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2006年11月30日 (木)

Gentle November/武田和命

毎年ストーブの入れ始めにはノドをやられて風邪をひいてしまうのが恒例のようなもの。

だから、今年は眠ってるあいだにも加湿器つけっ放しにしていたら、

なぜか今のところ風邪の兆候もあらわれず気分良好。

11月も今日で終わりの

こんな日はどんな音楽が良いだろう

布団の中でウツラウツラしながら考えていて

思いついたのが

武田和命(たけだかずのり)さんのGentle NovemberというCD。

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Gentle November
Kazunori Takeda
SC-7104
1.SOUL TRANE
2.THEME FOR ERNIE
3.AISHA
4.IT'S EASY TO REMEMBER
5.ONCE I TALKED
6.OUR DAYS
7.LITTLE DREAM
8.GENTLE NOVEMBER
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武田和命(テナー・サックス)
山下洋輔(ピアノ)
国仲勝男(ベース)
森山威男(ドラムス)
録音:1979年9月20、21日

このブログには「武田和命」という検索ワードでアクセスする人もいて、その人たちがどんな意図で故・武田和命さんの情報を求めているのか分からないけれど、確かに武田さんのことを書いたことがありました。

私のそんな文章などゴミ箱にドラッグの価値しかないけれど、記事に挿入した武田さんの秘蔵音源だけは、これが試聴できるだけでこのブログがそんじょそこらの泡沫ブログとは一線を画すと自負しているもの。

それを聴きたいひとはこのブログ内を探して!と突き放して、、、、。

Gentle Novemberにハナシを戻すと、このアルバムは、ジャズシーンから退いていた武田さんが、山下洋輔グループの一員として第一線に復帰してからの初リーダーアルバム。80年代初めにレコードで聴いたときは、山下洋輔のピアノの上手さを思い知らされたものの、武田さんのテナーはあまりにも『BALLADS/JOHN COLTRANE』のコピーに聞こえて、その後は忘れていたアルバムでした。

CDとして復刻されたそのアルバムを中古屋で買ってあったのを、通勤の友にウォークマンにセットして出かけたのが今朝のことでした。

初めて聴いてから20年以上経って、CDで改めて聴くGentle Novemberは、正にタイトルそのままに優しく私の頭の中で歌っています。1979年、このアルバムを吹き込むときはコルトレーンの「バラード」という名作レコードが念頭にあったにしても、武田さんのテナーは決してコルトレーンのコピーじゃなかったんだなぁ。

移り行く朝モヤの景色を見ながら

電車の中で聴くGentle Novemberは、

時間の過ぎ行く早さを実感させて

感傷的な気分をミョーに煽るのでした。

さて、、、、、。

アッチコッチのブログにも書いてあるだろうけれど、

明日から12月か・・・・・。

a

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2006年11月28日 (火)

下地勇のインストアライブ

2006/11/27(月)

下地勇のインストアライブを聴きに銀座山野楽器のホールへ。

以前、下地勇の最新CD『ATARAKA(あたらか)』を山野楽器で買ったとき、購入者特典として、このインストアライブイベントへの招待券がセットされていたもの。

山野楽器ホールは関係者も含めて約100名程度のこじんまりとしたお客さんの入り。下地勇はギターの弾き語りで、新作を中心に5曲くらい歌ったのかな。下地勇の音楽はCDで聴くよりも実際のステージの方が何倍も楽しいと思っていたけれど、当夜、約30分の加工していない“素”の下地勇を聴いて感じたのは、ギターテクニックといい歌唱力といい、2時間ほどのステージをピンでこなすにはちょっと単調すぎるかな~?ということ。やはり腕達者のバックに支えられて縦横無尽に騒ぎまくるというのが下地勇音楽の味のようです。もっとも、当夜のお客は静かすぎたというのも影響したのかな。

といいつつも、私は最後にはしっかりとサインをゲットし、握手までして分かれたのでした。

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宮古方言シンガー下地勇待望の新作
ATARAKA
下地勇
TECI 1138

その下地勇が、故郷宮古島への想いや音楽への情熱を語りつくした本が出ていますので紹介しておきましょう。

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下地勇/心のうた
オール・ミャークフツ・シンガーの原点
ボーダインク
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ファン待望!
下地勇
初の本格的なアーティストブック

プロの歌手になることを強烈に意図したわけでもなかったのに、その秘めたパーソナリティに気づいた人たちのプッシュで、“ミャークフツシンガー”という衝撃のデビューを果たし、人気者への階段を上り始めた下地勇。

沖縄人ミュージシャンが放つ「ヤマトでひとヤマ当てよう!」的あざとさの感じられない人だと思っていたけれど、「やはりこのヒトは根が真面目な人なんだよ!」というのが、この本の読後感。

ちなみに、
今回の新作『ATARAKA(あたらか)』は
宮古語で『かけがえのない星』という意味になります。
タイトルのこの意味が分かっただけで
下地勇の目指すものが想像できるというものです。
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2006年11月27日 (月)

千駄ヶ谷から原宿へ

自民党のゴタゴタも解決したのかしないのか、なんだかワケわからないままフェードアウトしそうなアンバイだけれど、こうなったらいっそのこと、復党賛成・反対の民意を問うという名目のもとに解散総選挙に打って出るというテはどうだろう?執行部の方針を全面的に支持する候補者は自民党公認、執行部に反対するものは非公認として対立候補の“刺客”をたてるというワケだ。ジュンちゃんの時代に前例があるワケだからイイんじゃない?是非そうやってよ。

昨日はパソコン不調でアップできなかったぶんを本日公開。

2006/11/26(日)

千駄ヶ谷の東京都体育館のプールで泳いだあと外に出てみるとアセアン系の女性3人が大きな荷物を抱えてニコニコしながら歩いています。アッ!そうか今日はフリーマーケットをやってるんだな?と気がついて、明治公園へ行ってみれば沢山の人出。

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ここ明治公園のフリーマーケットはフリマの先駆けだから出店数も多く完全に固定客を掴んでいるようです。

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会場を一通り冷やかすと、商売人やら半商売人、それに素人さん。そんな素人らしき若いお嬢さんからゲットしたのがコレ。

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最初、300円だというから渋った表情をすると、それなら200円でどう?ということでOKオーケー。サイズもピッタリ。

他に、欲しいバッグもあったけれど、ブランド品はやはり高い値付けなので、欲求を抑えて抑えてスルー。物欲より食欲とばかりに、明治公園向かいのホープ軒でラーメンを食す。

20年以上前、とんこつラーメンがまだ珍しかったころ、このホープ軒も屋台に毛が生えたていどの店構えの時に初めて食べて、こんなに美味いラーメンがあったのか!と感動した覚えがあるけれど、その後、食べるごとに普通の味になっていきます。この脂の浮き具合は身体に悪そう。

水泳で体力鍛えても、こういうのを食べたんでは意味がないかな?と反省。

ホープ軒のチャーシュー麺 850円也
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腹ごなしにぷ~らプラ。

