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2006年4月30日 (日)

ヨコハマメリーはラーダー妃か

戦後の横浜に出現した、白塗り白ドレス姿の街娼・メリーさんを描いた映画『ヨコハマメリー/中村高寛監督』を観にテアトル新宿へ。

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メリーさんが男を選ぶ3つの基準があったといいます。

メガネをかけている→アタマが良い。

太っている→お金を持っている。

色が黒い→健康だ。

夜な夜な横浜の街角に立つそんなメリーさんは、自分から声をかけることはせず、これは、と思った男に背後霊のようにつきまとう。自分がメリーさんのオメガネに適ったことを懐かしそうに語る男。

かつて、自身が男娼として川崎の街角に立っていた経験のあるシャンソン歌手永登元次郎(ながとがんじろう)とメリーさんの交流を縦糸にして、クリーニング店の夫婦、美容院の女性経営者、置屋の女将、宝飾店の社長、元愚連隊など、メリーさんゆかりの人々へのインタビューで浮かび上がるのは、ダイナミックに変貌してきた横浜の街並みと、もはや“賤業の女”を突き破り、横浜の風景の書き割りとして馴染んだメリーさんの存在です。

1995年横浜から忽然と消えたメリーさんを偲び、自らがんに侵されながら、
  「もう一度メリーさんに会いたい。そして彼女の前で歌いたい」
と思いを募らせる元次郎さん。

もしかすると、

メリーさんは、

ヨコハマメリーという役割を背負って出現し、

インタビューに答えたこれらの人々は、

メリーさんを世話する役割を与えられてこの世に生を受けたのかな。

そう思えるほど、

晴れ晴れした表情をみせてメリーさんを語っているのが印象的でした。

この映画には異物を異物として受け入れ見守ったハマっ子の優しさが満ちていて、

これが本当の「無私の愛」だということを気づかせてくれます。

そして、ラストシーンでは

あふれ出る涙を抑えられず、

私たちは何が何でも生き続けなければならないんだ、

自分の生を全うすることが使命なんだと教えてくれるのです。

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それでは、
テアトル新宿の入り口モニターテレビで流れていた
『ヨコハマメリー』
の予告編をどうぞ。
「60430mary.wmv」をダウンロード

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2006年4月29日 (土)

二子玉川は小雨だった

ブッシュ大統領が北朝鮮による拉致被害者家族と面会して

「今までで最も心を動かされた会談のひとつだ」

というコメントを発したというニュースを見て、

「ブッシュもたまには良いことを言うではないか。

これまでは、ロクな会談をしてなかったんだな!」

などと思いながらスイミングプールへ。

いつものように1000m泳いで、

「ウン、体調に変化なし」を確認して二子玉川へと行ってみる。

旧天皇誕生日の4月29日は

二子玉川駅近く、多摩川河川敷で『花みずきフェスティバル』が行われるのだ。

「資源を大切に・緑を育てよう」というような趣旨らしく、
苗木プレゼントやバンド演奏、模擬屋台、
それにフリーマーケットなどが開催される、
今年で20何回目かになる官主導のお祭り。
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ここのフリマはセミプロは排除されているようで、
出展者はホントに家庭の不用品持ち寄ってきたという感じの素人さん主体。
したがって、目ぼしいモノ見つからず。
あいにく、雨が降りそうになってきたので早々に退散。
本日のお買い物はコレ。
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8ヶ入り石鹸200円・小物バック300円
合計500円也。

国の存続に関わる交渉に失敗すれば、

「交通事故死」と発表されるか、

「一族郎党強制収容所送り」が待っている北朝鮮外交官と、

せいぜい、

配置転換、ホトボリさめたら復帰ていどで済むニッポンでは、

所詮、 「血のションベン」の出し方が違います。

アメリカの力を借りなければ

自国民の安全すら守れないというのも情けないハナシです。

.

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2006年4月28日 (金)

ズート・シムスのテナーも職人だなぁ

さて、

ホリエモンも何億円だか積んでめでたく保釈されて、

世の中はもうゴールデンウイークモードに突入するところ。

つい、このあいだ正月だったのに、

まばたきしてるうちに桜が咲き、

くしゃみしてたら5月だもの。

1年なんてアッというまに過ぎ去ってしまいます。

ゴールデンウィークだからといって特別な計画もなく、

いつもの日々と同じだろうけれど、やはりウキウキした気分。

特に今朝は暖かくて、あぁ、ニッポンの春。

梅は咲いたか桜はまだか

こちら雪だと返すフミ

日ゼニ稼ぎの仕事に向かうべく

愛用のipodをシャッフルして音楽をスタートさせれば、

初っパナッから嬉しい曲にニヤリ。

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ZOOT AT EASE
ZOOT SIMS QUARTET

こんな朝に、

友川かずきのクルッたギターなど鳴ったら気分が萎えるけれど、

オープニングはこれ以上の曲はないだろうと思える

 SOFTLY, AS IN A MORNING SUNRISE

ハンク・ジョーンズの力強いピアノのイントロに誘われるように

ズート・シムスの軽快なソプラノサックスが歌います。

奇をてらう気などサラサラない、

職人衆の自信に満ちた仕事ップリが脳ミソのヒダヒダを震わせて、

よくぞ名づけたり、

 朝日のごとくさわやかに

坂道の自転車立ち漕ぎ女子高生スカートの揺れにハラハラさせられ、

すれ違うウォーキングお婆に軽く会釈などして

さわやかな気分でバス停へと向かえば、

曲はズート・シムスから、

UAアントニオの歌へと変っていたというワケよ。

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2006年4月24日 (月)

フィル・ウッズのサックスにも泣いたぜ

ジャッキー・マクリーンの「レフト アローン」は思い出に残る1曲だけど、

私にとってのアルトサックスの神様はなんといってもフィル・ウッズに尽きます。

そんな神様のレコードを420円でゲットです。
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1968年にアメリカからヨーロッパに居を移したフィル・ウッズが
ヨーロッパのミュージシャンを集めて結成したのが
Phil Woods and his European Rhithm Machine
というグループ。
上記のアルバムはそのグループが
1969年6月にスイス Montreux Jazz Festival
出演したときのライブアルバム。
フィル・ウッズとヨーロッパのミュージシャンがお互いに触発しあい
聴衆を挑発するかのような演奏に
会場も白熱していく様子がわかります。
このアルバムの中の
I Remember Bird
が泣かせます。
Birdというのは、
いわずと知れたチャーリー・パーカーのこと。
アルトサックス奏者として最も影響を受けたパーカーを偲ぶ歌ゴコロ溢れたプレイは、
フィル・ウッズ屈指の名演奏と聴いた。
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ジャズの流れに影響与えるような問題作を発表することはなかったけれど、
ときには雄々しく、ときには繊細に、
その場の思いをラッパ1本に託して
アドリブにイノチを賭けた、
こんな職人がもっともっと評価されても良いような気がします。
他にはこんなアルバムがCDで出ていますので一度聴いてみてください。
えあじんが絶対の自信をもってお薦めいたします。
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2006年4月23日 (日)

レフト アローンのジャッキー・マクリーンには泣くよなぁ

ジャッキー・マクリーンのレコードで一番多く聴いたのは何だろう?

