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2006年7月31日 (月)

新宿厚生年金会館は「ムーヴィン・アウト」だった

昨日の日曜日はザ・バーズの章をアップしてから新宿へ。

新宿伊勢丹前の歩行者天国では若者がこんなパフォーマンス中。

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自作CDを売りたいらしい。
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今でもいるんだなぁ。こんな70年代クズレのような青年が。

急いでいたのでハナシのネタに写真を撮っただけで、即その場を離れる。

じつはブロードウェイミュージカル『ムーヴィン・アウト』の招待券を貰っていたので、新宿厚生年金会館へ向かっていたのだ。

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ストーリー展開としては、アメリカの田舎で青春時代を謳歌していた若者たちも、ベトナム戦争のために、ある者は戦死し、ある者は傷つき、かつての恋人との別れがあり、もう青春も終わったことを知ったとき、大人になっていく、、、。

という、、、、、、、

まぁ、

『アメリカン・グラフィティ』のような、

『ビッグ・ウェンズディ』のような、

初めは甘くてやがてホロ苦く、

そして最後は大いなる希望を抱かせるという

典型的なアメリカ青春物語。

だけど、このミュージカルのユニークなところは、最初から最後まで、全編ビリー・ジョエルの歌に乗せてストーリーが展開し、セリフが全くないということ。もちろん、ステージの両袖には歌詞の日本語訳も表示されるけれど、ストーリーとしては単純だから、それを見なくとも充分に理解できます。

15人ほどのダンサーは特に超絶技巧のダンスを披露するわけでもないけれど、ステージ奥のセリ上がったところにセットされた7人のバンドが実に素晴らしい。このピアニストが高音の艶やかな声で、よくぞここまで!!!と、ビックリするほどのビリー・ジョエルのソックリさん。たぶん、アメリカのショー・ビジネスの世界では、オーディションをやるとこのくらいのことを易々とこなす人がワンサカ応募してきて、Aグループ、Bグループ、Cグループ・・・と世界中を同時にツアーできるくらいのチームを組めるんだろうなぁ、と想像したりするのです。

私はビリー・ジョエルの特別なファンでもなかったけれど、アッ、この歌知ってる!というような曲が殆どで、ダンスがなくとも音楽の部分を取り出しただけでも充分に楽しめるミュージカルでした。それに、私は生演奏の信者だから楽しみも倍化されたような夜でした。

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さぁ、関東地区はツユも終わったようで、これからは暑い暑い夏へと突入です。

夏負けせずにガンバッて行きましょう。

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2006年7月30日 (日)

こんなさわやかな朝はザ・バーズで一日が始まる

今朝は久しぶりに寝坊してしまった。

新聞を見るとまたジャイアンツが負けてやがる。

強竜 今期初 全員安打で全員打点 6連勝

投壊巨人 借金12

スポーツ欄の見出しも躍っています。

ジャイアンツが負けた記事を読むのが楽しみのワシにしても、コリャ、ちょっと負けすぎでツマンナイ。

どうした原監督!顔拝ませろよナベツネッ!!

これでは、どうも中日優勝の流れ!

中日が優勝する年は政変が起きるというジンクスがあるらしいけれど、今年の秋はナニカ起きそうで楽しみです。

さて、

暑いけれど湿気が少ないさわやかな日曜日の朝。

こんな気分の良い日はこんなCDを1発目に聴いてみようか。

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ザ・バーズ
グレーテスト・ヒット集(第1集)
THE BYRDS' GREATEST HITS
28DP 1023
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フォーク・ロックの隆盛は、彼らが創り出した。
ウエスト・コースト・サウンドの母体が、このヒット集にある。
67年作品。

こう書きながら気がついたけれど、「ザ・バーズ」って「THE BIRDS」、つまり「鳥たち」と何10年も思っていたけれど・・・「THE BYRDS」だったの?!!!

BYRDSってどういう意味なんだろうと慌てて辞書を引いてみたけれど、辞書にも載ってない単語で、このサイトを見ているどなたかこの意味を教えてちょうだいな。

というワケでCDに戻ると、、、、。

まず1曲目の「♪ミスター・タンブリン・マン」のロジャー・マッギンの12弦ギターの音で、気分はスッカリ70年代。アメリカには行ったことないけれど、これが70年代のアメリカ西海岸か。しかも全く古さを感じさせない、現代に通用する70年代!。

ロジャー・マッギンがかつて語っていたけれど、レコードでは解明できなかったビートルズのサウンドの秘密が、ビートルズ映画「ヘルプ(だったか?)」の中で、12弦ギター弾くジョージ・ハリスンの姿を見て疑問氷解、一挙に“目からウロコ”だったというハナシ。それ以来、ボブ・ディランの歌の世界とザ・ビートルズのサウンドを融合させた方向性を見出して、「♪ミスター・タンブリン・マン」という大ヒットにつながったことを思い出した。

とにかく、ディラン作品は、ディラン以外の他人の手を経ることで、秘めていた魅力が一挙に表に出ることが多く、その最たる作品がこのザ・バーズの「♪ミスター・タンブリンマン」ではなかったろうか(ちなみに私はこのアルバムの中の「♪ターンターンターン/ピート・シーガー」も死ぬほど好きな曲なのです)。

私のディラン入門のキッカケは、ディランそのもののアルバムよりは、PPMの「♪風に吹かれて」や、このザ・バーズの「♪ミスター・タンブリンマン」、ロバータ・フラック歌うところの「♪ジャスト・ライク・ア・ウーマン」、それに若き日のキース・ジャレットの異色作「♪マイ・バック・ページス」を聴いてのこと。

これで、ザ・バーズはフォークロックというジャンルを確立させて成功し、多くのザ・バーズ亜流バンドを輩出し、やがて、本家のディランもまたアコースティックからロックへと傾斜していったという記念碑的な曲だったはずです。そして、音楽シーンはフォークロックから、混沌とした社会情勢と連動するようにドラッグ絡みのサイケデリックへと変貌していくことになります。

そんな音楽シーンの中、先発のザ・バーズ自体はメンバーの離合集散を繰り返し、リーダー格のロジャー・マッギンだけが「ザ・バーズ“本家”」の名跡を背負った形で現在にいたっているようです。

ここで、もう一枚ザ・バーズのCDがありましたので画像をアップしておきましょう。

このアルバムは日本盤が出てるかどうか知らないけれど、「♪ミスター・タンブリン・マン」を初めとして全曲ディランナンバーを取り上げている興味ある作品に仕上がっています。

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THE BYRDS
PLAY
DYLAN
CK 85430
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さて、ディラン以外が歌うディラン作品の素晴らしさで思い出したけれど、ボブ・ディラン・デビュー30周年記念コンサートというのがあって(1992年10月)、ジョージ・ハリスン、エリック・クラプトン、ロジャー・マッギン、トム・ペティ、ニール・ヤングなど、ディランゆかりの錚々たるロックスターがマジゾン・スクエアガーデンに一同に会したという歴史的コンサートでした。

じつは、このときのリハーサルの模様を捉えた映像があります。たぶんコンサートスタッフがプライベートに撮影したものが出回ったんだろうけれど、もちろん正規には発売されてはいない海賊盤。

この中にディランの盟友ニール・ヤングが「♪フォーエヴァー・ヤング」を歌うシーンがあります。本番で歌うことを前提にしたリハーサルだったものなのか、それとも、ニールの自然発生的な歌だったのか知りませんが、正規のCDでは収録されていない曲です。

そんな、リハーサル会場の雰囲気を伝える珍しい映像ですからパクッてご覧に入れましょう。

「60730_3young.wmv」をダウンロード

このニール・ヤングの「♪フォー・エヴァー・ヤング」がとても好きなのです。そして、ニールの歌をバックに、リハーサルを終えてくつろぐ憧れのロックスターの姿を見て、彼らの一筋縄では済まない過去現在に想いを馳せるとジーンとなってくるのです。

正にフォー・エヴァー・ヤングです。

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2006年7月29日 (土)

隅田川は花火大会だった

今朝は暑さに驚いたように眼がさめてしまった。

やっとツユが明けたのかな。

いつもの休日のようにプールへ直行。水泳に水中ウォーキングを組み合わせて1時間ほど身体を動かしたあと銀座のマックショールームへ直行。愛器ipodミニのリモコンの調子が悪くて見てもらう。ipodミニの新商品が展示してないから訊くと、ipodミニはすでに販売中止になったとのこと。

「エッ?!だってミニが発売されてからそう何年も経ってないでしょ?それで発売中止なの!?」と驚くと、どうやら、ipodナノが発売されたことによって、ミニの役割は終わったとのことらしい。

発売は中止になりましたが、
お客さまがお持ちのシルバーのミニは今でも人気があって、
お探しの方がときどきいらっしゃいます。

ン~ン、、、、こちらの優越感を刺激する、さすが、見事な営業トーク。

修理を依頼してからネットカフェでしばらく遊び、有楽町の無印良品の店で昼飯。

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カジキまぐろのソティーと季節の野菜、アボガドのナントカカントカ、昆布のサラダの3品、それに別料金の玄米と味噌汁という、マァ、ホントに上品なメニューは、これで900円ちょっと。本来大食いの私には物足りない量だが、じつは医者から、体重を5キロ減らせ、腹八分にしろとの注意を受けて以来「大盛りにしない/間食しない」を心がけているのだ。

もう1食くらいは食べられる気分だけれど我慢して店を出てから浅草の待乳山聖天へ久しぶりに行ってみる。

詳しいことは以前他のサイトに書いたから省略するけれど、インドのガネーシャ神が日本に伝わり、11面観音となってこの待乳山聖天に祀られて信仰を集めているもの。関西ではあの生駒山と同じ神様。

先日荷物を整理してたら珍しいカセットテープだとか、不思議な経過を経て私の手元にきたガネーシャ像が出てきたので、気になって、久しぶりに縁あるお寺にお参りしたくなったもの。

銀座から浅草行きの地下鉄に乗ったら、浴衣姿の娘さんが随分乗ってるから、浅草のお祭りかと思ったら、今日は隅田川の花火大会だったことに気がついた。浴衣をビシッときこなしている娘もいれば、すでに湯上りという感じでダラ~ッとしてクズレている娘もいたりで、ヒトそれぞれ。アセアンの出身で浴衣姿という組み合わせもけっこう見える。

モウ!浅草駅を出ると、道路は人ひとヒト!

