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2006年9月30日 (土)

店頭虫のサンバ

パワーブックのバッテリー交換を申し込んでおいたら、1ヶ月ほどかかって交換品が到着。

取り替えたバッテリーは即アップル社に返送することで一件落着!

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これで、私のマックパソコンは解決したけど業界は大変らしい。

2006年9月29日(金)付け 毎日新聞夕刊
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私のヒッカカッたバッテリートラブルは8月のときのもので、このときはデル社410万個、アップル社180万個が該当だったらしい。

これで終息したと思ったら、この9月に新たにIBM(聯想)のパソコン搭載バッテリーの発火事故が発生したために、新たに52万6000個のバッテリー交換することになったというもの。

前回のデル社とアップル社590万個、今回のIBM52万6000個の合計642万6000個のバッテリー交換をすることになり、製造元のソニー社のブランドイメージ低下は免れず、経営への影響は必至だと記事は伝えます。

他の関連記事を読んでも、バッテリー発火の事故は“宝くじで1等当たるくらい”の極めて稀な確率のようだけれど、「また“宝くじ当てられる”よりは、いっそのこと今のうちに全部交換してしまえ」というのがソニーの判断だという印象。

ソニーも“世界のソニー”から“五反田のソニー”に堕ちそうな雲行きです。

右肩下がりのソニーに比べて右肩上がりで波に乗っているのがアップル社。

先日の朝日新聞で見た2面にわたるMacBookの広告を今朝の毎日新聞でも発見。

業績の好調さがこんな金遣いからも伺われます。

2006年9月30日(土)付け 毎日新聞朝刊
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ところで、パワーマックのバッテリー交換に話を戻すと、交換後の古いバッテリーは着払いでアップルに送り返すワケだけれど、そのときには、古いバッテリーは完全に放電してから返却してくださいとの注意書き。電池が残っているまま返却すると、輸送途中に発火する事故の可能性もあるということなのでしょう。

そんな注意書き読んでいると、、、、、。

んんん???

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コンピュータの裏面のバッテリー残量確認ボタンを押して、充電残量の店頭をご確認ください。全く点灯しない場合は、バッテリーが放電されています。ひとつでも点灯する場合は下記の手順で放電してください。

店頭、、、店頭、、、、アッそうか!、、、点灯をご確認ください、、、、か!

たぶん、

何人もの人間が原稿チェックした上で印刷に回した文章なんだろうけれど、

こんな初歩的変換ミスに気がつかなかったんだなぁ。

自分のサイトの
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誤変換、句読点メチャクチャ
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には気がつかないのに、
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アップルコンピュータ社発行文書に
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こんな変換ミスを見つけて
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ニヤリとすた土曜日の午後ですた。
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2006年9月28日 (木)

from えあじん

  《from えあじん

コメント多謝。たいへん光栄です。

たしかに、森山良子さんはあなたのいうように“国民的歌手”になりました。ワシにいわせると「大運天中殺から抜け出した」ように一挙に花開いてしまった感じです。おまけに息子までも。

40年くらい前ですかね~。森山良子さんが「和製ジョーン・バエズ」としてデビューしたころ、そのバエズと初共演したときのステージをワシは見てます。新宿厚生年金会館だったと思います。黒色のコットンパンツはいて、ギターが身体より大きく見えました。デビュー曲の「この広い野原・・・」を歌ったのかどうか覚えていませんが、レコード会社のプロモーションで「和製ジョーン・バエズ」にさせられ、挙句の果てにバエズと共演させられることには違和感あったんじゃないでしょうか。

そんなプレッシャーを背負わされたデビューから、イロイロありましたが、現在にいたるまで、こうして確かな存在感のある歌手でこれたのは、やはり歌に対する真摯な姿勢と、それと、育ちの良さがあったんではないかとワシは見ています。

その森山良子さんとあなたが同級生だったとは初耳でした。

ブロードサイド・フォーですが、たまに「懐かしのフォークソング」というような番組で顔をみることがありますが、やはり老けましたネ~。彼らも還暦すぎてるワケですから。彼らの若いときのステージも何回となく見て、その後、何十年か芸能活動を止めていて、急に「ナツメロフォーク」で対面するワケですから、その落差は大きいものがあります。

自分のことはさておいて、、、、、、。

さて、

あなたは興味ないかもしれませんが亀田親子がタイヘンです。

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亀田父醜態

亀田親子窮地 TBS逃げる

次男の試合後に観客のヤジにイカッたパパが観客席に突進しそうになり、周囲に制止させられたということのようです。TBSのことですから、ヤジグループ自体が“仕込み”じゃないか?というような意見もあるみたいですが、パパもすっかりヒールになってしまいました。

新聞スタンドのポスターからは、他局の騒動にツッコミいれて引っ掻き回し、ハナシを大きくしようというタクラミも感じられます。まぁ、どうでもいいけんどよ~。

そんな新聞の見出しチラリチラリと眺めながら「♪きょうの仕事はツラかった~」などと岡林になりきって帰宅。

成城駅の駅ビルですが、

明日オープンかと思っていたら、

本日、プレ・オープンというんですか、オープンしていました。

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ずいぶんオシャレなお店で、ワシなんかには敷居が高い店ばっかり。以前の小田急OXも、かつての「どこにでもあるスーパー」から「ちょっと“鼻の高い”スーパー」に変身して、作業服姿では入りにくい店になってしまいました。

ワシに関係あるとすれば、山野楽器と三省堂書店くらいなもんです。

こんな駅ビル(そうそう、名前は成城コルティといいます)の誕生で、名門“成城石井”も明日から店内大改造だそうで、在庫一掃バーゲンやっていました。成城大戦争が始まりそう。

まぁ、どうでもいいけんどよ~。

このように、かつて、あなたが、ホームの柱に隠れるようにダレかさんを見送ったかもしれない成城駅も、全くあたらしい駅に生まれ変わり、昔の面影などどこにもありません。黒澤明監督、三船敏郎さん、石原裕次郎さんも草葉の陰からあきれてるんじゃないですか。

というわけで、懐かしの画像をプレゼントいたしましょう。

コレクションひっくりかえしたら2枚ありました。

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あなたの“成城グラフィティ”をたのしみにしております。

ワシのような百姓育ちとちがって、

さぞかし華やかな「マイ・バック・ページ」になるだろうと興味深々です。

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2006年9月27日 (水)

極楽島ただいま満員

この数回小田急線沿線関連記事が続いているけれど、関東在住の人ならば「新宿と湘南箱根方面を結ぶ私鉄が小田急」とすぐ分かっても、地区によってはまったくイメージできない人もいるでしょう。そういう人のことは構わずドンドン先に進んで行きましょう。

さて、

下北沢・マサコのことを書いたら、「たしか久保田二郎さんのエッセーにマサコのことに触れた文章があったなぁ」と思い出し、本棚ヒックリ返したらやっぱりあったあった。

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極楽島ただいま満員
久保田二郎
晶文社
1976年2月15日発行
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映画と酒とジャズの日々
幻のエピキュリアンついに登場
昭和めりけん
ノスタルジア
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映画と酒とジャズの世界を自由気ままに飛び歩き
生きながら伝説的人物と化した久保田二郎がつい
に本をかいた。今はない代々木の“原っぱ”に展開
される少年軍団の兵隊ごっこ。摩天楼上のキング
コングの涙とジェリー・ルイスの絶妙のギャグ。 
はたまた“わが愛弟子”植草甚一の幼児的好奇心の
実見録etc.昭和の珍談奇談ののかずかずを一挙公
開。合言葉はただひとつ  「人生は楽しき集い!」

久保田二郎さん(1926-1995)といっても知らない人が多いだろうけれど、この人は戦後日本人ジャズメンのレコーディングの数々を企画し、日本ジャズ黎明期に多大な貢献をした人。一時期ジャズ専門雑誌スイングジャーナルの編集長をしていたこともあり、その当時に植草甚一さん(この人を知っている人もあるていどの年齢の人)に執筆のチャンスを与えたことでも知られています。植草さんの、ジャズに限らず芸術一般に対する視点は、その特異な名文体とともにブームを招き、その後の植草さんは今でいうところのサブカルチャーの巨匠へと大化けすることになります。

久保田さんも、SJ誌を辞したあと、欧米文化に対する深い洞察をベースに数々のエッセイをものしますが、ヒモつきでない、自由な立場だかこその舌鋒鋭い切り口は、これまた日本でのサブカルチャーの道を切り拓いたといっても良いでしょう。

その久保田さんの初エッセイがこの『極楽島ただいま満員』で、

 僕は「ジャズ喫茶」や「映画試写」にいったことがない
  
ジャズ喫茶て、自分の性行為を見られてるような気がするんだ ジャズ喫茶女給哀史
   ジャズに詳しい奴に注意しろ 僕は「映画試写会」に行かない

こんな章の「ジャズ喫茶女給哀史」の中に、“マダム・マサコ”と久し振りに会い、かつてマサコで働いていた女性たちのその後についての話に花が咲いたというようなことが書いてあるのです。

マサコママとは彼女が戦前のジャズ喫茶の名門、銀座「デュエット」で働いていたころからの付き合いであること。ジャズ喫茶に行かない主義の自分がなぜマサコにちょくちょく来たかというと、開店当初はジャズのレコードを鳴らしていなかったこと。もうひとつは美人のウエイトレスがそろっていたいたからというイントロのあと、マサコママによってもたらされた、必ずしもハッピーとはいえない人生を辿るかつての美人ウェイトレス情報にブルーになるというエンディング。

ン~ン、、、、。私が行ってたころの下北沢・マサコにどんな女性が働いていたかはまったく記憶がないけれど、たしかにかつてのジャズ喫茶にはソレらしい雰囲気漂わせていた女性がいましたね~。お気に入りの彼女のシフトを入手しその時間に店に行ったりしたこともありましたよ。だからといってどうすることもない、缶入りピースなんかをテーブルに置いて、分かったようなポーズをとっていただけだけどネ。

この『極楽島ただいま満員』で一番面白いのは、やはり、久保田さんがなぜジャズ喫茶に行かないかという理由。

要は、知りもしないのに知ったかぶりするマスターに、私語禁止を強制され、分かりもしないのに分かったようなフリする客(つまり私のような)が集まる所には行きたくない。ジャズを聴くというのは全く個人的な行為で、他人と共有することではない!

