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2006年5月28日 (日)

マル・ウォルドロンはあなたの友達

渋谷文化村通りとセンター街との中間くらいにあるのが
世界文化遺産の登録間近いdisc land JAROという中古ジャズレコード専門店。

間口3尺ほどの入り口からすぐに始まる急な階段を滑り落ちないよう足元に気をつけて下りれば3坪ほどの広さの壁一面はレコード棚。奥には、これまた50・60年代のジャズそのまんまの顔をした店主の顔。なにしろ、客が3人も入れば酸欠おこしそうな店だから、その店主が昼に食べたラーメンの匂いがかすかに残っている店内の在庫を素早くチェックし、素早く金払い、素早く退散というのがこの店のルール(と、私が勝手に決めていることだけど)。

その日の私が、オリジナル盤で結構値段の張るコーナーは避けて、床に放ってあるセールのダンボール函から見つけ出したのがこの2枚。

エクスチェンジ/三宅榛名・山下洋輔
1979年3月5日
渋谷・ジァンジァン実況録音
,
Side A
五木の子守歌
エクスチェンジ
Side B
ベートーヴェン氏第9シンフォニー
シェーンベルク・シェーンベルク
60528_1
現代音楽のピアニスト三宅榛名の定期コンサートに
フリージャズピアニストの雄山下洋輔がゲスト出演したときの
ライブレコーディングらしい。
三宅さんと山下さんのピアノをハッキリと聴き分けられないあたり、
私の耳もまだまだ未熟です。
ジァンジァンというのは渋谷公園通り山手教会地下にあったライブハウス。
一人芝居とか詩の朗読、
商業ベースを度外視したミュージシャンのライブなど、
実験的な試みに積極的に開放されたスペースで、
ここでの地道な活動によって全国的知名度を得たアーティストも多く、
アングラやサブカルの基本を作ったようなライブハウスでした。
1970年代私がもっとも多く通ったのは
《松岡計井子・ビートルズを歌う》という、
ビートルズナンバーを日本語で歌おうという企画で、
津軽三味線の高橋竹山の名前を知ったのも
ジァンジァンでだったと思います。
現在ではジァンジァンはなくなっているけれど、
大家の山手教会そのものは残っていて、
最近このブログでアップした渋谷マックの外観写真は
山手教会の階段から撮ったもの。

そして、もう一枚がこれ。

LEFT ALONE
MAL WALDRON LIVE1
1971年3月3日 
ヤマハホール
Side A
LEFT ALONE
STRAIGHT NO CHASER
Side B
RIGHT ON
THOUGHTS
マル・ウォルドロン(P)
峰厚介(As)
鈴木勲(B)
中村よしゆき(Ds)
60528_2
マル・ウォルドロンが初来日したのは1970年で、
こときは全くのプライベート旅行のため演奏活動はなかったらしい。
伝説の歌姫ビリー・ホリディの最後のピアニストだったという
日本人好みの経歴によって神格化されてしまったマルは
その翌年1971年に、今度はコンサートで再来日。
1ヶ月の滞在中約20回の全国縦断ソロピアノコンサートという
無謀とも思えた企画を成功させ、
日本にマル・ウォルドロンブームが持ち上がることになります。
上記のレコードは、その1971年に来日中のマル・ウォルドロンに
名盤『LEFT ALONE』を再現させようと、
ジャッキー・マクリーンの代わりに
峰厚介にアルト・サックス吹かせるといういかにも日本的な企画。
企画としてはイージーだけど、演奏自体はなかなか立派なもので、
日本軍が本場のミュージシャンとの共演にも萎縮することなく
対等にやりあっているのが嬉しい。
このレコードをJAROの函の中に見つけて、
「いまさらレフトアローンでもないなぁ」と思ったけれど
ジャケットの裏面を見て笑ってしまった。
マルのサインとともにミョーな文字が見えます。
ジャーン!!!
60528_3
あなたの友達
mal waldron
5.3.76
あのひとはこういうことを平気でやるひとなんだよなぁ。
76年というサインの日付を見ると、ソロピアノとしては3回目の来日だったのかな。
マルのLEFT ALONEでジャズに入門したファンも多く、
そんな人が、その後もファンとして持続したかどうかはともかく、
マルがいわばファンの底辺拡大に果たした役割は多大なものがあります。
マル・ウォルドロンが何回来日したのか正確な数字は分からないけれど、
おそらく日本では100回以上のソロピアノコンサートをやっているはずで、
たぶん、マルは
毎夜毎夜LEFTALONEALL ALONE
アンコールで要求されることには辟易していただろうけれど、
そこは、「日本人が喜んでくれるなら」と
割り切ってたんじゃないかな。
日本ではマル・ウォルドロンといえばLEFTALONEと、
ポップスのような扱いになってしまっているけれど、
マルの経歴を見れば、これはもう、
エリック・ドルフィー伝説のファイブ・スポットセッションに参加していたりの
ジャズ変革期の第一線にいたピアニスト。
そんな伝説のピアニストが日本全国津津浦々でソロピアノを聴かせ、
ファンの差し出すレコードに気軽にサインしてくれた時代もあったのです。
いま、改めてLEFTALONEを聴けば、
これは、やはり70年代の日本という土壌があったからこそ育った
曲だったのかなという気がします。

70年代に頻繁にソロピアノツアーを行ったマルも、
さすがに80年代になるとマンネリになって招聘されなくなり、
記録によると2002年に76歳で亡くなりました。
私はマルと一緒にカツどん食べたこともあって、
そこで、哀悼をこめて、
“全国津津浦々”に属する場所で私が撮った
マル・ウォルドロンの姿をアップしましょう。
たぶん1977年か78年の撮影だったと思います。
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このように、

三宅榛名・山下洋輔/マル・ウォルドロンの2枚の懐かしいレコードを、

世界文化遺産登録間近の渋谷JAROで見つけたのです。

2枚で合計3300円の買い物でした。

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2006年5月27日 (土)

うな丼をゴチになったハナシ

パチンコをやらなくなったのは、サイババと付き合ってた時代だから15年以上はたつだろうか。なにもサイババの教えに感化されて足を洗ったワケでもなく、パチンコはもうすでに「小遣いでちょっと、、、、」というようなゲーム感覚で遊べる時代じゃなくなり、「ナニも北朝鮮喜ばせることないワナ!!!」とアホらしく思っているうちに自然と足が遠のいていったもの。

現代のパチンコは数千円どころか数万単位で勝つか負けるかのギャンブルになっているそうで、確かに千両函をいくつも積み重ねる人を見れば、自分の台も間もなく出るんじゃないかと思ってお金つぎ込む人がいたって不思議じゃありません。

私も、かつては、瞬間的だけど、パチンコ中毒になりかかって、あの音を一日一回聞かないと落ち着かないという時代もあったけれど、今ではパチンコ屋に入るのはトイレを借りるためだけで、お金を遣おうなんていう気はサラサラおきません。

  「勝っちゃったよ!無欲の勝利だよ!!!」

同僚がいうには、昨夜帰宅途中久しぶりにやりたくなって、ターミナル駅で10000円を限度の腹づもりで遊ぼうと思ったといいます。店内はホボ満席状態で、席を探してたらたまたま空いた席ができたので、交代するように座り込み弾いたら、
「たぶんさっきの客がずいぶんつぎ込んでいたのだろう」
2000円分もやらないうちにジャンジャンと出始めたのだといいます。

なにしろ私は777とかの“フィーバー”の時代で時間がフリーズしているから、彼が説明する大当たりのルールは理解しそこねたけれど、とにかく僅かの時間で2函くらい溜まって素早く勝ち逃げしてきたのだと言います。

彼のハナシは粉飾決算の匂いもしたけれど、
「ダンナ!そういうアブク銭は身体に障りまっせ! 吐き出さなくっちゃ!!」
などと脅して昼飯はウナギの約束を取り付けたワケよ。

そんなこんなの成果で、これが
神田駅前『うな正』のダブルうな丼肝吸いつきの雄姿。
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小汚い鰻屋の、
見た目、ナンの変哲もないうな丼だけど、
ご飯の中にもう一枚うなぎが隠れているという仕掛け。
いちおう、ゴチだから値段は知らない。

オヤジが2人、うな丼喰いながらのハナシというのは、

ダレソレのお通夜に行ったとか、

血糖値が上がったとか下がったとか、

老眼鏡が合わなくなったとか、

入れ歯が何本あるとか、

まぁ、

だいたいこんなところ。

「あんたね~!あんたとオレを一緒にしないでよ~!!!」

と言いつつも、話題が合ってしまう自分が怖い。

チャンチャン!