やっぱりアレだなぁ。

そんなことを思いながら中古レコード屋へ。

これはジャッキー・マクリーンのレコードというより、
ピアニスト、マル・ウォルドンのあまりにも有名なアルバム(日本でのこと)。
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ピアノを弾くマルに背後霊のごとく立っているのが不出世の歌姫ビリー・ホリディ。
マルはビリー・ホリディの晩年に伴奏を勤めたということがあり、
アルバムタイトルにもなっているLEFT ALONEという曲は
そのビリー・ホリディに捧げたもの。
この1曲だけジャッキー・マクリーンはアルトサックスを吹いています。
サキソフォンは人間の声に一番近い楽器といわれるけれど、
ジャッキー・マクリーンのアルトサックスは、
メロディーラインをストレートに歌うように奏でています。
マイナーなメロディが日本人の感性に合っていて
この一曲でマルは日本でのポピュラーな人気を得ることになります。
ジャッキー・マクリーンのアルバムとしては印象に残っているものがないけれど、
このLEFT ALONEの名演奏はビリー・ホリディのサイドストーリーとも絡んで
何十回聴いたかわかりません。
¥630でゲット
マル・ウォルドロンが出たところで、
これも有名なソロピアノアルバム。
¥525でゲット。
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マルのピアノは
テクニックをひけらすというスタイルではないけれど、
モールス信号と称された独特のタッチが
かえって奇妙な味を醸しだしています。
マルはもともとエリック・ドルフィーなどと
フリージャズに大胆にアプローチしていたピアニストで
日本人ファンの「マル・ウォルドロン=ALL ALONE」という評価は
あんがい迷惑に思っていたんじゃないかな。
でも、この曲があったからこそ、
マルは1年おきごとに来日して
全国津津浦々でのピアノソロコンサートツアーを
開催できたわけです。
記2枚のアルバムとも
かつては『幻の名盤』として入手困難な時期もあったけれど、
いつのまにかCD化され、
レコードはバーゲン扱いの価格で買えるようになっています。
私が一生懸命ジャズを聴いていたのは80年代初めまでで、
その後は、大量に持っていたジャズレコードは生活費になってしまい、
ジャズを聴く事も少なくなっていました。
ところが、
最近再びジャズが聴きたくなってきて、
こんなふうに懐かしのレコードを買い戻す有様。
CDの音に慣れきってしまった耳には、
アナログレコードの音は新鮮に聴こえてきて、
なにやら先祖がえりしたような感覚を味わっているのです。。
ジャズのレコードを探していてこんな珍盤もみつけたので、
¥525でゲット。
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合計金額1680円也。

このように無系統支離滅裂の購入結果に

ニヤリとした日曜日の午後でした。

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2006年4月22日 (土)

楽しいハナシの続きのつづき

例の、
青森山中で日本人武道家を探して
迷子騒ぎを起こしたシンガポール人一家のハナシ。
2006/04/22(土)毎日新聞 朝刊より
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遺言をかなえる旅は、目的を達成できないまま幕を閉じることになる
目的は達成したんじゃなかったの?
よく解らんなぁ。
「もしかすると、私のことではないか?」
青森県在住の武道家が名乗り出て
シンガポール人一家とご対面!
それでハッピーエンドだと思っていたら
そうでもなさそうな感じですね。
マァ、けっこう楽しめたから
どうでも良いけんどもよ~。

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ナマステ アジアのカレー(神田小川町)

最近とにかく目立つようになったのが本格インドカレーの店。
ホントにあっちこっちに見かけるようになったけれど、
神田小川町靖国通りミズノ本店脇にオープンしたのが
Namaste Asiaというカレー屋。
もちろん和風カレーじゃなくてインド人コックの作るカレー。
そこのランチバイキングがコレ。
1000円也
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本日のメニューは、
キーマカレー、ダルカレー、タンドリーチキン、ナンという
まぁ、どこのインドカレー屋にもあるメニュー。
食べながら兄ちゃんと世間話をする。
ワシ「ナマステ!!!」、、、、、、、、、、、、、、
印兄「ナマステ!いらっしゃいませ、、、、、、
  ワシ「メラ ナーム えあじん へ、、、、、、、、、、
アープ カーキャー ナーム ヘー?」
印兄「??? オー あなた えあじんさん、、、
わたしの名前は○×△▽□です、、、
 
  印兄「あなた、インドに行ったことありますか?」  
ワシ「あるよ」、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
  印兄「いつ行きましたか?」、、、、、、、、、、、、
ワシ「最初に行ったのは1972年で、、、、、、、
いちばん新しいのは1999年3月、、、    
   このときはサイババに会いに行ったの」
。、
印兄「1972年!!ボクまだ生まれてません。
どこへ行きましたか?仕事ですか」
ワシ「北はダージリン、ダラムサラ、、、、、、
南はカニヤクマーリ、ゴア、、、、
ゴアでヒッピーやってたの」、、、
日本人のヤジオからいきなりヒンディー語で自己紹介されて
インド人もビックリ
ムカシムカシ、インドで流行った映画『BOBBY』のハナシやら
ゴアのビーチでフリチンで日光浴していたハナシなどなど、
ひと時のセッションを楽しんだあと記念写真を撮り
サイラム ハレクリシュナ ハレラーマ。
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もちろん私は義理堅い日本人だから
三省堂前のDPE屋で写真を即プリントアウトしてカレー屋にトンボ帰り。
多めにプリントした写真を、
「これはインドの家族に送ってやれよッ」
とプレゼントすれば
「もうできたんですか。ありがとうございます。うれしいです」
こんなふうに、
日印友好に励んだ昼飯どきもあったワケですヨ。
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大学が郊外に移転したといっても、神田はやはり本の街。

神田三省堂、東京堂、書泉グランデの御三家をチェックすれば

お目当ての本はだいたい見つけ出せるはずだし、

もし絶版だったとしてもアキラメてはいけません。

靖国通りとすずらん通り・さくら通りの両脇にひしめきあう

大小の古本屋を丹念に探せば、なにかの情報は入手できるはず。

楽器屋、中古CDレコード屋、スポーツ用品屋と街の探検に疲れたら、、、、、、

気楽な飯屋で一服というのはどうでしょう。

もし、お店が混雑していて相席を頼まれたら気軽にOKしましょう。

向かいに座った人がどこかで見たことのある人だと思ったら

アッチャー! 直木賞作家じゃありませんか!

