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2006年6月29日 (木)

世界報道写真展2006

映画『ゴーヤーちゃんぷるー』を観る前に、

同じ建物で開催中の『世界報道写真展2006』を見てきた。

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世界報道写真展2006
東京都写真美術館
2階展示室
2006年6月17日(土)⇒7月30日(日)

展示してある写真に笑顔の写真はない。

憎しみのこもった目で、

あるいは、絶望と諦めの目で、

あらぬ方向を見つめている写真ばかりだ。

たとえば、このチラシの母親らしい黒人女性の写真にはこんな説明がついていた。

今年、大賞作品に選ばれたのはカナダ人カメラマンが撮影したアフリカ・ニジェールの臨時食料配給所で母親の唇に手をあてた子供の写真でした。大きく見開いた母親の目と痩せ細った1歳児の手は、静かにアフリカの危機的状況を訴えかけます。

私がいちばん心に残ったのは、

イラクから死体で戻った夫の埋葬前夜、

パソコンから流れる夫との思い出の曲を一晩中聴いている妻の写真でした。

ノートパソコンのディスプレイが放つ青白い光に浮き上がる、

横たわった妻の姿と夫の棺、それに直立不動の護衛の兵士。

この3点セットは、いつも犠牲になるのは普通の人間だということを教えてくれます。

先行きの見当もつかない写真の中で、

一枚だけニコヤカな笑顔を見せている写真があったことを思い出した。

それは、ニューヨークの5番街だったか?

高級宝飾店の男が、最高の笑顔をつくり上客に宝石を勧めている写真でした。

その隣の写真が、奥地の鉱山で身を削って原石を掘る原住民の姿だっただけに、

男の笑顔が尚いっそう卑しく見えたのです。

たぶん、、、、、。

若くして夫を失うことになったあの女性の苦しみや、

飢えた子供に何もしてやれないアフリカのあの母親の犠牲の上に、

現在の私たちの一見安穏な暮らしが成立しているのだと思うと、

私の気分はうつむいてしまったのだ

2006年7月30日まで
東京都写真美術館
(恵比寿ガーデンプレイス内)

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2006年6月26日 (月)

ゴーヤーちゃんぷるー/松島哲也監督

千葉県知事選以来声を聞かなかった森田健作がこんな映画に関わっていました。

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ゴーヤーちゃんぷるー
松島哲也監督
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東京都写真美術館ホール
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元校長の祖父母と暮らす中学生の鈴木ひろみは
学校でのいじめが原因で不登校になり
家に引きこもっています。
祖父母との交流も拒否するひろみの唯一の楽しみは
インターネットのチャットで知り合った
ハンドルネーム「ケンムン」とのメールのやりとり。
悩みを打ち明けるひろみに、
西表島でダイビングのインストラクターをしているという「ケンムン」は、
島の暮らしの素晴らしさを伝えながら励ましてくれます。
偶然にも、
西表島は幼かったひろみを捨てて家を出た母親の住む島。
憎んでいる母親だけどいちど会いたい。
そして「ケンムン」にも会いたい。
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ひろみは西表島への旅に出かけます。

沖縄モノといえば、

癒しの島/自分探しの若者/地域医療に身を捧げる医師、、、、、
これらのワケありの人をおおらかに受け入れる島民と自然、
と、
だいたい相場は決まっているけれど、この『ゴーヤーちゃんぷるー』もご多分に漏れず、この全てのコンテンツを西表島でチャンプルーさせた映画です。

出演者では大城美佐子が素晴らしい。

沖縄モノのドラマのオバーは平良とみ風の能天気なオバーが主流だけど、この映画で大城美佐子演ずるオバーは、あるときは宅配便の運転手として荷物を配達し、あるときは“ユタ”としてあの世とこの世を行き来する尋常ならざるオバー。このアーシーな味を出せるのは“沖縄のビリー・ホリディ”大城美佐子以外はいません。

「お母さん?チャンプルーって、、、どういう意味なの?」
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「ひろみ、ゴーヤーだけじゃニガくって食べれないでしょ?
イロンなものを混ぜ合わせることで美味しくなるということなのよ」
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「お母さんの作ってくれたゴーヤーちゃんぷるーがいちばん美味しい」
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「そりゃぁそうよ、、、ご本家だもの、、、、、、」
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ゴーヤーちゃんぷるー食べながらの母娘の和解に
「ひろみはもう大丈夫!!!」
私は監督のネライどおりに泣きました。
=2006年6月24日(土)~2006年7月14日(金)まで=
=東京都写真美術館ホール=
(恵比寿ガーデンプレイス内)
併映
可奈子の言葉/松島哲也監督
(12分30秒)
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2006年6月25日 (日)

これからは地上デジタルか

テレビの地上デジタルにどんなメリットがあるんだ?

どうせ、“リサイクル法案”と同じで、

官民ツルんで庶民から金をボッタクろうという魂胆なんだろ?

こんなふうに思っていたが、実際に地上デジタル導入してみたら、

やはり画像がキレイで感心してしまった。

私の住んでるところは谷底みたいなところで電波事情が悪かったから

キレイになったことをより実感する。

ナニも自分でお金払ってまで配線工事やる気はなかったけれど、

工事は大家が全部無料で手配してくれるというので、

テレビ本体は以前から地上デジタル対応機種に買い換えてあったから、

「それなら頼むヨ~」ってなもんです。

「なるほど、こんなにキレイなら録画するのも良いかも!」

と、DVDレコーダーを買いにヨドバシカメラに行ったものの、

DVDに録画してまで、再度観たくなる番組があるか?