隅田川沿いは佃煮ができるくらいの人出で、墨田公園もシート並べて花火大会の場所取りしてる人たちで歩くにも不自由してしまう混雑ぶり。

屋台の焼きソバの匂いを嗅ぎながら、平泳ぎしながら人並みをかき分けて、目的地の待乳山聖天に行けば、道路1本隔てただけのこの場所に人影はなく閑散としたもの。お寺の入り口のお地蔵さんの前にはこんな看板ブラ下げられていて笑ってしまう。たぶん花火のお客が、暗闇の中お地蔵さんとも知らずに我慢しきれずにやってしまうんだろうな。

       こんなところでやったらバチがアタルゾッ!!!

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閑散とした本殿に静かにお参りしてからプラプラと浅草寺まで歩いていけば、ア~コリャコリャ!ここもエライ混雑ブリで驚いた。

本堂への上り階段には、やはり花火大会に備えて場所取り部隊が座り込んでいる。どうやら、この場所からビルの上に咲く花火が見れるらしい。イヤハヤ、暗くなるまでにはまだ数時間あるはずだから、それまで待つのもラクではありません。

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一応お賽銭を上げて、そそくさと手を合わせ帰りかけたら、境内には例の猿回しのお嬢さん。“例の”というのは、この場所がこのチームの本籍地らしくって、いつ来ても顔を見る猿回しだから見知っていたのだ。

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なにしろこの陽気、

人間も大変だけれど、毛皮着てるおサルの「ヒカルくん」はもっと大変!

それでも健気にガンバッテいるのダッ!!!。

それでは、そんなガンバッテるヒカルくんに敬意を表して、パフォーマンスのクライマックスをチョビッと見てもらいましょうかネ。

「60729_7sennsouji.wmv」をダウンロード

この後に帽子ならぬザルが回ってくる仕掛けになってるワケだけれど、喜ぶだけ喜んだ客はサ~ッと引いてしまうのでした。

    アッハッハッハハー!!!

熱射病にかかりそうな浅草から逃げるようにズラかって家に帰ってきてテレビのチャンネルを回せば、花火大会は始まったらしく隅田川上空にキレイな輪を咲かせては消えていく画像を見ることができたのでした。

12チャンネルのテレビ画像から
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と、まぁ、

こんな風にして、

ただ暑さにフーフー言いながら過ごした一日だったのです。

テレビの画像は涼しげだけど、今夜は熱帯夜になりそう。

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2006年7月28日 (金)

ブルー・ミチェルとブッカー・リトルのCD

Bunkamuraの山下洋輔コンサートまで時間の余裕があったので、相変わらずの賑わいの渋谷センター街をブラブラ。以前はイラン人が使用済みテレフォンカードをシャッフルしながら屯していたけれど、今では全く姿が見えません。彼らはいったいどこに潜ったんだろうか。

イラン人に変わって多くなったのは出来損ないのティナ・ターナー風容貌のネーチャン。そんなネーチャン達が数人ツルんで、歯並びの悪いクチを開けて大声で騒いでいます。ナニが面白くて、ナニが面白くなくてこんな格好しなけりゃならんのか、、、。

   親の顔を拝ませてよ。

向こうからイカツイセーラー服が大股で歩いてくるからよ~っく見ると、、、。

なんだ!コリャ?セーラー服着た男じゃね~か!!!

季節の変わり目は、、、変わり目でなくとも、、、、、

渋谷センター街はこんな風に年がら年中ソドムとゴムラ。

さて、

私が行こうとしてたのはディスクユニオン渋谷店の地階ジャズフロアー。

通勤の友に面白いCDはないか探しに行こうというもの。

そこで見つけたCDがコレ

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1960.08.24 録音

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BLUE'S MOODS

BLUE MITCHELL

1.I'LL CLOSE MY EYES
2.AVARS
3.SCRAPPLE FROM THE APPLE
4.KINDA VAGUE
5.SIR JOHN
6.WHEN I FALL IN LOVE
7.SWEET PUMPKIN
8.I WISH I KNEW

RICHARD "BLUE" MITCHEL(Tp)
WYNTON KELLY(P)
SAM JONES(B)
ROY BROOKS(Ds)

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このアナログレコードはムカシの愛聴盤でした。

ブルー・ミッチェルという人は、後世に語り継がれる活躍で名を残したトランペッターでもなく、どちらかといえば、“その他大勢のラッパ吹き”というクラス。それでも、このアルバムに聴かれる温かな音色は捨てがたいものがあって、「アレを聴きたいなぁ」とときどき思い出だすことがあるトランペッターなのです。

ムカシ買ったオリジナルのレコードは右側のトランペット吹いてる写真を全面に使ったもので、ジャケットの良さに釣られて買ってみたら、中身の演奏も良し。あれから30年たって、今回買った復刻盤のCDでは意匠が変わったけれど、なかなか素敵なジャケットでしょ。

ブルー・ミッチェルのイニシャル「Bの同じ棚の隣を見ると、

これもまた懐かしい!

同じくイニシャル「Bのブッカー・リトルではありませんか!

こういうアルバムもCDとして復刻されていたんだなぁ。

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1960.04.13,15 録音

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BOOKER LITTLE

BOOKER LITTLE

1.OPENING STATEMENT
2.MINOR SWEET
3.BEE TEE'S MINOR PLEA
4.LIFE'S A LITTLE BLUE
5.THE GRAND VALSE
6.WHO CAN I TURN TO

BOOKER LITTLE(Tp)
WYNTON KELLY(P 3&4)
TOMMY FLANAGAN(P 1.2.5&6)
SCOTT LAFARO(B)
ROY HAYNES(Ds)

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ブルー・ミチェル、ブッカー・リトル共に、まず、己が感性のおもむくままアドリブに賭けた演奏スタイルは、天才クリフォード・ブラウンの系統に連なるトランペッター。ただし、後世に名を遺したという点ではブッカー・リトルが1枚も2枚も評価が上。なにしろ、エリック・ドルフィー伝説のあの5スポットライブで、ドルフィーと対等に渡り合ってというだけで、ファンには一目置かれる存在となっているワケです。

今回CDの解説を読んで知ったのは、ブッカー・リトルは1961年10月に尿毒症で23歳の若さでこの世を去ったこと(尿毒症というと、確かドルフィーと同じ病気のはず)。なるほど、早死にしただけに、その評価の割りにはリーダーアルバムが少ないわけだ。

60年代中頃からジャズがどんどんアタマデッカチになっていった歴史を見ると、早死にしたクリフォード・ブラウンやブッカー・リトルがもっと長生きしていたら、当然マイルスの演奏にも影響を与えただろうし、その結果ジャズ全体の流れも現在とは別の方向にいってたかも知れません。そういった点からもブッカー・リトルの早死は惜しまれます。

ブルー・ミッチェル=ブッカー・リトルの2枚のアルバムを久しぶりに聴いてみると、まずリズムセクションが同じハードバッパー系だということに気がつきます。そのままリーダーのトランペットをチェンジさせて吹き込んでも面白い作品が出来上がったのではないか?。それでもやはり、ブッカー・リトルの深みある音色と歌心溢れるプレイはブルー・ミッチェルを上回ってただろうな、とニヤリ。

30年くらい前、ジャズファンのあいだで『幻の名盤』ブームがおこりまして。例えば「トミー・フラナガン/オーバーシーズ」だとか、「アート・ペッパー/モダン・アート」、それにこの「ブッカー・リトル/ブッカー・リトル」も(他にもヤマほどあったけれど、忘れた!)、オリジナル盤が20万・30万の価格がついて、平気で取り引きされていたことがありました。30年前の20・30万ですから、現在の価値からすれば100万円くらいの感覚かと思うけれど、それでも取り引きされていたんですねぇ(もちろんそんな値段で買えるヒトというのは医者か坊さんのようでしたが)。

