あのころ/川村年勝
『戦後日本のジャズ文化/マイク・モラスキー』という本を買おうと書店に行ったけれど在庫なし。しかたなく棚の背表紙を物色していると目についたのがこの本。
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著者の川村利勝という人は70年代末からジャズマンのマネージメントをしたり、大規模なジャズフェスティバルを成功させた有名なプロデューサー。時代にあった企画に加え、ミュージシャンの面倒見が良いことでも知られた人でした。
私がなぜそんなことを知っているかというと、私が田舎でコンサートの企画の真似事をしていたとき(70年代中頃から80年代初めにかけて)マネージャーとしての川村さんに何回かお世話になり、ミュージシャンとの固い信頼関係に結ばれている人だな~という印象を持っていました。また、地方の主催者のことを可愛がってくれる人で、次の企画の相談を持ちかけると、即関係者にハナシを通しておいてくれたり、いつも新譜の見本盤を送ってくれるような律儀なところがあった人でした。
その川村さんが自ら企画したイベントの打ち上げの席で倒れたのが1990年後厄44歳のときで、それから現在まで闘病生活は続いているらしい。
私は80年代中頃にパンクしてしまって、それ以来ジャズとはまったく無縁の生活を送っていたから、川村さんのこともスッカリ忘れていたけれど、この本によって川村さんの“その後”を知ることになったワケです。
川村さんの日常というのは、山下洋輔を取り巻くグループの一員としてとにかくハードワークだったらしい。どのくらいハードワークかというと、山下さん若き日の著作にジャズマンのメチャクチャな様子が書いてあるけれど、寝る間も惜しんでのドンチャン騒ぎにつきあい、遊びつかれたバンドマンが死んでる間にも、マネージャーとして対面する雑事の処理に当たらなければならないから眠る時間なんてありません。そんな長年に亘る不摂生の蓄積が脳内出血という形で現れたのでしょう。
この本は、脳内出血による左半身不随という後遺症から徐々に言葉と歩行を取り戻し、音楽シーンに復帰するまでを描いたもの。
我々は自分が健康で動き回れることを当然のことと思って気にもとめていないけれど、川村さんが受けた壮絶な試練を読んで、健康のありがたさを思い知らされます。川村さんは、倒れてから15年以上経た今でも、リハビリを続けながら音楽プロデュースの仕事に復帰しているそうで、そんな川村さんの音楽に賭ける情熱と執念に圧倒されてしまうのです。
「病は気から」と言われるように、思いがけずも病に倒れた人には、絶望の淵に立たされても夢を失わず決して逃げ出すことなく病気と戦っていかなければならないことを教えてくれます。
『あのころ』という書名で、かつて川村さんがマネージャーをしていたドラムの古澤良治郎に同名のアルバムがあったことを思い出しました。
リー・オスカーというと、以前このブログのどこかで、ディランの『コーヒーもう一杯』と共に、“私の前世を感じるメロディ”として音源入りで紹介したことのあるハーモニカ奏者。リー・オスカーと古澤良治郎を結びつけたのも川村さんの仕事でした。
古澤とリー・オスカーはとにかくウマがあったようで、全国ツアーをしたり、川村利勝プロデュースで数枚のレコードを残していて、その一枚がこの『あのころ』というアルバム。日本のファンが喜ぶような“胸をかきむしられるようなジャズ”ではないけれど、タイトルから想像できるように、陽だまりに和むような心地よいアルバムに仕上がっています。
このレコードが録音されたのが1981年だから、川村さんが倒れる10年くらい前のこと。それから25年後に著した闘病記に同じタイトルの『あのころ』と名づけたことは、川村さんにとってはこのレコードがよほど思い入れの深いレコードになるのでしょう。もしかすると病を得たからこそ到達した世界があって、その世界をこの『あのころ』の音楽が先取りして表現していたということなのかな。
『あのころ/川村利勝』を読み、
久し振りに
『あのころ/古澤良治郎 リー・オスカー』を聴いて
こんなことを思ったのです。
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コメント
「あのころ」を読んで「あのころ」を聴いてもらって嬉しい限りです。
何年も経ってしまっているのにレスを入れるのは、このサイトに辿り着いたのが今日だったからです。
昔にお世話になった方だと推測出来ます。
その節はお世話様でした。
投稿: テーケー | 2008年9月20日 (土) 午前 11時10分