イスタンブールへ愛をこめて 5
私は特別なサッカーファンでもないからオフサイドのルールを未だに理解できないし、フォワードやディフェンスのポジションがどこなのかも知りません。それでもワールドカップが始まれば、明け方まで眠らずに応援することはしないにしても、特番で得た情報を元にサッカー通のような顔して話題の輪の中へ入っていくのでしょう。その程度の私でも、23人のメンバー発表のニュースなどは興味をもって見ていたし、その中でも「新聞の号外が出た」というニュース映像を特に面白く見ていたのです。
WBC の優勝以来ですかね?新聞の号外が出たのは。
事故や事件、それに誰かが捕まったとか死んだというような号外よりは、配るほうも受け取るほうもニコニコ顔の、こういうオメデタイ号外は見てるほうも幸せな気分にしてくれます。
このところ、トルコ=イスタンブールネタできているけれど、いつだったかトルコのサッカー選手で“王子”とか呼ばれて騒がれた選手は、すぐにフェードアウトしちゃっていったいどうしたんでしょう。“王子”の裏バナシは知りませんが、なんか、間に入ったヤツにいいようにカモにされヤリ逃げされたんじゃないの。親日国といわれるトルコでもドルを挟んだ場合にはなかなかの曲者になってしまいます。もっともお金が絡んだらどこでもそうか!
そういえば、それまでは「IT長者」とか「カリスマ」いわれてもてはやされた三木谷さんも、“王子”でミソつけちゃったか野球もダメだし、メッキが剥がれて“地”が出てきたと思いませんか。
1974年のことだけど、ボスポラス海峡の橋は日本の援助で架けられ、その完成式が日本から政治家(たしか金丸信だったと思う)が来て最近行われた、というようなことをホテルのマネージャーが言っていたことを思い出した。その時はトルコにどんな利権があるのだろうと思ったけれど、日本とトルコは単に商売絡みでの友好関係というより、もっと以前からこんなに心を通わせる歴史があったことを教えてくれたのがこの本です。
|
. 村田エフェンディ滞土録 梨木香歩 角川書店 百年前の日本人留学生 . |
滞土録の“土”は土耳古(トルコ)の“土”、つまり「土耳古滞在記」ということになります。
時代は1899年のイスタンブール。
トルコ政府の要請により日本政府から派遣された歴史文化研究員村田の体験するトルコの生活。同じ下宿の屋根の下で暮らし、いつしか友情で結ばれた国籍の異なる仲間たちの平和な日々も、第一次世界大戦の開戦にともない、それぞれが敵味方となって戦うことになります。
そして、村田の体験する怪奇現象は現実か妄想のなせるものか。
のどかなイスタンブールの街を舞台にしばしのあいだ異次元の世界で遊ばせてくれ、最後には鸚鵡(オウム)が謎解きしてくれるという不思議な小説。
この、『村田エフェンディ滞土録/梨木香歩』の中で、村田がトルコへ派遣されるイキサツがこんなふうに説明されているのです。
そもそも何故そういう研究員受け入れの申し出が土耳古国からなされたかというと、事は九年前(1890年)起こった惨事に端を発する。
土耳古皇帝から日本国天皇への親書を託した使者を乗せたフリゲート艦、エルトゥール号が帰国途中、和歌山沖で台風に遭い、乗員650名中587名が溺死した。そのとき地元の警察隊を始め、漁民まで実に献身的な救助及び看護にあたり、土耳古皇帝がいたく感激、両国の友好のますます深まらんことを願って、日本の学者を1名、土耳古文化研究のため彼の地に招聘することにしたのである。
あの小さな島国日本が大国露西亜を破ったという、日露戦争絡みでの日本への親近感はよく聞くけれど、トルコの親日感情が醸成されていく原点は1890年のこの海難事故にあったこと。そして、1985年のイラン・イラク戦争の折、テヘラン空港で足止めされた日本人をトルコ航空機が救出した背景には、この海難事故を忘れていなかったトルコ人の、日本人に対する恩返しという背景があったことに気づいたのです。
なるほど、なるほど、
このようなエピソードを学校で教える国と、
政権維持のために
日本は悪だ!!!
ということばかり子供たちに教え続ける国とでは
日本に対する好感度というのもおのずと違ってくるわけだ。
ナニも好きになってくれなんて言わないから、
せめて、冷静に過去をふりかえる作業だけはやってよ。
イヤハヤ、、、
トルコの人々の情にホロリときたら、
彼の国にイヤミのひとつも言いたくなったワケよ。
さて、
職場でもアッチコッチで発表メンバーの賛否両論勝敗予想と
やがて、寝不足の季節がくるわけだ。
ところで、
今回のワールドカップにトルコは出場するのかな。
| 固定リンク
|

コメント