てなことがあるかもしれません。

すずらん通りをマツケンサンバのステップで歩いているヤツを見かけたら

それが私ですから声をかけてください。

今回紹介しなかった店で安くて美味い店へご案内いたします。

神田神保町

とにかく、

ボディ&ソウルを磨くにはこれ以上の街はありません。

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2006年4月21日 (金)

カフェ チャミズカイガンのランチ(神田小川町)

神田駿河台下交差点、おちゃのみず楽器とスポーツ用品ビクトリアのあいだの
ゆるやかな坂道を15mほど上がった、小川町郵便局ハス向かいにあるのが
CAFE CHAMIZU KAIGAN
ランチビュッフェ880円也
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アメリカ雑貨店が店じまいしたと思ったらすぐに工事が始まり、
「どうせラーメン屋だろう?」と見ていたら、
出来上がりはオシャレなレストラン。
「CHAMIZU KAIGAN」というのはお茶の水海岸とでもいうのかな。
ランチタイムはバイキングスタイルで
デザートも入れると15種くらいの料理の食べ放題。
料理は和洋中韓アセアンといわゆる無国籍料理。
もちろん定番のカレーだってあります。
2皿食べてユックリお茶を飲み、さて、帰ろうかと思ったら、
「ただいま、サバの味噌煮ができあがりましたのでいかがですか?」
そんなこと言われてもお腹はパンパン。
「また、こんど」ということで、
腹ごなしに三省堂を散歩するうちにソロソロ昼休みも終わりの時間です。
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2006年4月20日 (木)

マザーズのランチ(神田神保町)

神田神保町すずらん通り、
昨日のスヰートポーヅから少し三省堂寄りにあるのが
マザーズというお店。
これはランチバイキング1260円也。
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自然食品販売店の直営レストラン。
メニューは根菜料理を中心に20種類くらいあるのかな。
こんな風に木のお皿に好きなだけいくらでも取って食べられる。
ご飯はもちろん玄米も選べるしカレーもある。
化学調味料を使わず野菜だけで
こんなにバラエティに富んだメニューを構成できることに感心。
考えてみれば、ムカシは味の素もなかったし
素材の特性を生かす工夫をして
こんなシンプルなものばかり食べていたんだよね。
ランチビュッフェ1260円 ディナービュッフェ1575円。
ランチに1260円はちょっと予算オーバーだけど
ふだんワケの分からないモノばっかり食っているから、
たまにはこういう料理を食べて、野菜本来の味を思い出しましょう。
なんだか身も心も浄化されたような気分になってしまいます。
ビロウなハナシだけど翌朝の便通快適なり。
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2006年4月19日 (水)

スヰートポーズの餃子(神田神保町)

神田神保町すずらん通りスヰートポーズの餃子はどうよ?
大皿定食(16ヶ入り)1249円也。
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戦前に大陸で中国人相手の餃子屋を業としていて繁盛するも、
終戦により引き揚げてきて、
神保町のこの地で再び大陸式餃子屋を開業して現在に至るらしい。
ここの餃子の特徴は、よく見られる三日月型でなく、
ひき肉主体の具を皮で軽く包んだもの。
コンガリきつね色に焼きあがったパリパリ餃子と、
赤ダシの味噌汁が意外にもマッチしている。
餃子は大皿(16ヶ入)中皿(12ヶ入)小皿(8ヶ入)を中心に、
他には水餃子、包子などもあるが、
時間帯によっては売切れたりすることもあるみたい。
20席ほどの小さな店は清潔で、
あまり、中華チューカ餃子ギョーザしてないところが好き。
地図を載せておきますからハナシのタネに一度お試しを。
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2006年4月18日 (火)

徳萬殿のチャーハンライス(神田神保町)

神田神保町すずらん通り天下一ソロバン店の真裏にあるのが中華の徳萬殿
この店もムカシっから学生さんや若い衆御用達の店で、
その人気のもとはやはり量の多いこと。
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このチャーハンの大盛度に注目。Spacer_14
これで 650円なり。
普通の店の1.5倍はあるだろうという盛の良さでこの店一番の人気メニュー。
大食いの私でもちょっとキツクなる量だけど、
さらに量の多い“大盛り”をペロッと食べるひとも見かけます。
ちなみにこの店ではチャーハンのことを“チャーハンライス”と呼んでいる。
考までに
これは肉野菜炒めライス700円也
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昼休み12時をちょっと過ぎるとすぐに満席なってしまうので要注意。
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この徳萬殿の隣にあるのがふらいぱんという喫茶店風造作のお店。
ここでの人気No.1が中オチ定食840円也。
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だいぶ額の広くなったオヤジさんとキャピキャピのおカミさん、
それにフィリピーナと思しき2人が働いている。
オヤジさんは一言も発せずただ黙々と中オチを盛り付けるだけで、
オカミさんの甲高い声が店内を支配している。
他にも煮魚とか肉豆腐ハンバーグがあるけれど、
お客の7割方は中オチ定食を注文する。
そんなメニューだからお客さんもやや年配の人が多いかな。
夜には居酒屋へとヘンシ~ン。
一度、このオヤジさんがリュック背負い、両手に籠をぶら下げて神保町駅の階段を
手すりにつかまりフーフーいいながら登ってくるのを見かけたことがあったけれど、
築地市場への毎日の買出しもけっこうキツイみたい。
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2006年4月17日 (月)

いもやのとんかつ(神田神保町)

私が東京で一番好きな街といえば、それは神田神保町。

この街には古本屋があり中古レコード屋があり安い飯屋があって、

つまり、私の求めるものがすべてある街といってもよいでしょう。

以前、別のサイトにこんな街の飯屋のことを書いたのを思い出し、

  (http://homepage3.nifty.com/mombasa/menkui/3.htm)

その続編として神保町界隈B級グルメ編をアップすることにします。

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先ず最初に紹介したいのが
いもやのとんかつ定食。
¥700-

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靖国通りタキイ種苗店裏あたりにあるのがとんかつのいもや
洗いざらしの白いノレンをくぐればカウンター席約15ほどの小さなお店。
白木のカウンターの内側では若い衆3人が段取りよくテキパキ働いています。
メニューはロースとヒレという2種類しかなく、
目の前の大鍋でとんかつの揚がるのを
熱いお茶を飲みながら見ていれば、
まもなくコンガリキツネ色に揚がったとんかつ登場。
まず、赤ダシのシジミの本格味噌汁で口のなかを潤して、
冷たいキャベツのシャキシャキ音で脳に刺激を与え
おもむろにホカホカのとんかつにカブリつきましょう。
オットトット、
カラシをあまりつけすぎると口の中が大やけどしますからアテンション。
昔ながらのおひつから盛られ、湯気をたてている白いご飯は
それだけで、オカズなしでも茶碗一杯食べられそう。
いもやはこのとんかつ屋以外にも神保町近辺で
てんぷら、天丼の店を数軒経営していて、
どの店も安くて美味しい。
学生の街として栄えた神保町界隈には
こんな気取らないお店がアッチコッチにあります。
今週1週間はこんな食べ物の画像をアップしていく予定でいますから、
関心のある方はどうぞアクセスしてください。
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2006年4月16日 (日)

直木三十五はなおきさんじゅごと読む

新人作家なら誰でもが目指す権威ある文学賞の芥川賞・直木賞が、それぞれ芥川龍之介・直木三十五という昭和初期の作家の名前を冠したものとは知っていたけれど、「芥川龍之介のナニを読んだ?」と訊かれれば、数個の書名を挙げれても、「それではその本の内容は?」とツッコマれると答えに窮してしまいます。