村上春樹さんのピーターキャット前から鳩の森神社、さらに明治通りを経て生長の家の前から原宿駅へ出ると、竹下通りは相変わらず、年末のアメ横並の混雑ぶり。

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他に行くところがないんかい?!と言いたくなるような、

原宿近辺はどこもかしこも人ヒトひと。

ヤジオとしては

息苦しくなって、

早々にズラかってきたという、

11月最後の日曜日の身辺雑記でした。

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2006年11月25日 (土)

あのころ/川村年勝

『戦後日本のジャズ文化/マイク・モラスキー』という本を買おうと書店に行ったけれど在庫なし。しかたなく棚の背表紙を物色していると目についたのがこの本。

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あのころ
川村年勝
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北星堂
2005/09/21
¥1,300
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ジャズの黄金時代を築いた男に訪れた突然の悲劇。当時、ジャズミュージシャンを中心とした音楽事務所を経営。酒場セッションの中心は若き日の坂田明やタモリ。伝説の草野球チーム「ソークメナーズ」が誕生すると、重鎮の山下洋輔や奥成達から監督に任命され、毎年大島でキャンプを張って試合。睡眠時間は平均3時間。ジャズライブハウス「ピットイン」のステージ上で寝ることもあった破天荒な毎日。
バブルの絶頂期の汐留のイベントの打ち上げの席での“急変”はもはや当然のことだった・・・・・。
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著者の川村利勝という人は70年代末からジャズマンのマネージメントをしたり、大規模なジャズフェスティバルを成功させた有名なプロデューサー。時代にあった企画に加え、ミュージシャンの面倒見が良いことでも知られた人でした。

私がなぜそんなことを知っているかというと、私が田舎でコンサートの企画の真似事をしていたとき(70年代中頃から80年代初めにかけて)マネージャーとしての川村さんに何回かお世話になり、ミュージシャンとの固い信頼関係に結ばれている人だな~という印象を持っていました。また、地方の主催者のことを可愛がってくれる人で、次の企画の相談を持ちかけると、即関係者にハナシを通しておいてくれたり、いつも新譜の見本盤を送ってくれるような律儀なところがあった人でした。

その川村さんが自ら企画したイベントの打ち上げの席で倒れたのが1990年後厄44歳のときで、それから現在まで闘病生活は続いているらしい。

私は80年代中頃にパンクしてしまって、それ以来ジャズとはまったく無縁の生活を送っていたから、川村さんのこともスッカリ忘れていたけれど、この本によって川村さんの“その後”を知ることになったワケです。

川村さんの日常というのは、山下洋輔を取り巻くグループの一員としてとにかくハードワークだったらしい。どのくらいハードワークかというと、山下さん若き日の著作にジャズマンのメチャクチャな様子が書いてあるけれど、寝る間も惜しんでのドンチャン騒ぎにつきあい、遊びつかれたバンドマンが死んでる間にも、マネージャーとして対面する雑事の処理に当たらなければならないから眠る時間なんてありません。そんな長年に亘る不摂生の蓄積が脳内出血という形で現れたのでしょう。

この本は、脳内出血による左半身不随という後遺症から徐々に言葉と歩行を取り戻し、音楽シーンに復帰するまでを描いたもの。

我々は自分が健康で動き回れることを当然のことと思って気にもとめていないけれど、川村さんが受けた壮絶な試練を読んで、健康のありがたさを思い知らされます。川村さんは、倒れてから15年以上経た今でも、リハビリを続けながら音楽プロデュースの仕事に復帰しているそうで、そんな川村さんの音楽に賭ける情熱と執念に圧倒されてしまうのです。

「病は気から」と言われるように、思いがけずも病に倒れた人には、絶望の淵に立たされても夢を失わず決して逃げ出すことなく病気と戦っていかなければならないことを教えてくれます。

『あのころ』という書名で、かつて川村さんがマネージャーをしていたドラムの古澤良治郎に同名のアルバムがあったことを思い出しました。

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あのころ
古澤良治郎とリー・オスカー
1981年7月録音
日本コロンビア YF-7032-N
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ほのぼの音楽を聴いて
ホカホカになった。
ハートフルな男たちの友情から生まれた
暖かなメッセージ。
花の香のような微笑サウンドが、
いつでも
僕たちをハッピーにしてくれる。

リー・オスカーというと、以前このブログのどこかで、ディランの『コーヒーもう一杯』と共に、“私の前世を感じるメロディ”として音源入りで紹介したことのあるハーモニカ奏者。リー・オスカーと古澤良治郎を結びつけたのも川村さんの仕事でした。

古澤とリー・オスカーはとにかくウマがあったようで、全国ツアーをしたり、川村利勝プロデュースで数枚のレコードを残していて、その一枚がこの『あのころ』というアルバム。日本のファンが喜ぶような“胸をかきむしられるようなジャズ”ではないけれど、タイトルから想像できるように、陽だまりに和むような心地よいアルバムに仕上がっています。

このレコードが録音されたのが1981年だから、川村さんが倒れる10年くらい前のこと。それから25年後に著した闘病記に同じタイトルの『あのころ』と名づけたことは、川村さんにとってはこのレコードがよほど思い入れの深いレコードになるのでしょう。もしかすると病を得たからこそ到達した世界があって、その世界をこの『あのころ』の音楽が先取りして表現していたということなのかな。

『あのころ/川村利勝』を読み、

久し振りに

『あのころ/古澤良治郎 リー・オスカー』を聴いて

こんなことを思ったのです。

a

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2006年11月23日 (木)

オークションでゲット

もうすぐ12月。

冬支度をせにゃぁならんと倉庫から取り出したのはガスストーブ。

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このガスストーブは昨年ネットオークションで3000円くらいで手に入れたもの。もちろん無競争でスタート価格での落札だったはず。

ガス屋の爺さんは「お客さん、そんなモン(オークション)で買ったガスストーブ使って大丈夫ですか?責任もてませんよ」と心配顔。それに対して「パロマといえば一流会社だから、そんな変なモノじゃないでしょ」と使い、電気ストーブなんかよりよほど温かくて重宝したのが昨シーズンのこと。

そうしたら、今年の春ごろからパロマの温水器で死亡事故が発生したとかで大騒ぎ。パロマの企業体質がヤリ玉にあがって散々叩かれたパロマは、今でも危険性のある温水器の型番記した注意広告を打ってるくらいだから、イメージダウンも甚だしいものがあります。

私も、“一流会社”のモノだからだから大丈夫でしょ!と思っていたパロマ製品への信頼感がチョッと揺らいだけれど寒さには負けて、それでも一応ガス漏れ感知器を設置したりしてストーブをガンガン!加湿器をシューシュー!の毎日です。

こんなふうにイロンなものを仕入れたネットオークションだけど最近はご無沙汰気味。というのも、LPレコードやCD関係を中心に仕入れていたオークションも、所有欲をだいたい満たしてしまって、「アレが欲しい、コレを探してる!」というようなモノが無くなってしまったのです。

