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2006年7月16日 (日)

風に吹かれて

昨日のギラギラ太陽から一転、今朝はドンヨリとした曇り空。

昨日午後のゴロゴロ雷さんには驚いたけれど、今日の新聞を読む限りでは落雷被害の記事も載ってないから、こちらが心配するほどの被害は無かったのかもしれない。

木曜日に、例の「示談頭突き問題」をネタにして、イタリアの選手は“示談の姉を侮辱する言葉”を何語で投げかけた?、、、、、つまり、フランス人とイタリア人の両者が理解できる共通言語は何だったんだろう?というような文章を書いたところ、それを読んでくれた、パソコン教室の先生という方からコメントを頂戴しました。それによると、教室に私と同じ疑問を抱いた生徒さんがいたそうで、しばしのあいだパソコンに関係ないそんなハナシをすることになったというような内容でした。

この件の詳しい内容はコメント欄でどうぞ、、、ということで、“二個小鉢”もそうだけど「同じコトを考えるヒトはいるんだなぁ」とニヤリニヤリ。

3連休といってもどこかに行く計画もないから、午前中はプールで泳ぎジャグジー浸かって、身体はクラゲ脳ミソはウニ状態にして漂っているだけの安上がり生活。暑くなると子供たちがドッとプールに押しかけはしゃぎ回りコースをふさぐから「ガキども!あっちへ行け!!」と怒鳴りたいのが半分、背の立たない場所で冒険したいガキどもを応援したい気持ちが半分。

プールを出て近くのスーパーに寄ってみたらこんな豆腐を発見。

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コレって、どう見ても五木寛之風に吹かれて海を見ていたジョニーをつなぎ合わせたモノでしょう。まぁ、イケシャーシャーと、、、やるもんだなぁ!とニヤリニヤリまたニヤリ。名前にだまされたフリして買ってきて試食してみたら、ネーミングのアザトさとは反対に、おぼろ豆腐風のちゃんとした味だったのでひとくちでファンになってしまったのでした。

最近こんな意表ついた名前の豆腐が増えてきて、けっこうなセールス成績を上げてるらしいけれど、そのうち、

   風の歌を聴けノルウエイの森豆腐倶楽部

なんていう豆腐も出現するんじゃないか?

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久しぶりに五木寛之新刊を読む。

私は1960年代中頃から70年代にかけての五木作品の熱狂的読者でした。五木作品に影響されて、シベリア鉄道を西に向かい北欧にたどり着く計画をたて、当時の勤務先に長期休暇の申請するも却下され断念したのです。「会社を辞めても旅に出る」というまでの決断ができなかったわけです。

計画を立てた出国予定日、自分が乗るはずだったナホトカ号だったかハバロフスク号だったかの出航を横浜港で見送る屈辱を味わって帰ってくる電車の中で「ヨシ!会社を辞めて旅に出よう!」と決意し、それからは熱心に貯金に励んだのです。いまでこそワールドカップ観戦のために退職するなんてこともあるし、海外旅行なんて珍しくもなんともない時代だけど30年前には一大決心が必要だったのです。

結局その会社を翌年の秋には退社して貯金をドルに替え、シベリア鉄道ではなくアジアハイウエイを西に向かう旅に出たのです。ちなみにこのときの両替は2000ドル(1us$=300円)、時期は沢木耕太郎が「深夜特急」に乗る半年前のこと1973年10月のことでした。

この旅のリュックサックの中に入っていた何冊かの文庫本の一つが『風に吹かれて/五木寛之』でした。安ホテルのベッドの上で、移動する3等客席で何回も繰り返し読み続けたこの文庫本は、アフガニスタンのカブールで他の本と交換されて、さらに中近東あたりをあっちこっち彷徨ったはずです。

あれから30年、、、、。

『風に吹かれて』の続編ともいうべき『新・風に吹かれて』がこうして新刊として目の前に現れたのです。

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新・風に吹かれて

五木寛之

講談社
\1575

2006年7月5日 第1刷発行

いま、“風に吹かれて”

という生き方

のすすめ

一度快笑 再読苦笑

おかしくて

やがてジンとくる

五木エッセイの真骨頂。

待望の最新刊!

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この10数年の五木さんのテーマは仏教の追求にあったようで、かつての戦後焼跡派がミョーに分別クサイ言い回しになったものだと敬遠していたけれど、いまこうして、最新刊を読んでみると、自分に起きるあらゆるものを受け入れて、流れに身を任せ、肩肘張らずに漂白するワザを体得した五木さんのワザを見て、「あぁ、こんな風に生きられたら最高だなぁ!」と教えられたのでした。

結局、当たり前のことだけれど、体力気力は年齢とともに劣化し変化していくわけだから、それぞれの世代に合った生き方を受け入れ、無理をしないで“風をやり過ごそう”ということになるかと思います。

しょせん小さな存在の人間が、自分の力で物事を切り拓いていけてると思ったら大間違いで、すべて宇宙の流れの中で生かされているのだ、というのが五木さんのたどり着いた場所ではないでしょうか。

五木寛之と石原慎太郎は生年月日が同じです。すでに仙人のように枯れた境地に達した五木さんと、いまだに衰えない野心で脂ぎった顔の都知事。この2人の来し方は似てるようでもあり、かけ離れているようでもあり、2人の結末はどんなふうになるのだろうと、無責任な興味に駆られてしまいます。

この章の最後は、

手元に『風に吹かれて/五木寛之/読売新聞社刊』の初版本があるので、

参考資料も兼ねて、その画像をアップしておきましょう。

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風に吹かれて

五木寛之

読売新聞社
\480

1968年7月1日 第1刷

五木寛之の青春放浪記

新鋭作家が淡々たる筆致でつづる、若き日の歓びと哀しみ。ユーモアとペーソスの背後に光るユニークな文明批評のエッセイ集!

読売新聞社/480円

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『風に吹かれて』が1968年7月

『新・風に吹かれて』が2006年7月

この2冊にはおよそ40年の時間差があったんだ。

ということは、私の年齢にもおよそ40年という数字が加算されたワケだ。

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