私は芥川賞よりも直木賞派だから直木賞受賞作家の名前はかなり知ってても、「それでは直木三十五のナニを読んだ?」と訊かれれば、この質問には、名前すら「なおきみつ」と覚えていたくらいですから、「ナニも読んでません。知りません!」と自信をもってこたえられます。

直木三十五は“なおきみつご”ではなく“なおきさんじゅうご”と読み、この名前の由来も本名・植村宗一の《植》の文字をふたつに割って直木。31歳のときには直木三十一、32歳のときには直木三十二、33歳のときは直木三十三、34歳のときは三十四=“惨死”に通じるというので飛ばし、昭和元年いらい直木三十五で固定し、以後成長させることを止めたといいます。

後年設立された芥川賞が“純文学”、直木賞が“大衆文学”と色分けされたように、名前の由来からしていい加減といおうかユーモアといおうか・・・・そんなプロフィールをもつ作家だったということを知ったのが『直木三十五伝/植村鞆音/文藝春秋』を読んでのこと。

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直木三十五伝

植村鞆音(うえむらともね)

文藝春秋

「直木賞」創設70周年記念出版

「すばらしい。読みながら、遠い彼方の別な時間の中にしばしうっとりし、『労作』という力強さに打たれた」城山三郎

小心にして倣岸、寡黙にして雄弁、希代の浪費家で借金王、女好きのプランメイカー。昭和初期の分断に異彩を放った人気作家の全貌をあますところなく描く書下ろし評伝決定版!

 

著者の植村鞆音は直木三十五の弟である植村清二の長男、つまり直木三十五の甥っ子ということになります。元々が職業作家ということでなく、会社役員としての仕事の傍ら、永年集めた叔父の資料を基にして今回1冊にまとめたというのがこの本の成り立ちのようです。そういった縁戚の強みもあったのか、今では故人となってしまった関係者の貴重なインタビューによって、大流行作家の異形の人生があぶりだされることになります。

昭和9年(1934)に43歳の若さで亡くなった直木三十五の流行作家としての生活は短期間だけど、その割には多作で、多作のエネルギー源となったのがまず支出 次に収入と称されたような、ゼイタク大好き新しいもの大好きの性格。晩年の売れっ子作家になる前から、当時では珍しい運転手付き自動車を持ち、飛行機旅行も大好きなどなど、とにかく、前後の見境なくまず浪費し、それから支払いのための執筆にかかる自転車操業にあったということ。

病床に伏したときには病状を大新聞・ラジオが競って報道したといいます。今でいうところのテレビのワイドショー騒動のようなものですから、流行作家としてどれほど人気を集めた存在だったかが想像できます。

彼の死は一時国民的関心事となり、死後間もなく彼の全作品の出版が相ついだ。しかし、死後70年経ったいま、彼の作品は読み継がれることはほとんどない。

著者のこんな一節を読むと、直木三十五は昭和の時代の打ち上げ花火のようなもの。実態は一瞬で消滅し、後世に読み継がれる作品を遺すこともなく、ただ、後年文学を志す人の目標となる賞に名前を冠する役割だけにこの世に存在したのかなと思えてなりません。

直木の死んだ翌10年、菊池寛(文藝春秋社の創立者)は、生前自分が親しく交わり、かつ文藝春秋社の発展に寄与した直木と芥川龍之介を記念して、「直木賞」と「芥川賞」を設けた。「直木賞」第1回の受賞者は、直木のかつての同僚川口松太郎である。

“文士”という言葉も聞かれなくなった現代ですが、この本に描かれている直木三十五の破天荒な生涯と、彼を取り巻く昭和の作家編集者は、アウトローな匂い漂わせる正しく“文士”そのもの。パソコンで書いた原稿を添付ファイルにしてファクシミリやメールで送受信する現代の作家とは根本的に異質なもののように見えてしまいます。

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2006年4月14日 (金)

楽しいハナシの続き

数日前、

   秘伝書求め 青森の雪山へ空手家探し

   シンガポール武道家一族ら

   迷子の3人保護 「父の遺言」

という毎日新聞の記事をネタにした文章をアップして、

その後忘れていたら、きょう2006/04/14(金)の毎日新聞に、

フォロー記事が載っていて、これがまた楽しいハナシだった。

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シンガポール人が探す武道家
青森山中迷子騒ぎ
「私かも」拳法家が名乗り
「秘伝書」もあった
きょう対面
2006/04/14(金)毎日新聞

日本漫画の読みすぎで、妄想に駆られたシンガポール人が、

青森山中に存在もしない“武道家”を探しにきたもんだとばかり思って・・・

それでも、とっても楽しいハナシだったので

「藤岡弘あたりを仕込んで対面させろよ!」

などとオチをつけたつもりでいたら

ナッ、ナッ、ナント!

ホンマものの武道家が実際に青森県に存在していて、

この9日に、シンガポール人家族とご対面したとのこと。

 「青森県に住む武道家に会って秘伝書を譲り受けてこい」

と、遺言を残した亡きシンガポール人武道家は、

約30年前、実際に青森県でこの日本人武道家から

空手の指導を受けたこともあるのだといいます。

新聞に載っている日本人武道家・福田祥圓さん61歳の顔をご覧ください。

いかにも「頑固一徹な武道家」というイメージどおりのいい顔していますネ~

最近こんな顔の人もみかけなくなっていたので、嬉しくなったワケです。

そういえば藤岡弘さんもこんなお顔していますね。

そして、『かもめ食堂』のサチエさんのお父さんもこんなお顔じゃないのかな。

それにしても、

なんか、ハナシがウマすぎて、

新聞記事では解らない、

あえて記事にはしなかったウラがありそうな気もするけれど、

それでも楽しいハナシだから、

マイナスのハナシには目をつぶってオモシロがりませう。

先にオモシロがっちゃった者の勝です。

あ~コリャコリャ!

