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2006年5月28日 (日)

マル・ウォルドロンはあなたの友達

渋谷文化村通りとセンター街との中間くらいにあるのが
世界文化遺産の登録間近いdisc land JAROという中古ジャズレコード専門店。

間口3尺ほどの入り口からすぐに始まる急な階段を滑り落ちないよう足元に気をつけて下りれば3坪ほどの広さの壁一面はレコード棚。奥には、これまた50・60年代のジャズそのまんまの顔をした店主の顔。なにしろ、客が3人も入れば酸欠おこしそうな店だから、その店主が昼に食べたラーメンの匂いがかすかに残っている店内の在庫を素早くチェックし、素早く金払い、素早く退散というのがこの店のルール(と、私が勝手に決めていることだけど)。

その日の私が、オリジナル盤で結構値段の張るコーナーは避けて、床に放ってあるセールのダンボール函から見つけ出したのがこの2枚。

エクスチェンジ/三宅榛名・山下洋輔
1979年3月5日
渋谷・ジァンジァン実況録音
,
Side A
五木の子守歌
エクスチェンジ
Side B
ベートーヴェン氏第9シンフォニー
シェーンベルク・シェーンベルク
60528_1
現代音楽のピアニスト三宅榛名の定期コンサートに
フリージャズピアニストの雄山下洋輔がゲスト出演したときの
ライブレコーディングらしい。
三宅さんと山下さんのピアノをハッキリと聴き分けられないあたり、
私の耳もまだまだ未熟です。
ジァンジァンというのは渋谷公園通り山手教会地下にあったライブハウス。
一人芝居とか詩の朗読、
商業ベースを度外視したミュージシャンのライブなど、
実験的な試みに積極的に開放されたスペースで、
ここでの地道な活動によって全国的知名度を得たアーティストも多く、
アングラやサブカルの基本を作ったようなライブハウスでした。
1970年代私がもっとも多く通ったのは
《松岡計井子・ビートルズを歌う》という、
ビートルズナンバーを日本語で歌おうという企画で、
津軽三味線の高橋竹山の名前を知ったのも
ジァンジァンでだったと思います。
現在ではジァンジァンはなくなっているけれど、
大家の山手教会そのものは残っていて、
最近このブログでアップした渋谷マックの外観写真は
山手教会の階段から撮ったもの。

そして、もう一枚がこれ。

LEFT ALONE
MAL WALDRON LIVE1
1971年3月3日 
ヤマハホール
Side A
LEFT ALONE
STRAIGHT NO CHASER
Side B
RIGHT ON
THOUGHTS
マル・ウォルドロン(P)
峰厚介(As)
鈴木勲(B)
中村よしゆき(Ds)
60528_2
マル・ウォルドロンが初来日したのは1970年で、
こときは全くのプライベート旅行のため演奏活動はなかったらしい。
伝説の歌姫ビリー・ホリディの最後のピアニストだったという
日本人好みの経歴によって神格化されてしまったマルは
その翌年1971年に、今度はコンサートで再来日。
1ヶ月の滞在中約20回の全国縦断ソロピアノコンサートという
無謀とも思えた企画を成功させ、
日本にマル・ウォルドロンブームが持ち上がることになります。
上記のレコードは、その1971年に来日中のマル・ウォルドロンに
名盤『LEFT ALONE』を再現させようと、
ジャッキー・マクリーンの代わりに
峰厚介にアルト・サックス吹かせるといういかにも日本的な企画。
企画としてはイージーだけど、演奏自体はなかなか立派なもので、
日本軍が本場のミュージシャンとの共演にも萎縮することなく
対等にやりあっているのが嬉しい。
このレコードをJAROの函の中に見つけて、
「いまさらレフトアローンでもないなぁ」と思ったけれど
ジャケットの裏面を見て笑ってしまった。
マルのサインとともにミョーな文字が見えます。
ジャーン!!!
60528_3
あなたの友達
mal waldron
5.3.76
あのひとはこういうことを平気でやるひとなんだよなぁ。
76年というサインの日付を見ると、ソロピアノとしては3回目の来日だったのかな。
マルのLEFT ALONEでジャズに入門したファンも多く、
そんな人が、その後もファンとして持続したかどうかはともかく、
マルがいわばファンの底辺拡大に果たした役割は多大なものがあります。
マル・ウォルドロンが何回来日したのか正確な数字は分からないけれど、
おそらく日本では100回以上のソロピアノコンサートをやっているはずで、
たぶん、マルは
毎夜毎夜LEFTALONEALL ALONE
アンコールで要求されることには辟易していただろうけれど、
そこは、「日本人が喜んでくれるなら」と
割り切ってたんじゃないかな。
日本ではマル・ウォルドロンといえばLEFTALONEと、
ポップスのような扱いになってしまっているけれど、
マルの経歴を見れば、これはもう、
エリック・ドルフィー伝説のファイブ・スポットセッションに参加していたりの
ジャズ変革期の第一線にいたピアニスト。
そんな伝説のピアニストが日本全国津津浦々でソロピアノを聴かせ、
ファンの差し出すレコードに気軽にサインしてくれた時代もあったのです。
いま、改めてLEFTALONEを聴けば、
これは、やはり70年代の日本という土壌があったからこそ育った
曲だったのかなという気がします。