ジャズ雑誌が煽った挙句のブームだったろうけれど、真に名盤と呼ぶに相応しいアルバムもあれば、たんに希少価値だけの怪しい迷盤もありました。何事も生真面目に追求しないと気が済まない日本人ジャズファンの研究熱心さが、埋もれていた名盤を発掘していった側面もあったはずです

そんな名盤ブームをあてこんで、レコードの廉価版として復刻され、その何年か後、ディジタル時代になるとさらにCDで発売されて、今では、かつての“幻の名盤”が“現実の名盤”として入手可能な時代になっています。さらにムカシは垂涎の的だったオリジナルアナログレコードも、数十万円どころか数万円の値段で店頭に飾られているのを見ると、ジャズファンも賢くなったものだと嬉しくなってきます。

私は、60年代中頃から80年代初めまでは必死になってジャズを聴いた時代があって、レコードもだいぶ集めたけれど、そんなレコードも生活費の足しにすべて売り払ってしまいました。ところが最近ミョーにジャズが聴きたい気分になってきて、かつて聴いたアルバムを見つけては再び買い揃えているのです。

もちろん、数万円でオリジナル盤を買おうというコレクターでもないから、アナログレコードとかCDにこだわらず、とにかく聴ければ良いという感覚で、安いモノ安いモノというのが私の購入基準となっています。

こんな風にジャズへジャズというブーメラン現象も、もしかすると老化のせいだったりして。

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2006年7月23日 (日)

山下洋輔を聴きに渋谷Bunkamuraへ

山下洋輔がセシル・マクビー(b)、フェローン・アクラフ(ds)と

ニューヨーク・トリオを組んでから今年で18年目になるといいます。

今回の企画は、

その山下ニューヨーク・トリオをベースにスペシャル・ビッグバンドを編成し

山下洋輔の音を楽しもうという趣向。

ビッグバンドというのが、

サックス5本 トランペット4本、トロンボーン4本

(ピアノ)山下、(ベース)セシル、ドラムス(フェローン)、

(指揮編曲トロンボーン)松本治、それにゲストシンガーにレディ・キムを招いての

題して『山下洋輔プレイズ・ニューヨーク』という、

ちょっとやそっとでは聴けない興味あるセッションです。

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演奏曲目はジョージ・ガーシュイン、デューク・エリントン、ビル・エバンス、山下ナンバーと実にバラエティに富んだ選曲で、何といっても最大の聴きものはガーシュインの大作『ラプソディ・イン・ニューヨーク』。今までクラシックのオーケストラと山下洋輔の共演は何度か聴いたことがあって、クラシックのオーケストラを向こうに回し、自分のスタイルを貫き通して熱演する山下さんを聴くたびに拍手喝采してきたものです。

私はただのミーハーな音楽ファンで、山下さんの音楽も社会的現象とをリンクさせてその活動を注視し、その延長で、ムカシムカシ、山下さんのコンサートを主催したこともありました。そのたびに会場側に「ピアノを壊した場合は主催者として弁償しますと」いう“誓約書”などに署名捺印した経験を持つものです(いつもながら70年代のハナシだけど)。

そんな経験を持つ者としては、今日、山下さんの音楽が一般的に受け入れられる状況になったことが嬉しく、ましてやクラシックの殿堂ともいえるホールで銘器と評価されるピアノにゲンコツ喰らわせる姿を見ては、自分の“先見性?”に満足したという、なにやら屈折した感情を持つファンでもあるのです。

そんな、“ジャズ対クラシック”という視点を捨てられずにきたガーシュインナンバーを、今度はジャズバンドでどのように料理するか?に興味を持ってきた私にとって、実際に当夜の最大の聴きものになったのが『♪ラプソディ・イン・ブルー』でした。

その結果、、、、。

何回か聴いたクラシック曲としての『♪ラプソディ・・・』よりはジャズバンドが一番。山下さんも自分のフィールドに立ち、カミシモ脱いでじつに伸び伸びと演奏してるように聴こえます。やはり、退廃と猥雑なニューヨークの雰囲気を出すには、オツに澄ましたクラシックのオーケストラより、ジャズバンドのほうが表情豊かになるようです。

このコンサートは山下洋輔という存在があってこその企画だったけれど、何といっても松本治のアレンジの妙と、スペシャルバンドのメンバーのテクニックの確かさに支えられていたと思います。炸裂するブラス群は日本のジャズプレイヤーの能力の高さを証明し、ゲストシンガー、レディ・キムはステージに華をそえ、正に『山下洋輔プレイズ・ニューヨーク』というタイトルに相応しいコンサートでした。

私は2夜連続でこの豪華コンサートを堪能し、

いまさらながら、山下洋輔という音楽家の多彩な才能を再確認したのです。

そして、

このコンサートが外資系銀行の冠コンサートと知って、

「日本の銀行も儲けてばかりいないで、こういう文化行事に金を出せヨッ!」

などと思ったわけです。

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2006年7月19日 (水)

板橋文夫のWATARASEを聴く

今日も朝から大雨で気分はブルー。

特に今日は、先日の定期健康診断の結果「再検査の要あり」という項目があって、健保組合の診療所に再出頭する日。気分が優れないこんな日の“通勤の音楽”は何が良いだろうか?と思いながら取りだしたのが、先日買っておいたまま未聴だったこのCD。

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WATARASE 渡良瀬
FUMIO ITABASHI 板橋文夫
COCB-53311
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幻の名盤と言われ、板橋文夫の名を世に知らしめて作品。
CD化が待ち望まれていた一枚で23年振りの復刻。
名曲「渡良瀬」「グッドバイ」収録。
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板橋文夫初のソロピアノアルバムは当初アナログレコードとして1982年に発表されて、長い間廃盤になっていたもの。中古屋でたまに見かけてもプレミアがついてけっこう高い値札がついていました。そのアルバムがCDの廉価版で復刻されてたのは嬉しい。

気分が優れないときは、明るい音楽を聴いて、無理に気持ちを昂揚させようとしても拒否反応起こすだけだから、『♪グッバイ』のようなクラ~イ音楽を聴いて、ブルーな感情と同調させて排泄したい気分でCDウォークマンにセット。板橋文夫の今よりももっと大人しいソロピアノ聴きながら、雨の中ズボンの裾を濡らしてバス停へと向かえば、厚化粧のネーチャン、傘を片手に必死の形相で自転車を漕ぐ漕ぐ。股上の浅いGパン丈の短いTシャツの間からパンツハミ出しマル見え運転。ヤローのズボンズリ下げ半ケツは前からあったけれど、最近はこんな“パンツ出しネーチャン”もよく見かけます。ヤローの場合は半ケツにすることで社会に対する“青年の主張”してるらしいが、ネーチャンの半ケツパンツ出しは、ただ、カーバなだけに見えます。

イケネーイケネー、どうも気分がブルーだと、こんな想念ばかりが浮かんできます。

『♪グッバイ』というのは板橋文夫のオリジナルで、マル・ウォルドロンの『♪オール・アローン』を連想させる叙情的な曲で、今でもライブではアンコールに必ず演奏される曲。この曲を聴きながら、過去に何かあったヒトは過ぎ去りし日にタイムスリップし、何もなかったヒトはあったような顔して瞑目するという人気曲なのです。

板橋文夫のソロピアノを聴きながら思ったのは、先輩でもある故・本田竹広さんにあまりにも似ているということ。そういえば、本田さんの追悼コンサートのとき、息子の珠也さんが「父・本田竹広と板橋文夫は、二人とも幼いころ長峰先生という共通のピアノ教師に師事していた」と言ってたなぁ。

アルバムタイトルにもなっている『渡良瀬』は板橋文夫の故郷栃木県を流れる川のこと。ジャズマンのつける曲名にどれほどの意味があるかわからないけれど、板橋文夫の先輩である故・本田竹広さんに、故郷岩手県宮古市の浄土ヶ浜の名をつけたピアノ曲もありました。

やはり、日本人の自分たちがジャズを演ることはどういうことなのか?という葛藤が、日本的メロディへと回帰させたということなのかな。板橋文夫のピアノも故・本田竹広さんの音楽も、分かりやすい理由は底流に“演歌の心”が流れているからなのかな?

出社してタイムカード押してから健保組合の診療所に出頭。

待合室のソファーで検査の順番を待っていると、先に終わって出てきたジジイが、看護婦に言っている。

「イヤー、苦しかった!苦しかった!死ぬかと思った!ナニ?今夜は辛いもの食べちゃダメ!寿司のワサビもダメ?」

他人の手前どう受け答えしたら良いか困惑顔の看護婦。

自分が終わった安堵感からミョーにはしゃいでると思ったら、手洗いに顔突っ込んでゲーゲーやってやがる。そんなジジーの姿を見ぬフリした私の隣の同類、クチには出さないけれど顔にはこんなふうに書いてあった。

   アホかオマエは!!!!

私の顔にも、

   ジジー!!!  クタバレ!!!

