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2006年1月15日 (日)

本田竹広さんが亡くなってしまった

昨日朝刊を開いたら飛び込んできたのが本田竹広さんの死亡記事。


半身まひ乗り越えライブ続けた 日本フュージョンの草分け
2006/01/14毎日新聞より

本田さんの記憶は70年代終わり頃のNATIV SONでフリーズして、その後は全く忘れていたけれど、一時期の私には特別なピアニストでした。特に72年録音の『This is HONDA』はフェイバリット レコードで何十回聴いたかわかりません。忘れていた、そんな本田さんの新しい情報が死亡記事だったのです。

ジョギング姿で颯爽とキーボード弾く本田さんがいずれ老いるなんて想像することもできなかったのに、それが60歳で死んじゃうなんて。

本田さんは最近どんな演奏をしていたのだろう。
供養の意味も含めてCD屋に行き3枚のアルバムを買ってきたわけです。それらを聴きながら本田さんの思い出を長めの文章にしてまとめ早速ブログにアップしようとしたら、
ゲッ!!!
エラーが発生して文章が消えてしまった。

一丁前のことを言わせてもらえば、やはりこの程度のモノでも書くときの勢いというものがあって、消失した文章を書いたときの集中力に再現させようとしてもムリなハナシ。

消えたのもまた、「こんなモノを書くな!!」というナニモノかの思し召しかと思わせて諦めるしかありません。

そこで、せめて、買ってきた3枚のCD画像をアップしましょう。


THIS IS HONDA
本田竹曠
1972年3月録音

ふるさと -on My Mind-
本田竹広
2004年8月録音

My Piano My Life 05 Piano Recital
紀尾井ホール ピアノリサイタル
本田竹広
2005年7月録音

ネットで周辺情報を拾い集めてみると、1995年、1997年の2回脳内出血で倒れ、左半身不随を克服しての復帰だったとのこと。ピアニストにとって腕が動かないということは死を宣告されたようなもの。そんな状態から這い上がり、“クラシックの殿堂”である紀尾井ホールリサイタルに漕ぎつけるまでは自己との壮絶な戦いがあったことを偲ばせます。

本田さんのステージは、天に祈りを捧げるかのようにピアノの前で手を合わせる儀式から始まったらしい。闘病生活の中から“音楽の神様”に帰依することを学んだのかも知れません。事実、最新アルバムを聴いてみると、そこには悟りの境地に到達したかのような本田さんの神々しい世界が感じられるのです。

最新アルバムの発売から1ヶ月で亡くなるなんて。
ここには、もはや人間の力ではどうしようもない、「ナニモノかの意図で動かされている」ことを意識するばかりです。

   1972年 『THIS IS HONDA』
   2004年 『ふるさと』
   2005年 『紀尾井リサイタル』

昨夜は買ってきた3枚のCDを繰り返し聴きながらブログを作って(それは空に消えてしまったけれど)、30年前のギラギラした本田さんの音と同調し、30年後の「全てのエゴを捨て去り、ただピアノしかない」、今の本田さんの音に癒される自分がいたのでした。

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