イメージを実に鮮やかに表現した映画(DVD)を観ました。

『ユー・ガット・メール』

インターネットで知り合ったHN「NY152」とHN「ショップガール」は、チャットを繰り返すうち、いつしか、お互いに相手からのメールを心待ちするほど惹かれ合うようになります。

そして、一度実際に会おうということになった2人ですが・・・・・。

「NY152」のジョーはチェーン展開している大型書店の3代目のボンボンで、一方の「ショップガール」のキャスリンは街角の児童書専門店の女店主。しかもキャスリンの店は目と鼻の先に開店したジョーの大型店に客を奪われ、存続の危機に立たされています。

いわば、ブックオフの辣腕社長と街角の10坪書店の経営者という商売敵同士が恋に落ちたようなもの。

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この映画のキャスリン(メグ・ライアン)の使っているパソコンがマックでしたね〜。マックのムカシのロゴ、レインボーカラーのアップルマークが輝いています。

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使い捨てはイヤだからとティッシュペーパーよりもハンカチを愛用し、近隣の子供たちを集めて読み聞かせ会を催したり、お客との家族的雰囲気を維持してきたキャスリンのキャラクターには、やはりマックのパソコンがお似合い。

一方、ジョー(トム・ハンクス)のパソコンに見えるのはIBM/Think Padのロゴマーク。

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大量仕入れ大量販売で業績を拡大しているFOX書店の御曹司のパソコンは、やはりウィンドウズのIBM。売り上げ動向の解析やら市場調査にはさぞかしウインドウズのソフト役立ったことでしょう。

「ウィンドウズはビジネス向け、マックは出版やデザイナー向け」というイメージがどの時代に定着したのか分からないけれど、たしかにこの映画では、夢見る書店主キャスリンと、あくまでも売り上げ至上主義ビジネスマンのジョーのキャラクターをマック、ウインドウズの2種のパソコンが代弁しているようです。

映画はハンドルネームを離れ素性が分かったところで、反発したりギクシャクしますがもちろんハッピーエンド。マックのキャスリンもウインドウズのジョーもメデタシでメデタシで爽やかな余韻を残してTHE ENDだからな〜んにも心配いりません。

それと、この映画ではニューヨーク観光案内的にニューヨーク市内のスケッチが描かれているのも魅力で、このスターバックスの外観店内風景もそのひとつ。

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馬が水を飲むようにコーヒーガブ飲みするのがアメリカ人かと思っていたら、けっこう神経質に味の好みをリクエストするアメリカ人がいてビックリ。

また、こんなベーグルの店が人気を集めているシーンも描かれています。

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スターバックスにしろベーグルショップにしろ、現在の日本では普通の風景ですが、この映画の1998年頃には日本には進出してなかったのではないだろうか。こんなニューヨーカーのライフスタイルに憧れたものです。

この時代のニューヨークが、本当にのどかで魅力的、夢のある街に描かれているけれど、現在のニューヨークはもっとギスギスした街と変貌しているのでしょう。それも皆9.11事件の後遺症からなのかな。

それでもいつかは行ってみたい街ニューヨークです。

そういえば、この映画の中にこんなセリフがありました。

メッシンジャー(たしかこんな名前)とジュリアーニの

ニューヨーク市長選に行かなくってごめんネ

この市長選挙で当選したジュリアーニが、ニューヨーク市長として9.11の事後処理で指導力を発揮して名を挙げ、アメリカ大統領選に立候補(?)という動きになっていきます。

そうそう思い出した。

この映画公開時は、映画に出てくるプロバイダのAOLから入会用の無料CDロムがプレゼントされて、私も入会手続きしたことがありました。あのとき登録したハンドルネームは何だったかなぁ。それから、トム・ハンクスの使ってるIBM/THINKPADも買ったりしたのです。“弁当箱”と呼ばれたこの分厚いノートパソコンは押し入れのどこかにあるはずです。

というワケで、、、、、。

現実のパソコン業界では、ウインドウズとマックは互換性が増してきて、協調方向のようでもあり、まだまだ距離が縮まないようでもあり、簡単に ハッピーエンドで合体になりそうもありません。そのパソコンを小道具に使い、現代のネット社会を先取りしたような映画『ユー・ガット・メール』は、善意の固まりのような人々が将来の希望を信じて疑わないような作りになっていて、ラブコメディとしても実に良くできた楽しめる映画です。

a

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2007年2月15日 (木)