こんな天の声を聞いてしまって購入を取りやめたワケよ。

そうだよなぁ、

今でもテレビを見る時間は朝のニュースくらいなもんで、

是非観たいと思うような番組は少ないもんなぁ。

と、いうコトで、

DVDレコーダーは止めて、代わりといってはナンだけど、

ipod用の小物を買って、大混雑のヨドバシカメラをヅラかってきたのです。

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映りの良いテレビで気がつくのは、

テレビ出演者ってのは随分と厚化粧しているもんだから、

ますますアホ顔に見えるんだなぁ、、、、、。

改めてこんなこと思ったのでした。

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2006年6月24日 (土)

サッカー終わっちゃいましたね~

けっきょくKAMIKAZEは起きなかったネ。

韓国もダメだったんですね~。

あのパワーで韓国だけは決勝トーナメント進出してほしいと期待してたんだけど。

イヤハヤ、、、、、、、。

カル~く決勝に進めるようなメディアの煽りにのって、

日本国中その気になっていただけに、落胆の度合いもケッコーなモンでしょう。

日本列島がひとまわり萎んだような気がします。

選手の美奈さん、、、イヤイヤ皆さん、これからがタイヘンですよ。

髪が赤いの、ニヤニヤしてるの、ガムをクチャクチャだの、オンナをどうしたこうした、

戦犯デッチあげられてバッシングが始まるんですネ。

さしずめ、高原・柳沢・宮本あたりがターゲットで、

様子を見ながら次にジーコに飛び火するという図式かな。

「そんなこと言うなら、オマエがやってみろッ!!!」

と言いたくなるような騒動も2週間ほど終わります。

そして、

1年後には『ジーコかく語りき』などとジーコ回想録に何億だかの金が動き、

ホンのチョッピリ話題を集めるだろうけれど、

ジェンキンスさんの例を見るまでもなく、

日本人はそれほど義理堅くないから

「ジーコって誰?」などといって、

ワールドカップのことなんてキレイに忘れ去りますよ。

野次馬としてはそのあたり楽しみにしていましょう。

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さて、画像がないのもチョッピリ寂しいので、

先日行った武相荘の画像一枚アップしときましょう。

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左の建物が白洲次郎・正子夫妻関連のグッズを扱うお店になっていて、夫妻愛用の食器などが展示即売され、2階のホールでは、以前NHKで放送された『その時歴史が動いた・白洲次郎』編が常時放送されている。

正面の門の右手建物の1階は農機具置き場になっていて、外国から輸入し実際に使用していた機械類を見ることができ、その2階は展示室で吉田茂側近として力を発揮した次郎の外交資料が展示してあった。さらに右奥の建物は喫茶室で、予約制で食事もできるらしい。

そして、築何十年(百何十年?)だかの萱葺きの母屋があり、その母屋の奥にはこんもりとした山になって、小道の散策もできるのです。

戦前、この地に移り住み百姓を目指していた白洲次郎は、戦後吉田茂に請われて終戦処理の仕事をしながらも、この鶴川の家を離れず、英国式カントリージェントルマンを貫き、この家を終生の住みかとして愛することになります。ただし田畑については、後年、台風の影響で作物が全滅したのをきっかけとして手放すことになったらしい。

いま、この旧白洲邸・武相荘周辺は宅地として造成され、見える範囲はすべて住宅となっています。たぶん、白洲次郎が耕した田畑にもサラリーマン向けの建売住宅となっているのでしょう。

かつての

ケタ外れの富裕階級に育った白洲次郎と、

貴族階級に育った正子という

特権階級の夫妻が愛したこの地は、

今では庶民階級のベットタウンとなっているのも

時代の変化です。

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2006年6月20日 (火)

母たちの村

最近のことだけど、プールのロッカーでアセアン系顔立ちの5歳前後の兄弟2人と一緒になりました。見るともなく見てしまったのですが、2人とも小指の一関節くらいしかないポコチンの先ッポがキレイにムケていて、ハッハー割礼するとこんなふうになるのかとナットクした反面、あどけない顔と、そのツルリとしたポコチンとがミョーにアンバランスに見えたものです。

ロッカー室の外ではスカーフかぶった母親らしき人が待っていたから、たぶんインドネシアかマレーシアあたりの回教徒の子供だったのでしょう。宗教的儀式の意味合いがあるにしても、やはり、あんな幼い子供の身体に傷をつけるのは痛々しいなぁ。

そんな印象が抜けないうちに観た映画は

割礼のことを取り上げていました。

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母たちの村
ウスマン・センベーヌ監督作品
2004年/フランス・セネガル合作映画
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2006年6月17日より神田神保町
岩波ホールにて上映中
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これは西アフリカ・セネガルの小さな村で、
少女たちを割礼の恐怖から守ろうと
敢然と立ち上がった母親たちの物語。
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いま ここで
悪弊を断ち切らなければ!!!
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男支配の社会と、女たちとの
正に
命を賭けた戦い。

「男はあるていどの年齢になれば自然とムケてくるもんじゃないの」

などと、

割礼なんて、大方の日本人にとって無関心な風習だろうけれど、

宗教宗派によっては、大人になるための重要な通過儀式であり、

また、

男の子の割礼と女の子の割礼はどうやら違う意味をもつらしい。

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2006年6月18日 (日)

教科書どおりのツユ空の日曜日

to えあじん
いつも楽しく見ています。
ところで、三色の最後の画像が前に見たときと変わってるようですが
ぼくの勘違いでしょうか。

from えあじん
イヤハヤどうもでした。気がつきましたか?
そうなんです。
あの日の章をアップした後にサッカーのエクアドル対コスタリカ戦を観ていたら、点を入れたエクアドル応援団が大喜びしていまして、
オチとしてはこの方がオモシロイかなッと急遽差し替えたのです。
それにしても、こんなことに気がついた人がいたとは・・・・・。
ユダンなりません!