最大フォント、しかも太字で書いてあったはず。

2時間ほどかけて必要な検査を終了。「検査結果は2週間後に」という執行猶予の判決受けて再び会社に戻り仕事に復帰したのでした。

医者のニュアンスから、

「たぶんそれほど深刻なことにはならないだろう」という印象だけど、

チョビッと心配、、、、。

そんなふうに過ごした本日の午前中でした。

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これは板橋文夫の『グッドバイ』が使われた映画。
『十九歳の地図/柳町光男監督/1979年作品』
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この映画の内容はほとんど忘れてしまったけれど、
『♪グッドバイ』が流れたのはエンディングのシーンだったはず。
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診察室のベッドで青い顔して胃カメラ飲み込んだ状態でこんなことを思い出し、
帰宅途中レンタルビデオ屋に寄ったら在庫していたのでレンタル。
即、観ようかと思ったが、
なにしろこの映画、原作が中上健次ですから、、、。
今の私の気分では益々ブルーにこんがらがっちゃいそう?
という気がして、観るのはもう数日してからにしましょう。

人間、

気持ちは60-70年代に保ったままでも

アレから40年30年たってるんだから、

イロンなところにガタがくるのはあたりまえ。

身体にはくれぐれも気をつけましょうぜ!ご同輩。

チャンチャン!!!

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2006年7月17日 (月)

駒込どぅたっちで知念良吉を聴いてきた

この3連休、朝のテレビではどこのチャンネルも秋田の母親ばかり。

数年前から気がついていたけれど。
幼い子供たちが犠牲になる事件、例えば「親がパチンコに熱中している間に車中の子供が熱中症で死んだ」などという、被害者の子供たちの名前がどれもこれもアイドルタレントの芸名からいただいたような名前です。他人様の子供の名前が何であろうと、コチラがとやかくいう筋合いのモンではないけれど、その浮世離れした名前をもつ子供たちが、親の無責任で死んだ、あるいは親によって殺されたとなると、「あぁ、この親は、最初っから殺すつもりで、かりそめにこんな源氏名のような名前付けたんではないか?」とやりきれない思いをしています。

さて、

昨日、日曜日夜は沖縄出身の知念良吉の歌を聴きに山手線駒込駅ちかくの「どぅたっち」へ行ってきた。知念良吉の名前だけは知っていたけれど、私にはこれまで未体験の歌手。沖縄出身といっても三線弾きながらの沖縄民謡というジャンルではなく、いわゆるアメリカンフォークに属するフォークシンガー。

沖縄出身のフォークシンガーというとすぐに佐渡山豊の名前を思い浮かべるけれど、知念良吉のプロフィールでは1952年コザ市(現・沖縄市)生まれとなっていて、佐渡山豊は1950年コザ生まれだから、同世代に属する両者は交流があったのかな。

ところで、

コレは2006年6月にテレビで放送されたときの画像だけれど。

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腹話術で有名ないっこく堂がふるさとコザに帰省したときのこと(彼は沖縄出身だった)。

故郷の街を散策し郷愁にひたり、ムカシよく通った定食屋で懐かしい人々と“偶然”再会。さらに母校の音楽室に行ってみると、そこには家が近所同士で憧れだった佐渡山豊が待っていて、幼いころのお互いの貧乏話にしばし盛り上がったあと、佐渡山豊がおもむろにギター取り出して名曲『♪ドゥチュイムニィ』を歌い出し、いっこく堂が感動するという、よくありがちなシーン。

プライベートで来たのはホントに久しぶりです

いっこく堂のこんな言葉の割りには、テレビクルーが同行。母校のグランドでは子供時代の野球仲間がユニフォーム姿で待っていて、いっこく堂も「IKKOKUDO]のネーム入りユニフォーム着て試合をしたり、佐渡山豊がスタンバッてたりと、随分段取り良く進行する“プライベート”に大笑い。

まぁ、沖縄だから、、、大らかに大らかにとやり過ごし、

ここでは、

いっこく堂佐渡山豊それに知念良吉は隣近所だったということを押さえて、

知念良吉ライブにハナシを戻しましょう。

当夜の会場は「どぅたっち(独立)」という沖縄物産を扱うお店。この店は沖縄の現状を広く理解してほしいという意図のもと、物品販売と並行して、年に何回か店舗内を会場にライブコンサートや講演会などを主催しているもの。沖縄といえば当然日本政府の対沖縄施策への批判も絡んでくるから、ライブなどの出演者もおのずと思想的同調者に定まっています。

物産店だから、特別な音響設備もなく、知念良吉は15人ほどのお客を前に、生歌、生ギター、生ハーモニカで約2時間あまりを熱唱。ふだんから過剰なPAに慣らされた耳にはそれがかえって新鮮に聴こえます。教則本どおりのコード進行に乗せて歌われる知念良吉のプロテストパフォーマンスの度合いは、佐渡山豊よりもう少しソフトかな。

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生まれ育ったウチナーの自然・人々、それに米軍フェンスに分断された島の原風景をベースに、自分の心情を歌にこめて表現しようというもの。気を衒ったりするところのまったく感じられない、じつに真面目なステージでした。たぶんこの人の性格そのものなんでしょう。

沖縄ブームといわれてから何年もたつけれど、チャカチャカヒヤサッサと踊るだけが沖縄ではありません。こんなふうに、自分のメッセージ携えて地道に活動している人たちの表現の場が増えることが、本当の沖縄文化の広がりなのです。

泡盛でココチよくなって帰り際、どぅたっちの主宰者から「秋に宮古島で“クイチャーフェスティバル”があるけど行くかい?」と声をかけられたので「スケジュール決まったらメール頼むよ」と応じて引き揚げてきたのでした。

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知念良吉の生歌、生ギター、生ハーモニカの歌を聴いて、
このあいだの、
リー・オスカーのハーモニカもアップしたくなりました。
私が、ボブ・ディランの『コーヒーもう一杯』とともに、
「前世を感じる歌」と書いたのがこれです。
約束の地(女の顔はひとつじゃない)/リー・オスカー

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2006年7月16日 (日)

風に吹かれて

昨日のギラギラ太陽から一転、今朝はドンヨリとした曇り空。

昨日午後のゴロゴロ雷さんには驚いたけれど、今日の新聞を読む限りでは落雷被害の記事も載ってないから、こちらが心配するほどの被害は無かったのかもしれない。

木曜日に、例の「示談頭突き問題」をネタにして、イタリアの選手は“示談の姉を侮辱する言葉”を何語で投げかけた?、、、、、つまり、フランス人とイタリア人の両者が理解できる共通言語は何だったんだろう?というような文章を書いたところ、それを読んでくれた、パソコン教室の先生という方からコメントを頂戴しました。それによると、教室に私と同じ疑問を抱いた生徒さんがいたそうで、しばしのあいだパソコンに関係ないそんなハナシをすることになったというような内容でした。

この件の詳しい内容はコメント欄でどうぞ、、、ということで、“二個小鉢”もそうだけど「同じコトを考えるヒトはいるんだなぁ」とニヤリニヤリ。

3連休といってもどこかに行く計画もないから、午前中はプールで泳ぎジャグジー浸かって、身体はクラゲ脳ミソはウニ状態にして漂っているだけの安上がり生活。暑くなると子供たちがドッとプールに押しかけはしゃぎ回りコースをふさぐから「ガキども!あっちへ行け!!」と怒鳴りたいのが半分、背の立たない場所で冒険したいガキどもを応援したい気持ちが半分。

プールを出て近くのスーパーに寄ってみたらこんな豆腐を発見。

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コレって、どう見ても五木寛之風に吹かれて海を見ていたジョニーをつなぎ合わせたモノでしょう。まぁ、イケシャーシャーと、、、やるもんだなぁ!とニヤリニヤリまたニヤリ。名前にだまされたフリして買ってきて試食してみたら、ネーミングのアザトさとは反対に、おぼろ豆腐風のちゃんとした味だったのでひとくちでファンになってしまったのでした。

最近こんな意表ついた名前の豆腐が増えてきて、けっこうなセールス成績を上げてるらしいけれど、そのうち、

   風の歌を聴けノルウエイの森豆腐倶楽部

なんていう豆腐も出現するんじゃないか?

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久しぶりに五木寛之新刊を読む。

私は1960年代中頃から70年代にかけての五木作品の熱狂的読者でした。五木作品に影響されて、シベリア鉄道を西に向かい北欧にたどり着く計画をたて、当時の勤務先に長期休暇の申請するも却下され断念したのです。「会社を辞めても旅に出る」というまでの決断ができなかったわけです。

計画を立てた出国予定日、自分が乗るはずだったナホトカ号だったかハバロフスク号だったかの出航を横浜港で見送る屈辱を味わって帰ってくる電車の中で「ヨシ!会社を辞めて旅に出よう!」と決意し、それからは熱心に貯金に励んだのです。いまでこそワールドカップ観戦のために退職するなんてこともあるし、海外旅行なんて珍しくもなんともない時代だけど30年前には一大決心が必要だったのです。

結局その会社を翌年の秋には退社して貯金をドルに替え、シベリア鉄道ではなくアジアハイウエイを西に向かう旅に出たのです。ちなみにこのときの両替は2000ドル(1us$=300円)、時期は沢木耕太郎が「深夜特急」に乗る半年前のこと1973年10月のことでした。

この旅のリュックサックの中に入っていた何冊かの文庫本の一つが『風に吹かれて/五木寛之』でした。安ホテルのベッドの上で、移動する3等客席で何回も繰り返し読み続けたこの文庫本は、アフガニスタンのカブールで他の本と交換されて、さらに中近東あたりをあっちこっち彷徨ったはずです。

あれから30年、、、、。

『風に吹かれて』の続編ともいうべき『新・風に吹かれて』がこうして新刊として目の前に現れたのです。

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新・風に吹かれて

五木寛之

講談社
\1575

2006年7月5日 第1刷発行

いま、“風に吹かれて”

という生き方

のすすめ

一度快笑 再読苦笑

おかしくて

やがてジンとくる

五木エッセイの真骨頂。

待望の最新刊!