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2006年5月26日 (金)

ヨコハマメリーはラーダー妃か 3

from えあじん

どうもでした。

2ヶ月くらいまえから右腕の肘のあたりが痛くって医者へ行ったんですが、

いわゆる「野球肘」という見立てでした。

それ以来毎日近くの診療所で5分間電気を当てるリハビリをしています。

痛い原因は骨の老化によるものだそうですが、

人間は黙ってても確実に老いていくことを実感するきょうこのごろです。

さて、

映画「ヨコハマメリー」を観て、メリーさんを撮影した「Pass ハマのメリーさん/森日出夫」という写真集があることを知り、古本屋何軒かで訊いたけれど見つけれなかったことをこのサイトに書いたところ、それを読んでくれた方からコメントをいただきました。

そのコメントによると、この本は自費出版のような形で500部ほど制作して、著者の交友関係中心に配ったものらしく、一般の流通ルートには乗らなかった本のようです。そんなワケで、ごく少数の人しかその存在を知らなかった写真集が、今回の映画が反響を呼んだことで注目を集め、再版が検討されているということでした。

私が調べたところでは国会図書館にも所蔵されておらず、都内では都立中央図書館に1冊だけ資料として存在していました。そこで、都立図書館に問い合わせたところ、すでに何人かの貸し出し予約が入っているそうで、今予約しても2ヶ月以上先の貸し出しになるだろうという予測でしたので、諦めて本が再版されるのを待つことにします。

情報によると横浜の図書館には所蔵されているそうで、たぶん著者が贈呈したものでしょうネ。

ヨコハマメリーさん関連の素晴らしい本がありますのでお薦めいたします。

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天使はブルースを歌う
横浜アウトサイド・ストーリー

山崎洋子

毎日新聞社
1999年9月30日発行

ブルースの街のもうひとつの戦後史。
伝説のGS「ゴールデン・カップス」。
白塗りの孤高の娼婦「港のメリー」。
「GIベイビーと呼ばれた混血児たち。
戦後横浜の鬼っ子(エイリアン)
を通して、ブルースの街の光と影を描く、
著者初の書き下ろしノンフィクション。

戦後、GIと日本人女性との間に生まれ、
遺棄された混血児が900体ほど埋葬されているお墓がある。

1960年代後半に一世を風靡した『ゴールデンカップス』のエディ藩の歌に魅かれ、ライブハウス通いするなかで、彼から聞かされたこんな話に興味を持った著者。

戦後の横浜で、生まれてすぐに闇夜に葬られた混血児の実態を取材するうち浮かび上がったのは、《明るく開放された》イメージの定着した現在の横浜が形成されるまでには隠匿したい過去が幾多もあったという事実。

白塗りの街娼ヨコハマメリーをたぐり寄せ、ハーフを売り物にして人気を集めたゴールデンカップスをデビューさせた横浜の妖しい磁場を語っているようで、著者は結局自分自身を語っているのです。私と著者は同じ世代で、著者と私がもの心ついてからこれまで触れてきたもの、例えば社会的事件も音楽の流行もたぶん同じはず。それだけに著者の視点になおいっそう共感を覚えた作品でした。

Sikiri_8
「音楽にはまったく詳しくなく、そう聴くほうでもないが、
このCD一枚で、わたしはエディ藩に溺れこんでしまった」
と、
著者に言わせしめた、エディ藩のアルバム。
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BLUE JADE
EDDIE BAN
TOCT-16034
(1982年)

1.BACK TO CHINA TOWN
2.横浜ホンキートンク・ブルース
3.EVERY LONELY NIGHT
4.雨の馬車道
5.淑珍(スーザン)
6.ROUTE 66
7.WAITING SOMEONE(TO TAKE MY HAND)
8.NIGHTS IN SATIN
9.BLUE JADE
a
一瞬で去ったGSブームのあとに残ったのはアイドルたちの残骸。
ゴールデンカップス解散後約10年を経て、
ソロ歌手としての評価を決定づけたアルバムで、
名曲の誉れ高い「横浜ホンキートンク・ブルース」が聴けます。
このアルバムでの、エディ藩の歌い方、曲調は
その後模倣者を多発させることになります。
早熟なるがゆえに味わうことになる辛酸をくぐりぬけ、
成功も屈辱もすべてを取り込み浄化し、
まるで、
悟りの境地に到達したかのような穏やかな世界に遊んでいます。
Sikiri_7
1980年代初めの上記アルバムBLUE JADE」を経て
2004年に発表したのがアルバム「ANOTHER BETTER DAY」
60524_3
ANOTHER BETTER DAY
EDDIE BAN
&
ROXVOX
WBC2004-24
(2004年)
1.ANOTHER BETTER DAY
2.WALK,IN MOONLIGHT
3.MERCY,MERCY,MERCY
4.LONELY NIGHT LONELY BLUES
5.丘の上のエンジェル
6.MYSTERY TRAIN
7.長い髪の少女
8.BONY MORONIE
9.DAY AND NIGHT
10.ヨコハマ ホンキ-トンク ブルース
a
ジョー・ザビヌルの有名な「MERCY,MERCY,MARCY」という
意表をついたついた曲にニヤリとさせられたり、
ゴールデンカップス時代の人気曲「長い髪の少女」からは
エディ藩の余裕が読み取れます。
エディ藩の音楽的ルーツが伺える興味深い選曲の中で、
私が何度も何度も繰り返して聴いたのが
丘の上のエンジェル/作曲:エディ藩/作詞:山崎洋子
という曲。
作詞の山崎洋子は「天使はブルースを歌う」の著者で、
エディ藩に乞われて、
遺棄嬰児の慰霊塔建設資金調達の一環として制作するCDの
作詞を担当することになります。
“望まれなかった赤ちゃん”としてこの世に生を受け、
そして遺棄された嬰児を鎮魂する重たい背景をもちながら、
誰かを非難するでもなく
恨み言を述べるわけでもなく
憐れみを乞うでもない
赤ちゃんが背中に感じた土の冷たさを忘れさせるような、
温かなまなざしと優しい愛に満ちています。
この曲のもつ背景はヌキにしても、
普遍的な愛を歌う名曲だと聴きました。

映画「ヨコハマメリー」を観て、

「天使はブルースを歌う」を読み、

現代の横浜からは想像もできない暗部を垣間見た後に聴くエディ藩の歌は

一層スゴミが感じられます。

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2006年5月21日 (日)

ホタル・カリフォルニアの3色旗

コンビニで週刊誌の立ち読みしていると週刊新潮のこんな記事が目についた

 〔特集〕
創価学会員だった
「元サザン麻薬夫婦」
妻は「池田サンの通訳」もしていた!

週刊新潮の記事によれば、大森隆志のカミさんというのは英語力を認められ名誉会長の通訳をしてたことがあり、妻の名誉会長側近の立場と、夫のサザンのメンバーという知名度は学会内外への広告塔のような役割も担ってたといいます。また、その記事は大森がサザンを辞める背景としてこんな“学会関係者”の言葉を載せています。

「大森もまた、学会へのあまりの傾倒ぶりがたたって、5年前にサザンを脱退することになりました。サザンのコンサート会場での学会の旗が振られ、そのことをメンバーから窘められるなど、かなり浮いた存在になっていたからです」

そりゃぁ、大森隆志夫婦が創価学会員だということは以前からゴシップ記事になってて知ってたし、その大森が覚せい剤で捕まったニュースは最近の新聞で読みましたヨ。

でも、
カミさんまで一緒に捕まったなんていう記事はどこにも書いてなかったゼッ!

