こんなシーンを見ることになるなんて
この数年のアフガニスタンの悲惨なニュースに接するたび、「アフガニスタンには借りがる」という想いに駆られてしょうがないのです。
2006/01/09
この3連休で今年の正月休みも終わったようなもの。
テレビの番組は、いわゆる“おせち番組”から通常に戻りつつある中で正月気分の〆としてふさわしかったのが9日(月)NHKの番組。午前・午後と2部に分けて、合計6時間の「世界の仏像」特集は、いかにもNHKらしい機動力と生真面目さを見せつけてくれた壮大な内容でした。
仏像といっても、それぞれの気候風土国民性が生み出した仏様の中で、私が実際に見たことがあって、特別な思い入れを感じているのが番組最後に出たアフガニスタン・バーミヤンにあった大仏像。“あった”というのは、この大仏像は2001年3月にイスラム原理主義タリバンによって爆破され、今ではその姿を見ることができないから。
この9日のNHKの番組では、大仏破壊の決定的シーンが映し出されたのです。
| (2006/01/09 NHKの番組から) ↓ ![]() |
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じつは、私は1974年6月バーミヤンの村で遊んでいたことがありました。 アフガニスタンは1979年のソ連による侵攻、ソ連撤退後の部族間の内戦、タリバンによる圧制、そして記憶に新しいアメリカ軍の空爆と国難の連続だけれど、74年当時は穏やかな国でした。もちろん通りすがりの旅行者の無責任な印象だったにしても、少なくとも夜間歩いても危害を加えられることもありませんでした。 アジアハイウエイのちょうど中間点にあたるのがカブールで、インドを経て西に向かう者は、やっとインドから抜け出せたと安堵し、ヨーロッパから東に向かう者は、これからの国境状況やインドの情報を得るという重要なポイントだったのです。分厚いステーキや新鮮な野菜を食べれたし、もっと生活費を切り詰めたいと思ったら、ナンにカバブをはさみトマトを丸ごとかじるだけでも充足感を味わうことができ、これで宿代込みで2ドル程度だったと思います。こんな風にして次の出発に備えたのです。 外を歩けば「ヤーヤーヤーいつカブールへ来た?」「彼とはカルカッタで会った」「マドリッドのユースホステルで部屋が一緒だった」「ヤツは先にストックホルムへ向かった」などと、旅先でスレ違ったことのある同類の噂話が始まり、「もっと安い部屋があるぜ!」といわれ寝袋担いで移動したりと、私たちのような貧乏旅行者にとって天国のような国でした。東西文明の十字路と呼ばれ多くの旅人が交差した歴史を持つ街は、私たちにも寛容でした。 こんなアフガニスタンのバーミヤンは、カブールから西へ200数十キロ、バスで約半日の緑豊かな村。ここの岩山をくりぬいてられたのが大(55m)小(38m)2つの大仏像だったのです。回教国アフガニスタンに大仏像があるということは、大仏像が作られた4世紀ころはこのオアシス一帯が仏教の一大聖地として栄えた地だったことを物語っています。 私もまた、ホテルの部屋に放置された汚れた本を持ち出して、この洞穴の中で読んだりの穏やかな時を過ごしていたのです。本を読み、タバコを喫い、そのうちウトウトしてきて昼寝をして、起きたらまたタバコを喫う。目が覚めたらどこから現れたのかオマワリが立っていてドキッとしたなどということもありました。 眼下には緑のバーミヤン平野と畑を耕す女たちの姿。それらを取り囲むようにそびえる茶色のヒンズークシュ山脈。洞窟の中は一切の物音が届かず、真空状態とはあのようなことをいうのかもしれません。 あれから30年以上を経て、アフガニスタンでこんな経験をしたことのある人間もそう多くはないだろうと思い出を数えていると、あの大仏様爆破のシーン。あぁ、もはやあの大仏様を再び見ることはきないのかとやり切れない気分になって、あのとき、洞穴の中に残っていた壁画などをしっかり観察しておくべきだったと、今になって悔やんでいるアホな私なのです。 アフガニスタンの写真はもっと撮ったはずだけれど、ローマのユースホステルでカメラごと盗まれてしまい、手元に残っている写真はこれだけ。 |
![]() 1974年6月のバーミヤン |
アフガニスタンの写真がこの大仏像1枚というのにも |
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