極楽島ただいま満員
この数回小田急線沿線関連記事が続いているけれど、関東在住の人ならば「新宿と湘南箱根方面を結ぶ私鉄が小田急」とすぐ分かっても、地区によってはまったくイメージできない人もいるでしょう。そういう人のことは構わずドンドン先に進んで行きましょう。
さて、
下北沢・マサコのことを書いたら、「たしか久保田二郎さんのエッセーにマサコのことに触れた文章があったなぁ」と思い出し、本棚ヒックリ返したらやっぱりあったあった。
久保田二郎さん(1926-1995)といっても知らない人が多いだろうけれど、この人は戦後日本人ジャズメンのレコーディングの数々を企画し、日本ジャズ黎明期に多大な貢献をした人。一時期ジャズ専門雑誌スイングジャーナルの編集長をしていたこともあり、その当時に植草甚一さん(この人を知っている人もあるていどの年齢の人)に執筆のチャンスを与えたことでも知られています。植草さんの、ジャズに限らず芸術一般に対する視点は、その特異な名文体とともにブームを招き、その後の植草さんは今でいうところのサブカルチャーの巨匠へと大化けすることになります。
久保田さんも、SJ誌を辞したあと、欧米文化に対する深い洞察をベースに数々のエッセイをものしますが、ヒモつきでない、自由な立場だかこその舌鋒鋭い切り口は、これまた日本でのサブカルチャーの道を切り拓いたといっても良いでしょう。
その久保田さんの初エッセイがこの『極楽島ただいま満員』で、
僕は「ジャズ喫茶」や「映画試写」にいったことがない
ジャズ喫茶て、自分の性行為を見られてるような気がするんだ ジャズ喫茶女給哀史
ジャズに詳しい奴に注意しろ 僕は「映画試写会」に行かない
こんな章の「ジャズ喫茶女給哀史」の中に、“マダム・マサコ”と久し振りに会い、かつてマサコで働いていた女性たちのその後についての話に花が咲いたというようなことが書いてあるのです。
マサコママとは彼女が戦前のジャズ喫茶の名門、銀座「デュエット」で働いていたころからの付き合いであること。ジャズ喫茶に行かない主義の自分がなぜマサコにちょくちょく来たかというと、開店当初はジャズのレコードを鳴らしていなかったこと。もうひとつは美人のウエイトレスがそろっていたいたからというイントロのあと、マサコママによってもたらされた、必ずしもハッピーとはいえない人生を辿るかつての美人ウェイトレス情報にブルーになるというエンディング。
ン~ン、、、、。私が行ってたころの下北沢・マサコにどんな女性が働いていたかはまったく記憶がないけれど、たしかにかつてのジャズ喫茶にはソレらしい雰囲気漂わせていた女性がいましたね~。お気に入りの彼女のシフトを入手しその時間に店に行ったりしたこともありましたよ。だからといってどうすることもない、缶入りピースなんかをテーブルに置いて、分かったようなポーズをとっていただけだけどネ。
この『極楽島ただいま満員』で一番面白いのは、やはり、久保田さんがなぜジャズ喫茶に行かないかという理由。
要は、知りもしないのに知ったかぶりするマスターに、私語禁止を強制され、分かりもしないのに分かったようなフリする客(つまり私のような)が集まる所には行きたくない。ジャズを聴くというのは全く個人的な行為で、他人と共有することではない!
まず、自分自身の中でジャズと二人きりで語り合って見ることだ。そうすれば、それぞれ自身がかならず違った存在であるように、それぞれのジャズがその人自身に生まれてくるのじゃないか。要するに個性的に聴きたまえということ、それならジャズ喫茶あたりじゃそうはゆかぬ、ということ。
この本が出たのが1976年だから、ちょうど30年前ということになります。
久保田二郎さんのジャズ喫茶否定論が効いたわけでもないだろうが、どんな小さな町にも1軒や2軒あり、その町の文化推進的立場にあったジャズ喫茶も、いまではワシントン条約ものになってしまったようです。
例えばどこかに旅行する。その町のジャズ喫茶を探し当て、しばしの間休憩して、帰りにマッチを貰ってくる。これは、もう、大きな楽しみでした。旅先のそんなジャズ喫茶のマッチをアパートの鴨居に飾っては旅の記念にしたものです。
たまたま、
何十年ぶりかでジャズ喫茶に行き、
珍しいジャズ喫茶のマッチコレクションを見てしまうと
故・久保田二郎さんが化けて出てこようとも、
やはり、
ジャズ喫茶が減ったのは寂しいことです。
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