まず、自分自身の中でジャズと二人きりで語り合って見ることだ。そうすれば、それぞれ自身がかならず違った存在であるように、それぞれのジャズがその人自身に生まれてくるのじゃないか。要するに個性的に聴きたまえということ、それならジャズ喫茶あたりじゃそうはゆかぬ、ということ。

この本が出たのが1976年だから、ちょうど30年前ということになります。

久保田二郎さんのジャズ喫茶否定論が効いたわけでもないだろうが、どんな小さな町にも1軒や2軒あり、その町の文化推進的立場にあったジャズ喫茶も、いまではワシントン条約ものになってしまったようです。

例えばどこかに旅行する。その町のジャズ喫茶を探し当て、しばしの間休憩して、帰りにマッチを貰ってくる。これは、もう、大きな楽しみでした。旅先のそんなジャズ喫茶のマッチをアパートの鴨居に飾っては旅の記念にしたものです。

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ジャズ喫茶のマッチで思い出した。
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じつはこの画像は神保町の古本屋で売っているジャズ喫茶のマッチコレクション。
(お店の名前は忘れた。というよりも難しい漢字で覚えられなかった)
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どうやら70年代ころに集めたものらしい。
箱をサランラップで包んでいて、よく見ると懐かしいジャズ喫茶もけっこうある。
マッチの総数293個。
さて、ハウマッチ!!!
ということになりますが、50,000円の値段がついていました。
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コレクションとしては面白いけれど、
50000円という値段では手が出ません。
そこでご主人にお願いして写真だけ撮らせてもらったもの。
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写真を撮らせてもらったお礼も兼ねて、珍しいレコードを購入。
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ナニが珍しいかというと、
これは45回転のシングルレコードなのです。
バド・パウエルのドーナツ盤なんて感動モノです。
500円也。
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たまたま、

何十年ぶりかでジャズ喫茶に行き、

珍しいジャズ喫茶のマッチコレクションを見てしまうと

故・久保田二郎さんが化けて出てこようとも、

やはり、

ジャズ喫茶が減ったのは寂しいことです。

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2006年9月24日 (日)

to えあじん

  《to えあじん》

あぁ・・えあじんさん。

ワタクシ、6才から18才まで成城へ通っておりました。

当時の駅は学園の父母の献金で建てた木造の駅で、

階段を上り下りしながら、誰それと目が合った合わないのと一喜一憂しておりました。

あぁ、学生時代♪

--なので、

5階建ての駅ビルなど、とうてい受け入れがたく、

大体、小田急線の駅はみな高架になって、個性が失われてしまったと思います。

経堂駅はその高架の下に図書館ができてしまいました。

チトフナはでっかいホームセンターができています。

デッドスペース活用ですかね。

あぁ、いつかワタクシの青春グラフィティを書かなければ・・・・。

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  《to えあじん》

 PS.ワタクシの言葉でさらに付け加えますと。。。。

昔、成城の駅は踏み切りだったそうな。

それでは学童が危ないというので、

父母の寄付で木製の歩道橋というか、屋根付きの橋ができたわけです。

ちなみに学園も「母の館」という講堂が自慢でした。

これも、父母が建てたもので、私が通学していた頃は古いレンガ造りでした。

このあいだ、TVで森山良子さんが学園で歌う番組を見ましたが、

サントリーホールかとみまごうばかりの講堂に生まれ変わっておりました。

あの講堂で小学生が劇の会をやるのかいな??

森山さんとは高校で同じクラスでした。

その頃からもうガッコは休んで地方巡業に出かけておられました。

「『天使の歌声』と看板にあるんだってよ~」と、みんなで笑っておりましたが

このような国民的歌手になるとは!!

『涙そうそう』で有名になってしまった、夭折なさったお兄様は一学年上。

彼が亡くなった時、良子さんは本当に参っていて、

確か、一学年休学か落第したと記憶してます。

2学年上には黒澤久雄さん率いる『ブロード・サイド・フォー』

彼が文化祭で歌うときは模擬店がカラッポになったものです。

さらに、4学年上には古畑・・・もとい、田村正和さんがおられて、

まぁ、その当時の美少年ぶりといったら・・・・・。

ある日、苦手なバスケを練習しようと思い、朝早く体育館に行ったら、

田村さんが一人ドリブルの練習をしていらして、

そのあまりのアドニスぶりに、ワタクシは柱の影から見とれておりました。

おかげで体育の成績はDでした。。。。

まぁ、そんなふうに、今から思えば、キラ星のごとく輝く人たちとご一緒だったのです。

ハイ、、、、、ワタクシは地味にやっております。

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初めて結ばれたのは彼のデパートの部屋でした

新しいリーダーが決まって新しい政府が発足しようというのに、高揚感も期待もな~んにもわかず、ただ「だからどうしたの?」という感じ。お祖父さんは首相になり、お父さんは首相になりそこねて、自分は首相になったということは、三代に渡るヘドロの沼でガンジガラメになり身動きとれないことじゃないのかネ~。

新聞も見出しだけをナナメに読んで終わり。

そんな新聞で目についたのがコレ。

1975年8月。5万人以上を集めて12時間に渡って開催された「つま恋」のフォークコンサートが再演されたという記事。

「つま恋」再演 3万5000人酔う
31年ぶり
(2006/9/24 毎日新聞より)
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事前にNHKが番宣かけていてその催しが開催されることは知っていたから、昨日の午後は生放送でチョビチョビと見ていました。“31年ぶりの再演”といわれても、1975年ころの私はジャズ一辺倒だったから、タクローもガンだったらしいけれど、ガンバッテるな~という程度の感想しか思い浮かばなかった。

テレビの画面に映し出されるジジババが、皆嬉しそうに腕を振っているのが気に食わない。

  オレたちの世代は群れちゃぁイカンのだッ!!!

東京秋天。

いつものように区民プールに行けば、今日はトライアスロンの大会だとかで、プールはお休み。仕方ないから水泳替わりに駅まで散歩して足を鍛えよう。愛用のipodからはジミー・クリフの「ノー・ウーマン ノー・クライ」が流れているから、歩く姿もいつしかレゲー歩きになってしまう。

プールから旧大蔵病院の育成医療センターを抜け、世田谷通りの蔦谷でビデオを返却。それから町田方面に向かい、千川沿の遊歩道は素敵な散歩道。春には桜の花びらが絨毯となって川面を流れ、今の時期は緑の葉っぱが川を覆っています。左右は東宝の撮影所になっていて、ときどきちょんまげ姿のお侍さんや、血のりにじませた軍人と出会ってドキッとすることもしばしば。

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その東宝撮影所の最近オープンしたカフェテリアで早めの昼飯。

たぶん撮影所のスタッフ専用社員食堂という位置づけなんだろうけれど、名前はカフェテリアといっても皆現場作業みたいなもの。大道具の人はペンキだらけの作業服着てたりしてるから下町の大衆食堂に近い感じ。だから私も関係者の顔してもぐりこむのだ。

カツカレー大盛り 600円也
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「カレーじゃちょっと物足りないし~」という時にはカツカレーが最適。そこらの駅の立ち食いソバ屋のカレーと同じ味だけど、ベランダに出て川の流れを眺めながら食べる休日のカレーは一味も二味も違います。

カフェテリアを出て川沿いを行けば、撮影所の壁にこんな落書き。

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一瞬オーム団丸団かと思ったけれど関係なさそう。

更に川沿いを歩けば右側が住宅展示場。

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私の生涯には「住宅展示場」などというのは無縁の施設だから、横目に見て、川を挟んだ向かいの日曜大工センターへ。

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鉢植えの液肥がなくなっていたことを思い出したのだ。さっき食べたカレーの味が口の中から抜けず、口直しのソフトクリームを舐めながら、再び千川を上流へ。

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小田急と突き当ったところで、線路の向こう側に見えるのが成城学園大学のキャンパスで、線路前を左に向かえば小田急成城学園前はすぐそこ。

小田急沿線再開発で成城学園駅も地下に潜り、工事中だった新駅舎を覆っていたシートが剥がされると、5階建て(4階建てかな?)の巨大な駅ビルの外観が現れやがった。オシャレなテナントも入居するそうで、まるで原宿か広尾か?とみまがう威容。「銀座・山野楽器」の看板が見えるから、音楽ファンの私としては嬉しい。今週あたりにオープン予定らしい。

