下北沢マサコのコーヒーはムカシの味がした
大音量でジャズレコードを流し、客に飲み物を提供するジャズ喫茶というのは、日本独自に発展してきた、世界に比類なき商売です。ジャズ喫茶のその狭い空間で黒人文化の代名詞であるジャズを我が物にしようという、いかにも日本人らしい救道心で、修行僧のごとく瞑目しながら、一音一音を聞き逃さないポーズを作っていてもナンのことはない。薄目を開けてはウエイトレスのケツの動きを観察してはあらぬ妄想に耽っていただけのハナシ。
イヤイヤ、ワシのことですから気にしないで。
ジャズ新譜情報をいち早く仕入れることのできなかった時代にはそれなりに意義のあったジャズ喫茶も、アメリカ日本同時発売で即購入即視聴可能という現状では、情報源としての価値も薄れてきました。
考えてみれば、20年前に2500円の新譜が、現在では2000円くらいでCDが買えるし、インターネットで音源をダウンロードすることもできる時代です。オーディオにしても、小型で優秀な性能を持つセットが手に入り、ジャズ喫茶が自慢した音を安価で再現することもできるのです。こんな風にかつてジャズ喫茶が売り物にしたコンテンツの価値がことごとく薄められたことでジャズ喫茶の存在意義がなくなってしまったのです。そんなわけで、ジャズ喫茶商売も衰退の一歩をたどってきて、いまや、ワシントン条約で保護される職種にもなってきてる、、、、、らしい。
4年くらい前、中山ラビを聴きに岩手に行った帰り、一関の『ベイシー』というジャズ喫茶に立ち寄ったことがありました。この店は、こんな東北の片田舎によくぞ存続できてるものだと不思議に思えるほどの、ジャズファンなら知らぬ者ない超老舗。
最初にいっておくと、あのときでコーヒーは800円だったと記憶しています。
蔵を改造した店内は早稲田ハイソ出身のマスターが、固焼きせんべい齧りながら日夜調整に励むJBLが鎮座ましまし、地響きをたてて咆哮しているのが売り物。音圧というか風圧というか、、、スピーカーから出る音にサランラップ状のフィルムでグルグル包まれていく感じ。つまりコーヒー800円はこのサランラップ代ということになります。
不思議なのは、そんな大音量の中にいても、もう、眠くって眠くって仕方なかったこと。特に夜更かししてたわけでもないのに、“睡魔に襲われる”というのはこういうことかと思えるほどの眠たさ。ビル・エバンスのピアノトリオだったりしたらともかく、バディ・リッチの生ビッグバンドをかぶりつきで聴いてるような席で、眠くなるのだから不思議な経験でした。リッチのハフハフいうハイハットに引き込まれているうちにホントに眠ってしまったのです。
オーディオの良し悪しは分からないけれど、本当に良い音というのは、このように音量に関わらず、人間の脳を休ませる効果があるのかも知れないとそのとき思ったものです。
まぁ、あんな店を維持できるのも“よほどの道楽モン”のマスターだからこそできること。ストイックに音楽を聴く種のファンが少なくなっていくごとに、ジャズ喫茶も「私語お断り」から時代に迎合するかのように「BGM」へとイメージチェンジし、やがて消え去っていった店がどんなにあっただろう。
「こういう店こそ『世界文化遺産』へ登録し永久に保存しなければならん!!!」
そんなことを思ったのが4年くらい前の一関・ベイシー訪問で、たぶん、この20年くらいのあいだに“昔ながら”のジャズ喫茶に行ったのはこれ1回だけだったはず。
今年くらいから、中古レコードやCDでムカシのジャズファンだったころに回帰したかのようにジャズを聴いています。新しいジャズを聴かなければとは分かっていても、ついつい聴くのは50年代60年代70年代のジャズ。
こんなジャズをたまにはジャズ喫茶の薄暗い空間で聴いてみたいと思っても、かつてのなじみの店はどこへ行ったやら、もはや“ジャズ喫茶”という言葉自体が“死語”の世界。なにしろ、ワシントン条約ですから。
そんなとき、小田急・下北沢駅のホームから線路の向こうに目にしたのがこの看板。
あぁ、そうだ! すっかり忘れてたけど近場にこんなジャズ喫茶があったんだよ。途中下車したワシはその『マサコ』へ行ったのです。下北沢駅南口から小田急線路沿いに町田方面に歩いた、ラブホテルの向かい側に『マサコ』はある。
初めて行ったのは60年代末だから40年ぶりくらいのことだけど、ムカシのたたずまいそのまんまにバラックに毛が生えたような平屋の建物。木のドアを開けると、正面に飾ってあるのが、懐かしいマサコママとマル・ウォルドロンが仲良く肩を並べている肖像画。
ライブのチラシやらコンサートのポスターをながめながら店内に入ると、ムカシの造作そのままに、ベンチ椅子やらソファーやら、粗大ゴミ置き場から拾ってきたような脈絡のない家具がレトロ感を醸す客席。天井からはタバコのケムリでアメ色に変色したポスターがたるんでいます。
マサコママが亡くなり、ご主人が店を引き継いだというハナシは聴いたことがあるけれど、ママが存命中の雰囲気そのままで、こういった70年代風味の店はけっこう流行ったものです。
中学校の椅子に坐り、音楽に耳を傾ければ、フィル・ウッズのアルトサックス。
特にジャズの流れを変えたというようなミュージシャンではないけれど、音楽シーンがどれほど変化しようとも小手先に走らず、胸に抱えたサックス1本に溢れる感情を託したバンドマン中のバンドマン。このレコードもCDとして復刻されてたんだなぁ。多作のフィル・ウッズだけど、どれ一つ駄作がありません。
「私語禁止」というような硬いものではないけれど、お客の会話は控えめで、まぁまぁ、ムカシのジャズ喫茶の雰囲気。コーヒーマシーンで淹れる器械味のコーヒーに慣らされた昨今、マサコのネルドリップで淹れた作りおきのコーヒーは、これもまたムカシながらのジャズ喫茶の味で、不味いなりに美味かった。
ウッズからフルートのレコードに変わったところで店内観察を終え店を出る。
ウン!
下北沢・マサコも世界文化遺産に登録モノだなぁ。
「明日から店長が本部で研修なのよ」
店を出たところでこんなことを話しながら来た若い二人連れと鉢合わせ。
彼らはそのまんま向かいのラブホテルに慣れた足取りで入っていきやがった。
思わず時計を見ると、3時8分。
そうかそうか、この時間
「3時間 4800円」
のタイムサービスを利用しようというわけだな!
などと、ヤジオは余計なお世話をやきながら駅に向かったのでした。
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