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この10数年の五木さんのテーマは仏教の追求にあったようで、かつての戦後焼跡派がミョーに分別クサイ言い回しになったものだと敬遠していたけれど、いまこうして、最新刊を読んでみると、自分に起きるあらゆるものを受け入れて、流れに身を任せ、肩肘張らずに漂白するワザを体得した五木さんのワザを見て、「あぁ、こんな風に生きられたら最高だなぁ!」と教えられたのでした。

結局、当たり前のことだけれど、体力気力は年齢とともに劣化し変化していくわけだから、それぞれの世代に合った生き方を受け入れ、無理をしないで“風をやり過ごそう”ということになるかと思います。

しょせん小さな存在の人間が、自分の力で物事を切り拓いていけてると思ったら大間違いで、すべて宇宙の流れの中で生かされているのだ、というのが五木さんのたどり着いた場所ではないでしょうか。

五木寛之と石原慎太郎は生年月日が同じです。すでに仙人のように枯れた境地に達した五木さんと、いまだに衰えない野心で脂ぎった顔の都知事。この2人の来し方は似てるようでもあり、かけ離れているようでもあり、2人の結末はどんなふうになるのだろうと、無責任な興味に駆られてしまいます。

この章の最後は、

手元に『風に吹かれて/五木寛之/読売新聞社刊』の初版本があるので、

参考資料も兼ねて、その画像をアップしておきましょう。

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風に吹かれて

五木寛之

読売新聞社
\480

1968年7月1日 第1刷

五木寛之の青春放浪記

新鋭作家が淡々たる筆致でつづる、若き日の歓びと哀しみ。ユーモアとペーソスの背後に光るユニークな文明批評のエッセイ集!

読売新聞社/480円

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『風に吹かれて』が1968年7月

『新・風に吹かれて』が2006年7月

この2冊にはおよそ40年の時間差があったんだ。

ということは、私の年齢にもおよそ40年という数字が加算されたワケだ。

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2006年7月15日 (土)

リー・オスカーのハーモニカは和みます

今朝は7時ころにしてすでに気温30℃近い真夏の東京。

相変わらず弱いジャイアンツで、我がヤクルトに逆転負けの9連敗。そろそろ最下位もまぢかというところか。ナベツネさんの顔を見てみたい。

プールに行けばこの暑さだから人出も多く大混雑。このプールは気温何度だかを越えると、オープンエアというのか?屋根が開く構造になっていて、外の庭にも出られ屋外プールの感じが味わえる。泳ぐのをあきらめて約30分ほど水中ウォーキングと日光浴。屋根があるのと無いのでは開放感がまるで異なるから気分爽快。

ところが、この天気も午後一時ころかはにわかに曇り、雷が鳴り稲妻が走り、あっちこっちで「落ちたな!」と思われる大きな音が6ッ7ッ。こんなとき、子供のころは「雷さんにヘソを取られるから」などとあわててはだけたシャツを下ろしヘソを隠したもの。お婆さんのハナシでは、空のテッペンにいる雷さんが、取ってきた子供たちのヘソをカメの中に貯めて、「これは“誰それのヘソ”」などと、眺めては喜んでいるらしい。思えば、あれは、お腹を冷やすことを戒める昔話だったんでしょう。小さいときはこんなハナシでも充分に怖かったものだけど、いまどきの子供たちにはこんなハナシは通用しないだろうなぁ。

こんな休日にお似合いの音楽は?

ということでターンテーブルに乗せたのがこのレコード。

リー・オスカー&ウォー
約束の旅
1976年
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リー・オスカー(Lee Oskar)はデンマーク生まれのハーモニカ奏者で、アメリカに渡りロック・バンド「ウォー」にフィーチュアされて名前を知られることになったらしい。(“らしい”というのも、私はこの「ウォー」というバンドの音を経験したことがないのです)

そんなリー・オスカーの初リーダー・アルバム『約束の旅』は、ユダヤ系デンマーク人としての自分のルーツを見つめながら、過去・現在・未来へと想いをはせた、いわば自叙伝的音楽作品。

クインシー・ジョーンズ一家に連なる巨匠トゥーツ・シールマンは別格として、ハーモニカという楽器は、曲の前奏とか間奏にフィーチュアされることで曲全体のストーリー性を高める効果を上げるけれど、全編ハーモニカとなるとどうしても中ダルミしてしまうもの。

このアルバム『約束の地』も特に傑作というワケでもないけれどリーのユダヤの血をひく生い立ちが編み出す、独特のエスニックなメロディーラインが、私がこのアルバムに惚れている一番の理由。特に、70年代末ころ、資生堂のCMに使われ知ることになった収録曲『約束の地』は、ボブ・ディランの『コーヒーもう一杯』とともに、私の心の奥底に潜んでいるナニモノかに呼びかけるような音楽なのです。

これは、お婆さんに聞かされた“雷さんのヘソ”の昔話よりもず~っと以前の、変な言い方をすると、私の遠い遠い・・・“前世の記憶”に触れるような感覚を味わせてくれるメロディなのです。

『約束の地』のレコードを聴きながらいつのまにか眠ってしまい、

そのあいだに雷も収まってしまいました。

突然の雨を受け、周囲の植物も盛大に呼吸を始めたようで、

草いきれというのか?

生物のムッという熱気がクーラーのない部屋に入りこんでいて、

これって懐かしい田舎の匂いだなぁ。

リー・オスカーの音楽と、この匂いで、

昼寝のつもりがいつしか本気寝になってしまったみたい。

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昨日に続いてヤクルト×巨人の試合があったはずと思い
新聞のラテ欄見たけれど、
アレッ?!
放送予定がないッ!!!
そうか、
もはや巨人戦では視聴率が取れない時代なんだなぁ。
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けっこう けっこう コケこっこう
時代はドンドン変わっていくことに気づく良い機会です。
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2006年7月14日 (金)

キヨシロー 待ってるゼェ~イ

暑いですね~

という言葉を何度言ったり言われたりしたことか。

とにかく、日本も溶けてなくなるんではないか?と思えるほどのこの暑さ。

さて、

ニココバチから“二個小鉢”連想したヤツがゴマンといたくらいだから、ジダンと“示談”結びつけてニヤリとしたヤツが、私を含めて星の数ほどいたとしても不思議じゃありません。サッカーワールドカップも終わり、テレビの総集編など見ても、「盛り上げよう、盛り上げよう!」という制作者の作為が丸見え。煽りに煽っただけに3戦で終わった結果に皆ドッチラケ。

なんといっても、最高の話題が、示談、、、モトイ、ジダンの「オマエの母ちゃん 出・ベ・ソ」事件というのも侘びしいモノです。一時はジダンを責める論調だった世間も、いつの間にかジダンを擁護するナガレになっているようで、ちゃんと筋書き書いてるヤツがいるんでしょうネ。

2006/07/13(木) 毎日新聞夕刊
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サッカーをそれほどフェアなスポーツだと決めつけることが不思議なこと。頭突きは極端にしても、シャツを引っ張るのは当たり前で、アカラサマな肘打ち膝蹴り、後ろからのタックル、ヤラレタふりの演技と、テレビを見ていても素人目にハッキリ分かるキタナイ行為で成り立ってるんじゃない?

だから、ジダンが受けた“言葉での暴力”とやらも普通のことで、グランド上の音声拾ったら選手同士の罵詈雑言のアラシでしょう。そんなことも含めてのサッカーのような気がするんだけれどもね~。

ワールドカップ時だけのサッカーファンの私としては、今回の事件で、発端を作ったとされるイタリアの選手は、ジダンの「母と姉を侮辱する言葉」をいったい何語で投げかけたのだろうか?ということ。私がナナメ読みした新聞などの記事にはそこが抜けてるんだなぁ。誰かそのあたり知ってる人がいたら情報求む!

いずれにしても、ワールドカップ業界自体がそう“清く正しい”ものじゃないことなど皆気がついるんだから、選手にいまさらフェアプレイのタテマエ主張されても困るよなぁという感じ。

     まぁ、そんなのどうでもヨイけんどもヨ~。

同じ毎日新聞にはこんな記事も載っていましたね~。

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2006/07/13(木) 毎日新聞夕刊

懲役3年6月求刑ですか。
名誉会長お気に入りの元通訳のカミさんは懲役1年6月の求刑だとか。
ユックリ修行してくるんだな!