サイババさんこんにちわ

1994年から5年ほどインドの聖者と呼ばれるサティア・サイババ信奉団体とつきあってたことがありました。その当時はまだ知名度のなかったサイババが各メディアを通じて取り上げられ、一大サイババブームが起き、更にオウム事件後に急速に萎んでいった様子を内側から見ていたようなものです。

表向き熱心にサイババ活動に参加していたように見れても、あの頃は何かに熱中して時間を消費しないと自分自身を見失ってしまうような心理状態にあった時期です。だから、サイババでなくとも何かのきっかけがあればあんがいオウム真理教に参加していたかも知れないのです。

サイババとつきあいながらも、私の内部ではズ〜ッと冷めていて、サイババからズラかるタイミングを計りながらズルズルと活動していたようなものです。他の場所に書いたからここでは書かないけれど、サイババにはやはり“マユにツバ”しなければならない部分がかなりあることに最初っから感づいていて、一歩引いていたようなものです。それでもサイババのバジャン(詳しい説明は省略)によって味わったカタルシスを忘れません。

「サイババからは卒業だな」そんなことを思って活動から身を引いたのも、後に暴露されることになるサイババの資質云々より、私自身が「オレはもう大丈夫だ!」と立ち直りを確信したからだったと思います。

サイババから離れて、サイババとは自分にとって一体何だったろうと思いながら作った『サイババ・ブックリスト』というホームページがあります。これは「サイババ」の4文字が書いてある書籍や雑誌を拾いだして、日本にサイババがどのように伝わったのかを検証しようというものでした。

真面目にサイババを論じたものもあれば、揶揄したもの、兎に角「サイババ」の4文字さえあれば内容に制限を設けず、書誌の表紙をスキャナーにかけさらに重量と値段を累計していくという実にバカバカしい試みでした。数は忘れてしまったけれどアップされた書誌は相当な量になって、制作者である私の偏執狂的な性格がモロに表れたものと自負しているものです。

  真理はこんな印刷物などにはありゃあしないよ〜。

  真理は日々の生活から学んでいくもんさ〜。

  騙されるなよ〜。

本屋の棚から溢れている精神世界関係の本を皮肉ったこちらの意図を読み取れず、読書案内と勘違いした読者から激励のメールをもらって苦笑したりしながら、サイババの団体に注ぎ込んでいた時間をそっくりこのサイト作りに費やしたようなものでした。おかげて、器械オンチだとばかり思っていた私がこのホームページ作りを通じてすっかりパソコンにハマることになったわけです。

「ブックハンティング」と名付け、サイババの4文字を求め本屋をハシゴする過程では、実に奇妙な体験をしたこともありました。棚に並んだ全くジャンル違いの書籍が気になって、何気なく本を開いたらそのページに「サイバ バ」の4文字があったり、強烈なビブーティ(説明省略)の香りを発する本に4文字を見つけたりというように、「この世に偶然はないんだよ」と、いかにもニューエイジ的発送で、サイババ本に対面したことも再々だったのです。

こんなことがあって、サイババの団体に参加したのも私にとって必要なことだったし、団体を離れた後こうしてブックハンティングをしているのも私にとって必要なことなんだなどと思いながらハンティングに精を出したのです。自分自身でも何かに導かれているような感覚を味わいながらそのサイトを維持していたわけです。

これほど執着した『サイババブックリスト』というサイトを削除したのも、サイババ団体から離れた理由と同じで、「今さらサイババでもないな」というような曖昧な理由からだったと思います。

ところで、日本で一番最初に「サイババ」の4文字を活字にしたのは誰か?というどうでも良いようなハナシに移ります。サイババの信者が書いた本だったりしたら、あまりにも当たり前すぎてオモシロくないのですが、これが何と横尾忠則さんだったという意外な事実についついニヤリです。

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インドへ
横尾忠則

文芸春秋
1977年6月25日

ビートルズに影響されてインドに行った横尾忠則さんが、現地で聞いたサイババのウワサを面白半分に書いただけで、特にサイババの教えを論じているわけでもありません。

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サドゥーのスーパースターもいて、ちゃんと
ブロマイドや本になって売られているものもある。
サイババというのがそうである。サイババは
ユリ・ゲラーのように超能力を発揮するらしい。
サイババはサドゥといっても乞食のような格好で
放浪しているわけではない。立派な洋服を着、
ヘアーはアフロ・スタイルである。

この本が発売された1977年(昭和52年)ころはサイババの知名度はなく、したがって活字にされることもありませんでした。活字第一号が横尾忠則さんというのもウレシーじゃありませんか。(ちなみにジョージ・ハリスンに影響されてインドに行った私がサイババの名前を知ったのが1973年のことです)

