ヨコハマメリーはラーダー妃か 4
昨夜は買ってきたばかりの『バングラディシュ コンサート/ジョージ・ハリスン』を観ていた。
バングラディシュという国がどこにあるかをおさらいするとこうなります。かつてインド亜大陸を植民地にしていたイギリスは、1947年、インドを真ん中にして、回教徒の多い地域を西パキスタン、ヒンズー教徒の多い地域を東パキスタンとして放っぱらかしてインド亜大陸の統治から手を引きます。
その結果、経済的に優位に立っていた西パキスタンが、インドを挟んだ東パキスタンを支配することになり、東パキスタンの人々はイギリスから開放されたと思ったら、こんどは西パキスタンからの差別と圧制に苦しむことになります。
西パキスタンから独立して「バングラディシュ」としての国家成立を目指す運動は高まり、内戦状態に陥った東パキスタンからは、隣国インドを目指す多数の難民が生まれました。もともと東パキスタンは宗教的にも、民族的にも、言語的にもインド文化圏に属していたわけです。
難民救済に音楽家としてできることはないか?
世界的に有名なシタール奏者ラビ・シャンカールが友人の元ビートルズ、ジョージ・ハリスンに相談を持ちかけたことが、このバングラディシュコンサートへの成立へとつながっていくことになるのです。ラビはカルカッタ生まれのベンガル人として、同じベンガル人が多数を占める東パキスタン(バングラディシュ)の状況が他人事ではなかったのです。
このコンサートの収益金の遣われかたには、不透明な部分も囁かれたようですが、いずれにしても、ジョージとラビのこの動機は、その後の『ウイ・アー・ザ・ワールド』になり、ミュージシャンが、自分たちのネームバリューと才能を社会に還元するためのチャリティ参加へと道筋をつけた、“世紀のイベント”だったことは間違いありません。
1971年か。この当時のビートルズは解散宣言したんだったろうか?活動休止という状態だったろうか?
ビートルズというグループの中では抑えられていた印象のジョージ・ハリスンのこの時期は、その秘めていた才能を一挙に開花させたように話題作ヒット曲を発表した時代でした。その、ジョージ・ハリスンも今は亡く、陽気に跳びはねているビリー・プレストンの死亡記事を読んだのも数ヶ月前のことでした。
それにしてもこの映画の出演者の汚いことはどうだ?
皆ステージ上でやみくもにタバコを喫い、こんなふうに小汚い格好でいることが社会に対する抵抗の意思表示だったのか。

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