to えあじん
《to えあじん》
あぁ・・えあじんさん。
ワタクシ、6才から18才まで成城へ通っておりました。
当時の駅は学園の父母の献金で建てた木造の駅で、
階段を上り下りしながら、誰それと目が合った合わないのと一喜一憂しておりました。
あぁ、学生時代♪
--なので、
5階建ての駅ビルなど、とうてい受け入れがたく、
大体、小田急線の駅はみな高架になって、個性が失われてしまったと思います。
経堂駅はその高架の下に図書館ができてしまいました。
チトフナはでっかいホームセンターができています。
デッドスペース活用ですかね。
あぁ、いつかワタクシの青春グラフィティを書かなければ・・・・。
《to えあじん》
PS.ワタクシの言葉でさらに付け加えますと。。。。
昔、成城の駅は踏み切りだったそうな。
それでは学童が危ないというので、
父母の寄付で木製の歩道橋というか、屋根付きの橋ができたわけです。
ちなみに学園も「母の館」という講堂が自慢でした。
これも、父母が建てたもので、私が通学していた頃は古いレンガ造りでした。
このあいだ、TVで森山良子さんが学園で歌う番組を見ましたが、
サントリーホールかとみまごうばかりの講堂に生まれ変わっておりました。
あの講堂で小学生が劇の会をやるのかいな??
森山さんとは高校で同じクラスでした。
その頃からもうガッコは休んで地方巡業に出かけておられました。
「『天使の歌声』と看板にあるんだってよ~」と、みんなで笑っておりましたが
このような国民的歌手になるとは!!
『涙そうそう』で有名になってしまった、夭折なさったお兄様は一学年上。
彼が亡くなった時、良子さんは本当に参っていて、
確か、一学年休学か落第したと記憶してます。
2学年上には黒澤久雄さん率いる『ブロード・サイド・フォー』
彼が文化祭で歌うときは模擬店がカラッポになったものです。
さらに、4学年上には古畑・・・もとい、田村正和さんがおられて、
まぁ、その当時の美少年ぶりといったら・・・・・。
ある日、苦手なバスケを練習しようと思い、朝早く体育館に行ったら、
田村さんが一人ドリブルの練習をしていらして、
そのあまりのアドニスぶりに、ワタクシは柱の影から見とれておりました。
おかげで体育の成績はDでした。。。。
まぁ、そんなふうに、今から思えば、キラ星のごとく輝く人たちとご一緒だったのです。
ハイ、、、、、ワタクシは地味にやっております。
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