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というワケで、

プールで泳げなかった分をウォーキングで体脂肪消費し、家に帰りテレビをつければちょうど「新婚さんいらっしゃ~い」の時間。

「初めて結ばれたのは?」との三枝師匠のツッコミに、、、、。

「初めて結ばれたのは、、、彼のデパートの部屋でした

イエ、、、、アパートでした」

とのたまう中国人妻。

打ち合わせどおりの中国人妻のボケぶりに、

オヤクソクどおり、椅子から転げ落ちる師匠。

私もオヤクソクどおり大笑い。

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東京秋天
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首相が変わろうと
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ヤツらがダンゴ状に固まろうと
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窓のむこうにエントツとケムリ
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すべてこの世にこともなく
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こんな模範的休日の過ごし方もあるのよ!
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テガッ!!!
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2006年9月23日 (土)

下北沢マサコのコーヒーはムカシの味がした

大音量でジャズレコードを流し、客に飲み物を提供するジャズ喫茶というのは、日本独自に発展してきた、世界に比類なき商売です。ジャズ喫茶のその狭い空間で黒人文化の代名詞であるジャズを我が物にしようという、いかにも日本人らしい救道心で、修行僧のごとく瞑目しながら、一音一音を聞き逃さないポーズを作っていてもナンのことはない。薄目を開けてはウエイトレスのケツの動きを観察してはあらぬ妄想に耽っていただけのハナシ。

イヤイヤ、ワシのことですから気にしないで。

ジャズ新譜情報をいち早く仕入れることのできなかった時代にはそれなりに意義のあったジャズ喫茶も、アメリカ日本同時発売で即購入即視聴可能という現状では、情報源としての価値も薄れてきました。

考えてみれば、20年前に2500円の新譜が、現在では2000円くらいでCDが買えるし、インターネットで音源をダウンロードすることもできる時代です。オーディオにしても、小型で優秀な性能を持つセットが手に入り、ジャズ喫茶が自慢した音を安価で再現することもできるのです。こんな風にかつてジャズ喫茶が売り物にしたコンテンツの価値がことごとく薄められたことでジャズ喫茶の存在意義がなくなってしまったのです。そんなわけで、ジャズ喫茶商売も衰退の一歩をたどってきて、いまや、ワシントン条約で保護される職種にもなってきてる、、、、、らしい。

4年くらい前、中山ラビを聴きに岩手に行った帰り、一関の『ベイシー』というジャズ喫茶に立ち寄ったことがありました。この店は、こんな東北の片田舎によくぞ存続できてるものだと不思議に思えるほどの、ジャズファンなら知らぬ者ない超老舗。

最初にいっておくと、あのときでコーヒーは800円だったと記憶しています。

蔵を改造した店内は早稲田ハイソ出身のマスターが、固焼きせんべい齧りながら日夜調整に励むJBLが鎮座ましまし、地響きをたてて咆哮しているのが売り物。音圧というか風圧というか、、、スピーカーから出る音にサランラップ状のフィルムでグルグル包まれていく感じ。つまりコーヒー800円はこのサランラップ代ということになります。

不思議なのは、そんな大音量の中にいても、もう、眠くって眠くって仕方なかったこと。特に夜更かししてたわけでもないのに、“睡魔に襲われる”というのはこういうことかと思えるほどの眠たさ。ビル・エバンスのピアノトリオだったりしたらともかく、バディ・リッチの生ビッグバンドをかぶりつきで聴いてるような席で、眠くなるのだから不思議な経験でした。リッチのハフハフいうハイハットに引き込まれているうちにホントに眠ってしまったのです。

オーディオの良し悪しは分からないけれど、本当に良い音というのは、このように音量に関わらず、人間の脳を休ませる効果があるのかも知れないとそのとき思ったものです。

そのときかかっていたレコードがコレ。
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BUDDY RICH
SWINGIN' NEW BIG BAND

まぁ、あんな店を維持できるのも“よほどの道楽モン”のマスターだからこそできること。ストイックに音楽を聴く種のファンが少なくなっていくごとに、ジャズ喫茶も「私語お断り」から時代に迎合するかのように「BGM」へとイメージチェンジし、やがて消え去っていった店がどんなにあっただろう。

  「こういう店こそ『世界文化遺産』へ登録し永久に保存しなければならん!!!」

そんなことを思ったのが4年くらい前の一関・ベイシー訪問で、たぶん、この20年くらいのあいだに“昔ながら”のジャズ喫茶に行ったのはこれ1回だけだったはず。

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今年くらいから、中古レコードやCDでムカシのジャズファンだったころに回帰したかのようにジャズを聴いています。新しいジャズを聴かなければとは分かっていても、ついつい聴くのは50年代60年代70年代のジャズ。

こんなジャズをたまにはジャズ喫茶の薄暗い空間で聴いてみたいと思っても、かつてのなじみの店はどこへ行ったやら、もはや“ジャズ喫茶”という言葉自体が“死語”の世界。なにしろ、ワシントン条約ですから。

そんなとき、小田急・下北沢駅のホームから線路の向こうに目にしたのがこの看板。

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あぁ、そうだ! すっかり忘れてたけど近場にこんなジャズ喫茶があったんだよ。途中下車したワシはその『マサコ』へ行ったのです。下北沢駅南口から小田急線路沿いに町田方面に歩いた、ラブホテルの向かい側に『マサコ』はある。

初めて行ったのは60年代末だから40年ぶりくらいのことだけど、ムカシのたたずまいそのまんまにバラックに毛が生えたような平屋の建物。木のドアを開けると、正面に飾ってあるのが、懐かしいマサコママとマル・ウォルドロンが仲良く肩を並べている肖像画。

ライブのチラシやらコンサートのポスターをながめながら店内に入ると、ムカシの造作そのままに、ベンチ椅子やらソファーやら、粗大ゴミ置き場から拾ってきたような脈絡のない家具がレトロ感を醸す客席。天井からはタバコのケムリでアメ色に変色したポスターがたるんでいます。

マサコママが亡くなり、ご主人が店を引き継いだというハナシは聴いたことがあるけれど、ママが存命中の雰囲気そのままで、こういった70年代風味の店はけっこう流行ったものです。

中学校の椅子に坐り、音楽に耳を傾ければ、フィル・ウッズのアルトサックス。

http://www.bmgjapan.com/_artist/item.php?id=2119&item=7339

特にジャズの流れを変えたというようなミュージシャンではないけれど、音楽シーンがどれほど変化しようとも小手先に走らず、胸に抱えたサックス1本に溢れる感情を託したバンドマン中のバンドマン。このレコードもCDとして復刻されてたんだなぁ。多作のフィル・ウッズだけど、どれ一つ駄作がありません。

「私語禁止」というような硬いものではないけれど、お客の会話は控えめで、まぁまぁ、ムカシのジャズ喫茶の雰囲気。コーヒーマシーンで淹れる器械味のコーヒーに慣らされた昨今、マサコのネルドリップで淹れた作りおきのコーヒーは、これもまたムカシながらのジャズ喫茶の味で、不味いなりに美味かった。

ウッズからフルートのレコードに変わったところで店内観察を終え店を出る。

ウン!

下北沢・マサコも世界文化遺産に登録モノだなぁ。

「明日から店長が本部で研修なのよ」

店を出たところでこんなことを話しながら来た若い二人連れと鉢合わせ。

彼らはそのまんま向かいのラブホテルに慣れた足取りで入っていきやがった。

思わず時計を見ると、3時8分。

そうかそうか、この時間

「3時間 4800円」

のタイムサービスを利用しようというわけだな!

などと、ヤジオは余計なお世話をやきながら駅に向かったのでした。

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2006年9月21日 (木)

“日本離れ”できない韓国

昨年あたりから続いたいわゆる“嫌韓本”出版の流れもようやく一段落ついたようです。

けっきょく「書くだけ書いた。出すだけ出した」で息切れしたというところでしょうか。私などは類書を何冊か読んでみて、そのすべてを受け入れないまでも共鳴した部分もたくさんあっただけに続編を期待しているところです。

日本人の平均的思考を持つと思っている私ですから、「韓国には悪いことをした」という加害者意識がある反面、「妄言!謝罪!!日帝36年!!!」と叫ばれ、日の丸焼かれる場面を見せられれば「日本はそんなに悪いことだけしたのか?韓国の建国に費やした金はどこから出た???IMF通貨危機で破綻しかけたとき助け舟を出したのは誰だ?別にお礼は必要ないから、国民にはちゃんと報せろよ!!!」などというセリフも吐きたくなるのです。

そんな私に対韓問題で別の視点を教えてくれたのが“嫌韓本”だったわけです。特に「韓国を搾取するだけ搾取したのではない」という、出展を明記しての一連の主張には、いままでの対韓贖罪意識が薄れていき、「韓国というのはホントに度し難い国だ」と変わっていったことは事実です。もちろん、その矛先は韓国人個人というよりは“韓国政府”へと向けているわけですが。

たぶん日本側出版物が論拠とした資料には我田引水もあるだろうから、相互理解のためには韓国側の冷静な反論本を読みたいと思ったけれど、韓国側からは「日本では嫌韓ブーム!軍国主義右傾化の流れ加速!」ていどの反応しか現れてこなかったのは残念なことです。こんな鈍い反応も「あんがい、同じ土俵に乗ってしまうと自国側(韓国)絶対不利ということが分かっているから反論できないからだ!などと結論づけてしまったりするのです。