これが、その差し替える前の画像です。
オモシロクね~よ!と言われそうですが、
一応載せておきませう。
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それにしても最近は三色が多いですね~。
これは新聞折込広告です。
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これなんかも三色でしょ。
こんなふうに自然と慣らされていくのでしょうか。
オォ コワッコワッコワッ!!!
(もっとも、コレのナニがオモシロイのか分からない人多いでしょうけどネッ)
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朝起きて新聞のラジオテレビ欄を見てワシャ驚きました。

テレ朝の9時からズ~ッとサッカーじゃありませんか。

他に何かヤルコトがないんかい!!!

イカリを抑えながら、いつもの休日のように、プールで体調管理をしてからの帰路、

例の人口池を覗いたら、先週は1輪だった蓮の花がもうひとつ増えていて、

鮮やかなピンクの花が雨の中に輝いていました。

掃き溜めの鶴ならぬ、ドロ沼の蓮の花には癒されます。

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いつもなら、このまま狭いながらも楽しい我が家へ帰るところだけど、きょうは、久しぶりに世田谷中央図書館に寄って本を借りてきたのだ。

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鶴川日記
白洲正子
文化出版局刊
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白洲次郎の評伝を読んでから、
どうも正子夫人の方が タダモノじゃないように思えて、
どんな思考回路を持ってた人なのだろう?と
興味を覚えたもの。

教科書どおりの雨の降る中、世田谷通りを歩いていてラーメン屋の前を通りかかったら、店の中から洩れる匂いに「アレッ!?」と立ち止まった。この匂いは確かラーメン二郎と同じ匂い。でも、看板には『ラーメン 陸』の文字。どうせ昼飯時だからと試しに店内に入って観察すれば、店名こそ違うけれどラーメン二郎の各店舗と同じ雰囲気。自動販売機で「豚増しラーメン」の食券を買い、「野菜増し」と注文したら通じたから、ラーメン二郎の系列店なのでしょう。

そんでもって、これが世田谷通り
ラーメン 陸
豚増しラーメン
750円也
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太麺、濃いスープ、キャベツとモヤシの茹でた野菜と
そのまんまラーメン二郎の味でした。
どうです?この脂肪分タップリの煮豚は存在感あるでしょ?
身体にはワルそうだけれど、なぜかクセになりそうな味です。
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店舗は新しいから、もしかすると最近開店したお店なのかも知れません。
それでも15席ほどの椅子は全部ふさがって、待ってる人が数人いたから、
これからドンドンお客を増やしていきそうな予感がします。
皆さんどこで情報仕入れるのか、イロンな店を開発していきますね~。

と、いうワケで、ワシの行動範囲なんて大体こんなもの。

さて、これから日本対クロアチアの一戦観ようかとも思ったけれど、

ヘソ曲がりのワシは日本人の60%は観るだろう番組に背を向けて、

テレビ放送大学の

8:45 財政学「公債発行とその負担」

9:30 物質環境科学Ⅱ

で教養を高めるのだッ!

チャンチャン

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武相荘に行ってきた

武蔵と相模の境にあるから「武相荘」

もちろん、“無愛想”にかけたもの。

小田急線鶴川駅から徒歩15分に旧白洲邸「武相荘」はある。

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白洲次郎・正子夫婦がこの鶴川の地に居を構えたのは昭和18年(1943)。

折から第二次世界大戦が勃発しようという時期で、欧米列強の実情を知る白洲次郎は、「この戦争で日本は必ず負ける。そして食料難に陥る」と予測し、妻・正子とともに鶴川に転居して農作業に従事。いうなれば、疎開を先取りし百姓生活をしながら食料自給自足を試みたもの。

百姓といっても、10代後半から約10年イギリスに留学した白川次郎が、普段は田舎の領地に住みながら、なにかコトがあるとロンドンに赴くという英国貴族の暮らしぶりの、いわゆる英国式カントリージェントルマンのライフスタイルを実践しようとしたのがこの武相荘。だから、農作業しながら帝国ホテルあたりを定宿にしていた百姓だったことは十分想像できます。

武相荘の門を入ってすぐ右側の倉庫2階は白洲次郎資料展示室となっていて、終戦後、吉田茂の側近として活躍した当時の外交資料などが展示してあります。写真からは、特権階級に育ったものだけが放つオーラを感じることができ、これは細川護煕が放ったオーラに通じるものがありました。結局、吉田茂が目をつけたのは、田舎者のアメリカ人に、英国仕込みの物腰の白洲次郎を対峙させようとしたことだったのかな。

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萱葺きの母屋は白洲夫婦が何十年もかけて改造を重ねた家だそうで、かつて牛小屋だったという居間にさりげなく置かれた調度類は、どれも高価なものだろうけれど、普段の生活の道具として使用されているように馴染んでいます。吉田茂没後遺族から贈られた重厚な応接セットの上の英字雑誌は、読みかけてちょっと外出した主の次郎を待っているようです。

正子の書斎は日当たりの良くなさそうな8畳間ほどの広さで、堀炬燵にしつらえた文机に並ぶ筆記用具もひざ掛けショールも、これまたちょっと座を離れた正子が今にも戻ってきて再びペンを取りそうです。