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キミはミコを知ってるかい

昨日本田竹広さんのシングルレコードのことを書いたけれど
今ではシングルレコードとかEP・LPレコードに
郷愁を持つ人も少なくなってるんだろうな~などと
不安になってきたワケです。
それと、
弘田三枝子なんていっても、
「その人ダ~レ?」とアッサリ片付けられそうなので
きょうは弘田三枝子のプロフィールから入ってみましょう。
60年代初め、
「子供じゃないの」というアメリカンポップスの日本語カヴァーが
デビュー曲だったと思うけれど、小学生ころから米軍キャンプで
歌っていたというくらいですから、その曲のノリは抜群でした。
私は高校生でしたが、同年齢の弘田三枝子ははるか年上に見えたものです。
そうそう、「ブイ エー シー エー ティアイオーエヌ (VACATION )楽しいな!」
なんていうのもありました。
こんなカヴァー曲を何曲か歌って人気者になり、
数年間の空白があって、こんどは、別人のようにイメージチェンジして、
整形したとか、ナニしたとかのゴシップを提供しながらカムバックしたワケですよ。
ここで思い出したけれど、
ホラ、サザンの名曲に「♪ チャコの海岸物語」っていう名曲あるでしょ?
ここで、「ココロから好きダヨ ミーコ 抱きしめたい」と
桑田さんから告白されているのが“ミコ”こと弘田三枝子ですヨ。
ちなみに“チャコ”というのは当時レコード会社の幹部で
元歌手の履歴をもつ飯田久彦さんのはずです。
本題に入ると、
弘田三枝子復帰後のバックバンドをしていたのが
本田竹広さんということになります。
さて、本田竹広さんのシングルレコードを20万では買えないけれど、
なにか、若かりし日の本田竹広さんのジャズ意外の音源は無いかな?と
オークションサイトを小まめにチェックしてみたら
ありましたね。
EXITINGミコR&Bを歌う 
MIEKO HIROTA ON STAGE
(日本コロンビア JPS-5515)
という本田竹広さん参加のLPレコードが。
1968年5月30日サンケイホールでの弘田三枝子リサイタルということですから、
The MOJOよりも古いレコーディングじゃないかと思います。
このLPレコードが、
スタート時6500円、希望落札価格6800円という条件で出品されているのを発見。
まだ「入札者なし」の段階だったので、
他に気がつく人が出て、値段がつり上がる前にと思った私は
即「希望落札価格6800円」で入札して速攻で落札したワケよ。
2・3日して届けられたレコードは、なにしろ40年近く前のものですから、
古レコード独特のカビの匂いを放ち、盤面はスリ傷だらけ。
それでも60年代末のヒットポップス満載の内容は楽しかったですね。
どうやら、ニューポートジャズ祭に参加した弘田三枝子が
60年代アメリカで急激に広まった黒人音楽R&Bの洗礼を受け
自分のレパートリーに加えたコンサートのライブ盤が
このレコードということらしい。
弘田三枝子は当時の形容詞だったパンチある歌唱力。
ピアノの本田竹広さんも、憧憬のロークの味を出していて、
後年の聴きなれることになる本田フレーズがバンバン。
ソノてルヲさん(懐かしい)の解説にこんなことが書いてあります。
第2部は新編成の“ザ・モージョ”の出番だ。
(ザ・モージョのメンバー)
ピアノ&オルガン 本田竹彦、、、、、、、、
ドラムス エディ・ニン、、、、、、、、、、、、
コーラス 柚木ミカ、東郷輝久、、。、、、、、
この他にベースと2,3のゲスト・プレイヤーが
加わって主として弘田三枝子の伴奏を勤める
バンドである。、、、、、、、、、、、、、、、、、
本田君はモダン・ジャズ勉強中の新進であり
(後略)
なるほど、なるほど、本田竹広さんはこういう経過の後に
音響メーカーのトリオが新レコード会社設立したときに
第1号契約を結びジャズ界にデビュー。
初アルバムに憧れの渡辺貞夫さんがゲスト出演し、
やがて、ナベサダクインテットのメンバーに抜擢されていくワケだ。
そんなことを考えると、
40年前のレコードの、
スリ傷によるノイズさえなんだかいとおしくなる気分でした。
さァ!
それがこのレコードで、
サイケデリックという言葉が流行った時代を感じさせるジャケットです。
ミコR&Bを歌う
弘田三枝子オン・ステージ
1968年5月30日 サンケイ・ホール
(日本コロンビア)
060411_2
田舎顔から都会顔へ、
極端なイメージチェンジで復帰、黒人音楽にアプローチして、
変わらぬ歌唱力で「人形の家」という大ヒットを放ち、テレビの音楽番組に露出、
さらに、自分の経験をまとめたというダイエット本出したりして、
その後は・・・・・とんとウワサを聞かないけれど、
ミコはナニしているんだろう。
最近はどんな歌を歌っているんだろう。
アメリカンポップスの楽しさを目覚めさせてくれた
同年齢の弘田三枝子さんに、
クワタじゃなくっても
私だって
ココロから好きだったよ!
と叫びたい気分です。
このように、
急逝したピアニストの初期のアルバムに20万出せる人もいれば
6800円で大いに楽しめたヤツもいたという、
ある日のネットオークションのハナシでした。
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2006年4月13日 (木)

20万だど~

今年1月12日急性心不全で60歳の命を終えたジャズピアニスト
本田竹広さんの追悼コンサート(2006/03/05)の様子は既に書いたけれど、
そのコンサートのパンフレットには本田さんの詳細なディスコグラフィが載っている。
本田ファンとして初期のレコードは全部知っていたつもりでいたら、
1枚だけ私の知らないレコードがリストアップされているのに気がついた。
.
本田さんがジャズに入る前(1966年ころ)に弘田三枝子のバックバンドを
していたことは知られているけれど、その時期にThe MOJOというグループ名で
日本コロンビアからシングル盤を1枚発売しているのだ。
(ディスコグラフィによれば1969年2月リリースの唯一のシングル)
.
kこの当時の本田さんがどんなグループを作っていたのか興味がわき
もしかしたらネットオークションに出品にされているかもしれないと思い
検索してみたら、、、予想したとおり、、、、
出ていましたね~。
.
A面 欲張りな恋(ALL OF YOU)
B面 クレイジー・ミッドナイト........
というシングルレコードで両曲とも本田さんの作曲らしい。
.
本田ファンとしてはぜひコレクションに加えたいと思ったけれども、
オークションは既に終盤にさしかかり、2人がセリあっている様子で
価格は10万円を超えています。
私はいくらなんでもシングルレコードに10万円以上のお金を出せるほどの
コレクターでもないし、「この結果、どうなるんだろう?」となりゆきを注目していたら、
最終価格はなんと
¥200,000-
で、どこのどなたかが落札。
.
イヤ~、、、本田さんの熱狂的ファンなのか、
それとも値上がりを見込んだコレクターなのか
スゴイ人がいるもんだなぁ。
200,000円ですよ!!!!
.
そこで、今回は目の保養に、
その、200,000円のレコードのジャケットを見てもらいましょう。
(オークションサイトからパクッておいた画像です。首に黄色いマフラーが本田さん)
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.
後日このオークションのイキサツを知り合いの中古屋に話したら、
「あのレコードが20万だったら安い買い物ですよ。ワタシも欲しいですネ」
などと言いやがった。
彼に言わせると、The MOJOというバンドはカルト的人気のグループで、
このレコードを探しているマニアが結構いるらしい。
.
そこまでいわれてみると、どんな音を出していたのかますます気になって、
10年ほど前にオムニバス盤としてCD化されたものを探し出し聴いてみると、
これが、、、、、もう、、、、、
1960年代に日本を席巻したグループサウンズブームそのものの音。
例えば、“タイガーズ”とか“オックス”とかですヨ。
.
たぶん、当時の風潮に便乗したいレコード会社の求めに応じた
ヤッツケ仕事だったのでしょう。
後年の本田さんからは想像することもできないパクリぶりです。
.
このレコードが発売されたとき、既に本田さんは辞めていたらしい。
故人には失礼だけど、
本田さんはこんな音楽遍歴があったことは隠したかったんじゃないかな?
でも、でも、でも、
隠そうとしても、こんなふうに作品が残ってしまうんだもの。
そんなレコードが20万円で取引されたことに、
天国の本田竹広さんは
バカヤロー!!!
なんて、あのダミ声で叫んでるんじゃないかな。
それにしても、20万だもの。
大型テレビ1台買える値段でシングルレコードが取り引きされるんだもの。
コレクターというものはスゴイものですネ~。
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2006年4月11日 (火)