最近、対韓国問題を取り上げたこんな本を読んだ。

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“日本離れ”できない韓国

黒田勝弘

文春新書
2006/7/20 

最も日本批判しながら

最も日本影響を受けている国

韓国の場合、相手が「日本」となると民族感情が先に立ち情緒的になる。「認めたくない」「しゃくにさわる」「イヤだ」という対日感情(それを反日感情というが)のゆえに日本の影響を無視、否定する「日本隠し」に走ることになる。(本文より)

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もう、冒頭からハタッとヒザを打つ連続。

自力で日本支配から脱出できなかった鬱憤
 韓国(朝鮮)が自力で自らの解放を勝ち取れなかったということは、彼らにとっては憤懣やるかたないことだ。日本との歴史においては、日本に支配されたこともさることながら、その支配から自力で脱出できなかったという鬱憤の方が実はもっと大きいのだ。
 今に続く反日というか、日本に対する“恨み節”に似た感情はそこに起因する。自力で日本を追い出し解放・独立を実現しておれば、あるいは日本との独立戦争で日本を打ち負かし勝利しておれば、いつまでもぐずぐずと反日をいいつのることはなかっただろう。勝者が打ち負かした相手、つまりは敗者に対し恨みを言う必要はないからだ。日韓関係が今なおどこかすっきりしないのは、このことが尾を引いているからだ。

続いて

 他力解放のために対日勝利感がなく、その鬱憤が今にいたるまで続いているのだ。その鬱憤発散のため、事あるごとに反日が小出し(?)に行われているというわけだ。発散にはサッカーをはじめ“対日スポーツ戦争”での勝利への執着も含まれる。

と、畳み掛けられて、これまでに読んだ一連の対韓本にはなかった視点に、私は対韓問題の本質を知ったような思いがしたわけです。

巻末の著者略歴を読むと、著者は在韓25年になるジャーナリストだとのこと。全編韓国に対しての厳しい見方で貫かれているけれど、著者が在韓25年のあいだに触れ合った韓国・韓国人への、実に温かな愛情が底に流れているのが感じられ、一連の“嫌韓本”とはひと味違う、対・韓国本として教えられところが多い本でした。

韓国人というのは、たぶんホンネのところでは、日本に対する深い憧れをもち、日本に追いつけ追い越せで全力疾走してきて、やっと追いついたと思ったら、日本は次の峠をラクラク越えていて、また全力疾走という繰り返しで、いつまでたっても追いつけないイラつきで「反日」という屈折した精神が沁みついてしまったのかな。a

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2006年9月18日 (月)

ここらで小ネタをひとつ

このブログの前身は(そんな大げさなものではないけれど)5年前にあって、そのころから今までつきあってくれてる人には、私のいう“団丸団”のイキサツも分かってくれてるだろうけれど、最近見た人にはチンプンカンプンなことでしょう。そんな人のことは、コッチにおいといてハナシを進めると、、、、、。

今日の夕方、テレビをつけながら片付けものなどをしていると、カレー屋の話題でした。どうやらセマ~イ店で絶品の食い物を出している店の特集らしく。カレー部門(そんな大げさなものではないけれど)で選ばれたのが吉祥寺のそのお店。椅子席6人ですから確かに狭いことには間違いありません。名前はガネーシャといってましたが、この店名からして分かる人には分かるという店名。

ロッカーで資金稼ぎにカレー屋をやっているという主人を前に、レポーターの松村が例によってオヤクソクのタケシさんとかカケフさんの声色を使って、いかにこのカレーが美味しいかということを説明しているワケです。

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その場面を見たワシは素早くカメラを取り出してテレビ画面を撮影しましたネ~。

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そうなんです、松村の背後にある布に描かれているのが、ワシのいっている団丸団、つまり、オームのマークなのです。

まぁ、これだけのハナシなんですが、このように団丸団がテレビに写ってたということを言いたいワケですよ。ワシは。

そんなこんなで、7時になって、NHKのニュースですが。

九州中国地方の台風竜巻被害のニュースのあとに放送されたのが、吉野家の牛丼が2年半ぶりに再開されたというニュース。

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きのうの夜からごはん食べてません このために
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(食べる前から)ドキドキしてます
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2年半待ってたので どんな味か
牛丼の味を思い出しながら食べました
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アメリカ産の牛肉は怖いという気持ちはあるけれど
食べるときは そんなのなくしちゃいました

  店長各位

来る18日の牛丼再開についての取材は

本部広報が一括して対応いたします。

各店舗単位での取材は受け付けないでください

たぶんこんな通達が出されたであろうことが想像できるような、

吉野家社長インタビューがあったりの騒動に、

牛丼ごときがそれほどありがたいか?

ほかに喰うものはないのか?

ほかに報道することはないのか?

いちおう、こんなツッコミを入れたりした敬老の日の夕方でした。

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キミは太陽を見たか

台風接近で雨模様の休日の午後、NHK教育テレビで「イッセー尾形一人芝居」を観ていた。

番組が始まってすぐに、春ごろに観た番組の再放送だと分かったけれど、それでもイッセーさんの大大ファンだから最後まで観てしまった。イッセーさんの一人芝居は、彼の表情の裏セリフの裏を読まなければならないという腹の探りあい。コチラのヨミを外すかのように裏の裏を投げかけられたり、、、いわばゲームをしているようなものだ。

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幸せ家族(旅館編)
会社の契約保養所あたりに来た3人家族。
慣れないことするもんだから舞い上がっちゃって失敗するサラリーマン。
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バーテン(みっちゃん出戻り編)
結婚に失敗したみっちゃんが再び店に戻ってきて、、、。
意地悪だと思っていたバーテンもけっこう人情味あふれる良い人だったのネ。
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老婦人(パーティ編)
パーティで、亡夫の知人らしき人と出くわすけれど
どこの誰だったか最後まで思い出せない老婦人。
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大家族(休職編)
休職して早3ヶ月。家では明るく振舞うお父さんだけど、
そんなお父さんのカラ元気を子どもたちはとっくにお見通し。
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ベテラン俳優
過去の新劇運動の残滓にしがみつく老俳優と
役者志望だという若者との噛み合わない舞台稽古。

イッセーさん演ずる人たちの右往左往を「バカだなぁ、、、、」と大笑いしているうち、やがて「コレって、オレがモデルじゃぁないかい?」とギョッとしたりするのです。場末のバーのバーテンからエセ芸術家・文化人まで、その“セコさ”をズバリ抉り出して見せるイッセーさんに、もう一つ貴重なキャラクターがプラスされた。

もっとも、このキャラクターを舞台で演ずることは永遠にないだろうけれど。

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太陽
アレクサンドル・ソクローフ監督作品
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[キャスト]
昭和天皇◎イッセー尾形
マッカーサー◎ロバート・ドーソン
香淳皇后◎桃井かおり
侍従長◎佐野史郎
老僕◎つじしんめい
研究所長◎田村泰二郎

歴史に翻弄された昭和天皇を主人公に、“現人神”に祀り上げられた天皇が“人間天皇”に移行するまでの悩みを描こうとした監督の意図はよく理解できます。でも私は最初っから最後まで昭和天皇を演じるイッセー尾形の細かな仕草に、あぁ、そういえば天皇はこんな歩きかただった、こんな口ぶりをすることがあった、そんなことばかりに気をとられてしまった映画でした。昭和天皇の魂がのり移ったようなイッセー尾形に「よくぞここまで、、、、」と圧倒されてしまったのです。

イッセーさんにかかっちゃ“単身赴任”のサラリーマンも“アトムおじさん”も昭和天皇もお~んなじレベルにされてしまいます。

この映画のエピソードが史実に基づいたものなのか、想像上の昭和天皇像なのかは知らないけれど、真実であれフィクションであれ、確かに日本ではデリケートな背景をもつ題材であることは間違いありません。そんな理由から、一般公開が危ぶまれていたこの映画もこうしてちゃんと上映され、多数の観客が集まっていることに関係者の心意気と映画ファンの熱意を感じた映画でした。

     (銀座・シネハトス1で上映中)

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2006年9月17日 (日)

無題

「昨夜アップした章はあれでよかったかな~?」
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と思いながら泳いでいて、
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「そうか!キャンベル先生の助けを借りよう」
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そう思い立ち、大急ぎでプールからあがって帰宅。
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以前に他のサイトにアップした動画を
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再びこのサイトにアップいたしました。
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「joseph_campbell_0001.wmv」をダウンロード
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「神話の力/ジョーゼフ・キャンベルとの対話」
NHK教育TV(1994年2月12日放送
声:滝田祐介(ジョーゼフ・キャンベル)
小川信司(ビル・モイヤーズ)
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2006年9月16日 (土)

ナイルさんと団丸団

故郷のインドから日本に逃亡し、祖国インドのイギリスからの独立を画策した独立運動の闘士R.B.ボース(1886-1944)の生涯を描いた名作『中村屋のボース/中島岳志/白水社刊』にこんな一節がある。

 (R・B・ボーズの運動とは別の動きで)
一方、1932年3月、「五族協和」「王道楽士」のスローガンを掲げて建国された満州国は、中国東北部からモンゴルにかけての地域で、その国家イデオロギーを敷衍し、同時に反英意識を高揚させるための様々な工作活動を展開した。満州国政府は、その活動の一環として、反英意識の強い在日インド人を満州に呼び寄せ、そこでインド独立運動を展開させることを企画した。
 この時、その任務の遂行者として白羽の矢が立ったのがA・M・ナイルであった。ナイルは1905年に南インドのケーララに生まれた人物で、1928年に来日して京都大学の土木工学科に学んだ。彼は学生時代、京都においてインド独立運動を展開し、政治集会で度々弁舌を振るった。(後略)

この、A・M・ナイルが後年東京銀座に開いた店がナイルレストランというインドカレーのお店。

ムカシは店にいっぱい飾ってあったのよ。

だってインド人にとっては大事なものなんだから。

それがさ~、マツモトチヅオの事件で大騒ぎになったでしょ。

それでゼ~ンブ片付けちゃったよ!