壁一面に並ぶ手作り本棚の中に「オレの知ってる本はないかな?」とチェックを入れると、『赤目四十八瀧心中未遂/車屋長吉』の一冊がありました。ウス茶色に変色した蔵書の中に挟まれた、真新しい背表紙の車谷長吉の著書が気になり、帰宅してから『赤目四十八瀧心中未遂』の発刊を調べると、平成10年1月文藝春秋社刊で、白洲正子は平成10年12月26日88才で死亡となっているから、もしかすると白洲正子の最晩年の読書に属するのがこの『赤目四十八瀧心中未遂』だったかもしれません。

私小説のジャンルで異形の光を放つ車谷長吉と白洲正子にどんな心の交流があったのか分からないが、『白洲正子自伝/白洲正子/新潮文庫』の解説代わりに車屋長吉の『白洲正子の目』という一文が転載してあるところをみると、お互いの中に、自分ではどうにもならない“業”のようなものを見ていたのだろうか。

初夏の武相荘に欠かせないのが蚊取り線香で、各部屋部屋の蚊取り線香の煙は、白洲夫婦の時代から変わらない必需品なのでしょう。白洲夫婦もこの匂いの中で暮らしていたのかと思うと、細い煙さえもなにやら好ましく見えるのです。こんなヤブ蚊の多い地で、一代の傑物白洲次郎と女傑正子がお互いを磨きあったのがこの家ともいえるのです。

小物のひとつひとつもないがしろにしない白洲夫婦のこだわりに圧倒され外に出ると、特に整備されもせず、草木が自然のままに伸びた庭の石仏像は穏やかな微笑を浮かべ、まるでこの家の守り神のように母屋に出入りする客を送り迎えしてくれます。そんなことを思いながらこの仏像を見つめると、ただの石像が白洲夫婦の魂が乗り移ったことで仏様になったようにも見え、思わず手を合わせたのです。

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白洲次郎・正子夫婦がこの場所に移ってきた時代、駅からこの家までは一面の畑だったろうことは想像に難たくありません。それから60年後の現代では、駅からの道のりは逆に建物が途切れなく建つほどの変わりようで、かつてののどかな田園の面影もありません。なによりもユニクロの角を曲がって武相荘に入るという立地になってしまったのが時代の変化を物語っているのです。

日本人で初めてジーンズをはいたのが白洲次郎だといわれます。英国貴族のダンディズムを身につけた次郎がもし存命で、誰かに自宅の場所を教えるとき、「鶴川街道に入ってしばらく走ると『ユニクロ』があるから、そこの坂道を入るんだヨ」などと話している図を想像してニヤリとしたのでした。

もし、白洲次郎が望めば、政治の世界で大臣にもなれただろうし、
強力なコネを利用して政商としての地位を築くこともできたでしょう。
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でも、
白洲次郎の魂はあまりにも純真でした。
そんな世俗の地位を求めた途端、
自分が自分でなくなることを知っていたからこそ
白洲次郎は常に在野にあって、己の美学を貫けたのです。
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そして、
自由な立場だったからこそ、
何事にも縛られない発想が生まれたのかもしれません。
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小賢しい言を弄し
人の裏をかくことで金を得ることを追い、
挙句の果てに腰縄打たれる小悪党ばかりの昨今だから、
いつも毅然とした態度で本物の生き方を追求した
白洲次郎・正子の生涯はよりいっそう眩しく見えます。
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本当のぜいたくとは?
本当の遊びとは?
を、後世の私たちに気づかせるために、
この2人の存在があったとすら思えるのです。
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白洲次郎と白洲正子という傑物の人生には、
人間ごときに計ることのできない
はるかに偉大なるものの意図を感じて
武相荘から帰ってきたのです。
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白洲次郎
占領を背負った男

北 康利

講談社

白洲次郎=明治35年(1902年)兵庫県生まれ。神戸一中卒業後、英国ケンブリッジ大学に留学。戦前、近衛文麿、吉田茂の知遇を得る。戦後は吉田茂の側近として終戦連絡事務局次長、経済安定本部次長、貿易長官をい歴任、日本国憲法制定の現場に立ち会った。また、いち早く貿易立国を標榜し、通商産業省を創設。GHQと激しく対峙しながら、日本の早期独立と経済復興に、“歴史の黒子”として多大な功績を挙げた。昭和60年没(享年83)。紳士の哲学“プリンシプル”を尊ぶイギリス仕込みのダンディズムは終生変わらなかった。妻はエッセイストの白洲正子。

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2006年6月17日 (土)

駿河のとんかつ(神田駿河台)

神田のとんかつといえば、これはもう、早い安い美味いの「いもや」がベストだけど、靖国通りから旧住友銀行(現三省堂支店)脇の小路を明大方面に上った左にある「駿河」のとんかつもなかなかのものでした。

ここの店主というのが見るからにイカにも根性ワルそうな顔で、いつも苦虫噛み潰したような顔して揚物鍋に向かっているオヤジでした。3人のオバさんが働いていて、オモシロクないことがあると客の前でオバさんにネチネチ小言を言い、混雑時など、「相席にしてもらえよッ!!!」と罵倒することもしばしば。それも面と向かって言う気の強さもないから、顔を伏せたまま、目を合わせないようにして言うタイプ。

さすが平均年齢60歳のオバさんだから慣れたモンで蛙の顔にナントカと平気なもの。オヤジとオバさん連合のこんなセッションをカウンターに座ってさりげなく観察するのもオモシロイものでした。

私は毎年カキの季節にいつもカキフライを食べに行ってたけれど、大ぶりのカキ5ヶと付け合せに大盛のスパゲティ・キャベツというボリュームで、学生街の飯屋らしく700円という安さに大満足。