これって、
「有力広告主の不都合になることは記事にしないっ」という匂いがプンプンして、
正義の味方ヅラしている新聞も、やはり権力には弱いということを露見させたみたい。

サザンのコンサート会場で、教宣なのか応援のつもりなのか学会旗を振るヤツがいたという記事を読んで「もしかすると、そんなシーンが撮られているかな?」と思って、サザンのライブ版のレーザーディスクを見てみましたよ。

Hotaru California
SOUTHERN ALL STARS
1995.8.6(sunday)
Live at 横浜みなとみらい21臨港パーク
60521_1

客席が映り出されるたびに、3色旗振るカーバいないかとテレビの画面みてたけど、残念ながら確認できず。でも、会場で売ってるコンサートグッズとは違う感じのに塗ったウチワを振り回しているヤツはチラホラ確認できますね。これが学会員だと断言できないけれど。

そして、最後の曲「♪勝手にシンドバッド」を歌い終わってメンバーが退場するときに映った、ステージ袖に飾られた3体の巨大な人形を見て笑ってしまった。この巨大ゴム人形がの学会シンボルカラーのシャツを着ているのよ。イヤ正確にはかな。

「60521kuwata.AVI」をダウンロード

これを見てると、大森を始めとしてステージ制作関係者グルミで学会員なんじゃないのと思ったワケよ。。(尚、動画に西城秀樹の顔が見えるのは、コンサートのオープニングにヒデキが登場してYMCAを歌い盛り上げたというイキサツがあって、最後に呼び込まれたもの)

それにしても、このLDに映ったクワタは何万人ものお客を熱狂させ完全なコントロール下におく立派な教祖ップリ。クワタも案外ナニをヤッテんじゃないのか?とツッコミいれたくなるほど、最初から最後までハイテンションで突っ走っているのです。


昨日までのハッキリしない天候がウソのように、今日は暖かで気分の良い日曜日。見つけ出したからといってどうってことのない<三色旗>を探して、サザンオールスターズの2枚組レーザーディスク4面を見てしまったけれど、サザン往年の名作ヒット曲にふれて、改めてソングライターとしての桑田佳祐の天才を見せつけられたのです。


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2006年5月20日 (土)

天鴻餃子房(神田錦町)とフィービ・スノウをリンクさせようか

昨夜は神田神保町ラーメン二郎の「小豚/ニンニク/野菜増し」で顔をテカテカにしたから、テカテカついでに今日は餃子で攻めてみようか。

神田神保町近辺に6店舗を構えているのが
餃子専門店の天鴻餃子房(てんこうぎょうざぼう)。

この店で土曜・日曜・祝日だけのサービスが、この、餃子全部盛り定食
900円也
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内容は、
元祖餃子 2ヶ
パリパリ餃子 2ヶ
黒豚餃子 1ヶ
しそ餃子 1ヶ
海老ニラ餃子 1ヶ
季節の餃子 1ヶ
の合計8ヶセット。
休日限定のこの全部盛り定食で、
それぞれの餃子の違いを楽しめる趣向で、
もちろん、他にも中華メニュー豊富だから
気取らない集まりには最適。
可愛いお嬢さんが、
口の周りヌメらせて餃子にかぶりついている姿なんか
ケッコー、、、ナマナマしいもんです。
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さて、

昨夜は「小豚ニンニク野菜増し」で顔をテカラせ、

今日は「餃子全部盛り」で顔をテカラせたから、

今度は音楽で全身テカラせたろか。

神保町交差点近くのディスクユニオン
2階のジャズコーナーで買ってきたレコードがコレ。

1,050円也
60520_2
1970年代後半に発表されたレコードで、
フィービ・スノウのこの声に取り込まれてしまった一時期がありました。
その後どんなアルバムを出したのか、
現在でも歌っているのか、スッカリ忘れてしまってた。
フィービ・スノウの声を30年ぶりくらいで聴いて、
そのブルーススピリッツに
ボデイ&ソウル
テカテカよ。
Sikiri2
a

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2006年5月19日 (金)

ラーメン二郎の小豚(神田神保町)

宅配便の兄ちゃんとラーメンのハナシをしていたら、彼の集荷エリアにいつも行列ができているラーメン屋があると言います。地図を描いてもらったら、神保町交差点に近い場所。神保町といっても私がいつも出没する中古レコード屋街とは別のエリアにあるので、今まで気がつかなかったワケだ。

兄ちゃんのハナシを聞いていたらラーメン禁断症状が起きて、仕事帰りに早速行って来ましたヨ。

神保町交差点から靖国通りを靖国神社方面に200mほど歩いた右側奥にその店はあり、目印の黄色いテントには色気もナニもない「ラーメン二郎」という文字。繁華街からちょっと離れた地域でも、夜7時の時点で店外に並んでいる客は14人だから大したもの。ワシは15人目の客として列に並びながら店内を伺えば、カウンター席10人だけの小じんまりした店で、内装はこれまた色気もナニもない造作。2人の男がカウンター内で働いています。

並んでいる間、すぐ前の青年にこの店のヤリカタを訊くと、彼の説明はこうだ。

まず、あそこの自動販売機で食券を買う。
都内の店ごとに違いがあるけれど、ここはラーメン1種類しかなく、
普通盛と大盛を選べるが普通盛でも一般の倍くらいの量がある。

自分はいつも700円の「小豚(しょうぶた)」というのを食べる。
これはラーメンに煮豚が乗っかっているもので、これで満腹になる。
自分の番がきて椅子に座ったら、
まず、食券をカウンターの上に乗せてラーメンが出てくるのを待つ。
ラーメンが出来ると「ニンニクは?」と訊かれるから、
ニンニクがいらなかったら、「いらない」という。
「ニンニク野菜増し」と答えると、野菜を多くしてくれる。
食べ終わったドンブリはカウンターの上に戻す。

営業時間は「麺が無くなるまで」ということで、
昼夜ともに2-3時間ほどの開店で店じまいすることになる。

青年のこんなハナシを聞きながら思い出した。
三田の慶應大学のT字路のところにあったラーメン屋が二郎という名前だった。
ムカシ、外回りの営業をしていたころに行列に釣られて何回か食べたことのある店で、どうやら、その二郎で修行した従業員が“ノレン分け”のようにして独立開業した店が「ラーメン二郎」として何軒かあるらしい。そういえば、この看板を他のどこかで見たことがある。

青年のレクチャーを受けながら外で待つこと約30分で店内に入り、後ろの補助椅子でさらに10分ほど待ち、ようやくカウンターの椅子にたどり着きラーメンを待てば、さっき青年が言ってたとおり「ニンニク?」と訊くから、うなずいて「野菜増し」と付け加えると茹でたモヤシとキャベツを一掴み足してくれた。

その「小豚」がコレ。
(豚肉は野菜の下敷きになって隠れている)
60519_1

味としては池袋大勝軒の系列に属する醤油味で麺は太麺。

ワシは細麺・アッサリ味派だから、

ゴワゴワした食感のきし麺風太麺と、

醤油の味が濃すぎるのが減点対象。

それでも、大食いのワシとしてはボリュームに大満足で、

なるほどなるほど、出発点の学生街で盛業したのもこのボリュームがウケたワケだ。

並んでから食べ終わるまでかかった小一時間が無駄のような気もするけれど、

ハナシのネタとして、「無駄は無駄でオモシロがろう」というのがワシのヤリ方。

膨らんだお腹サスリながら店の外に出てみれば、

まだまだ25人ほどの行列ができています。

昼に200人、夜に200人で1日の客数400人として、

700円×400人=280,000円/日、、、、経費を50,000/日、、、、

そうすっと、、、荒利は、、、、などと他人の財布の中を計算する悪いクセ。

ワシももっと若ければラーメン屋に挑戦したのに思いながら、

神保町駅へ向かう途中の何軒かのラーメン屋を見れば、

人通りの多い一角にある店でもお客はまばら。

店の立地条件としては恵まれなくても
創意と工夫によっては
あんなに行列のできるラーメン屋になるんだなぁ
ミョーに感心しながら
ザラザラと口の中に残った濃い味を
口直しのアイスクリームなんぞでごまかした
「ラーメン二郎 神田神保町店」初体験でした。

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2006年5月18日 (木)

イスタンブールへ愛をこめて 6

毎日ipodで音楽ガンガン聴いてるからでもないだろうけれど、

左耳奥がチクチクと痛み、気になって耳鼻咽喉科で診てもらったら

「特に心配することないから」と、痛み止め薬を飲んだらスグに治ってしまった。

たぶん、プールで泳いだときの水が原因で炎症起こしたのかな。

ついでに、

痛んでいた歯まで一緒に治ってしまいバンバンザイ。

考えてみれば、耳も奥歯も隣同士だもんな。

というワケで、

トルコ=イスタンブールネタはまだ続いています。

Sikiri_6

イスタンブールのトプカピ宮殿に展示されている

歴代スルタンの宝物を盗み出す『トプカピ』という映画があって、

その原作となったのが『真昼の翳/エリックアンブラー』です。

ずいぶん前だけど、

そんな情報を内藤陳さんの『読まずに死ねるか』で読んで、

実際にこの本を読んでみたけれど、ストーリー展開が

原作とはだいぶかけ離れているなぁという記憶があります。

今回イスタンブール絡みで再読しようと

ダンボール箱ヒックリ返し探し出してみたものの

イヤ~ッ、文字が細かくって読む気も失せてしまいました。

若いころはハヤカワミステリーのこんな細かい文字でも平気で読んでいたんだなぁ。

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60515_1

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真昼の翳
THE LIGHT OF DAY

エリック・アンブラー
宇野利泰訳

ハヤカワ・ミステリ
昭和39年12月10日発行
¥300

1962年度イギリス探偵作家協会賞受賞

ムカシッから、ハメマラというけれど、
歯もダメ
目もダメ
あとは、
マラカ?ニアン宮殿か。
.
文字はキツイから実際の映画を見てみようと
探し出してきたのがこのビデオ。
60515_3
『トプカピ』
トルコの博物館から宝剣を盗み出せ!
アマチュア集団による奇想天外な窃盗計画。
1964年制作 制作監督:ジュール・ダッサン