じつは、このサイトに対する数日間のアクセス解析を試みると、「三色旗」だとか「大森隆志」だとか「創価」などという言葉でアクセスしてくるヤツがけっこういるんですヨ。三色関係者なのかね~。

     まぁ、そんなのどうでもヨイけんどもヨ~。

そして、同じ日の毎日新聞のもうひとつの記事がこれ。

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2006/07/13(木) 毎日新聞夕刊

これは、「まぁ、どうでもイイけんどもヨ~」というワケにもいかないのだ。

記事によれば、それほど深刻な症状ではないらしいけれど、タクローに続き、こんどはキヨシローだから、同じ世代の私としてもやはり気になります。やはり、イロイロとガタがきてるんだろうな。

私は今まで医者にかかるというのは、風邪と歯医者ぐらいで、病気で入院したのは「40年前に扁桃腺の手術で1週間」「35年前に肝炎でパキスタンの病院に1ヶ月」という2回だけ。

自分は長命だろうとの予感はあるけれど、今まで何もなかった分、その内ドサッとまとまってくるんじゃないか?と不安にかられ、あわてて「入院保険」なるものに加入したワケよ。せめて自分の身だけは自分で処しなけりゃならんもんね。

たまたま、キヨシローのアルバム紹介した前回の記事を最後に、サーバーメンテナンスにかかったため、ブログの更新を数日休んでいました。そのメンテナンスが終わり、投稿を再開しようとしたら、キヨシローのガン記事というのも不思議な因縁のような気がします。

アンタは我々の世代の星なんだゼェ~イ。

フォークとロックの接着剤なんだから、ゆっくり養生してくれ。

そして、 近いうちに何百万だかの特注自転車乗り回す姿を見せてくれ~イ。

待ってるゼェ~イ キヨシロー

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2006年7月10日 (月)

忌野清志郎の「スローバラード」は名曲だぜ~い

相変わらずココログは動作が重くてイライラしっぱなしでストレスが溜まるばかり。

ニフティにはそんな顧客からの苦情のアラシらしい。

技術的な詳しいことは理解できないけれど、ブログ利用者の急激な増加に対応できていないということのようで、11日から行われる大掛かりなメンテナンスで改善されることに期待するしかありません。

言い訳がましいことを前フリにチョロッと書いて、

この章もうまくアップできるのかどうか分からないけれど、

とにかくやってみよう。

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これは下北沢・東京キッチンの『豚ごぼう丼/ひじきと豆のサラダ』

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ご飯の上に豚焼肉を敷き、キンピラごぼうと卵の黄身をのせただけのどっちゅうことのないモノだけど、これがなかなか素朴な味でイケる!これで880円也。

年のせいか、キンピラだとか、ひじきだとか、こんなムカシの食い物がウレシイのです。

最近は「大戸屋」を筆頭にこんな定食屋が増えてきて、若い女性客の姿も多く見られます。カタカナの飯をミエ張って喰うよりは、日本人ならやはり和食だぜ。

懐かしい味に満足したあと、久しぶりにディスクユニオンを覗いたら、こんな中古CDを見つけて購入。2100円也。

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シングル・マン
RCサクセション
HAGAKUREレコード
ISCP-1117

解説を読むと、このレコードは1976年4月21日に発売されるも、たった1年で廃盤の憂き目を見たアルバム。その後、熱烈なファンの後押しで自主制作という形で何回か再発され、こうしてCDにもなった履歴をもつアルバムらしい。良くも悪くも忌野清志郎一流の毒ッ気の原型ともいえる作品で、当時の忌野清志郎が色々な音楽の影響を受けていたことが理解できます。

私はこの中の『甲州街道はもう秋なのさ』と『スローバラード』という曲に惚れて、この曲が描く世界を体験したこともないけれど、カセットテープにダビングしたこの2曲をクルマにセットして、実際に甲州街道を走ったりしたこともあったのヨ。

70年代、ユーミンは中央フリーウエイを、キヨシローは甲州街道を、それぞれの道をそれぞれのやり方で走っていたワケだ。

そんな懐かしいアルバムのCD盤だから、コレは買うしかありません。

最近は60・70年代の作品がCDとしてどんどん復刻されていて、小まめにレコード屋をチェックすると、意外な名盤に遭遇することも多いのです。ムカシ、2000円とか2500円もして、小遣い不足から買い逃したアルバムも、今では気安く買える時代になったのはウレシィ!

過去に味わった欠乏感を、今になってこんなふうに充足させているのです。

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さて、
良いタイミングで巧くアップできるか分からないけれど試してみましょう。
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<サーバーのメンテナンスが終わるまで新規投稿は数日休みます>
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2006年7月 9日 (日)

こんなん見ましたけど

イヤハヤ、、、、、、。

それにしてもジャイアンツは弱いですネ~。弱すぎです!

こんなに弱いと、

ジャイアンツが負けた記事を読むのが楽しみのワタクシとしても

張り合いがありませんゾナッ!!!もし。

こうなったら

  「今年は若手に経験を踏ませて、来年こそ汚名挽回!」

とでも思わなかったらやってられまへんゼッ!

さて、

あいかわらず梅雨空でハッキリしない休日、中央図書館に借りてた本を返し、

東京農大の脇の細い通りを小田急経堂駅へとブラブラと歩いていると、

大学か、それとも付属高校のモノなのか、サークル小屋の前にさしかかり、

勧誘の看板などになにげなく目をやると、

・・・・・?、、、、、・・・・?

なんとなく坐りがワルイ文字列だなぁ。

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アッ!そうか!

急告白

男子チーム マネージャー 大募集

か。

やはり、内部にも誤字に気がついた人がいたらしく、

← 間違えやした!!

とフォローしてありましたネ~。

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まぁ、そんなこんなで、大根おどりを練習しながら経堂駅に向かっていると、

城山通りの薬局でこんな張り紙を発見。

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おなかの中に3~4㎏
とは、
じつに、どうも、
インパクトがあって、解りやすい文字だなぁ
感心感心!!!

と、いうワケで「こんなん見ました」休日でした。

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どうも、このところ、

ブログの操作機能が遅くって、

さっきも、

「お客に満足なサービスを与えていない!これでカネを取るのか?」

などとニフティのサポートセンターに苦情を言ったばかり。

ワタクシもケッコー粘っこいので、

クレーム処理の弾除けに立たされる派遣社員の皆さんも大変です。

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2006年7月 8日 (土)

神話の力 3

to えあじん

《Re:テレビ番組『神話の力』について、お願いがあります》

本日、DVDを無事に受け取りました。
映像を譲っていただき、とても感謝しております。

早速、拝見させて頂きましたが、早川書房の翻訳版ばかり読んでいたせいか、
テレビ放送の構成と、書籍版の構成の違いに意外な驚きを感じました。
10年前の曖昧な記憶を元にして、書籍版で曖昧さを補完して、
こんな番組だった「だろう」的に見ていたんだなと、
自分の記憶の不完全さを、改めて認識させられました。

4回目の放送の日本語吹き替えが無かったせいか、
英語版にて補完してありましたが、
日本語版と英語版の時間の違い(10分もの差は一体?)も、
意外な驚きで、NHKの放送枠に合わせるために、
大幅に映像をカットしたことがわかりました。
(書籍版で大まかな内容を把握しているので、
英語版でもそれなりに意味は解るのは意外な発見でした)

でも、せっかく日本語版が存在するのですから、
滝田祐介・小川真司両氏の吹き替えの4回目の放送を手に入れるため、
これからもネットを頑張って探してみたいと思います。
(10年間探し求めた映像が、一回の取引で全て揃うほど世の中は甘くない(^_^;)

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2006年7月 7日 (金)

神話の力 2

to えあじん

《Re:テレビ番組『神話の力』について、お願いがあります》

DVDを送っていただけるとのことで、とてもありがたく感謝しております。

メールの内容の公開はOKです。
拙い内容のメールで良ければ、いくら公開されても良いですよ。
自分の過去の感情なり経験を一部書いておりますが過去のことですし、
現在の私の感情とは変わってきておりますので、公開されても気持ちが揺らぐことはありません。

今、仕事で知り合った若い仕事仲間や、遊びを通じて知り合った若い友達の中に、
過去の私と同じように、人生での戸惑い、進むべき未来がわからなくて、
苦しんでいる知り合いが何人かいます。

そんな若い友達にこのDVDを見させてあげたい、12年前の私が影響を受け、
ターニングポイントとなったこの『神話の力』を見てもらい、
若い友達の人生の進むべき道を発見してもらいたい。
そんな思いからこの映像を入手したいと思いました。

DVDを別けて貰えることに感謝します。
えあじんさんDVDの送付の申し出、ありがとうございます。

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2006年7月 6日 (木)

神話の力

to えあじん

《テレビ番組『神話の力』について、お願いがあります》

大変失礼だとは存じますが、突然のお手紙お許し下さい。

あなたの作成したホームページにて『神話の力』を紹介した文章を拝見し、
私も10年前にこのテレビを見たことを懐かしく思いました。


http://homepage3.nifty.com/mombasa/dummaro/9.htm

そこでお願いがあります。
この番組をダビングして別けて貰えないでしょうか?