と、思ってたら、、、、、。

カメラバッグが必要だったことに気がついて、早速オークションを見てみると、ありましたね~!。極端に安いモノが。スタート価格400円というヤツだったので即400円で応札しました。もちろん、400円以上の値をつける競争者が出てきたとしてもセリ競う気はありません。私はブランドより値段第一なのです。

数日してから、「おめでとうございます。あなたが落札しました!」の通知。そんなバッグに応札したことをスッカリ忘れてしまってた。誰か他の人がもっと高い値をつけると思っていたのに無競争落札でした。

というワケで、指定口座にお金を振り込んだら翌日に配達されたカメラバッグがコレ。

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新品同様で400円にしては結構お得な買い物でした。

もっとも、

400円といっても送料550円+振込み手数料が何百円かかってしまったけれどね。

本体価格より送料が高いというんだから笑ってしまいます
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2006年11月21日 (火)

世界一周恐怖航海記/車谷長吉

最近のモーニングコーヒーのお供はこんな本。

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世界一周航海記
車谷長吉
文藝春秋
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車谷長吉。
60歳にして初の日本脱出
船上にて自らの半生を綴った100日間
異国の地で見聞きし、体験した「恐怖」の航海記

平成5年秋、新婚旅行の帰りの車中。「東京へ帰ったら、本郷に家を買ってね。」と、当時身分不安定な著者に言う嫁はん。それでも5年後には本郷に家を構えるという甲斐性を見せます。すると嫁はんの今度のオネダリは「いずれ船で世界一周旅行に連れて行ってね。」というもの。

外国になど関心もないし、行きたいと思ったこともない著者だけど、嫁はんのあまりの“らんこん”に日本脱出を決意。それもこれも、自分が行かなかったら一人でも出発しかねない嫁はんの態度に、もし一人だけで日本に取り残されたらどうしようという強迫観念に駆られたもの。

そんなこんなで、、、、、選んだのがピースボート。ホラ、「青年の船」などと一緒で、よく新聞広告や街頭ポスターで見かける、90日間ほどの航海で寄港地では上陸しながら、地球を半周するという企画。

もともと外国に行ってナニを見たい、ナニをしたいという動機があったわけでもなく、ただ、嫁はんの後をついていただけの著者だから、1000人の日本人客を乗せた船を日本社会の縮図として、船内で見るもの、耳にする噂バナシ等々すべてに腹立たしい思いがします。

そうそう著者がいたく感動したことは、上陸地で見た道路清掃人の姿くらいか。ゴミだらけの日本を、文明が発達すると街も人心もゴミだらけになるものだと罵倒し、寄港地で見た、道路をゴミひとつないほど掃き清めている作業員を聖人にたとえ感動するというもの。

「なるほど、こんな旅行記もあったのか!」

この本からは旅行者として外国に接する期待も高揚感もナニも感じられないから、著者の体験を共有したく旅に出たくなるというような、旅行記にありがちな読後感がいっさいわき上がってこないという不思議な旅行記でした。

それでも最後まで一挙に読ませてしまうのはやはり著者の特異な才能なのでしょう。

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2006年11月19日 (日)

のぼせもんやけん/小松政夫

「のぼせもん」とは博多の言葉で、すぐに夢中になる、熱中しやすい人間のことを言います。

小松政夫の出世ギャグ、例えば「知らない知らない知~らない」と身をヨジるギャグは東京トヨペットのセールスマン時代の同僚の仕草を真似たものだったというのは有名なハナシ。この本は名優小松政夫が、映画スターを目指し、博多を出て横浜に住む兄の部屋に転がり込んでから、芸能界入りするまでの18歳から22歳のことを中心に語ったもの。

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のぼせもんやけん
昭和30年代横浜セールスマン時代のこと
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小松政夫
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竹書房
2006/06/22
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そうそう!!昭和の会社は、
家族だったんだよね。
いまや芸能界の大御所となった小松政夫が、
今まで正面から語られることのなかった
芸能界以前の時代を綴る。
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市場の下働きを経て事務機のセールスマンになり、横浜トヨペットに引き抜かれトップセールスマンになるも、芸能界への夢捨てきれず「植木等の付き人募集」に応募して600人の中から採用されて、芸能界入りするまでの爆笑履歴書。ただし、著者あとがきにも書いてあるけれど、ハナシをかなりオーバーに書いたそうだから、実際にはこんな愉快なことばかりじゃなかっただろうけれど、、、、笑えます。

そして、、、、、。

ありきたりだけれど、夢を諦めないということがいかに大切か、才能と精進さえあれば、それを誰かが見ていて、きっと拾い上げてくれるということをこの本は教えてくれます。

この本を読んで、イッセー尾形の一人芝居に小松政夫がゲスト参加したときのビデオのことを思い出した。

というワケで、その画像を紹介いたしましょう。

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取引先の親睦会で相部屋になった2人。両者とも代理の代理というような感じの参加で、どうやらイヤな役目を押し付けられたらしい。初対面同士、お互いに相手の器量を読み計りながら接点を見出そうとするけれど、ハナシが噛み合わず気マズイ空気が漂います。やがて大広間の宴会場に移り、会社の手前一応常識的なセンで宴会を盛り上げようと苦心する小松政夫と、わずかの酒でハメを外してジャガーチェンジ(by:山下洋輔)、日ごろのウップンを晴らすかのように乱れるイッセー尾形。

下請け会社の悲哀が良~っく現れています。

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かつては人気ものだった手品師小松政夫とパートナーのイッセー尾形。今ではドサ周りでなんとか生活を支えています。今夜もキャバレーのステージ袖で、出番を待ちながらかつての栄光の時代を語り合い懐かしんでいます。やがて出番になって手品を始めても、酔客はそんなもんにダ~レも興味を示すことはありません。客にもホステスにも無視されながらも、それでもなんとかステージをこなし退場すれば、疲れがドッときて倒れこむ小松政夫。

これもまたウラぶれた芸人の末路だなぁ。

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とある場末のビルの一室。社長と呼ばれる小松政夫はパンチパーマで、部長と呼ばれるイッセー尾形は前歯が欠けたままという、いかにもインチキ臭いご両人。今日も「社長!」「部長!」とお互いに呼び合いながら、テレビの高校野球を見ています。どうやら他に従業員はいないらしい。そんなところにお客からの電話が入り、その内容から、この会社は年寄り専門の詐欺会社だということが明らかになっていきます。

この商売もこれで終わりだな、、、、。それまでは「社長」の“訓話”をしおらしく聞いてるフリの「部長」が手切れ金を要求するシーンの張り詰めた空気は正に鳥肌もの。

どこまでが台本でどこまでがアドリブなのか分からない、イッセー尾形×小松政夫が四つに組み表現した世界は、「アッ!こんなヒト見たことある」と気づかせもし、「コレは、もしかすると、オレの姿なのか?」と思わせる世界でした。