イスタンブールのトプカピ宮殿宝物館に納められている宝石を散りばめたサルタンの短剣を、
奇想天外な方法で頂戴しようという盗賊団の冒険喜劇がこの『トプカピ』。

この映画の大部分はイスタンブールでロケされ、トルコ観光事業局の全面的な協力を得てトプカピ宮殿の内部やドームの上からの撮影も許可されたといわれます。だから、聖ソフィア回教寺院の尖塔群、アジアとヨーロッパを隔てるボスポラスの嶺々とともに、エキゾチックなトルコの風俗がふんだんに取り入れられています。

厳重な警戒のもとにある宝物をどのようにしてカッパラうのか。

そして、それは成功するのか。

ハラハラドキドキさせながら、最後は喜劇で〆ているオシャレな映画です。

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2006年5月18日(木)付毎日新聞朝刊
60515_4
 先日発表された春の叙勲の
受章者名簿で、目を引いたのが
13人のトルコ人だった。イラン・
イラク戦争のさなかの85年3月、
イランに取り残された邦人250人
を救出したトルコ航空の乗務員、
政府幹部である。、、、、、、、、、
アジア西端の親日国トルコと日本
を結ぶ友好の逸話は多い。1890
(明治23)年、オスマン帝国の訪日
使節団の船が和歌山県沖で遭難、
多数の漁民が懸命の救助にあた
り、生存者69人がトルコまで送り届
られた話は美談となった。、、、、
イラクが撃墜警告を発したにもかか
わらず、日本政府の懇願に応じて
救援機を派遣したトルコの決断は、
先人の遺産が生きていたからだろ
   う。 (略)、、、  、、、、、、、、、、、、

このように、この記事はアジア西端の親日国トルコとの関わりから始まり、

アジア東端の親日国台湾が、中国の反対でWHOの年次総会にも出席できない現状を憂えています。

「新台」でも「反中」でもない、
正義を重んじた日本の名もない先人たちの振る舞いこそ、
新日の土壌を培ってきた。

と、台湾がWHOの総会に出席できるように日本は応援を続けるべきだと発信しています。

映画『007ロシアより愛をこめて』から、

トルコ関係懐かしの歌、

そして映画『トピカピ』と、

もちろん、和歌山県沖でのトルコ船遭難も含めて、

この数日イスタンブールで遊んでいたら、

(おこがましいけれど)

私の拙いサイトに連動したかのように、

今朝の毎日新聞の記事が出て、

気分が良くなった一日でした。

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2006年5月16日 (火)

イスタンブールへ愛をこめて 5

私は特別なサッカーファンでもないからオフサイドのルールを未だに理解できないし、フォワードやディフェンスのポジションがどこなのかも知りません。それでもワールドカップが始まれば、明け方まで眠らずに応援することはしないにしても、特番で得た情報を元にサッカー通のような顔して話題の輪の中へ入っていくのでしょう。その程度の私でも、23人のメンバー発表のニュースなどは興味をもって見ていたし、その中でも「新聞の号外が出た」というニュース映像を特に面白く見ていたのです。

WBC の優勝以来ですかね?新聞の号外が出たのは。
事故や事件、それに誰かが捕まったとか死んだというような号外よりは、配るほうも受け取るほうもニコニコ顔の、こういうオメデタイ号外は見てるほうも幸せな気分にしてくれます。

このところ、トルコ=イスタンブールネタできているけれど、いつだったかトルコのサッカー選手で“王子”とか呼ばれて騒がれた選手は、すぐにフェードアウトしちゃっていったいどうしたんでしょう。“王子”の裏バナシは知りませんが、なんか、間に入ったヤツにいいようにカモにされヤリ逃げされたんじゃないの。親日国といわれるトルコでもドルを挟んだ場合にはなかなかの曲者になってしまいます。もっともお金が絡んだらどこでもそうか!

そういえば、それまでは「IT長者」とか「カリスマ」いわれてもてはやされた三木谷さんも、“王子”でミソつけちゃったか野球もダメだし、メッキが剥がれて“地”が出てきたと思いませんか。

1974年のことだけど、ボスポラス海峡の橋は日本の援助で架けられ、その完成式が日本から政治家(たしか金丸信だったと思う)が来て最近行われた、というようなことをホテルのマネージャーが言っていたことを思い出した。その時はトルコにどんな利権があるのだろうと思ったけれど、日本とトルコは単に商売絡みでの友好関係というより、もっと以前からこんなに心を通わせる歴史があったことを教えてくれたのがこの本です。

『村田エフェンディ滞土録/梨木香歩』

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.

村田エフェンディ滞土録

梨木香歩

角川書店
平成16年4月30日発行


友よ。楽しむことを学べ。
歴史に
忘れ去られた
青春よ、
目覚めよ。
語れ。
国や主義や民族を越えた
遥かに
かけがえのない
友垣へ道すじを。

百年前の日本人留学生
村田君の土耳古滞在記。

.

滞土録の“土”は土耳古(トルコ)の“土”、つまり「土耳古滞在記」ということになります。

時代は1899年のイスタンブール。
トルコ政府の要請により日本政府から派遣された歴史文化研究員村田の体験するトルコの生活。同じ下宿の屋根の下で暮らし、いつしか友情で結ばれた国籍の異なる仲間たちの平和な日々も、第一次世界大戦の開戦にともない、それぞれが敵味方となって戦うことになります。

そして、村田の体験する怪奇現象は現実か妄想のなせるものか。
のどかなイスタンブールの街を舞台にしばしのあいだ異次元の世界で遊ばせてくれ、最後には鸚鵡(オウム)が謎解きしてくれるという不思議な小説。

この、『村田エフェンディ滞土録/梨木香歩』の中で、村田がトルコへ派遣されるイキサツがこんなふうに説明されているのです。

 そもそも何故そういう研究員受け入れの申し出が土耳古国からなされたかというと、事は九年前(1890年)起こった惨事に端を発する。
 土耳古皇帝から日本国天皇への親書を託した使者を乗せたフリゲート艦、エルトゥール号が帰国途中、和歌山沖で台風に遭い、乗員650名中587名が溺死した。そのとき地元の警察隊を始め、漁民まで実に献身的な救助及び看護にあたり、土耳古皇帝がいたく感激、両国の友好のますます深まらんことを願って、日本の学者を1名、土耳古文化研究のため彼の地に招聘することにしたのである。

あの小さな島国日本が大国露西亜を破ったという、日露戦争絡みでの日本への親近感はよく聞くけれど、トルコの親日感情が醸成されていく原点は1890年のこの海難事故にあったこと。そして、1985年のイラン・イラク戦争の折、テヘラン空港で足止めされた日本人をトルコ航空機が救出した背景には、この海難事故を忘れていなかったトルコ人の、日本人に対する恩返しという背景があったことに気づいたのです。

なるほど、なるほど、

このようなエピソードを学校で教える国と、

政権維持のために

日本は悪だ!!!

ということばかり子供たちに教え続ける国とでは

日本に対する好感度というのもおのずと違ってくるわけだ。

   ナニも好きになってくれなんて言わないから、

   せめて、冷静に過去をふりかえる作業だけはやってよ。

イヤハヤ、、、

トルコの人々の情にホロリときたら、

彼の国にイヤミのひとつも言いたくなったワケよ。

さて、

職場でもアッチコッチで発表メンバーの賛否両論勝敗予想と

やがて、寝不足の季節がくるわけだ。

ところで、

今回のワールドカップにトルコは出場するのかな。

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2006年5月14日 (日)

イスタンブールへ愛をこめて 4

いきなりだけど、ジャイアント馬場がまだ存命なころ、
60歳の誕生日を迎えたときのことです。

リング上でこんなアイサツをしたんですね~。

若いときは60のヒトを見ると、

「ジジーだなぁ」と思ったもんですが、

いざ、自分が60になってみると

「まだまだやれるじゃないか、、、、」

馬場さんの次の言葉は忘れたけれど、
会場に大きな歓声が響き渡ったことは覚えています。


そんな歓声を聞いて止めるに止めれなくなったのか?リングに立ち続けた馬場さん。
生涯現役でけっこう早死にしてしまいました。
人には自分の意思ではどうしようもない寿命というものがあって、不養生の人が長命だったり、ジム通い定期健診で健康にひと一倍気をつけていてもポックリだったりという例はよくあること。

私も“赤いチャンチャンコ”がすぐそこまでという年齢になって、
   「まだまだやれるじゃないか、、、、」
という馬場さんの心境がよ~く理解できるようになりました。