数年前からどこかから帰ってきたオヤジの息子がカウンターの中で揚物鍋の前に立ち、オヤジは奥に引っ込みパン粉マブシたりしているから、「世代交代だなッ」と思っていたら、昨年秋には建物取り壊して工事が始まったため、今シーズンはとうとうカキフライ食べ損なってしまった。

昨日、その駿河前を通りかかったら新規開店していたので、あのオヤジとオバさん連合の顔を見ておこうと入ってみたら、店はありふれたトンカツ屋の内装になり、お目当てのオヤジの姿なく、オバさん連合も退場して平均年齢33歳という若返りぶり。息子はスッカリ自身に満ちた経営者の顔になって揚物鍋の前に立っているから、もはやオヤジの時代は終わったらしい。

その駿河のとんかつ。
700円也 
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息子に代替わりした駿河のとんかつは、肉の厚さもだいぶ薄くなり、魅力だったキャベツ・スパゲティもオザナリでツマラナイものになっていました。

先代は、カウンターに傷がつくのがイヤなモンだから、客には油で薄汚れたお盆にとんかつ皿を載せて、そのまんま客に出すようなセコさだったけれど、あんなオヤジでもいなくなってしまえば「学生相手にあの大盛をズ~ッと維持してきたあたり、ななかな大したモンだったなぁ」などとミョーに懐かしくなったのでした。

苦虫噛み潰したような顔も、
じつは
哲学者の顔だったように
思えたワケよ。

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2006年6月15日 (木)

三色より三食だ

このブログサービスはアクセス解析ができるようになっているから、ときどき「検索ワード」を調べてみると、例えば「ラーメン」だったり、「二郎」だったり、「ラーメン二郎」があったりと、実にイロンなキーワードにヒットしてアクセスしてくれているのが分かる。

「大盛」なんてものがあったりして、確かに本文には何回か「大盛」を使ったことがあるから、(技術的なことは知らないけれど)たぶん巡回ロボットがこんな単語を拾い上げてくれてるのでしょう。

「大盛」といえば、元サザンの大森隆志ネタで1章作ったときの「大森」にもヒットするようで、もし大田区大森のことを調べたくて「大森」をキーワードにしたら「空気人的・・・」なんていうショーもないブログがヒットして、舌打ちした方がいたかもしれません。

それでも、細かい説明はヌキにするけれど、空気人的には

サザンのライブ会場での三色旗振り回すヤツが出できて、

他のメンバーのヒンシュクかったりしたことがあって、

それ以来「コンサート会場で三色旗振るのはヤメマショー

というような通達だか申し合わせだかが、本部だか“どこじゃら”からあって、

それ以来ライブ会場から三色旗が消えたけれど、

大森はメンバーとの関係修復できず、

けっきょく、サザンを止めることにつながり、

ロクな音楽活動も継続できなくなり、やがて、ヤクに手を出すようになった。

というような週刊誌の記事は大いに楽しめたワケです。

信仰を同じくする者への連帯感の表明だったのか

応援だったのかしらないけれど

三色旗は贔屓の引き倒しになったみたい

     アッハッハッハハーハッハッ

そこで、

ワシはフト気がついたワケよ。

大森隆志でなくともの三色看板は街でよく見かけるぞなモシ、、、、と。

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上の6枚の画像は同じ日の朝と夜の
たった数分の間に撮影したもの。
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ということは
3色看板はワシらの生活圏に
深く静かに、しかも広範に増殖しているということだッ。
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アナタの周囲ではどうかな?
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サヨナラサヨナラサヨナラ
.
>>>------------------------------------------------<<<
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と、、、、、、。
ここまで書いたら、
こんな三色を見つけてしまったのだ。
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2006年6月13日 (火)

ため息列島つゆ模様

イヤハヤ、昨夜は7時30分ころ帰宅の電車に乗っていたけれど、

朝のラッシュ並にギューギュー詰めの混雑ぶり。

皆さんそれぞれ、

おウチでサムライブルーの応援なんかしちゃおうという魂胆だったのでしょう。

それでもって、、、、あの結果!

同点のゴール決められたとき、

各家庭から発せられたため息がツムジ風となって

宇宙の彼方へ飛んでいったというハナシです。

たぶん大方の日本人は、あの同点にされた時点で

    「このゲーム負けるゾッ!

との思いがよぎったんじゃないかな?

それにしても、日本サッカーというのはいつも終了間際にダメになりますネ。

給料に見合うだけの仕事しないんだもの

.

今朝の地下鉄の売店なんか、
.
勝ってたら、競って新聞買い求めたんだろうけれど、
.
6分 3失点」の沈痛な見出し見ぬフリで
.
皆シカトして通り過ぎていました。
.
.60613_1
.
まぁ、こうなったら、だなぁ、
.
いったん宇宙に上った昨夜の日本人のため息が
.
逆流してKAMIKAZEとなってドイツを襲い、
.
  得失点差で決勝トーナメント進出
.
なんて奇跡が起きることに期待しましょう。
.
WBCや
.
イナバウアー
.
の例もありますから。
.
. Sikiri3hinomaru  

.