1話だけ観て寝ようと思ったけれど、
イッセー尾形と小松政夫という
名優怪優に取りつかれて、
ついつい
3話まで観てしまい夜更かしの晩秋でした。
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2006年11月17日 (金)

中山ラビとトーキョー喫茶時間

南の人には「もうそんな季節?」とビックリされそうだし、北の人には「チェッ!ナニ言ってんだ!」と言われそうだけど、この数日は、そろそろストーブの準備をしなければと思わされる寒さが続いています。それでも、朝夕の冷え込みの割りには日中は温かく、今日も昼飯後の腹ごなしに神保町をブラブラ歩いて三省堂書店に入ると、平台に目についたのがこの雑誌。

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散歩の達人
トーキョー
喫茶時間
散歩の達人MOOK
交通新聞社発行
平成18年12月25日
\838

表紙に惹かれてペラペラめくってみると、頑固一徹マスターのいるお店、メニュー豊富なお店、景色と一体になったお店などなどユニークな喫茶店を特集しているMOOK本。

この記事の中に『永久不滅音楽喫茶』というコーナーがあって、“コーヒーには音楽”ということなんだろうけれど、◎名曲喫茶、◎ジャズ喫茶、◎タンゴ喫茶、◎フォーク喫茶、◎ロック喫茶、◎ミュージックカフェ、、、のコンテンツで名物喫茶店が紹介されています。

◎フォーク喫茶の項を見た私はニヤリ。

そう、ほんやら洞が紹介されているじゃあ~りませんか。しかも中山ラビさんの写真入りとはウレシ~。ライブステージで見るラビさんとは別の穏やかな表情です。

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記事によれば京都にオープン(1972年)した本家『ほんやら洞』の姉妹店というような形で、5年後に国分寺に開店したそうで、初代オーナーが店を投げ出したあとを引き継いだのが中山ラビさんとのこと。

また、この記事によれば漫画家のいしかわじゅん、作家の花村萬月が常連だったと書いてあるけれど、いしかわじゅんで思い出した。

いしかわじゅんさんの出世作にこんな漫画があります。

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蘭丸ロック
いしかわじゅん
大都社
昭和55年11月20日発行
定価490円

じつは、この漫画の舞台は『ぼんやり洞』という喫茶店で、モデルはもちろん『ほんやら洞』。そして中山ラビさんもデフォルメされて出演していました。

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この漫画でのラビさんは、ときには「お姉さん」、ときには「おばさん」と、いしかわじゅんさんにイジられていて、イカッたラビさんはいしかわじゅんさんを出入り禁止にしたとかしなかったとか・・・・・。真相のほどはわからない。

今でこそいしかわじゅんさんはテレビのコメンティーターとしてニコヤカな笑顔を見せているけれど、ほんやら洞をめぐってこんな過去もあったワケだ。

いしかわじゅんさんの作品はギャグにしても、確かに昔の喫茶店は“地域文化をリードする”としてイロイロのドラマが生まれるスペースにはなりえたと思います。そんな昔カタギの喫茶店が今でも生き抜いていることはとても嬉しいことです。だって最近の喫茶店というのは、同じインテリア、同じ器械味のコーヒーと、味も素っ気もない店ばかりなんだもの。

それにしても、

ほんやら洞が1977年オープンだとすると、来年は開店30周年か!

何かイベントを計画しているのでしょうか。

歌手としての活動を続けながらお店を維持するというのも生半可な気持ちではできないこと。よほど思い入れ深いお店なんでしょう。

a

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2006年11月15日 (水)

ジャック・バランスはジャック・パランスだった

勘違いしていたけれど、ジャック・ランス(JACK PALANCE)が本当でした。

私は今の今までジャック・ランス(JACK VALANCE)だとばっかり思っていたわけだ。

2006/11/11(土) 毎日新聞夕刊
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この記事では名作『シェーン』での殺し屋役を演じたと書いてあるけれど、印象に残ってないなぁ。それよりも『シティ・スリッカーズ』で、カウボーイ体験ツアーに来た都会のヤワなサラリーマンをイビリ倒す、憎っくき老カウボーイ役の方が強烈でした。

でも、でも、、でも、、、ですよ。

私にとってはジャック・パランスといえばコレですよ。

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バグダッド カフェ

砂漠の中にポツンとある

ガススタンドとモーテルとドライブインを兼ねた

『バグダット カフェ』。

客もなくウラブレ果てた店内で、ヒステリー気味の女店主ブレンダは亭主が出ていったことも重なりいつも以上に荒れています。

そんな砂漠の店にどこからともなく現れた太っちょのドイツ女。

正体不明のこの女はモーテルに部屋をとり、店の掃除を手伝ったり子どもをアヤしたりするうち、ジャスミンと呼ばれて周りの人間にも愛されていきます。ジャスミンは触れ合う人を大らかな気持ちにさせてくれる女性で、彼女の披露する手品は『バグダッド カフェのショータイム』として評判を呼び、それまで閑古鳥の鳴いていた『バグダット カフェ』は、彼女を目当てのお客で今では街道一の賑わいをみせるようになります。

そんなジャスミンに思いを寄せるのが、同じモーテルに長逗留している老画家のルディ(ジャック・パランス)。

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ニューエイジ系の絵を描くルディと、天女のようなジャスミンは

いつしか惹かれあっていくが、、、、しかし、、、、、、、、。

と、

あらすじをこんなふうに記憶していたけれど、今回、ジャック・パランスの死亡記事を読んでから、改めて『バグダッド・カフェ』のDVDを借りてきたら、これが『完全版』というヤツで、「その後のジャスミン」というような続編がプラスされていたワケです。

それによると、、、、、。

イヤイヤ、ネタバラシはやめときましょう。

とにかくこの映画、ジャスミン、ブレンダ、ルディを筆頭に出演者の設定が素晴らしい。

ヒマな店でアクビをかみ殺しているメキシコ系のバーテン。日がな一日店の片隅でピアノの練習をするブレンダの息子と、いつも遊び呆けている娘。モーテルを根城にしているイレズミ師の女。ブーメランを飛ばすだけが生きがいのようなバックパッカー青年。それにブレンダに追い出された亭主。

これらいわくありげな人々が、ジャスミンの魔法にかかったかのように生気を取り戻していく様子に、こっちもハッピー!ハッピー!。ちょっと気分が落ち込んだようなときの気分転換には最適の映画です。

そのジャック・パランスの出演作品として
『バグダッド カフェ』を書いてない毎日新聞の記事も
いい加減なモンだなぁ

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2006年11月12日 (日)

藤沢周平 父の周辺

東京では木枯らし1号が吹いたというニュースがあった今日の日曜日。

もうそんな季節になってしまったんだなぁ。

秋晴れの下、丹沢連峰の向こうに富士山がハッキリとアタマを出しています。

東名高速
下り方面はガラガラだけれど、上り方面は大渋滞。
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こんな本も読んでみようか。