世間では2007年問題を大きく取り上げているけれど、実際に騒いでいるのは07年問題を商売に結び付けたいという企業だけで、当事者にはいずれ自分が60歳になることは何十年も前から分かっていたこと。


私がいつも言っているように

   ダメなヤツはとっくにツブレていて
   いま生き残ってるヤツはシブトイですよ

メディアがどんなに騒ごうがテのウチは分かってます。
だって、こういう不安を煽るキャンペーンを考え出したのは、
これから60歳になろうという連中が考え出し
次の世代に指導したヤリクチなんです。

イスタンブールのことを書いていて07年問題に脱線したようですが、
いきなり、コレじゃぁちょっと芸が無いかな、、、と。

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そこで、ようやく本題に入ると、
昨日の江利チエミもそうだけど、
ダニー・飯田とパラダイスキング
を知っている世代も少なくなったかもしれません。
ここでソロをとっているのが坂本九といえば
感じがつかめるヒトが少しはいるでしょう。

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この歌もトルコの「ムスターファ」という曲が原曲。
前都知事青島幸男の作詞は、貧しい男が身分不相応の恋をして、それ以来
「金さえあればこの世では 思いの叶わぬコトはない!」
とばかりに働きに働き、トルコ一番の大金持ちになり、見初めた彼女への恋をやっと成就させたときには60歳になっていたという、要領だけで人生渡り歩いてきたアオシマさんとはナニヤラ正反対の歌詞の内容。
また、さえあれば、、、」という歌詞なんぞは、最近のホリエモン騒動のキーワードを先取りしたようで笑えます。

じつは、この歌がヒットしたとき昭和天皇が60歳になろうとした年だったのです。
それで、

「陛下がお健やかに還暦を迎えるオメデタイときに『悲しき60歳』とはナニゴトダッ」

などというクレームで(もしかすると自主規制だったのかな)ラジオ局がこの曲の放送を自粛という動きがあったのを覚えています。

昭和天皇だから昭和元年に生まれか?というと、、、そうじゃなくて、明治34年(1901年)のお生まれだから、、、60歳ということは、、、この『悲しき60歳』レコードは1961年(昭和36年)ころに発売されたと想像されます。
この時代の60歳というのは人生のオワリという考え方だったんでしょうか。

オヤクソクですから
参考までに『悲しき60歳』がどんな歌かチョビッと聞いてもらいましょうか。

今では平均年齢もはるかに上がり、『悲しき60歳』が流行った時代とは、60歳の元気度も比べものにならないくらいに上がっていて、60歳で一丁上がり!!!などというのは早すぎます。仕事の継続で社会参加をするなり、まとまった時間で趣味を充実させるなり、この年齢になったからこそヤレること、ヤルべきことはまだまだイッパイあるはずです。

  50 60はハナ垂れ小僧
  70 80は働きザカリ
  90になって迎えがきたら
  100まで待てと追い返す

でっせ!!!

ウシュクダラの波止場に立って金角湾の向こうにそびえるブルーモスクを見ていたら

いつのまにか 定年世代への応援のようになってしまったけれど

このように

江利チエミの『ウシュクダラ』や坂本九の『悲しき60歳』の歌で

トルコ=イスタンブールが無意識のうちに刷り込まれた私は

『007危機一髪・ロシアより愛をこめて』を観て

いつかイスタンブールへ行こう

と思ったこともあったのです。

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2006年5月13日 (土)

イスタンブールへ愛をこめて 3

アジアアイウェイを西に向かっていると、

道路とバスがだんだん良くなっていくことでヨーロッパが近づいていることが実感できる。

インドやアフガニスタンだとバスの屋根だって立派な客席で、ロープに掴りながらデコボコ道を走るわけだから命がけです。でもイランやトルコに入ると道路は舗装され、バスの椅子だって指定席のリクライニングシートだから楽なもの。それと、走行中のドライブインで食べる物も西洋風になっていくから、インドあたりのバス移動を経験している者にとっては天国みたいなもの。楽な移動で安心しつつも、徐徐に旅の刺激が減っていくことを感じながらたどり着いたのは、アジア大陸西の果てトルコ・ウシュクダラという街。

ボスポラス海峡・ウシュクダラの波止場のイスタンブール行きのフェリーに乗れば、前方には小高いイスタンブールの街並みとモヤに霞むブルーモスクの威容。つまり、これからアジア大陸を離れ、向こう側のヨーロッパ大陸に足を入れようという趣向。

このウシュクダラという地名はある程度の年齢の人にとっては案外郷愁を呼ぶ名前じゃないかと思う。

江利チエミを知らない世代も多くなったろうけれど、メンドくさいから説明抜き、無視してハナシを進めると、ワタシなんかガキのころ意味もわからないままこんな歌を歌っていたものです。

資料によるとトルコのヒット曲→アメリカのアーサー・キッド→江利チエミという経路で、ガキの私でも知ることになった曲ですが、改めて江利チエミ版を聴いてみると、これ不思議な歌詞です。原曲歌詞の大意を日本語にしたものなのか、原曲に関係ない日本語歌詞なのか不明だけど、

  街を歩いていったい何に驚いたのか?
  どうしてオトコが可哀想なのか
説明がないからサッパリわかりません。

それでも、不思議な旋律は何十年もアタマに刷り込まれていたワケです。
ウシュクダラという街がトルコの西にあることを知ったのはだいぶ後になってからのハナシで、ましてや、その街に実際に行くことになるとは夢にも思わないことでした。このように「ロシアより愛をこめて」のジェームズ・ボンドやマット・モンローのズ~ッと以前から、私をイスタンブールへと目を向けさせるように道筋ができてたワケです。

それほど大げさなモンじゃないってガッ!!!

チャンチャン!!!

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と、、、、、ここまで書いて、

空気人的には江利チエミの「ウシュクダラ」音源を探していたら、

江利チエミが実際に「ウシュクダラ」を歌っている映像の「ジャンケン娘」を発見。

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ひばり・チエミ・いづみの
ジャンケン娘
美空、江利、雪村の三人娘が大活躍する、
アメリカ風ミュージカルコメディ
昭和30年度 東宝作品
あ~た!
昭和30年といえば1955年ですよ!!!
美空ひばりは和風のシッカリ娘
江利チエミは健康なおテンバ娘
雪村いづみは都会風のカタカナ娘
と、三人娘それぞれのキャラクターで役割分担されていて、
当時の人気度に応じた配役がなされてるような映画です。
この映画の中で替え歌で江利チエミは
「ウシュクダラ」を歌ってるんですね~。
まぁ、それだけのハナシなんだけれど、
この際だから
三人娘50年前の画像をアップしましょう。
(もちろん、左から江利雪村美空の順)
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50年前の三人娘、それぞれ可愛いですね。
この三人娘の中で現在存命中は雪村いづみさん、、、、だけかな。

この章、

最後に外しちゃったような気がするから、

外しついでに、敗者復活戦もかねて

次回も懐かしいトルコの音楽で攻めてみましょう。

それでは、改めて、

チャンチャン!!!

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2006年5月11日 (木)

イスタンブールへ愛をこめて 2

「ロシアより愛をこめて」のヒットによって、

街はジェームズ・ボンドの持つ、

7つ道具の仕込まれた黒のアタッシュケースを抱えた男たちで溢れることになります。

「自分はセールスマンに見えるかもしれないけれど、ホントは秘密情報部員なんだゼッ!」

という顔をしても、ホントもウソも、しがないサラリーマンなんだから仕方ありません。

「尾行されていないか?」

ときどき後ろを注意するけれど、そんなサラリーマンに関心をもつヤツなんていやしません。

それでもいっときスパイ気分を味わえただけでも上等上等。

この映画の主題歌もヒットしました。

007とタチアナ嬢がすべての試練を乗り越えてベニスで遊ぶシーン。

現在の目で見れば合成だと一発で分かるけれど、

2人がゴンドラで揺られるシーンに流れるこの曲は素敵でした。

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歌っているのはマット・モンローという歌手ですが、これ以外の曲を知りませんから

いわゆる一発屋だったんでしょうか。

さて、、、、、、、ゲリラサイトとしては、、、、。

例によってマット・モンロー歌うところの「ロシアより愛をこめて」

サワリの部分を聴いてみましょうか。

ボディ&ソウル・・・とろけそうな甘~い声です。

私にとってはこの映画も主題歌も

忘れることができないほど

惚れている映画であり歌なのです。

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2006年5月10日 (水)

イスタンブールへ愛をこめて

英国情報部Mのもとにトルコ支局長ケリムから奇妙な電報が届いた。
それには、
在イスタンブールのソ連大使館情報部に勤務する
タチアナという女性が、
秘密書類で
ジェームズ・ボンドの記録を見て写真に一目惚れしてしまった。