この無名だったサイババが一挙に日本人に知れ渡るのが横尾忠則さんから20年後の1996年ごろだったかな。東大卒の医者が書いたサイババ本を読んだ女流将棋棋士がサイババに会いに行ったとか、当の著者が女優と浮き名流したりのサイドストーリーを得て、雑誌は書くわ!テレビは流すわ!ヘソが茶を沸かすわ!で日本中がサイババブームの坩堝になってしまうのです。

それでも所詮ブームはブーム、カンナ屑と同じで火がつくのも早かったけれど、一瞬でブームは去ることになります。まるで、人智を超えたナニモノかの存在のプログラミングによってブームが起きブームが去ったようにしか思えないのです。私はその頃にはサイババから離れて冷静にサイババ周辺を観察していた時期に当たります。

ブームが去ってしまうと、「自分こそはサイババの一番の理解者」などと標榜してたヤツが、手のひらを返すようにサイババ批判に転じたり、サイババとの履歴を 頬っかむりしたまま他のカミサマの提灯持ちしているヤツを多く知っているけれど、『サイババブックリスト』はヤツらが過去どれほどサイババに心酔し賞賛したかを証明することにもなったのです。

結局コイツらは自分の弱さを知ってか知らずか、あっちのカミサマこっちのカミサマとカミサマ遍歴を繰り返し、心地よい言葉の羅列で他人を惑わせていると断言します。

オマエら!

エラそうなこと言ってるけれど

ズボンのチャック開いてるゼッ!!!

この世渡りサル!!!

恥を知れッ!!!

というワケで、、、

ついついサイババ関係を書くことになったのも、こんな雑誌を読んでしまったから。a

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週刊文春 
2007年2月15日号 49/6
参議院選「15議席減」の衝撃!
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力道山が刺された夜
江原敬之「信じるアホウ」に出すバカ
アニータ「売名・国辱ツァー」日テレ「独占」のお値段

自民党がどうなろうと知ったこっちゃないし、江原敬之のテレビも見たことないし、アニータなんかどうでも良い。「力道山が刺された夜」を読みたいと思いこの雑誌を買ったけれど、目的の力道山関係は「軽症だった力道山は病院の麻酔ミスで死んだ」という、これまで何度も語られてきたきたことの繰り返しで新証言の無かったのは残念。

同誌の123ページにこんなコラムがあります。

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テレビ健康診断
「IT大国」インドで、サイババの末裔は元気だろうか

数週間前NHKTVで2夜連続で放送された、急成長するインドの現状を取り上げた番組批評コラムの見出し。「『IT大国』インドで、サイババの末裔は元気だろうか」を目にして、ムカシの『サイババ・ブックリスト』を発信していた頃だったら大喜びして飛びついたサイババ4文字ネタだったろうな〜と苦笑した後に、急にサイババさんが懐かしくなってしまって、ついついカミングアウトしてしまったのヨ。

私はサイババから離れてから7〜8年経ちます。この間祭壇は撤去し、サイババは周囲がデッチあげた虚像だよと思いながらも、サイババの4文字をアタマに思い浮かべない日は一日たりとありませんでした。

サイババがダルシャン(説明略)の中に夜伽の相手を物色していたとしても、

「インドの聖者と称する連中なんて多かれ少なかれ皆そんなモンでっせッ。ワシらはそこから何を学習するかが大事なことでんがな!」

と笑って済ませることができるし、サイババの物質化の種明かしをサイトに書きながらも、サイババを非難する気など全く ないのです。

むしろサイババには今でも感謝しているのです。なぜなら、サイババとつき合っていた5年間は、私にとって自分を取り戻し、精神の平衡を保つのに必要な期間で、その5年があったからこそ現在の私があると信じているからです。

そして、

この際だからカミングアウトついでに言い切ってしまおう。

私はすでにサイババを超えちゃったのよ〜!

アッハッハッハッハー!!!!!

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2007年2月12日 (月)

下地勇をプッシュ!プッシュ!

“宮古のプレスリー”と名付けて数年前からプッシュ!プッシュ!している下地勇というシンガーがいて、そのうち爆発するゾッ!と楽しみにしていたけれど、なかなか火がつきません。

自主制作でCDを数枚発売し、昨年には(一応)メジャーなテイチクに移籍、『ATARAKA』というアルバムを発売し全国制覇目論んだ宮古出身シンガーも、マイナーな存在で終わってしまうのかな?