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藤沢周平 父の周辺
遠藤展子(えんどうのぶこ)
文藝春秋
2006/09/15
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ひとり娘が初めて綴った、
素顔の藤沢周平。
生涯、「普通が一番」と言い続けた父。
何気ない日常が宝物だった----。

私は藤沢周平さんの熱心な読者ということでもなく、たまに藤沢作品のドラマを見ては、藤沢周平さんの庶民階級へ向けた温かな眼差しに心和む思いをしている程度のファンです。その藤沢周平さんのひとり娘・展子さんが父との思い出を綴ったのがこの『藤沢周平 父の周辺』。

業界紙の記者から小説家になり、やがて直木賞受賞によって世に知られるようになる父の姿は、誠実、質素、偉ぶらず、向学の志、家族愛、“凛”とした生き方、正に藤沢作品の舞台となる海坂藩の武士の姿そのもののようです。

どちらかというと、融通がきかず不器用な生き方しかできない藤沢周平さんの創作活動の影には、偉大なるお母さん(つまり藤沢さんの奥さん)の存在があったんだなぁということをこの本で気づかされたのです。この本の主人公は、お父さんの藤沢周平さんよりも、お母さんの方といっても良いかも知れません。

「普通が一番」、父がいつも言っていた言葉です。

著者は書くことの訓練をした人でもなさそうで、

その朴訥な文章が、かえって藤沢周平さんの人となりを表現しえているようです。

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隣家のネコもノンビリと日向ぼっこを楽しめて幸せそうです。
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穏やかな気候の
良い日曜日でした。

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2006年11月11日 (土)

インドカレー屋のBGM

インドカレー屋がホントに多くなっています。

それも和式カレー屋というよりは、インド人のコックがいて、インド人のウエイター、ウエイトレスがたどたどしい日本語で、「イラシャマセ~!」という式の本場インドカレー屋のこと。いままでの法規制がとれたかのように急に増えてきたようです。

そんなナガレに連動したのかこんなCDまで出ていました。

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インドカレー屋のBGM
VICL 61685

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インドカレー屋で流れている

謎の音楽はこれだった!

インドカレー屋でいつも気になっていたあのBGMがついにCD化!

全国1000万インドカレーファン感涙のCD、
遂に登場!

これは妖しすぎるっ!

大槻ケンヂ×宮沢章夫 特別ロング対談
「人は何故カレーが好きなのか」収録

このCDさえあれば
自宅が本格派インドカレー屋に
一瞬で変わり

カレーを食べないときでも
インドフレーバー溢れる妖しいBGM
として使用できます。

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このCDで面白いのは、解説を兼ねたブックレトで、大槻ケンヂと宮沢章夫という人の対談。以前このブログでも紹介したインドカレー界の老舗、銀座ナイルでの対談だったそうで、両者がインドカレー熱愛度のホラ吹き合戦で盛り上がっていると、店長のナイルさんが突如乱入して対談をカキ廻す場面。イヤ~、ナイルさん相変わらずのギョロ目で飛ばすもんだから、百戦錬磨の元筋肉少女帯もタジタジ。

肝心のCDの中味は特に面白いモノではありません。

三軒茶屋から世田谷通りを狛江へ向かう僅か10キロソコソコの距離に、インド人コックがいるカレー屋を3軒知っています。車で走っていて店のウインドウ越しに見えるところでコレだから、もうチョット道路の奥まで範囲を広げたらこの何倍ものインドカレー屋があるだろうと想像されます。

その世田谷通り端で、何か店舗工事が始まってるな!ラーメン屋だろ?と車から見ていたら、オープンしたのがまたしてもカレー屋。店の奥には何人ものインド人らしき顔が見えるから本格的カレー屋なのでしょう。私もモノ好きだから早速探検にいってきましたよ。

10数坪程度の小さな店で、店に入ると「インドカレー屋のBGM」じゃなくって、天井から吊るしたモニターテレビから流れているのは、あくまでもノウテンキなインド映画のビデオ。甲高い声のオンナに、男の声が絡んで、食あたりにでもあったように突然狂って踊り出すというヤツ。

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インド人らしき愛想の良い主人からリサーチしたところでは、彼はイスラマバード出身のパキスタン人。彼の渡してくれた名刺を見れば、なるほどナルホド、、、本職はこのテのパキスタン人には定番中の定番の中古車販売業。パキスタン人のカレー屋の前身は大体コレですね。

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植木に水やりしたり、ウエイトレスしたりと、かいがいしく動いている日本人女性は奥さんで、家には4歳の子どもが待ってるといいます。アメリカとかイロイロな国に行ったけれど、日本が一番商売しやすく暮らしやすい!とのお言葉。

そうでしょそうでしょ、せいぜい儲けてくんなまし。

こんなセッションの後、KHANA(カナ)で食したカレーがコレ。

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Bランチ(850円)
キーマカリー、マトンカリー、ナン、ライス、サラダ

ちなみにKHNA(カナ)とはパキスタンで「食べる」という意だとのこと。

世田谷通りを町田方面に向かい、環八を越えた、国立成育医療センターの向かい側あたりですから近くをお通りの節はどうぞお立ち寄りください。

ということで、夫婦のツーショット写真を撮って、私は義理堅いから即プリントアウトしてプレゼント、日パ友好に少なからず貢献したというワケです。

こんなふうに異邦人がアパートの隣で生活していたり、

普通に店で働いているというのが現代なのです。

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2006年11月 9日 (木)

吉田カバンのムック本

ブッシュさんはこのまま沈没していくんだろうけれど、それに引き換え、小泉のジュンちゃんというのはホントに特殊な星のもとに生まれた人なんだろうな~。だって、まだ日本の首相やってたらブッシュさんと一緒にボロ雑巾になるところだったもの。

電車の中で向かい側のヒトが読む新聞をながめながらこんなことを思った本日のモーニングコーヒーのお供はこんな本でした。

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smart特別編集 e-MOOK
PORTER 2006
AUTUMN/WINTER PERFECT BOOK
2006年11月20日発行
宝島社
\838-
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「一針入魂」を社是とする吉田カバンの作るカバンは、無意味な装飾を排した質実剛健実用本位一直線。創業70周年という老舗ながら進取の気性錆びつかず。貪欲な開発精神の基本にあるのは遊び心。要は作る側も、使う側も、それぞれの日々の暮らしをいかに楽しくするかということ。たしかに値段は高いけれど(アップルコンピュータと同じで値引きはしてくれない)、こんなカバンを何年何十年と使って自分の身体の一部にするのが本当のお洒落というものです。

めっきり晩秋を感じる今朝の寒さ

熱いコーヒーをお替りしながら

こんな本のページをめくっては

楽しんだ仕事前のひとときでした。

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2006年11月 6日 (月)

なぜ生きるんだ/坂口安吾

朝の読書をと思い、いつものように駿河台下のファミレスに入ると、5-60人の男女がテーブルに突っ伏して眠っているという異様な光景。ようやく空席見つけて、顔なじみのウエイトレスに「ナニゴト?」と声を潜めて気訊けば、彼女も心なしか小さな声で「近くの大学の学園祭が終わって、、、、その打ち上げがあったらしいんです」の答え。

「近くの大学」といえばオー!メイジ~か?