彼に会わせてくれ、
もしロンドンに連れて逃げてくれるならば、
お土産にソ連最新の暗号解読機レクターを盗み出す、
といってきたがどう思うか?
という電文だった。

これが、ご存じジェームズ・ボンドシリーズの最高傑作と評価の高い
「007/危機一発/ロシアより愛をこめて(英1963年作品)」の導入部分。

できすぎたハナシに罠の匂い感じながらも、
美女との休暇を楽切り上げた007ジェームズ・ボンドは、
急遽イスタンブールへと飛びます。
表の顔絨毯屋で裏の顔英国エージェントのケリムの案内で、
ボンドは早速ソ連大使館内部が見ることができる地下水道へと下りていき、
仕込まれた潜望鏡を覗いてみると、、、、。

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そこで見たのは、
ケリムと敵対するソ連側エージェントと、亡命を希望しているというタチアナの姿。
長年の宿敵への復讐心をメラメラと燃やすケリムと、
一方のボンドは、、、、。
ロシア美女タチアナの姿に、
もともとキライじゃないから下半身がメラメラしてくるというワケよ。

ホテルに戻ったボンドを出迎えたのは、
ベッドの中で準備オーライ即対応と妖艶なタチアナ嬢の笑顔
・・・・・となるんだけれど、、、、、、、。

アレ~ッ???チョッと待ってよ!!!

ワシの記憶しているボンドさんとタチアナ嬢のファーストタッチは、
夕暮れのイスタンブール、
ガラタ橋の上でさりげなく出会った2人が、
お互いの品定めをするという手数を踏む設定だったのに~ッ!!!
すぐベッドインではこれじゃあまりにも1000メガバイトで速すぎるよ~。

40年前のワシのアタマにはこの地下水道とガラタ橋のシーン、
それに、
深夜、街なかの建物に描かれた看板の女性の口が開き、
隠れ家から逃亡しようとするソ連側エージェントのブルガリア人を
ケリムが狙撃するシーン焼きついていたのよ。

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この映画を観てからは、

いずれ、イスタンブールに行き、
地下水道の中で船を漕ぎ、秘密の潜望鏡からソ連大使館内部を覗きたい。
アジア大陸とヨーロッパ大陸を結ぶ夕暮れのガラタ橋を女スパイを求めて歩きたい。
あの大口オンナの映画の看板を探したい。

こんな3点セットで、

イスタンブールに行きたいか~ッ!!!

福留アナの絶叫に煽られてニューヨーク目指した高校生がいたように、
イスタンブールへの想いを増幅させたワシは、
実際にイスタンブールへと旅立てジャックだったのよ。

だから、
「ロシアより愛をこめて」はワシをイスタンブールへと引き寄せた映画ということになり、
その映画のビデオを何十年ぶりかで観て、
アタマの中に長いこと刷り込んでいたストーリーと、
実際のストーリー展開の違いに気づいてショックを受けたのです。

でも、まぁ、一呼吸入れて冷静になってみれば、
同じ映画でも、上映国によって結末が違ったりすることはよくあるらしいから、
007ボンドとタチアナ嬢のファーストタッチがガラタ橋上だったり
ベッドインだったりという複数バージョンがあっても不思議なことじゃないか?
などと納得させたわけです。

前置きがけっこう長くなってしまったけれど、、、。

私がアジアハイウェイを経て憧れのイスタンブールに到着したのは1974年の夏のこと。
ユースホステルのマネージャーから得た情報をもとに、イスタンブールのランドマークとなっているブルーモスクとトプカピ宮殿の近くにある地下水道に早速行ったワケよ。

日本だと、あれほど有名な映画の撮影地だったら、
入り口に入場券自動販売機があったりするけれど、
イスタンブールのそこは誰でも勝手に入り込むことができる所で、
私は、「あぁ、この場所からボンドとケリムが小船でソ連大使館が覗ける場所まで行ったんだなぁ!」と映画のシーンを思い出して感動したワケです。
すっかり007気分のワシは「船はないかな?」などと周囲を見たけれど、モチロンそんな船なんぞあるわけありません。

イワシのフライを挟んだパンを食べながら歩いたガラタ橋では女スパイと接触することもなく、大口女の映画の看板も探せなかったけれど、とにかく地下水道が実際に存在したことを確認できて満足したモノズキな私でした。

映画ではケリムが「この地下水道は1600年前にコンスタンチヌス帝が作った」と説明している山の上の地下水道は、現代でこそ使用していないけれど、かつては“サイフォンの原理”で山の上に水を引きあげ、そこから市民の生活に供給したといわれ、トルコの土木工事がいかに進歩していたか、トルコの生活水準の高さを物語る証拠だと本で読んだことがあります。

007シリーズ第2作目の「ロシアより愛をこめて」は1963年の公開だから、
あれから40年。
改めてビデオで観れば、合成技術の未熟な部分は目につくけれど、ストーリー展開の緻密さと、息をもつかせぬアクションの連続は現代でも色あせず、この映画が永遠不滅の娯楽作品だということを気づかせてくれたのです。

イスタンブールは、西のギリシャほどヨーロッパでなく、東のイランほどアラブではない、まさに“東西の十字路”。
旅人の好奇心を満足させるに充分なエキゾチックな香りに満ちた街には違いありませんでした。

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映画「ロシアより愛をこめて」の映像より
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旧市街のテッペンにそびえているのがブルーモスクで、
この波止場の右側が、
アジア大陸とヨーロッパ大陸をつなぐガラタ橋ということになります。

映画「ロシアより愛をこめて」から、

そんな街の雰囲気を感じとって、

イスタンブール目指したヤツが

少なくとも一匹いるのです。

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2006年5月 7日 (日)

ミルスブラザースはイキだねぇ

映画ヨコハマメリーのメリーさんを捉えた写真集が出たことがあると知ったので、何軒か古本屋に訊いてみたけれど見つからず。もしかしたら、あそこだったらあるかもしれないと渋谷駅前三菱UFJB/K裏の渋谷古書センターへ。
しかし残念『YOKOHAMA PASS ハマのメリーさん/森日出夫』は見つからず。
でも、2階のサブカル主体で喫茶店も兼ねている店作りがイキ

古本屋向かいの「博多天神」で昼食。
とんこつネギラーメン650円也。
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この店は渋谷新宿で何軒か見かけるけど、麺の細いのが良い。
それと、テーブルのゴマ・紅しょうが・高菜漬け・おろしニンニク
のトッピングが自由なのと、代金は自己申告制というのがイキ
替え玉まで食べて、お腹イッパイになったところで渋谷マックに寄ってみる。
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このブログはWin.で作っているけれど、
他にPower Book G4も持っているから、
ときどきショールームを覗いているのだ。
Win.の店だとお客は皆同じ顔しているけれど
マックは客の個性的雰囲気がイキ
Ipodの操作方法を確認してから、
スペイン坂を抜けて中古CDレコード屋のレコファンへ。
坂の途中で、カタギとは違うオーラを発する男とスレ違うけれど
名前を思い出せない。
私の後ろを歩いていた女性2人も男に気がついたらしく
「アレ~あのヒト、あんなふうに普通に街を歩いているのね~」
「ホントね~、アナタもっと早く教えてくれればよく見たのに~」
などと声を潜めて話していたから有名人なんだろう。
その2人に「あのヒト誰だっけ?」と訊きたかったけれど、
マッ イッカ。
レコファンでイキなレコード2枚ゲット!!!
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ERROLL GARNER
PLAYS
MISTY
エロール・ガーナーが飛行機の窓を打つ雨をイメージして
1954年に作曲したMISTYは、その後ロマンチックな歌詞がつけられ、
多くのジャズ歌手が好んで歌う名曲として知られています。
エロール・ガーナーのピアノは
右手と左手の音が微妙にズレるビハインド奏法と呼ばれ、
だれでもが一聴してその特徴がつかめる分かりやすい音楽。
そのポピュラーな名声を得たために、ジャズでは過小評価されがちですが、
そうヤボなこと言いなさんな。
高級クラブで金持ち相手のピアノを弾くのもジャズのひとつのありかた。
そんな、タキシード姿の似合うエロール・ガーナーはイキじゃありませんか
もう一枚がコレ 
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COUNT BASIE
MILLS BROTHERS
THE BOAD OF DIRECTORS
1967年11月録音
ミルスブラザースとは
ハーバード(1912年生)
ハリー(1913年生)
ドナルド(1915年生)
の3人兄弟からなるボーカルグループ。
片やカウント・ベイシーは1904年生まれのジャズ界の御大。
伯爵さまの指先に身を任せて
気持ち良さげに踊るダンゴ3兄弟ならぬミルス3兄弟。
(ジャケット写真にベイシー以外の4人が写っている理由は不明)
エンターテインメントのお手本の
ベイシービッグバンドもミルスブラザースもイキだねぇ。
じつはこのレコードを探してたんですよ!
やっとこの連休に見つけました。
探せば見つかるものですね。
エロール・ガーナー 430円
ミルス・ブラザース 955円
合計1385円の嬉しい買い物でした。
あまり難しい顔をしないで
こんな楽しい音楽を聴いて気持ちをほぐしましょうか。

さて、春の連休も今日で終わり。

連休中の全更新もヒマにまかせて達成しましたが

愚にもつかぬ雑感にお付き合いいただき感謝です。

明日からの仕事もガンバリませう。

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2006年5月 6日 (土)

ワールドカップももうすぐか

3兆円負担などという問題が起きても

われ関せずの、羊のごとき国民はゴールデンウィークに浮かれているニッポン。

ウリナラでは

米軍基地の統廃合による農地収用に抵抗する農民と、警察官の衝突で騒然。

この騒動から国民の目を背けさせるには、

ヤッパリ竹島だ!!!