全編宮古フツ(宮古島方言)のソフトな耳障りとシンプルなメロディーが気に入って聴き続けてきたけれど、一般的に認知されるにはまだまだ遠いようです。

そんな心配をしていたところ、昨夜(2007.02.11)NHK教育テレビの『トップランナー』という7時台の番組に下地勇が出演していましたね〜。

故郷宮古島での子供時代の生活、上京して味わった挫折、帰郷してから音楽活動を始めることになった経過など、ナカナカな容姿とナカナカなベシャリはスター性充分だと思うのだが、もしかすると、そのあまりにも真面目な姿勢が、もうひとつブレークしない原因なのかな?。

下地勇の語りは、青年の一般的生き方としてはとても好ましい印象を受けるけれど、芸能界というのはもうひとつ“チョイ ワル”雰囲気も感じられないとダメなのかも知れないなぁ、などと思いながら見ていました。

下地勇の動画・音声はいままで何本か紹介してきたけれど、

今日は、

その昨夜のNHK教育テレビからパクった『♪おばぁ』という動画を

1人YouTube方式

で紹介しましょう。

宮古語のソフトな響きを聴いて見てください。

「shimoji_isamu070211.wmv」をダウンロード
「shimoji.mov」をダウンロード

下地勇はお婆ちゃんッ子だったといいます。そのお婆がお爺の最後を見届けることになったときの嘆き悲しみを切々と歌っているのです。

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(2003.12.13 下地勇ライブより)
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Sikiri
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2008.03.02(日)追記
上記『下地勇〜おばぁ』動画を再加工して貼り付けましたので
どうぞご覧下さい。

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2007年2月11日 (日)

モロッコでこんなCDを買ったのだ

雪合戦大会の予定が中止になったとかパターゴルフ大会に変更になったなどという雪国からの報道に、笑っていいのか?どんな反応示したら良いのか?困ってしまうこのごろです。こうして書いているときでも、外では灯油移動販売の軽自動車がベートーベン第9のメロディ流しながら何度も往復しているけれど、窓から呼び止める人はいないみたい。

私の家はガスストーブだけどストーブつける時間は極端に少なくなったように思います。「暑いときには暑く、寒いときには寒く」ないと全ての面で狂ってしまいます。

ところで、これはモロッコのフェズに向かっている時に立ち寄ったレストランの暖房だけれど、このようにプロパンガスのボンベに器具を直接取り付けているもの。ボンベに直ストーブというのも危なっかしく、このやり方は日本では消防法などで多分認められない方法なんだろうな。

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モロッコの1月アトラス山脈からの冷気が街を覆い、昼でも薄ら寒い陽気。こんなストーブに手をかざして暖をとったりしたのです。

そのモロッコはカサブランカで買ったCDがこの2枚。1枚20ディラハムだから@260円というところか。

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カサブランカのメディナ(旧市街)にあったCD屋で「モロッコで一番ヒットしたやつ、男女一枚ずつ」といって選んでもらったもの。サワリを試聴して納得して買ったCDだけど、帰国後聴いてみたら、民謡なのか、現代なのか、それともヒュージョンなのか、よく理解できない音楽でそう面白いものではなかった。

その2枚のCDを自信たっぷりに薦めてくれたのがこの青年。

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やはり、夕暮れのメディナでシシカバブの匂い立ちこめるCD屋の店頭で聴くのと、通勤電車内のウォークマンで聴くのとでは感性に差があったのでしょう。

というワケでハナシは暖冬の日本に戻ってきて。

雪不足といわれても、神田の靖国通りには雪だるま出現し、OLがヒャッコイ!ヒャッコイ!などと触っては喜んでいました。そんなOLをニラミつけているのがバット振りかざしたイチローさんの図。

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こんな画像を
雪乞いの願かけて
拝んでみようかの
建国記念日の午後。
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2007年2月10日 (土)

本田竹広さん追悼アルバム

本田竹広さんが亡くなってから1年がたちました。

お茶の水ディスクユニオンに寄ってみたら、いつのまにか本田竹広コーナーができていて、20枚近いCDが並んでいるのに驚きました。本田竹広さんのCDはそう多くはなかったのですが、一周忌に合わせて各レコード会社が復刻CDを発売したようです。

そんな中からこんなアルバムを買ってきました。

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Salaam Salaam
Takehiro Honda

Recorded  June 1974

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Takehiro Honda Trio
Live at Kagoshima USA

1974
Vol.1
Oleo

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Takehiro Honda Trio
Live at Kagoshima USA