あの騒ぎの最中、女房が電車に乗ったら周りの席の人が皆立ったんだって。

不思議に思ったら、オームのマークが入ったシャツを着てたんだよね~。

街で見かける「オーム・プラナバ」の画像を集めているんだという私の話に、A・M・ナイルの息子ナイルさんはレジ前でこんなことを言うのでした。

マツモトチヅオに、民族の誇りである「オーム」を穢されて腹立たしい想いをしているんだろうけれど、インド人ながら歯切れ良い日本語からはそんなことは感じられず、「オーム」のことを喋れるのを楽しんでいるようにも見えたのです。

シラフではとても歩けないような、原色色見本のようなシャツを着たナイルさんがいるナイルレストランは、銀座から晴海通りを築地方面に向かい昭和通りと交差した左にあるお店。店の外観と、外にまで洩れてくるスパイスに興味をソソラレルお店です。1階はテーブル5卓だったかな?(2階席の様子は分からない)

そのナイルレストランで客の6割かたがオーダーするのがムルギランチ(\1,400)。客がオーダーする前に「いらっしゃい!ムルギランチ?」と訊かれるから、わざわざメニューを見る手間が省けます。

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トロトロに煮込んだチキン、それにキャベツとマッシュルームポテトという組み合わせ。ウエイターが客の面前でこのチキンの肉と骨を器用にほぐすのがこの店のシキタリだから、客はその前にムヤミに手を出してはいけない。

あまりインドインドしないで、甘口カレーという感じで食べやすいと思ったら、店を出てしばらくしてからジワ~リとカレーの辛さが体内に広がってきて、汗が滲んできやがった。

ちなみに、R・B・ボーズの方は身を寄せていた新宿中村屋の娘さんと結婚。カレーパンを考案して大ヒットさせたものの、悲願だったインド独立を見届けることなく日本で客死することになります。

日本人はず~とインドに対して親近感を抱いてきて、今、都内では本格インドカレーの店が乱立状態で、インド好きカレー好きの私にはとても嬉しいこと。そんな日印友好の源流を辿れば、上野動物園のインディラの他に、インド独立の闘士、R・B・ボーズ、A・M・ナイルの二人カレーを通じて基礎を築いたことにありそうです。

こんな先達の苦労を知ってか知らずか、ただただ個人の現世での欲望を満たすだけの目的で、“宇宙の原初の音”といわれる「オーム」を捻じ曲げ、日本人が相互不信に陥った事件を巻き起こしたヒトもいたわけだ。

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2006年9月16日(土)の新聞から
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彼の所業について語った他人の言葉はヤマほどあるけれど、
結局、
彼自身はあの事件について何も語ることなく、
この世から消え去ることになるんだなぁ。
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2006年9月14日 (木)

ガイキチバンザイ

ボブ・ディランのipodCMの続きだけど。

アップルコンピュータの広告といえば、数週間前の朝日新聞見開き2ページにおよぶibookの広告には驚きました。ipodのヒットで業績上昇の勢いをパソコンにも反映させようという大キャンペーンなのでしょう(ちなみに私は朝日新聞は購読してないから、この広告はたまたまソバ屋で見た)。

かつて、業績不振に陥ったアップルを立て直すべく、アップルから追われた創業者のスティーブ・ジョブズが返り咲いたとき、Think different.というメッセージで意識変革を迫ってからアップルの快進撃が始まった、というのは私でも知っているアップル神話のひとつ。

まず、ジョブスは「“ガイキチこそが世界を変える”(えあじん訳)」というテーマで、例えばアインシュタイン、エジソン、キング牧師、レノン&ヨーコ、(ムハマッド)アリ、(マハトマ)ガンジー、ピカソ、それに我らがディランなどなど、新旧の社会の変革者の写真を使った広告を打ったのは有名なハナシ。

世間の常識に捉われなかったゆえの自由な発想で社会に影響を与えたこれら偉人の写真と、シンプルなキャプションによって、アップルのThink different.のメッセージがより明確に人々に伝わったといわれます。

アップルの方向性を示した一連のこの広告は社会的にも評判を呼び、その後1冊の写真集としてまとめられ、アップルファンだけに限らず一般的にも話題を集めたのです。結局、誰もが社会の枠組みだとが前例だとかにガンジガラメに縛られて感じる息苦しさから抜け出したいという願望を抱いているということなのでしょう。

日本では1998年に発行された、
原文/アップルコンピュータ
企画・構成/フライ・コミュニケーションズ
という写真集がこれです。
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クレイジーな人たちへ
アップル宣言
訳 真野流 北山耕平
三五館
1998年3月14日初版
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invent 発明する
imagine 想像する
inspire 世界を変える。
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1本のCMが 1冊の本になったことが かつてあっただろうか?
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世界を変えていくのは普通でなく、奇想天外で、型破りで、
とっぴょうしもなく、常識を超えた、風狂の、まるで気が違ったような、熱狂的な、
何かに没頭する、もの狂おしいほどに素晴らしい人たちへの賛辞。(訳者から)

その「クレイジーな人たち」の一人に選ばれたボブ・ディランの写真がこれで、会場名は不明ですが、ギター弾くディランの頭はまるでダイナモ状態で発光しています。

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はみだし者。反逆者。
The misfits. The rebels.

ページ数にして僅か40ページの小冊子並の薄い本ですか、異形の人の重さがズシリと伝わってくる本です。

クレイジーな人たちを讃えよう。
はみだし者、反逆者。
トラブルメイカー。
四角い穴に打ちこまれた丸い杭。
物ごとを違うところからながめている人々。

彼らは規則が好きじゃない。
現状を維持するなんて気にもかけない。

称賛してもいい。
異議をとなえるのもいい。
発言を引用してもいい。
信用しなくたっていい。
美化しようと中傷しようとかまわない。
だが、彼らを無視することはできない。

なぜなら彼らは物ごとを変えるからだ。
彼らは発明する。想像する。癒す。
冒険する。創りだす。インスパイアーしてくれる。
彼らが人類を前に進めるのだ。

たしかにクレイジーにはちがいない。
そうでなければ、他のいったい誰が
無地のキャンバスに
芸術品を見ることができるだろう?
いったい誰が沈黙の中に座って
まだ作られていない音楽を聞けるだろう?

あるいは赤い惑星をじっと見つめて
車輪に乗った実験室を見ることができるのか。

私たちはそんな種類の人々のために道具を作っている。
クレイジーとしか見られない人々だが
私たちには天才が見える。

自分は世界を変えることができる、と考えるほど
十分にクレイジーな人たちがほんとうに世界を変えるのだ。

Think different.

 クレイジーな人たちへ(アップル宣言)/三五館より転載.

ガイキチになりたいという願望をもちながらも、大勢の中にいる居心地の良さに慣らされてしまい、もみ手も4つ5つ6つ。愛想笑いも7つ8つ9つ。せめて寝る前にこんな本を眺めては「クレイジーな人たち」の視線の先にあるものを想像してみようか。

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2006年9月12日 (火)

ディランよ永遠なれ

数日前からこの本を読んでいる。

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ライク・ア・ローリング・ストーン
LIKE A ROLLING STONE
BOB DYLAN
AT THE CROSSROADS
グリル・マーカス著 菅野ヘッケル
白夜書房
2006/06/15発行
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「ボブ・ディラン自伝」にに続く話題作、遂に邦訳!
1965年6月15~16日 ニューヨーク、コロンビアレコードAスタジオで
収録されたロック史上、不朽の「ライク・ア・ローリング・ストーン」。
ディランの代表曲はどのような時代に生み出されたのか、その時代背景と
知られざるレコーディングの全過程を初めて明らかにした、
迫真の一大記念碑ドキュメント!.