独島にイルボン攻めてくるゾッ!!!を使え!!!!!

そうすりゃ こんな騒動なんて、明日の朝までには収まってるゼッ!!!

4年前の日韓共催ワールドカップのあの騒動はいったい何だったろうといつも思う。

日韓友好!!!日韓友好!!!日韓友好!!!などといくら騒いでも、

日本側の片八百長で、やはり幻想ふりまいただけでしかなかったんだ!

私に、そんなシラケきった思いを残した日韓ワールドカップ。

その観戦記

「杯/沢木耕太郎/新潮文庫」

を読んでいます。

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〔カップ〕
緑の海へ

沢木耕太郎

新潮文庫

決戦直前、
今こそW杯を旅せよ。

旅人沢木耕太郎が

見つめたW杯の現実とは。

土地と人が匂い立つ、

日韓W杯漂流記。

.

ソウルで通訳のアン青年に質問をする。

(沢木)もし、日本が一次リーグを突破して韓国ができなかったとしたら、韓国ではどういう反応が起きるだろうか。
(アン)「たぶん、どうして日本ができて韓国にできなかったか大議論が巻き起こると思います」

 そして、逆にアン君に訊ねられた。
「もし韓国が勝ち上がって、日本が一次リーグで敗退したら、日本の人たちはどうでしょう」

 少し考えてから私は答えた。
「あるいはそのことに腹を立てて、韓国に嫉妬するような人もいるかもしれないけれど、大半の日本人は、やはり韓国は強いよなあとか、日本もそんな簡単に一次リーグを突破できると思っちゃいけないよなとか言いながら、笑って済ますんじゃないかな」

「そうですか・・・・・」
 アン君は、本当にそうだろうかという疑念を微かに含んだリアクションをした。私も一瞬そうでもないかな、と思いかけたが、やはり私の中の日本人は苦笑しながらやり過ごすような気がする。

知人の紹介してくれた、日本語の達者な韓国人女性と会い、アン君への質問と同じ質問をしてみる。

チョンミさんが答える前に、アン君の、どうして日本ができて韓国にできなかったか大議論が巻き起こるだろう、という意見を伝えた。すると、チョンミさんは、こう言った。

「それ以前に、日本に対する言い知れない憎しみが生まれそうな気がして怖い。議論はそうした感情が少し薄れてから起きるのではないでしょうか」

そして、アン君とまったく同じ質問をされた。
「もし、その逆のことが起きたら、日本の人はどんな風に反応すると思いますか」

私はアン君に対してしたのと同じ答えをした。すると、日本人を比較的よく知るチョンミさんも、そうかもしれませんね、と同意してくれた。

もちろん、沢木耕太郎のテーマはワールドカップを通して日韓の問題を論ずることではなく、勝者敗者の沢木美学をサッカーに求めたもの。私は特別なサッカーファンではないから、ビデオを見ながらの後付けの試合経過の解説には興味なく、上に引用したような、誰とどんな話をし、どんなモノを食ったかというようなことから“日韓共催”の周辺に漂った韓国側の雰囲気を知りたかったもの。

沢木耕太郎は政治の問題に直截触れることを避けるのがポリシーのようだけど、4年前、日本⇔韓国を往復し現場に直接身をおいた彼の目に、韓国側の熱気がどのように映ったのか興味をもって読んでいるところです。

あんがい、あからさまな日韓比較よりは、さりげなく書かれた会話の様子から日韓の問題があぶりだされていくように感じます。


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2006年5月 5日 (金)

YOSUKE ALONEのような空

穏やかな天気に恵まれた良い連休です。

東名が渋滞しているとか

新幹線の乗車率が100何十パーセントだとか

空港が大混雑とか

そんな世間様の動きにはまったくの無関係。

毎朝プールで泳ぎ、あとは寝転がって本を読んだり、ビデオを観たり、レコード聴いたり

窓の外に目をやれば

YOSUKE ALONEのような空が続くハッピーな日。

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YOSUKE ALONE
Yamashita Yosuke Solo Piano
Side 1
1.Flight from Autumn Leaves
2.Communication
Side 2
1.Paraphrse
2.Closing Theme
Recorded at the TOSHICENTER HALL in Tokyo
18th March 1974

真夏のようなこどもの日

公園の鯉のぼり

風がイマイチでウマク泳げず

垂れた尾っぽをヒクヒクさせるばかり。

それでも

YOSUKE ALONEのような空は

どこまでもさわやかで

力を与えてくれるなり。

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2006年5月 4日 (木)

ヨコハマメリーはラーダー妃か 2

 from えあじん

この連休は遠出しないで、近場をウロチョロすることになります。

いつもこのブログを見ていただいてるようでありがとうございます。
ADSLだとかなり重いんではないかと思うのですがいかがですか?
私のサイトは、パソコン環境によってはファイルが開けないという人もいるかも知れませんが、「まず第一に自分が面白ければ良い!」が優先しますので、そういう人のことはシカトすることにしています。

さて、『ヨコハマメリー』です。
私が観たのは4月29日のテアトル新宿、夜9時ころからのレイトショーでした。詳細は分かりませんが、昼の間は他の映画の上映で、『ヨコハマメリー』は朝9時からのモーニングショーと、夜9時からのレイトショーの1日2回上映でした。たぶん観客動員数に不安があってこんな変則的スケジュールになったのではないか?と想像します。

私が行った夜の部は、その日がレイトショーの初日ということで、中村高寛監督とテーマ曲の♪伊勢崎町ブルースを歌った渚ようこさんの2人による舞台挨拶がありました。そのせいかどうか、300人ほどの客席は全部埋まり、立ち見が出るほどの盛況で、監督も感激の様子でしたよ。

監督は31歳の若さで、これがデビュー作だそうです。渚よう子は毎年の新宿ブルースナイトの常連さんで、私は何回か彼女のステージは見たことがありますが、自分の好きな歌だけを歌い、好きなことだけをするという、コマーシャルな成功には背を向けたタイプの歌手です。

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映画制作の裏話など、司会者を交えたおヤクソクのトークの中で「この会場でメリーさんを実際に見たことがある人は手を挙げてください?」という質問があって、約10人ほどの手が挙がったでしょうか。「地元の横浜だと半数くらいの手が挙がったけれど、東京でもメリーさんを見たことのある人がこんなにいるとは、、、、」と監督は驚いていました。私はモチロン実際のメリーさんは見たことがありませんが、前に観た『力道山』のときに、この映画の予告編を見て前売り券を買っておいたのです。

実際にこの映画はアタリでしたね。

組織に属さず夜な夜な街角に立つ一匹狼のメリーさんにとって、路上は戦場であり休息の場所。老いを隠すための白塗り白ドレス姿で、全財産詰めたショッピングバックを引きずりながら街を徘徊するそんな老娼婦をなにくれとなく世話する横浜の人々の懐の深さには感動するばかりでした。

しかし、横浜の街が変貌するにつれて、人々の意識も変わっていったようです。

  例えば喫茶店では、あの女の使ったカップでお茶を飲むのはイヤだ。
  例えば美容院では、あの女が来るようなお店には来たくない。

面と向かってハッキリ言われないまでも、自分への視線の種類が変わってきたことを敏感に察知したメリーさんは、いわば引き際を探っていたのでしょう。どこでフンギリつけるかを迷っていたのかも知れません。

映画ですから詳しいことは書きませんが、終盤、意外な展開を見せられて、
    「あ~~、、、、、」
という嘆息がアッチコッチから聞こえてきました。
これは、「最後はこうあって欲しい」という思いが叶えられたことに対する
安堵の嘆息だったのではないかと思います。私もそのうちの一人です。
そして映画が終わると会場に大きな拍手が巻き起こったのです。

監督はこ映画の制作に約5年を要したといいます。
出身地横浜への愛情と、その街にアイコンとして張り付いたメリーさんへの思い入れの深さがこの映画を1級のドキュメンタリー作品に仕上げたと思います。あなたの町では上映されるのかどうか知りませんが、機会があったらぜひ見てください。

それから、、、、そうです!

