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2006年9月16日 (土)

ナイルさんと団丸団

故郷のインドから日本に逃亡し、祖国インドのイギリスからの独立を画策した独立運動の闘士R.B.ボース(1886-1944)の生涯を描いた名作『中村屋のボース/中島岳志/白水社刊』にこんな一節がある。

 (R・B・ボーズの運動とは別の動きで)
一方、1932年3月、「五族協和」「王道楽士」のスローガンを掲げて建国された満州国は、中国東北部からモンゴルにかけての地域で、その国家イデオロギーを敷衍し、同時に反英意識を高揚させるための様々な工作活動を展開した。満州国政府は、その活動の一環として、反英意識の強い在日インド人を満州に呼び寄せ、そこでインド独立運動を展開させることを企画した。
 この時、その任務の遂行者として白羽の矢が立ったのがA・M・ナイルであった。ナイルは1905年に南インドのケーララに生まれた人物で、1928年に来日して京都大学の土木工学科に学んだ。彼は学生時代、京都においてインド独立運動を展開し、政治集会で度々弁舌を振るった。(後略)

この、A・M・ナイルが後年東京銀座に開いた店がナイルレストランというインドカレーのお店。

ムカシは店にいっぱい飾ってあったのよ。

だってインド人にとっては大事なものなんだから。

それがさ~、マツモトチヅオの事件で大騒ぎになったでしょ。

それでゼ~ンブ片付けちゃったよ!

あの騒ぎの最中、女房が電車に乗ったら周りの席の人が皆立ったんだって。

不思議に思ったら、オームのマークが入ったシャツを着てたんだよね~。

街で見かける「オーム・プラナバ」の画像を集めているんだという私の話に、A・M・ナイルの息子ナイルさんはレジ前でこんなことを言うのでした。

マツモトチヅオに、民族の誇りである「オーム」を穢されて腹立たしい想いをしているんだろうけれど、インド人ながら歯切れ良い日本語からはそんなことは感じられず、「オーム」のことを喋れるのを楽しんでいるようにも見えたのです。

シラフではとても歩けないような、原色色見本のようなシャツを着たナイルさんがいるナイルレストランは、銀座から晴海通りを築地方面に向かい昭和通りと交差した左にあるお店。店の外観と、外にまで洩れてくるスパイスに興味をソソラレルお店です。1階はテーブル5卓だったかな?(2階席の様子は分からない)

そのナイルレストランで客の6割かたがオーダーするのがムルギランチ(\1,400)。客がオーダーする前に「いらっしゃい!ムルギランチ?」と訊かれるから、わざわざメニューを見る手間が省けます。

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トロトロに煮込んだチキン、それにキャベツとマッシュルームポテトという組み合わせ。ウエイターが客の面前でこのチキンの肉と骨を器用にほぐすのがこの店のシキタリだから、客はその前にムヤミに手を出してはいけない。

あまりインドインドしないで、甘口カレーという感じで食べやすいと思ったら、店を出てしばらくしてからジワ~リとカレーの辛さが体内に広がってきて、汗が滲んできやがった。

ちなみに、R・B・ボーズの方は身を寄せていた新宿中村屋の娘さんと結婚。カレーパンを考案して大ヒットさせたものの、悲願だったインド独立を見届けることなく日本で客死することになります。

日本人はず~とインドに対して親近感を抱いてきて、今、都内では本格インドカレーの店が乱立状態で、インド好きカレー好きの私にはとても嬉しいこと。そんな日印友好の源流を辿れば、上野動物園のインディラの他に、インド独立の闘士、R・B・ボーズ、A・M・ナイルの二人カレーを通じて基礎を築いたことにありそうです。

こんな先達の苦労を知ってか知らずか、ただただ個人の現世での欲望を満たすだけの目的で、“宇宙の原初の音”といわれる「オーム」を捻じ曲げ、日本人が相互不信に陥った事件を巻き起こしたヒトもいたわけだ。

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2006年9月16日(土)の新聞から
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彼の所業について語った他人の言葉はヤマほどあるけれど、
結局、
彼自身はあの事件について何も語ることなく、
この世から消え去ることになるんだなぁ。
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