キミは力道山を観たか

この映画を覆う“哀しみ”はどこからきているのだろう。

私はムカシっからのプロレスファンで、街頭テレビでのプロレス中継こそ世代が違うから知らないけれど、毎週金曜日午後8時、“荒れたリング上”を若手レスラーが三菱電機の掃除機使って掃除するテレビ画面を見ていた世代にあたります。

そんなイナカのガキだった何10年前の私でさえ、大人たちの話の端々から、プロレスは真剣勝負ではないし、ヒーローの力道山は朝鮮人だということは気づいていたほどですら、大方の日本人は力道山の背景を承知の上で、それでもなお、日本社会に同調して成功している力道山に拍手喝さいしていたのだと思います。

   「朝鮮語を話す知り合いはいない」

力道山にしても自分の出自が日本社会ではとっくにバレバレなことを知りつつ、出自にこだわり、日本人を演じ続けなければならなかった悲劇。

日本でどれほどの成功をおさめようと、
日本は異郷であり、
母の住む朝鮮を故郷と言うこともできない。

韓国映画『力道山/ソン・ヘソン監督』は最初っから最後まで、
現代風の言葉でいえば“カミングアウト”できなかった男の“哀しみ”で
覆われている映画です。

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力道山を演じる韓国人俳優ソル・ギョングには驚かされる。
吹き替えを拒否し、短期間の特訓によりマスターしたという日本語のセリフは、よくありがちな、口先だけで言葉をなぞるだけの軽さがなく、感情が乗り移っているようだ。

発音のおかしなところもあるけれど、それすらも、力道山=朝鮮人をリアルに突きつける効果をあげてしまうのだ。

脇役陣も見事で、力道山のタニマチで裏社会の大物菅野(かんの)役の藤竜也のスゴミある演技が、この映画全体の重石となっていて、ソル・ギョングとのさしづめ日韓セメントマッチに立ち会っているような緊張感を醸しだしています。

この種の映画は、スタローンの『ロッキー』にしろ、デ・ニーロの『レイジング ブル』にしろ、リング上の対決シーンをどのように再現するかが作品の出来不出来を大きく左右するけれど、『力道山』も負けていない。

プロレスには素人の俳優が演ずる力道山の対戦相手に現役プロレスラーを配して、本物のプロレスとみまがうばかりの、イヤ、それ以上の迫力ある試合シーンを展開させると同時に、力道山のファイトに狂喜乱舞する当時の観客をリアルに再現した、そのリサーチぶりにも驚いてしまう。

力道山とのタッグパートナー、あるいは対戦するプロレスラーのキャスティングは、プロレスファンなら、力道山を巡るエピソードのひとつやふたつを知っているレスー役として、現代のレスラーを当てたアイデアと、彼らのハマリ具合にニヤリとさせられます。

 酔っ払って暴れる力道山を軽~く締めあげ、
 力道山プロレス入りのきっかけを作った日系レスラー、
 ハロルド・坂田役のグレート・ムタこと
武藤啓司

 力道山のパートナーから、後に対戦相手となる
 「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」の
 柔道王・木村政彦役の
船木誠勝

 力道山の目には、
 自分が血ヘド吐いて作り上げたプロレス王国を脅かす存在として猜疑心に駆られる
 元横綱からプロレスに転進した東富士役の
故・橋本信也

 シャープ兄弟を演じた、たしか新日プロレスで見たことのある外人レスラー。

(ただ、試合そのものは、力道山時代を数段に進化させた現代プロレス技の応酬になっているのがご愛嬌。それと、“世界の巨人ジャイアント・馬場”の若かりし日の姿を見つけ出せなかったのがファンとして残念)

ある程度の年齢の日本人なら、日本での力道山の英雄的扱われ方は周知の事実だけど、韓国では、異国の日本で“民族差別と偏見”をものともせず、大成功を収め殉死した民族同胞に対してどのような見方をされてきたのだろう。そして、40歳代前半らしい、韓国育ちの監督が、リアルタイムでは知らないはずの力道山とこれまでどのように関わりあってきたのかが興味あるところです。

日本人が力道山物をドラマ化するときには、日韓・日朝の微妙な問題が絡み、力道山のサクセスストーリーという表の部分だけに焦点をあて、そこから影の部分に入り込むことはタブーな素材ではなかったかと思います。
少なくともこれまでの力道山対象の映像からはそんな印象を受けます。

こんな、

日本映画では、
躊躇する履歴を背負った素材である力道山に、

ソン・ヘソン監督が、制限を設けず取り組んだのがこの映画です。

韓国人監督のもとで切り取られ映し出された

日本人と日本の景色を見て

失われた昭和という時代を懐かしんだりしたのです。

韓国・日本両国スタッフの緊密な連携によって作られた

この映画の前では

「嫌韓」だとか「嫌日」などという言葉は無意味だなぁ

この監督が

力道山を生んだ日本と日本人に真正面から立ち向かったように

お互いに真摯に取り組めば

分かり合えること、分かり合えないことどもが浮き上がってくるのに。


世間で、

韓流などと呼ばれる現象には胡散臭さばかりを感じるけれど、

こんな骨太映画の韓流だったら何本でも観たいと思うのです。

えあじん、超お勧め映画の1本、それが『力道山』です。

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2006年4月 9日 (日)

デニーズの般若心経

著名な作家であるオヤジさんが原稿に朱を入れていると何かに書いてあったのを思い出して読んだのがコレ。

.

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.

スープ・オペラ
阿川佐和子

新潮社

阿川佐和子はホント、うまい。
いや、美味すぎる!

北上次郎(「波」2005年12月号)

ひとつ屋根の下の
独身女性と2人の男性
恋の花咲く長編小説

Saup Opera

導入部は、
主人公のルイさん(32歳)と叔母のトバちゃんという2人のキャラクターが上手くリンクして、
さすがぁ、雰囲気のある文章を書くものだと感心しながら読み進むと。

ルイさんの恋人になっていく青年とか、
ボヘミヤンな画家を出現させてカラマセたあたりから、
ダレてきちゃった。

この方の作品は他に知らないけれど、育ちの良さが邪魔しちゃって、小説よりもエッセーとか対談集などが合ってるのかな。

                      Sikiri_2

朝のファミレスの雰囲気には合わないかもしれないけれど、

デニーズのモーニングセットを食べながらこんな本を読んだりもするのです。

.