「ラーダー妃」というのはあの懐かしのラーダー妃です!

クリシュナに癒しを与えたラーダー妃と

ヨコハマメリーをこじつけてみました。

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2006年5月 3日 (水)

武田和命さんを偲んで

昨夜は、つい最近発売になった武田和命(たけだかずのり)さんのDVDを繰り返し見ていた。

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武田和命カルテット1988
Live at 柳川「ファンクール」
.
武田和命(ts)
渋谷毅(p)
川端民生(b)
渡辺文夫(ds)
.
1. Blue Monk
2. I hear a Rhapsody
3. Old Folks
4. Bye Bye Blackbird
5. Let's Cool One
CARCO-2007

武田和命さんというテナーサックス奏者といっても、一般的には知ってる人が少ないだろうから、ネットその他の情報をピックアップして略歴を記すとこういうことになります。

  1939年11月生
  1964年富樫雅彦Qを経て本田竹広(p)を含む自己のグループ結成
  1966年新宿ピットインにてエルビン・ジョーンズと共演
     ***その後ジャズ界から離れる***
  1978年活動再開
  1979年山下洋輔グループに参加
  1989年8月18日 食道がんで死去(49歳)

平岡正明さんの“日本ジャズ史”的文章に描かれる武田和命さんはこうです。

本田竹広さんを含んだカルテットはキチガイバンドと呼ばれるほど過激だった。
事情により日本に足止め食らったエルビンとのセッションにつきあった。
ジャズシーンから消えたあとキャバレーで酔客相手の歌謡曲をやっていた。
(ロックバンドだったかな?)

平岡さんの書物で知った武田和命さんの名前は、ミーハーなジャズファンの私に『伝説のテナーサックス』として貼りつくことになります。平岡さんの名文からイメージする武田さんの経歴は東京スポーツの記事になるプロレスラーの戦歴のように魅力的なものでした。

その武田さんが山下洋輔さんの勧めでジャズ界に復帰し、『伝説』や『幻』でなくなったのが1978年(昭和53年)ですから、活動再開後わずか10年ほどでこの世を去ったことになります。

亡くなる1年前の1988年(昭和63年)の九州ツアーの演奏を記録したのが、今回発売されたこの武田和命カルテット1988/Live at 柳川「ファンクール」というDVD。今ほど機材が開発されていない時代の素人の撮影(8mmフィルム?)だから、画質音質自体はその程度のレベルでしかありません。それでも、“動く武田和命”という素材は初めての貴重な記録で、あの時代のジャズ喫茶ライブの雰囲気や武田さんの音楽を懐かしく思い出したのです。

実は、私も武田和命さんが復帰した後の1979年のライブ音源を持っていて、かつて私自身が運営していたサイトにその一部を公開したことがありました。このサイトというのが、なにしろ1日のアクセス数が数人というミクロなサイトで、どれほどの人がこの音源に関心をもってくれたか分かりません。しかし私にとってはけっこう愛着のあるサイトの1章ではありました。

そこで、そのサイトから武田さん参加の音源を転載して改めて公開しましょう。
というのも、以前のサイトと比べると、このブログの方がアクセス数も多く、武田さんに関心をもつ音楽ファンの耳に届きそうな気がするのです。
   (文章の一部です↓)

トツゼンだけど、又もやお宝プテーを紹介します。録音データは1979年12月
コンサートの会場から場所を変えた打ち上げの店で飲んでいた
山下さんが、
ユックリとピアノに歩み寄り、調律を確かめるかのように静かに弾きはじめる。
やがて、故・武田和命(Ts)、国仲勝男(B)、小山彰太(Ds)が加わって、、、、、、
 もはや打ち上げの余興を飛び越えた大セッションへと発展した夜の演奏から
 セロニアス・モンクのIN WALKED BUDのエンディング部分をUPしちゃいましょう

ここで書いた山下さんというのは山下洋輔さんのこと。
この音源は何の打ち合わせもない自然発生的なセッションの記録で、データによれば、このIN WALKED BUDの他に FIVE SPOT BLUES、LET' COOL ONEのモンク作品を演奏しています。

山下さんが意図したかどうか分からないけれど、山下さんのピアノは、再起まもない武田さんの感覚を覚醒させる結果になったのではないかと思えるほどの真剣さを帯びています。また、山下ファンにとっては、山下さんがいかにセロニアス・モンクに傾倒しているかが理解できる貴重な音源です。

この際だからそのときの画像も公開しておきましょう。

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こうして、今回発売されたDVDを見て、
さらに、私のお宝テープを再度聴いてみれば、
武田和命さんというのは絵に描いたような古き時代のジャズマンだったんだなぁと気づかせてくれます。
今の時代、サックスを小器用に操ってそれらしい音を出す人はヤマほどいるけれど、
こうして、
生きザマがそのまんま音になって伝わってくる人はいなくなったもんなぁ。

この1月本田竹広さんが亡くなって、

あの世で、

かつてのバンマス武田和命さんと再会したときは

サングラスの奥からジ~ッと見つめて迎える武田さんと

「オレ、来ちゃったヨ!」とテレ笑いを浮かべる本田さん

喋らない者同士が楽器で大セッションを展開しているかな

そんなことを想像してお2人を偲んだワケです。

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2006年5月 2日 (火)

モニカ・ゼタールンドはどうかな

昨日はアート・ファーマーのスエーデン美女大写しジャケットをアップしたので、

ナガレからいって、今日もスエーデン美女のジャケットを紹介いたしましょう。

これは神保町レコード社の店内でディスプレーを兼ねて飾ってあったのを見て

2200円で買っておいたもの。 

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WALTZ FOR DEBBY
MONICA ZETTERLUND
BILL EVANS

モニカ・ゼタールンドはスエーデン人歌手で、

ジャズ歌手の系統からいえばヘレン・メリルの流れを汲み、

テクニックをひけらかすというよりは、

スタンダードナンバーをサラリと歌って聞かせます。

このレコードは、1964年に渡欧中のビル・エヴァンスがバックを勤め

ストックホルムで録音されたもの。

聴きどころは、なんといても巨匠ビル・エヴァンスと

スエーデンの歌姫とのコラボレーションで、

ビル・エヴァンスの繊細なピアノと、

囁くようなモニカのヴォーカルがマッチして

上品なアルバムに仕上がっています。

音楽も素晴らしいけれど、ジャケットも魅力的です。

モニカはこのときは27歳でしたけれど、キレイですね~。

昨日のアート・ファーマー(スエーデンに愛をこめて)のジャケットは

いかにも“ファーマー”という健康的美人でしたが、

このモニカはイングリット・バーグマンに通ずる北欧美人です。

でも、往々にして、こういう美人は年を重ねるとナニ・・・・なんですよね。

 (余計なお世話か?こういう一時代があったというだけで充分か?)

黒人のいかにもジャズジャズしたボーカルも好きだけれど、

たまには、こんなふうに女性歌手のさりげない歌で

耳休めしたくなるときもあるのです。

  ということで、、、、、。   

  それでは皆さん良い休暇をお過ごしください。

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2006年5月 1日 (月)

アート・ファーマーのフリューゲルホーンも懐かしいなぁ

ゴールデンウイークといっても9連休とはいかず、カレンダー通りの出勤体制。

夏を思わせる暖かな日差しを浴びての今日の“出勤の友”はIPODではなくCDウォークマン。

そのウォークマンにセットしたCDがコレで、

先日『ヨコハマメリー』を観に行ったときに、立ち寄ったタワレコで買っておいたもの。

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to sweden with love
the
art farmer quartet
featuring
jim hall
録音1964年4月

アメリカの人種差別とジャズに対する無理解に絶望したジャズマンが、

欧州へ活動の拠点を移し始めたのが50年代ころからで、

アート・ファーマーもその一人。

スエーデン録音のこのCDで聴かれるソフトなフリューゲルホーンは、

ジム・ホール(g)の独特の音とうまく溶け合って、

アメリカでの厳しいショービジネスの世界から解放され、

一時の安息日を楽しんでいるようです。

ワタクシも、

さぁ、もう一日ガンバレば、しばしの連休を楽しむことができるのだッ。

こんなふうに自分を励ました朝でした。

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