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2006年6月12日 (月)

オッチャンオッチャン

ワールドカップが始まって野球の存在が薄れていく感じ。

このところ朝起きて新聞のスポーツ欄でジャイアンツがボロ負けのニュース読んではニヤニヤする毎日。世の中をワルくした元凶がジャイアンツとそれを取り巻く機構だとして、ジャイアンツがダメになっていくのを見るのが愉しみなヤジオだから、負けろ!負けろ!ドンドン負けろ!と応援しているのだ。

特別なサッカーファンでもないから、夜中明け方まで起きてテレビ見ているだけの根性もなく、ニュースなどのダイジェスト版をチラチラ見るだけ。ドイツ・コスタリカ戦の試合終了間際のドイツ4点目のロングシュートなんかを見てしまうと、日本のサッカーのチマチマした動きなんて寂しいモンです。同じルールで同じゲームをしているはずのに全く別のモンをしているように見えてしまいます。

ダイナミックさがまるで違います。

野球だって同じようなものさ。
大リーグのゲームをリアルタイムで見ることのできる現在、ベースボールと野球では似て非なるものだと気がついたから、WBCで優勝したからといって日本野球が世界一だなどとはとても思えないぜ。第一、闘病中の元監督をいまだに引っ張り出してきてはその名前にスガって、人気浮揚計らなければならないモンに魅力感じるワケないだろッ。

オッチャンオッチャン血圧あがりまっせ

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電車を待ちながら、売店の求人貼り紙をなにげなく見ていたワケよ。
ほぅ、時給970円か~、ウチのバイトと大して違わないんだなぁ。
?????
なんか言葉の坐りがワルイなぁ。
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上記の時間帯でご都合の良い時間帯も
募集中です(委細は面談で)、、、???
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上記の時間帯でご都合の良い時間帯も・・・・・
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アッ!そうか!「」が余計だよ~ん。
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やっちゃった!
どんなに細かくチェックしたつもりでも、
こんなチョンボをすることがあるんだよなぁ。
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誤字脱字句読点メチャクチャの自分のブログはさておいて、
他人様のこんな間違いに気がついたりするワケよ。

オッチャンオッチャン細かいとこ見てまんな

Sikiri_15
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道を歩いていると電柱へのこんな書き込みも見つけちゃうのよ。
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さよなら 
さよなら さよなら
僕はきみを
卒業するよ
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オマエ!淀川長治か?
往生際ワルイゾッ!
ナントカみつおのようなその字が気に入らんな~ッ!
卒業でもなんでも勝手にしろよッ!

オッチャンオッチャン放っとき~な

Sikiri_14
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例の東京港区のエレベーター事件で、「シンドラー社製」と聞いたとき
「シンドラーのリストの“シンドラー”か?」などと一瞬思ったけれど、
そうしたら新聞のラジオテレビ欄の番組案内に出ましたねぇ、
シンドラーのリフト」というゴロあわせが。
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朝からテレビはシンドラーとムラカミとゴーケンくん・アヤカちゃん。
「カネ儲けは悪いことですか?」のムラカミ発言に
「法律の範囲内で儲けてください」などと
スタジオに座ってもっともらしいセリフ吐くコメンティーターと称する連中。
あのなぁ?そんなことは彼らの全盛のときに言って欲しかったなぁ!
ホリエにしろムラカミにしろ
虚名を増幅させていったのは、いつもあんたがたメディアじゃないのッ?
“水に落ちた”とたんに叩き始めるというのも、いつものテやないけッ。
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カメラの放列にイライラした表情で寄ってきて
カメラを手で払う(その後逮捕される)母親。
そんな様子をノッペラ顔で見ているカメラマンたちを見ながら、
ワシは思いましたねぇ。
オマエら!
自分の仕事道具を邪険に扱われて、
それでだなぁ、
母親に文句いうヤツはいないのか?
それとも ナニか?
シメシメ 良い絵が撮れたとでも思っているのか?

イカリのテレビを消してスイミングプールに行き1000mやっつけ、

今週も体調異変ナシを確認して満足し、

ジャグジーで身体をクラゲ状態に弛ませた後

いつもの道を帰りかけたら

まぁまぁ

オッチャンオッチャン

あんたがごときがイカってもどないもなりまへん

これでも見て気を鎮めて~な

とでも言うかのような一輪の蓮の花。

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ご覧なされ
蓮華の御花は
このように汚れたドロ沼だからこそ美しく花開くのです.
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というわけで、それからは

最近復刻されたサンタナのCD『ロータスの伝説』をエンドレスに設定して

36時間の深い瞑想に入ってたというワケよ。

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ロータスの伝説
サンタナ・ライブ・イン・ジャパン
MHCP 1002-4
1973年7月3、4日
日本国中を感動の嵐に包んだサンタナ。
彼等の熱狂的なステージの模様を刻明に記録した
この初のライブ・レコーディング・アルバムはサンタナの
真実の姿をとらえる事のできた最高傑作アルバムであるとともに、
ロック史上に残る不滅の名盤である。
録音場所----大阪厚生年金会館
レコード史上空前絶後の22面体ジャケットのアートワークから、
レーベル、紙袋に致るまで、すべて横尾忠則の手により制作されたものです。
Sikiri2hana

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2006年6月10日 (土)

ブルース・スプリングスティーンの勝利を我らに

今週の通勤往復は、

CDウォークマンにセットしたブルース・スプリングスティーンの新譜

「ウィ・シャル・オーヴァーカム/ザ・シーガー・セッションズ」

を毎日聴いていた。

このCDは、

ブルース・スプリングスティーンが、

音楽上もっとも影響を受けたピート・シーガーに捧げたアルバムで、

全曲ピート・シーガーのレパートリーを取り上げている。

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ブルース・スプリングスティーン
ウィ・シャル・オーヴァーカム
ザ・シーガー・セッションズ
SICP 1080~1
「ロックし、スイングし、ロールするこれらの歌は、
ぼくのもっとも初期の、
ゆったりした気楽で折衷的な音楽への回帰である。」
(ブルース・スプリングスティーン)