ボブ・ディラン不朽の名作と呼ばれる『LIKE A ROLLING STONE』は、偶然に偶然が重なり、まるで奇跡のように完成したことをあぶり出してくれます。

私はディランの年齢からはちょっとあとの年代で、ディランを同時進行で聴いてきたというよりは、他の歌手がカヴァーしたディランの曲を聴いてディランに迷い込んでしまったようなもの。だから『LIKE A ROLLING STONE』の世界に揺すぶられるのもだいぶあとになってからのことでした。この曲のアル・クーパーのオルガンには心奪われても、出だしのドラム一発にまで目を向けることはなかったのです。

出だしのキッカケに過ぎないと思い注意を向けることもなかったそのドラム一発を、銃声として聴く人たちがいることをこの本で知りました。なるほど、あれが銃声に聞こえた人と、単なるキカケだと思った人では『LIKE A ROLLING STONE』の価値観はかなり差がありそうです。

最初は明確な意図を持たなかったスケッチが、まるで何者かの啓示を受けたかのように完成されていき、やがてアメリカ人の思考方法にまで影響を与える曲に育っていく過程を興味深く読んでいると、タイミングよくこんな新聞記事がありました。

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ディラン、30年ぶり1位
2006/09/07(木) 毎日新聞

【ロサンゼルス時事】
米調査会社ニールセン・サウンドスキャンが6日発表した先週のアルバム販売チャートによると、フォークロック界の大御所歌手、ボブ・ディラン(65)の新作「モダンタイムズ」が192000枚で、初登場1位を獲得した。「欲望」(1976年)以来30年ぶりの首位返り咲きだ。新作は通算44作目。(後略)

もはやディランは“神様”に祀り上げられたまま、編集盤やトリビュートアルバムでその歌を聴くしかないのかと思っていたら、なんとナント、いまだに創作意欲衰えず新作を発表、しかもNo.1のセールスを記録しているとの嬉しいニュース。

それならばと私も買ってきましたよ。

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モダン・タイムズ/ボブ・ディラン
前作『ラヴ・アンド・セフト』以来、
5年ぶりの新作(44作目)発表!
SICP 1136~7

この気楽さはどうだろう。まるでカントリー&ウェスタンの世界に先祖がえりしたかのように、歌うことが楽しくってしょうがないという感じで歌っています。

ディランとなればとうぜん歌詞が問題となるわけだけれど、私はそのへんはハナッから諦めています。どんなに完璧な日本語訳詩と言われても、それは単に“対訳”に過ぎず、ディランの意図した世界を著してるとはとても思えないのです。英語圏の人間にだって、ディランの韻を含んだ歌詞の奥までは理解できるとは思っていないから、歌詞カードをザーッと見る程度で、あとはディランサウンド全体に浸ってればそれだけで充分なのです。

この1年くらい前からボブ・ディランの伝記が数冊発刊されているけれど、これってディラン再評価というような動きなのだろうか。かつて、、、先行きの読めない60年代初めにディランに救いを求めたように、いま再び袋小路に陥りそうな日々の暮らしの中でディランの歌に生きる道を見出したいという願望があるのででしょうか。

そうだとしたら、ディランにとっては迷惑なことじゃないかな。過去も現在も、ディランは「ただ歌いたいから歌ってる」というだけで、社会に対してメッセージを発信したいというような気はサラサラなかったんではないかと思えてなりません。

正しいボブ・ディランの楽しみ方は、
そのサウンドをただ身体に入れるだけで良いという
ミーハーなボブ・ディランファンの私としては、
最後にディランのこんなお姿を紹介しましょう。
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これはディランがipodのCMに出演している動画です。
したり顔の評論家や難しい意味づけしたがるファンを哂うかのように、
カリスマはホントに嬉々として歌っています。
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http://www.apple.com/ipod/ads/dylan/
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ipodにはU2のサイン入りアイテムもあるわけだから、
そのうちディランのサイン入りipodも発売されることになるでしょう。
そうしたら私は即刻予約しますよ~ッ!!!
たとえ100ギガの高額なものでも買うことを宣言します。

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2006年9月10日 (日)

繁昌さんのお店は繁盛だ

先週末からアップルコンピュータの銀座店に通っている。

\9,800でApple Pro Careの会員になるとパソコン操作の疑問点の相談とか、修理の優先受付け(もちろんMac.製品に限る)、それに今回私が利用しているパソコン教室を無料で受講できるというサービスを受けられるのだ。それぞれ2時間のプログラムで「パソコンのパ」も分からないクリック初心者向けから、ホームページなど作りたいという中上級者対象まで実に多彩なプログラムが組まれている(プロ用教室は有料)。

会場はアップル銀座店の5階にあるスタジオで、教室には10台(だったかな?)のアップルコンピュータがセットされていて、アップルのインストラクターが懇切丁寧に指導してくれる。1回で理解できなかったらまた再び同じ講座を無料で受けられるという良心的なもの。

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(アップルのサイトからパクッた教室の画像)

私も一応ホームページやブログを発信しているけれど、将来は全面的にマックに移行したい考えがあって基本を勉強する気になったもの。教室で習ったことが即自分に対応できるとは思わないけれど、何回か通ううちにマックの奥深さにハマッて行きそうな予感がします。

もちろん、それがアップルの販売戦略の一環だろうが、こんなふうに洗脳されていくんだったら、いくらでも洗脳して!!!という心境で、なにやらアタマの形もアップルのロゴマークの形になっていきそうです。

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(ある日曜日の銀座通り。
アップルの前でパフォーマンスしているピエロさん)

さて、

マックに行くときは大体無印良品のレストランで飯を食っていて、その画像も何枚かアップしたけれど、今回は珍しいスパゲティ屋の画像をアップいたしましょう。

西銀座の高速道路下に「銀座インズ」というアーケードがあって、その一番東京駅寄りの「銀座インズ3」にあるのがジャポネというお店。たまたま日曜日に通りかかったときには店が閉まっていて、変わった造作に興味がわき、いつか試してみようと思ったもの。

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土曜日は3時閉店、日曜日は休業ということが分かったので、土曜日のお昼にネライ定めて行ってきましたヨ。そうすると、なんと、15席ほどのスタンド椅子は満席で、20人ほどのお客が列を作ってのウエイティング。こんなに繁盛している店とは気がつかなかった。様子を見てると、回転が早そうなので列にならぶこと20分ほどで席に座ることができた。

カウンター内では3人が私語もなく立ち働いていて、その手際の良さがすばらしい。調理の係り、盛り付け、オーダーを受ける係り、休憩に入る係り。その上にテークアウトを受け、出前もこなすという作業が流れるように進んでいきます。しかも面前のお客へのサービスがぞんざいにならないという、私はこういう段取りの良い仕事っぷりが大好きで見惚れてしまいます。食べる前から「この店はアタリだろう!」ということが分かります。

ふと、調理場の奥を見ると、食品衛生責任者というような、保健所がらみの張り紙に小栗繁昌という名前。たぶんカウンターで働いているこの中の一人なんだろうけれど、名前が繁昌で店が繁盛なんだから、ホントに「名は体を現す」ということはこういうことなんだろうな~とニヤリニヤリ。

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あらかじめ大量に茹でておいたスパゲティをオーダーに応じて具と一緒に炒めるというやりかた。たしかにそうでもしないとお客をこなせないわなぁ。目の前でジュージュー炒める音がどんなBGMにも勝る音楽です。

そこで私が注文したのは『和風明太子 ジャンボ(大盛り)』というスパゲティ。

しその葉、玉ねぎ、小松菜、しいたけを絡めた上に明太子と大量のキザミ海苔をふりかけた和風スパゲティ。そして皿からあふれんばかりの結構な量です。味はスパゲティというよりは焼きソバという食感で、正に、イタリア人もびっくりの和風和風、和風マクダニエル!。

食べ終わってもテキパキした仕事ッぷり見ていたいが、どんどん列は出来ていくから、次の人に場所を譲るために席を立ったけれど、慌しさも不満に思えない!

    イヤ~!満足の嵐!! 美味しかった!!!

そういえば、ワシは「にっぽんめんくい党総裁」だった。

それでは、そんな総裁が無条件で推薦する、銀座インズ3のジャポネの明太子スパゲティを紹介いたしましょう。ココロして画像をご覧ください。

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銀座の裏通りをチョロチョロしたけれど、やはり銀座は風情があるなぁ。

もちろん高級なレストランもヤマほどあるんだろうが、こんなジャポネのような気楽なお店もいっぱいあるのです。それに渋谷新宿のようにガングロネーちゃんや、ズボンズリサゲニーちゃんとすれ違わなくとも良いのが一番嬉しい。

というわけで、

マックのコンピューターにハマリ

ジャポネの和風スパゲティにハマったという

まだまだ残暑厳しい9月の週末でした。

そうザンショ!!!

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2006年9月 9日 (土)

哀愁のカサブランカ

1974年にイタリア・シシリー島・パレルモから船に乗って北アフリカのチュニスへ渡ったことがありました。ちょうど夏の終わりの今頃の季節だったと思います。

たしかに『遠い太鼓』の中で春樹さんが書いたように、あのころからシシリー島は犯罪多発らしく、海岸へ行けば若い衆が集団で棒切れふりまわしてケンカしていたり、暗くなればパトカーだか救急車だかのサイレンが夜っぴて鳴っているような街で、「さすがマフィアの本拠地」などと納得した記憶があります。

私は1973年に旅に出たから日本ではコッポラの『ゴッドファーザー』は噂だけでまだ封切りされていなかったはずです。というのも、もしこの映画を観てからシシリーに渡ったのであれば、物見高い私のことですから、必ずコルレオーネ村に行ってたと想像がつくのです。

そんな物騒な街でも貧乏旅行者の私なぞが危険な目に遭うこともなく、夕方広場に行けばアッチコッチの屋台でくつろぐオヤジ連から声がかかり、ワインを振舞われたり、ワケのワカランものをご馳走になった楽しい思い出があります。30年くらい前のハナシですから世界全体がオットリしてたころだったのです。

泊まっていた安ペンションの隣室は毛沢東の巨大な写真パネルが貼ってあったから、たぶん、イタリア共産党パレルモ支部というような事務所ではなかったかと思います。こんな所で月に数回のチュニス行きの船を待っていたわけです。確たるアテがあったわけでもないけれど、地図に書いてある航路を頼りに「行けばなんとかなるんじゃないか」と期待してシシリーに来てみたら「なんとかなって」チュニス行きの船に乗ってアフリカの地を踏めたわけです。