70年代に頻繁にソロピアノツアーを行ったマルも、
さすがに80年代になるとマンネリになって招聘されなくなり、
記録によると2002年に76歳で亡くなりました。
私はマルと一緒にカツどん食べたこともあって、
そこで、哀悼をこめて、
“全国津津浦々”に属する場所で私が撮った
マル・ウォルドロンの姿をアップしましょう。
たぶん1977年か78年の撮影だったと思います。
60528_4

このように、

三宅榛名・山下洋輔/マル・ウォルドロンの2枚の懐かしいレコードを、

世界文化遺産登録間近の渋谷JAROで見つけたのです。

2枚で合計3300円の買い物でした。

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コメント

paulさま
コメント多謝。

私もひさしぶりにマル・ウォルドロンの名前を思い出しました。

マルのコンサートを主催したこともありました。たしかにあの人はヘビースモーカーで、プロモーターの方から「ステージでタバコを喫うから会場側の許可をとっておいてくれ」という旨の連絡を事前にもらって、市民会館と交渉したこともありました。

マルほど日本国中を歩いたミュージシャンはいないのではないかと思います。スサーナ以上ですね。

マルにとって幸か不幸か、大多数の日本人は『レフト・アローン』と『オール・アローン』しか求めなかったことですネ。

セロニアス・モンクに通ずる奏法とノリは独特のものがあり懐かしく思い出されます。

えあじん

投稿: えあじん | 2008年7月22日 (火) 午前 07時55分

今夜、スゴイ久しぶりにマルさんのCD聴いていて、なんとなくグーグル検索していたら、ここにたどり着きました。
僕は1997?8?年の夏にマルさんと出会いました。

立川の知り合いのお店でライブを開くことになったそうですが、前半の通訳兼司会者が突然来れなくなったので、代役をお願いされました。後半は奥さんが来られるからとのことで、専門家でないのに、困ったなぁ~って感じで引き受けちゃいました。当時、マルさんのこと何も知らなくて、慌てて、何を話すか英語のメモを書くのが精一杯でした。
お店でマルさんと初めてお会いしたのですが、当時72歳?ぐらいなのに、背筋がピンとした、年令を感じさせない精悍なお人でした。
とても印象的だったのは、たくましさの中に、なんとなく神経が細やかで、繊細な雰囲気の持ち主でした。細長いタバコを常に傍らに置いて、1曲演奏が終わるごとにタバコをくゆらせていました。おそらくそれで、時間を計っていたのでしょう。僕は『あなたの兄弟』というサインをCDのジャケットに書いていただきました。良い思いででした。

投稿: paul | 2008年7月21日 (月) 午後 11時27分

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