1974
Vol.2
Softly As In A Morning Sunrise

上記3枚ともNATIVE SON結成前のピアノ・トリオの作品。

こういうアルバムを聴くと、

本田さんの音楽はやはり生ピアノに自分の感情を叩き付ける

アコースティックサウンドの追求にあって、

電気で音を増幅加工しなければならないNATIVE SONは

「仮の音楽」じゃなかったのかなと思えるのです。

平台に本田竹広さんのアルバムと並んでいたこのアルバムも購入。

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Chico Honda
Live at JZ Brat

Recorded at Shibuya JZ Brat
February 1.2006

ムカシ、「あの2人はまるでロークの夫婦みたい!」と言った人を知っています。2人でサイババ状のアフロヘアーだった時代の頃です。

2人して「クロくなりたい、クロくなりたい」と思っていた時代もあったんでしょう。でも結局「自分たちは黒人になれっこない!日本人には日本人のジャズがあるのではないか!」と気がついたときから2人の本当の音楽が始まったような気がします。

a

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2007年2月 9日 (金)

アバズレーテッド・フラワー

暖冬だそうで、スキー場は悲鳴をあげているらしい。やはり暑い季節は暑く、寒い季節は寒くないと、すべての面でリズムが狂いそうです。

そんな朝のコーヒータイムのお供は毎木曜日発行の無料小冊子R25

R25
2007 2.8 No.129
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ロングインタビュー
「加減するな、全部はき出せ」
泉谷しげる

泉谷しげるがキャラクターどおり、サービス精神タップリのご面相で迫ってます。

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「出せ!カラッカラになるまで」

泉谷しげるもどうやら映画のプロモーションのための露出のようだけれど、この人“フォークシンガー冬の時代”を役者に転身することで30年も生き続けてきたのだから立派なものです。

「2007年問題」とやらで、一応の区切りをつけた、あるいは区切りつけようとする世代をどのようにして取り込もうか、あるいは切り捨てようかというネタがメディアを通じて垂れ流されている今日この頃です。結局、いわゆる『団塊世代』当事者よりも周囲がハラハラしてる様子が伺えます。

そんな中で、『団塊世代』が若いときに耳にしたフォーク系音楽が復刻されて結構な売れ行きを収めているらしい。購買層はやはり『団塊世代』なのか。そんな動きを反映して、かつて活躍し、その後冬眠していた音楽グループの復活の兆しが数年前からありました。

そんなフォークシンガー復活組の一人が中山ラビで、私は彼女の70年代のときより、復活後の現代の中山ラビに思い入れ深く聴いているのです。

数年前、中山ラビを追いかけて北海道まで行ったことがありました。札幌の小さな店と翌日は小樽のやはり小さな店と連チャンで聴くというまるで中山ラビストーカー。

初冬の小樽はメーン道路こそ雪はなかったものの、小路に入ると除雪されなかった雪が盛り上がっていました。たしか「アジヤ」という名前の店の急ごしらえのステージに立ち、ヒョウ柄のコート脱ぎ捨てたラビさんは、短パン・タンクトップという、季節に逆らった決意の装い。

いつもながらの熱唱数曲の後、『♪その気になってるわ』で「アレッ?様子が変だな」と見ていたら、途中から涙目になりそして頬をつたわる涙。この歌に対する思い入れの深さなのか?この歌で思い出すことがらが押し寄せてきてこらえきれなかったのか?それとも北の地で歌う自分の姿に感傷的になったのか?

どうにか破綻することなく歌い終えて平常心に戻り、チェンジ・オブ・ペースで早い曲を始めたらこんどは強いストロークでの弦切れ。店のギターを借り歌おうとしたけれど、ストラップの調節ができず脇にあったビールケースに右足乗せての、まるで映画で見る酒場女が歌うの図。

か弱さとアバズレのどちらが中山ラビの本性なのか?

二つの面を見てしまった小樽での中山ラビライブは、私もまた旅の夜空という感傷的気分にあったせいか、これまでの中山ラビベストライブとなっているのです。

先日、その小樽ライブに一緒に行った札幌在住の知人から「北海道新聞」に中山ラビ関連の記事が掲載されているとのメールあり、「記事を読みたいからコピーを送ってください」と頼んでおいたら本紙が届きました。

シンガー・ソングライター
中山ラビさん
自分を見失った時を超え
また歌える時代がきた
北海道新聞
2007年1月28日(日)付
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「私は孤独でないと歌は書けない。

今は子供もいるし、仲間もいる。

昔のように自分を追い詰めて歌を書くことはできない」

「デビューは安保闘争の余韻が残る混沌とした時代。

バブルがきた時、私は時代から転げ落ちた。

今また、私が歌える時代が来たんだと思う。

誘ってくれたらどこでも行って歌います」

世相に便乗するように取り出したギターのホコリ払いながら歌われても、私にはあざとさばかり目立って、今歌わなければならない必然性どこにも見いだせない人(たち)もいます。