チュニスから陸路アルジェ→カサブランカと、今にしてみれば結構変わったルートを歩いたわけだけれど、この当時の記憶というのが実に薄れているのがわかります。というのも、このときは旅を出て1年くらい経過していて、もはや私のアタマの中のハードディスクはそれまでの旅で経験した古いファイルで満杯、新しい物事を吸収するだけの容量はなくなったまま、ただの惰性で旅を続けていたようなものだったのです。

こんな、印象の薄い北アフリカだけれど思い出したことをひとつ書いてみましょう。

カサブランカでユースホステルを探していたとき一人の東洋人の青年から声をかけられたのです。彼と片言の英語での対話で(彼はベトナム人でフランス語が達者だと分かった)ユースホステルを探してると私が言うと「心配ない、ボクに尾いて来い!」ということになって、連れて行かれたのがベトナム料理屋。

店のベトナム同胞とも懇意らしい彼はキッチンから勝手に料理を運んできて「喰え!喰え!」と勧めます。旅先で受ける親切には身構える習性が身についたはずの私でも空腹には勝てず、久しぶりの醤油味のベトナム料理を貪るように食べ続けたのです。そんな私の食事を彼はお茶を飲みながら満足そうに眺めてるだけでした。

食べ終えた私が一応勘定を払うポーズをとると「心配するな」と受け取らず、「店の者に話しておいたから、食べたいときはいつこの店に来ても良いから」というのです。

そして、店を出て次に連れて行かれたのが、いかにも胡散臭い雰囲気の建物の事務所で、彼はそこから、調べたユースホステルに電話し場所を確認し、私の名前で予約して、地図まで描いてくれたのです。

   「シャワーを浴びていけよ」

さぁ、来たな!ヤバイ!!!!!

ここまでくるとだいたい想像つくのが、シャワーの間に私のリュックサック共々彼が消えるか!あるいはホモか!

私のそんな怯えを察したのか彼は笑いながら私を上の階まで連れて行って中を見せてくれたのですが、そこはマッサージの店だったのです。危なッかしい感じは消えないけれど、奥のシャワー室らしい部屋から洩れる蒸気を見てしまうと、なんか、もう、どうでも良くなって、

 「金でも!モーホでも!好きにしやがれッ!!!」

という気分。ホットシャワーの誘惑には勝てなかったわけだ。

染み付いた旅の垢を削るように身体をこすりシャワーを出て彼に呼びかけると、半開きのカーテンから顔を出した彼は「荷物はそこにあるから。又来いよ、バイバイ」と手を振ってくれたのです。ベッドには白人男性がうつ伏せで横たわっていて、彼はちょうどマッサージを施しているところだったのです。マッサージといってもイカガワシイサービスを伴ったマッサージということでもなく、今でいうところのスポーツマッサージだったのです。

どうして、ベトナム人がカサブランカくんだりでフランス人をマッサージしているのか分からなかったけれど、あとで考えれば元フランス植民地だったベトナムのマッサージ師が、同じく元フランス植民地のモロッコで、フランス人にマッサージするのも不思議なことではないでしょう。

カサブランカ滞在中に何回か彼を訪ねベトナム料理をご馳走になり、シャワーを使わせてもらったけれど、まったくお金を要求することも見返りに何かを求めることもありませんでした。彼はアジア人の同世代の旅行者をもてなすことが、同じアジア人としての義務であるというような美学を持っていたようにすら思います。それにつけ、彼の下心を疑いシャワーの後に財布の中身をチェックし、何か盗られたものはないだろうかと心配したりした自分を惨めに思ったものです。

「サハラ砂漠を縦断しようと思う」という私に、彼は「夏は危険だ!行くなら絶対冬にしろ」と強硬に反対し、それでもブラックアフリカへ行きたいという私に、彼はカサブランカ→スペイン領ラスパルマス→セネガル・ダカールのエアフランス最安値のチケットを見つけてくれたのです。

結局モロッコからサハラ砂漠横断の思いつきは、セネガルのダカールからアフリカ大陸を西から東に横断してケニヤのナイロビに着くルートに変更になったけれど、このときの貴重な経験も薄れたものになっています。でもカサブランカで世話になったベトナム人のことはハッキリと思い出しました。

旅に出ればいろいろの人に出会います。言葉の不自由さから相手の真心が読み取れず、過剰な警戒のあまり、たくさんの善意を裏切ってきたような気もします。反面、警戒心があったからこそ善意の顔をした悪意から身を守ったこともあったでしょう。旅行者にとってはそのあたりの見極めが非常に難しいところです。

『遠い太鼓』の中の「モロッコに行きたくなった」という春樹さんの一節から、以前モロッコを旅したときのささやかな記憶を拾いあげながら、「オレもモロッコに行きたいなぁ」などと思い、30数年前叶わなかったサハラ砂漠縦断に挑戦したいとも思った今年の夏でした。

「アフリカの水を飲んだ者は再びアフリカへ還る」ってこういうことなのかな。

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このアフリカ大陸横断については他のサイトに書いたので
関心のあるヒトは探し出して勝手に読んでくれ
ということで、
この章は音楽が出なかったから、
得意のこんなパクリ音声をアップしときましょう。
あなたも世界のエンターティナー・ヒロミ・ゴーの気分になって歌ってみるのはどうよ!
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最近はこの曲をipodに取り込んでリピートで聴いているのです。

あんなにワイルドだった私も、

30年を経た今では

こんな甘いメロディに聞き惚れる

軟派なオヤジになったことを痛感した夏でもありました。

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2006年9月 6日 (水)

モロッコに行きたい

ひところ皇室典範改正とかでずいぶん賑やかだったのがウソのように沙汰止みになったと思ったら、“ごかいにん”というニュース。そして、こんどはこれだもの。なるほどねぇ。こういうハナシだったんですか。

これまでの日本は、“年功序列”という社会のシステムが維持されてきたことによって(良くも悪くも)混乱を予防してきた面があったと思います。そのシステムが徐々に崩れていって、その最たるものが今回の序列入れ替わりではないでしょうか。これによって社会は今後益々混乱へと突き進んでいくような気がします。

マッ! 二重橋関係は他のひとにまかせて、私は半径1メートル以内の相変わらずの身辺雑記。

夏休みからチビリチビリと読んでいた『遠い太鼓/村上春樹/講談社文庫』読了。

1986年から1989年の3年間ヨーロッパに滞在した記録で、著者も書いていたけれど、旅の名所案内的ガイドブックでもなし、いわば身辺雑記のようなもの。著者の一連の小説を貫く“浮世離れドットコム”と違い、イタリアを罵倒するあたりに人間味が感じられて親近感を覚える。この旅の最中に名作『ノルウエイの森』を書き下ろしたと知ってビックリ。「モロッコに行きたい」という一節を読んで、私も急にモロッコに行きたくなったのだ。

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さて、例によって神田のジョナサンで朝のお茶を飲みながら、『遠い太鼓』の最終章を読み終えて、さっき地下鉄構内で貰ってきたフリーペーパー『R25』をナナメ読みしていたワケよ。

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そうしたら、パッとこんな記事が目につきました。

   夏休みのハワイはもう飽きたし

  職場で自慢できる海外リゾート体験って・・・

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観光目的だけじゃなく、ちょっとしたビジネス見学とリゾート保養を兼ねた旅行はいかがですか?というような趣旨のコラムなんだけど、     

       パリ行ってチュニジアコース

         チュニジアってアフリカじゃん!と思う人も多いかも知れませんが。パリから3時間弱。

         他にもパリから不通の通勤電車に乗ってモナコに入る・・・という意外なコースもある

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     ????? 

   パリから不通の通勤電車に乗ってモナコに入る・・・

これって、もしかしたら、、、、、、、

   パリから普通の通勤電車に乗ってモナコに入る・・・

の変換ミスじゃない?

それとも、電車が不通なところをアイデアでモナコに入るというのがR25的イキという意味なのかなッ。

どうでも良いことだけど、

やはり、村上春樹作品の中の一節「モロッコに行きたい」を読んで、

モロッコに行きたくなっているから、

チュニジアなんていう文字がポンと飛び込んでくるのよね。

ジョナサンでこんなことにニヤニヤしていると、隣の席に座った60歳半ばのオヤジさん。ジョッキの生ビール飲みながらモーニングセットのトーストを食べています。夜勤明けなのか、散歩の途中なのか、朝の7時30分から生ビールとは!幸せなオヤジさん。余計なお世話かもしれないけれど美味そうに飲んでないのが気になるなぁ。

そうかと思うと、仕立ての良いスーツを着た、一見会社役員という押し出しの強いオヤジさん。フリードリンクの棚に備え付けのシュガーとミルクを両手でゴソッと掴みポケットに入れ、何食わぬ顔で店を出て行きやがった。こちらも余計なお世話かもしれないけれど役員室で飲むコーヒーはさぞかし美味しいことでしょう。

フリーペーパーの変換ミスにニヤニヤしているオヤジがいたり、
生ビール飲みながらトースト食べてるオヤジがいたり、
僅かの金をケチッてシュガーとミルクをガメるオヤジがいたり、
朝のファミリーレストランにもイロンな人間模様があるものです。
テレビは点けないし
夕刊も見たくない。
そんなニュース見たってしょうがないもんネ!
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2006年9月 3日 (日)

連続のアタリ

いまパソコン業界ではソニーのバッテリー問題で大問題になってるらしい。

販売台数の多いDELL社のノートパソコンが搭載しているということが、騒ぎを拡大したことになったそうな。リコールはWIN.関係だけかと思っていたら、Mac.にも飛び火して、私のところにもアップル社からのメールが入り、該当機種と該当バッテリーのシリアルナンバーが公開されて、至急お調べくださいとのこと。

私のはPowe BookG4だから、該当機種にあたり、バッテリーのシリアルナンバーを調べたら、これも見事にア・タ・リ!!!!