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自由訳
般若心経
新井 満

朝日新聞社

「空(くう)の意味が、
よくわからないのですが・・・」
「よろしい。
ではもっとわかりやすく
説いてあげよう」

新井満さんの詩情で訳した般若心経は
お経になじみのない人々の心にも
すんなり感動的に入ってくれるでしょう。
 瀬戸内寂聴

家はいちおう曹洞宗だから、法事のときなど坊さんの読むお経をなぞりながら追いかけるけれど、言葉の意味するところまでの深い理解力はありません。言葉はわからなくても良いから写経をやってみようかな?などと“写経セット”なるものを買いかけたこともあったけれど未だに実現していません。

でも、色即是空  空即是色 だけは、

ものごとに執着することを諌める教えとして漠然と理解しているつもりです。

この世の中のあらゆるものは形をもっているが

それは仮の姿で 本質は空(くう)である

不変のものなどなにもないのだ

般若心経のテキストを読もうとしてもけっこう難解でとっつきにくいものが多いけれど

新井満の「自由訳」によるこの般若心経はとてもわかりやすい。

テキトーにページをめくってみようか、、、、、。

即ち、あなたとは 宇宙そのものなのだよ

意味もなくこの世に 生じてくるわけではない

美しい写真とともにこんな言葉が飛び込んでくるのです。

.

.物事は、そう難しく考えなくっても

あんがい単純なんだよなッ!!!

この本を読んでそんなことを再確認するのです。

短時間で読みきれるボリュームだから、手元においてときどき眺めたい本です。

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2006年4月 8日 (土)

R25はアールニジュウゴと読む

東京は桜の花も終わり

街にはマニュアルどおりのスーツを着た初々しい若者たちを多く見かけます。

朝の混雑する電車に入り込めず乗り残される若者もチラホラ。

そんな春の季節、ワシは朝早く家を出て仕事場近くのファミレスや喫茶店で朝飯食いながらゆっくりすることが多い。ちょうど仕事が繁忙期にあたり毎日残業で夜遅くの帰宅で本を読む気も失せているから、この朝飯どきが貴重なリラックスタイムともなっているのだ。

どんなふうに朝を過ごすかというと、

例えばデニーズのモーニングセット600円だったり

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例えばEXCLSIOR CAFFEのベークルサンドセット450円だったり

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例えばジョナサンの目玉焼きモーニング556円だったり

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こんなものなどを食いながらのお供は、

やわらかめの本や新聞、チラシ広告、パンフレットなどの種々雑多。

きょう読んでいたのはリクルート発行のR25という50ページほどの小冊子。

この小冊子を説明すると、

毎週木曜日に駅構内などの専用スペースに陳列され、

読者は勝手に持ち去ってくるという仕掛けのフリーペーパー。

内容は、若者をターゲットに、政治経済からIT、スポーツ、音楽、芸能と、多方面の情報を広く浅くというのがポリシーのようで、広告宣伝専門のフリーペーパーと違い、記事主体の編集だから、電車内や喫茶店で手持ち無沙汰の時の読み物としては質量ともに手ごろなボリューム。

そんな内容がウケたか、ちょっとタイミングが遅れると入手できない人気冊子に成長しています。

R25今週4月6日号の特集は、
時節がら、新入社員向けに朝飯を食べることがいかに重要かという啓蒙記事。
朝飯より1分でも長く寝ていたいというヒトに朝飯の効用を説き、
併せて朝の過ごし方を考えようという内容。

こんな記事を、ワシはジョナサンで安いモーニングセットを食べながら読み、
時間をツブシてから仕事場へと入ったワケです。

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R25[アールニジュウゴ] 2006 4.6No.88

さて、

誠実な納税者として勤労の義務を果たし残業までこなして日銭を稼ぎ、
狭いながらも楽しい我が家へ帰るべく地下鉄に乗ると、
今朝読んだR25の車内吊り広告。

冊子本体を無料で配り、なお且つ広告を打っても採算が合うんだなぁと思いながら
中吊り広告の見出しを目で追っていると、、、。

        ん、、、、、ン、、、? 

       なんか落ち着かないなぁ、、、、、。

ギョエ~!!!  中吊り広告に誤植を発見!!!

どうにも  座りが悪い原因はコレだったのだ!!!

そこでクイズです。   

 下記の広告の間違い探しをどうぞ 

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R25で朝飯の大切さを学んだ新入社員は
やがて、
満員電車にも尻の方からスルリと割り込む方法も体得し
そして
一人前のサラリーマンへと成長していくのです。
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2006年4月 6日 (木)

楽しいハナシ

今朝の朝刊にこんな楽しいハナシが載っていた。

記事のあらすじはこうだ!

弘前署は5日未明、山中で道に迷った中国系シンガポール人3人を救助した。
彼らは、
「日本国青森県相馬村に極真空手の伝承者がいる。
彼に会い、秘伝書を譲り受けてほしい」
武道家だった父親の遺言を受けて来日した武道家一族13人のうちの3人で、
山中で武道家を探すうちに雪道に迷ったものだといいます。
.
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2006/04/07(木) 毎日新聞
.
いいハナシじゃありませんか。
.
13人のうち11人は当分の間青森に残り、
武道家探しを続けたいという。、、、、、、 
地元観光協会も、「全力で手助けしたい」
と支援を申し出ている。
.、、、、、、、、、
こんな記事のもお見事!
.
よくヒマラヤ山中に300歳の仙人がいるとかのハナシをもち出して
「人の生きる道」とやらをもっともらしく語るヤカラがいるけれど、
そんなハナシよりよっぽど夢があります。
.
遠路はるばるシンガポールからいらっしゃったのに
手ブラで帰すワケにもいかんでしょう。
.
こうなったら、
青森山中に急ごしらえの庵を編んで
藤岡弘さん
あたりを仕込んで
ご対面!!!
とやらかしたらどうでしょうか。
それが武士道というものじゃありませんか。
.
催涙スプレー吹き付ける彼の国の連中はご免こうむりたいけれど、
こういう楽しいハナシを持ち込んでくれる方々は大歓迎です。
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チャンチャン

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2006年4月 3日 (月)

かもめ食堂繁盛中

映画『かもめ食堂』がヒットしている。

土曜日の夕方5時の上映時間に合わせて早めに映画館へ行ったものの、すでに行列が完成していて、これから並んでも立ち見になるという説明。行列の誘導員に聞くと、好評なので近々上階の館でも作品を差し替えて2館で上映するのだといいます。

ワシは、原作を読んでそのホノボノ感が気分良かったから、映画にも興味をもったんだけれど、やはり他にもそんなひとがいたのでしょう。もっとも、300席弱の映画館だから満席になったとしても大した数ではありませんが、それでも、これほどヒットするとはなぁ。
仕方なく銀座周辺で時間をつぶし7時の上映を待つ。

もし、この映画のストーリー展開に興味があったら、このブログのどこかに既に書いてあるからそちらを読んでいただくことにして、、、、、。

この作品成功の原因は第一にキャストのミョーにあったと観た。

   ヘルシンキ・かもめ食堂しっかりもの店主さちえさんの小林聡美。

   ひとの良さがひと目で分かる一斗缶顔の片桐はいり。

   茫洋としてつかみどころのない細目のもたいまさこ。

3人の個性派女優をセットしたことが、この映画により深い味を与えたようです。

あんがい、こういった個性の女性たちって周囲にいますよねぇ、

心当たりありません?