どういうナガレなのか知らないけれど、なにもこんな所で団体で仮眠とることもないだろッ!

責任者出て来い!!!

マァマァ オッチャン 抑えて押さえて!!!

というワケで、本日のモーニングコーヒーのお供はコレ。
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なぜ生きるんだ。
自分を生きる言葉
坂口安吾
イーストプレス
2006/10/30
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孤独な魂に、安吾は効きます。
僕が他人の言葉で芝居を作ってみようと思った時、
まっさきに浮かんだのが、坂口安吾でした。
かっこいいよね。   野田秀樹
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何かを求めているなら、きっと安吾は
その奥にしみこんでいくに違いない。 坂口綱男
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異端で無頼派の作家、坂口安吾の一人息子である
坂口綱男による父、坂口安吾の「言葉」のメッセージ。

こういう本は順序だてて読まなくっても、手元に置いといてランダムにページを開くもの。

そうすると案外そのときの自分の心にピッタリの言葉が現れたりするものです。

試しに、ちょっとページをめくって、言葉を拾い出してみようか。

ただ、生きているだけだ。
それだけのことだ。
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青春再びかえらず、とはひどく綺麗な話だけれども、
青春永遠に去らず、とは切ない話である。
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働くことは常に美徳だ。
できるだけ楽に便利に能率的に
働くことが必要なだけだ。
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古いもの、退屈なものは、
亡びるか、生れ変るのが当然だ。
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死ぬることは簡単だが、
生きることは難事業である。
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私はただ、私自身として、生きたいだけだ。

「幸せはいつも自分の心が決める」なんて、ノウテンキなことのたまうお方の言葉とは重さが違います。

坂口安吾の言葉を拾い読みしているあいだに、

リーダーらしき青年が各テーブルを回って仲間を起こし始め、

店を出ていきやがった。

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2006年11月 5日 (日)

カポーティとフラガール

この3連休も穏やかな天気で気分の良い日々でした。

相変わらず遠出することもなく近場でプラプラ。

3連休となるとやはりノンビリ度が違いますね。

このところ身体のダルさを感じられて、日課の水泳も500mとウォーキングだけでゴマかしていたけれど、今日は水に入ってひとカキしただけで「ウン!調子良い!」と感じるほど。昨日観た映画『フラガール』がカタルシス作用を及ぼしたか。

ということで、

この連休中に観た2本の映画を紹介しておきましょう。

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カポーティ
監督:ベネット・ミラー
本年度アカデミー賞 主演男優賞受賞!

トルーマン・カポーティの『冷血』はずいぶん昔に読んだけれど、殺人犯へのインタビューで構成したルポルタージュ作品という程度の記憶だけで、どういう内容だったのかはすっかり飛んでしまっていた。

この『カポーティ』は、人気作家トルーマン・カポーティが自室で一家殺人事件の新聞記事を読んでいるところから始まります。「この事件は小説のネタになる」。作家としてのカンでそう判断したカポーティは即座に取材活動を開始します。なにしろ『ティファニーで朝食を』の作者ですから、その知名度を生かし所轄警察の署長への食い込みも成功。逮捕された犯人への面会もフリーパス状態で可能になります。

取材を重ねていくごとに、犯人の生い立ちと自分の生い立ちの相似点を見つけ、互いに心を通わせる二人。いつしか、犯人への取材はカポーティ自身の心を見つめ解放するかのようになっていき、カポーティを錯乱状態へと陥れることになるのです。

ストーリー展開そのもののような、全編暗く粗いトーンの映画で、スペインの太陽さえもがアイルランドあたりの沈みかけた太陽のようです。何かを書くということは、これほどまで対象にのめりこまなければならないことなのか?と、物書きの業の深さを見せつけられた映画でした。

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もう一本の映画はコレ。

今ではハワイなんて珍しくもなんともないけれど、かつては「夢の島」「常夏の島」としてのハワイ憧憬が存在していた時代がありました。

そういえば私らの世代では「ハワイへ行ってきた」といえば

  キャバレー・ハワイ?  常磐ハワイ?

などというギャグが使われたことなどを思い出します。

いまどきこんなギャグ使っても「?????」通じないでしょうね。

この『フラガール』という映画は、斜陽炭鉱町に一大リゾートセンターを作ろうという、常磐ハワイアンセンター創世記の物語。

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フラガール
監督:李相日
炭鉱の危機に立ち上がれ!
愛と勇樹のエンターテイメントショー
40年の時を超え語られる奇跡の実話。

かつて「黒いダイヤ」と呼ばれ日本の産業を牽引し隆盛を誇った石炭産業は、エネルギー革命という時代の流れに対抗できず、衰退の一途をたどりつつあります。東北の炭鉱町も、ヤマは閉山に追い込まれ、従業員も整理解雇されて、将来への希望が見出せずドンヨリとした空気に包まれて沈んでいます。

会社が存亡を賭けてスタートさせたプロジェクトは、豊富な熱資源を活用した日本では初めてという一大総合リゾート地として再生しようというもの。そんな会社の方針に戸惑い反対するヤマ一筋の世代と、未知のものを取り入れて生き抜こうという世代の軋轢で街には不穏な空気が漂い始めます。今で言うところの“第3セクター”などという言葉もなく、もちろん“リゾート”という言葉自体が珍しいし、“レジャー”という言葉も使われ始めた時代のことです。

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寄せ集めのフラダンサーの指導に東京から来た、SKD出身というフレコミの女。彼女を迎えたのは、フラダンスでリゾート施設の目玉を作るべく親会社から派遣された風采の上がらない課長と、ダンスの“ダ”にも、もちろんフラダンスの“フ”にも縁遠い炭鉱の娘たち。ヤマの人々の冷たい視線の中、ウラブレた炭住で荒れる、なにやらワケありの元SKD。

ストーリーは最初ッから決まっています。

元SKDと炭鉱娘は衝突しながらもお互いに成長し、周囲の理解も得て、沈没寸前だった街を再生させるという展開。涙あり、笑いあり、恋あ、、、色恋はないけれど、最後には素人フラダンサーの圧倒的舞台へナダレこむという常套手段。

徹底的に泣かせて解放する術は問答無用の面白さ。

ジェイク・シマブクロのホノボノとした音楽も素晴らしい。ハワイアンがこれほど人の心を癒してくれるのかと再認識。

えあじんが自信をもって推薦する映画ですから、どうぞご覧のほどを。

こんなふうに
『カポーティ』と『フラガール』という
“陰”と“陽”好対照の映画を観たりして
ノンビリと過ごした連休でした。
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さて、今夜は
ジェイク・シマブクロのウクレレ聴きながらキムチ鍋を喰い
その後に、
『ティファニーで朝食を』のビデオを観るという
ハードディスクがフリーズしそうなことをしようか。