「製造過程における微細な金属粒子の混入」によって発熱する場合もあるということだそうだけど、じつはこのマックは1年半くらい前に買ったものだけど、数ヶ月してから「バッテリー発火問題」が起き、そのときも交換したから2回目の大当たりになるわけだ。

無償交換の手続きはメールで簡単に済み、あとは交換バッテリーの到着を待つだけだけれど、こんなことに2度も大当たりになるのも珍しいパソコンじゃないかな。

そのバッテリー問題とは関係ない用件でアップル銀座へ行く。

アップル社のソフトの使い方などの講座が無料で受けられるのだ。専門家によれば、かつては訓練を積んだホントのプロでなければできなかった画像・映像処理がマックを使えば初心者でもラクにモノすることができるのだといいます。アタマをサビつかせないためにも新技術をマスターしようと一念発起して数講座に申し込んであったというワケ。

それで、1講座2時間単位の受講後感想だけど、懇切丁寧な説明で非常に分かりやすい内容に満足。もちろん1回ですべてをマスターできるものでもなく、「何ができるのか」ということが分かっただけでも収穫。あとは自分の勉強しだいというのも当然のこと。そのうち当サイトでもその成果を発表できれば良いな~と思っているところです。

まぁ、講座は無料だったけれど、講座の終わりにはショールームを見たりするから、そうすれば当然欲しいものも出てくるわけで、ついついこんなものを買ってしまった。

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一つは512メガのメモリーで、これで1ギガに拡張して作業スピードを上げようというもの。もう一つはアップルの新製品のマイティマウスというヤツ。講座で使ったパソコンがこのマウスで、小さなボールを回すとスクロールできる使用感が良かったので買ってしまった。

ウィンドウズとアップルの地位が逆転することはありえないだろうけれど、無料講座や店内のワークショップを通じて確実にファン層を開拓している。なにしろ、私までもマックを使ってみたいと思うのだから。

さて、アップル銀座に行くといつもご飯を食べるのは有楽町の無印良品のレストラン。

本日のメニューはコレ。
薬膳カレー840円也。
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暑いときにはカレーに限る。それに“薬膳”とつけば、いかにも身体に良さそな感じがします。惜しいのはもっと量が多ければ良いのにということ。私のような土方にはあまりにも上品過ぎるのです。

新しいパソコン知識で脳を活性化させ、カレーの辛みで胃袋に刺激を与えて、スキップ踏み踏み家に帰ってみれば、分厚い書類がポストから溢れています。

中から出てきたのがこの本は編集者からの献本。

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〔インタビュー特集〕防災日本列島 生きて行きぬく智慧
東京消失
関東大震災の秘録
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小川益王〔監修〕
小櫻景如〔編集〕
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文藝春秋=発売 
2006年9月1日 第1刷発行
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ディジタル リメイクで
鮮やかに甦った関東大震災旋律の記録。
映画化決定!
◎脅威の記録映像
◎ドキュメント「サバイバルウォーク」
あなたは愛する家族のもとに帰れますか?

この本の発行日の9月1日は関東大震災の日。

防災の日として行われた訓練も、参加者はレクレーションの気分のようだったし、テレビニュースを見ていた大方の人も他人事として観ていたことでしょう。私だってそのクチです。皆、そのうち地震はあるだろうけれど、自分の所だけは大丈夫と思っているのです。

でも、自然に対しての人間なんて無力なものです。人間が月に行き、帰還できるほど文明が発達しても地震予知すらできず、せいぜい天気予報の「雨が降る、晴れる」程度が科学の限界なのです。

いつナニが起きるか分からないから、

そのときのための準備を怠らないか、

あるいはナニもしないか。

「運を天に任せて」と開き直ったところで、明日私たちが被災者になりうるワケです。

もし、いま関東大震災並の地震が首都圏起きたら、その被害は大正時代の何倍にも及ぶだろうことは想像に難くありません。この本に収められている関東大震災の悲惨な写真を見ると、せめて“防災セット”くらいは準備しておかなければと思うし、天井まで伸び上がったレコード・CDの棚が倒れないように固定しなけりゃならんなぁ・・・。

そんな身近なところから自衛しなければと思うのです。

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2006年9月 2日 (土)

ヨーツー de サンバ

出かけるために靴下をはこうと腰を屈めた瞬間、腰にチクッと軽い痛みがあり、その瞬間「ヤッタ~ッ!!!」と脂汗。私の腰痛は重いものを持ったのが原因というような骨関係のギックリ腰とは違うようで、むき出しの神経が擦れる痛みで動けなくなる感じ。だいたい2-3年に一度の周期で腰痛は起きていたから、ソロソロくるんではないかなという予感はしてたけれど、、、ヤハリきましたね~。

とにかくユックリと椅子の背もたれを伝わって床に転がり深呼吸の繰り返し。落ち着いたところで、電話口までにじり寄り「腰やっちゃったから!今日行けなくなった!」と相手の留守番電話に伝言残してあとは死んでいたというワケ。そんなこんなで、夏休み後半はプールでの水泳もできず、ひたすら安静につとめ腰の痛みが和らぐのを待つ夏休みでした。

そのお陰でいつもは観ることのない高校野球を観て、あの子供たちを大人社会がシャブリつくすことになるんだろうと、余計なお世話ながら高校生の行く末を心配したり、宿題だった村上春樹作品を読んだりもできたのです。

『遠い太鼓/村上春樹/講談社文庫』を読みながら(まだ読みきれない)、ついつい沢木耕太郎の旅日記と比較してしまうけれど、村上作品のユル~イ語り口が好きです。

  「旅だぞッ!思索したぞッ!」

と、脅迫されているような沢木作品との差は、あんがい、村上春樹はパートナーを伴った旅で、沢木耕太郎の方はシングルの旅だったというあたりに紀行文の質の差が出たのかななどと思ったりしたのです。

クーラーはないけど、けっこう風通しが良い部屋で、腰痛を紛らわすために身体を“くの字”にしながら、こんなCDをBGMにして村上春樹を読むのもなかなかオツなもの。

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最初は寝返りをうつのも大変だったものが、2日も静かにしていればだいぶ楽になって、こうなると、ただ寝ているよりも外を出歩いた方が回復が早いというのが今までの経験から学習したこと。止めてたスイミングプールにも行き、水中ウォーキングでユックリ身体を動かしたりの慣らし運転。

気分転換に秋葉原にも行ってはみたものの、30何度の電気街もかげろう立ち昇る砂漠地帯。威容を誇るヨドバシカメラ・マルチメディア館からは「カネ遣え!カネ遣え!!!」の波動が押し寄せてアタマがクラクラ。

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堪らず、石丸電気のCD屋に入って、「ホラ、ベートーヴェンの『大公トリオ』とかっていうの有りますか?」と訊けば、口臭のキツイ店員さんが必死に探してくれたのがこのCD。

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『大公トリオ』がどういうものなのか何も知らず、ガラにもなくクラシックのCD買ったのも、じつはコレ、『海辺のカフカ/村上春樹/新潮社』の場面展開に何度も出てくる音楽。どんな音楽なんだろうと興味を持ち、家に帰って聴いてみたけれど、私にはただカビ臭いだけで、この音楽からインスパイアーされるものは何もなし。ヤハリ、私の空洞アタマと春樹さんの感性は天と地ほどの開きがあることを実感。

そんなこんなで、なんとか出社日まで腰痛も収まって、コトなきを得たワケです。

もう9月。

ちょっと前まではペットボトルのお茶を一気に飲み干せたのに、今では何回にも分けなければ飲み干せぬあたりにも、季節が秋になったことを感じさせます。

異常気象が反映したように世の中には連日異常な事件が絶えませんでした。

親が親を殺した。

親が子供を殺した。

子供が親を殺した。

子供が子供を殺した。

こんな気の滅入る事件ばかりの中の、追突されて海に落ちた車の子どもたちが3人亡くなったという福岡の事件には泣きました。

父親は二人の子どもを抱え立ち泳ぎ、母親はもう一人の子どもを救うために何度も海に潜ったということです。母親の泳力がどのくらいのものだったか判然としませんが、たとえ泳げないとしても沈んでいく子どもを救うべく飛び込ませたのが母の力であり母の愛です。

この国にしてこの親あり

この親にしてこの子あり

周囲を見回してもカーバな親とバカなガキばかり目につく世の中で、

この福岡の痛ましい事件の中に本当の親子の姿を見せられたようでした。

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向こうの方から聞こえるドンドーンという花火の音が
夏の終わることを教えてくれます。
隣の屋根越しに見える花火はこんなもの。
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こんな画像からムリヤリ晩夏の風情を感じちゃおう。
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