中山ラビの復活は、永い潜伏期間を終えた彼女がようやく新たなメッセージを発し始めたといえます。彼女の歌の世界は、今の境地だからこそ表現できるし、聴き手の側にもようやく彼女のメッセージを受け止められるだけの態勢が整ったと思えるのです。

それでは最後に30数年前の中山ラビの珍しい音源を聴いてもらいましょうか。


1973年1月3日(火)NHK・FM放送
中山ラビスタジオライブ『今様小町初音競』より

「時よおやすみ」です

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2007年2月 7日 (水)

56歳は厄年か?

渡辺和博さんが亡くなったんですね。

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2007.02.07
毎日新聞朝刊より

バブル真っ盛りの80年代半ば、職業別にマルキン(金)・マルビ(貧)と分類し、今でいうところの『格差社会/上流下流』をユーモアたっぷりに指摘した名著『金魂巻』の作者です。絵は下手なんだけど、その下手さになんともいえないアジがあるという「ヘタウマ」の元祖でした。

テレビにもよく出ていて、その皮肉っぽいコメントのファンでした。冗談を言いながらも目は決して笑ってないというお顔を拝見しながら、社会評論をするためには、こういう目つきをしなければならないんだなぁ、と思っていました。

・・・・・・同じ日の毎日新聞にはこんな記事も。

『大助・花子』の宮川大助さん(56)休養

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2007.02.07
毎日新聞朝刊より

脳内出血で倒れ、幸い命に別状ないものの数ヶ月の休養が必要だとのこと。

「こういう顔を毎日見ていたら、ワシだって、そりゃぁ、倒れまっせ!」

キツそうな顔の相方見ながら、たぶんこんなギャグでウケるんでしょうね。

渡辺和博さん56歳
宮川大助さん56歳
二人の56歳の記事を読んで
この年代というのはイロンな意味で
ガタがきてるのかなぁ
そんなことを思って暗い気分になった朝でした。

56歳ってのは
まだまだこれからでっせ!!!
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2007年2月 5日 (月)

それでもボクはやってない

「痴漢が増えたのではなく、告発する女性が増えたんだよ」

こんな一節をなにかで読んだ記憶があります。

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たしかに新聞には痴漢で逮捕されたという記事が絶えないこのごろです。ラッシュアワー時、後を押されて電車に突っ込んだはいいけれど、このままの立ち位置で良いのか?それとも向きを変えるべきなのか?腕の位置はどこへやったら良い?こんなことを心配しなければ不安になる通勤電車体験もしばしばあるものです。

そんな電車内で、女子高生に痴漢行為を働いたという現行犯で逮捕された青年の戦いを描いた映画が『それでもボクはやってない/周防正行監督作品』。

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それでも
ボクは
やってない
監督・脚本 周防正行
加瀬亮 瀬戸朝香 山本耕司
もたいまさこ 役所広司

映画は警察での取り調べのシーンから始まります。これはもうよく刑事ドラマなどで見る典型的な取り調べ。厳しく攻め立てる刑事顔の刑事と、まぁまぁ「キミもタイヘンだったねぇ、、、、うんうん、、、分かる分かる、、、分かってるよ〜」という人情味溢れる態度を装う刑事の“押さば引け、、、引かば押せ”の阿吽の呼吸コンビ。刑事が犯人の髪の毛つかんで顔にライトを向けるシーンこそ無かったけれど、なるほどなるほど取り調べはこんなふうに行われるのか。

ウソでもなんでも、兎に角自白作文調書に署名させて一件落着させたい刑事と、「認めて示談にすればスグに終わる」ということを示唆する当番弁護士。それでも、青年は「ボクはやってない」と不毛の裁判闘争へと突入することになります。

最初っから最後まで息をつかせぬ展開で、時間がたつのを忘れるくらいに引き込まれた映画です。そして観終わった後「やっぱり、日本のレベルなんてこの程度のもんさ!」と『美しい国・日本』への苦笑いする自分がいたのでした。

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2007年2月 4日 (日)

マラケシュのFreedom Jazz Dance

千駄ヶ谷の東京都体育館プールで1000m泳いだあと30分ほど水中ウォーキング。このところ肩こりがすると思っていたけれど、今日の水泳でラクになってしまった。気分爽快、プールの外に出るとスゴイ行列。あぁ、テレビでやってた、シャラポワさんが棄権したという東レナントカというテニス大会の入場を待つ列だな。

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モロッコ旅行の続きになるけれど、大道芸人の大セッションで有名な観光地、フェズの迷路を歩いていたときのこと。民族楽器の土産物屋のスピーカーから素晴らしいジャズが流れていました。曲名はマイルス・ディビスなどの演奏でも有名な『♪Freedom Jazz Dance』。

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「オヤジさん!この曲を演奏しているのは誰だっ!!!