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2006年11月 4日 (土)

友部正人から有楽町で会いましょう

昨夜は下地勇の章をソソクサとアップしてからNHK「フォークの達人」で友部正人を見ていた。この人もまた70年代から活動してる人だけれど、この人には年月の経過は関係なかったのか?と思えるほど、あの当時と全く変わらない容貌、変わらない声なのには驚いた。

友部正人の懐かしい曲の弾き語りで始まった番組は次に、このブログにも何回か登場したジャズピアニストの板橋文夫が登場。

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板橋文夫にはもともとジャズだとかフォークだとかのジャンルわけの意識は薄く、友部正人のライブにも何回かゲスト出演していたから、そんなつながりでの今回のゲスト出演だったのでしょう。友部正人の歌を引き立てようとしたのか、いつもの“ダイナマイト板橋”を抑え気味で上品になっていたのがちょっと残念。

中間に出演した「パスカルズ」というユニットは永畑雅人というピアニストが中心になって結成された10数人編成のアコースティクバンド。このユニットはジプシー音楽からの影響も感じられ、強いてジャンル分けすると“ワールドミュージック”ということになろうか。あのイカ天で有名な『たま』のメンツも参加しているのだ。

リーダー格の永畑雅人はバンドでは“ロケット・マツ”と称しているけれど、“ガイキチ”友川かずきをタイコの石塚俊明と共に支えている人。以前、友川ライブで「永畑さんは今度フランスツアーで日本を留守にするので、しばらくの間はワタシ一人でのライブということになります。フランスだよフランス!生意気に!!!」などと“友川流送る言葉”を発していたように、このパスカルズはフランスでは随分有名なバンドらしい。

友部正人のサポートバンドとしてのキャリアも長く、友部正人の音楽を引き出すには適任のユニットでした。70年代フォークというと、とかく懐古趣味だけで止まってしまいがちだけど、常に新曲を発表し、新しいサウンドを追求し続ける友部正人の姿勢にはこれからも注目していきたい。そして、これらのシンガーと同時代に生きてこれたことを幸せに思いたいのです。

3万5千人にはほど遠い存在だけれど、これら70年代フォークの先達の「成功・失敗・栄光・挫折」があったからこそ、現代のJポップ隆盛があるということを私は言っておきたい。

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下の画像は日比谷で映画を観ての帰りに撮った画像で、JR高架下の焼き鳥屋街の画像。開店前、どの店も店内では焼き鳥を串に刺す作業の真っ最中。開店まではまだまだ時間がある3時ころからこの一帯は既に煙って見えます。

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下の画像もその高速道路下の小路なんだけれど、抜け道なのか何なのか、魔界へ続いているようなこんな不気味な小路を、若いお嬢さんが一人で歩いているんだから、日本というのはホントに安全な国なんだなぁとつくづく思ったわけです。

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ついでにもうひとつサービスしておきましょう。
この動画は昨夜下地勇の古い動画を探していたら見つけたモノ。
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晴海通りとJRとが交差する有楽町の地点。
たしかコリドー街といったかと思います。
高架下片側の壁一面には古い映画ポスターが貼ってあります。
どれもが昭和中期の名画ばかりで、
歩いていてタイムスリップしたような感覚を味わえます。
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「yurakutyou.wmv」をダウンロード
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あなたはいったい何本の映画を確認できたでしょうか?
焼き鳥屋街といい、
時代の先端を行ってるような有楽町にも
こんなところが残ってるんだなぁ。
ガード下にはイロンな不気味なストーリーが埋まってるような気がします。
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2006年11月 3日 (金)

下地勇のATARAKA(アタラカ)

下地勇の新しいCDが出ていたのでアルバムとシングルを買ってきた。

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ATARAKA(アタラカ)
下地勇
TECI1138(アルバム)
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宮古方言シンガー下地勇 待望の新作
難解、聞き取り困難、奥深い、コミカル、ホントに日本語?
様々な表現があてはまる宮古フツ(方言)の世界へようこそ!
方言でしか伝えることのできない、力強さ、温もり、
人間味が凝縮された入魂の1枚!
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アタラカの星
下地勇
TECI108(シングル)
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沖縄・宮古島の英雄が宮古方言でお届けする待望のシングル!
“かけがえのない星”という意味を持つ壮大な新曲は、
下地勇の代表曲となること間違いなしの傑作!

私が下地勇の名前を知ったのは2002年。沖縄市(旧コザ市)で開催される『トラ・トラ・トラ2002』という催しに出演する中山ラビを追いかけて沖縄に行ったときのこと。

那覇の国際通りをブラブラしていると、中古レコード屋の看板を見つけ、レコード屋と本屋を見れば入らないと気が済まないという病気持ちだから(特に旅先では)、全国共通カビ臭い店内でチェックしていました。さっきから何か気持ちよい音楽が流れていて、その気持ちよさは東南アジア系と思われる言葉の柔らかさからきてるようです。目は手元の中古レコードのジャケットに、耳は流れている音楽に向けていると、歌詞の中にときどき日本語の単語が聞き取れます。「どこの国の歌手だろう?」と気にしていると、曲はさだまさしの『関白宣言』が国籍不明の言葉で歌われだしたのです。

そこで、ついに辛抱たまらず、誰が歌ってるのか?と店の人間に訊くと、返ってきたのが下地勇という名前だったのです。東南アジア系だと思った言葉は宮古島の言葉で、下地勇はポップスを宮古方言で歌っているというワケです。“冗談音楽”にしては上手にできているし、沖縄土産にちょうど良いと買ったのが下地勇とのファーストタッチだったのです。

“冗談音楽”と思ったCDだったけれど、聴けば聴くほど味が出てきて、身体全体を優しく包みこんでくれる音楽で、通勤時はCDウォークマンにセットして毎日聴いていた時期もありました。沖縄出身といっても、琉球音階を離れて、あくまでも西洋風ポップスにこだわった歌で、やはり、宮古言葉の柔らかさと腕達者なバックミュージシャン、それに、レゲー、フォルクローレ、シャンソンなどなど、エゲツないほどパクリまくった曲調がとても聴きやすかったこともあります。

そんなこんなで、そのファーストアルバム『天』というアルバム一発でファンになって、関東でのライブがあると聴きに行き、新人とは思えないパフォーマンスに圧倒されて、「宮古のプレスリー」と名づけては面白がっていたのです。

あとで聞いたところでは、父親の誕生日に、E・クラプトンの『サンフランシスコ・ベイ・ブルース』に、宮古言葉の歌詞をつけた弾き語りカセットテープをプレゼントしたら、そのテープが密かに出回って評判を呼んだとのこと。だから、その『天』を発表した当時は、沖縄のサーフィン用具を扱う店のサラリーマンだったそうで、ライブがあるたびに有給休暇とっては音楽活動という二股生活だとのこと。(現在は音楽活動1本でやってるんだろうか)