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私は19**年(昭和**年)生まれの**才の男性ですが、
今から12年以上前にこの番組(1994年放送分)に出会い、
感銘を受けたことを、今でもまざまざと思い出します。

10代後半の私は学校を辞め、未来に希望もなく、
人生を退廃的なものとしてとらえ、
生きることに嫌悪感を感じながら生活していました。
自殺願望が心を捕らえ始めた頃、
偶然にもこの番組『神話の力』に出会いました。

初めは新聞のテレビ欄で「神話」の文字を見て、
ギリシャ神話の解説でもしてる番組かな?なんて軽い感覚で見始めましたが、
キャンベルの心理学、哲学に精通した話を聞くうちにその世界観に引き込まれ、

人生の生きる意味、生きていることのすばらしさを実感するような、
そんなすばらしい番組だったと記憶しています。
早川書房の『神話の力』のテキストを購入して何度も何度も読み返し、
さらなる感銘を受けました。

オウム真理教の事件の後の1996年の放送も見た記憶がありますが、
このホームページで取り上げられているように、
番組最後のオウムの解説が削除されているのを放送の時に気付き、
せっかく録画したVTRを腹立たしい想いで処分したことを思い出しました。
今、考えればもったいないことをしたと思いますが。

でも、当時の私はオウム真理教の事件が決着すれば、
NHKは再度『神話の力』の完全版を放送してくれるのじゃないか?
放送がダメでも市販のVTRと言う形で発売してくれるのじゃないか?
と楽観的な考えを持っていました。

事実『神話の力』のオリジナル版の『The Power of Myth』は、
2001年にアメリカでDVDと言う形で販売されていますし、
NHKに保管されている日本語吹き替えの声を、
DVDに乗せるだけで日本語版ができるので、
近いうちに『神話の力』がDVDになることを信じていました。

そんな折このホームページを見つけ、
NHKに日本語版が保存されていないことを知り、
日本語版のDVDの発売が夢と散ったことを悟りました。
(実際はNHKにはVTRは保管されているけど、版権の関係で外に出せないのが本当かな?)

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そこでお願いがあります。
『神話の力』の動画を実費程度で別けてもらえないでしょうか?
VHSテープ、DVDは問いません。
英語版DVDの購入も考えましたが、英語が苦手で断念。

『神話の力』の出会いから12年たち、
今の私は再度ターニングポイントに立たされています。
昨年の年末、病気が理由で仕事を辞め、

再就職できないまま半年の時間を過ごしてしまいました。
就職できないなら、来年度に**県で運営している、
職業訓練校へ通おうかと考えていますが、気持ちの踏ん切りが付きません。

そんな時、貴方が作成したこのホームページに出会い、
再度、『神話の力』のショーペン・ハウアーの解説。
チベット仏教のオームの概念の説明を見て、
できることなら全6話、すべてを見たいと思いました。

全6話をコピーするのは大変な時間がかかり、
お手間を取らせることは存じていますが、
12年前に自分の人生の方向性を変えたこの番組を
手に入れたい、そう思いました。

迷惑なお手紙だとは存じております。
ご返信のほど、よろしくお願い致します。

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2006年7月 5日 (水)

黄金の都バーミヤン(DVD)

かつて、“黄金の都”と呼ばれたバーミヤンはアフガニスタンの首都カブールから西に250キロの地だ。

629年、印度への旅の途中この地に立ち寄った中国の僧玄奘三蔵法師は「大唐西域記」に、東に高さ38mの大仏、西に高さ55mの大仏があり、その2体の大仏像と三角形を描く場所に横300mの釈迦涅槃像があると記す。

仏教の聖地として栄えたバーミヤンに大仏像が建立されたのは4-5世紀だったといわれます。その後11世紀にはイスラム教徒によって顔が削り取られるという災難には遭いましたが、決定的破壊は免れて近年にいたりました。仏教国から回教国となったアフガニスタンでも、バーミヤンの大小2体の大仏は長い間「お父さん、お母さん」として敬われてきたわけです。

アフガニスタンは1979年のソ連侵攻により未曾有の混乱に陥り、ソ連撤退後の内戦を経て、イスラム原理主義者タリバンの支配下になります。そして、2001年3月、バーミヤンの大仏はついに決定的破壊を受けることになります。大仏の周りを飾った壁画もまた破壊されて、貴重な文化遺産は修復不可能なまでに陵辱されてしまったのです。

そんなバーミヤンを、現存する僅かの資料を元に、コンピューターグラフィックスを駆使して、玄奘が旅した7世紀の時代まで遡って再現した記録がこのDVDです。

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ハイビジョンデジタルでよみがえる
黄金の都バーミヤン
~三蔵法師が見た巨大仏~
geneon GNBW-1067
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1400年前、三蔵法師が見た都は黄金に輝いていた。
世界初!巨大仏都バーミヤンの完全復元に挑む。

再現された大仏は緑豊かなバーミヤンを祝福し、同じく再現された壁画はこの地が正に東西の文明の十字路として栄えたことを表します。宗教も人種も異なる人々が、争うこともなく穏やかに暮らしていたことを教えてくれるのです。諍いの元となってしまった現代の宗教からは想像できない共存がバーミヤンにはあったのです。

それにしても、、、、。
玄奘の記述の中の2体の仏像は、今ではその跡だけを残すけれど、もうひとつ、玄奘が見たという300mもの黄金の涅槃像はどこに消えてしまったのだろう。未だにあの大地の地中深く眠っているのだろうか。

もしかすると、涅槃像が姿を現したときアフガンの地に和平が訪れるということなのか。

 涅槃像発掘調査隊が組織されるようなことがあれば、是非志願したい。

アフガンの現状は、

こんな甘っちょろい感情など入り込む余地はないのかも知れないけれど、

それでも、ついついこんなロマンを抱いてしまうのです。

こんなコンピュータグラフィックスでしか昔のバーミヤンを偲ぶことができなくなったのだから、

かつての巨大仏の跡地は

“愚かなる人類の文化遺産”

として永遠に保存しなければなりません。

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2006年7月 3日 (月)

アランフェス協奏曲/ジム・ホール

「二個小鉢」なんていうゴロにオモシロさを感じていたのは私ぐらいだろうと思って、検索エンジンにかけてみたら、「二個小鉢」関係ゴロゴロ出てきやがった。いるんだなぁ!同じこと連想するモノズキが。ニココバチはクロアチアの選手だったんですネ。

というワケで、

ワールドカップも終盤にさしかかったようで、ドイツ/イタリア/ポルトガル/フランスが4強ということは、すべてヨーロッパ大陸の国が残ったワケだ。こりゃぁ、フーリガンが陸路押しかけてアッチコッチでイザコザ起こして、もうひとつのワールドがタイヘンだ!

スペインが敗退しちゃったから、ナグサメの意味もこめてスペイン絡みのレコードを一枚アップしましょう。

このレコードも昨日アップした『夢のカリフォルニア/ウェス・モンゴメリー』と同じくお茶の水ディスクユニオンで525円で買ったもの。ウェスのレコードの半額ということは、たぶん“帯(オビ)”の有る無しが価格設定に影響を与えたものでしょう。

値段はウェスの半額といえども、イージーリスニング・ジャズ路線の名盤中の名盤に変わりありません。

アランフェス協奏曲/ジム・ホール
CONCIERTO/JIM HALL
CTI GP 3030
1975年録音
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ジム・ホールというギタリストは、ソニー・ロリンズのパートナーだった時代があったり、ビル・エヴァンスとのデュオで『アンダーカレント』などという傑作をモノしている名手だけど、なにしろ、(性格は知らないけれど)地味ゆえにどうも過小評価されてたところがあるようです。音楽には関係ないけど、若くして額が馬蹄形に後退した風貌もまた、そんな評価に影響を与えたのかなと思えるほどとにかく地味。そんな地味・穴、、、いやいや、そんなジム・ホールが一夜にして日本人の心を捉え、人気者になったのがこのアルバムだったのです。

日本での人気のほどがどれくらいだったかというエピソードを思い出しました。

やはり地味なフリューゲルフォンのアート・ファーマーとジム・ホールが来日したときのこと。自分がリーダーだと思っていたアート・ファーマーは、ジム・ホールとの“双頭コンボ”扱いに不満だったところに、ジム・ホールに対する日本人観客の熱狂的歓迎ぶりを見せつけられ、それ以来両者はホテルも移動も別々になり、顔を合わせるのはステージ上だけというようなことでした。名コンビだと思われた二人の関係も思わぬところで破綻をきたすことになりました。

アート・ファーマーも、まさか自分より格下だと思っていたジム・ホールが東の果ての国で超人気者になり、ジェラシーの炎を燃やすことになるとは思わなかったでしょう。それほど日本人には愛されたアルバムがこの『コンチェルト/ジム・ホール』だったのです。

そんな人間臭いエピソード思い出しながらこのレコード聴いてみると。

まず、選曲が良い。
1曲目の「YOU'D BE SO NICE TO COME HOME TO(帰ってくれて嬉しいわ)」は、ヘレン・メリルやアート・ペッパーの名演により、日本人が好きな曲のベスト10以内にノミネートされるようなスタンダードナンバー。日本人向けの企画だったのかどうか知らないけれど、とにかくこの1曲目で日本人はメロメロにされてしまったのです。そして、B面を占めるコンチェルト(アランフェス協奏曲)も、これまた日本人好みの名曲。