これはCDか? 

それともラジオか???」

私の問いかけに、楽器屋のオヤジはただ「ウンウン、、、」と愛想良く笑うだけでラチがあかず、結局音源は分からずじまいでした。

テーマの後、バックのリズム隊は複雑なリズムを叩きだし、煽られるようにホーンセクションはフリーに突っ込んで行くという『♪Freedom Jazz Dance』は、マラケシュという街で耳にする音楽としては実に印象深いものがありました。それもちゃんとした音響装置などでなく、オンボロスピーカーの割れた音がよりエキゾチックに聞こえたのです。

誰が演奏していたのかなぁ?

帰国してからも気になり、『Freedom Jazz Dance』をキーワードにアマゾンのサイトを検索して、アタリをつけたCDを注文したら1週間ほどして商品が到着。しかもカリフォルニアからのエアメール。

ETHNIC HERITAGE ENSEMBLE
FREEDOM JAZZ DANCE
delmark517

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ジャケットのイメージとしては、モロッコのマラケシュで聴いた音楽にピッタリ。しかし、、、中味は残念、マラケシュのものとは大違いで上品すぎ。

アテが外れたCDだけれど、『♪Freedom Jazz Dance』がどんな曲か知らない人のために、この外れCDからチョコッと聴いてもらいましょうか。

これでも十分にエスニックだけれど、マラケシュで聴いたのはもっとアフリカンリズムを強調したワイルドなものでした。

それにしても
モロッコのフェズで聴いた音楽が忘れられず
東京で注文しクレジットカード番号打ち込んだら
CDがカリフォルニアから送られてきたという
世界はまさにボーダーレスになったものです。
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2007年2月 3日 (土)

この世はみちかけくりかえし

焼き魚定食なんぞを食べながらフト目についた壁の色紙。

ハガキ大の紙に細かな毛筆で書かれた文字を目を細めて読むと。

この世は
みちかけ
くりかえし
.

こんなことが書いてありました。

そうだよなぁ、
人のいとなみは
福も鬼も
喜も怒も
天国も地獄も
すべて
満ちては欠けを繰り返し
シンダラカミサマヨー
.
チョッとした定食屋の壁からも
こんな気づきを受けることもあるのです。


というワケで、
本日節分
福は〜うち
鬼も〜うち

.
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a

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2007年2月 2日 (金)

クロコダイルの中山ラビ

モロッコから帰ってきてしばらくしてからの新聞記事で

映画『バベル』の前評判が高いことを知った。

「モロッコ、日本、米国、メキシコで起きる出来事が一つに絡んでくる」

という内容らしい。

モロッコという文字を見てしまうと、

すっかりモロッコ応援団になった私としては、

早速前売り券を買って封切りを待っているところです。

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BABEL(バベル)
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督
神は、人を、分けた。

さて、モロッコネタのブログを作るために、早く家を出て職場近くのファミレスでパソコン開き写真を選択し文章を入れてアップ(無料で無線LANが使えるのが嬉しい)。そして慌てて出社してタイムカードを押すという日々。

自分ではけっこう楽しんだけれど、他人にはそれほど面白いものではないかも知れないなと思いつつも、一升分くらいの目薬を消費してしつつ、とりあえずモロッコネタを終了。通常の日常雑記ブログへと戻ることにいたしましょう。

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「猫」のすべて
新しい音楽は“猫”というグループに始まった
不朽の“猫”サウンド、僕らは誇りにしたい。

CBSソニー38AH 19~20
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『猫』という名前のフォークグループの2枚組LPレコードを持っている。

これは数年前にヤフーオークションで無競争で落札したもの。落札はしたものの未だに聴いたことのないレコードだ。じつは「落札者には中山ラビのビデオをプレゼントします」という条件に惹かれて応札したもので、最初っから『猫』なんかどうでも良かったのだ。

肝心のビデオだけど、これは2000年10月11日(水)にスイートベイジルというクラブに出演したときの貴重な記録で、たしかフジテレビの深夜に放送されたものだ。この当時のラビさんは復帰した直後で、そんなラビさんにジョイントライブの声をかけたのが、同じく70年代フォーク者の沖縄在住佐渡山豊。