新しいタイプの沖縄出身ミューシャンの出現に、そのうち大ブレークするぞッと、新譜が出るたびに買っては応援しているけれど、一般への浸透度はまだまだのようで、一部の沖縄ファンの間でとどまっているのは残念。彼のような人がもっと注目集めても良いのにと思っているのです。

それで、今回のニューアルバムだけれど。

やはり、明るく楽しく健やかに!難しいことはよう言わん!日本語離れしたミヤコフツ(宮古言葉)の世界に遊びました。

そして、下地勇の実際のライブはこのCDの何倍も楽しく、ライブ情報見かけたらぜひお出かけください。きっと、明日へのエネルギーを注入された思いがすることを請け合うことを言っときましょう。

そんな下地勇のライブ動画がありますから、“文化の日記念”にアップしておきましょう。関東在住の宮古島出身者のお祭り『アララガマフェスタ・2004』に出演したときのもので、ファーストアルバム『天』から『♪捨てぃうかでぃな』という曲です。

「61103_1shimoji_isamu.wmv」をダウンロード
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(Quick Timeはこちら)
「61103_2shimoji_isamu.mov」をダウンロード
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さて、
NHKBSで友部正人の放送が始まったので、
とっととアップして
テレビを見ましょう。
♪中央線よ彼女の胸に突き刺され~
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2006年11月 2日 (木)

イケダセンセイノセカイ

神田神保町は伝統の古書店街とともに、スポーツ用品店街としても知られた街です。もう11月になって、それらの店はウインタースポーツ用品の商戦真っ盛りとなっています。

というところで、

今朝のモーニングコーヒーのお供はこんな本でした。

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イケダ先生の世界
青い目の記者が見た創価学会
The Fabulous World of Soka Gakkai
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ベンジャミン・フルフォード
Benjamin S.Fulford
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宝島社
2006/10/21
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サムライ・ジャーナリスト
“Sensei's World”を行く
USA進出の知られざる過去、財力、
政教一致論争・・・・・・・・・・・・・・・・
そしてメディアタブーの構造!
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そろそろ「悟り」を開きませんか?
ノーベル平和賞も夢じゃありませんよ

ワタクシは、例えば新聞朝刊や通勤電車内の中吊り広告で、ナントカ博士と「世界平和」について語り合ったなどという記事の見出しを見せられたりすると気分が悪くなるし、坊主憎けりゃのデンで、ハービー・ハンコックのCDも敬遠しがちになったという種類のニンゲンです。

こりゃぁもう、理屈じゃありません!

生理的なモンです!!!

そんなワタクシが、、、、

イヤイヤ、、、、、

そんなワタクシだからこそ、

こんな本を読んでいるのです。

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2006年11月 1日 (水)

栄枯盛衰世のならい

今でもキーワード検索の多い神田駿河台のとんかつ屋「駿河」にハナシを戻すけれど。

この「駿河」は神田駿河台下の靖国通りから明大通りに抜ける細い坂道、富士見坂の途中にある店。富士見坂というくらいだから、ワンス アポナ タイム、、、、ここからは富士山が見えたのでしょう。もしかすると芝浦の浜も見えたかもしれません。

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坂を上りきって明大通りと交差するあたりには大久保彦左衛門屋敷跡という石碑もあるから、“天下のご意見番”をタライのかごに乗せた一心太助が走り回った由緒ある坂かもしれません。もちろん今ではそんな江戸時代の景色を窺い知ることはできないほど両脇は商店になっています。

富士見坂には靖国通りの「自遊時間」という店と靴屋の間を入っていくことになります。「自遊時間」というのは、旅行ガイドや中古レコードなど趣味度の高い商品を集めた店で、三省堂別館という位置づけのようです。

それで、これからが今日の本題になるのですが、この「自遊時間」という店は以前住友銀行の支店が入っていた建物でした。それが支店の統廃合でいつのまにか書店になってしまったという履歴をもつんですね~。

(其の壱)
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そこで、

フト私は思うわけです。

とりあえず次の画像を見てください。

(其の弐)
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(其の参)
61022_2
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(其の四)
61022_3
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(其の伍)
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a
(其の六)
61022_5
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(其の七)
61022_7
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(其の八)
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じつは、これら8枚の画像は全部元銀行の支店が店舗を構えていたビルなのです。かつての大銀行の支店がいつのまにか喫茶店や既製服屋になってたりしてるワケです。

私が昼休みや夜にいつもプラプラしている、神田駿河台下交差点から半径2-3kほどの狭い範囲の中でコレですから、この範囲を広げたら“消えた銀行支店”はどれほどの数になるのでしょう。それぞれに何十人かの行員がいたワケだから、その人たちは一体どこに消えてしまったのでしょうか。

銀行はいま長い不況を乗り越えて空前の収益をあげているとききます。経済問題に関する詳しい知識はありませんが、バブル期の放漫経営のツケを行員のリストラで補填した結果の好業績だったとしたら寂しいものがあります。

それにしても、、、、、と私は思うのですが。

例えば20年前(30年前でも良いけれど)都市銀行に入行したしたヒトは「これで自分の人生設計安泰!」と思ったことでしょう。ところが、人生の勝利者のごとく、誇らしげに胸につけたバッジのデザインが、その後の銀行合併で名前がひらがなになったり英語混じりになったりとコロコロ変わっていき、かつての自分たちの職場を喫茶店や既製服屋に明け渡し、挙句の果てに自分がリストラの対象になっていくなどと誰が想像したことでしょう。

20年前のことだけど、当時勤めていた会社に証券会社のセールスマンがきて、同僚に猛アタックをかけているのを脇で見ていたことがあります。セールストークがうるさくなってきた同僚は「もし、オタクの会社がツブレたらソレはどうなるの?」と問いかけると、そのセールスマン氏は「ウチの会社がツブレるということは日本がツブレるということですよ~」とのたまっていました。私は株とか投資にはいっさい関心がないけれど、そのセールスマン氏の自信たっぷりの言葉はセールストークにしても、なぜか説得力を感じたものです。

でも、絶対ツブレないだろうと思ったその証券会社は、数年後、「社員は悪くありませんから!」の社長の声とともに消え去ってしまいました。

ニュースなどでは、一流企業と呼ばれる会社は既に就職内定者は決まっていて、選に漏れた人の必死の求職活動が続いているといいます。私は一流企業などというものにはまったく縁がなくここまできた者だけれど、「将来の安定」を求めての大企業志望だとしたら、もはや「寄らば大樹の陰」などという言葉は死語となったことに気づくべきです。

ならば、、、、、。

ならばどうするかというと

これはもう「今やりたいことをやる!」という

これしか

生きる道はありません。

というワケで
もう一度大銀行あと地の画像を見てみましょう。
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5年後のことすら予想もつかないのが現代でっせ!

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