世の中は、ナニも美男美女のホレタハレタやハデな事件だけを探し求めてるワケではありません。特に大きな悩みを意識することもなく、ポ~ッとしたまんま日々を過ごしている人々の、さりげない生き方の断片に連帯感を覚えることも多いのです。

さちえさんがなぜヘルシンキでかもめ食堂を開いたのか?
3人の女性がヘルシンキで出会わなければならなかったのかの説明はないし、
舞台設定はヘルシンキにこだわらなくとも、湘南でも竹富島でも、どこでも構わないとは思えるけれど、とにかく“食べること”は人類共通。どうせ食べるなら良いもの(“グルメ”などという薄っぺらなモノという意味でなく)を食べたいものです。

そんな、良いものを食べる嬉しさがあって、さちえさんがあくまでもこだわった、オニギリを食べるパリパリという音の余韻がいつまでも残る素敵な映画です。

それでは、
拙い文章のもどかしさを感じながら、
ソコは画像や音源でカバーしようといういつもながらのテで
「かもめ食堂」の予告編動画を見て映画の雰囲気感じ取っていただきましょう。

これは映画館のロビーというか通路のモニターテレビにエンドレスで映っていたもの。
(音はお客さんの足音です)

「kamomesyokudo.wmv」をダウンロード
.
Sikiri
.

さちえさんが日本のソウルフードとしてこだわったのが正調オニギリだけど、ワシのような田舎育ちにとっては「オニギリ」より、むしろ「握り飯」という言い方に愛着を覚えます。

お婆さんが、お釜の底にコビリついたオコゲに塩をつけただけの握り飯や、味噌をつけた握り飯を白菜の漬物に包み、囲炉裏の火で焼いて食べる握り飯の味など、今でも懐かしく思い出すのです。

孫や子供の喜ぶ顔を想像しながら作る握り飯。
イクサの合間に慌しく貪る握り飯。
災害復興を祈念しながら手のひら真っ赤にして作る炊き出しの握り飯。

握り飯には握ったひとの情念がこもるから美味いし、食べた後元気が出るのです

そういえば、コンビニではオニギリが一番の売れ筋商品で、開発競争が盛んだという記事を読んだことがあるけれど、食生活がどんなに洋風化されても、やはり日本人の原風景はお米であり握り飯なのかもしれません。

それがたとえロボットが固めたライスにノリを貼付したものであってもだ。

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2006年4月 2日 (日)

ジャッキー・マクリーンが亡くなった

昨日、オーネット・コールマンコンサートのことを書いたら、

今朝の新聞にこんな訃報が出ていた。

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ジャッキー・マクリーンさん73歳(米サックス奏者)
AP通信によると、3月31日、米コネチカット州の自宅で死去。
ニューヨーク生まれ。10代のころからサックスに親しみ、,,,,,,,,,
19歳のとき、 大物ジャズ奏者の故マイルス・ディビス氏らと
...
レコーディング。1959年の「ジャッキーズ・バッグ」では自由な
演奏スタイルが注目を集め、その後も「ブルーノート」レーベル
から発表した多くのアルバムが人気を呼んだ。    【共同】
毎日新聞2006年4月2日(日)

ジャズの歴史を語るとき、

オーネット・コールマンが西張り出し横綱の地位を占めるとすれば、

ジャッキー・マクリーンはせいぜい東前頭2枚目くらいか。

オーネット・コールマンとジャッキー・マクリーンは同じくらいの演奏キャリアをもち、楽器も同じアルトサックス。

オーネット・コールマンがデビュー以来“ジャズの革新者”として、その言動と作品は

ジャズファンにとどまらず、社会現象と連動して注目を集め続けたのに対し、

ジャッキー・マクリーンは難しいことはよう言わん

一瞬のアドリブに賭け、サックス1本でジャズシーンを生き抜いてきた典型的なバンドマン。

世の中全員が“革新者”になれるわけでもなく、

サイドメンとしてリーダーを盛り上げる役目のひとも必要なのです。

そういった意味からもジャッキー・マクリーンは完璧に脇役のひとだったように思えます。

“いぶし銀”と称されたあの音が懐かしい。

さっきから、ジャッキー・マクリーンのニックネームが思い出せずにイライラしている。

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2006年4月 1日 (土)

ロンリーウーマン渋谷乃艶姿

「ジャズジャイアント」を挙げるとすると、間違いなくベスト5に入るのがオーネット・コールマン。

オーネット・コールマンという名前を聞けば誰しもが居住まいを正す“ジャズの革新者”。

他の“ジャイアント”がすべてあの世でのジャムセッションを繰り広げているのに、

オーネット・コールマンは76歳にして創作意欲いまだ衰えない現役バリバリ。

行ってきましたよ。

その、いわば世界文化遺産の音を聴きに。

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今回のコンサートについて知ってることというのは、山下洋輔がゲストで出るということだけ。

その山下さんもオープニング・アクト待遇でのソロピアノなのか、

それともオーネット・コールマン・ユニットの一員として共演なのかわからない。

できればオーネット・コールマン×山下洋輔で、フリージャズの東西の巨人が

丁々発止ヤリあった挙句“東側の勝!!!”というシーンを密かに期待していたのです。

あいにく、この日は仕事が忙しく、コンサートはすでに1時間ほど経過した後の入場になってしまった。

オーネット・コールマン・ユニットは、

オーネット・コールマンのアルトサックスにベース2人、ドラムス1人という今まで見たことのない編成(1曲だけ女性のヴォイスが参加)。

リーダーは他人の音にはそれほど関心をもっていないというふうで、

サイドメンが作リ出す低音のウネリの上で、アルトサックスを吹き、

ときおりトランペットやヴァイオリンを気まぐれに奏でるという感じ。

山下洋輔は途中で呼び込まれ東西の巨匠同士の共演が実現。

山下さんが極端にリーダーを挑発するシーンもなく、

サイドメンとしての分をわきまえ、

オーネットサウンドに溶け合ったピアノプレイはさすが。

あとで聞いたところでは、山下洋輔は前半にソロピアノを4曲披露したそうな。

あんがい、ここでタップリと暴れたのかな?聴き逃がしたのが残念。

60年代中頃にレコードで聴いた『ゴールデン・サークルのオーネット・コールマン』以来

40年ぶりくらいのオーネット体験になるけれど、

大河のゆるやかな流れの上で

ゆったりと舟遊びをしている大人の趣きのオーネット・コールマンを聴きながら

いつのまにか眠ってしまった。

かつて、あれほど胸騒ぎを覚えたオーネット・コールマンの音も

今では癒し系の子守唄に聴こえるほど、こちらのココロはスレッカラシ。

拍手の音で我に帰れば、

オー!!!

アンコールの『♪ ロンリーウーマン』が妖しく腰をフリフリ渋谷の街を包み込む。

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