ピート・シーガーは、

1940年代のアメリカ大陸を放浪しながら埋もれていた伝統の歌を採譜し紹介したことで

“アメリカンフォークの父”とも称されるフォークシンガー。

また、常に弱者の側に立ち、歌を通じて体制に抵抗した姿勢は、

単なるシンガーの枠を超えた社会活動家として知られている。

このアルバムのタイトルになっている

ウィ・シャル・オーヴァーカム(勝利を我らに)」も、

シーガーによって広く知られた曲で、公民権運動の象徴のような曲。

そのシーガーへのブルースによるトリビュートアルバムは、

ブルースの自宅に気の合ったミュージシャンを集めて制作されたそうで、

ボーナスのDVD(そういえば、最近はCD+DVDのセットが多いなぁ)からは、

そんなミュージシャン達の和気藹々の、実にリラックスしたレコーディング風景が伺えます。

特に奇をてらったアレンジもなく、

ギター、バンジョー、フィドルというフォークソングの基本ともいえる楽器を中心にした素朴なサウンドと、

ブルースのパワフルな歌は、歌に込められた力を現代に甦らせてくれます。

かつて、情報手段が発達していなかった時代は、放浪のフォークシンガーが、

各地の出来事を歌にして行く先々で広めるメッセンジャーの役目ももっていたといわれます。

ンプも拡声器も整備されていない時代は、

こんな風に“生”の音で聴衆に気持ちを伝えなければならなかったわけだ。

ウディ・ガスリー/ピート・シーガーによって確立されたアメリカンフォークは

その後ボブ・ディランの登場でロックと合体したことで多様な広がりを見せました。

ディラン自身の放射熱はもうすでに博物館収蔵の扱いになってしまったけれど、

ディランの熱を継承するブルースは、いまだに衰えぬ創作意欲を見せてくれます。

そんなブルースが、

花はどこへ行った」「「天使のハンマー」「わが祖国」など、

シーガーの超有名曲を外し、

一般的にあまり知られていない(私が知らないだけかな?)

シーガーゆかりの曲にスポットを当てて先達の偉業を讃え、

さらに自分のルーツを改めて見つめ直したのがこのアルバムです。

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2006年6月 6日 (火)

カメのボヤキ

アンコーよ~
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みんな捕まっちゃってさ~
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けっきょく ワリったのは
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オレだけかよ~!!!
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たまんないよな~ッ
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2006年6月 4日 (日)

バッシング/小林正弘監督

イラク人質事件が起きたのが2004年。

あのとき、被害者になってしまった3人の若者のうちの1人は

“趣味=ボランティア”で、あとの2人は完全に“物見遊山”の旅行に思えました。

そんな彼らが後付けでもっともらしい理由を述べたことが透けてみえたとき以来、

彼らには共鳴できませんでした。

その反面、

一夜にして増幅された《自己責任》という言葉のもと、

石ツブテ投げられることになる流れに、

巨大な組織の意図が感じられ不気味な思いがしたものです。

国家が国民を守ろうとしないでいったい誰を守るのか。

だから、私は未だに彼ら3人に対しては、

拒否と擁護という複雑な感情を抱いているのです。

振り返れば、

あの3人が“英雄”になるか“国賊”になるかの瞬間があったように思えます。

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新聞の夕刊に気になる映画の広告が出ていたので観てきた。

会場は〔シアター〕イメージフォーラムという渋谷宮益坂上にある小さな会場。
            TEL:03-5766-0114

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2006/06/02(金) 
毎日新聞夕刊
この「バッシング/小林正弘監督」
イラク人質事件にヒントを得て作られた作品で、
あの人質女性が無事帰国したものの、
郷里での陰湿な個人攻撃に潰され、
郷里を捨てることになるまでのストーリー。
(といっても、あくまでもフィクションです)
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中東でのボランティア活動中に人質になり救出された高井有子は、
「軽率な行動で国家に迷惑をかけた」という非難を受け、
過度のストレスから情緒不安定に陥り
結局、仕事も恋人も失うことになります。
父親もまた、娘の行動に対する「親の責任」を難詰され、
職場を追われた挙句自殺することになります。
唯一の理解者だった父も失い、
世間の無理解に、
もはや、
故郷にも日本にも居場所を見つけられない有子は
あの中東の国にこそ自分を必要としている人たちがいる
と旅立って行きます。

「イラク人質事件」はあくまでもヒントであって、

当時のあの3人の行動の是非を検証するとか、

「3人のその後は?」がこの映画の趣旨ではありません。

私たちは、

異質なものとレッテル貼られてしまうと、

非難され排除される対象になる社会に生きていることを描いているのです。

社会全体のヒステリーの前では、個人が抱く夢なんて儚いものです。

北海道の海沿いの街の、

ドンヨリとした景色のように、

鬱々としたままで終わってしまうのかと思っていたら、

最後に、

中東行きを決意した有子と継母が初めて心を通わせ、

現地で待つ子供たちの喜ぶ顔を想像しながらお土産を買うシーンに

か細いながらも光を見いだしたようで救われたのです。

それがたとえ幻想であっても。

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イラク人質事件のときに書いたファイルがありますので、
関心あるかたはどうぞ。

http://homepage3.nifty.com/mombasa/dummaro/7.htm
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2006年6月 2日 (金)

カロリーのカロリー焼き(神田駿河台下)

開幕ダッシュだとか最短マジックだとか浮かれていたジャイアンツも

セ・パ交流戦をやっている間、アララ~と首位転落。

去年のドラゴンズの例もあるから、

たぶんこんなことになるんじゃないの?

