イスタンブールへ愛をこめて 4
いきなりだけど、ジャイアント馬場がまだ存命なころ、
60歳の誕生日を迎えたときのことです。
リング上でこんなアイサツをしたんですね~。
若いときは60のヒトを見ると、
「ジジーだなぁ」と思ったもんですが、
いざ、自分が60になってみると
「まだまだやれるじゃないか、、、、」
馬場さんの次の言葉は忘れたけれど、
会場に大きな歓声が響き渡ったことは覚えています。
そんな歓声を聞いて止めるに止めれなくなったのか?リングに立ち続けた馬場さん。
生涯現役でけっこう早死にしてしまいました。
人には自分の意思ではどうしようもない寿命というものがあって、不養生の人が長命だったり、ジム通い定期健診で健康にひと一倍気をつけていてもポックリだったりという例はよくあること。
私も“赤いチャンチャンコ”がすぐそこまでという年齢になって、
「まだまだやれるじゃないか、、、、」
という馬場さんの心境がよ~く理解できるようになりました。
世間では2007年問題を大きく取り上げているけれど、実際に騒いでいるのは07年問題を商売に結び付けたいという企業だけで、当事者にはいずれ自分が60歳になることは何十年も前から分かっていたこと。
私がいつも言っているように
ダメなヤツはとっくにツブレていて
いま生き残ってるヤツはシブトイですよ
メディアがどんなに騒ごうがテのウチは分かってます。
だって、こういう不安を煽るキャンペーンを考え出したのは、
これから60歳になろうという連中が考え出し
次の世代に指導したヤリクチなんです。
イスタンブールのことを書いていて07年問題に脱線したようですが、
いきなり、コレじゃぁちょっと芸が無いかな、、、と。

そこで、ようやく本題に入ると、
昨日の江利チエミもそうだけど、
ダニー・飯田とパラダイスキング
を知っている世代も少なくなったかもしれません。
ここでソロをとっているのが坂本九といえば
感じがつかめるヒトが少しはいるでしょう。

この歌もトルコの「ムスターファ」という曲が原曲。
前都知事青島幸男の作詞は、貧しい男が身分不相応の恋をして、それ以来
「金さえあればこの世では 思いの叶わぬコトはない!」
とばかりに働きに働き、トルコ一番の大金持ちになり、見初めた彼女への恋をやっと成就させたときには60歳になっていたという、要領だけで人生渡り歩いてきたアオシマさんとはナニヤラ正反対の歌詞の内容。
また、「金さえあれば、、、」という歌詞なんぞは、最近のホリエモン騒動のキーワードを先取りしたようで笑えます。
じつは、この歌がヒットしたとき昭和天皇が60歳になろうとした年だったのです。
それで、
「陛下がお健やかに還暦を迎えるオメデタイときに『悲しき60歳』とはナニゴトダッ」
などというクレームで(もしかすると自主規制だったのかな)ラジオ局がこの曲の放送を自粛という動きがあったのを覚えています。
昭和天皇だから昭和元年に生まれか?というと、、、そうじゃなくて、明治34年(1901年)のお生まれだから、、、60歳ということは、、、この『悲しき60歳』のレコードは1961年(昭和36年)ころに発売されたと想像されます。
この時代の60歳というのは人生のオワリという考え方だったんでしょうか。
オヤクソクですから
参考までに『悲しき60歳』がどんな歌かチョビッと聞いてもらいましょうか。
今では平均年齢もはるかに上がり、『悲しき60歳』が流行った時代とは、60歳の元気度も比べものにならないくらいに上がっていて、60歳で一丁上がり!!!などというのは早すぎます。仕事の継続で社会参加をするなり、まとまった時間で趣味を充実させるなり、この年齢になったからこそヤレること、ヤルべきことはまだまだイッパイあるはずです。
50 60はハナ垂れ小僧
70 80は働きザカリ
90になって迎えがきたら
100まで待てと追い返す
でっせ!!!
ウシュクダラの波止場に立って金角湾の向こうにそびえるブルーモスクを見ていたら
いつのまにか 定年世代への応援のようになってしまったけれど
このように
江利チエミの『ウシュクダラ』や坂本九の『悲しき60歳』の歌で
トルコ=イスタンブールが無意識のうちに刷り込まれた私は
『007危機一髪・ロシアより愛をこめて』を観て
いつかイスタンブールへ行こう
と思ったこともあったのです。
。
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