次にメンバーが良い。
ジム・ホール(ギター) ローランド・ハナ(ピアノ) ロン・カーター(ベース) スティーブ・ガッド(ドラム) チェット・ベイカー(トランペット) ポール・デスモンド(アルト・サックス)
なにも4番打者ばかりそろえなくとも、バンドの得意な連中を適材適所に起用することで最後には1点差で勝利することもあるのです。“いぶし銀”という言葉があるけれど、自分の役割に徹し出しゃばらず、しかも自分の持ち味を損なわず。イージーそうな選曲でも決して手抜きすることなく職人技を見せていて、普通なら気になるスティーブ・ガッドのパタパタいうバスドラもなぜか心地よく聴こえるのです。また、チェット・ベイカーやポール・デスモンドの復活ぶりは感涙ものです。

ウェス・モンゴメリーは自分の確立した「イージーリスニング・ジャズ」の果実を味わうことなく短命に終わったけれど、後を継いだジム・ホールはその果実を充分に楽しんだようです。

「イージーリスニング・ジャズ」はその後クロシオーバーとかフュージョンというジャンルに取り込まれて、その存在が曖昧になっていくのですが、ある時期のジャズファンを開拓したことは事実です。

こんな、60年代70年代の名作を聴くにはCDよりもやはりアナログレコードだなぁ。プチプチいうノイズさえも、あの時代を物語ってるようで愛しく思えるのです。

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2006年7月 2日 (日)

夢のカリフォルニア/ウェス・モンゴメリー

かつて、、、、冬の寒い日、、、、。

ヒッピーが暖かなカリフォルニアに憧れたように、

日本のこんな鬱陶しいツユ空の日々は、

ワタクシえあじんもカリフォルニアの青い空を夢見る。

というワケで、

ママス&パパスの往年の大ヒット曲『夢のカリフォルニア』をアルバムタイトルにした傑作ジャズアルバムがこれ。

夢のカリフォルニア/ウェス・モンゴメリー
Verve MV 2051
1966年9月録音
60702_1wes_1 

どういうところが傑作かといいますと。

60年代は社会が変革へと向かうのと連動するように、ロックはアンプのボリュームを最大にあげ過激さを増し、ジャズもまた頭デッカチになり難解になりつつあった時期でした。そんなササクレ立った音楽シーンの中で、誰にでも受け入れられるジャズを目指して「イージー・リスニング・ジャズ」という路線を方向づけたのがこのアルバムだったと思います。収録曲もタイトル曲をはじめとして、ポップス曲満載。ただしネーミングはイージー・リスニングといえども、ジャズギターの巨匠ウェス・モンゴメリーと名アレンジャードン・セベスキーのユニットですから、安易なポップスに堕してはいません。ホーンライク、つまりラッパの音のようなウェスのオクターブ奏法による骨太なギターと、緻密にアレンジされたオーケストラのサウンドは上品で1級のジャズに仕上がっているのです。

このアルバムのプロデューサーであるクリード・テイラーは、この後CTIレーヴェルを立ち上げてイージー・リスニング・ジャズを確立させ大成功を収めることになりますから、そういったことからも歴史的アルバムだったといっても良いでしょう。「あんなのはジャズではない!」という意見もあるでしょうが、A&Mレコードの一連の作品も含めて私は大好きなアルバムなんです。

以前持ってたけれど、30年前に手放したかつての愛聴盤を中古屋で見つけては買い戻しているというワケで、このアルバムはお茶の水のディスクユニオンで1050円でゲットです。

と、ここまで書いて、60・70年代モンの私としては、どうしてもご本家のママス・アンド・パパスの『夢のカリフォルニア』を聞いてみたくなるワケです。そこで、この際彼らの動画をアップいたしましょう。

音源は1968 Monterey International Pop Festival

伝説のロックフェスティヴァルのこのときの出演者がスゴイ!
オーティス・レディング、サイモン&ガーファンクル、アニマルズ、ジェファーソン・エアプレーン、ザ・フー、ラビ・シャンカールそしてジャニス・ジョプリン、ジミー・ヘンドリックスとアメリカンロック創世記の巨人たちがガン首揃えてラリラリです。

そのビデオからパクッたママス・アンド・パパスを見てください。

「60702mamas_papas.wmv」をダウンロード

どうです?出演者も観客もモロ60年代でしょ?

皆、自分で染めたシボリのシャツとラッパズボンで街をさまよっていたことを思い出します。

そして、

この世代が

そろそろ人生の最終章へとさしかかろうとしているのだ

などと感慨にふけってしまうのです。

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2006年7月 1日 (土)

二個小鉢

いつも新聞のニュースでジャイアンツが負けた記事を読むのを楽しみとする私にとっては、この頃のジャイアンツの弱さはネタにもならなくなりました。“開幕ダッシュ”だとか“オールスター前のマジック点灯”だとかのサワギ、、、アリャどこへ行っちゃったの?大体、自前の選手を育てる能力もなく、他チームの主力選手をカネで引っ張ってきて、力を発揮させることもなく放ッぽり出すようなチームなんてあんなモンでんがナッ!

元ヤクルトのハウエルを見ろ!ペタジーニを見ろ!アメリカのマイナーあたりの未知数の選手を見つけてきて、丹念に育てた選手を引き抜いて、挙句の果てにボロボロにしやがって。ジャイアンツのヤリクチはチームの補強というよりは、たんに、ジャイアンツにとって脅威になる相手チームの有力選手を取り込んで、敵の力を削ぎたいという姑息なレベルなのです。

その場しのぎだけで、努力も工夫もしないから、ホラ見ろ!全試合放送という定説も、カリスマ整形美容医師の鼻みたいにクズレちゃったじゃぁね~か。

と、いうわけで、7月になって、、、、、。

サッカーもひと頃の盛り上がりから、だいぶ落ち着いたみたいで、やはり自国が参加してないとダメですね。テレビ局なんかアテが外れて恨み節ウナッてるんじゃないですか。

ところで、、、、、、これは新聞の切り抜きですが

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2006年6月29日(木) 毎日新聞より。

フランスチームがけっこういい線イキそうですが、、、、、。

私は最近のサッカーの試合はテレビのニュースなどのダイジェスト版程度しか見ませんが、ジダンはアラブ系だそうだし、フランスの主力選手の殆どはアフリカ系みたいだけれど、フランスというのはアラブ・アフリカ系移民を排斥しようという動きで、クルマが引っくり返されて燃やされる騒ぎがしょっちゅう起きてる国でしょ?

自分たちが差別する側に属する選手の活躍で♪ラ・マルセイエーズ歌っても、

やはりウレシーんでしょうかね?

、、、、、トツゼン思い出したけれど。

あれは、いわゆる“ドーハの悲劇”のころのハナシだったと思います。

日本チームは(たしか)イランと戦っていました。

日本にとっては、

その試合に勝たなければならない!引き分けではダメ!という設定でした。

1:0で勝っていて、もう少しで勝利の雄叫びという場面の試合終了近く、日本はファールでイランにフリーキックのチャンスを与えてしまったのです。

ゴール前に5・6人の日本人選手が“壁”を作って守っていて、イラン選手がゴール真正面からボールを蹴ったその瞬間に、日本の“壁”にさりげない顔で紛れ込んでいたイラン選手が日本選手の身体を引っ張って道を空け、当然、ボールはその僅かのスペースを通り抜けて、

    ゴ~~~~~ル!!!

結局、その試合は1:1の引き分けに終わり、日本チームは大きな果実を取り逃すことになったワケです。(もしかすると、この次の試合が“ドーハの悲劇”の試合だったかな?)

サッカーの試合では、その程度のことは珍しいことでもなんともないらしいことを知って、日本選手のオボコさ加減にアキレたことがありました。勝つためには、見えないところで、あるいは見えるところでも、蹴りを入れる、ヒジ撃ち喰らわせる、平気で反則を犯す。

どんな汚いテを使っても、それでも最後に勝てば良い! 

  サッカーという勝負はそういうことなんでしょう。

国境を接し、いつも小競り合いを繰り返してきた歴史を持つ国にとっては、サッカーボールの描く線は正に国境線と同じようなもの。どんなことをしてでも他国からの侵略は防がなければならないし、スキを狙っては相手国に攻め入り陣地を広げなければなりません。海に守られた日本のような国とでは、そういう感覚が異なります。欧州型サッカーだとか、南米型サッカーだとか、身体能力だとか、そんなレベルのハナシじゃないないように思えます。

ワールドカップの時だけのミーハーサッカーファンだけど、

こんなことを思いながらニュースを見ているのです。

Sikiri3hinomaru_1

さて、最後は奈津らしく、、、?、、、モトイ、

夏らしくこんな画像はどうかな?

60701_2
喧嘩上等
やっこ野郎
生ビールとお前がいれば それでいい!
男前豆腐店

.ところで、二個小鉢ってナニ?

というツッコミ入れてもらわないと困るんですが。

どっかのチームにニココバチという選手がいますよネ~。

アナウンサーがニココバチ ニココバチと言うたびに私は二個小鉢 二個小鉢

と連想してニヤニヤしていたのです。

     チャンチャン!

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