と期待していただけに、喜ばしい限りです。

というワケで、喜ばしいついでに今日も神保町界隈安飯屋情報です。

中央線お茶の水駅近辺は、かつて日本のカルチェラタンと呼ばれた垢抜けた街並みで、赤レンガを敷き詰めた坂道を挟んで、片や明治大学、反対側は楽器屋や本屋が並ぶ通りは私にとっての憧れでした。そんな明大通りも、学生運動盛んなころに歩道のレンガが剥がされ投石に使われてからは、味気ないコンクリートの舗装道路になって現在に至っています。私が中学の修学旅行で泊まった旅館は、だいぶ前に明治大学の施設になり、そして取り壊され、今では明治大学自体が巨大なビルディングの校舎となってしまいました。

その明治大学を右手に見ながら坂道を駿河台下交差点へ向かって下りたところの右側にあるのが、カロリーというレストラン。

何しろ創業50何周年とかで、ドアの開け閉めの音もOh! Meijiというくらい明治大学御用達のようなお店で、ここの名物はなんといってもカロリー焼きという焼肉。牛肉と玉ねぎを炒めただけのものでも、年季が入っているから、なかなか他の店では出せない味でしかもボリュームたっぷりという、典型的学生向けのメニューです。

そこで、食したのがこのジャンボ鉄板焼き
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カロリー焼き・クリームコロッケ・ハンバーグ
の3点セットがスパゲティ敷きつめた鉄板の上でジュージュー踊っていて、
豚汁andライス大盛サービスだからついついOh!Meiji
これで820円也。

満腹感で、お腹さすりさすり表に出てみれば、坂道挟んだ正面が消防署の分室で、ムカシ少しは役目を果たしていたらしい火の見ヤグラも、今では三方をビルに囲まれ視界をふさがれてしまい、もはや存在意義も無くなっています。

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例の駐車違反取締り隊が3人連れで歩いているけれど、、、

大丈夫?自信をもってチャンと仕事してくれよ。

ビシビシ、遠慮なくステッカー貼ってください。

あなたがたがガンバッテくれないと、迷惑駐車はなくなりません。

ついでに放置自転車取り締まり隊も結成して、

問答無用で撤去してくれるようにお願いしたいもの。

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2006年6月 1日 (木)

ダラー・ブランドを聴きそこなったハナシ

このところ雨模様のイヤな天気が続いたけれど、

今日はカラッとした天気で気分も最高。

スーパーに行ったらニガウリの鮮やかな緑が目に入ったので、

やっぱりコレだな!

とばかりにゴーヤチャンプルーなどを作ってみました。

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ゴーヤをツマミに、

波照間島のお土産の『泡波』という泡盛をチビリチビリやりながら、

昨日ディスクユニオンで買ってきたCD、ダラー・ブランドアフリカンピアノをセットして、

さて、アフリカンムードを味わおうかと段取りしたら、、、、、。

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「???ンッ?、、、可笑しいぞッ!コレがダラー・ブランドなの?」

「ダラー・ブランドってこんなに洗練されていたっけ?」

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CDプレイヤーを止めて確認すると、

「ゲッ!!!ナンヤ!!! これはポール・ブレイのソロピアノやんけ!!!」

シャクだったので、

ディスクユニオンに「ケースと中身が違ってるゼッ!!!」と電話でクレームつけると、

「申し訳ない!返金しますので都合の良いときにご来店ください」と相手は平謝り。

どうせ、こっちは休日のヒマな身だからと、

チョイ昼寝して泡盛の酔いをさましてから昨日に続き連チャンで新宿へ。

どこから湧いてきたのかと思えるほどの新宿駅南口の相変わらずの人ごみをかき分け

甲州街道に出てみると、

「スミマセン、あなたの健康とシアワセ祈らせて、、、」

などと声をかけてくる不幸せそうなヤツがいるから、

「ウルサイ!余計なお世話だッ!!!」とエルボードロップ一発。

まだこんなことやってるアホがいるんだなぁ。

山手線中央線の上あたりの甲州街道はだいぶ前から拡張工事中で、

その工事パネルを背にストリートライブ中の青年。

足元の2000円の値札が付いたCDを売りたいらしい。

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オマワリ駆けつけないか?と思えるほど大音響鳴らしてのパフォーマンス。

押尾コータロー風奏法で、中々のテダレに、足を止め見入り聞き入る聴衆は約20人ほど。

私も感心しながら聴いていると、通りかかった酔っ払いのオヤジがギター青年に、

「オマエ!国民年金払ってるか!!!」

怒鳴って通り過ぎて行きやがった。

社会保険庁の回し者じゃあるまいし、アレってどういう意味だったのか?

まぁ、そんなことがあって、ディスクユニオンジャズ館で中身違いのCDを返却し、返金してもらい、

帰りかけて、商品棚を見てみたらこんなCDがあったので即ゲット。

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懐かしのアル・ヘイグのアルバム(オマエのは懐かしいヤツばっかりじゃないか、テガ)。

バップピアニストとして、錚々たるキャリアをもつピアニストだったらしいが、

いつしか忘れ去られた存在が、70年代中頃にカムバック。

私は、カムバック後のこのアルバムINVITATIONを聴いて、

何の気負いも衒いもなく、歌心に満ちた溢れたレイに惚れていたもの。

こんな素敵なアルバムCDが1260円ならお買い得。

というワケで、、、、、。

ダラー・ブランドを買ったつもりが、

結局アル・ヘイグに化けてしまったという休日の午後のハナシでした。

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