佐渡山豊もまた復帰組で、両者ともに、これから音楽活動を継続していけるのか?との不安や迷いはあったはずで、その後の『ラビ組』に発展するメンバーをバックにした中山ラビバンドはまだまだまとまっていません。

「これがアタシの歌だ!」と自信たっぷりな現在のラビさんのステージに接している私には、本体の『猫』のレコードは聴かなくても良いけれど、このラビさん復帰後の記録だけは何回も観たお宝映像になります。

このビデオを入手した数日後、たまたまラビさんと話しをする機会があって、「スイートベイジルのビデオが欲しくって『猫』のアルバム買っちゃったよ〜」と言ったら、「言ってくれればダビングしてあげたのに」と笑われたっけ。

そして、、、、、、、。

ラビさん今年最初のライブは、その『猫』とのジョイントというのだから不思議な縁です。

2007年1月27日(土)
「猫+中山ラビ」を聴きに原宿クロコダイルへ。

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『猫』もまた70年代前半に活動した後に“フォークシンガー冬の時代”に遭遇して解散。30年の冬眠から覚めて、数年前に再活動を開始したものらしい。『猫』とラビさんには70年代に接点があって今回の共演ということになったのかと思ったら、これが最初の共演だとのこと。確かに「70年代フォーク」と一括りにされるけれど、『猫』とラビさんの音楽では方向性が全く別の次元にあったのだ。

まぁ、70年代にはフィールド違いだった両者が、紆余曲折を経てお互いオトナになった現在、あまり細かいこといわずにオトナの知恵でもって歌を楽しもうというコンセプションと理解して、こちらも久しぶりのラビさんライブを楽しむことにいたしましょう。

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ライブはまず『猫』のステージで始まる。彼らは吉田拓郎のバックバンドをしていた時代もあって、吉田拓郎作品の「♪雪」というチョッとしたヒット曲もあることを私は知っている。オープニングはこの「♪雪」で、彼らが歌いだすと嬉しそうに顔見合わせる50代カップルがいたり、拍手が起きたりするところを見ると、それぞれに、それぞれのファンはついているものです。

バンド結成時のオリジナルメンバーではないらしいけれど、かまやつひろし、ジャックス、フランク・シナトラナンバーまで繰り出し、本人たちは楽しそうでも、プロのステージとしては全体に低空飛行。サラリーマンが馴染みのスナックで気持ちよく歌っているというレベル。

私は「ラビさまイノチ」だから他の人にはどうしても辛くなってしまうのです。

飯高、、、、(モトイ!)言いたかないけれどダレちゃった。

猫さん!解った!もういいよ!と言いたくなる頃にやっとラビさん登場。

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胸をかきむしられるような「♪眠れない夜」からスタート。

ここクロコダイルは初めてのステージだそうで、『猫』との共演も初めて。今夜の客筋を計るかのようなMCも緊張気味。

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地下店舗の柱が総ガラス張りになっていて、ステージのラビさんが妖しい姿で映し出されています。本人もまた鏡に映る自分の姿に見とれてマンザラでもなさそな目つき。

途中から『ラビ組』のピアニスト高橋誠一が参加して、弾き語りのストレスから解放されたラビさんも絶好調。

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ところで、ラビさんの今夜の服装。破れたストッキングにタンクトップ。真っ赤なロングTシャツがスカート代わりにして、袖で腰を縛っています。

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結び目がギターに当たって弾きにくいわ〜(by:中山ラビ)

当夜の50人ほどのお客さんは多分6:4くらいで『猫』お目当てか?。どんな設定でもラビさんが歌い始めれば、「中山ラビって誰ッ???」だったお客も、一挙に“ラビ世界”へと引き込まれていくのが解る。たしかに20年前ー30年前のレパートリーだけれど、懐メロフォークなどではなく、今このときの心情を歌い上げているのです。これほどの説得力をもった歌い手はそういません。

最後には再び『猫』が登場してラビレパートリーのセッション。

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これとて、ピアノの高橋誠一が支えていたからどうにかもったようなもので、それでなかったら、やっぱりヤバかったなぁという感じ。このセッション、ラビさんにはな〜んにももたらさなかったんじゃないかな。


私がいつも思うのは、
“アングラフォーク”と“カレッジフォーク”じゃ
所詮ハラの括り方が違うのです
.
これからも『猫』のアルバムは
聴くこと無くレコード棚の奥で
カビが生えていくことになりそうです。
.

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